オスマン帝国のミステリー
はい、tantotの時々読書日記第39回です。ちょっと更新頻度が落ちてきてしまっていますが、
今日はですね、オルハン・パムクさんの私の名は赤という小説、こちらについて話してみようと思います。
これはですね、早川文庫。早川のエピ文庫かな。海外文学を主に出している文庫のシリーズですね。
エピ文庫で上下巻になっています。 図書館で書いて読みました。
結構ね、ずっとオルハン・パムクさん、トルコでノーベル文学賞を取っているトルコ人の作家なんですけど、
本屋で、大体文庫コーナーで海外文学のあたりに行くと平積みになっているんですよね。
表紙も含めて、すごい気になって読んでみたいなぁと思いつつ、なかなか上下巻で結構分厚いので
ハードル高いというところだったんですけど、ちょっと図書館にあったので借りてみて読んでみました。
なかなかタイ部の書説ではありましたが、結論から結構面白かったなぁという感じです。
どんな話かというと、時代は1591年。結構昔の話。
オスマン帝国の首都イスタンブール。まだオスマン帝国が、ちょっとオスマン帝国も少し王子の勢いを失っている時代ですかね。
そこのイスタンブールが舞台で、これはサイミツガ、ミニアチュールと言われるイスラーム圏の独特の細かい絵です。
成功に秘密に描かれた絵ですね。このサイミツガの工房が舞台で、サイミツガ氏が殺されるという殺人事件の、今はミステリーみたいな感じなんですよね。
殺人事件が起きて、最後までその犯人が誰かは分からない。最後にようやく分かるみたいな感じなんですけど、その殺人事件を軸にして話が進む。
いくつかすごい面白いポイントがあって、一つは
話の全体の小説の構成が面白い。
これですね、大体全部で上巻で33章、下巻で59章に分かれているんですけど、それぞれの章でタイトルが、例えば1章がいくと
1. 私は屍 2. 私の名はカラ 3. 私は犬 4. 私は人殺しと呼ばれるだろう 5. 私は諸君のおじ上 6. 僕オルハン 7. 私の名はカラ 8. 私はエステル 9. 私はシェキュレ 10. 私は一本の木 11. 私の名はカラ
12. 私は蝶と呼ばれている 13. 私はコウノトリと呼ばれている 14. 私はオリーブと呼ばれている 15. 私はエステル 16. 私はシェキュレ 17. 私は諸君のおじ上
と、と、と、と、そんな感じで続いていって、聞いてて分かったかと思うんですけど、同じタイトルが何度も出てくる。
要はこれ、章ごとに語り手が変わってくるんですね。で、その語り手の、タイトルはもう語り手の名前っていうか、あの名乗りだと。
なので、私の名はカラっていう章、この後何度も出てくるんですけど、これはカラって言われる、割と主人公っぽい人。
その彼がの語りで進むし、次の章になるとまた今度は別の犬が語ってたりとか、エステルっていうユダヤ人の女が語ってたりとか、シェキュレっていうこれはカラが思いを寄せる
人妻なんですけど、女の人が語ってたりとか、で諸君のおじ上、そのカラのおじ上が語ってたりとか、そんな感じで章ごとに語り手が変わっていくので、
結構繋がった話でも章が変わると視点が変わって、またちょっと語り口が変わっていくっていうところで、その話の進み方が結構一章は短いので、
なんかそうやって少しずつ少しずつ視点が変わりながら語りが進むので、結構飽きずに読めるというか、毎回毎回ちょっと新鮮な気持ちになって読めるっていう、なんかそういうテンポの良さみたいのはあるなぁと思いました。
あと、もう4で私は人殺しと呼ばれるだろうっていうので、実際の殺人犯の語りが出てくるんですけど、これがでも誰かわかんないんですよね。
この後、もう何度か出てくるんですけど、その章。でもやっぱ誰かわかんない。
誰かわかんないように、なんかわかりそうでわからないこの描き方、なんかそこがすごい面白いなという、結構そういう、最後少しずつ少しずつ犯人に近づいていくあたりが、結構そういうミステリー的な形でも読めて面白いなという感じです。
細密画とその葛藤
この殻が、あと細密工房、細密な工房のボスのオスマン統領が犯人を探していくんですけど、迫っていくその流れも面白いなという感じですかね。
でもこれ、そういう殺人事件と、途中でもう1個殺人事件が起きるんですけど、その殺人事件とそれを解きしていくっていうそのストーリーと、もう1つ苦戦を成すのが、
この細密画という世界とか、芸術に対する、日本を巡る時代の変化というか、それにまつわる引きこもごもみたいな、なんかそういうところが通想提案みたいな感じになっている。
どういうことかというと、細密画って実は結構イスラーム圏だと細密画って微妙な位置にある、ポジションにあるらしくて、イスラームって偶像崇拝を禁止してますよね。
なので、いわゆる絵を描く。例えば、預言者ムハンマドの絵を描いて、それを崇拝するみたいなことは絶対やっちゃいけない。
なので、絵っていうものが意外と低く、一段低い芸術としても一段低く捉えられている。
なので、細密画は文化としてはすごい発展しているんですけど、あくまでも書、なんか王の書、シャーナーメって呼ぶ王の書とか、そういう有名な書物に対する差し絵として描かれてきていると。
ただ、西洋の文化が少しずつ増える中で、西洋の方ってめちゃくちゃ肖像画が描くし、特に1991年ってもうルデサンスの時期なので、絵画芸術が花開いている頃なんですよね。
あと遠近法が発明されたりして、ものすごく絵の技術とかも進化していると。
で、いや往々なくその影響を受けて、それまでの伝統的な細密画から一歩はみ出して、その西洋の技法を真似るような人たちが出てくる。
でもそれってイスラームの伝統からすると異端なんじゃないか、やってはいけないのではないかっていう、やっぱり主流派もいて、そことの対立みたいなものがこの時代かなりあったみたいなんですね。
そういう絵画論みたいなものも、絵画論と実際その工房の名人と呼ばれる絵師たちが出てくるんですけど、
その彼らの抱える葛藤みたいな、やっぱり時代がいや往々なく変化していく中での名人たち、あるいは馬頭領とかの、そういった人たちの葛藤を描いているという側面も。
なので、伝統時代の大きな変化の中で人は何を思い、どう巻き込まれていくのかみたいな、そういう物語でもある。
殺人事件とかとは全然別で、そういう物語でもあるっていうのがこの話の面白さかなと思います。
結構ありますよね。中世とか近代以前の舞台にして、やっぱり時代が大きく変わる中での人々、そこに取り残される人々、先に進む人々。
いや往々なく生まれる対立みたいな、そういうところを描いている、正統派の歴史小説みたいなところでも、歴史小説の一つの王道だと思うんですよね、これって。でもあるかなというふうに思いました。
伝統と変化の葛藤
例えばね、ちょっと全然違いますけど、キリスト教文明でいうと、バラの名前みたいな、あれもやっぱり伝統を読んじゃいけない本、それを守ろうとする人とか、その伝統を破ろうとする人たちの、実はその対立みたいなものが裏にあったみたいな話だと思うんですけど、
ちょっとそういう意味では、そういうところと通じる、イスラームにおける伝統を守ろうとする人たち、それを破っていこうとする人たち、でもそれって別になんかめちゃくちゃ、単純にこの人は主族派、この人は核心派とかって分けられるものでもないんですよね。
一人一人の人たちがすごく葛藤しながら、両面もちろん持ち合わせているし、核心派の中でも一枚岩じゃない、主族派も一枚岩じゃない、そういう複雑な人間模様というか、そういうところも描かれているかなという感じです。
そういうテーマ、わりと個人的には好きかもしれないです。
時代ってどんどん変わっていく。それはもう居合なく変わっていく。居合なく変わっていくんだけど、そんなホイホイとみんな簡単にその時代の波に乗れるほど、野天気なわけでもないんですよね。
それまで自分が培ってきた、正しいと信じてきたことと、ただこの時代、新しい時代で正しいとされてくると思われること。そこの間にもちろんギャップがある。
それを絶対否定するつもりでもなく、多分こっちが正しくなるんだろう、こっちが本当に主流になってしまうんだろうと思いつつも、でもだからといってそれを、はいはい、じゃあこっちに行きますねと言えるわけでもない。
自分の大切にしてきたものをポンと捨てられるほど、人間は野天気ではないので、そういうところの葛藤みたいなものってすごく普遍的な話なのかなと思うんですよね。
ある意味、今みたいに変化の激しい時代とかで言うと、同じような葛藤っていうのは、もちろん自分の中にもありますし、それぞれその中にも当然あるんじゃないかなというふうには感じられるというところです。
こんな感じかな。
あとはそうですね、結構、割と長いので読むのは大変なところもあるんですけど、例えば細密画に関する描写だったりとか、あとは街の描写、家の中の描写。
例えば皇帝のいる宮殿の中の描き方みたいな、今はもう亡くなってしまった時代の空気を感じさせる、この描き方、筆記はやっぱりすごく素晴らしいなというふうに思って。
そういうのを味わうという意味でも、この本は日本とから遠く離れたトルコの、しかも戦後16世紀っていう、今からも離れた時代の空気感というところをきちんと伝わってくる。
そこは本当に素晴らしい作家なんだろうなというふうに読んでて思いました。
あと時々挟まってくる、「私は馬」とか、「私は悪魔だ」とか、「私は犬に小罪」とか、絵に描かれている悪魔とか馬とか犬とかが語るみたいな、そういう形で語られている章もあって。
割と緩和経代的な、緩和経代じゃない、途中ですね。ちょっとインターミッション的な章になってて、ただそれが実は少し象徴的に意味を持っていたりして、そういうところのテクニックもすごくいいなと思って読んでます。
ということで、オルハンパムクさん。実はこの本は代表作の一つだというふうに言われているらしく。
なかなかトルコ文学って触れる機会ないと思うんですけど、ちょっといつもと違う文化だったり、ものに触れたいなという向きの方には、ちょっと読んでみるといいんじゃないかなって。
とりあえず読んで決して損するもののところは全くないなというふうに思いますので。できればもう一つ一体、日本語訳されている代表作で言うと、雪とかねっていうのがありますね。
その辺もぜひ読んでみたいなというふうに思います。こちらが割と現代の話っぽいですけどね。
ということで、これは図書館で借りましたけど、別に文庫で上下館で買って読んでも全然損しない感じだなというふうに思うので、おすすめです。
ということで、今日はオルハンパムクの私の名は赤、新約版、こちらについてお話ししました。ありがとうございました。
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では。