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こんにちは、おあです。第162回目のきょうも、あなたの知らない不登校の世界シリーズ、最終回の第4回目になります。
学校にNOを突きつける子ども達というテーマでお話ししていきます。
前回までのお話でお分かりいただけたかと思いますけれども、今の日本においてはですね、いまだに子どもがね、ただ学校に行きたくない、行かない、行けないというだけの理由でね、
親からも、学校の先生からも、ご近所さんからも、世間みんなから追い詰められて死の淵まで行ってしまうという。
しかもこんなことがもうね、50年以上前からずっと繰り返されてきてるわけなんですね。
過去にもお話ししてますけれども、ノートの方でね、不登校の歴史、あの恐ろしい首縄時代を知っていますか?という記事、ぜひお読みいただきたいんですけれども、
まあね、国がね、かつてどんな言い方をして、親の育て方のせいだと言ってきたか。
すごい、もう笑っちゃうぐらい酷いんですけどね。
まああとは子どものせいなんだと、子どもに問題があるんだと、精神病だとかね、最近じゃあそれが発達障害ってなってますよね。
子どものせいとしてきたわけですよ。こんなこといつまでやるつもりなんですかと、いい加減にしませんかっていうことをずっと私はこのチャンネルを通して言っております。
だからね、この長く不登校問題に関わってこられた先生方、皆さん同じことをおっしゃってるんですよ。
古山明洋先生も内田良子先生も、みんな一言で言えば何を言ってるかって、子どもの権利に基づいた学校にしてくださいってずっと言ってるんです。
もっと自由で子どもが楽しく過ごせて、自ら生きたい、学びたいって思えるような学校、子どもの権利に基づいた学校であれば、そもそもこんな問題は起きていないわけですから。
教育基本法を読めばお分かりかと思いますけれども、教育というのはそもそも子どものためじゃないんです、この国では。お国のためにするものなんだとなっちゃってるわけですよね。
だから教科書で学ぶ内容も、時間割りで学ぶ順番も、クラスで学ぶべき人間関係も、担任で学ぶべき教師も、何もかも勝手に一方的に決められていて、制服で着るもの、給食と食べるものまで全部決められているという。
その上、頼んでもないのにテストで勝手に競争させられて、成績表で順位までつけられて、出来不出来を一方的に評価されて、もうどんだけ勝手なんだと。
しかしそういう教育を受けてきた大人である保護者先生、大人たちみんな、この環境が、この学校文化がハラスメントであるという認識さえ持っていないわけです。あまりにも当たり前で、疑いもしないんですね。
だからあんなね、小学校それは小さな社会なんて見てですね、感動した!やっぱ日本の学校って素晴らしい!日本の教育最高!毎日子供たちのために頑張る先生に感謝感激感動!ってやってるわけなんですよ。
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こんな大人たちばっかりの世の中でね、いやあの学校ってところなんか変なんですけどとかね、いやあの学校って場所ちょっと気持ち悪いんですけどってね、なんてね子供は言えるわけがないんです。
それでもわずかなね、勇気ある子供たちがやっとの思いで学校にノーと突きつけているのが、不登校の子供たちなんですよ。
私も本当全然わかってませんでしたよ。娘が何を不気味だと言っているのか。娘が何に対してノーと抵抗していたのか。
もちろんね、教育関係者の中にもね、こんな教育をしていたら国が滅びると警告し続けてきた方がたくさんいらっしゃるんですよ。
一番有名なのが窓際のトットちゃんの友栄学園の小林創作先生。
あとは元宮城教育大学学長だった林武次先生。
元東京大学名誉教授だった太田孝先生。
もちろん今も学校の内部から何とかしようと頑張ってくださっている先生方。
工藤祐一先生やトマノ一徳先生や平川理恵さんや白井智子さんや大木村靖先生いっぱいいらっしゃいますよね。
ただね、158回でもお話ししてますけど、私はこれだけの方々がもう50年以上頑張ってこられてもどうにもできなかったタイタニック号なわけですから。
もう今更もうこうはどうしようもないんじゃないかと。
なんで私としてはね、学校の方を何とかしようとするのはね、一個人にはもうどうにもできないわけですから。
そこはもう見切りをつけてもう自分たちでいかだやら小舟を作って何とか沈没船に巻き込まれずにおのおの生きていくしかないんじゃないでしょうかっていうのが今の私の考えなんですよ。
ずっとですね子どもたちは学校は裸の王様だって正直に言っていたんですね。
でもそれを知らぬぞねぜぬと子どもたちの声をずっと封じ込めてきた歴史があるわけです。
でもいよいよコロナ禍を経て長い呪縛が解けて呪われたタイタニック号から逃げ出す子どもたちがどんどん増えてきてしまってもう歯止めがきかないところまで来てしまっているわけです。
もう誰もその声を無視できないところまで来ているわけです。
不登校問題の本質は未だに呪いが解けない大人たちの側にあるんです。
この不登校問題に50年以上関わり続けて不登校問題の生き地引きとしていい内田良子先生の講演会にまたこの前行ってきたんですね。
あなたの知らない不登校の世界シリーズの最後にこの時の内田良子先生のお話をご紹介して終わりにしたいと思うんですけれども。
2020年に刊行されている内田良子先生の御著書不登校引きこもりの子どもが一歩を踏み出す時という書籍があるんですがこれが大変な名著なんですね。
この本はですね不登校とか引きこもりとか全く関係ない普通にお子さんをお持ちの方だったらぜひ読んでいただきたいですし学校の関係者の方教育関係者の方にもぜひ読んでいただきたいんですね。
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この本の中からいくつかご紹介していきたいと思います。
よく昔もいじめがあった昔のいじめの方がもっとひどかったと大人たちは言いますが私は現場で相談を受けていてそうは思いません。今の子どもの方が大変だと思います。
受験戦争が激しくなり子どもたちが偏差値で評価され学校制度の態度まで管理評価されるようになった時期からいじめられるようなある意味で弱い子どもを育てた親の側にも問題があるという見方が一般化され個人と家庭の問題になってしまった。
いじめが多発する学校システムの変質を問わずに個人の問題にする学校や社会の認識は子どもをとても追い詰めていると。
なぜ学校でいじめが多発しているのかなぜ教師が子どもたちに平気でパワハラセクハラを犯してしまうのかという学校で横行する人権侵害についてですね。
渡辺陽子さんという弁護士の先生がいらっしゃるんですけどねこの方がボイシーで。
学校という場所でなぜ人権侵害が横行してしまっているのかということについて。
大変わかりやすく解説してくださっている放送会があるのでリンクを貼っておくのでぜひ後でお聞きいただきたいです。
また内田亮子先生の本の言葉に戻りますけれども。
死ぬほど辛いんだったら逃げてもいいという指揮者もいますがそれは子どもに酷だとおっしゃっています。
それはつまり裏返せば死ぬほど辛くなければ子どもは学校に行かなくてはならないというメッセージでもあるからだと。
多くの場合大人たちはなんとか子どもが学校に行けるようにと元のレールに戻れるようにと一生懸命取り組んでいる。
そして最近は力づくでハードにやるのではなく無理して学校に行かなくてもいいよと心にもないことを言いながらソフトに真綿で首を絞めるような現行不一致の方法を取るので子どもはダブルバインドに陥り身動きが取れず固着状態になってしまう。
だから学校は危険な場所かもしれないという意識を大人の側が持っていないと子どもが何かを訴えてきたとしても大した話ではないと受け残してしまうリスクがあるんですよ。
親が学校に疑いの目を持っていないと子どもは辛いとか行きたくないと言い出せないんですよね。
で、子どもは頑張って頑張ってもう一回学校へ行こうと家を出るわけです。
でもどうしても行けないかといって家にも戻れない。
そうして登校途中の線路に飛び込んでしまう子、ビルから飛び降りてしまう子、遺書も何も残すことなくある日突然消えていってしまう子どもたちがいるということなんですよ。
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そういう子どもの親や先生はなぜあの子が死んでいってしまったのかわからないままなんです。
警察庁が発表しているデータでは自殺した小中学生の半数が原因不明としているんですよ。
これが無言の死でなくて何なのでしょうか。
パレスチナやウクライナのように戦争が起きているわけでもなく北朝鮮のように独裁国家でもありませんよ。
こんな平和団先進国と言われている日本において子どもたちが1日に2人ずつ命を絶っていく原因というのはやっぱり親御さんの育て方だと思いますか。
もしくはお子さんに発達障害なり精神障害があるからだと思われますか。
不登校問題はもう40年も50年もずっと継承ならされてきた教育問題なんです。
これまでたくさんの子どもたちが声を上げその保護者さんたちも一緒に戦ってきた社会問題なんですよ。
皆さんカゼノコ学園事件というのをご存知でしょうか。
これは1991年7月末ということですのでちょうど34年前の今頃ですね。
この頃はまだ不登校は問題行動だということで子どもたちを精神病院に入院させたり公正施設に強制入所させたりしているような時代だったんですね。
カゼノコ学園事件というのは広島県の瀬戸内海に浮かぶ小さな島に建てられたカゼノコ学園で命を奪われた不登校の子たちの事件なんですね。
当時14歳の少年と16歳の少女が内管改新室という国鉄から払い下げられた貨物コンテナの中で炎天下に44時間も監禁されて手錠につながれた状態で命を落としたという事件です。
この事件を知った当時登校拒否をしていた多くの子どもたちがですねまるで我が身に起こったことのように怒り悲しんで抗議の声を上げたということなんです。
それが1994年7月に広島で開催された登校拒否を考える全国ネットワークの宣言なんですね。
この34年前の登校拒否の子どもたちの言葉をご紹介して、このあなたの知らない不登校の世界シリーズをおしまいにしたいと思います。
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宣言
暑くて暗い闇の中で2つの命が葬されて3年。けれども、あの悪夢のような出来事を私たちは忘れることができません。
迫り来る死を前にその時2人の兄弟たちは一体何を思ったのでしょうか。
彼らが残したその沈黙のメッセージを深く胸に刻みながら私たちは今日ここまで歩んできたのです。
なぜなら私たち、学校に行かない子どもたちを取り巻く現実は、今もなおあの役立たずのコンテナと同様に、私たちが生きていくことを決して許そうとしないからです。
問題は子どもが学校に行くとか行かないとかいったことではありません。問題は私たちが学校に行かないというただそれだけの理由からひたすらその存在を否定されていることにあるのです。
ある時は激しく罵倒され、ある時は凍るような眼差しにいすくめられ、私たちは人間に対して考えうるあらゆる詐欺すみと冷笑の中を生きてきました。
繰り返し繰り返し、学校に行かない子どもなんて生きていく資格のないダメな人間であると言い続けられてきたのです。
私たちは自分自身を生きていく価値のないくだらないものと思い込まされてきました。
私たちの存在自体が治療や強制の対象とされたのです。
そうです、みんな自分が愛せなかったのです。
自分のような人間がこの世にせいを受けてあること自体が何かの間違いだったのです。
私たちは自分を呪い続けて生きてきたのです。
子どもの命を奪い去るものは何も縦断と飢えだけではありません。
お前は誰からも愛されない、生きるに値しないダメな人間なのだと思い込ませてしまえば、それで十分なのです。
子どもたちは激しく劣等感に苛まれ、やがて自らその命を閉じていくのです。
何も三年前の虐殺だけが子ども殺しではないのです。
けれども命は命として生きることを求めます。
確かに私たちは社会の大きな抑圧に押しつぶされてきました。
私たちは学校に行けない自分を呪い続けながら、決して私たちを認めようとしない眼差しの壁に閉ざされてきました。
けれども、いや、だからこそ私たちは生きてきたのです。
人間の尊厳とは、その尊厳を自ら打ち立て、それを守ろうとする営みにあるのだと思います。
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お前は生きるに値しない人間だという偏見に飲み込まれないためには、自らそれと戦うほかはないのです。
そして私たちは、私たちを押しつぶそうとする者との戦いの中から多くのことを学んできました。
私たちは教科書からではなく、生きた現実とその不条理の中から生きることを学んできたのです。
私たちは登校拒否です。そして、そのことに誇りを持って生きていきたいと思います。
なぜなら、私たちはどん底まで叩きのめされた人間にしかわからない怒りや喜び、悲しみを感じ取ることができるからです。
私たちはたくさんの仲間と言葉では言い表せない共感の力があります。今も世界中でたくさんの子どもたちの命が脅かされています。
戦争や飢え、そして様々な理由で差別され、私たちと同じように自分はダメな人間なんだと思い込まされ苦しんでいる子どもたち。
私たちにはその苦しみがわかります。そして、子どもたちがそんな思いを抱えて生きていかなければならない世界は、絶対に間違っていると思います。
私たちが今望んでいるのは、世界中の子どもの命が尊重されることです。
今日、私たちは核戦争という最も残酷な子ども殺しを記憶の街、広島に集いました。
そして今、私たちはここに宣言します。
私たちは、私たちの手で私たちの世界を開いていくことを、私たち自身の命を生きていくことを。
1994年7月23日。
投稿拒否ネットワーク広島 子どもの会