1. グッドバイブス ミッドナイト楽座
  2. 150 かつて怒りを抱いた世界と..
2023-07-28 48:48

150 かつて怒りを抱いた世界と和解すれば本当の強さを思い出せる

今日は、自力と総力(すべてぢから)の違いについて話しています。自力の強さは個々の身体の中にあり、総力の強さは「自分と他の人と環境の総和」の中にあります。番組でお知らせしたJazzin' Workとボイトレのお申し込みはこちら→ https://goodvibes20230729.peatix.com https://goodvibes20230805.peatix.com

サマリー

彼女は予約した自転車とは別の車体番号の自転車を借りてしまったが、オペレーターとのやりとりで解決し、最終的に無料で乗ることができたことに喜んでいた。このエピソードでは、美容院での出来事や参加者の話を通じて、「全て力」という考え方について探求している。一人ひとりの強さは個々の体の中にあり、常に揺れ動いているが、私たちは生きる上で他の人や環境との関係や手応えを必要としている。私とは何かの答えは、私とそれを取り巻く他の人々にある。そして私を育んでくれる環境との調和も重要だ。許すことと罪悪感を手放すことが本当の強さを取り戻す道であり、世界と和解することが重要だ。許すことで、自分の強さの根拠を思い出し、自由で楽しく幸せに生きることができる。かつて怒りを抱いた世界と和解することで本当の強さを思い出す。

間違った自転車の借り方
グッドバイブス ミッドナイト楽座 by 倉園佳三
こんばんは、ただいま7月28日金曜日の午前1時46分ですね。
今日は、あの念願のですね、美容院に行ってきまして、なかなかこのね、1ヶ月、2ヶ月ぐらいかな、もう本当に行く暇がなくてですね、
ずっと行きたいと思ってたんですけども、髪が伸び放題になりましてね。
というのも、私が今行っている美容院というのは、どの駅からも遠いところなんですね。
多摩堺っていう駅にあるんですけども、私の住んでいる南大沢、京王相模線なんですけどもね、
この南大沢の次の駅なんですけども、その多摩堺駅からもやっぱり歩いて20分ぐらい、
そして私の家からだとちょうど歩いて30分というね、バスもその1本でそこには行ってくれないという、
だからまあ電車で行くにしても1回南大沢まで15分歩いて、
そして電車で多摩堺駅に行って20分歩くということになると、
もう家から直接歩いた方が早いという、そういうところにあるんですね。
ただ、今日どうするか迷ったんですよね。
30分歩くのかと、この暑い中ね。
それはもうありえないなと思って、うちの近くに実はハローサイクルというレンタルサイクルがあって、
オペレーターと対応
自転車ですね、これを借りて行くということに決めましてね。
予約の具合を見たら、なんと1台だけ空いてたんですよ。
ラッキーと思ってね、それで美容院に行って、そして切ってもらってね、
またいい感じで、これで髪型しばらく気にしなくて済むぞという感じで、
さてさて、この自転車を南大沢の駅に返却して、
そこで少し仕事をして帰ろうかなと今日は思っていたんですが、
アプリで操作するんですね、全部ね。
鍵をかけたり、鍵はかけるのは手でかけるんだけど、
それを解除したりね、それから返却の手続きをしたりするのはiPhoneのアプリでやるんだけど、
鍵をかけてね、美容院の前に止めた後、解除ってやっても鍵が開かないんですよ。
全然開かなくて、おかしいなと思って。
パッと見たらですね、なんとアプリで借りたはずの車体番号と違う車体番号の自転車を私は乗ってきていましてね、
なんだろうと思って、ちょっと頭で記憶をたどったんだけど、
そこのステーションにはですね、その1台しかなかったんですよ、間違いなくね。
予約で借りられる自転車が1台と出ていたんで、ステーションに行ってみたら確かに1台があった。
そして私は借りる手続きをして解除をやったら、その自転車を見たら鍵が開いてたんですね。
だからもうそれしかないだろうと思って乗ってみたらですね、私が借りようとした自転車はそれではなかったという不思議な出来事が起こりましてね。
それで熱い中ね、どうすんのこれとか思いながら、
とりあえず電話してみようと思って、電話番号をアプリで探したんだけど出てこなくてね。
でなんかチャットで相談してくださいって例のやつが出てきて、
もうチャットは本当無理とか思いながらも仕方ないんでね。
車体番号の違う自転車を借りてしまいましたと打ったんですね。
タイプしたんですよ。
で送信ってやったら問題の内容が理解できませんでしたって言って、
チャットがね、こちらからお選びくださいという選択肢を出してくるんだけど、
そんなレアなケースがね、そこにあるわけもなく。
それでこれ困ったなもし電話できなかったらやばいなと思いながら検索してみたらですね、
なんと電話番号が出てきまして、問い合わせてかけたらですね、
向こうもよく分からないんですね。
なんでそんなことが起こったのか。
話しているうちにおそらく私が借りたのは誰かが借りて返却した自転車だったと。
その人が正常手続きというのかな。
返却の時に鍵をかけずに返してしまった。
それが1台残ってた。
じゃあ私が借りようとした自転車はどこにあるんだって言うと、
おそらくその向こうの方が説明するには、
まだ返していないのに返却手続きのボタンを押してしまったんじゃないかと。
だからその人はまだそのステーションに向かっている最中でね、
そこにはなかったというものすごいレアなすれ違いだったんですね。
で私はもう暑い中ね、まず電話をしながら、
結構10分15分経ってね、ずっと外で電話してて、
そこでですね、前回前々回お伝えしたようなワークを思い出してね、
こういう時はですね、ひどい目にあっているとかね、
今自分がついていないとか、そういう意味付けをするのではなくて、
この出来事にはどんな意味があるっていうふうに、
世界に投げかけておくわけですね、問いはね。
その意味はまだ分からないと。
でもその意味は3つに決まっていてね、
平安か喜びか、もしくは穏やかな学び。
この3つのどれかなんで、勝手に自分でね、
ひどい出来事だとか不幸だとかついてないとかっていう意味付けをせずに、
その3つのどれなのかなということを楽しみに待って、
そしてその事態に淡々と対処しましょうというメソッドを自分で作ってあったのでね。
しかも前回前々回でメソッド特集をやったんで、
そのお話をしっかりと思い出してですね、
これにはどんな意味があるとか思いながら、
そのオペレーターの人とそれなりに丁寧にね、
なんか怒ったり、踏んがりしたりね、
その人にクレームを言ったりせずに淡々と対応を続けていたんですね。
そしたら最初にちょっとマジかっていう結論に至りまして、
その自転車はもう会場、その鍵が開かないのでね、乗れませんと。
僕のアプリから操れるのは別の車体番号の自転車なんでね。
なのでそこに置いといていただければ、
こちらでトラックか何か用意して引き取りますみたいな、そういう対応だったんですね。
ああそうですかつって。
ということは僕はここからですね、
無料で乗れて喜び
20分かけて玉坂駅まで歩かなきゃいけないってことが確定するわけですよ。
そうするともう何かこの借りた自転車って何だったんだろうっていう、
まあね行きの30分を乗れただけでもよかったんだけども、
ああそういうことなんですかつって、
何かランドマークというか目印ないですかねとかっていうので探していたんですね。
ちょっと待ってくださいとか言いながら。
一応美容院の名前を伝えて近くにセブンイレブンがあるみたいなことを歩きながらですね、
住所とかも見て伝えていたら、
突然そのオペレーターの方が何かこちらで会場できるようなことを言ってますみたいなことをね、
突然電話で言い出して、
そして私はそれならそうしてくださいつって、
その代わりどっかのステーションに乗って行っていただけませんかっていうんでね、
その提案ナイスだよっていうんで、
もともと南大阪の駅に返そうと思ってたわけですからね、
しばらく待ってたらカチャって鍵が開いたんですよ。
これは面白いと思って、
ラッキーと思ってね、歩かなくて済んだと思って、
そのまま乗ってね、
じゃあ着いたらもう一度電話してくださいと。
そして伊藤洋香堂の前にね、南大阪の伊藤洋香堂の前に、
仮遊戯みたいな名前の変なステーションがあって、
そこに止めてですね、
それも実はついてないとですね、
その返却ができないっていうケースもあるんですね。
というのもそのステーションが全部他の自転車で埋まっているって場合は、
そこでは返却できませんということになって、
また別のところを探さなきゃいけないんですね。
でもたまたま1個だけ開いてたんですよ。
で、まだ僕はね意味がわからない。
これはどんな意味があるんだとまだこう唱えながらね、
ちょっとは時間無駄にしたしな、
なんかオペレーターとのやり取りも長かったしなとか思いながらね、
まあでも自転車に乗って駅まで来られたよと、
人安心かなと。
ところで俺が借りた自転車の課金はどうなってるんだろうと、
そういうこともちょっと頭をよぎりながら止めたところで電話をしてですね、
で、オペレーターの人に今ね、
えっと返却操作を全部済ませましたと、
これでよろしいでしょうかと。
そしたら大丈夫ですと。
で、あのところで私のその借りた自転車のね、
えっと課金がどうなってるでしょうかって言って問い合わせたらね、
調べますって言うんで、
あのもう止めてあります。
大丈夫ですって言うんで、
もうじゃあこれでもう全部完了でいいですねって私が言ってね。
ただ向こうはね、えっとあの今回はですね、
えっとこれで特別なその料金をね、
いただくことはありませんが、
次回からはですね、
必ず1台しかなくてもアプリの車体番号と自転車のね、
車体番号が一致していることをご確認くださいねとかって、
ちょっとこう説教っぽいモードが始まったんですね。
まあそれでも私はここはまあそうだよね。
俺は確かに確かめなかったんで。
いやでも文句を言おうと思えば言えるよね。
じゃあなんで俺が借りようとした自転車はそこにないんだとかって、
一瞬頭をよぎるんだけど、
いやいやこれはやめとこうと思ってね。
いやわかりました。
はいそうですね。
これから確認しますとか言ってありがとうございますって、
こう電話を切ったわけですね。
それでえっと今回私はペーペー課金で借りていましてね。
ペーペーのシステムっていうのは、
デポジットで2000円をまずお支払いするんですよ。
そのヘロサイクルにね。
返す時に使った分だけ札幣かれて、
残りがペーペーに返金されるというそういうシステムなんで、
だいたいいくらぐらいになったんだろうと思って見てみたらですね、
2000円が丸ごと返ってきてたんですね。
おおっとか思って、
でメール見たら自転車が返却されましたっていうメールが来ていてね、
今回の料金はいくらですっていうところに、
なんと0円と書いてあったんですよ。
おおこれはもしかしてタダで乗れたってことかっていうね、
結構な時間借りてたんで、
多分1000円ぐらいはいってたんですよ。
そうということは今回のこれにはどんな意味があれば、
なんとヘロサイクリング無料で借りられたっていうね、
さっきの3つでいうとこれは喜びですよね。
まあ穏やかな学びもありましたね。
この次に乗る時は車体番号を確認しようという穏やかな学びはあったんだけども、
でも多分こんなレイヤー検査は二度とないんでね、
何台か並んでれば当然車体番号を見るだろうしね、
鍵が開いていてそこに置かれてるなんてことがまずないはずですから、
学びは少なくていいんですけども、
今回の意味としては無料で乗ったよっていう喜びでしたね。
だから思いましたよ。
本当にこの間怒ったりムカついたり、
「全て力」とは何か
なんでこんなひどい目に遭うんだと思わなくてよかったなっていうね、
そういう話が今日はあったという、ちょっと長くなりましたが、
そんな感じからまず始めてみました。
今日はですね、そうやって美容院に行って仕事をして帰った後ね、
夜にワントレが一本ありましてね、
このワントレの受講者の方がですね、
またとてもちょっと驚きのことをお話しされていて、
確か何個か前に佐々木さんとイベントやった時にね、
懇親会でその許すというメソッドが最も響いて、
効果絶大なんですよっていうお話ししてくださった方のね、
エピソードをお伝えしたんだけども、
これも相当驚いたんですね。
なかなかその許すというのは響きにくいという、
私の中にはね、ちょっとそういう勝手な意味付けがあったんだけども、
それと同じくらいね、うおーっと思ったのが、
この今日の受講者の方がですね、
私がよく言うこの全て力、総力と書いてね、
全て力、これを思い出すとあらゆる場面で平安でいられるんですよね、
っていうことをお話ししてくださったんですね。
これはマジですかっていう、また同じような反応をしたんですけども、
要はこれはジャジンワークというね、
私がやっている6時間のジャジンワーク、
この7つの作法に入っている話なんですね。
自力、全て力の反対は自力なんですね。
私がその自力に対抗して、
対抗じゃないか、自力の反対の概念として作り出した造語が、
この総力と書いて全て力と読むというこの言葉なんですけどもね、
これは自力ではなく、このジャジンワークでは全て力を使いましょう、
というようなお話をしているわけです。
面白いことにこの全て力を使うという話とね、
その前のイベントの時に許すが最強ですと言ってくださった、
この2つの話はですね、ものすごい関連があって、
もう一つにつながっているんですね。
今日はちょっとこの辺りのお話をしようかなと思っています。
全て力とは何か、そしてそれをどのようにすれば使えるのかっていうね、
要は私が言う全て力というのはね、
個々の強さとは
自分と他の人と環境、つまり世界ですね。
それからここからもたらされるその恩恵というのかな、
これを全て自分の力としてありがたく使わせてもらうということなんですね。
とてもシンプルなことなんだけども、
じゃあその他の人と環境の中にね、私が使える力が本当にあるのかっていう、
多分この辺りがおそらくね、謎な部分。
そしてこれはね、やっぱりこの目に見えたりですね。
他の人のうちのこれが私が使っていい力ですよとかね、
環境の中で私が使えるのはこれですよみたいな、
そんなはっきりとした分類はないんですね。
これはある意味ね、センスなんですね。
どのようにその世界を捉えるか、
自分の周りの人々を捉えるかっていうような感性だったりセンスというのかな。
これは良い悪いではなくて、どのように持つかだけなんですよ。
全て力と見るセンスが良いセンスとかね、
自力と見るセンスが悪いセンスとかそういう話ではない。
これはそういう区別ではなくて、
僕らはこの2つの見方というかな、この感性どちらも多分持てるはずっていう、
だとしたらこの全て力の方がいいんじゃないでしょうかという、そういう話なんですね。
これは要はこの自分と他の人と環境が全て一つであるということ、
一つ意識の話でもあるわけですね。
私とは何か
一つであるのだから自分の力のように当然使えるよねという、
そういう理屈になるんですけどもね。
これは私とは何かっていう問いを考えてみると、
この2つの違い、自力と全て力の違いがわりと分かりやすくね、
なんていうかなイメージできると思います。
私とは何かって考えた時に、
僕らが一つ答えられる可能性としてね、
この小さな体であるというのがありますよね。
こういう答えがありますよね。
私とはこのクラズの形状とはこの体であると、
それ以外に私はないでしょうっていうね、こんな感じ。
これも一つのね、
真っ当な答えなんだと思います。
もしそうだとしたらですね、
ここに強さというのをイメージするんですね。
私の強さはどこにあるってことになるわけ。
そうすると私とは何かの答えがこの小さな体だとしたら、
私の強さもこの体の中にあるということになりますよね。
そして私の強さはこの私の体の中にあるんだとしたら、
要は僕らのそれぞれの強さは個々の体の中にあるということになりますね。
要はそうだとすると、
この体を鍛えてきた人とかね、
それからまあ経験値として多くの修羅場をくぐってきた人、
こういう人はより強いということになりますよね。
その個々の中にある強さっていうのかな。
これが強いということになる。
そして反対にその鍛えてもこないし、
修羅場もくぐっていませんっていう人は、
そういう人たちよりも弱いということになりますよね。
これが要は私たち一人の強さなんですね。
これ以外に強さがあるかっていう話もあるんだけど、
要は私とは何かの答えがこの小さな体だとしたら、
僕の強さはこの一人の強さっていうことになるわけね。
これはさっき言ったように、
もしこれが一人それぞれの中の、
それぞれの体の中にあるものがそれぞれの強さだとしたら、
僕らはまずこの人によってね、
まさにこの強者と弱者みたいなものに大きく分かれますよね。
この強者の条件というのもいろいろありますけどもね、
とにかく強い弱いというのが個々に決まっていて、
大きくその強いものと弱いものに分かれるということ。
そしてこの一方のそれぞれのね、
強いものから弱いものの中でも、
さらに強いものと弱いものに細かく分かれますよね。
そしてそのように分けた強いものの中でも、
やっぱり強いものと弱いものっていうふうに、
無限に分類されていくっていうね、そういう感じ。
もう一つこの特徴は個々の強さなのでね、
これは常に揺れ動くことになりますよね。
さっきのその肉体を鍛えるという強さであれば、
鍛えるのをやめたら弱くなります。
それから私のようにね、
そろそろこういう60歳みたいな年になると、
やっぱり緩やかに右肩下がりのカーブになっていって、
その変動するってことですね。
だから僕らの体の中にある一人の強さというのは、
常に揺れ動いて、そして変動するということ。
で、さっきも言いましたけど、
もう一つの特徴はそれがここに異なっているっていうことですね。
強い弱いっていうのがね、
人によってまちまちであるということね。
これがその一方の見方なんですね。
さっき2つの見方があると、
センス、感性、2つのそのセンス、感性があるとしたら、
こちらが一方のそのセンス、感性、そして捉え方なんですね。
で、もう一つは何かっていうとね、
もう一度私とは何か、これを問い直してみる。
で、今度はですね、ここに少し別の質問を付け加えてみるのね。
私はどのようにして生きている存在なのかっていう、
この問いを加えるわけです。
これは私とは何かと等しいんじゃないかと私は思うのね。
私がどのように生きている存在なのか、
この答えは私とは何かをおそらく表してくれるだろうということで、
この2つ目の問いを付け加えるわけですね。
私はどのようにして生きている存在なのか。
で、そうすると少なくともですね、
この例えばサハラ砂漠みたいなね、広大なその砂漠のど真ん中、
それからエビレストの頂上ね、
それからあの噴火したばかりのこのイオウの立ち込める河口の近くとかね、
それからもう深海、暗い海の底、ここでは暮らせないってことが分かりますよね。
私はどのようにして生きている存在なのか、このような場所では暮らせない。
だからこうそのような場所ではないところで生きているということですね。
私が生きるにはそれなりのその条件が必要だっていうこと。
そしてそれだけでなくその身につける服、
そして住む家から食料、水、あと風呂も欠かせないでしょうね。
いや生きていくんだったらだけだったら風呂はいらないなんてことは多分今はもうありえないのでね。
このようなものが必要になる。
それからもっともうちょっとその贅沢に考えるとね、
生きていくというのはどういうことか。
ただ食べて水飲んで風呂入るそれでいいのとかっていうことを考えたときに、
例えば見たり聞いたりしているその日々のメディアですよね。
それからコンテンツ、こういうものはいらない。
微妙ですよね。
それからお酒とか甘いものね。
私はお酒はほとんど飲まないんだけど、甘いものは結構食べてますね。
あとじゃあ人はどうでしょう。
話し相手、それから遊ぶ仲間、これらはいらないでしょうかね。
それから誰かの役に立てているっていう手応えみたいなものはどうでしょうか。
こういうものが一切なくて、誰にも必要とされていないという感覚の中で僕らは生きていけるかっていうね。
そういうふうに考えてみると、そうかそうか。
他の人の役に立てているっていう手応えって結構僕が生きている上で必要なのかなっていうそんな感じもする。
もっとストレートにね、愛する人はどうでしょう。
愛する人はいらないですかね。
それからその反対ね、誰かに愛されているという実感、これはいらないですかね。
今挙げたね、まずはその砂漠とかエベレストの中場ではない一つの環境ですよね。
そして身につける服、家、食料、水、風呂、メディア、コンテンツ、お酒、甘いもの、話し相手、遊ぶ仲間、誰かの役に立てているという手応え。
そして愛する人、それから愛されているという実感。
このようなものがその僕らにね、その生きていく上で欠かせないとしたらどうかっていうことですよ。
そうするとこの冒頭の私とは何かの答えはね、さっきと大きく変わってくるんじゃないかと。
さっきはこの体であるでしたよね。
そこにですね、今挙げたようなものはほとんど含まれてないんですね。
たぶんゼロですよね。
全部自分の外にありますよね。
一見外にあるように見えますよね。
役に立てている手応えとか愛されているという実感みたいなものは僕の心の中にあるんだけども、
それを感じさせてくれる存在はこの体の中にはない。
体の外にありますよね。
私の生きるために必要なもの
だとしたらそれら全てが僕の生きるために必要だとしたら、それが私なんですよ。
つまりこの時私とは何かの答えはね、私とそれを取り巻く他の人々ね。
そして私を生かしてくれる環境の相和。
相はまさに全て力の総力の総。
和は令和の和ですね。和をもってという和ですね。
合わせたものということですね。
これらを全部合わせたものが私であるというね。
先ほどのそれは体であるというね私とは何かそれはこの体であるというのとはまるで異なるというかねスケールの違う答えがここに現れてくるわけですね。
そしてさっきそのじゃあ私がもし体だったらどこに強さがあるというね強さとはなんだっていうことを考えてみたんだけども。
こちらはこの答えも変わってきますね。
もしその自分とそれを取り巻く他の人々とねそして私を生かしてくれる環境これの相和が私自身なんだっていうことになったとしたらその強さはどこにある。
これは私たちの強さはねこの宇宙の真羅万象の中にあるということになりますよね。
なぜならば一つですからね。
この相和つまり私というのはこの小さな体ここが一つのなんていうのかな拠点みたいなものであることは確かなんだけども私が生きている上でこれだけを使っているわけではないわけですね。
この周りに今挙げたような環境そして他の人々が何かをしてくれること存在であり仕事でありね。
例えばその服を作ってくれる家を作ってくれる食料を取ってきて加工して売ってくれる水を飲めるようにしてくれるそして水道まで送り出してくれるペットボトルに入れて売ってくれるというこのようなね他の人のその仕事役割みたいなことがまさに私のその生命を維持するため私が存在するために欠かせないものとなっている。
であればこれはすべてを私と言っていいわけですね。
これがまあ一つ意識なんですよ。
そして私の強さはねその一つであるものの中に存在するということですね。
これが僕の強さということになる。
個別の小さな体の中ではなくてこの相和の中に僕の強さがあるというふうに見ること感じることができる。
そしてこれがですね私が先ほどお話しした2つの感性なんですね。
2つのセンスというのかな捉え方でこのどちらもですねえっと否定はできないと思うんですね。
うんいや体じゃないよっていうことも言えないしこの私が言うねまさにこの相和というのかな他の人と環境そして自分の相和こそが私であるというのもそう簡単には否定できないと思うんですね。
そうでなければ僕は生きられないのでね簡単に言うとこの体一つね持って服も着ずに例えば月の上にポンと立たされたらもう私はその瞬間に一瞬でも生きていられなくなるわけね。
強さの不確かさ
それは私なのかっていうねおかしいですよね。
そうなんかそれでそれでそれを私と呼ぶのはどうもどうも私はちょっと辻褄が合わないなというこれもまあ一つのセンス感性なのかもしれないんだけどもどちらもあるわけですね。
でも大きな違い違いはですねなぜ私がこの強さということを取り上げたかというとこの強さがどれだけ頼りになるかということなんですね。
ここに最大の違いがあるわけです。
つまり自力の方はですね私の中に私の強さがある。
そしてそれはね私の例えば努力だとかね精進だとかあるいはトレーニングもしくは経験みたいなものによって決まるわけですよね。
これはさっき言ったように他の人と大きく異なっていて私より強い人もいればもしかしたら弱い人もいるかもしれない。
でもこの私の強さと私の中にある強さはね決して普遍ではなくて常に常に揺れ動いて変動していくわけですね。
相対で比べても揺れ動くだろうし絶対的に自分だけを見ても揺れ動いているわけですよ。
こういうものがねその人生の頼りになるかっていうことなんですね。
仕方なく僕らはそれを頼りにしようとするんだけどもどう考えても僕はねこの強さ私の中にしかないこの強さ単独のねクラザノという人間の強さみたいなものは全く頼りにならない感じがするんです。
なぜならはもう私のねこの実感として自分の人生を振り返ってこの強さがねどれだけもうね繰り返しますけど揺れ動いたかっていうのをねもう痛いほど見てきてるからなんですね。
まあ本当にこれはですねもう外的要因によってものすごくなんか自分がねまさにこの天狗のような状態になれるような時はいや俺も最強じゃねぐらいのねそんな自意識を持てるんですよ。
でもちょっとねそのうまくいかなくなったりとか自分でこうだろうなと思っていたことがね思い通りにならなかったら一瞬にしてこのなんか弱さの方に転って転がるんですね。
今までもうさっきまでねこの数分前まで感じていた私の強さってどこに行ったんだろうっていうぐらいその弱いの方にブワンと触れていく。
そしてこれはえっと誰と一緒にいるかとかね今自分が何に携わっているかとかもう本当に相対相対相対の世界なんですよ。
だからまあそのよくほらえっと内弁慶みたいな言葉があるじゃないですか。
なんか俺はこの人たちの間だったら最強だなと思える人たちもいればね逆に言うとこの人たちの中に入るともう本当になんかこうありのような小さな存在に感じられるみたいなことも起こるわけね。
時代もあるしねなんかあの頃は良かったなあの頃は生き生きで強かったなってもう今はみたいなのもあるし時の流れもあるしね誰と一緒に何をしてるかっていう本当に相対相対相対の世界。
こんなものがどうして人生の頼りになるんだろうっていうのがね多分私のこの話をそのなんていうのかな探索するというかね突き詰めたくなった最初のきっかけだったと思うんですよね。
でここであの前回のねワークの中でも紹介したんだけど私は自分に何を貸しているんだろうというねワークがありましたよねこれが始まるわけですね。
要はこの自分のね強さ弱さみたいなものを見てねここが何か頼りないなぁと思ってしまうので僕らは自分に様々なものを貸してねこういうことをしなさいこういうふうに生きなさいみたいなことを貸しながら要は防御を固めるということですよね。
この揺れ動く自分の弱さっていうのかなこれがもう本当に頼りなくてねもうフラフラフラフラフラしてるんで何かを貸して防御を固めながら生きるというねまあ苦肉の策を取り始めたわけですね。
これがおそらく偽りの自分の見ている世界なんですね。
でこの貸している話というのをねあの前回のワークの中でも紹介したんですけどももう1回ちょっとね振り返っておくと要は僕らは最初にその自分のね住む世界を自分で定義するということですね。
でこれはおそらくちょっとした苦い経験とかねこの嫌な出来事みたいなことがきっかけになるわけです。
これあの前回のワークでは例えば同僚にわからないことを質問したらねなんかちょっと嫌な顔をされたと。
でそれによって僕らはこの自分の住む世界をねここは慣れ合いを好まない厳しい世界なんだなとかね何でも自分でやれってことなんだなそういう世界なんだなっていうふうに最初に定義するんですね。
そしてこの定義をしておいてそういう場所で暮らす自分というのをね想定してじゃあできるだけ人に頼らずにね全部自分で自力でできるようにしようといったこの調整を自分に施すということ。
これが要は自分に貸していることの正体なわけですね。
これは要は何をしているかというとですねやっぱりこの他の人とかその世界ね環境もそうなのかな組織とかそういうものここにですねどこかの時点でかすかな怒りを感じたってことですね。
そのような苦い経験まさに痛い経験嫌な経験みたいなことを僕らは通ってきているということここを通らずに生きることはなかなか難しいと思いますね。
小さい頃からその大人になるまで無数のねこういうなんつーのかな世界を定義自分で定義したくなるようなね。
おそらくこの定義というのは厳しい世界だよねとかね冷たい世界だよねとかね嫌な感じだよねみたいなどちらかというと僕らにとってはね望ましくないその定義であるはずなんですよね。
そしてそのきっかけは先ほどのその同僚の質問のようにどこかの時点でそれらに怒りを感じたんですよね。
そしておそらくねこんなもんにはもう金輪際頼るものかっていう風に決意したんじゃないかなと思います。
これはなんか僕ももう振り返ってみれば山ほどありますねこの決意もう金輪際こいつらには頼らない金輪際この世界には頼らないみたいなことを何度も何度も決意したような気がします。
でここで僕らはねさっき言ったこの相場と言った一つである世界ここから自分を切り離して飛び出したんですね。
これがまさにバラバラ意識の始まりであってそして先ほどお話したように偽りの自分が生まれた瞬間でもあるということね。
でこれはもっとストレートに言ったほうが多分いいかなと思うんだけど要は私は世界を許さないっていう風に決めたんじゃないかなと思うんですね。
これがその世界を定義するそしてそれに合わせて自分を調整するというねまあこの僕らがよくやっている習慣の正体というかなまあこれの経緯みたいなものかな。
でこれによって僕らはですねこの許さない世界そして金輪際へ頼りたくない世界ここから飛び出してそして全部自力でやろうと。
自力というのはなんだこの体一貫だよっていうこういう考え方ですね私というこの存在この体だけを使って一人で自力で生きていく。
だから私は強くならなきゃいけないんだっていうこの感覚でもこの強さはですねさっき言ったようにとても不安定でそして変わりやすくいつも揺らいでしまう。
そして相対で決まるものだから何かを見ればえっと今まで強いと思ってた自分がものすごく弱く感じるような本当に不確かなものなんですね。
そしてそのね不確かさというのかなこの不安定な強さここを補うためにね僕らはその世界を自分なりに定義してそこに合うように自分を調整するつまりいろんなものを自分に貸すということね。
自由の喪失と拠り所の喪失
これによっておそらく僕らはですねまず自由を失いましたよね。
なぜならばこの世界を自分なりに定義した通りにねいろんなものを貸してくるからですよね。
これをやりなさいこれをやっときなさいこれをやらないとまずいよっていうような感じでこれが一番目そして次にこの本当の強さというのかな。
強さの拠り所を失ったっていうことですよね。
もともとの強さはさっき言ったようにこの世界と私たちの相話の中にあったんですよ。
ここから切り離してしまったんでね世界を許さないっていう風に決意してねだからもうその後は飛び出した限りねその個々の小さな体の中にその強さを持たなければいけなくなったということですよね。
この2つのね自由を失いそして強さの拠り所を失ったというのが僕はこの話のね大きな問題。
そして私がそうですねこのグッドバイブスの話を書いてみようというかねもう一度そのようにこの世界を見直してみようと思ったこの最大の理由でもあるわけですね。
だからこの私がねいつもお話しているグッドバイブスと銘打って話している話のほぼ全てですね。
これは何のためにあるかというとこの自力で行くんだよっていうねこの一つである世界から自分を切り離してまさに飛び出した状態の中でねものすごく不確かなこの強さみたいなものを拠り所にしながらそれだけではどうも頼りないのでね。
世界を自分なりに定義してそれに合わせて自分を調整する自分にいろんなものを貸していくというこの状態から解き放たれるというかね多分もっと言うと巻き戻すみたいな感じですよね。
すでに今までお話した経緯からいくとですねどこかの時点で僕らはねこの一つである世界そして他の人これらに何らかの怒りを抱きね金輪際こいつらの世話になるものかって言ってここを飛び出してきてますからね。
そして自力で生きる世界自分に何かを貸して生きる世界というのにまあここの不自由さというかなそして弱さみたいなところにこうたどり着いているわけだからこれを巻き戻していくんですねそうするとこのいわゆるすべて力の方ねもともと僕らが一つでありそして僕らの強さとしてそれを持っていたものでこれは正確に言えば持っていたではなくて今でも持っているものなんです。
こちらが現実なんですよこれはもうこの宇宙の死んだ場所の仕組みのようなものなのでねこれを僕らの意思でひっくり返せるはずがないなぜそのように感じられないかそのようなさっき言ったセンス完成みたいなものをね持てなくなっているかというとこれはこういうものに世話になるのは嫌だというこの偽りの自分の意思によってね別の世界を作り出したからですよね。
これが自分なりに勝手な世界を定義すると私が言ってる奴だと思うんですね。
これは紛れもない現実ではなくて紛れもないイリュージョンですね。
だからこちらは私たちがそう思いたいという意思を発揮してそのような世界を見たいという意思のもとに見ているだけねまさに定義しているというだけあって自分が見たい世界を作り出しその中に生きているような気がしているだけでねなんかあの抵抗してるんだと思うんだけどもこれは現実ではないんですね。
だから逆に言うとここをその失ったと思う必要がないわけね。
この強さを私のせいで失ってしまってしまった手放してしまったっていうふうに考える必要はないわけ。
これはいつでもいつでも僕らがその気になればですねこのすべて力世界とのつながりというのは取り戻せるわけですね。
そしてこちらのね強さこちらの後ろ盾というのは先ほど私一人の強さというのがねいかに相対で変化し変動するものかっていうのをね繰り返しお話ししてますけどもこれとは全く違うんですね。
完全に安定していてそして僕らは裏切ることはない本当は裏切ることはないんですよ。
いつでもその強さというのはねかっこたぬものとして僕らを支えてくれる。
これがですね本当に自分が弱った時とかね自信を失った時私の価値って何なんだろうっていうようなね疑念に包まれた時もあらゆる本当にこの困った時にここに帰る場所っていうのがあるんですね。
いやいやここに僕の強さがあるよねっていうことを思い出せるものとしていつでもいつでもそのしっかりとこの存在してくれている。
これが私の強さっていうことですね。
そして皆さんの強さでもあるんだと思います。
これを取り戻したいわけですね。
まさに僕らの感性の中にこれを取り戻したいわけです。
もちろんねこの世界にねすでに怒りを持ってここを許したくないこんなものに頼りたくないと思っている偽りの自分はねここにまあいくつかのですね僕らがそのこの道を戻れないような仕掛けを施しているんですね。
まあその一つがよく言われるようなねそれって足利本願じゃんみたいなねこの言い分というのかな反論でしょうね。
でもこれはもともとその家を飛び出してね家というか一つである世界を飛び出して自力でやっていくと決めた偽りの自分の言い分なのでねそれは当たり前でしょう。
ここで戻ってしまうとねその許せなかった世界、金輪際頼らないと決めた決意した世界そこに頼ることになってしまうんでね。
それは足利本願だよって言いたくなるのは当たり前ですよね。
ここはそんなに騙されなくていいと思います。
そしてもう一つこれもですねもう生きているとしょっちゅうこの偽りの自分から聞こえてくる声なんだけど弱い方が良くないっていうこのね囁きね。
いや強かったら困るじゃんっていうかね全部自分で責任負わなきゃいけなくないとかね何でも完璧にこなさなきゃいけなくなるんじゃない強かったらみたいなねこういうまあ囁きですよね。
これも全く持って大いなる幻想ですよね。
だって僕らはそもそもさっき今日ずっとお話ししてきた大きな後ろ盾を持っているわけだからそこに任せればいいわけですよ。
その力を使えるというのは自分で何でもやるんじゃなくて他の人と環境そしてこの世界がもたらしてくれる様々な恩恵それが使えるんだというねこの捉え方。
これとさっき言ったねえっとそもそも弱い方が良くねっていうこの認識はね全く両立しないんですよね前提が異なるのでね。
まあでもこの弱い方が都合が良くないっていう囁きは結構大きいのでねここに随分とまあ最後の最後で邪魔されることはあるだろうなと思いますねだから多分私はこれもこの全て力の話もここが最大の難関になるという感じがするのでね。
冒頭にお話しした今日の受講者の方がねこれはすごいと言ってくださったのはちょっとやっぱ感動ものだったわけですねうんだからまあこういう偽りの自分のね反論とか言い分に騙されずにですねこの全て力を使うというかな私の強さの根拠はねこの他の人そしてそれ私を生かしてくれる環境この相話の中にあるということですね。
私の強さはこの宇宙の森羅万象の中にあるというこういうセンスこれはまさにセンスなんですね目に見えませんからね感性なんですよこの感性を取り戻すということで具体的にじゃあどうすればいいかというのがまあ私がこの番組でお話ししている個別の話に全てつながるんですがまあ大きく一つねとても大切なポイントをあげるとすれば世界と和解するってことですよ。
巻き戻すためには僕らがこの世界に感じた怒りこれをどうにかするしかないんですねこの世界この世界に対する怒りをどうにかしてこの世界と和解しないとねそして他の人たちと和解しないとここの力を使おうとも思わないしここに頼りたいとも思わないそしてそれが自分の強さだなんてとんでもないよっていう話になっていく。
だからここで許す話と罪悪感の話が欠かせないわけですねこれを抜きにはこの世界と和解するということがおそらくできないでしょう。
そしてこの番組でねよくお話ししているその意味付けを手放す話だとかねこの未来の不安を持たない考えるのをやめる話だとかね本来の自分に聞いてみる話とかっていうのはすべてこの世界と和解してね一つになるためのまあ一つの具体的な方法に過ぎないということですね。
だからこの先ほどね冒頭にお話したようにイベントの時にね許す最強ですよって言った方とそして今回のねすべて力万能ですねっていうこのお話っていうのはまさにつながっているということですね。
そしてなぜ私がこの許すという話をねしつこくするのかなぜ罪悪感を手放すという話をしつこくするのかその理由でもあるということね要は僕らは世界を許すここを通ってようやくねもう一度この自分が一度切り離したこの世界と一つになれるということ。
そしてその時にようやくですね僕らの強さの本当の根拠真の根拠これを思い出せるそしてこれは一人のね強さとは全然異なっていてどんな時でも揺れないしそしてこれは私とあなたあなたと私ここで差はないわけですね。
許すことと罪悪感の手放し
一つのものを根拠にしてるわけだからね。だからここにおいては弱いもの強いものみたいな差もなくなっていくわけですよね。だから結論から言うとこの世界を許すというこの感覚をねいつも持っておいて私は一体世界の何を許してないんだろうっていうようなことを自問しながらねその機会はいつもいつも訪れるんですよ。
日々生きていてこれ許せねえなって感じることが今私が許してないことなんですね世界に対してそれが何度も何度も繰り返し現れているということでこの度に僕らは2つの選択をできるんです。
一つはそのまま行くというねいや許さんと言ってそしてこれは頼りにしないここから自分を切り離すだって私は自力でやれるんだもんというのが一つの選択ここでもう一つの選択は何か次にね許せない場面に出会った時にそうかこれが私が定義した世界でありこれが私の許してないポイントなんだなっていうところに気づいてそっかここトライしてみるかなと和解してみるかなと言ってね。
ここを許すでそうするとそこの部分と僕は一つに戻れるということですね。
まあこれも長い長い取り組みになるんですけどもね一瞬で終わるようなことではなくて私もまだまだその道のりの中にいるなぜそこを歩いていくのか理不尽なことを許すのに何のメリットがあるのかねおかしな行動を許すのに何のメリットがあるのか最大のメリットはここなんですよ。
本当の強さね私がもともと持っていたこの宇宙の神羅万象と一つであるものすごい最強の後ろ立てここにバックについてもらいながらその人生をね自由にそして楽にね楽しく幸せに生きるというそのための道のりなんだなというそんな感じですね。
だから私が今やっている様々なイベントもですねえっとここがゴールであることは多分どれも共通していると思いますね。
例えば今週末の29日かな土曜日の13時からジャジンワークをやります。
でこれは冒頭にお話したようにこのジャジンワークの作法の一つなんですね。
これはね自力ではなくて全て力を使うとでここでもえっと自分と他の人と環境ここに一体何を自分がこれからすればいいというふうに聞きながらね動いていくということによってこの繋がりを取り戻すという一つの仕組みがここに入っているわけですね。
そして来週のね土曜日8月5日かなこれは15時からえっと今ここのボイストレーニングというのをやってるんだけどもこれも要はですね自分で歌わない自力で歌わないということを徹底してあるんですね。
そして私が今今回お話ししたこの後ろ盾の部分で世界というのかなそこにお任せするという歌い方をするんですよ。
それによってえっと私のその歌というのがねこの自分で何とかしなければならないという感覚からえっともう一切の責任を放棄してねもう任せたよつって勝手にやってっていうこの感覚を持つ方がはるかにいい歌が歌えるという体験ができるんですね。
しかもこの歌い方をねする上では本当にその軽減値とかねうまい下手とかっていうのは関係ないのでねどなたでもこれを実感していただけるというのがこの歌の面白いとこなんですよね。
だからぜひこの2つのイベントをね通してえっとよかったらですねこのまさに全て力私の強さがどこにあるというねこれを実感しに来てみてくださいよろしくお願いします。
じゃあ今日はですね私とは何かという問いねここから始めるのがいいと思いますね。
それがまあ体であるという答えもあるんだけどももう一つここにね私はどのように生きている存在なのかという問いを加えてですね。
そして先ほど私が挙げたようなね私が生きていくのに必要なものこれをイメージしていくわけですね。
かつての怒りを抱いた世界
そしてそのようなものと私は一つであるそれ自体がもう私なんであるというふうに捉えたときにどんな感覚がするかをねちょっと味わいながらですねいい1日をお過ごしくださいありがとうございます。
48:48

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