朝鮮半島とワルシャワの街の記憶が結びついた時、作家は祈りを込めてこの世に映る白いものの数々を紡いでいく。
ハン・ガンのすべての白いものたちのを紹介します。
どうもみなさんこんにちは。文学ラジオ空飛び猫たちです。
この番組は、いろんな人に読んでもらいたい、いろんな人と語りたい文学作品を紹介しようコンセプトに、文学と猫が好きな二人がゆるーくトークするポッドキャストです。
パーソナリティーは、わたくし大地とミエの二人でお送りします。
文学とプロではない二人ですが、お互いに好きな作品を時には作り、時には愉快にそれぞれの視点で紹介していく番組です。
今回紹介するのは、ハン・ガンさんのすべての白いものたちの、です。
斉藤麻里子さん役で川出文庫、2023年に出版されていて、刊行本は2018年に出版されたものになります。
これまで文学ラジオでは、毎年1年に1回、ハン・ガンさんの作品を紹介してきて、最初はギリシャ語の時間が始まって、回復する人間、その後引き出しに夕方をしまっておいてですね。
今回その3作に続く4作目として、すべての白いものたちを紹介したいなと思っています。
この毎年一冊なんですけど、多分意図してやってるわけではないですよね。
ギリシャ語と回復する人間は、ちょっとこれ、意図あったかもしれないけど、引き出しに夕方をしまっておいたわ、シンプルに出てもよかったから、まず紹介しようとなった。
そうですよね。新刊でアドバイスされたからっていうの、あそこに飛びついた。
今回、すべての白いものたちの、はですね、ちょっと私がやりたいって言い出したんですけど、
ちょっと最近、重めの本が続いていたので、ちょっとこの辺でですね、
自分が読んだことある、読み返したい本っていうのをちょっとそろそろ入れたいなと思ったので、
今回で半顔のすべての白いものたちの、ちょっと読みたいなと思ったので。
で、これね、2023年に文庫が出ておりまして、私もともと単行本借りて読んでいたので、文庫このタイミングで書いてちょっと嬉しかったっていう点もありますね。
そうですよね。僕はあの単行本を持っていてですね、今回、ちゃんと読んだのは今回が初めてですね。
あ、なるほど。
なんかもうパラパラって、見たものの。
そうですね。文章はすごくいいなっていうのは思っていたんですけども、
いやほんと、ちゃんと読むとすごいなっていう、それが思わず大事で、
いやほんと、買ってしばらく寝かせていた甲斐があったなって思いましたね。
これあれだもんね、ちょっとパッと見詩集っぽい作りしてるけど、
でも通して読まないとちょっと迫ってくるものがまた全然違ってくると思うんで。
僕も本当に勝手な解釈ですけど、ちょっと詩集と思っていたんですけども、やっぱりちゃんと読むと小説だっていうところもあって、
ちゃんと読んでみるのが大事だなって思いましたね。
そうですよ。もうちゃんと読む。
そうですね。それだけすごい本当に味わいっぱい作品だなって思いましたし、
確かに2度3度とちょっと読み返したくなるような作品だなって本当に思いましたね。
初読が2019年か、2019年のいつだかは覚えてないんですけど、
絶頂印ですね、メモって印象に残った文章。で、一箇所以外は今回読んで付箋してましたね。
あんまり、まあ2019年だからね。4年前ぐらい。だからあんま気持ちは変わらないんだろうな。
でもなんか懐かしいっていう記憶になったのは何箇所だけで、
ちょっとこの後話していきますけど、今の気持ちの方に強くリンクしたところは、
多分初読では見逃してましたね。こんな文章あったんだってちょっと思いましたし、
本は何度か読むとちょっとね、持ち方が変わってくるから面白いですね。
じゃあもう我々のラジオで散々紹介してますが、著者について聞きますか。
ハンガンさんはですね、1970年韓国に生まれました。
韓国の作家ですね。韓国の光州っていうのかな。
ちょっと光る州と書いて、ちょっと発音わかんないですけど、光州生まれという子です。
で、大きいのは2005年採植主義者。
こちらがですね、16年にアジア5県初のブッカー国際賞を受賞しているという、
とても大きい賞ですね。アジア5県初で受賞したというところですね。
その後ですね、小説では少年が来る、ギリシャ語の時間、回復する人間など多数ございます。
エッセッシュ、そっと静かに、刺繍、引き出しに夕方をしまっておいた、など、
そんな風に名作が多い方ですね。
じゃあ具体的に作品紹介入っていきたいと思います。
今回ですね、単行本と文庫本でちょっとあらすじが、ボリュームが違うんですが、
文庫の方がちょっと長いので、文庫の方採用させていただきたいと思います。
アジア初のブッカー国際賞、作家による奇跡の傑作が文庫化。
おくるみ、うぶぎ、雪、骨、灰、白く笑う米と飯。
朝鮮半島とワルシャワの街をつなぐ65の物語が捧げる儚くも偉大な命への祈り。
生後すぐに亡くなった姉をめぐり、ホロコースト後に再建されたワルシャワの街と、
朝鮮半島の記憶が交差する文庫化にあたり、
役者の斉藤麻里子によるすべての白い者たちの絵の補足。
平野啓一郎による解説、回復と自己対応。
対応はあれですね、貸して与えると書いて対応ですね、を収録とあります。
紹介文だけでもなんかすごい、なんだろう、ちょっと詩的な感じが近づいてきますね。
うん、おくるみ、うぶぎ、雪、骨、灰、白く笑うとかね。
朝鮮半島とワルシャワの街をつなぐ65の物語とか。
なんかね、別にこれ煽っている感じは全くなくて、非常に端的にこの作品を表している言葉たちだなと思いますね。
ここからですね、この作品の特徴であったり魅力であったりというところを話していきたいなと思っています。
その後ですね、ストーリーの話に移っていきたいと思います。
まず、非常に魅力の思える一つ目ですね、これは美しくて詩的な文章で書かれているというのがありまして、
これはもう半岸さんの小説全般に言えることかもしれないんですけども、
すごくその文章が美しいという要素もありますし、
言葉をすごく繊細に紡いでいる作家さんだなと思っていまして、
特にこの本は、そこがですね、かなりその繊細さというのを感じるような、
言葉一つ一つに儚さも感じられるような、そのような文章で書かれていて、
そこがすごくやはり読んでくると迫ってくるものがありました。
特にですね、今回3章構成なんですけども、第2章ですね、そこでは白いものというのがもう紹介されるんですけども、
さっきもありましたけど、おくるみとか吹雪とか雪とかですね、
白いものを数々を描写している、そういう章が第2章なんですけども、
そこがすごく圧巻だなと思いました。
半岸さんの文章ですね、語り手が目にした白いものというのがすごく詩的に描写されているので、
そこの文章を読むというところですね、そこもこの本の醍醐味なのかなと思うんですけども、
それくらい読ませる文章がずっと続いていくというのが一つ特徴かなと思います。
そうですね。今言った2章というのがわりと厚いので、この本の中でも。
その中でひたすら白に絡めていろんなことが描かれていくんですけど、
2章に行くまでの流れもすごくいいんだけど、そこはちょっと構成とかストーリーのところなんですが、
文章の美しさとかで言うと、一番最初の私っていう章の1文目からですね、
白いものについて書こうと決めた。
春、その時私が最初にやったのは目録を作ることだった。
ところから始まって、おくるみ、うぶき、塩、雪、氷、月、米。
もうちょっと続くんですけど、この後の文章で、
単語を一つ書き留めるたびに不思議に胸がざわついた。この本を必ず完成させたい。
これを書く時間の中で何かを変えることができそうだと思った。
傷口に塗る白い軟膏と、そこにかぶせる白いガーズのようなものが私には必要だったのだと。
文章が続くんですけど、これだけで、めっちゃいい本だと思う。
分かってしまうところがあってね。
やっぱ漢画家さんって、今読んだところもそうなんですけど、
表現の過不足のなさっていうのが、とてもうまいなと思ってまして、
これがもう完全に読み手の心の中に入ってくるポイントの1つだなと思いますね。
だからやっぱこの文章力っていうのは、やっぱり、
ヒューのところも踏まえてですけれども、
読みやすいのにちゃんと深いところまで届くみたいな文章がすごくお上手で、
そこに私は毎回惹かれてますね。
文章量自体は決して多くないんですけども、
半顔さんの思っていることっていうのが、もうこっちに入ってくるその感覚があって、
説明の仕方っていうその辺りは、確かに半顔さんらしい独特なところもあるかなと思うんですけど、
それは本当にすごい表現力だなと思いますしね。
この本の魅力っていうところでいくと、やはり第2章で描写されている白いものの数々ですね。
そこについてちょっと補足するとですね、この白いっていうのにも定義があって、
この半顔さんが言うには、その白いっていうのは真っ白なものではなくて、
白いにゃららみたいなですね。
白さんにもいろいろな白さがあるっていうようで、
そのようなニュアンスの白いっていうものを描いている。
例えばさっきのおくるみとかうぐきとかもそうだし、窓の下とかですね。
蝶の羽とかこぶしとか雪とかですね。
水漏れとか波とかですね。
例えば波だったらわかりやすいかもしれないんですけども、
見方によって白く見えたりするような。
蝶の羽もそうかもしれないですけども。
その白く見えるものと白さを帯びているものと、そういったのを紡ぎ出していて。
ちょっと面白いのがですね、これは観光本なんですけども、
本の作りが面白くて、紙の色がですね、途中で白い紙なんですけども、
全部で何色かな。
1,2,3,4,5、5色ぐらいのグラデーションになっていて、
グラデーションというかちょっと紙の色が若干違うんですよね。
結構その観光本がこの作品の中で語っていることと
リンクするような作りになっていて面白いというのがあって、
あとはちょっとこれ白さが離れるかもしれないですけども、
観光本と文庫本だと観光本の方が余白な色なんですよね。
文庫本だと観光本の方が余白たっぷりで描かれていて、
結構ですね、余韻を味わえるところがあるかなと思いますね。
これももちろん好みの問題で、文庫本でももちろん作品そのもの十分味わえるんで、
どっちがいいか知らないですし、文庫本の方が解説とかついていて、
道徳感はあるんですけども、観光本は観光本で、
本の作りとして面白いというのがちょっと脱線しましたけども、
この作品の特徴はやっぱりこの白いものの数々、
こんなにたくさんの白いものっていうのが描かれてるっていうのは、
すごいなかなか他にはない。
多分その一つ一つがすごく良くて、
これもまた後大地さんと話題にしたいと思うんですけども、
そういう白いものをなんていうか、
ハンガーンさんが描く白いものっていうのを読んで感じれるっていうのはすごい良さかなと思います。
そうか、ちょっと観光本のことをすっかり忘れてたけど、
こういう良さがあったんだ。観光本は欲しいけど、文庫買っちゃったんで。
今の部分でいうと、文庫版でいうと、
言うの忘れたんですけど、私が言うページは全部文庫版です。
めいさんが言うのが観光本になっちゃうと思うんで、
ちょっと混乱するかもしれませんが、ご了承ください。
で、文庫のですね、176ページ。
これ作家の言葉っていう、ちょっと終わった後に入ってるものなんですけど、
私の母国語で白い色を示す言葉に、
真っ白な、これ韓国語でハヤンと読むそうなんですけど、
真っ白なと白いが、これは白いはヒンですね。
ヒンがあると。ハヤンとヒンがあると。
また雨のようにひたすら清潔な白、ハヤンとは違い、
ヒンは生と死の寂しさをごもごもたたえた色である。
私が書きたかったのはヒンについての本だ。
であって、この辺に対してちょっと白に対するスタンスのようなものが
ちょっと描かれていると説明されているんですけど、
確かに今回ですね、だいぶこの生と死のイメージっていうのが
この本から漂っていて、それが白というところに結びついて
我々に迫ってくるので、白というものを考えるだけで
不思議な感覚を味わえる技術だったので、
他にはこういう読書体験できないと思うので、面白いなと思います。
今言ったですね、ごもごもたたえた色っていうのがですね、
私初読した時に何だか全くイメージできなくて、
ごもごもたたえるみたいなのがあったんですけど、
ちょっとごもごもっていうのは交わったりというか、
ちょっとごちゃっとした内容、ごちゃっとした状態みたいなと思うので、
ちょっと混沌とした状態を保持しているみたいなイメージなのかなと思いますね。
そういう意味合いの表現というのがこの本すごく多いので、
ぜひその辺りは味わえるかなと思います。
そうですね。この本が語ろうとしているテーマと言いますか、主題と言いますか、
そういうのを抜きにして本当にこの白いもの、漫画の中に入っている
白いものをパラパラめぐって読むだけでもすごくもう何か感じるものあると思うので、
この後ちょっとこの本のテーマみたいな話をしていこうと思うんですけども、
ちょっと難しそうとか思われたらですね、決してそんなことなくて、
この第2章の頃だけパラパラめぐって読んでみるだけでもすごく味わえるものがあるっていう、
それだけではやっぱり一個一個切り取ってもすごいっていうのをちょっと言っておきたいなと。
最後の特徴のところでいくと、このテーマというんですかね、
作品で描かれていることとして喪失と再生の物語になっているというところですね。
結構ハンガンさんの小説で共通しているテーマでもあるんですけども、
今回の作品も舞台がワルシャワということで、そこがナチスドイツに破壊されている、
そういった歴史があって、その後復活を遂げたという街でもあるというのと、
朝鮮半島で亡くなったお姉さんですね。
これハンガンさんの実話をベースにしているんですけども、
実際にあった話をベースにしていて、生まれてすぐにお姉さんが亡くなったというのがあって、
そことの記憶がリンクしていくというですね。
それが失ったものと、もう一度再生していくという、そこが描かれているということですね。
この亡くなってしまった姉というのは、かなり最初から出てくる話なんですけれども、
おそらくこの姉に対してハンガンさんはずっと何か気持ちがあって、
言語化できないような気持ちがあって、感覚みたいなものもあって、
それを今回表現しようとしている。
その過程自体がこの物語になっているので、ここがすごく独自な部分でもあるし、
パーソナルなのに、やっぱり我々も共感してしまうというか、
入り込んでしまう部分もあって、不思議な話ですね。
確かに読んでいると十分で重なるところがあるというのは、文庫本の解説で平田圭一郎さんが入っていましたし、
読んでいると実際そう思うところってあると思いますし。
この本でちょっと面白いのが、最後の作家の言葉のところで、
本を書いた経緯をハンガンさんが書いていて、
この全ての白い者たちの書く前に少年が来るという、結構重ための本、小説を書かれていて、
それは80年代に韓国で実際にあった事件なんですけども、
民主化抗争があって、軍と市民の対立があったという、その事件について書いていて、
やっぱりハードな内容、本当に死なないでほしいという、願いを込めて書くようなパートもあって、
その後、ハンガンさんも休暇を取ってという時に、知り合いの面識のある翻訳者の人に、
自分の国に来ないって誘われて、それがワルシャワだったんですけども、
全く初めてワルシャワに行って、そこで生活していく中で、
ワルシャワという国とハンガンさんの記憶にあった、お姉さんが亡くなってしまったお姉さんの記憶が重なっていくという、
このお姉さんについてのお話を書かないといけないんですけど、
そういう経緯があって、この全ての白いものたちが、本当にすごい作品だと思うんですけども、
ちゃんとそこの経緯も踏まえていると、そういう経緯があったんだというのがね。
必要な本って感じですよね。
本当にハンガンさんにとって、これは書かないといけないものであったというのが、すごい伝わって、
これは最後の作家の言葉というのは、絶対あった方がよかったなと読んだ。
あと書きみたいな感じでも取れるけど、でもやっぱりこれで完成する感じはあるよね。
この原作ですかね、韓国で出たとき、最初はなかったみたいですね、この作家の言葉。
ちょっとその改訂版を出すときに、改めてあと書きみたいな形で付け加えをやると、
もう一回二度目読みたくなるような、そのような説明になっているんで。
日本では最初からついてくれていてありがたかったですね。
さらに文庫版の解説、斉藤真理子さんとか桂次郎さんの読むと、
もう一回しっかり読みたくなるようなと書かれてますんで。
でも解釈は人それぞれだから、解説とか縛られなくても大丈夫だと思います、この本に関しては。
そうですよね。
ちょっとここからですね、作品のストーリーの話に移っていこうと思うんですけども、
本当その解釈が読む人によって絶対違ってくると思いまして、
これが第2章で、第3章ですね、
これは全ての白い者たちという章なんですけども、
ここでまたちょっと作家が登場してきます。
作家がちょっと過去を回想するんですけども、
それはお母さんですね、
お母さんが二度葬山した過去を持っていて、
お姉さん、お兄さんですね、
でももしそのお姉さん、お兄さんが来ていたら、
自分はいたんだろう、
逆に子供の頃、もしお姉さんがいたら、
どういうお姉さんだったんだろうというのを想像したりしますね。
それは例えばですけど、
お母さんの看病を率先してくれるようなお姉さん、
宿題を教えてくれるお姉さん、
作家さんもすごく感受性豊かな方なので、
ちょっと子供の頃からという感受性が豊かというところで、
ちょっと闇の中でうずくまるようなことがあったりしたときに、
自分をハグしてくれるような存在のお姉さんなのかもしれません。
過去を回想してその後、ちょっとそのお姉さんがいたらという想像をしたり、
作家さんはこの世界に映る白い者たちとともに、
お姉さんに思いを馳せて、
自分の人生というか自分の命を再び生きようとするというですね、
そのような、これも思いというか祈りを込めた第三章ですね。
どのようなストーリーか説明するのはすごく難しいんですけど、
もうちょっとこのような一、二、三章になりますね。
そうですね。一読して迫ってくるものがすごく多いんですけれども、
個人的にはやっぱり最後、この生への意志っていうところはものすごく刺さりましたね。
最終的に迫るのはそこだったし、
やっぱり読んでいて自分も勇気づけられる部分は確実にあって、
すごく強く生きようみたいな感じではないんだけれども、
やはり生きるしかないのか、生きていこうみたいな、
そんな何か気持ちにさせてくれるところと、
ハンガンさんね、詩集読んだ時も思ったんですけど、
うまいなって思うのは、これ全ての白い者たちのはですね、
最後、あれで終わってるんですよね、確か。
第二章の終わりが米と飯で、やっぱり、
これ最後、全ての白い者たちの最後も締め方は良かったんですけど、
第二章がですね、やっぱり食べ物で終わるというところは結構やっぱりうまいなと思いましたね。
まず食へっていうのがどうしても生命を感じさせるものなので、
そういう使い方がすごくうまいなと思いますね。
その前に本当にいろんなことをさらえてるんですけど、
食べ物が持っている、なんかこの生きることへの力というか、
そんなのをほんのり感じさせてくれるような、いい締め方してますよね。
いやいやでも本当に、読むと感じるところ、
これ多分1,2,3章、どこを切り取ってもあったと思いますし、
ここでちょっと僕と大地さんで印象残ったところがたくさんあるので、
多分一部しか話し合えないんじゃないかなと思うんですけども、
ちょっとお互いそこを拾っていけたらなと思いまして、
大地さんからいきます。
私からいきましょうか。文庫の方でいくと69ページ、
みぞれというタイトルの文章が入ってるんですけど、
この文章すごく良くて、これねなんかね、
所属の時あんまり引っかからなかったんだけど、
今回一番引っかかる文章ですね。
これも全部インで読んじゃいますけど、短いし。
生は誰に対しても特段に好意的ではない。
それを知りつつ歩む時、私に降りかかってくるのはみぞれ。
額を眉を頬を優しく濡らすのはみぞれ。
全てのことは過ぎ去ると胸に刻んで歩む時、
ようやく握りしめてきた全てのものも、次には消えると知りつつ歩む時、
みぞれが空から落ちてくる。
雨でもなく、雪でもない、氷でもなく、水でもない。
目を閉じていても、開けていても、立ち止まっていても、足を早めても、
優しく私の前を濡らし、優しく頬を撫でにやってくるのはみぞれ。
っていう文章なんですけど。
ここにね、ちょっと他に季節の話というか、万年雪とか、
雪の話が少し続くんですよね、この前後ね。
その中でみぞれというものが出てくるんですけど、
これも優しいのか優しくないのかは分からないし、
どう解釈していいのかも分からないけれども、
でもなんか、性は誰に対しても好意的ではないっていうところと、
このみぞれが持っている、冷たいのか、それとも溶け出しているのかみたいなところ、
その中間の合わさみたいなのがですね、自分はこれを読んだ時にですね、
結構刺さったんですよね。
氷でも水でもない。
だけども、でもなんか自分の前を濡らして優しく頬を撫でてくれるのはみぞれてある。
いいですね。
いけるってことはグラデーションなんだと思うので、
どっちかに大きく転がることもなければ、いつも中間の場所にいるんだろうな、
そういうのも感じたし、それを彼女、これ多分姉だと思うんですけれども、
姉が感じているっていうのはすごくいいなと思ったので、
ちょっと多分この2回目で一番刺さったんだろうなと。
僕も近いかもしれないですね。
僕が印象のことはまず息というですね、これは息を吐くの息ですね。
これが文庫本だと91ページなんで、文庫だと80何ページか。
87にありますね。
これも短いので読むとですね、
寒さが兆し始めたある朝、唇から漏れ出る息が初めて白こぼったら、
それは私たちが生きているという証。
私たちの体が暖かいという証。
霊気が台風の闇の中に吸い込まれ、体温でぬくめられ、
白い息となって吐き出され、私たちの生命が確かな形をとって、
野次郎風に広がっていくという奇跡という文章なんですけども、
ちょっと読んだ時、この息というのがちょっと弱々しい息なのかなと。
寒さが兆し始めた朝ということなんで、
ちょっと寒い中ですね、何とか吐き出すような息という、
ちょっと弱い印象かなと思いつつ、
その後吐かれているのが、
その息というのは体の中、肺の中でぬくめられていて、
だから白い息として吐き出されるということは、