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たまなりか こんにちは、たまです。
まりか こんにちは、まりかです。よろしくお願いします。
たままりか よろしくお願いします。
まりか 今回は、67回のポッドキャストで、 中学受験の今みたいな話をさせていただいたんですけど、
その中で、AIがこれからどんどん台頭していく中で、 本当にいわゆる中学受験がそもそも必要かとか、
どういう人に教育をしていけばいいんだろうみたいな話を 派生してお話ができればなというふうに思っています。
私が思うのは、確かにいわゆるたくさんのことを暗記できるとか、 高速で計算を処理できるっていうのは、確かに必要ないことだとは思う。
でも、方向性を決めるとかっていう時に、そもそも持っているものがないと、
これが今あるのであればこっちの方向行けるよねとかっていう、 持ちごまが結局ないと判断ができないわけで、
そういう意味で言うと何も覚えてなくていいし、 何もできなくてもいいかっていうと、
別にAIができるものを一切やらなくていいかっていうことでもないような気がしていて、
じゃあ、このAIがいろんなことができすぎる世の中で何が必要なのかなというと、
やっぱり問題意識を持つだったりとか、 ここっておかしいから変えた方がいいよねだったりとか、
なぜこうなっているんだろうっていうのか?を持つみたいなところは必要な気がする。
でもそのためにはある程度の知識だったり、ある程度暗算できるスキルみたいな、 概算できるスキルっていうのかな?は必要な気がするので、
いわゆる今の中学受験のやり方が100%正しいとは思わないが、
勉強と言われるようなスキルが完全にオアコンになるわけではないような気がするなというふうにぼんやり考えてるんですけど、
多摩さんとしてはいかがですか?
そうですね。最新のAIの動向とかを見てると、
AIは基本的にどんどん自立性、自分自身で勝手に指示なく動くことを自立性って言うんですけど、
自立性がどんどんどんどん高くなっていってて、知能もどんどんどんどん高くなっていってるので、
それもうちょっと、あともう1年とか2年とか経つと、人間の指示は基本いらなくなると思うんです。
なった時に、今の問いを立てる力とか、メタ認知能力とか方針を定める力とかっていうのは確かに重要なんですけど、
AIがそれすら必要としなくなるっていうのが結構近くに来てることを踏まえると、
それは今とかここ数年は必要だし、今後も何かしらのことで絶対必要だと思うんですけど、
そこと合わせてやっぱ必要なのは、AIがどう頑張ってもできない能力を伸ばすことかなっていうふうに私は最近考えが結構変わり始めています。
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具体的に言うと、体、身体能力、あと五感を鋭く使うっていうのが結構重要かなって思ってて、
違和感を感じる能力っていうのが多分一番いいというか適切な言語化なのかなと思ってるんですけど、
五感的に感じた時に、なんか変だとかなんか不愉快だとか、これは今はいいけど長期的に続いたらきついと思うとか、
そういうのを感覚的に感じ取って、それを何とかしていくところは、最悪AIに全投げしても大丈夫なようにきっとなっちゃうと思うので、
でもスタートとして僕の違和感っていうのが必要かなっていうのは思うんですよね。
ってなると何が正常な感じ方で、何が違和感がある状態なのかっていうのを分かって、
しかも言葉にできないと今のところいけない。脳に電極埋め込んでとかできるようになるかもしれないけど、結構滝だと思うので。
ってなると、それができる最低のやっぱりボキャブラリーと文章構成能力と、あとやっぱり人間らしい感覚、倫理観とかも含めて感じるもの、
感じる能力っていうのをすごく強く高く保っていくことっていうのが大事かなと思いますね。感受性とも言える。
さっきこれを喋る前に多摩さんと喋っててすごい納得がいったのが、
違和感を持つためにはある程度感受性というか、アンテナ側の感度が高くないとそういう違和感を感じ取れないわけで、
じゃあ今の教育ってどうなのって思うと、やっぱりそのとりあえず授業だからみんな座ってなきゃいけないとか、
みんなで右に行こうって言われてるから、疑問を持っても右に行くみたいな。
どちらかというと統制する時代の教育が結構残っちゃってるような気はしていて、
一人一人から出てくる違うベクトルのものをそれぞれ散らばって、収集がつかないからとりあえずまとめるみたいな感じ。
教育現場での人の人材不足も相まって、よりその辺がすごく柔軟性が失われてるような気がしているし、
それをずっとおかしいなと最初は思ってたとしても、でもそれだと殴られるから座っておくとかっていうことを繰り返してると、
いわゆる鈍感的な、だんだんアンテナがシヨシヨしていくというか、
リブっていくような感じがあるので、そこを教育をするというよりは、今までやってきた、
そういうアンテナの感度を下げるようなことを邪魔しない、みたいなことは結構大事になってくるのかなと思いますね。
それはすごいそうなんですよね。
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というか結構一回小さい時から鈍感力が高すぎる状態で育ってしまうと、
それを逆等して敏感にさせるって無理なんじゃないかなと私は思ってて、
デフォルト設定が変わっちゃうってことなので、
それをいかに、もともと子供って生まれたときはみんなある程度感情性が高いと思うので、
いかに失わせずに、かつ最低限の社会ルールを守れるようにするっていう、
絶妙な塩梅がやっぱり教育に求められるなって思ってて、
2回前に花の話しましたけど、我々はね、発生しますけど、
花の前身になったオーディションのノーノーガールズっていう番組があるんですけど、
その中に出てきた女の子で、落ちちゃった子がいるんですけど、
その子にちゃんみなさんが言ったフィードバックで、
自由にやるためには一回肩にはまらなきゃいけないっていうような趣旨の言葉があるんですね。
これともちょっと似てて、自由にやる前提で一回絶妙に肩にはめるみたいな教育は多分必要だと思うんですけど、
肩にはまってそのまま一生を終える前提の肩にはめるだと、
もう人類は終わりますっていう感じになってしまうので、
そこのなんか絶妙な感じっていうのは今後の教育で求められるかなって思います。
そうなるとやっぱり教育者側が目的意識として、肩にはめることをゴールとして肩にはめるのか、
自由ということを飛び出すためのスタート地点としての枠を教えていくかっていうのの意識の違いが、
結構如実に教えてもらう子たちに影響が出そうな気がしますよね。
ね、出ちゃうと思いますね。
自分で考えさせるかどうかとか、人の指示に従うタイプの狼と羊じゃないですけど、羊タイプ量産してもしょうがないんですよ、たぶん。
今後AIが死ぬほど自立化して、マザーコンピューターみたいな動きして、
そういう思考停止モードになってしまった人たちにひたすら指示するみたいなのはあり得ますよ。
それはちょっとSF的ですけど、あると思いますけど、
そういうのにハマってしまうのはおそらく人としてはちょっと不幸な生き方になってしまうので、
より人間らしく生きていくにはそこの目的意識なんですかね。
ここを着地点にするっていう意識がやっぱり教員の皆さんなんですかね。
講師とかもそうだと思いますけど、持つ必要はあるかなって思いますね。
そもそも今って、いろんな勉強している先生はいっぱいいるけど、
でも多くはやっぱり学校で学んできて、教育学部とか行って教員免許を持って学校に入るってなると、
今の進化についていける人が一体どのくらいいるんだろうかっていうのはやや懸念としてあって、
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そのマインドチェンジみたいなのが先生もしていかなきゃいけない、今まで以上にしていかなきゃいけないし、
むしろ子どもたちの方が多分柔軟に学んでいって逆転現象も起きていくような気がするし、
果たして今のそもそも学校という形が子どもたちが通う場として正解なのかっていうと、それもまた違うような気がするし、
柔軟に今までがこうだったからっていうのじゃなくて、それこそ親が多分そういうことも考えていかなきゃいけないけど、
社会全体として本当に今の子育ての仕方でいいんだっけみたいな、別に子どもに限らず大人もですけど、
今の学びでいいんだっけみたいなところを常に考えて変化をしていかないと、
簡単にAIに体だけ貸してちょうだいって言われる世界になる気がするので。
そういうのも含めて中学受験って本当に4科目ないしは3科目、関西だったら3科目なんですよ。
テストを受けさせることによって本当にそのあるべき教育とそこにフィットしそうな人を選別するって言い方あれですけど、
本当に正しいフォーマットなのかみたいなのはきっと変わってくるんだろうなとは思うんですよね。
ちょまど それでね、この間思ったのが、AIがこれから台頭していくと中学受験的な試験はいらなくなるんじゃないかっていう話をちょっと多分あったんですけど、
でもなんかいろんなレベルのっていうかあれだけど、いわゆる中学受験の偏差値という区分でいう高い低いみたいな生徒さんをいろいろ見ていると、
やっぱりそのできる子って自立して考える能力がけたたましく高いというか、
与えられた疑問を細分化して今どこで戦えばよくて、そのために何を使えばいいかっていうのを瞬時に判断できるけど、
でもなかなかできない子っていうのはなんか口を開けて何かを待っているような感じがあって、また自分で考えているわけじゃないっていう意味で言うと、
今の選抜の方法とか先取りでとにかく詰め込むみたいなやり方の手法はさておき、
でも結構ある意味綺麗にグラデーションは作れてるなっていうのが逆説的にちょっと見えてるような気もしていて、そこが皮肉なところでもあるんですけど、
今のやり方ちょっと過剰になりすぎてる、例えばその9時10時まで小学生がいわゆる塾に行っていることが果たして正解なのかみたいなところ、それで感受性が高まるのかまた別の話で、
ここはまたやっぱり議論というか変えていく余地はあるなとは思いました。
そうですね、上手いやり方はあるのかというときもありますけどね。
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私は中学時期は教えてる身なので、今のルールの中で教えつつも、でもそれだけじゃダメだということで、私自身も変わっていかなきゃいけないし、それが楽しみではあるなという感じでございました。
AI教育とかも私はやってみたいんですけど、そんな背景もいろいろあるので、いろいろ迷うとこはありますよね。いつAIを紹介するべきかみたいな議論でもつながっていく。
確かに。
いろいろ考えらせるトピックで。
はい。
本日は以上にしたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。