00:06
ももちゃんと、ちりりと、たねと、暮らす
今日のゲストは、山崎桃子さんと陽平さんのご夫婦に来てもらいました。
で、もともとはですね、これ、なぜこのお二人に来てもらうことになったかというと、
うっちゃんがゲストにぜひ呼びたい、と。
うん、そう。
ももちゃん呼びたい、とか。
ももちゃんを呼びたい、とか。
帰りまーす。
先輩住者であり、僕たち色々お世話になってる。
ほんとだね。
以前ゲストに出てもらった野蛇さん、移住促進をされてる野蛇さんと一緒に働かれてる、ももちゃん。
で、誘ったら陽平くんも来てくれるっていう、本当にありがたい今回の機会なんですけど。
来ちゃいましたね。
来ちゃいましたね。
陽平くんのあだ名がね、ジーニー。
ジーニーですね。
リンダネーム、ジーニー。
リンダネームなのかな。
もともとリンダさんなの?
わずかの方で、村から言ったら隣隣町のわずか町の方でジーニアスって呼ばれるようになって、そっから割とこういう風にジーニーって略する人も結構いて。
呼びやすいもんね。
とてもキャッチー。
かわいらしい感じ。
別に天才なわけじゃないんですけど。
天才を名乗って。
飲んだら英語の、あれか英語字典が出てくる。
今日はジーニーとモモちゃんというお二人なんですけども、いきなり二人に自己紹介ならぬタコ紹介っていうのをやってもらおうっていうことで、
タコ紹介っていうのはお互いに相手のことを紹介しますよということなんですけど、
間違ってたらちゃうでっていうのもありなんで。
どっちからいこうかな。
じゃあジーニーからいきますか。
いきましょうか。私から。
モモちゃんのことは普段ちゃんぴーって呼んでるんで。
ちゃんぴー?
なんで?
ピーチのこと?
いろいろ何段階か頭が変わってるんですよ。
肩がいいなっていうか。
だんだん達成に達成重ねて、ちゃんぴーになってくる。
OK、じゃあちゃんぴーで。
教会用語みたいなのがいいね。
ほんとそんな感じ。
だんだん変わってくる。
03:00
それでいくの?
パブリックにして。
放送しますよ。
ちゃんと。
ちゃんぴーで定着して。
そうですね。
自分とは性格が真逆で、本話で、争い事が嫌いで、戦わないけど頑張るし、
人と仲良くするのがとにかく上手いなっていうのが、本当に率直な印象で。
その時の動きとか、みんなに関わらせてもらって、皆さんによく知っていただいているのを見ると、やっぱりそういうふうな人の中に入って、
人にかわいがってもらって、その中でハブ的な役割をして生きているなっていうふうに感じている、今日この頃ですね。
なるほど。
ちゃんぴー、どうですかちゃんぴー。
思っても見ないタコを紹介して。
いいね。
やって欲しくなったでしょ。
ちょっと折れされると困るかもしれない。
いちいち最後の尺残しておく。
ハブ的な役割って確かにそういうことを正しいなと思っちゃうね。
いろんな人を繋げる立場っていうかさ。
村人と移住者とか、移住者と移住者みたいな。
本当に間を立ててやってる感じ。
サラーっとやってくれるもんね、そういうこと。
できてるかな。
できてるよ。
最近はね、そんなんね。
まさに自分のままで、そのままでいって人の役に立ててるいい例やなって思う。
本当に。
本当です。
私はちゃんぴーがジーニーの真似をしたっていうところがもっと。
気になった。
ちょっと面白いなって感じですね。
覚えてない。
自分では覚えてない。
俺と同じようなやり方は絶対やったらあかんって言ったのは覚えてない。
そういうためになってるね。
本当に真逆で最初に言ってたけど、
頼りがいはある。
物事の本質を見極める力がすごいとか、
何をパッと相談しても、本質のところからアドバイスをくれるから、
06:03
すごいそういうところは尊敬してて。
でもやっぱりちょっと喧嘩っぱやいような雰囲気があったりとか、
ちょっとラジオ始まる前にも喋ってたけど、
ゼロか100かっていうマナーをすごく極端。
その間、私は特に優柔不断やし、
どっちつかずで流されるままにっていう部分があるから、
余計にこの白か黒かをはっきり決めるっていうのはできなくて、
すごいけどそんなに苦しまなくていいのにっていつも思ってる。
真ん中取ればええのにみたいなときがいいのになって思います。
俺もそう思う。
すごい自分でもわかってる。
お仕事とかは?
もうちさん見ててどういうことされてるのか?
仕事は何してんの?
名刺交換する。
聞いてると誰もまだわかってないからね。
ジーニーが何をしてるかサポート。
何してるかちゃんぴーから。
ITやな。
ざっくりきた。
ここすごいね。
まさしくそれってこと。
私が一番できないところ。
ITやな。
これもまさしく正反対。
超アナログ。
デジタルな部分だって。
本当にそうかもしれない。
知ってる範囲で言ったらホームページ作ったりとか、
コステム作ったりとか、
動画作ったり、撮影したり、
動画作って、
撮影したり、編集したり、
ドローン飛ばしてみたり、
イベントの手伝いしたり。
結構あってんじゃん。
大体やってますね。
なるほど。
趣味は格闘技。
趣味でいいのかな。
趣味、趣味。
格闘技は何をしてるんですか。
格闘技は、
はじめに極真空手をやって、
キックボクシングちょろっとやって、
今はボクシングとキックボクシングと、
あと少しだけ総合格闘技の練習をしてますね。
結構いろんなことやってますね。
その違いも分かるし。
09:02
そんなお二人が村に来たきっかけは、
きっかけは、ちゃんぴーから話した方がいいかもね。
ズバリ、ズバリ、
家があったから。
ズバリ。
結婚した後に。
あと1年経ったぐらいかな。
それは以前どこに行ったのかな。
以前は鴨っていう隣の隣田。
傷がわしやね。
鴨駅の近くに結婚してからアパート借りて、
1年ぐらい住んでて、
その間に物件を見つけまして。
探してたわけでもなく。
なんか天からいいのあるような。
物件あるから見に行ってみたら。
ふわっときて。
乗ってみた。
おつけがあったんで。
その波に乗ってみたら。
最初はやっぱり、まだ結婚して1年やし、
30歳ぐらいだったのかな。
だから、そんな自分たちが家を持つっていうのなんて考えてもなくて。
でも、ひやかしで見に行ってみようかみたいな。
南山城村って知ってるし、通ったことあるしみたいな。
行ったことはあんまなかったけど、
存在は知ってるし。
ちょっと見学に行ったら、
やっぱり夢広がっちゃうよね。
やっぱり、実質人が住んできてなかった期間が長い時期で。
あ、いいなみたいな。
仕事も和塚町でしてたから、
通えないことないよねみたいな感じやし。
本格的にもし住んだらと考え始めて、
ここにしようかっていう。
手ごろの値段やったかな。
もうそれは安くて。
主に住んでるよりは3分の1以下になる感じやったね。
家賃というか支払いというか。
それも大きかったな。
大きかったね。
ただ、二人で話してたのは、
どこ行っても当たり前のことやと思うんですけど、
挨拶をしっかりする。
それだけってな。
地域の習わしに従うっていうか、
出会いとかがあるんやったら、
町内会の集まりとかにはちゃんと出ようとか。
それって別に都会でもあることじゃないですか。
12:03
ほとんどが移住者になるのかな、ニュータウン店は。
基本的にはそういう。
大阪とかのほうから、
平方とかちょっとこっちよりの大阪とかから来てる人が多いようなイメージ。
今でも仕事そっちまで車で行ってますとか、
いう人がいたり。
あとは村の古い地域の人やけど、
人がニュータウンに家出してたとか、
っていうのもちょっとある。
あらゆる年代が入り混じったような。
結構そんな感じやね。
ニュータウン祭りとかあるんですか?
ありますあります。
今年はでもあれか。
なかったな。
盆踊りが一番大きかった。
夏の盆踊りが一番。
そういうことをして。
父会で役員さんが4月に決まったら、
そっから毎月会議が行われて、
8月の盆踊りに向けて会議とかがあって。
結構頑張ってるね。
何もそんなに。
すごいな。
割とタイトですね。
すごいね。
去年のコロナからちょっとお休みしましょうって。
やっぱり思いとしては、
当時住んでた時の滑挙っていう思いがあるみたいで。
そういうところで。
たぶんご高齢の方も増えてるから、
一人暮らしになっちゃったとか、
そういう人もいるし、
お互い関わりをなくさないようにとか、
そういうのは持てはるんかなっていうのはあったな。
ほんまにみんな優しい、
いい人たちしかいないなっていう。
すごいな。
意地悪な人いない。
お二人が移住してきたのが2015年っていうことを聞いてて、
その2年後、2017年の4月に、
この南山城村にとって一大事業というか、
大きな節目ですね。
道の駅がオープンした。
それに陽兵衛君、ジーニーが関わってきたっていうのは聞いたことがあるんですけど、
どういう形で関わってきたか教えて欲しいんですけど。
そうですね。
関わるという意味において言うと、
僕はちょっと二軍みたいなもんでして、
やっぱりその計画自体は、
今言ってだいたい年数よりももっと前から、
15:02
水面下では森本社長を始め、
いろんな動きをされてきて、
自分が移住したタイミングでは、
もう準備室っていうのがもう出来上がってて、
その中で森本社長に、
自分のできる分野で一緒にどうやっていう風に声をかけてくれたんで、
いろんな事情はありつつも、
やっぱり村に住む以上、
あとは方向性としてもいろんな意見はあるんですけど、
道の駅を作って、
空きない氷を推進していくっていうような考え方には、
僕も賛成だったんで、
自分にできることがあるならということで、
その準備室ができて、ちょっと経ってから、
関わらせてもらうようになったっていう感じですね。
その時、今、自然の家の2階が事務所になってて、
高山ダムの、
ちょっと離れてるよね。
青少年自然の家って。
青少年自然の家。
キャンプ場みたいなところですね。
そこでみんな集まって、
デザイナーなり、
地元の人なり、
とにかく総力戦で、
そこにみんな缶詰になって、
その中で、
自分は道の駅ができるにあたって、
当然お金がいる話なんで、
そのお金の出どころみたいなのがあって、
そのパッケージの中に、
コミュニティ・コンビニ公教員っていう制度があって、
京都府がやってる制度で、
半官半民みたいな形で、
半分公務員で半分民間人みたいな形を取らせてもらって、
役割を担いつつ、
準備室で一緒に作業というか、
準備をさせてもらったというのが、
だいたいの始まりなんですね。
具体的にはどういうことをされていたのかな?
コミュニティ・コンビニ公教員自体は、
道の駅の中に、
コンビニエンスストアみたいな部分のところを
統括するっていう部分と、
具体的な話になるとですね、
例えば、道の駅まで来れないとか、
18:04
買い物ができない人たちに対して、
どのように商品を届けるかとか、
そういう仕組みをどういうふうに作っていくか、
みたいなところを考えるのが主なんですけど、
自分としてはその前に、
例えば税金をずっと使い続けて、
回していく仕組みを考えるんだったら、
すぐにできるけれど、
税金を使わずに、
それが実装できるような仕組みを考えていかないと、
ダメなわけで、
それはすぐにできることでは、
なかなかないなっていうふうに、
自分の中で思って、
それはその、
副の担当の方にも、
お話はさせていただいて、
公共院という立場でありながら、
そういう方向に向かっていくには、
どうしたらいいのかなって考えたときに、
そのミッションをビジネスにしたら、
うまくいくんじゃないかなって。
それまでは個人事業として、
IT関係の仕事をしていたんですけど、
将来そういうふうなこと、
もしくは、
持続的に誰かの役に立つような組織を作るには、
やっぱり自分たちがまず体力を持たないといけないなっていうふうに思って、
公共院が、
公共院の最中ですかね、
法人化しようと思って、
法人化して、
会社が今に至るみたいな感じですね。
きっかけとしては、
みたいなところを。
やっぱり法人化にこだわる理由っていうのが一個あって、
法人化じゃないと、
やっぱりよっぽど志が高くないと、
その物事とか、
その仕組みを作って、
前に進み続けるって、
なかなか難しいと思うんですよね。
法人だったら、
無理やり自分の生活とかも直結してくるんで、
会社を維持するといったら、
いろんな人が必然と、
個人事業と違って、
いろんな人を巻き込まないと、
いけない場合が多いと思うんで、
そういうふうな意味では、
形としてはそれが、
手っ取り早くていいのかなっていうふうに思うんで、
そういうところが増えて、
みんなで力を合わせられたらいいなっていうのが、
問いに対する答えです。
まさかの方向にいってますけども、
道の駅もその一つっていうこと?
そうですね。
21:00
道の駅、
例えば森本社長の考え方は、
道の駅が中心にあって、
資本関係はないけども、
その下に小さな会社がたくさん集まっていったら、
すごいいい形になるよね。
南山城ホールディングスみたいな感じができればいいよねっていうので、
設立当初も話してたんですね。
だけどなかなかそこの思い自体は、
形にはなってなくて、
でもまだそういうのを目指して、
やっていきたいなっていう思いはあるっていう感じですね。
本当にすごい人は、
別にそんなのなくても、
なんていうか仕組みを作って、
人巻き込んで、
何かやるって上手にできる人って、
いてると思うんですよ。
けど、
こと、
体半分、
資本主義経済の中に行きざるを得ない人たちとしては、
自治体としては、
一旦ベースの力を元に戻すために、
そういうふうに法人が、
経済にしっかり組み込まれた法人が、
出来上がった上で、
お金とは関係のない仕組みで解決できるようなところを、
そういう余裕を持った人たちで話ができれば、
一番いいのかなというふうには漠然とは思ってたりはしますね。
あんまり損ないで商売したくなくて、
お金の話になっちゃうじゃないですか。
でも、お金って僕自身は一番価値の低いものだと思って、
やっぱり物を買うために、物と交換するためにあるものだと思ってるんで、
じゃあ物をもらった方が早いよねって思うんで、
村に限って言えば、困ってる人がいたら、
本来そのお金を取るべきところだったら、
じゃあ野菜作って貼るんやったら、野菜くださいとか、
そういうふうな感じで、そこはそこで食費が浮くじゃないですか。
お互い喧嘩でやり取りできるし、
普通に、全然都会で何か商売するよりも田舎でやる方が、
僕は普通に頑張ってたら、
食べていける。
生活コストが低いですよね。
24:02
それはとても引っ越してきて。
もらうのが多くてね。
人が近い分、やっぱり自分が頑張って、
自分が普通にですよ、めちゃくちゃじゃなくて、
普通に頑張ってたら、人が近い分、
人が自分たちの会社の噂をちゃんとしてくれるっていうか、
ここでやってくれたよ、こういうのやってくれたよっていうのはあるんで、
だから別に、全然わけのわからないところに広告費とか、
営業とかする必要も全然ないし、
ただ、まっとうに挨拶して、
すごく住みやすいっていう印象しかないですね。
よくわかる気がします。
道の駅が実際オープンして、
実際見てみてどうですか?
あれこれ5年ぐらい経ったのかな?
すごく大盛況なイメージがあるし、
準備している期間から見てきて、オープンして、その後っていう、
その辺の展開ってどうかな?
あれこれ言う人はたくさんいると思うんですよ。
今でもって、もちろん。
だけど、ちょっとでも黒字でやる以上は、
良い方向に向かっているとしか僕は言いようがない。
なので、改善点はたくさんあるだろうし、
それは社長が一番よくわかっていることだと思うので、
だからそれを、何て言うんでしょう、
自分が力になるのであれば、
自分の会社でできることをやっていく、
というだけに尽きるかなということで、
問いをシンプルに返すとするならば、
めちゃめちゃ上手くいってると思います。
ももちゃんはどう思う?
道の駅がどうなってるか?
私の場合は、もともと最初準備室の時に、
一回道の駅をどうしたい、
どんな道の駅を作りたいかみたいな会議があって、
それに参加させてもらった時があって、
その時に初めて、2014年に消滅可能性自治体みたいな年、
みたいなランキングが発表されて、
17位が南山城村みたいな、出たっていう話を、
その時に初めて聞いて、
私たちはもうそこに家を買って、
聞いてへん。
全国でってことだよね。
そうそうそう。
京都風の中では1位やったのかな。
すごい衝撃受けて、
27:01
しかも森本さんが、
森本さんが、
森本さんが、
森本さんが、
森本さんが、
森本さんが、
どんな道の駅にしたいかって話あったから、
自分は村で生まれて育って、
今も村にいてて、
死ぬまで村にいたいと思ってるみたいな、
それを、
そうするための機能を道の駅でまかないたいみたいな、
さっき言ってたみたいな買い物が難しくなった時に、
サポートしてもらえるとか、
そういうのも考えてるって言ってあって、
ここに住み続けられへんっていうのを考えたことなかったから、
すごく衝撃で、
それを聞いてから、
村やばいんやと思って、
何かをしなければみたいな、
何かをしていいかわからへんけど、
何かしなあかんやって思ってて、
でもやっぱりオープンしちゃうと、
店がたぶん忙しくて、
スタッフも、
店を切り盛りするのが精一杯ってところは実際あると思ってて、
そのもう一歩進んでほしいっていう勝手な思いはあって、
それはちょっとたりき本願の言い方やけど、
別に誰がやってもいいけど、
このまま今の状態で進み続けても、
たぶん現状維持だけなんやろうなって思ってます。
なんとかもっと欲張りになって、
頑張りたいなって思ってます。
そういう気持ちも込めて、
フリーマーケットの展開とかってのをやってる感じかな。
もともとは道の駅の出荷者さんが、
出荷者協議会っていうのを作って、
毎月朝一をやってはって、
それも季節によってもお客さんの意味も変わるし、
そういうのを見てたら、
もうちょっと盛り上げたいなと思って、
朝一の日に出荷者じゃないけど出店できる人を集めたいなって。
経路がちょっと違う。
ちっちゃく始めたけど、
だんだんやってると自分も出したいとか、
いろんな人いてるよって言ってもらったりして、
30:01
だんだん多いにしてくれる人とか、
毎月楽しみにしてくれる人も出てきて、
なんとか今になってるっていう感じで。
あの人数の元締めやろ。
今どれくらい出荷者さんいるの?
出荷者さんは、本当にでも私が管理できひんから、
すっごくゆるくしてて、
もうその、なんやろ、
なんかカチカチに出店スペースはこんだけで、
こんなルールがあってっていうのはあんまりやってなくて、
だから一回だけ出すでもいいし、
毎月来てもいいし、いつ休んでもいいし、
突然来てもいいし、みたいにしてて、
一応一回でも声かけた人というか来てくれたりした人は、
多分今30件は超えてるのかな。
そうなんや、すごいね。
もちろん一回で終わった人もいるから、
みんな雇用を持たれば30件になるよっていうことね。
ももちゃん、山ん中移住促進スペース、
移住交流スペースか、山ん中。
これ入るきっかけっていうか、いつぐらいから関わることになった?
関係は、前のわずかの勤め先を、
もうすぐ辞めるっていうときに、
当時山ん中で働いてた須野瀬優子ちゃんと、
その前からちょっと知り合っててけど、
なんか再会じゃないけど、出会って、
たまたまそういう話をするときがあって、
すぐ仕事辞めんねん、みたいな。
そんなら、ちょうど人探しててん、みたいに言ってくれて。
まずは、私もちょっと仕事辞めたらゆっくりしたいしとか言って、
週1回ぐらいでって言って、
イベントのちょっと手伝いぐらいの感じで行くようになって、
そういうのが2年ぐらいあったんかな。
週1回ぐらい行きつつ、
途中から道の駅でも働きつつ、
どちらかというと道の駅で働くほうが、
ウェイトが大きくて、
野蛇さんと優子ちゃんがガッチリやってくれてたから、
普通にそんなに入る隙間もないしっていう感じ。
本格的にっていうか、しっかり入りだしたのは優子林?
33:02
優子林が2020年の春でちょっと違うことをしにするっていうので、
1回辞めますってなって、
その時にじゃあ週2、週3ぐらいにしようかなみたいな感じで。
でもその時ちょうどコロナが始まってたから、
特にイベントすることもなく、
なんかじっとしてるみたいな感じで。
オリューに何もしないっていうか、
イベントとかオリューとか、
私ももともとすごい人見知りで、
なんでそういうの?
なんでそういうの?
何もしなくていい理由ができたみたいな、コロナで。
だからとりあえず増やしても大丈夫そうみたいな。
面白い、なんかこの消極的な感じと。
消極的。
ぶんってした感じが。
結構軽くやってた感じがする。
だから1年ぐらいじっとしながら。
その時山の中には人は来てなかったってこと?
そう。
地元の人がちょっとたまにお茶しに来てくれたりはしてたけど、
やっぱり誰も来ない日もいっぱいだったし。
ランチ会とかも?
その時はやめてた。
途中1回ぐらいちょっと収まりかけたらやってみたりもしてたけど、
ランチ会も常連さんがいてくれてて、
その人たちに声かけてきてもらうみたいなところもあって。
じゃあ今月に3回ぐらい、
もよしもってイベントごとやってるって、
なんていうの、異例というか。
びっくりするよね、自分でも。
何が起こったんだろうね。
今年の夏ぐらいからかな。
そうだね。
すごい賑やかだなって思って。
確かに。
人いろの会。
展示会をきっかけになったって感じ?
そうだね。
それ大きかったね。
でもこんにゃくとかでもう動いてたよね、その頃にはね。
こんにゃく今年の5月ぐらい?
初め2月とかかな。
2月ぐらいから会にかけて。
こんにゃく作る会あったっけ?
田山深緑会っていう。
育ててくれる人も探して。
深緑会っていうのは、
36:01
村の奥さんたちでこんにゃくを作るグループで、
もう40年ぐらいずっとこんにゃくを作り続けてたって。
歴史深いね。
幼稚園。
でもそれが今年の春ぐらいには、
もうメンバーが3人ぐらいになってて。
というのが、だいぶたくさんいらっしゃったってこと?
多い時は多分20人とか。
もちろん出たり入ったり。
家庭の事情とかもいろいろあるけど、
それでもみんなで続けてきてたところ、
でもやっぱりご高齢になって辞められる方もいるとか。
10年やってね。
年も取るわね。
それでやっぱり実質動けてるのが、
2人、3人かみたいな時に、
入ってくれる人を探してあって、
簡単に入りますとか言っちゃって。
正解。
それを絶やしたらあかんなと思って、
どんな40年も続けてきてはって、もったいないし。
自分がメインでできるとは思ってなかったけど、
ちょっとぐらい手伝えることはあるんちゃうかなと思って、
結構気軽に入れてもらえるんやったら入りますっていう感じで。
入っちゃいました。
そうやね、こういう軽さがすごいねんな。
入っちゃったっていうね。
入っちゃったと思うんですよね。
こんにゃく芋を作ってほしいとかって言うね、春頃。
そうなんですよ。
その深み取りからね。
そうなんですよ。
あの展開もすごく面白いなと思ってね。
本当に何も考えてないというか、
元々はメンバーさんが自分で芋を作って、
作った芋でこんにゃく作って、
その分の収益を得るっていう方法を取ってあって、
だから毎年各自に種芋が割り当てられるような感じ。
メンバー内でってこと?
やってたみたいで。
その今年も5月ぐらいかなに、
おかえり。
おかえり。
5月ぐらいに種芋10キロ渡されて、
それはもちろん買い取るべきと、
自分で買い取って植えて、
それを成長させて秋に収穫っていう流れやけど、
もちろんニュータウンで畑を持っているわけもなく、
ちょっと庭はあるから、
家庭3円ぐらいはしているけど、
そんな10キロ分こんにゃく植えるようなスペースないし、
他の野菜も植えたいしって思ってて、
これをじゃあ誰に?と思って、
39:02
順番に声かけさせてもらったら、
なるほど。
移住者さん。
割とやる気。
割とやる気の移住者。
こんにゃく芋?
こんにゃく芋の展開が。
すごく助かりました。
そうですか。ありがとうございます。
あれだって、村の外でもやってくれてるよ。
うん。
いろいろな展開になりました。
広げてくれて。
広げっぱなしになっちゃったけどね。
多分来年ぐらいになって、3倍ぐらいになって帰ってくるんで。
大きくなって楽しみ。
今年2倍になったよ。
今年2倍になった。
そうなの?大きさが?
もっとたくさんやればよかったと思う。
でも1キロずつだいたいお願いして、
4キロぐらいになって帰ってきたから、
3倍かも。
すごい。
大きさでいったら。単純に計算したら。
できるね。
こんにゃくいいね。
でももうじゃんじゃん使ってるけどね。
じゃんじゃん。
まだまだ足りない感じだね。
まだまだ足りない。
だから来年はさらに。
さらに?
何倍できるか。
何倍して。
こんにゃくは世界を救うな。
何それ。
でもね、前そんな話しなかったけど。
いろんな人を巻き込んで、
いろんな人がしっかりと、
お金だけじゃなくて、
ちゃんと利益とか得を得て、
みんなが幸せになるような形ができたら、
それはこんにゃくは村を救うになるなって。
なるほど。
いい話しなかった。
だからその素地はあるなって思ってて。
ああいうと言うと言い方あれですけど、
スーパーとかで売られてるこんにゃくって、
僕個人的な感想なんですけど、
味が染み込みにくいなって思ってて。
逆に深緑で作ってるこんにゃくって、
味が染み込みやすい。
表面がずっとツルツルしてないやんか。
お金で作り方なのか全然詳しくないからわからないけど、
そういう部分とか考えたときに、
42:06
いろんな食べてもらい方みたいなのを、
ちゃんびーとかがいろいろ考えたりしてるので、
やっぱりこんにゃくの使われ方って、
なんとなく世間一般的にこれぐらいまでよねみたいな。
まだ発見されてないからちゃんと買った。
もっとあるのかなって思ったときに、
これは世界を救うぞ。
24時間テレビか。
村のポテンシャルみたいなの最近のイベントとか感じることがあって、
この間言ってた春子さんのたくあん作りとかさ、
掘り起こせばたくさんそういう財産みたいなのが眠ってるんだなって思うね。
そういうのももちゃんが引っ張り上げてる気がすると思っててね。
たまたまかもしれないけど。
なんかね、探偵みたいな人なんだよね。
なんかだから村踊りとかもさ、やっぱりすごい楽しい取り組みっていうか。
村踊りを復活させようやってるの。
そう、そう。
南山城音頭。
南山城村音頭。
運動会で昔踊ってたらしい。
最近は道の駅のBGMで流れてて、
それを聞いた椎茸ダンスの知恵ちゃんが、
盆踊りで踊ってたんじゃないかなってなって、
じゃあそれせっかくやから踊りたいよねみたいな話から始まって、
聞いていったらどうやら運動会で踊ってたらしいみたいな。
株さんうちにレコードあったんやって。
そうそうそう、道の駅のBGMになるときもね、
高尾の株人岩さんの家で見つかって。
日本で8人しかいないから。
9人って言ってたで。
9人って増えたよね。
増えたらしい。
でもやっぱり踊れる人も少なくなってて、
意外と覚えてない。
実際やってみたらめっちゃ難しい。
っていうか、あんたら盆踊りないで普通。
めっちゃむずいもん。
手だけじゃないで。
同じ振りが2回と続かないね。
それは難しい。
こうやってこうやったらもう次はこういってこういってみたいな。
ぐるんしてみたいな。
なんで今のみたいな。
そこ音楽と合わせんやんみたいな。
なんか複雑なことが。
何代目?4代目村山城村ブラウザーさん?
4代目。
4代モール。
意外と近所にね、すごく上手な人が見つかったりとかして、
45:04
ちょっとお告げして、
教えてくださいって言ったらいいよみたいな。
この間琳寧さんと喋ってて、
あの踊りの回もたぶん洋ちゃんいなかったら、
うちだけいなかったらここまでやってなかったよなって。
そうなの。うちらが踊りすぎた。
喜んで。喜んで。
そうやったのか。