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トーク・オン・キャノピー 〜羽休めの建築雑談
このチャンネルは、大学の時でそれぞれ 建築家の仕事に携わるマキ、シュン、トッキーの3人が、毎回一つの日常のテーマと建築の設定を探りながら雑談をするトーク・バラエティです。
本日のテーマ、シュン、よろしくお願いします。
はい、お願いします。今回は、建物と建築というタイトルでいこうと思います。
一緒じゃないですか?
感じですよね。
ちょっとこれは結構なんか、深めのテーマかなと思ってて、我々建築を仕事とする、携わる人間として、建築って言葉があるのと、前言葉と建築の話だけども、言葉が分かれてるってことは何か違いがあるんだろうというところなんですけど、
建物、一般に、普通のいわゆる建物としての建物というか、何て言うんだろうな、と建築として建物を作る時っていうのが、微妙に違いがあるんじゃないかな。
まあでもこういうこと言うと、建築家の人たちってちょっと変わった、透かしたこと言うからちょっと苦手みたいな、一般の人もいると思うねん。ちょっとよくわかんないみたいな。建物は建物でしょみたいな。どういうことなのみたいな。なる人も多いと思うから思うし、あと我々の中でもちょっと意見違うかなみたいな思ってるところがあって、
なんかどんな感じで捉えてるというか、今までの流れからすると結構最初のね、第0回エピローグ回とか、間違えたプロローグ回、エピローグだと終わっちゃう。プロローグ回とかからすると、日常の至る所に建築ってあるよねって話をしてるから、それすなわち建物イコール建築ってことではないのかとか。
そこがイコールとして考えていいのか、絶対に切り離したほうがいいのか、どっちともいいのかみたいな話なのか、みたいなところをざっくばらんに議論したくて、2人にとって建築っていうものは何をもってして建築と呼ぶというか、何がないと建築じゃないよみたいなのありますか。
そういう質問の仕方か。
でも全然純粋に何が違うかってところから入ってもいいよ。建物と建築って、そもそも建築ってこうだよねとか、全然自由でいいんだけど、建築って何?みたいな。
いやー、そうだよね。
哲学みたいなところだけど。
まず建築するって言うよね。
建築する、わかる。それね、話そうと思った、今回。
建物するは言わないけど。
そうそうそう。
動詞になり得る行為なんだよね、多分ね、そういう意味で言うと。
まきさん全然不意に落ちてない顔してますけど。
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どういう切り口にするかでかなり定義変わるんだろうなと思っていて、難しいのは、建築を作った時にそれの建築の意図とか、
なんかステートメントも合わせて出されるのが建築じゃないかとは、なんか最初の印象では思ったんだけど。
なるほど、これなかなかむずい、むずいポイントですね。
建物にステートメントとかがないかって言われたらちょっとあれなんだけど。
なんかこう意味みたいなのを持たせなきゃいけないみたいなこと、なんていうかコンセプトがあるかないかみたいなことではない?
コンセプトがあるかって言うと、その普通のいわゆる建物みたいなのにコンセプトがないことになってしまう。
それは違くて、作った側とか発信する側が何か意味とかステートメントがあった状態で出されるのが建築かなとは思った感想です。
でも結構それ難しくなってくるよね、なんていうか。
確かに。
例えば今マキがさ、独立してすぐ初期の頃にやる仕事とかっていうのはさ、内装の設計とかで主に最初の要望通りに作るってところがまず一つ大事。
その中に自分の持っている意図的な部分を忍び込ませるというか、うまく反映させていくっていう努力をするわけじゃん。
でもその最初期とかで自分自身もそこまで影響力のある建築家になれていないときに、それが叶わないことだって全然あるわけじゃん。
実現できなかった自分の意図みたいな。
その実現できなかった自分の意図は建築ではないのかっていうところにつながるのかなって思うよね。
おもしろいね、それ。
アンビルトとかもそうだけどさ。
でもアンビルトなものってアンビルトな建築呼ぶよねっていう。
確かに。建物はきっと実在してるんだろうね、必ず。
建築は概念として。
建築は概念。
概念ね。これもまた世間一般の人から叩かれそうなワードで出た概念みたいな。
建物は使われてる人とか日常的な風景とか含めて建物で、建築はできた具体とか形そのものとかを指すのもできるのかな。
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形そのもの。
それ理性感性みたいな話と近い?
理性的に捉えられるものが建物で、感性的に捉えられるものが建築みたいな。
逆かなと思うけど最初の定義が違ってるのかもしれない。
スタートがね。
建築はもっと。
最近の各界でちょっと話題になっている説明可能性みたいなところが、
マブケにとっては実は建築に一番大事なんじゃないかみたいなことになってくる。
そうだね。私のスタンスだとそうかもしれない。
これはこのためにあるものだっていう大義こそが建築を形作る大黒柱みたいな意味合いに聞こえた。
なんとなく。ちょっと言い過ぎかもしれないけど。政治家のスピーチ。
どう?それは。ちょっと言い過ぎ。
大義じゃなくてもいいとは思う。
ある建築が持つ影響力が大衆全土に響き渡るみたいなことまでは諸手抜しじゃなくて、
ものとしてある理由があるぐらいで留めてはいるんだけど。
自分の中でこういう意味を持って作ったものだっていうのがちゃんと整理され得るというか。
なるほど。
設計者の中に立ち現れるもの?建築というのは。
そうするとさっきトッキーが言ってたみたいな概念になるかどうか。
でも概念的な要素っていうのは強いとは思うんだよね。
良くも悪くも。さっきちょっとやゆする感じで俺は言ったけど、
結局概念って大事なんだよなっていう。
そのものを作っていくっていう意味においてもさ、何かを計画するみたいな時に、
概念的なところを無視して、ただ機能だけをリズムで詰めていくような設計の仕方を我々はしないじゃん。
機械じゃないからさ。車作るんだったらそういうのするだろうけど、
でも車にもデザインをそこに付与するみたいなさ。
その時に全体として形を表してくるみたいなさ。
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建築においても同じで、建物としての機能的な側面とか要件みたいなものを携えながら、
何かが建築にさせるんだというふうに俺はちょっと思うんだよね。
なんとなく俺個人の考え方としてね。
建物がたくさん見えるとは言うけど、建築がたくさん見えるとは言わないよね。
むずいな、確かに。たくさんあるものではない。
じゃあ、つい最近閉館っていうか終わったけど、
閉幕した。
万博は建築がたくさんあったのかな。
建築がたくさんある。でも建築がたくさんある状況だけど、そういう表現ってしないよね。
まあ、そうかも。
多分建物がたくさんあるっていうのは風景の表現。
でも建築がたくさんあるは風景の表現にはならないと思う。
どういう言い方をしても。
でも名建築が立ち並ぶみたいな言い方はありえるんじゃない?
あと名建築とは言うけど、名建物って言わないよね。
言わない。
その言葉の違いで言うとね。
なんか違いがあるはずなんだよね。
それがなんかむずいなと思って。
でも建築っていう言葉はそもそも新しい言葉。
新しい。
なんか建築学科っていうものが日本のそういう大学に学問として取り入れられたときって、
多分日本には建築、アーキテクチャーかな。
アーキテクチャーっていう概念はなかったと思うんだよね。
そうだね。
歴史的に言うと、そもそもは帝国大学の工学部ってところに造花学科っていう名前で、
家を作る学科と書いて造花学科ですね。
っていう学科があったのを、
その造花学科にイギリス人建築家のジョサイア・コンドルっていう人が教鞭を取りに来たことによって、
その人が伝えたものとして、西洋ではアーキテクチャーという文化になっていて、
そもそも大工の仕事だったりとかは違うものなんだっていうことを伝えてくれたから、
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そのときに学科名を変えて建築学科ってものが作られたという歴史があるみたいな。
だから、新しいっていうわけではないと思う。
ただ、アーキテクチャーっていう概念自体っていうのは、
日本に入ってきたのが遅れているだけであって、
アーキテクチャーっていうものの歴史としてはかなり古い、もっと全然長い歴史があると思うんだけど、
でもなんか、これ言語的な話だけどさ、
アーキテクチャーと建築って翻訳されているけれども、完全に同じ意味を持つわけじゃないと思う。
だから我々は建築ってものを考える意味があると思う。
そういう意味で言うと、ときが言うように新しい概念、入ってきた概念かなっていうのは思う。
もうちょっと歴史的なところ深掘りすると、
そもそも日本っていうのは建築家っていう仕事はないんですね。
ずっと大昔、大工とか頭領さんの文化、建てる人メインで、
それがどんどん進化していった社会だから、
それを設計だけする人っていうのが別にいなかったね。
昔は大工さんが自分で図面を描いて、木割りっていうある程度のシステムっていうのを構築して、
それを元にして、こうやって建物を建てて、
このぐらいの大きさの家が必要だったらこのぐらいのものを作ればOKじゃいっていうのを書き書きしながら、
それをそのまま建てるっていう形でやってたのが、
明治維新とかが起きて、西洋の文化入ってきて、みたいなことの流れの中で、
建築家っていう仕事がまた入っていく。
いうなんかこう違いがね、ありますね。
きっと彫刻的、彫刻的っていうか、違うな、職人的なんだよね。
日本の中の建築っていうか、
その日本の中でできてた建物は、
どちらかというと職人技としてできていってた。
まあそうだね。
やっぱ西洋とかだと美学的なところ、側面をすごく感じるのかな。
そういう側面はもちろんあると思う。
でもこの建物と建築の違いみたいなのを話すときに、
そしたらその大工文化の中で作られた、
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日本の伝統建築、自社物学、建築ではないのかって。
だからこれかなり難しい問題なんだけど、さっき増加学科の話とか挙げたのは、
確かにその増加ってものから建築ってものに、概念自体をアップデートするために、
その学問領域の中で学科の名前を変えて、新しい領域を作って、
そこを深めていこうって流れがあったことのように、
それまでの家をただ作るって行為と建築って行為が別物だっていうふうな認識は、
歴史的にされてんだと思うんだけど、
かといって建築って概念が入ってこなかった、
てか来る前の時代の日本の建物の中に建築はないのかっていう、
難しい問いに入ってくるんだけど、
私たちはあれを建築って言うよね。
建築って言う。
伝統建築。
日本の。
日本の伝統建築とかって言うよね。
それは私たちが現代に生きていて、
現代に生きているからこそ、
現代に生きているからこそ、
持っているフィルターで昔の建物を見ているから、
そういうふうに思っているだけ。
確かにね。伝統建築という言葉自体新しい。
それまで何て呼んでたんだとかね。
いろいろ歴史の部分で言うとかなり深まりそうな話だよね。
建築だと、ちょっと話戻るかもしれないけど、
建物のある1個の建築とかを想定していないというか。
建築という言葉が建物1つを表す言葉じゃないってこと?
建物が1個の建築物を想定していない言葉としてある気がしていて。
建物の方がもっと広い言葉なんじゃないかってこと?
そうそう。建築って言った場合には何かを指定しているというか。
なるほどね。建築の方が固有性があって、建物って言葉はもっと広くいろんなものを指す言葉で。
ベンズで言うと建物の方が外側にあって、建物の中に建築があると。
なるほど。
なるほどね。
じゃあそこを分ける何かっていうのは何なのかである?後は。
すごい難しい問いだけど。
でもなんとなく設計している側から言うと、
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自分が設計したものを建物って言われるのちょっとなんか親ってなる感覚はあるじゃない?
そこはむずいよね。
そこはちょっと言語化は難しいけど。
そうなるとエゴなのかみたいな。
建築っていう言葉が。
というか、その区分みたいなのがさ。
マキが言うのめちゃくちゃ分かんない。
我々がやってるのは建築だぞっていうプライドが自分の中に絶対にあるのよ。
ある。
だからといって建物と何が違うんですか。
いい建物作りましたね。その建物いいですねって言われたらカチンとくる自分がいるのよ。
この根幹には何があるんだろうってことは、我々は考えなきゃいけないなって思うんですよね。
ちょっとねこれね、パート2行きたいです。
じゃあ一旦ここで。
今回いろいろ問題提起をバーっとしてみて、いろいろモヤモヤって感じで話してるけど、
またさらにモヤモヤ続くと思うし、解決しないと思うんだよねこれ。
答えは出ないと思ってて。
そうだね。
答え出なくていいなって思ってテーマを出してるんで、
ちょっともっといろいろ考えたり、こういう別視点で考えてみたいとかをしていきたいです。
ほい。
ので、じゃあとか言って。
じゃあ次回に続きましょう。
次回に続きましょう。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。