2024-07-20 1:01:12

#23-1 この世はVRなのか?「ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考」について考える

仏教思考について考える(その1)です。


【今回の内容】

仏教と量子力学/宗教を知りたい/苫米地英人と仏教/哲学としての仏教/現実=VR/宇宙と人間のスケール/大きな流れを感じる/仏教思考=メタ認知?/唯識/マイクと原始人のたとえ/モノは使いよう/脳内世界が世界の全て?/因果と縁起/因果はコントロールできない/プールに漂う人間のたとえ/因果の連鎖/無意識に期待する脳/なぜなぜ分析と納得/怒るサルのたとえ/「そもそも論」で考える/戦略的憤怒/だから欲望が大事/仏教思考のデメリット/正しい欲望/言葉では伝えきれない/悟りとは何か?/メタ認知とフォーカス/怒りと苦しみ/色即是空/素粒子とマトリックスのたとえ/言葉は仮に過ぎない/スッキリしない/量子力学から考えろ/次回に続く


◆ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考

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◆世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論

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◆お釈迦様の脳科学 釈迦の教えを先端脳科学者はどう解くか?

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◆【仏教】釈迦の悟った内容 - 苫米地英人

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【パーソナリティ】

とよだ:富士通で働くビジネス哲学芸人。

ショーン:シリコンバレーのテック企業で働くデータの魔術師。


【番組へのお便りはコチラへどうぞ!】

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※このラジオは、個人の見解に基づくものであり、所属組織を代表するものではございません。


#白米FM #哲学 #仏教 #メタ認知 #量子力学

サマリー

ビジネスシーンを生き抜くための本をきっかけに、仏教と宗教の違いや仏教のメタ認知の効果について考えるエピソードがあります。 唯識の重要性と違いを認識すること、また因果と縁起の概念を通じて自己の存在と思考プロセスを理解することが大切であることについて考えます。 人間の苦しみや欲望について考察し、仏教思考を取り入れることによって、苦しみを解放し欲望に執着せずにすむ可能性が示唆されます。 悟りとは、自我が重要度の全てが同じに見える状態であり、色即是空とは色が空であり、空が色であることを表す言葉です。ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考について考えています。

本を知って関心を持つ
今日は、どんなテーマですか?
今日は仏教ですね。
おー。
今まで理系のね、トピックが続いてきたけど、今度は逆に。
うん。そうだね。
理系って言っちゃったけど。自分で。
確かに。
リバタリアン、リバリタリアンもそうじゃないかもしれないけど、テック系の話とか。
あー、そうだね。
数学の話して。
で、割と僕に寄ってたような気もするけど、それを今度は思いっきりとよだくんに寄せるみたいな。
うーん、なるほどなるほど。
仏教もさ、量子力学とかなり近いっていうこともあるので、もうなんだろうね、文系とか理系とかそういうレベルじゃなくなってるかもしれない。
そうだね。
そういう、やっぱり二項対立みたいなのはいい加減卒業しないとみたいな。
そうだね。
今回もともとさ、その仏教の話がしたいって言ってくれたのはしおくんの方じゃない?
あー、そうだね。
なんかそこの、なんだろう、きっかけというか、最初の思いみたいなところをちょっと最初に教えてもらえると。
そうだね。えっと、まず、この本に出会ったというか、ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考っていう松波龍源さんと野村高文さんが書いてる本を結構前に知っていて、
多分本を出したときに野村さんがつぶやいてたりとかして、めっちゃいいよっていう反響も割と野村さんの周りではあったっぽいんで、
気になってはいて。
で、今回そのトピックを探している中、いろいろ考えたんだけど、仏教とか宗教ってやっぱり自分の中ではスイートスポットっていうのかな。
全然ちゃんと読んでないし、前回その宗教に関する回でもさ、結構自分は避けてるみたいな言い方をしたと思うんだよね。
で、その意味でも、自分が勉強してみたいのは宗教あたりかなーって思ってたところ、この中、最初の序文とかを読んでいると、
割と現代で苦しんでいる人にこそ、この仏教思考が役に立つみたいな流れで、
で、特にブルシットジョブ、仕事に対してなんだこの仕事はみたいな思う人っていう章があったりして、
そういうのを読み始めていると、結構面白いかもなーと思って、
で、とよだくんさ、仏教とか割と詳しいから、こういうのをきっかけに話して、
聞きたいこととか、なんかよくわかってない、もやもやする部分を話せれば、自分にとっても役に立つかなーとかね、
そういうふうに思ってテーマとしてあげさせてもらったわけですよ。
なるほど。僕はこの仏教はかなり好きなので、また最近読み直して、やっぱりいいなーと噛み締めているところですね、今。
最初に仏教と出会ったのっていつ頃なの?
仏教の出会いと理解
えー、仏教と出会ったのはね、なんだろうなー、
あの、僕、昔、苫米地英人が好きだったんだよね。
で、彼の本をいろいろ読んで、で、彼は脳科学者的なポジションでいろいろ話をしていて、
で、その脳科学っていうところと、その仏教っていうところをつなげて、彼が解説している本を読み、
で、彼の言っていることで理解していったのが最初かな。
いつ頃?
えー、でも20代の半ばかぐらいかなーと思うね。
まあ10年前ぐらいかな。
そうだね、10年前ぐらいか。
うーん。
そうだと思うよ。
僕は、一応家は仏教だよって言われていて、
その冠婚葬祭の、特に葬儀の方でぐらいでしか接点がなくて、
他、うちに何かあるっけ、なんか本当に接点がそれくらいなのかな。
あー。
まあでもそういう意味で言うと、うちもないけどね、ほとんど。そんな仏教、仏教、仏教した人生は全くないよ。
本当にお葬式の時とかぐらいしかないし、
その仏教、一般的に日本で言われている仏教と、そのお釈迦様が何を言ったのかっていうことはだいぶイメージが違うなと思っていて、
で、僕がいいなと思っているのはお釈迦様が言ってる方なんだよね。
で、その葬式とかで出てくる仏教の方はあんまり俺よくわかんない。
あー。よくわかんないっていうのは、知ってるけど、いいと思わないっていう意味のわかんない。
そもそもよく知らないっていう感じ。
よく知らないってこと。
その哲学としての仏教はすごいいいなと思うんだけど、宗教としての仏教は俺あんまりよく知らないっていう感じ。
なるほどね、なるほどね。
いやその、この龍源さんの問題意識もさ、そんな感じだったよね。
なんか日本人の仏教観が、本来ある思考プロセスみたいなものからかけ離れてて、イメージがあんまりよくないみたいな。
そうね。
っていうこととか、もっとみんな仏教思考使えば日々苦しんでいるものからちょっと楽になれるのにって思ってるみたいなことを書いてて、確か。
そうなんだよね。普通に生まれて普通に生きてると、自分が今見てる世界っていうのが現実みたいな感じだと思うんだが、実際仏教を学ぶと、ここにも書いてあったけど、VRヘッドセットかぶってるみたいな感じなんだよね。
その実際、実際というか、今自分が見てる世界がVRヘッドセットをかぶっていてそれを外しちゃえば、たとえばVRの世界ですごいつらいこととか苦しいことがあったとしても、所詮VRじゃんみたいな感じに思えるので、いいなと思うな。
外した後はどんな感じなの?
外すと、よく宇宙のことを想像すると自分のちっぽけな、自分の人生なんかちっぽけで、自分のくよくよ悩んでたことなんかどうでもよくなるみたいな。よく言うじゃない。
あるね。
そんな気分だよね。スケールの違いなのかなと思うな。
宇宙レベルのスケールで物事を見るのと、自分の一人称視点で、人間の目線で見るのの視点のスケールを行き来するというか、自由自在に切り替えるみたいな、そんなイメージ。
それを普段やってるの?
やってんじゃないかなと思うね、無意識に。
無意識にやってんだ。
やってるような気がするけどね。
なんかそのヘッドセットとってる間ってさ、VRの世界にいられない気がするんだけど、そのアバター自体はVRの世界で止まってたりしないのかなって思うんだけど。
それは止まってるんじゃないかな。だから普通にVRのリアリティを感じてるときは、もうそっちに頭が取られてるので、それはそれで目の前のことをいかに対処するかっていう話でしょ。
でもそれでちょっと自分の頭を休めるというか、ちょっとぼーっとできるタイミングがあれば、ちょっとそこから離れて、メタ認知をして、自分をメタ認知し、そのメタ認知してるのをまずは自分の頭の上みたいなところにその視点を持っていき、そこがさらに上にだんだん上がっていき、それがもう究極宇宙の彼方まで飛んでいくみたいな感じじゃないか。
今一緒にビジュアライゼーションしてるからね。どんな感じかなって。グーグルアースか何かをズームアウトしてるからね。
そうそうそうそう。グーグルアースみたいな感じじゃないかな。だから地球規模で考えたり、宇宙規模で考えたりとか。まあ宇宙規模で考えることはそうそうないけど。
うん。とりあえずズームアウトすると。
そうすると、なんか落ち着くんだよな。だから自然とやっちゃう気がする。
なるほどね。その落ち着くっていうのは、なんだろうね、その目の前にあったものをあんまり考えなくて、なんか考えないようにできるからってことかな。迷走とかと似てて。
そうかもね。そうかもしれないね。あとなんだろう、そのズームアウトしていくと、大きい流れでは、大きい流れで見るとこういうふうに物事って流れるよなっていうことがなんとなく感覚として分かり、
で、自分がその大きい流れに逆らってないっていうことが認知できると落ち着くっていうか、なんかそんな気がする。
もしさ、じゃあズームアウトして自分が大きい流れに逆らってるということに気づいたらどうなるの?
もしそれに気づくんだったら、たぶんソワソワしちゃうと思うんだよね。そうなったらそれが嫌だから、そうならないように自分の行いみたいのを変えるんじゃないかな。
なるほどね。今言ってる大きな流れって、なんだろう、どんなイメージ、どんな例がある?
でも今自分が置かれてる状況とか、自分が向かおうとしてる状況が嫌な感じがしなければ、それはなんだろう、流れに逆らってないんじゃないかなっていう気がするけどな。
じゃあ言葉で考えてるというよりは、その感覚を聞いて感覚がソワソワするかみたいな判断の仕方ってこと?
メタ認知してロジカルに、もしくはビジュアル的にさ、自分の浮いてる方向とか進んでる方向がここにあって、ここに大きな流れがあるみたいな。
今イメージしてたのは、地球規模にズームアウトすると、偏西風とかジェットストリームみたいなのが可視化できてさ、ここにこういう流れがあるみたいな。
で、自分がそこにいて、点が。その流れに沿ってフラーっていってるのか、逆走しようとしてるのかみたいなのが見えるとか、そういう意味じゃないんだよね。
見える感じじゃないね。そういう目で、風景みたいな感じで、っていう感じではないね。
本当に自分の、なんだろうね、これ言語化しにくいんだけど、いいなぁ悪いなぁっていう、本当に感覚?プラスなのかマイナスなのか。
で、この本一通り読んで、確かに良さそうというか、メタ認知をこれもしてるような、とよだくんも今言ってたようにさ、
で、それを仏教思考っていう一つのフレームワークで説明しきってる感じなんだよね。なぜメタ認知がいいかみたいな。
あーそうね、そうね。
プラス、最後自分ごとみたいな、ある意味マインドセットみたいなところまで説明してくれてて、非常にいいなって思ったんだけど、でもまだいろいろと用語が理解できてない部分とかがあって、
用語?
用語っていうか概念だね。まあ言葉の定義自体は読めばそうかなっていうのはわかるんだけど、まだなんか理解しきってるのかどうかっていうのがちょっと怪しいなぁって。
ちなみにじゃあそれ、例えばどういうのがある?
例えば、
えっと一個、唯識っていうのは、僕の認識、僕の解釈を言うと、すべては、さっきとよだくんが言ったVRみたいな、なんかバーチャルなというか、感覚でしかなくて、絶対的なものがあるわけじゃないんだよみたいなそういう認識でいいのかな。
全部漢字で書いてあって、割となじみのない言葉だからさ、こうやって使いながら自分の血肉にしていくしかないのかなと思ってるんだけど、本当の意味で自分が理解できてるのか怪しい感じするんだよね。
これは普通に考えると、世の中っていうのは客観的な事実というか、例えば目の前に、僕の今の目の前にマイクがあるんだけど、このマイクっていう物理的な何かがここにあるみたいな感じがするじゃないですか。
でもそれは、僕がこれがマイクだと思ってるからマイクがあるというふうに見えてるだけであって、例えばそうだな、マイクなんか知らない原始人みたいな人が、僕が例えば原始人だとしたら、この目の前にあるマイクはマイクだっていう認識ができないと思うんだよね。なんかよくわかんない、なんか変な物体みたいな。
そうだね、赤ちゃんとかもまあ見たらこれをただブンブン回すだけみたいな感じで、理解できないもんね、何に使うかとか。
それは今マイクの例を言ったけど、それはあらゆるものに言えて、今俺が家の中にいて、壁に囲まれてまあ部屋の中にいるんだけど、なんかそういうのも実際のその壁みたいのがあるように見えるんだが、これは僕が壁だと思ってるから壁なだけであって、何て言うのかな、絶対的にこれは壁だとは言えないんだよな。
だから結局僕がそう思ってるから、それがそこにあるっていうだけだよね。だから絶対的なものは何もないよねっていうことなんだけど、なんかねうまく伝えられてる気がしないな、今の説明だと。
で、これ自体さ、別の捉え方、仏教的に捉えなくてもさ、なんか捉えられるなとは思っていて、例えばさ、ソフトウェア作っていても、なんかそのユーザーとかさ、目的、ユーザーストーリーって言って、なんかどういうふうに使えるかみたいなのを定義して、使ってくださいみたいな。で、ツールをさ、ユーザーに渡すと思うんだけどさ。
唯識の重要性と違いの認識
ユーザーは、とか、ターゲットじゃない人はさ、そのツールをデザインした通りに使わない可能性っていっぱいあったりするじゃん。
そういうことと何か違いがあったりするのかな。なんか大事なものをなんか見逃したりするのかな。
なんかね、それだとちょっと表層的な感じがするんだよな。確かにその今、例えばソフトウェアの例で言えば、あるソフトウェアがあってそれをどう使うかっていうのは人それぞれだよねっていうのはもちろんそうなんだけど、私が見ている世界とあなたが見ている世界は違いますよねっていうのはわかるよね。
うん、そうだね。それも主観がそれぞれあるから、違います、違う可能性があるよねと。
違う可能性、てかそもそも違うんだよなっていう感じかなと。僕としおくんが例えば同じものを見ていたとしても、その僕が見ているのは僕の頭の中で、なんて言うんだろうな、シミュレーションというかその頭の中でレンダリングされた映像みたいのが僕の頭の中で再生されてるだけですと。
で、しおくんの方はしおくんの頭の中で再生されてるだけで、それは全くつながってないし、同じものを見てるっていうふうには言えないと思うんだよね、物理的に。そういうことだと思う。
なるほどね。で、その違うということを認識しておくことが大事ってこと?唯識ってのは。
大事、いや大事というかそういう見方だよね、見方。世の中っていうのはもう客観的な事実みたいなのがあって、具体的な物理世界があり、その中に人間とか動物とかが生きていて、大きい世界の中に小さい私たちがいるみたいな世界観ももちろんあると思うんだけど、
そうじゃなくて、この世界っていうのは自分の頭の中にしかないんだっていう、自分の頭の中にある小さい世界がつまり全ての世界なんだっていう考え方?そういう見方も持ってた方がいいんじゃないっていうことだと思うよ、唯識。
その唯識っていうのは別にその見方の一つなので、別にそれが絶対的な真理だ。仏教的に言えばそれが真理だと思うんだけど、なんていうんだろう、そういう見方もあるし、さっきの前者の物理的な世界があり、その大きい世界の中に我々がいるっていう見方もあるよね。
まあまあ、そういうことね。
だからどっちも都合のいいように使い分ければいいんじゃないってことだと思う。
もう一個は因果と縁起っていうのも一つ大きな章として書いてあったと思うんだよね。
何事も関係性があったり、過去にあったことが繋がってきて、だから自分はこうしてるんだとか、これに意味があるんだという意味を見出すとか、きっかけとなるアクションをするから何か結果が結びつくんだみたいな話をしてたと思うんだよね、この本の中でも。
で、とあることを、例えば夢があって、何々になりたいとか、こういう結果を出すんだって思っていても、それに繋がるアクションを起こしてない限り、それは結果に結びつきませんよねみたいな話をしてたと思うんだよね、この章で。
この何か因果縁起は何となくやっぱ分かるんだけども、その因果推論の話をしたじゃん。何か科学的に因果みたいなのを見つけようとするときにさ、一つの例を持って、自分の好きな解釈を持って、AがBに影響してるんだっていう風に見ようと。
そういう風に解釈できて、そうすると、何かちょっと都合が良すぎるんじゃないかとか、自分にとって。で、何ていうのかな、ここにちょっともやもやが発生するんだけど、仏教思考自体は自分の心が落ち着くような、苦しみを解くようなものが目的だから、
そういう風に自分の納得いくように、因果関係を結びつけていいんですよっていうのは分からなくもないんだけど、でもそれをしていいのかっていうのがどうしてもね、頭に戻ってくるんだよね。
僕の理解だと、仏教が言ってるのは、因果をコントロールはできないっていうことだと思うんだよね。ある目標とか目的みたいなのがあり、その目的を達成するために、いろんな努力をするとか、何か準備をするとかってあると思うんだけど、それが結局、最終的なゴールに繋がるかどうかなんか、お前がコントロールできることじゃないよっていう風に言ってるのが仏教だと思うんだよな。
うんうんうん。確かにハイライトしてる部分で、私たちは予測可能、コントロール可能だと思い込み、こうなるはずだと固定的に考えがちですと、それが苦しみが発生する原因となりますって書いてある。
うんうんうん。ここで言ってる因果とか縁起っていうのは、自分が今ある地点からどこか理想の場所に向かおうとする動きのことを言ってるわけじゃなくて、私が今いる、今ここがもうすでに縁起というか、周りの関係性によってでしか自分って今ここに存在できないよねっていうことを言っている。
何だろうな、例えばプールの中に人がめっちゃギュウギュウに詰まってますと、それで押し合いへし合いしていますと、で、例えば隣の人から押されたら自分はちょっとその右の方にずれるじゃない、左の人から押されれば自分は左の方にこうプールの中で動いていくじゃない。
なんかそんな感じなんだよね、その自分の周りにある人との接点によって自分の場所が今決められており、その自分が、自分がしっかりこうプールの底に足をつけて、俺の居場所はここだってやってるわけじゃなくて、あくまでその周りに押されてこう浮き輪をね、浮き輪をつけて足はついてませんと全然。
そこでただ漂ってるだけなんだよっていうことだと俺は思ってる、イメージ的に。
なんか自分たちは一つの粒子、原子とか分子とかそういうレベルで緩く浮いてる物体であって、で、その周りの原子とかの影響を受けてお互い引っ張り合ったりとかくっつき合ったりとか、こっちが近づきすぎるとお互い反発をするような、なんかそういう関係性が無数にあると、っていう感じかな。
原子とかまで行くとちょっと、俺のイメージとはちょっと違うかな。
違う。分かったから。
なんだろうね。
そもそも俺が、私っていうものが今ここの、ここにいるのは、私単独でここに存在することはできないと思うんだよね。
あのー、例えばじゃあ自分の両親、両親っていうのがいないと自分はここに存在していないわけで、両親はまたその両親の存在がなかったら存在していないわけであり、
例えばその両親とかが、ちょっと何かがずれていたら、もしかしたら出会ってない。で、出会ってなければ私が生まれてないかもしれないし、なんかそういう一個一個のつながりの連鎖で、今私ってここにいますよねっていうことだよね。
例えば、もしかしたら昨日俺が道歩いてて、交通事故にあって死んで、もしかしたら今ここでしおくんと喋ってないかもしれないし、そういういろんな連鎖連鎖連鎖連鎖で、たまたま今ここに私がいるだけなんですよっていうイメージかな。
なんかでもその予測可能、コントロール可能だと思い込みっていうのはさ、なんか度合いもある気がするんだよね。予測可能な部分、相対的にもあると思うんだよね。だから何だろう、物を手で離したらその物が重力に従って下に落ちるとかさ、食べ物を口にしておいしいと思うとかさ、
なんかいろいろあると思うんだけど、ここで言ってるのは何に関して予測可能だと思い込むと良くないみたいな、なんかそういう前提みたいなのが抜けてるのかな。
予測可能、予測するのは全然良くて、予測をしてその予測が合ってればそれは良かったねって話になるんだけど、予測が外れたときになんでそうなるんだよみたいな感じになりがちじゃない人間って。こうなるだろうなと予測していたんだがそれが外れて自分の思った通りにならないと。
そうするとイライラするとかなんか嫌な気分になるわけじゃん。それが勘違いだよって言われてるってことだと思う。だからもし予測をして予測を外しても別に何も心が動かないのであれば何も問題ないと思うね。
なんかその実験的マインドセットみたいな感じでさ、こんな予測値と外れが出たというのはなぜなんだろうみたいな感じでさ、その予測が外れたことがさ、なんか面白いと解釈できればこういう苦しみはないってことかなってこと?
そうだね逆にうん、外れた方が面白いって言うんだったらそれはそれでいいんじゃないか。
なんかこれを見ててその自分が予測していること自覚的だったらとか予測しているものと現実っていうのがずれてると。なんかそこら辺もしっかり認知できてればいい気がするんだけど自分が予測していることにすら気づかない。
因果と縁起の概念
何かに無意識に期待してしまっているとかね、例えば自分の周りの人がこう動いてくれるはずだとか、自分の30代の時にはこうなっているはずだとかさ、それも長い目での予測だったりさ、するわけじゃん。なんかその予測していることに気づいてないケースっていうのがあるのかな、無意識に期待しているみたいな。
そうだと思うね。そこをまず気づこうぜっていうことを言ってるんだと思うな。
これは仏教思考的にはどうやったら気づけるんだろう。
え?どういうこと?
その予測していることっていうのは、今のその因果とか縁起っていう概念を持っていることによって気づけるものだ。
予測している?
自分が無意識に期待しちゃってるなっていうことに気づく。今どうしたらいいのかなっていう。
自分が期待…あ、だからそのネガティブな感情が抱くってことは、それ期待してるってことだと思うんだよね。
あー、そこからが入るね。なるほど。
うん。だから自分があれなんかネガティブな感情今湧いてきたなっていうところにまず気づく。
それがアラートというかトリガーになって、その後じゃあということはなんか期待してたのかなと。
そうだね。
っていう思考プロセスね。
なんか自分にネガティブな感情が湧いてきました。そこでまず気づくっていうのが大事だよね。
気づいた後になんでその感情が湧いてきたんだろうっていうことを一旦落ち着いて考えるんだよね。
で、それを考えるためには自分を俯瞰をしてちょっと一段上からメダ認知しないと、なぜそれが起きたのかっていうのがわかんないんだよね。
それをたどっていくと、あ、ここかと。自分が例えばこれを期待してしまっていたから今すごい嫌な気分になったんだなっていうことが、
自分でロジックを遡っていけば、なぜなぜ分析。なぜこうなったのか。
いや、こうだ。じゃあそれはなぜこうなったのかっていうのをなぜなぜなぜってやっていくと、そのうち自分が腑に落ちる。
あ、これだからこうなのかっていうのがたぶんいつか見つかると思うんだよね。
で、見つかったらもうそれは納得いくっていうか、そりゃあしょうがないよねみたいな。
自己の存在と思考プロセス
何に対してしょうがないなんだろうそれは。結果に対して。
結果がそうなっちゃうのはしょうがないと。だって自分でコントロールできないんだもんと。
で、結果がコントロールできないのはもう自然の摂理というか、しょうがないじゃないと。
でも自分が期待をしていたからネガティブな感じが湧いてたんだねと。
で、例えば結果がコントロールできなかったとしても、期待してなければネガティブな感じは生まれなかったはずなんだよな。
なるほどね。
だからそこは結果をコントロールしようとするんじゃなくて、期待をしないっていう方向に自分の行動指針を向ければ、さっきの嫌な気持ちっていうのは消滅できると。
なるほどね。
結果はコントロールできないかもしれないけど、嫌な気持ちが湧くっていう結果はコントロールできる。
他人は変えられないけど自分は変えられる。そこに気づけるかどうかと。
なるほどね。ちょっとじゃあ例え話になるんだけどさ、猿もね、なんか似たようなことでめっちゃ起こるみたいなのをどっかで見たんだよ、最近。
ある檻に2匹ぐらいの猿がいて、で、ある一方の猿に最初なんかしょぼい餌みたいなのをあげてたんだよね。
で、なんだろう、例えばリンゴの一かけら、スライスをあげてたとするじゃん。
で、それに最初満足してたんだけど、隣の、隣の檻、2つの檻があって、でも見えると。
で、隣の檻にまた猿がいて、その猿にはなんかすごい高級な、猿にとっておいしいものみたいなのをあげてましたと。
猿の概念と欲望
リンゴ、例えばそれが丸々1個だったりとか、すごいおいしそうなナッツみたいな、なんかそれを。
で、その猿は最初自分のもらったものに満足してたんだけど、隣を見ると、なんかすごい怒りだしたと。
なんで僕もそれをもらってもいいはずなのに、くれないんだみたいな。
で、それを、なんだろう、さっきの話に戻すと、その猿は自分もなんかそのいい餌をもらえるはずだと期待してるけど、もらえてないなぜだみたいな、なんかそういう期待があって、それに怒ってるみたいな。
はい。
と、ふうに解釈できると。
で、ここからなんだけど、もしさ、自分がその猿、怒ってる方の猿だったとして、で、自分はそのいい餌をもらえるはずだみたいな、とか、もしくは、仮にその人と約束してたと、いい餌をあげますって言ってたのに、くれないみたいな。
はい。
で、それに対してすごい怒るとか悲しいみたいな状況だとしたらさ、その猿はどうやってこう、解釈を改めればいいんだ、その、なんかもらえるとやっぱ約束してたりとかもね、期待してた、当然だよねっていう状況だったけどもらえなかったみたいな。
うん。まずもらえるっていう約束してるんだったら、あの怒って当然だと思うんだよね。
あ、それは当然なんだ。
いや、なんで、約束したじゃんって、まず怒って当然だと思って。
あ、そうだね、そこはいいんだ。
うん。でも、で、怒って、あ、ごめんごめんっつって、あの、くれるんだったらまあそれでいいじゃない。
うん。
ちゃんと餌をね。
うん。
でも、怒っても結局くれないと。
うん。
ってなるとショックじゃん。
うん。ショックだね。
で、そうなったときにどうするかっていうと、
うん。
あの、そもそもなんで俺がもらえると思ってるんだっけっていう。
うんうん。
ことなんだよね。その餌をくれるのは、
うん。
餌をあげる、たぶん飼育員みたいなのがいたとして、
うん。
その飼育員さんの一存じゃないですか。
うん。
その飼育員さんの一存で決まることを、
なぜあたかも自分が当然その、もらえると思ってるんだっけっていうところ。
うん。
だと思っていて。
うん。
それが当然だと思えたら苦しみはなくなると思うんだよね、その。
もらえなくて当然?
そう、もらえなくて当然。
ああ。
もらって当然だと思ってると苦しいと思うんだけど、
うん。
そもそもなんでもらって当然なんだろうっていう。
なるほどね。
そこの根拠って何なのっていう。
なるほど。
そこが自分の中で、
ああでも確かによくよく考えたら俺がもらえる根拠って別に何もないなっていうことに気づければ、
うん。
別に苦しくないんだよね。
なるほど。
だってもらえる根拠ないんだもん。
じゃあさ、もう一匹の猿が登場して、
隣の猿も同じ境遇で怒ってたんだけど、
はい。
なんかもっと激しく怒ったら、もうヤバいなこれはってなって、
飼育員さんがそっちにはあげたみたいな。
だから要はすごいもっと騒いでたら、
本来もらえたんだけど仏教思考を取り入れたことによって、
なんかもらえなかったみたいな状況が起こり得るのかなって思うんだけど。
でそれ仮に隣のやつが怒っててもらってるのを見たんだったら、
俺もじゃあもう一回怒ろうってやればいいんじゃない?
そうか。
それはじゃあ意識的に怒るんだね。
そうそう。
あ、なんだ怒ったらもらえるのかよってことが分かるんだったら、
じゃあ怒ればいいんじゃないかな。
なるほどね。
もしくは最初から怒ってた猿は、
相手の猿はずっと苦しいわけよね。
怒ってもらえませんでした。
で、より怒ったらもらえたんだけど、
そのもらえるまではずっと苦しいわけ。
でも怒ってない方の猿は、
そもそももらえる根拠ないよねっていうところに気づいた時点で、
飼育員の一存
もう苦しみからは解放されてるんだよね。
一回はね。
一回は。で、苦しみから解放された時点で、
もう一個の猿よりは得してると思うんだよね。
で、1ポイント得してますと。
1ポイント得してる状態で隣を見ると、
すごい怒ってる猿が、より怒ったら、
なんかお餌もらってましたと。
なるほどね、そういうやり方あるんやっていうことをそこで学んで、
じゃあ俺もやろうってやれば、
で、やってもらえるんだったら2ポイント。
こっちの猿もらえて、
で、隣の猿は一回ずっと怒ってるわけだから、
マイナス1ポイントだとして、
で、マイナス1ポイントで怒った結果、
餌がもらえてプラス1ポイントでプラマイゼロだと思うんだよね。
分かるかな?
相手はプラマイゼロでこっちはプラス2なんだよ。
っていう感じ。
だから仏教思考を使った方が得だよねっていう感じかな。
仏教思考を入れると、
メタ認知の講座でも言ったような気がするんだけどさ、
ちょっと冷めた感じになって、
エネルギーが出ないじゃないかみたいな話があったじゃん。
この例でもね、
自分が一回仏教思考を取り入れた猿で、
怒りを収めたとすると、
その後、もっと怒ればいいんだって言ってさ、
一回レベル1の怒りをレベル3とかに上げるっていうのをさ、
一回抑えてるわけじゃん、怒りを。
レベル0にしてて、そっから3に上げるっていうのが、
すげー大変そうだなって思うけど。
意識的に怒り来るよみたいな。
あー。
そういうことってないのかな。
なんかこうエネルギーの問題っていうか、
感情の問題が足りないみたいな。
まあでもそれ分かるかもしんないね。
感情が足りない。
そう、なんか熱い感じとか、怒りとか、すごい悲しみ、
いろいろこう強い感情がドライブさせる状況。
閾値を超えるみたいな、それがあるから。
人に何か繋がるとか、人を動かすとかさ、それによって。
一回こうシューって水が刺さったみたいな感じでさ。
だから僕は欲望が大事だって多分思ってる。
仏教思考を使ってボルテージを下げることは多分できるんだよね。
そうだよね。
でも上げるのは難しいと俺は思ってる。
そうだよね。
だから欲望が欲しいと思ってる。
でもさ、欲望があるとさ、私はこれが欲しいと強く思う。
欲望が欲しいっていうか大事っていうのは、
より強固な、より強い欲望を持つのが大事っていうふうに捉えてるんだけど、
そうであってる、まず。
より強い。より強い。
まあ、そうかな、はい。
で、それをさ、求めれば求めるほど、
手に入らないときのストレスというか、
ネガティブな感情って大きくなんないのかなとかさ、
欲してるってことは、それが手に入ると予測してることになるのかなと思うんだけど。
手に入る、手に入りたいとは思ってるけど、
それが手に入るかどうかは自分にはコントロールできないっていうことがわかってるから、
あんまり苦しくはないかな。
なるほどね。
だから、自分なんか本当に取るに足らないものなんだっていうことを認識すればできる気がするけどね。
ここら辺でなんかね、仏教思考のジレンマっていうのかな。
なんかやっぱ、隣で仏教思考を取り入れない猿がいて、
で、絶対自分は手に入ると信じ込んでると。
だから、手に入らないと怒り狂うみたいな、
でもその代わりその怒りがエネルギーとなって行動につながって、
まあ実際なんか知らないけど、それが手に入ることにつながるみたいなことってあるような気がするんだよね。
はいはいはい。
で、怒ってない、そこまで苦しくないから、
その爆発的なエネルギーが仏教思考みたいな形で落ち着かせてるとさ、生じないんじゃないかみたいな。
なんか今思ったのはね、その落ち着かせるのも、
仏教思考と欲望の扱い
自分の力でやってると思わない方がいいんじゃないかなと思う。
伝えられないけど。
自分で落ち着かせようとするのも自分でコントロールしようとしてるじゃないですか。
そこも手放そうよっていうことだと思うんだよね。
自分の力で落ち着かせられると思うなと。
自分のこのなんか燃え上がる気持ちみたいなの、苦しみを落ち着かせたい落ち着かせたいと思っていると、落ち着かせられないことに執着をし、
落ち着かせたいということを執着をし、落ち着けさせられない自分に失望して、そこでさらに苦しみが生まれるわけよね。
ちょっとなんか違うような気がして、落ち着かせたいわけじゃないんだよね。
でも落ち着かせることはできるんだけど、それによるデメリットっていうのを感じるってことだと思うんだよね。
落ち着かせることはできてるんじゃないかな。それにはイライラしてないんじゃない。
デメリット。
それは本当にそれが正しい欲望だったら勝手に湧いてくると思うんだけどね。
何が湧いてくるの?
落ち着かせ、たとえば仮に仏教思考を使って自分の気持ちを落ち着かせて、それをしたことによって勢いがなくなるとか、欲望が小さくなっちゃうとか、
っていうことをデメリットだと思っているのであれば、それはたぶん正しい欲望じゃないんじゃないかなって思ったね。
なるほど。正しい欲望っていうのは?
正しい欲望っていうのは自然と湧き上がってくるんじゃないかなっていう気が。
なんかその無理やり自分をドライブさせないと湧き上がってこないその勢いみたいなのは、なんかね不自然な感じがするし、それをやってると苦しいんじゃないかなっていう気がするんだよね。
そうそうそうそう。だからなんだろう、そこがね、苦しみがあるから取れる、それをバネに取れるみたいな考え方があるような気がするんだよね。今のこの現代社会なのか知らないけどさ。
苦しみがあるから取れる。それで苦しみがあって何かを成し遂げたいっていうことを望んでるんだったら、それでいいんじゃないかな。
でも仮にそれで成し遂げられなかったとしても、もうそれは自分が選んだ人生なわけで、そこはもうしょうがないよねって受け入れられるんだったら、それでいいんじゃないかな。
なるほどね。
なんかね、あんまり伝わってる感じしないな。
いや、分かったよ。言いたいことは分かった。で、なんだけどその、そのね、仏教思考をやっぱりどこで入れるかとか、それを最初の時点で入れてしまっていいのかみたいなやっぱり躊躇があるんだよね。
そのエネルギーがもしかしたら本当は出てくるかもしれないんだけど、それを抑えちゃうんじゃないかみたいな。
なんか今こう言葉でさ、いろいろ伝えてはいるんだけど、なんかそれが全然伝わってる気がしなくて、その表面的というか。
なんか僕の中ではもうそんなの悩むことでもなくない?みたいな。
なるほど。
悩むまでもないじゃんみたいななんかこう。
もっと上の次元に行けと。
感覚なんだけど、それがうまく伝えられないんだよね。
なるほど。
その、だからなんだっけ、身体感覚が重要みたいな。
うんうん。
言ってたような気がするんだけど。
うん。
もう感覚として、多分僕が感じてることを、今こう言葉で伝えようとしても、なんか伝えられてる感じがしないんだよな。
うん。
ちょっとじゃあ他の点からもちょっと聞いてみたいんだけど。
うん。
悟りの理解
えっとね、悟りっていうのは結局何なんだろうって。
悟りっていうのが、さっきのそのスケールを上げたり下げたり、思い通りにコントロールできることじゃないかな。
うんうんうん。
前、メタ認知の功罪で言ったのは、全ての重要度がフラットになってる状態が悟りだって。
うんうんうん。
言ったと思うんだよね。
うん。
自我っていうのは自分の、自分にとって重要なものの重要なものでできてると。
うん。
自分にとって重要なものを集積したものが自我であると。
うん。
だからその時言ったのは、自分の家族は大事なので重要度が高いですと。
うん。
でも地球の反対側にいるブラジルのペドロさんの家族は、僕にとっては別にそんな重要ではないので。
うん。
重要度は低いですと。
うん。
それがそれぞれみんな違っていて。
うん。
その重要度っていうのがみんなバラバラなのが、それぞれあってそれが集積しているものが自分ですと、自我ですと。
うん。
自我っていうのはその自我が、その重要度のが全部この世にあるものすべてが同じ重要度で見える状態。
うん。
ということは私の家族とペドロさんの家族が同じ重要度になるってこと。
うん。
です。だから私の家族にするようにペドロさんの家族にもできる状態かな。
うん。
悟りっていうのは。
そうするとさ、とよだくんの家族でなんか自分の家族なんだから特別扱いしてよって思って期待されてたりするとさ、怒るよね。
うん。
なんでその地球の反対側の人に対してそんなことするのみたいな。
そんなことするんだったらもうちょっと自分のこと、この家族に対してもうちょっとこれやってよみたいな。
はいはいはい。そういうふうに言われたら、またスケールをその瞬間に切り替えればいいんだよ。
うん。
ローカルに。
ローカル、ローカル、ローカルっていうのかな。
うん。
自分の今、目の前に。
そうね。今改めて聞いて思ったのはその、メタ認知を獲得してそれを常に持ってることじゃなくて、
時間や空間の認知スケールを自在にコントロールできるようになることが悟りっていうふうに龍源さん書いてて。
だから戻れないといけないんだよね。
メタ認知じゃない状態からも自在に戻ってきて。
うん。
この、なんていうのかな、そのメタ認知の逆はなんなんだ。
フォーカス。
フォーカス?
そのすごいローカルな部分にフォーカスしてる状態とか、空間も超えずに今現在を生きてる状態。
そうそうそう。
なるほどね。
まあじゃあそういう意味ではさっきのその仏教思考を取り入れるとエネルギーがなくなるんじゃないかみたいなのも。
うん。
まあ本当の意味で仏教思考を取り入れて悟りの境地に近づけば、
うん。
まあその必要に応じて今に戻ってきて、でめっちゃ怒るみたいな。
そういうこともできると。
色即是空
うーん、そうだね。
今はもう起こるタイミングだっていうふうに自分がちゃんと認知をして意思決定するんだったらそうだよね。
感情に流されてそうなっちゃうと苦しいんだけど、
ちゃんとこう自分を俯瞰して見た上で、あ、今は怒るべき時だなっていう判断をして怒ってるんだったら、
別にとらわれてないので苦しくないっていうことだと思う。
今もちょっと聞いて思ったんだけどさ、怒ってる間って苦しいのかな?
あー、あの怒ってる瞬間は苦しくないけど、後で多分苦しくなるんじゃないかな。
ね。僕もなんかどっちかというとその怒ってる瞬間ってさ、
そんなこと考えてないというか感じてないような気がして、
全てが上塗りされてる気がするんだよね、怒りというかその瞬間の何かに。
そこもさ、後で自分が後悔するとか悲しくなるよっていうことを、時間軸を先に伸ばしてメタ認知すれば気づけるんだよね。
今ここだけじゃなくて、これ怒った後で絶対後悔するなっていうことが無駄認知できてればコントロールができる。
あとは、色即是空。これがね、何なんだろう。
この漢字が4文字でこう新しい単語が流れてくると頭に入ってこないんだけど。
万物の根源、物事の本質は空性である。
一言で言えば、実体の無さこそ本質であるという意味で、
有名な般若心経に出てくる色即是空、空石籍。
ぜく、あ、ぜしきか。
色足籍?
色即是空、空即是色
これを表した言葉です。
で、僕はこれに対してハテナっていうメモをしてて、分からん。
分かんないか。
なんだこれってなっちゃって。
色っていうのは、今自分がこう見ている世界だと思えばいいよね。
目に入ってきて見える世界。
触れることもできるし、何かこう触れることもできると。
影響を与えることもできると。
それが色ですと。
で、空っていうのは、例えば、今また俺の目の前にマイクがあるんだけど、
このマイクと、このマイクスタンドと、机と、地面と、
あとこのうちの俺の部屋と、俺の今住んでるマンションと、
この地球って、明確な区別というか、区切りはないと思っていて、
それを、そこに区切りをつけて、いやここは地球ですとか、ここは誰々さん家のマンションですとか、
ここは誰々さんの部屋ですみたいな、区切って区切って区切っていくと、
あの色、区切っていけば色になり、
それを全部、その区切りを全部取っ払った状態が空だと思えばいいと思うよ。
なるほど。
この世界はもともと、もともとっていうかその空なんだよね。
その区切りなんかないわけよ。
それが実体なんだけど、その区切ることによって、
これは私の部屋とか、これは私の机とか、これは私のマイクとか、
っていうものになっていきますと。
それは裏表っていうか、
私の目の前にあるマイクっていうのは私のマイクでもあるし、
私のマイクでないとも言える。
これってさ、全て例えば粒子の連続みたいな、
かなえんさんが言ったみたいな感じでさ、分子とか原子とか、
すごい小さい単位でいっていったらさ、
ただのこう、つぶつぶの集まりみたいな感じで、
全部繋がってるみたいな、なんかそういうふうに捉えるのも近いのかな。
そうだね、そっちのほうが分かりやすいかもしれないね。
ある一定の単位を人間が勝手に名前つけて、
これはマイクだとか、机だとか言ってたりして。
今話しながら思ったのはさ、マトリックスのシーンでさ、
ある瞬間、ネオが目覚めて、
全てがこうデジタルに見える瞬間って覚えてる?分かる?
その壁とか、エージェント・スミスとか、自分の手とかも全部さ、
黒字に緑の点がこう0101ってなってて、
で、そう見えるみたいな。なんかそれも近いのかな。
全世界がデジタルのドットでできてるみたいな感じで見えると。
実はそうなんじゃないか。
うん。そうそうそうだと思う。
で、その色、色即是空。
これをどうやってこう解釈していいの?もう一回言って。
あの色が、その色。
用語の定義
色はつまり空ですよねと。
で、空もつまり色ですよね。それは表裏一体で裏表ですよねっていう風に言っている。
あーそういう意味なのね。漢文としてこれは何?
イコールってことを言ってるの?即是空。
あ、そうそうそうそう。
色は空であり、空は色である。
うん。
なるほどね。なんかあの、この空を説明してるあたりでさ、
形而上化と形而上…形而下か。
形而上と形而下っていうのも出てきていたと思うんだけど、
ここもね、なんかこの言葉が導入されてきてから、
ちょっとわかんなくなってきたというか。
形而上っていうのは概念みたいなもんだと思えばよくて、
抽象的な感じ。
形而下っていうのは物理的な何か、物理的なものみたいなイメージでいいと思うよ。
形而下に現れるのは実存ともいいます。
実際の物理的なもの。
そう、なんかね、一単語、その何とか何とかであるっていう説明を読んだときはわかったって思うんだけどさ。
うん。
トータルとして、全てがなんかこう、まだ結びついてこないというか、
なんかすぐ頭から抜けてっちゃうんだよね。
この聞いた瞬間はわかるんだけど。
なんかね、俺思ったのはね、しょうくんは仏教じゃなくて、
量子力学の方から入った方がね、理解できるんじゃないかなと思った。
なるほど。
で、量子力学で世界っていうのはこういう風になってるんだっていうことがわかれば、
多分仏教が言ってることもね、あ、同じこと言ってんじゃんって。
わかると思うんだよ。
こっちの方が多分ね、すんなり入ってくると思うよ。
なるほどね。
この用語をさ、いろいろやっぱ定義しないといけないのは何でなんだろうね。
用語を定義。
それは、お釈迦様ないし、その後の人々がそういう用語を使って説明したからだよね。
うん。
で、その説明していることが何なのかっていうところがわかってれば、別にその言葉はあんまり重要じゃない。
うん。
ただの説明原理なので。
で、その説明原理が量子力学とかの方がすんなり入ってくる人もいるだろうし、
こういう仏教的な言葉の方が入ってくる人もいるだろうし、
それは多分人それぞれだと思ってて、
それも仮の姿でしかないからさ、言葉。
だからどう説明しても同じものを説明するのに行く通りの説明の仕方があるみたいな感じだから、
無理にこの仏教の用語を、無理に覚えなくてもいいんじゃないかなっていう気がするな。
なるほどね。
なんかあんまり今日はすっきりした感じじゃないよね。
いや、でもこういうのを通してちょっとずつなじんでいったり、
今言ったことがそうだったのかなって普段生活しながら、またふと考えながらやっていくから、
まあ今日1回で全部わかんなくてもいいかなって思ってはいるよ。
今俺さ、量子力学の本を読んでいて、
カルロ・ロヴェッリっていう、時間は存在しないっていう本で有名な人が書いてる、
世界は関係でできているっていう本を読んでるんですけど、
それがまさにその量子力学の話をしていて、
まだ俺はそこまで到達してないんだけど、目次を見る感じだと仏教につながってくるんだよね。
本自体も仏教に言ってるの?それについて言及してるの?
うん、言及している。
なるほど。
だからこれでまず量子力学が言ってることを理解し、
理解した後に最終的に仏教みたいなところにつながってくると、もしかしたらわかるのかもしれない。
なるほどね。じゃあそれを僕も読んでみて、
そっちから同じような境地に達するのかみたいなことをやってみますか。
そうね。
あとこれもお勧めしたけど、
苫米地英人のお釈迦様の能科学かな。
これも読むといいね。
なるほど。
そうだ、俺がその空の理論とかを、
がわかったのもその苫米地英人が説明してる動画を見て理解したんだけど、
ちょっとそれも教えるわ。
多分ね、それ見た方がね、わかると思う。
動画?ビジュアル的に?
ビジュアルというか、普通に喋ってるだけなんだけど。
なるほど。
喋ってるだけなんだけど、多分それを聞いたら、
多分なんとなくイメージが伝わるんじゃないかなと思う。
ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考
ちょっと後でお伝えします。
引き続きこれについてもう一回話す感じでいいのかな。
そうだね、これなんだろうね、もうちょっとこれすごい良いテーマだと思うんだよね。
いやいやそうだと思うよ。で、わかりたいなと思うし、
あとはまだブルシットジョブのところとか到達してないから、
ちょっとそこも話そうか。
ここちゃんとね、これはちゃんと納得というかすっきりした感じにしたい、ここは。
したいね。
はい、じゃあそれは引き続き来週、次回。
そうかな、次回またやりましょう、仏教。
仏教編第2で。
はい、じゃあ今日はそんなところですかね。
はい、どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
次回へ続く。
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