インターネットの影響
このチャンネルでは、普段実用書を作っている編集者が読んでよかったノンフィクションを紹介していきます。
今回紹介する本は、フィルムアート社の
インターネットは言葉をどう変えたか?デジタル時代の言語地図
著者は、クレッチェン・マカロックさんですね。
この方は、カナダの言語学者の方で、
主にインターネット上の言語について研究をしている方だそうです。
どんな本かというと、タイトルの通りなんですけれど、
インターネットが登場して、人々が話したり文字にしたりしている言葉に
どんな影響が与えられたのかというのをまとめている一冊ですね。
カナダの方なので、英語圏の話がメインではあるんですけれども、
日本でのネット上での会話に通じるものも非常に多くてですね。
読んでいてかなり面白かったですね。
言葉の省略と感情表現
ざっくり本の中で言っていることとしては、
インターネットの登場威勢というのは、
あまりカジュアルすぎる言葉とかスラングみたいなものを
公に発信するということが基本的にできなかったということがあるんですね。
例えばですけれど、何かしら大勢の人に文章を読んでもらおうとしたら、
新聞であったり雑誌であったり、本であったり、
そういったメディアを通して文章を載せる必要がある。
なので、そこである程度の編集者であったり構成者であったり、
何かしらのチェックが働いて、
あまりにもカジュアルすぎる言葉はそこで消されていたわけなんですね。
なんですけれど、インターネットが登場したことで、
そういったチェックが働かずに、
人が話していることをそのまんまネット上に書き込んだりとか、
もしくは面倒くさがってすごく省略した言葉をそのまま書いたりだとか、
そういうことができるようになったということなんですね。
英語の辺の実例がいくつか出てくるんですけれど、
初期のインターネットユーザーは特に入力の手間を省くために、
複数の単語が連なった言葉を頭文字で略した、略字を使ったという話がたくさん出てきますね。
例えばLOL、ロル、ラフアトラウト、大声で笑う、爆笑みたいな言葉とかがあるんですけれど、
これはインターネットの初期に出てきた入力の手番を嫌がったユーザーたちが使った言葉ですね。
日本語で言えば、笑ったとか、あとはW、あれは笑いを打つのがめんどくさくて、
アルファベットのWだけ打ったというような話がありますけれど、
あとはそこから転じて、草とか、そういう略、省略をした言葉、略した言葉というのは結構インターネットで生まれた言葉の特徴の一つだという話があって、
なるほどなと思いましたね。
僕もガラ系でメールを使い始めた頃、家族との連絡で、
了解って打つのがめんどくさくて、了ってだけ打ってた記憶がありますけれども、
これもこの著者の方が言うインターネット的な言葉の一つなのかなと思ったりしますね。
それが一つ。
で、それからインターネット上に書かれる文字って基本的に今僕が喋ってるようなちょっと口調の抑揚だったり、
あとは対面で人と話すときの目振り、手振りみたいなものがないので、文字に感情を乗っけたり、細かいニュアンスを乗っけたりすることがやっぱり難しいんですね。
なので、結構いろんな情報が吸い落とされているということがあったので、
インターネットユーザーの人たちはそこをあの手この手で工夫して、何とか文字に感情を乗せようとしたと。
具体的にどういうことかっていうと、
例えば英語圏のユーザーたちは普通英語交互の文章を書くときって一番最初の文字が大文字で続く文字が小文字になると思うんですけれども、
何かすごい大きな声で主張している、強く主張していることを伝えているときに文章の全てのアルファベットを大文字で書くという文化があったそうなんですね。
これ面白いなと思って。
同じ単語を書いていても大文字か小文字かで伝わる感じが違う。
試してみたんですけれど、確かに大文字で全て書かれていると若干こうやかましい感じの文章になる。
すごく面白いなと思って。
で、日本語はどうかって思ってみると、
日本語は大文字小文字とかいうのはないんですけれど、
インターネットを見ていると、
一文字一文字の言葉に、全ての言葉に濁点をつけて、
本来濁点をつけることができない言葉にも濁点をつけて、
強い思いを持って大声で叫んでいるような手で書くやり方があったなと思ったりしますね。
あとは、日本語だと全角半角という概念があるので、
半角のカタカナを使ってカジュアルな感じを出したり、
ちょっとボソッと言っている感じを出したりする方法があるなぁなんて思ったりもしました。
これを、著者は口調のタイポグラフィーと名付けていて、
タイポグラフィーというのは文字の並べ方とか、間隔を詰めたりどう詰めたりとか、
大きさを調整したりとかして、見易さを変える、見易さを調整するデザインの世界の言葉なんですけれど、
口調のタイポグラフィーという風に名付けていて、
面白い、使っていきたい概念だなという風に思いましたね。
絵文字の進化
で、それから、先ほど文字に感情を載せるのが難しいという話があったと思うんですけれど、
それを乗り越える工夫の一つとして、絵文字の話が出てくるんですね。
絵文字といった時に色々な種類があるんですけれど、
英語圏だと主に、口頭で伝えるのが難しいんですけれど、
コロンにカッコ閉じ、コロンの次にカッコ閉じ、
目とにっこりした口元を表すというような、顔を横に倒したような絵文字が一般的になっていて、
コロンにカッコ閉じなら、にっこりした顔、
コロンにカッコだったら、口をへの字に曲げているような、ちょっと気分悪いような顔が表現されていたりして、
ここで、日本語圏と英語圏の顔文字の違いの話が出てくるのが面白いんですよね。
日本の顔文字って、さっき話したような英語圏のような顔が横倒しになっていなくて、
普通に顔がカッコの中に目が横に入っていて、というような顔文字があったとしていて、
英語圏の顔文字に比べると、目の表現が豊富だという話があったんですね。
顔文字で目の形をあの手かあの手で、いわゆるアスキーアートみたいな形で日本の顔文字は表現していると。
確かにそれはそうだなと思っていたら、さらに加えて説明があって、これには文化的な違いがあるんだと。
人の顔写真を見せたときに、アジアの人たちは主に人の顔の中の目を見て感情を推察する傾向があるのに対して、
欧米の人っていうのは口を見て感情を読み取る傾向があるということがあるそうなんですね。
これはすごい納得だなと思って、アジア人はマスクをして、欧米人はサングラスをするなんていう話もどこから聞いたことがあるんですけれど。
日本人はとにかく目での表現。顔文字においても目をあれこれと変える。欧米人は口の部分をあれこれと変える。
こういう顔文字ひとつをとっても、そういうカルチャーな違いが出てくるんだなというところが、
言葉を通して背景にある文化が見えるみたいなところで、結構読んでいてふむふむとなったところですね。
さっき今話したのは既存の文字を組み合わせてアスキーアート的に顔文字を作るものなんですけれども、
その後絵文字が発明されていって、絵文字は一文字で泣いている顔とか笑っている顔とか、
メールとかSNSでおなじみのものだと思うんですけれども、そういったものですね。
それも開発の話も出てくるんですけれど、それの経緯っていうのが、
日本のソフトバンク、今のソフトバンクにあたる会社が絵文字を開発して日本国内で普及したんだそうなんですけれど、
キャリアによって、例えばAUに向かってソフトバンクからメールをするとかすると文字化系をすることが起きていたと。
各社で絵文字のデータの取り扱いが違ったからですね。
そういう状況があったんですけれど、
ここで海外のAppleとかの多国籍企業が日本人にiPhoneを買わせようという話になった時に、
これだいぶ昔の話ですけれど、どうも日本人は絵文字がないとダメらしいと。
Appleの人たちがオンバージョンに調査をして、日本人は絵文字が大好きらしいと。
絵文字を搭載する動きができて、そこで絵文字がユニコードという国際的な統一の文字コードに登録されたというような話があって、
その中でAppleの技術者とかが絵文字がたくさんある中で、どの絵文字を入れるべきなのか大真面目に議論していた話が本当におかしくて、
ちょっと下品な話なんですけれど、うんちの絵文字、うんちがにっこりしている絵文字があるんですけれど、
それを果たして入れるべきかどうなのかというのをAppleの技術者たちが大真面目に議論しているという会議室の絵面を想像しただけで笑ってしまうんですけれど、
そういうような威力曲折があって、今僕たちのスマホであったり、あそこのIMEキーボードで普通に打つときにも絵文字に変換することができるような形ができたんですね。
この手ものは何でもそうですけれど、こういう言葉の歴史を知るのが好きですね。すごい面白い。
それからそのに続けて絵文字についての著者の考えが述べられていくんですけれど、絵文字は現実の感情と少し違ったところがあるっていう話があって、
どういうことかというと、現実の感情って咄嗟に出るんですよね。
何か相手の会話に対して咄嗟に笑ってしまったり、咄嗟に向かってきて不快な顔をしたりとか、現実の感情って咄嗟に出るものなんですけれど、絵文字は文章を考えながら時間をかけて選んで入力される。
なので咄嗟に出る感情的なものというよりは、説明を補足するジェスチャー的なものであるっていう話があって、これはすごい納得でしたね。
もちろん咳水反射的に、ごく親しい相手と、こいつにはこの絵文字だけ返しておけばいいや的に一文字だけ送ることもあるんですけれど、LINEのスタンプとかはそうだと思うんですけれど、それが例外として、
インターネットとコミュニケーションの変化
自分の言葉、文字だけだと少し味気なかったり、相手に誤解を与えそうな時に、自分は冗談でこれを言ってるんだよとか、笑顔でこれを言ってるんだよとか、そういう文字に本来ない温度感を伝えるために、ある種のジェスチャーのようなものとして絵文字を使うんだという話があって、
これはその通りだなと思いましたね。
今、僕、とっさにLINEのスタンプの話をしたんですけれど、この話は本人が出てこなかったんですが、あれも一種の言葉でコミュニケーションだよなって今思いました。
あと今、チャットのツールにはリアクションのマークが付けられる機能があると思うんですけれど、あれも一つのコミュニケーションだなと思いましたね。
僕は仕事でスラックというチャットツールを使うんですけれど、スラックには既読がなくて、相手が読んだかどうかはわからなくて、ただ人によっては読んだ時に読んだよという意味で目のマーク、確認中ですという意味で両目のマークのリアクションを返してくれることがあって、
あれが付くと読んでくれたんだなって思うんですけれど、そういうスタンプのコミュニケーションみたいなものもインターネットが生んだものかなと今思いましたね。これは本に書いてることじゃなくて、今喋っていて気づいたことですけれど。
それから、特に僕の興味が強い分野の話なんですけれど、インターネットって一つの技術なんですけれど、技術によって会話の形が変わる、会話の本質に迫る、言葉の本質に迫るような話が特に面白くて、インターネット以前であっても、例えば電話が生まれた時には話し方が変わったんですね。
電話で当時、普及した当初はみんな使い方があんまりよくわからなくて、一方的に演説して終わってしまったりとか、そんなことがあったそうなんですけれど、どうやって喋るのがいいんだろうっていうふうにいろんな人たちが試行錯誤した結果、もしもしというふうに相手に呼びかけて、で、名乗って。
それから本題の会話が始まるという会話形式ができた、そうなんですね。
もう一つ例を挙げると、トランシーバーとかはどちらかが会話をかぶせるということができないので、Aさんが喋って、「〇〇です、〇〇です。どうぞ。」と言って終わる。
これも普通のフェイストゥーフェイスの会話ではやらない会話ですけれど、こういうふうに電話だとかトランシーバーだとか、そういう技術によって人の会話の形っていうのは変えられてきたし、ある意味では人間が新しくて便利なものについて適応していったわけですよね。
ある意味では人間が新しくて便利なものについて適応していったということもできると思うんですね。
インターネットは人間の会話に影響を及ぼしたものの最大のものだという話がこの本の中ではあって、
結構僕自身、インターネットの進化と一緒に成長してきたような人間なので、過去のテクノロジーを思い出しながら読みましたね。
僕は93年生まれなんですけれど、中学生終わりぐらいの時に柄系を持って、ボタンをポチポチしてメールを打ったりっていうことをし始めて、
大学でスマホを持ってLINEをしたりTwitterをしたりし始めてっていうような世代になるんですけれど、
今思うと確かに新しくて便利なものが出てくるたびに自分の会話は変えられてきたし、
そのたびに自分自身も、この道具を使う場合はどういう言葉を使ったり、どういう矢文字を使ったりするのがいいんだろうっていうことを色々試しながらやってきたなって思いますね。
これをお聞きの皆さんも、新しい何かデジタルツールが自分の手元に来たり、コロナでリモートの会議がめちゃくちゃ増えたりとか、色んな経験があるかなとは思うんですけれど、
結構人間の会話の仕方であったり言葉ですね。言葉はそういうものに環境だったりツールだったりで、結構柔軟に変わるものなんだなっていうのが、
無意識には自分自身そういう風に言葉を書いたりしていたことなんですけれど、今回この本を読んでかなり明確になったような印象がありますね。
で、著者が一番最後のまとめのところでそういうことをまとめて言っていて、言葉っていうのは固定化された本のようなものではなくて、動的なネットワークなのだということを言っているんですね。
言葉の動的な本質
で、先祖代以来同じ言葉を使ってきた人なんていうのは全くいなくて、みんな何かしら言葉を変えて、新しい言葉を作って、その時その時で一番通じやすい、使いやすいと自分が信じる言葉を使ってきたわけですよね。
これは高校の古文とかを思い出すと納得が強いんですけれど、ほとんど全然違う言葉、もちろん通じるところはあるんですけれど、全く違う言葉を千年前ぐらいの人たちは使っていたわけで、
それを考えると言葉の変化の大きさというんですかね、教科書とか学問で扱う言葉って結構厳密なものに思えるんですけれど、実体はもうちょっとグニャグニャした柔らかいもので、
インターネットが出てきたらみんなやたらと言葉を省略したり、変なスキーアートみたいなものを作ったり絵文字を作ったり、電話とかトランシーブが出てきたら会話の形がまた変わったりとか、
その時その時で変わっていくからこそ生き残っていく、うまく変われたものが生き残っていくっていうものなのかなと思いましたね。
というところで、この本非常に面白くて、僕自身言葉への興味が結構強くて、こういう話を読むのが好きなんだなっていうのを再確認した本でしたね。
冒頭に言ったように、この本で述べられているインターネットと言葉の関係っていうのは、英語圏に主にほよかそうがあったものだったので、
インターネットは言葉をどう変えたか、日本語版みたいなものがあったら是非読みたいなと思いましたね。
言葉に興味がある方、インターネットが僕たちにどういう影響を与えてきたのかみたいなところを知りたい方には是非お勧めできる必殺かなと思います。
ちょっと断片的ですが、このぐらいで今回は終わろうかなと思います。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。
ここまで聞いていただきありがとうございました。