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はい、tantotの時々読書日記、26回です。
今日はですね、ちょっと趣向を変えてまた、
出口あきらさんという方の、声と文字の人類学という本。
これは学術書というか、一般向けの学術書という感じですかね、です。
NHKブックスから出ています。
出版が2024年3月25日なので、結構新しい。
まだ1年も経っていない本というところで、
これはですね、ちょっと近く家から、ちょっと離れたところにある、
スコートコース、有名な独立経書店で、ちょっとフラッと立ち寄った際に、
結構そこの本屋さんがすごく品揃えが良くて、です。
品揃えとか選書の方向性がすごく良くて、
いろいろ見ている中で、ふと目について、手に取ったというものになります。
声と文字の人類学というタイトルがいいですよね。
このタイトルを見るだけで、知っている人によっては、
ファッと思いつく、思い出す本があるのかなと思っていて、
これはウォルター・オングの声の文化と文字の文化、
明らかにその辺の本の議論を参照しているような感じのタイトルで、
私は学生の頃に、声の文化と文字の文化みたいな、
声とか文字とか、音声言語とか文字言語とか、
そういうのあたりについて結構いろいろ学んでいたことがあったので、
そういうところのことをくすぐられて、一般向けではありつつも、
しかも声と文字ってただに人類学という、その3つのキーワードから、
これは結構面白いのではないかと思って、手に取ってみたという感じになります。
なので、あんまりこの辺のジャンル、興味がない方には別、
ふーんっていう感じかもしれないですけど、
どういう変化かというと、大きく3部に分かれています。
第1部は文字の功用をめぐる有力な人。
第2部は声に権力を行使する文字。難しいですね。
第3部は書章と交渉の境界面。
書章と交渉というのは、交渉は分かりますね。
交渉文学とか、口で伝えるみたいな、口で抜けたまわるっていう字が書いてある交渉って、
それに対する概念として書章、文字によって、書によって受け継がれる文化っていう、
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その2つの境界面というような話です。
で、ちょっと議論がややこしいところもあるんですけど、
本としては、その一般、かなりベテランというか、
の学者さんが一般向けに書かれた本という感じなんですけど、
面白いポイントとしては、
文字と声、文字によって人の文化とか認識とかってどう変わってくるのか。
文字のない社会と文字のある社会ってどう違うのかみたいな話って、
結構昔から人類学だとか、あるいは言語学だとか、
そういったところでの一つ大きなテーマではあるんですけど、
それはよく言われる議論としてはやっぱり文字が、
分かりやすい例、類型で言うと、
もともと文字のない、ちょっと遅れた未開の構造文化があって、
そこに文字が生まれたことによって文明が発展して、
文字によって記録が残されることによって文明が発展してみたいな、
そういう話もあるんです。
一方で、文字によって交渉文化の豊かな世界が奪われてしまうみたいな、
そういった議論もあったり。
でもこの本で、著者の方がいろんな事例を出しながら語っているのは、
そんな単純な話じゃないんだよと。
交渉での文化から文字が出てきて、文字の文化に変わって、
人は文字を使って、ある意味、
視覚的な文化、視覚的な優位性に変わっていきましたみたいな、
そんな単純な話ではなくて、
第2部で取り上げられているような話は、
事例でいうと、文字によって、文字が読む人の声を奪うみたいなことを言ってるんですけど、
例えば、日本でも江戸時代までは、
もちろん出版はいろいろあって、みんな色々本を読んでたんですけど、
みんなで音読するものであり、みんなと共有するものであったっていうところから、
イメージに入って、新聞縦覧所みたいなのがあって、
新聞をみんなで読む空間みたいなのがあったんですけど、
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そこでも、新聞を読み上げて、
それに対して周りの人がやいのやいの言って、
そういうコミュニケーションの空間だったのが、
徐々に図書館だとか、そういう公共の空間では、
目読をしようというような感じの流れになってきて、
そういう豊かな口頭でのコミュニケーションの文化みたいなものが失われていった。
ある意味失われていった。
人は目読という本に対して目読するようになったみたいな、
そんな話があるんですけど、一方で、
第3部で取り上げられている例で、
序章と境界面という事例でいうと、
そんな単純な話ではなく、
文字があることによって新たな声が生まれるみたいな、
そんな話もあったりとか、
例えば、何でかというと、
それが何とか、例えば平気物語の事例が出ているのが面白かったんですけど、
平気物語って、
今はもちろん文字で残っている、
いろんな文庫でも出ていますし、
最近だと古川秀夫さんの役で古典神、
神村神社の神様栖川で処方か、
川で処方。
日本の古典のシリーズでも出ていたりとか、
もちろん文字として伝わっているんですけど、
もともとは盲目の美話奉仕が語るお話だったんですけれども
でも別にそれは単純に美話奉仕が交渉で伝えていったというだけではなく
やっぱり文字として残っているテキストと美話奉仕の語りと
それぞれが相互作用し合っているみたいな
文字で残っているものを新たに読む それをもとにして歌うことによって
そこで新しい声が生まれるみたいな
結局そういうふうに文字によって声の文化もより豊かになるみたいな
そんな事例もあるよというような そんな話がされていたりします
あと面白かったのが 本は最後の章の砂の本を追いかけてという話があるんですけど
ボルヘスの砂の本という 私ちょっと読んだかどうか覚えてないんですけど
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砂の本という小編小説があって
そこに出てくる本は変幻時代とか優通無下というか 全く形を留める
ある時はこんな本だし また別の時には全く違う本だしというところで
形を常に変え続ける本
でも実際の本ってそんな風に形を変え続けるものではなく
印刷されたらカチッとそこに留まって
そのまま印刷されてもそこに留まってしまうからこそ
それってリアルタイムでその時その時に合わせて
語りを変えてくる口頭のコミュニケーションよりも
劣ったものみたいに目指されるっていうこともあるんですけど
なんかそういうものなんですけど
でも実はいろんな世界各地の事例を見ると
別に書物には始まりと終わりがある それが決まっているみたいなのを
そんな常識を覆すような本がある
例えばフレイザーの禁止編って人類学の古典みたいなものですね
出るたび出るたびにどんどんどんどん事例が増殖していくみたいな
そんな感じだったらしくて
最初に2巻本として出ているのが
あるよあるよと第3版になると全13巻になっているみたいな
こんな風にどんどんどんどん変幻自体に変わっていくっていうものも
書き言葉その文字っていうもの自体も別に固定的なものではない
実はその延長線上に今のデジタル世界ですね
SNSだとかってまさに見るたび見るたびに変わっている
文字なんだけど見るたび見るたびに変わっている
ある意味砂の本みたいなものなんじゃないかみたいな
そんな話もあったりして
文字と口頭の声っていうのは別にそんな対比的な関係ではなく
また特にこのデジタル社会にデジタル化されている中で
またこういう融合しているというか
その境界が非常に曖昧になってきてるんじゃないかみたいな
そんな心にまで繋がってくるっていう話がされている感じです
ちょっと今の話でどれだけこの辺の議論の魅力とか面白さが伝わったかわからないんですけど
個人的にはこういう声と文字というところ
その言葉というものに関わる歴史だったりとか
様々な事例をひもときながら
その本質で何だろうっていうようなことを語っていく
そういう内容の本ってすごく好きなので
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この本も非常に興味深く聞いておりました
NHKブックスなんですごい一般向けに書かれているので非常に読みやすいですし
NHKブックスのこの絶妙な半径と絶妙な厚さ
結構好きなんですよね
非常に自分の知らないジャンルについて知るための入り口として
なんかとてもいいなというふうに思いました
そんな感じですかね
ちなみにすごく個人的な話をすると
実はですねこの話
最後にデジタル社会になると
声と文字、書き言葉と話し言葉みたいなのは結構融合してきているというか
境界が曖昧になってきているんじゃないかっていうのは
すごい遠い昔に大学生の時に
自分の卒論とかあるいは終始論文とかで
そういうあたりのことを頑張って論じようとしたというような思いでもあって
そういう意味でもすごくじんわりくるところもあります
そんな感じですかね
ちょっと今日は
こういう学術書というか
そういう系の方は少し説明が長くなりがちだなと思うんですけど
ちょっと長くなってしまいましたが
声と文字の人類学の方も取り上げてみました
はいではこの辺で終わりにします
ありがとうございました