1. ゆいなわさんの「聞く人」ラジオ
  2. Vol.21-2 美容師・金子達也さ..
2023-10-21 29:44

Vol.21-2 美容師・金子達也さんに聞く「心地よくあろうとすること ~後編」

前回に引き続き、美容師・金子達也さんにお話しを伺いました。
「自分を心地よい状態にしておくこと」「達成はないけれど、向かっている感覚」など、あとから反芻してしまう、じっくり考えたくなるような、様々なお話しをしていただきました。
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00:01
前回に引き続き、美容師・金子達也さんにお話を伺いました。
思考ではなく感覚、建築ではなく彫刻、そのお話をずっと聞いていたくなってしまいます。
元々自分の中でやっぱり教わっていることは、
自分の中でやっぱり教わっていることは、
本当に建築みたいな感じで、角度とかスペルの…。
あ、ごめんなさい。こっち向かって…。
スライソーのどの角度をとって?っていう、
ヴィダル・サスーンさんのそういうカットがあるんですけど、
あれは本当に僕にはしっくりこなくて、やったけどね。
だって、癖が違うものを線で構成できるのかって、素朴な疑問が無理じゃん。
だって、癖が違うものを線で構成できるのかって、素朴な疑問が無理じゃん。
だって引っ張っちゃうんだもん、急に。
あとはブロウで、腕までガーッと伸ばして矯正するんだもん。
不自然じゃん。
髪の毛の本質的なものとかを完璧に無視しているよね。
でも髪の毛は髪の毛の流れとかものがあって、
それを自分の中で感じ取りながら、そうすると一つの形になってくる。
フィルターを通しているから僕のカットなんだよね。
僕が売っているものがあるからね。
個性を出さなくても、僕はもうそこに出ていちゃってる。
そうか。
だから曲も、みんなそれぞれの歌詞も全部そうじゃないですか。
皆さんそれぞれのお考え。
思考的、その方の人間性ということになるのかな。
その方のフィルターを通し、その方のやっぱりものが出来上がっていく。
職人さんもみんなそうだと思うし。
だからそのものと向き合ったときに、
僕なんかは楽なんだよ。
素材があるから。
素材向き合っているから勝手に、
その時の自分の格子じゃなければちゃんとハサミが動く。
だから本当に考えない。
というか感じて。
言葉が違うけど、置いてくるのはないけど、
そういうのを待っている感じ。
こっちから攻めない。攻めたら違う。
こっちから誘導してはいけない。
誘導は髪の毛がしてくれるもんだ。
導かれてくるんですか?
そこまでは感じる。
でもまだそこまで全然満足のレベルではないよ。
そうなんですね。
行ってはダメなんだ。
ひたすら待つんだ。
聞きながら待っている。少しずつ聞きながら。
だからまだ決まっていないところを大雑把なところから落としていく感じ。
ここはいらないな。ここ絶対いらないな。
いらないな。
本当にいらないところじゃないと分かるから。
聞きながら、下手に熱意が張りすぎていると
切りすぎる。
熱意が入るときもある?
03:00
どうしてもこの時間で切ってはいけない。
たまたまそういう場合のときになんとかなるかな。
でも基本的にはない。
でもたまたま昨日知り合いの方が来て。
神さんの。
その時間帯、一昨日か。
切らなきゃいけない。
その方は遠くの方なんで。
この時しかないかなと思って。
力が入っていない。
力は入って切ったほうがいいか。
ああ、ごめん。
もう2ヶ月経ってもう1回切り直して良くなるからまた来てねって言ったけど。
だから球体の真ん中にないんだよ。
そうか。そういう時はそうか。
ずれちゃってるんだ。
でも自分がそれを分かるんですね。
切って分かってるんだけど。
やっぱりもう自分の中でスイッチが入っちゃってるから。
ああ、そうか。
だから本来は時間がないときじゃない。
切らない。
そうなるって分かってるから。
何回もやってるだろう。
自分で見せる。
自分がね。
でもちょっとそういう時もあっちゃう?
でもそれでまたそうだ。そうだよなって思う。
だからこれは良い間違いだ。
全然それでOKだと思う。
悪い。切り過ぎた。
まあそんな極端な切り過ぎはないけど。
やっぱり髪の毛を2004年、2005年の方が結構大きいからね。
乾かしてみせる時。
だから長く切っている方の方がやっぱりそのオノマイをつかみやすい。
でも髪の毛は生きてるから一貫性ないっていうと。
あと質とかによっても変わってくる。
それはやっぱり感じなくてはいかないし。
でもそういう感性は僕の中にはある。
ベースはある。
あとそれをどうやって自分の中でより安定させるか、より広げるかっていうことが課題ではないよ。
そういう構成に向けたらいいなと思って。
課題はない。
強制になるから。
ダメ。僕には必要ない。
さっきも、やっぱりニュートラルな状態で物事をやりとくためにはやっぱりやりすぎてはいけない。
達成しないものを、僕が言ってた、完璧な達成なんか僕には存在しない。
だからそうすると別にそんなに熱いれてることではない。
努力するって意味はよく分からん。
努力って何だか分かんない。
やってる気になっただけな人間な気がする。
自分に何かミッションをかけてそれを達成した感覚、それが何につながるかってときに、
僕はそれはごめん、得意まかせに卒業した。
それだけでも自分なりの調査はくぐってきたからね。
仕事では相当やってるよ。
自分で自分の首締めたからね。
散々締めたな。
散々締めてもなかなか分かんない。
やっとそういうところ、今少しずつ来てるかな。
落ち着いて来てるかな。
でも、もともとこの感覚は僕の中にはあった。
何かを身につけようとか、何かを学ぶって言うけど、そういうものではない。
06:03
自分にあるものと、自分でどう自分が向き合ってきながら、
何て言うんだろうな、
ターションなくて長所を伸ばせないことだと思うよ。
誰か言ってる人もいるけどね。
ターションを伸ばしたら悪いわけではない。
悪いわけではない。
やっぱり短い人生を特に伸ばしたほうがいい。
社会ってそうでしょ。だからみんながいるんだから。
みんなが得意なものを持って思うことをやったほうがいいんじゃないかな。
好きなものとか、興味あるものに励んだほうがいいと思う。
あとはこの世の中で自慢するだけでも邪魔なものは彼だよね。
でも分かんないけど、その辺の兼ね合いが何となく感じてくると、
そこも何とかなる気がする。
何とかなる。
何とかなる。
これは何とも。
実際それだから分かんないよ。
これは何とも。
物に対する過剰な執着がなくなる。
生きてるとか、生きたいとか、何やってるかっていう執着がなくなる。
そうすると物に対しては自分の達成感的なものが、
僕は全くないとは言わないけど、あんまりない。
今の時間とか、向き合っている時間に余裕があってゆとりがあって、
そこに向かっていられれば、その方がいいな。
それが一番安堵感だ。
安堵感。
何かを買った時の満足感とかよりも、その方がよりいいな。
やっぱり物欲はないわけじゃないから、
たまに撮影の時にちょっと気取って格好していったりするけど、
それも自分の中では良いことだよね。
でもそれはまたちょっと違ったところで、
でも別に、何ていうのかな、
自分の中でちょっと違う方向をする時にそういうことをするけど、
基本的には仕事をやりたい時は、
畑ちょっといじったりとか、植木やったりとか、草刈りやったりとか、
それも全然自分の中では普通にできていて、
昔は何かそのギャップが自分の中で草刈りが面倒くさいなと思ったんだけど、
今はそういうのが。
それの中でも自分の草刈りをやっていて、
それが綺麗になってくるのが僕はすごく好きで、
だから最近は本当に丁寧にやるよ。
一気にやらない。
やってきてはどうしてもいいけど、
順繰りにやってきながら、
整えていくっていうイメージがある。
その場を整えるとか、そういうイメージ。
刈ってもそうかもしれない。
整えるとか、そういう感覚。
それがまた続くから。
また伸びてくる。
伸びてきたらまた刈ろうかなっていう。
そのサイクルだけど。
面倒くさいなって昔は思ったけど、今は思わない。
だからそういう当たり前な植物が伸びるし、成長するしってものが、
自分の中ではもういい意味で受け入れられてるんだろうな。
だから本当だよね。
09:00
じゃあまた切っちゃおうかなって。
ただ時間的に仕事をやってないですから、
その時間をどう早めにするかなってのがあるけど。
でも仕事は最近は早めに終わるようにはしてる。
僕は朝が早いから、
夜は早めに終わるようにしてる。
夜も早く寝ちゃうし。
ちょっとすごい話を言われてる。
自分で言われたら恥ずかしいんだけど。
すごいお話をいただいちゃった感じがします。
でもなんか突然今。
こんな感じかな。
でもまだ全然足りてないよ。
全然足りてない。
だから、なんていうのかな。
本当に昔、穏やかにいきたいなって思った時があった。
穏やかにいきたいな。
穏やかに、はいはい。
でもそういうものを自分が日々の仕事に向かっている時とか、
そういうものをどこかで客観的に感じたんだろうな。
穏やかってなんだろうなと思って。
やっぱり非常に心が健やかな状態で、
非常にクリアーな状態だな。
変な緊張感もないし。
そういう状況って作れるんだと思ったんだ。
ってことは自ら作れるんだ。
だから思いは大切だと思う。
今だから叶ってる。
さっきも言ったけど、
完全的なものが到達点はないけど、
そこに向かってるんだけど、安心感だし。
それはもう思いだ。
こうありたいって思いが、
そういう中で僕は今生きてる。
生きようとしてる。
いや、そこまでいかない。生活をしてる。
生きるってテーマは人間には壮大すぎて、
言わないほうがいい。
多分理解できないから。
生活のほうがまだ近いな。
日々どう過ごすかのほうが、
僕にとっては目線が非常に近くなるな。
そんな感じします。
実感できる。
そうですね。
普段の生活っていう言葉で。
それが多分、
自分が生きてる、生活する環境的なものが
広がってくると、
そういうところも見えてくるかもしれない。
感じるのかな。
でもそれ以上探求する必要はないな。
僕たちが今生きてるってことは、
絶対的な要素であって、
これからいろんなものが集約されてるって
イメージが本当にあって。
だから丁寧に生きるってことは、
それと向き合ってくってイメージがあるんだよな。
だから意外と日々の目の前の猫とか
何かすべて物語ってる感じがする。
こういう植物だってそうじゃん。
そうですね。
かわいいもの。
かわいいと思ってると、
ちゃんと健気に、
非常に僕の心に
12:00
安らぎというか、
与えてくれる存在になるよね。
だから人間ってそういうもの持ってる気がするな。
そういう波動があるんじゃないか。
だからそれまた波動を
自分でもらってるって感じですよね。
お母さんもそうじゃん。
君のお母さんもそうじゃん。
もらってるよ。
自分が穏やかなものに対して
みんなが共感してることによって
自分もそこからいろんなものを与えられてるって
それが循環してるってイメージがすごく心地がいい。
はい、循環。
そうすると、それだけでいいかな。
そうですね。
それだけで満たされるというか、安心感が。
今日お話を聞きに来たのも
さっきご縁って言ってた言葉があったんですけど
やっぱりそもそもそれがあって。
縁はある。
縁はある。
人間ってやっぱり限られてる中で
出会える方とか出会える環境とかは
非常に限られてるから
やっぱり縁があるってことは
何かしら人それぞれが
何かになってる気がする。
個々が。
僕はやっぱり最近、前から思ったんだけど
自分が生活するために
いろんなものがバックアップする。
もちろん人間さもそうだし
草も植物も全部そうだね。
でも大きくなってきたらいい気がするよ。
神様でも構わないと思うけど。
人に言ったらサミスイングレーとか
いろいろいいよね。
宇宙でもいいと思うし、自然でも構わないと思う。
神でもいいと思うし。
なりんきに特化するものではない。
だって僕は空気は足りないし
水だって無理だ。
その中で私たちがいるってことは
環境が与えられてるんだよ。
物体がちゃんとセットされてくれてる。
で、あとは
52って言われてる気がする。
だから僕は
自分をどうやって導くかってことを
自分に貸して生まれてきたんだなって
感じる時があるよ。
お前はどう導くんだ?って
未来の自分を
あれとすれば、今の自分が
過去の自分からも言われてる気がする。
過去の自分からも?
それがないといけない。
過去も今も全部
仏教でも言うと当たり前のこと。
未来だけではない。
過去が未来の全てを繋がっている。
基本的には全部セットなもの。
そうか。
セットだ。
過去的なものを変えるのは
そういうものじゃない。
過去的な教訓からは未来的なもの
やっぱりそれは役立たないといけないし
それは過去が教えてくれるし。
ずっと繋がってるんだって。
多分永遠に繋がってると思う。
ずっとだよ。
だから永遠って言葉があるんだぞ。
永遠って言葉があるんだぞ。
何なんだって思うよ。
あるんだよ。
人間は認識的に持ってるんじゃないか。
どっかの認識で持ってるんだよ、あれ。
見えないものだけじゃない。
15:01
多分そういうものを持ってる
感受能力が人にあるんじゃないか。
特に日本人にはある気がするけど。
特に日本人。
どう思う?
あんまり海外に行かないけどね。
もちろん外国の方っていらっしゃるよ。
そういう方がたくさんいらっしゃると思う。
特に日本人に多くいた気がする。
なんでかな。
わかんない。
わかんないですね。
自分にはいつも大丈夫って思ってる。
大丈夫?
どういうことですか?
自分に大丈夫って言える自分がいることが
自分ではありがたいし
それに対する根拠はない。
自分に対して時々そういうことがある。
そういうことをしているというか。
そういうことを感じるようになったな。
昔は自分の中にそうやって思った時もあったけど
今はそうやって感じるな。
僕は持ってるものっていうのは
進んでいくんだろうなっていう理解が
どっかにある。
未来の自分かもしれないけど
そのイメージが自分にある。
今ではないかもしれない。
思っていれば大丈夫。
誰かが言ってる。
多分俺が言ってるんだと思う。
そうか。
俺が言ってる。
そういうイメージしながら
過去から未来の自分と
ずっと自分が今いる気がする。
変な言い方だな。
わかります。その感覚。
変な感覚なんだけど
そうするとそうかなっていうところがあるんだ。
感覚だから言葉で言えないんだよ。
そうですね。
僕の中では切らないんだよ。
全部繋がってる。
連続になってる。
全部連続なんだよ。
現代人は切ってる気がする。
だから未来がない。
ずっとあるし
この先もそれが
人間の一つの
何時代に死んでしまうとか
いろんな過去が見える。
だから人間の存在というのは
何か大切なことだと思うんだけど
もっと
視野を広げるって言ったら変なんだけど
地球とかもっと大きい規模で
物を考えて宇宙って言ったこともないよ。
でも僕は別に生きちゃうと思わないんだよ。
何でか分かる?
同じだからと思う。きっと。
同じ?
その意識的なものから言っても
多分外に行ってもあんま関係ないと思う。
自分の中にある気がする。
もうすでにあるわけだから
宇宙に行っても別に感動しないと思う。
綺麗だなと思うかもしれない。
そういうものは特別なものではない。
僕たちは生きてる以上
必ず誰か関連性はあるよ。
僕にとっては普通にそう思うんだよ。
壮大な話だけどな。
全て繋がってるって言うじゃん。
繋がってるんだってば。
そう思うんじゃない。
僕の中では繋がっている。
じゃないとこんな安堵感は出ないし
髪の毛の情報を感じたりとか
俺が感じてないことが降りてくるんだぞ。
そうかそうかそうか。
18:00
俺が思考的にないものが降りてくるんだぞ。
どっから降りてくるんだってば。
あるんだけどな、そういうシステムが。
いいんじゃない?それはそれで。
そうなんだから。
そこに対する思考する意味がない。
自分を広げようってことは
自分というものを極力弱体するわけよ。
自分というものを謙虚に持っていくんだから
やっぱり謙虚さだと思うよ。
だってそれしかないじゃん。
自分が静かになって
なんか違う、なんかどんどん変な風に
傲慢痴気になってる気がする。
知らなくていいんだよ。
何も知らなくていい。
知る必要性はない。
感じれば全て大丈夫。
その土壌っていうか
もう髪の毛を切ったりとかは
みんなが教えてくれた気がする。
一生懸命自分の中に詰め込む必要がないんだよ。
人間ってものは
それだけの広大な宇宙観をちゃんと持ってきながら
それだけの
自分の中にはちゃんと存在してる。
ただ自分の中で
まだそこって大きなものと
まだちゃんと向き合えてないというか
あそこまで自分が行ってないだけで
奥の中にはあるんだもん。
じゃないと変わったのは見れないよ。
なんでわかんないことができるんだ。
あれを多分分析のすごい能力を使ってるぞ。
コーピューンターでも。
考えて聞くときって頭疲れるからな。
昔、すごく陰暗い段階で仕事するときは
すごい頭疲れたもん。
考えたからね。
掲載したから。
起伏する。
感じるとそれがない。
心地いい。
誘導してるから。
サーフィンと同じかもしれない。
波が来て。
僕たちは神に身を誘われてる。
オーバーだけど。
そういう状況であると
情報量が多少入ってくる。
全てじゃないと思うよ。
でもそれを味わうと心地いいんだよ。
味わうんですね。
ってことは自分でやるってことか
非常になんか
非常に残念とは言わないけど
無力に感じるよ。
そうなんですね。
だってそれ以上にも乱さないもん。
受け身の方がよっぽど入ってくる。
受け身じゃんか。
さっきの地球環境からすべて。
何もやってないじゃんか。
すべて受け身だよ。
受け身でないとやっぱり人はダメだ。
だから自分たちが未来を考えたりとか
それは本物戦争だ。
意味がない。
すべて壊す。
人間という欲求から生まれたものは
バランスを崩してくるからな。
自らそうじゃん。
慣れてくるともっともっと
リメイクさが良くて便利で
楽でになってくるじゃん。
全部地球を壊しちゃうよ。
凄い。
凄くないよ。
一気に頭が痛い。
何言ったか全く分からない。
21:00
恥ずかしいけどすみません。
アホな人間です。
何をおっしゃいます。
面白いって言ったら
ちょっと言葉としてあれですけど
興味深い。
面白いで良いんじゃないかな。
肩にはめないって言うじゃん。
肩にはめないってことは簡単さ。
みんな肩にはめてるってことだ。
そうですね。
逆を言うからな。
こんなことばっかりだもん。
だから自分に肩にはめないよって。
肩にはめないってどういうことなのかなって。
リラックスして切るんだよって。
愛情持って切るんだよって。
若い時に先輩に
自分の母親を思うように
恋人を思うように切りなさいって
言ってることは分かる。
でも言ってることは理解してなかったと思う。
そういう問題ではない。
リラックスして
自分に対して穏やかじゃなくてはいけない。
人を思うのではない。
自分を思うのではない。
自分だからリラックスするの。
自分がリラックスすることによって
相手の情報も入る。
リラックスしてる自分は相手に対しても
そういうものを与えてくれる。
そう思う。
一言を考える前に
自分というコンディションを整えなくてはいけない。
それがすごく多大な影響を及ぼすなってことは
自分の中で体感で分かる。
そうありたい。
お聞きしてる人が荒れてる感じはしますけど
時にちょっと失敗しちゃうことはあるとは知れど
良い状態にしようとしてる。
そしてなっているというような感じは受けますね。
ありがとう。
じゃあ多少そうなのかな。
だから大分
自分でまず大丈夫って意識でありたいな。
思い出にたいな。
思いだな。
自分というものを本当に
思いだと思うよ。
どう誘導するかだね。
導くかか。
自分をどう導くかってことを
自分でやってるんだと思う。
そのために極端に言えば
自然か宇宙か
僕をバックアップしてくれる。
生かされてる奴はそういうことだと思う。
だったらそうしなきゃ。
機会を与えてくれてるんだったら
自分というものをもっと深く見て
自分というものを安らぎの中から
現実から自分というものをもっと
開放していかなきゃいけないな。
多分自分を開放するってことはないかもしれない。
深い意味で言ってしまうと。
なんかねやっぱり自分が取らされてるんだろうな。
その自分というものを開放したいんだろうな。
でもそれは自らしかできないんだ。
人のことは一切できない。
やってはいけないし、できない。
そうですね。
それは感じる。
自分しかやっぱりその中から
24:01
開放させることは自分でしかできない。
人のことを思うとかあんまり意味がない。
自分のことを思っていて
体質にしている人間は
人に対してもマイナスなことはしないよ。
自分と向き合っていて
自分がその大変さとか自分の苦しみとか
自分がその喜びをわかっている人間が
人に言うことは余計なことはしないよ。
大丈夫だよとか言えないと思うよ。
大丈夫だよって。
そうですね。
人に言えば大丈夫だよとしか言えないじゃん。
余計なことは言えないけど
もしくは不安である方だったら
そういうしかないと思うし。
でも自分もその範疇にあるからな。
同じだよ。
近いって。
だからみんな同じ空間にいるんだよ。
ちょっとたまたま
ちょっと先に気づいただけだよ。
ちょっとだけだよ。
だからいろんなきっかけというか
いろんな出来事がそのきっかけを
やっぱり与えてくれている気がするな。
だから自分以外のものとかが
やっぱりそうだな。
病気も意外と自分の中でもある。
でもやっぱり外から来るものかもしれないな。
そういうものも何かこう
何か信号というか
何か教えてくれるというか
何か示唆する感じがするな。
自分ともっと穏やかに向き合ってみな
って言われている気がするよ。
何で堅い字を張っているんだ?
そんなものじゃないんじゃないか?
今のお前何なんだ?
いいんじゃないか?
それでいいんじゃないか?
それがお前じゃないか?
じゃあこれからどうしたらいいんだ?
そういうことをずっと自然から言っている気がする。
やってみて。
だから心地良いとか心地悪いって気持ちもある。
心から見えたような状態であれば
やっぱり心地悪いことはやらない。
そうですね。
心地良いことをしたい。
心地良いことを好きなことは
まるっきり違うから。
人間は僕は性善説とか善だと思う。
だから僕は心地良いことは良いと思う。
善だよ。
でも善じゃないものも人間には多分秘めているよ。
でも僕は善のエネルギーの方が
自分でそっちを
より強くというか
導くことができる気がする。
悪は別に悪いものではないけど
善や悪はあってしかるべきさ。
良い悪いで物事を判断するのは良くない。
やっぱり心地良いから心地悪いから。
お前本当に自分の意味は心地良いんかい?
そういう問いかけで
全てのものが完結しちゃうと思うよ。
じゃあどうやったら心地良くなるのかね。
なんで心地悪いのかね。
あと心地良いなんて言葉って
どこかでできたと思うんですよ。
言葉だと思うよ本当に。
共鳴するよ。
そうか。
27:00
穏やかとか安らぎとか。
そうですね。
そうか。
日本語ってそれがある。
それがある日本語自論なんだっていう気がする。
僕は海外の言葉知らないけどね。
そういう安堵する言葉がたくさんあるよね。
ありますよね。
今お話の中で出てきただけでも
たくさん出てきましたし
心地良いだったり穏やかだったりとか。
だから僕の中にはそれがあるってことで
もうそれが完結してるんだ。
だからできればもっとそれを
もっと足したいなって。
もっと開放したいなって。
開放するのはお前だろって。
そうだね。
でも無理食いの開放はダメなんだ。
心地良く開放しないと。
無理食いの開放がしなきゃいけないってものは
やっぱりそこには行かない。
思考で考えながらそうすべきだっても
心地良くないから。
自分に貸すからね。
心地良く貸したらダメなんだよ。
そこの難しさはありますね。
でも貸していいんだよ。
貸すことによって理解があって分かってくると
貸さなくても大丈夫なんだ。
そうすればいいんだってことに
大事に気づくから。
でも貸すんだ。
そっちの方向性、力性に向かってるから
それが多少理解できてくるんだよ。
方向性が大切なんだよ。
そっちに向かってるんだって。
だからいいんだって。
また次気をつけようって。
またしっかりやろうって。
しっかりと言ったのは
固い地を張ってはいけない。
頑張ることは構わないけど。
そこは無理食いの開放ではない。
無理食いは何も生まない。
こっちが悪い。
だからある面で難しいのかもしれない。
頑張って得るものは
エネルギーが弱い気がする。
心地よく得るものは
エネルギーが大きい気がするな。
そんなところか。
優しいけれども厳しい眼差し。
誠実に丁寧に
ご自身の発言を紡いでくださった金子さん。
お聞きした時間は
僅かでしたが
とても大きなギフトを
もらったような心地になりました。
金子さんありがとうございました。
それではまた次回
結井奈和さんの聞く人ラジオでお会いしましょう。
29:44

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