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2026-01-17 14:04

AI時代のキャリアと教育について、暇な大人が本気で考えてみた

AI時代って言うけど、結局どうしたらいいのか。暇だったので、キャリアと教育について本気で考えてみました。

AIが得意な仕事、もう人間がやらなくていい仕事。
それでも残る、人間がやったほうがいい仕事。

需要と供給、感情やコンテキスト、教育のあり方。
学習塾の現場にいる立場からの、雑考と仮説の共有です。
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サマリー

AIの進化に伴い、キャリアや教育のあり方に大きな変化が求められています。このエピソードでは、雇用の需給関係やブルーカラーの仕事の需要の高まり、さらにはAIが理解できない感情や非言語情報の重要性について考察されています。AI時代における大学の役割や教育のあり方についての議論が展開されており、特に人との交流や多様な知識の共有が学びにおいて重要であることが強調されています。

AIとキャリアの変化
はい、マモです。いかがお過ごしでしょうか。今回は、AI時代というけれど、どうしたらいいの、というのを自分なりの仮説をもとにちょっとお話をしていこうと思います。
ここ最近、暇でして、これ仕事中も含み暇でして、時間はあるけれども、何かしたいこと特にないなっていう、ちょっとした行き詰まりを感じている時期がありました。
というか、現在進行形なんですけれども、そういった時に何をしていたかというと、ともかく暇なんで、YouTubeを久しぶりにずっとダラダラ見てたんですね。
で、見ていた内容としては、結構ビジネスで成功されている方とか、有名な方がどんどんAIが今進化しているけれども、そういった時代で、AI時代で、こういうキャリアとか、あるいは大学を含む教育ってどうしていけばいいのっていうような対談動画をひたすら見ておりました。
で、そういった情報を、そういった動画を見る中で、自分なりの仮説っていうのもおおよそ立ってきたんで、ちょっと微暴力的にお話をしていこうかなと思います。
まずキャリアですね。雇用、キャリアの話をしていきます。雇用ですよね。
で、AI時代の前に、そもそもキャリアを考える上で、一番大事なのが需要と供給の関係ですよね。
需要はめっちゃあるけれども、供給が少ないものというのは、自然とそれを供給する人はめっちゃお金がもらえますっていう経済の当たり前な仕組みで、一方で需要はそこまでないけれども供給がめっちゃあるっていうものだと、やっぱり一人当たりにもらえるお金、企業も含み多く、少ないっていうので、需要・供給の話を、場合によってはその需要全然ない、でも供給があるってなると、
供給する人の一部を切るっていうのは、普通にあり得る選択になると思うんですよ。
そういったことを考えると、AI時代のキャリア、要はAIが何をもたらすかっていうお話からすると、需要・供給、要はいらない仕事、なくなる仕事っていうのが見えやすいかなっていうふうに思います。
前置き長くなったんですけども、じゃあAIが何をもたらしているかというと、言われたことをやるっていうことですよね。
例えば、こういった票を作ってほしいとか、こういったプレゼン資料を作ってほしい、今日の会議の議事録まとめておいてとか、あるいはこのプログラム書いておいてっていう指示役が誰かいて、それをただ言われたことをただやる。
それはプログラミングだろうが、資料作成だろうが、あるいは他のこともですね、例えばライターとかもそうですよね。
こういうふうに書いておいてもそうですし、そういったオンライン上で、ウェブ上で完結する言われたことをやる仕事っていうのは、どの領域でもAIがもう強いというか、もうAIに勝てないと。
ってなると、例えば内勤のデスクワークで、事務職とかですね、ただプログラムを言われた通りに書いている人とか、そういった仕事っていうのはもういらなくなっているよね、いらないよねっていう感じだと思うんですよね。
アメリカのテック企業でリストラが、黒字リストラみたいなのが行われているようなんですけれども、それも多分自分はよく詳しいことはわかんないですけれども、そう言われたことをただやる人はもういらんっていうことですよね。
今までは住人係でいろいろ言われたことをみんなで手分けしてやっていたものが、もうAI一つで大丈夫だよねってなると、自然と雇用もそういった職種の雇用は少なくなるし、あるいはいらないしっていう事象が今アメリカで生じていて、日本もその流れは来るだろうねっていうお話でした。
じゃあ一方でどういったものが需要が高まっているか、あるいは今のところは人間がやるかっていう話であると、まず一つは身体性が伴うものですね。
それはブルーカラーの仕事がちょっと給料が上がっているっていうのも、おそらく高度な技術を伴う互換を使わなきゃいけないもの、配管工の修理とかそういったものはやっぱり給料が上がっていると。
それは単純に今までみんなホワイトカラーの仕事ばっかりやっていて、ブルーカラーの仕事をみんな避けていたと。
その後、必然とそのブルーカラーの職種で働く人が少ない。でも需要っていうのは高まり続けているってなると、供給している人のお金は会社も含みお金が入ってくるって事象が生じているという感じですね。
だからブルーカラーへの転職っていうのが増えてきているらしいですというアメリカでですね。日本ももしかしたらその流れがすでに来ているかもしれません。
あとはですね、コンテキストの理解と感情の取り扱いですね。
このコンテキストっていうのは文脈で、文脈で把握しなきゃいけないものってあるんですよ。
例えば私の仕事が今学習職員に勤めていて、内容としては科目を指導する講師、生徒、保護者の間に立っていろいろわちゃわちゃする仕事なんですよね。
生徒の受験をプロジェクトとして、一応プロジェクトマネージャー的なポジションでいろいろ動くわけなんですけれども、結構そこで大事なのがコンテキストの理解なんですよ。
代表例として親子間ですよね。よく親子で正直な話、関係があんまり良くないよねっていう家庭もちらほらいるんですよ。
そういった親子間の間に立って、修復するというか、改善していくっていう仕事もあるんですけど。
これは資本主義的には全くお金発生してないんですけれども、どう考えても親子関係を修復しないと、改善しないと受験そのものもうまくいかないよねっていうケースが多くあるんで、入るしかないんですよね。
その時に大事なのがコンテキストの理解なんですよ。
例えばどうしてお母さんはお子さんに対してこんなことを思っているのかっていうのも、目の前の事象だけ見ていても全然わからないんですよね。
でもこれまでのいろんなお話を聞くとか、その話をしているお母さんの声の大きさ、トーンとか、非言語情報とかも踏まえて、多分こういう風な事象が生じて、
その時にこんな解釈をしたから今こんな考えなんだなっていうのを理解する。これなかなかAIじゃ難しいんですよね。
というのも親御さん自身が言語化できる部分とそうじゃない部分っていうのがあるからですね。
AIはあくまで言語化できるものはちゃんと処理できる。だからオンライン上のみはできるけれども、どうしても非言語情報ですね。
身振り、手振りとか、声の大きさ、トーンとか、そういうなかなか言語じゃ読み取れない部分もこちらを踏まえて状況を理解しなきゃいけないんですよね。
で、よくあるのが三者面談で親、子供、あるいは科目講師どうする講師でみんなで同席をして面談する時の何気ないその非言語情報っていうのを私は大事にしているんで、
それがないと感情も取り扱えないし、状況理解もできないからですね。
そういったものはやっぱりまだAIじゃできないんで、そういう人の感情を汲み取るとか、あるいは非言語情報を汲み取って何か対処するとか、
あるいは非言語情報を言語化するとかっていうのはやっぱりまだ人間に分があるなという風な感じなので、そういった仕事ですね。
要はエッセンシャルワーカーとかまさにそれをやっている部分だと思うんですよ。
医療、福祉、教育とかですね。そこもやっぱり一定数残るんじゃないかなっていう風なお話もありました。
あとは伴奏サービスですね。コーチングとかもそうだし、あとは結局人間は意思決定ですね。意思決定判断、もうそこです。
要はAIいろいろ聞くけど最終的にどうするか、プロジェクトをどう進めるかっていうのは人間が判断して意思決定をすると。
で、うまくいけば賞賛をあらべるし、もしうまくいかなければ謝罪するっていうのは人間しかできないんで、
こういった部分がやっぱりキャリア上大事になるよねっていうお話かなと思います。
ブルーカラーの需要
結局キーワード抽出しかしてないんですけれども、需要供給を考えてAIが雇用市場にどういったものを供給するかを考えると、
必然とやっぱり人間が今やった方がいいっていうものが見えてくるっていう感じですね。
だから感情感性的な知性を高めるのと、やっぱりコミュニケーション能力とか、あるいは非言語情報を汲み取るみたいな、
あとは身体性が伴うものに振り切るとか、そういったものが大事かなっていうふうに思いましたという話ですね。
じゃあそれに伴って、ちょっとだいぶ長いんですけど、教育がどうなるかっていう話ですね。
大学がいるのかいらないのかみたいな議論をしている動画を見たんですけど、大学自体いるでしょと。
ただ大学のあり方は変えないとねっていう話だと個人的には思っております。
例えばただ特定の学問を学ぶっていうことであれば、もはや大学はいらないと思うんですよね。
例えば経済学を学ぶとか物理学を学ぶっていう、もちろん実験が伴うものに関しては、やっぱり費用とか設備が必要になるので、
ただそれが大学じゃなきゃいけないのかって言ったら多分そんなことはないっていう感じなんですよね。
別にAIで学びますし、オンライン動画で学びますし、まあいるのかと。
やっぱり全大学とかも全部通信でオンラインで完結してるんで、それでもいろんなリベラルアーツを含む教養を学べるわけなので、
じゃあとなると大学に何の意味があるのっていう感じですね。
やっぱり一つはですね、人と人が集まってわちゃわちゃ話すっていうのが大事だと思います。
やっぱり学ぶって別に本を読むだけじゃなく動画を見るだけじゃないと思うんですよね。
あるいはこういった自分の発信も一つ学びになりますし、何よりも人と人と話して議論する。
いろんな知見を得るためにやっぱり人と会話するとか、それが大事だと思うんですよね。
しかも同じような学問を学んでいる人間ではなくて、いろんな学問を学んでいる人とわちゃわちゃするっていうのは結構大事だと思うんですよね。
だから物理学、法学とか生物学、数学とか宗教学みたいな、いろんな人が学んでいる人で話すことで何か見えてくるものもあると思うんで、
そういった意味では大学っていうのは大事だと思いますし、やっぱり大学含み教育機関っていうのは、
いろんな他種多様な人間と接する機会で良好な人間関係を築くとか、
変な嫌な奴でもわけ隔てなく関わる、人間力を高めるための場としては機能すると思うんですよね。それは大学に限らずですね。
だからずっと通信でひたすら一人で学んでいるっていう人間よりも、それもしつつも、
いろんな人と囲まってうまく人間関係を構築したり、いろんな人の考えを取り入れて自分の考えをブラッシュアップしたりっていうのは結構大事で、
それがやっぱり教育機関としての残る方法かなというふうに思いますね。
あとはやっぱり同年代で集まることに否定的な人もいると思うんですけど、やっぱり同年代で集まるからこそ、
その同じ年齢でですね、強み弱みとか見やすいと思うんですよね。
これがずっと大人の世界で入ってしまうと、自分の強み弱みが見えにくいと思うんですよ。
そういう意味でいうと、結局どんなジャンルでも自分より強い人って大人であればいるんですけど、
同じような学年齢であれば多分何かしら見えてくるんですけど、そういった点でやっぱり教育っていうのは大学では残るかなと思います。
教育の変革
大学以前の小中高のあり方においては、やっぱりその小中で学ぶことっていうのはやっぱり大事だよねと思います。
公立小、公立中で学ぶことですね。なんでかっていうと、リベラルアーツの母体、土台になるからですね。
結局最低限の言語能力とか算数の力とかがないと、やっぱり世の中の情報が何が何かわからないし、その面白さ楽しさっていうのはわからないと思うんですよね。
だから勉強をしないことによって多分自分が面白いと思えるものに出会う機会っていうのが圧倒的に少なくなるんですよ。
あと人と会話も成り立たないとかもあるんで、そうすると人間関係の構築が難しかったり、自分の興味関心を広げる、要は可能性を広げるっていうことが難しくなるんで、
やっぱり小中の教育っていうのはこのままいくけれども、ただの暗記詰め込み型だとやっぱりそんなのつまらないよって思う人が大多数なんで、
学ぶことそのものは変えないけれども、やり方っていうのは変えなきゃいけないよねと。
例えばオンラインでインプットはしますと、あとは学校に来てもアウトプットだけです。問題を解くとかじゃなくて、誰かに教えるとか誰かに教えてもらうとか、みんなで議論するとか、
そういった場に学校はシフトしないと面白くないよねと。一つの問題を掘り下げるみたいな、いろんな問題をただ覚えさせるっていうだけじゃどうしても面白くないんで、
あり方は変えなきゃいけないけれども、学ぶ内容そのものっていうのはやっぱり大事だよねっていう話だと思います。
高校でやることはですね、個人的にはそんなにやらなくていいかなって思いますね。自分も高校数学とか全然わからないですからね、でもこうやって生きていけるんで、
ただ小中、中学校まで学ぶ内容に関してはやっぱり知っておかないといろいろきついなって思います。高校数学とかっていうのは興味がある人がやればいいかなと。
大人になっても学べることは学べるからですね。そういった感じで、やってることそのものよりは、あり方っていうのはちょっと変えなきゃいけないなっていうのが教育の話だと個人的には思いましたというお話です。
だいぶ長くなりましたけれども、以上で終わります。最後までお聞きいただきありがとうございました。それでは良い一日をお過ごしください。
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