第6回 言葉と建築 Part2
2025-10-27 27:56

第6回 言葉と建築 Part2

前回に引き続き、「言葉と建築」の関係性を考える回です。

かたい話からくだけた話までいろんな切り口でテーマについて考えていきます!


・ミース・ファン・デル・ローエの言説「おしゃべりしないで建てろ!」について

・建築家/設計者の説明責任が大きくなってる

・美術における「キャプションと絵画」の関係と似てるかも

・建築家にも感性的/理性的なタイプに分かれる

・合意形成しながら建築を建てる時代?

・我々はこれからの建築の新しい時代区分を作れるか

・ネットやSNSが変えた建築の表現

・詩的な「建築の見立ての手法」について

・「透明感のある空間」ってちょっと不思議だよね

・いろんなテーマに細分化できそう!

・ピン芸人鈴木ジェロニモ「水道水の味を説明する」も参考になるかも?

・建築はあらゆるものに接続できるコンテンツ

・シュンは言葉、マキは感性、トッキーは自由

・「羽休め」が流行るかも?


などなど、前回よりはラフな雑談なので、気軽にお聴きください。

感想

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トーク・オン・キャノピー 〜羽休めの建築雑談このチャンネルは、大学の同期で、それぞれ建築関係の仕事に携わるマキ、シュン、トッキーの3人が、毎回一つの日常のテーマと建築の接点を探りながら雑談するトークバラエティーです。
はい、本日のテーマ。
よろしくお願いします。
本日のテーマ、シュンお願いします。
本日のテーマは、前回に引き続き、言葉と建築をやっていきたいと思ってます。
よっ、パート2。
パート2。ちょっとね、話しきれなかったっていうよりは、元々結構話したいことがちょっと多かったのと、
前回の一番最初に話したけど、結構このチャンネルの根幹に関わる部分かなと思っているので、ちょっと時間取りたいですって言って、パート2まで伸ばしてもらっております。
はい、たっぷり話しましょう。
でね、ちょっとね、最初ちょっと固いところから入ろうかなと思います。
ちょっと前回も触れた、この言葉と建築っていう、エイドリアン・フォーティーさんの本のところからちょっと話したいこと一個あって、
ちょっとこの本自体ね、めちゃくちゃ面白くて、それこそなんかこう前ちょっとテーマ考えようの時に言ってた、言語と建築みたいなところにもちょっと通ずるところだと思ってて。
そうなんだ。
結構面白いんだけど。
この中でね、一個ね、ちょっとね、衝撃受けた言説が一個ありまして、ミース・ファンデル・ローエという、我々の中では超有名な、一般の方ももしかしたら普通に聞いたことあるレベルの超有名建築家。
1900年代後半ぐらいの時代にすごい活躍した建築家なんですけど、この人が言った言葉が結構序盤から取り上げられてて、おおって思ったのが、おしゃべりしないで建てろっていう言葉がね、残してるらしいんですよ。
これはなんか我々からすると若干耳が痛いところかなって思っちゃうようなことなんだけれども。
ホットキャストの意義を考えてしまう。
何かっていうと、そのモダニズムの時代っていうのは結構その言葉を使って建築をなんかこういろいろ表していこうみたいな動きと同時に、それに反して建築っていうのは言葉では話せるようなものじゃないよねっていうのが建築界というか、
これまでの人間の歴史の中でずっとある一つのテーマなのね。
なぜかっていうと、この本の中にもなんかこうちょっと同じようなことが書いてあるんだけど、古代から言われてたこととして、建築っていうのはまず理性的な側面と感性的な側面があると。
03:07
前回マキが言ってたような言葉とちょっと近いですね。
近いと思う。
それはなんか我々も仕事してると感じるところだと思うんだけど、すごくきちきちと整えていって論理立てて考えていく部分を作る側としてはもちろんあるし、逆にガッとちょっとイメージ、イマジネーションから作って、それが一番いいものだってなる場合もどちらもある。
それはなんか多分感じる時も同じで、この本で書いてあったことでめっちゃ面白いなと思ったのが、言葉とドローイングの違いみたいなところにもちょっと触れていて、ドローイングっていうと絵が描かれていて、例えば建築の説明をするダイアグラムみたいなものとか、あとはパース、中から見た時にこういうとか、みたいな絵で表現する場合と言葉で表現する場合とどちらもある。
言葉によって理解するっていうのは、なんかこうシークエンス的というか、順番順番にこの部分を見たらこうだし、この部分を見たらこうだしっていうのを重ねていく行為だと。
逆にドローイングっていうのはその絵全体の中から、どの順番で別に見てもいいしなんだけど、ガーッと訴えてくるものが無限にあると。
で、そのどちらも建築の本質みたいなところを全て表すことができないけれども、そういうちょっと性質の違いがある。
で、言葉だけでこれを表そうとするってこと自体が、そのすごい理性的な捉え方、場所場所で捉えていくような形になるから、なんかそれじゃ表しきれないよねみたいなことは古代からあるテーマらしいのよ、らしいというか。
それは芸術とかにもおいてもそうだし、それとちょっと関連して建築においてもそうと。
そういうことも含めて、おそらくミス・ファンデル・ローエは、喋ることに注力するよりも設計して建てることに注力し、それで人を感動させるみたいな、ちょっと厳格な考え方というか、それが設計者の仕事だろっていうことが言いたいんだと思うんだけど。
一方でこれを読んで結構衝撃的だし、ちょっと耳が痛いなとは思ったけども、なんか時代の違いもあるかなとは思っていて、今って誰でも自由に発言ができる社会っていうのができてるわけじゃん、SNSとかが普及して。
誰でも自由に議論できる状況っていうことが、建築に対して新しい何かを生む可能性があるなっていうのをちょっと思ってるから、ここに対してのお二人の考えとかも聞きたいなと思って。
06:02
一個触れようとしたのは、最近の建築家が作るものがコストが高くなっている理由もあって、昔は素材とか物が持つプロポーションとかで勝負できてたものが、
今は物と物のぶつかり方とか、その収まりだったりとか、あとはそれがなぜそうなっているかを説明することに注力、言葉によって説明するもそうだけど、
そういうような流れに変わってきてるみたいな、大まかな流れとしてあるなと思っていて、それは良い意味でも悪い意味でも、言葉主体の今流れになってきてるなっていう印象はすごいある。
そうだよね、なんか説明責任というか、みたいなものが強まってんのかなっていうのはちょっと思うね。
一方で、美術館とかのところで結構いやいやされるのは、絵を見るんじゃなくてキャプションだけ見てるみたいな。
キャプションを見に美術館に行くのかとか、たまに見るのかとか、それに片足組み込んじゃわないっていう心配もちょっとある。
説明が建築の主体になってきてた。語られることでその建築は良いものが見られる。
言葉ありきでいいしかなって。
たぶんさっきのピースの話のおしゃべりしないで、縦論長くきてて、
喋るよりも、純粋に形とか、メイクでそのシークエンスの体験の部分をもっと感動的なものにしたい。
確かにね。説明、この前それこそ、今の職場に新しく入ってきたスタッフがいて、
前別の事務所にいたんだけれども、そこの事務所でちょっともやった経験みたいな話してくれて、
そこは2人トップがいる事務所で、2人ともタイプがちょっと違うと。
片方は結構感性的に物事を捉えていて、こういう建築が良い空間になると思うんだよねってところで、
どんどんどんどん飛び抜けるアイデアを出していくと。
もう一方でパートナーとしてもう1人いるトップが結構理性的な考え方で、説明可能性をいつも追求してしまうと。
いろいろ形のスタディとかをしている時にも、アイデアを持って行って店に行くと、行く時に言葉とセットで説明すると。
09:09
だから3案とか作った時に言葉と模型、言葉と模型、言葉と模型で出した時に、形はこれが良いんだけど説明これが良いよねで、説明が良いものになることがあるんだって。
これならコンセプトをちゃんと説明しきれるし、筋が通るっていうところを意識して設計する人もいると。
でもそれって本末転倒だよなみたいなのはすごい思うのよね。
ちょっと分かる気がして。
うちの事務所の、事務所出て卒業して1人やってる店主さんの人とかの中にも、合理的に今、店主がなっている物の使い方とか、空間の設定の仕方とかが説明できることが良し。
説明可能性だよね。
あと、世の中の流れとして言語化能力みたいなものに着目されすぎてる感じもする。流れとしてね。
言語化能力がすごいみたいなさ。
なんかそっちに恥じりすぎてもなっていうのはあるよね。
だからどっちものバランスみたいなのは建築においては大事だなっていうのがありますね。
確認していく時の。
トッキーがずっとシンキングタイムに入ってる。
どうですか、トッキー。
純粋に、さっきしゅんが言ってた、おしゃべりしないで立てろっていうミス・ファンデル・ロエの言葉を聞いた時に、
はいって思うのか、おしゃべり大事だろうって思うのか、
論理的にはみんなどっちなのかなっていうのがちょっと気になって。
反と刺さるし、反反。
みんなと刺さってはいる。
俺は結構反対派。
おしゃべりした方がいいでしょ派。
おしゃべりしない。
俺個人的には、俺自身が喋りながらアイディアを考える人間だから、
そもそも喋るって行為が設計の中に俺は含まれてるから、
俺は喋りながら立てるよって、もちろん立てるよって思っちゃう。
その上で越えていくよって思う。
なんかちょっと話が若干ずれる、おしゃべり、会話の方になっちゃうかもしれないんだけど、言葉っていうよりかは。
12:07
なんか今の建物っておそらく、
例えばミス・ファンデル・ロエとかが生きてた時代より、建物自体がちょっと複雑だよね。
それは建物が機械化してってるからだと思うんだけど、
なんかそういう意味では、あとやっぱりその面と、
あと多様性尊重みたいなことにちょっとつながるのかもしれないけど、
話し合って、なんかお互いを理解し合いましょうとか、話し合って、なんかみんなで作りましょうみたいなことが、
結構良しとされてる時代なんじゃないかなって、今ちょっと印象的にはあって、時代の印象的にね。
だからこそ、なんかその、おしゃべりしないで立てろっていうのが、今の時代に合わない。
なんかこう、時代感が若干ずれる感じはあるよね。
あと、この言説自体が、そのミス・ファンデル・ロエの、それこそ言葉のトリックの一つだけど、
この言葉を残したからといって、ミス・ファンデル・ロエが本当にもう黙って設計だけをしろって意味で言ってたかどうかってところも、我々は多分同時に考えなきゃいけなくて。
そうだね。
うんうん。そこが結構言葉の難しさでもあるよな。
そういう意味でもちょっと言葉と建築。
だから我々もなんかこう、一生懸命建築を説明しながらこういうものを作りましょうって、話していくことはもちろん大事なんだけど、
それを話した時に、本当に我々が考えている裏の裏、隅の隅、全てのことを言い表せるかっていうとそうじゃないっていうのも、一つ言葉の持つ性質なんだよなみたいな。
それで言うと建築物自体を建てるっていうのは、最終的に建ったものっていうのは、本当にそのすべてをはらんでいるものになるべき。
本当にその純粋にね、前回ちょっと話したことと逆にちょっと反対にはなるけれども、何もなんかこう言葉みたいなことを知らずにパッと見た時の印象、その空間の印象みたいなものが実はその建築の本質だったりとかっていうのもあるよねとは思うのね。
結構なんかその、両側面もちろんあるなとは思いつつ、ただ時が言ったように、こう話しながら作る時代でもあるよねと。
だし、まあ理解してもらうってことが結構重要な側面もあるよねっていうところで、
なんかその時代性の違いとか、それによって生まれる建築の妙みたいなのを考え始めると、この建築の歴史の一番最新、これからの時代の建築、建築の時代区分って何だろうみたいなことにも繋がりかねない話だなって思ってるんだよね。
15:09
モダニズムの時代っていうのが、そのもともとさ、その様式、ごめん、ちょっと歴史の話になるけど、様式で作られてた建築っていうのが、そういうなんかこう、いわゆるちょっと古代っぽいやつね、イメージね。
そこからちょっとこう抜けて、建築を作っていこうよっていう時に、この形とか空間とかデザイン、秩序、構造みたいな言葉を用いて説明されたことによって、モダニズム建築っていうのの時代が始まってるんじゃないかっていうのが、この本に書いてある仮説なのよ。
だからその前の時代との違いとして、新しく言葉を生み出して、何々様式だからどうだとか、こういう様式だから、こういう様式が強いんだとかそういうんじゃなくて、形とか空間とかデザインで、建築ってものを語りましょうよってなったことが一つ、時代区分のきっかけになっていて、
それに対して、喋ってばっかりいないで建てろよっていった、ミス・ファンデル・ローエの存在とかもあるし、そういうちょっとこういろいろなディスカッションがあったんだと思うんだよね、その時代の中でね。
今の建築の時代区分っていうのが、おそらく定まってないと思うんだよね。定まってないというか、新しい時代の区切りっていうのが、モダニズム・ポストモダン以降、生まれていないっていうのは、我々はもっとこう議論して、建築の今作ってる建築、何が新しくて、前の時代と何が違うんだってことは、もう少し話されるべきかなっていうのは、
こちらの建築関係者側に対して、俺がなんとなく思うこと。批評とかもね、ちょっとこういろいろなんかお互いにもっとやっていって、なんか今ってこうだよね。今こういうの新しい。それが新しい建築作って社会を変えるよねっていうのは、もっとなんか話したいよなぁとは思う。ごめん、すごいなんかちょっと真面目な話しちゃった。
受け手側の問題もあるかなと思って。SNSとかは必ず写真だけじゃなくて、その発信の中で、なんか原説が追加されたりとか、それの説明に関してちょっとトリッキーな説明の仕方をしてる。
うんうん。
必ずその昔のモダニズムの中で、建築が体験されてたものと、ソーシャルメディアの中で、建築家、写真とテキストが両方セットで走っていくみたいな。
18:11
それを多くの人が受け取るってなったときの、発信の伝達のしやすさだったりとか、受けの良さだったり。そういうところにも影響されてる気がするなって。
発信、発言しやすさが時代によって違う。で、発言の方法も絵とセットで発言できるみたいな状況が今まで、なかなか新聞紙とかはそうだけど、その媒体自体が変わってきてるってことだよね。
うんうん。
これはメディアと建築ですね。
いいね。メディアと建築、超やりたいね。
また新たなテーマが生まれました。
いつかやろう。
言葉のトリッキーさみたいな言うと、前回のあそびと建築の際に、見たての手法みたいな話がちょっと出たけれども、それでちょっと思ったのは、建築の見たての手法みたいなで言うと、結構何かに例える。
うん。
ワード解説のところにアカレサンスイの話をちょっと出しておいたんだけれども、日本にはもともとそういう文化、文化的にもそういうのあって、何かになぞらえて、メタファーとして出していくみたいなところも、なんかこう、なんか時代性あるのかなとか思った。
時代性というか、まあそれは日本ではずっと前からやられてるけど、建築業界全体でそれ今ってやられてるよねというか、なんかこれみたいな、なんかこう海みたいな空間にしようとかさ、島みたいな場所を作ろうとかさ、それ実際には海じゃないし実際には島じゃないんだけど、空間の捉え方としてそういうちょっとメタファー使ってるみたいなのは、なんかこの自由に言葉使っていいんだってなったことによる、なんかこういろいろなちょっとこう押し上げられてるものがあって、
逆にそれがパッと聞いたときに、なんかそれに慣れてないとちょっと聞きづらいとかはあるのかなとかね。
情景をなんか詩的に表すみたいな話なのかな。
そうそうそう、詩的にというか、何かに例えるみたいなのって多分昔はなかったんじゃないかっていうのが、この本読んでて思ったのよ。
デザインの説明をするときにも、それこそ例えば柱が細いからこうです、屋根が分厚いからこうです、みたいな説明が多分、なんかそれこそ昔までだったら建築の説明になり得たんだけど、
今ってそれらのいろんな技法みたいなのを複合的に使って建築を作るから、柱細くして、屋根も薄くして、存在しないようなものにすることによって、透明感のある空間にしますみたいな。
21:11
透明感のある空間って、そもそも言葉としてさ、空間って実体はないから透明じゃんみたいなさ、でも我々としては結構自然と受け入れられる、透明感のある空間って表現があるじゃん。
みたいなところは、なんかこういろいろな手法を組み合わせて、それらを一様に表すメタファーを使って建築を説明するみたいなのは、なんか最近、最近というか、我々建築始めた頃にはもうすでにあった流れだけど、一つの流れとしてあるかなとかは、なんかね、思ったんですよね。
そんなに小難しい話じゃなくとも、もっと感覚で感じる建築もあるはずなのよね。
そうだ。ちょっと設計者側の話というか、あとは、あまり声があまりない、建築があまり太い人とかでも感情的な話だというか。
それを建築見てどう思うかみたいな話も、どこかで補足できたらいいかなと思いました。
言葉と建築はまだまだ、他のテーマをもう少し大文化して、さっきのメディアと建築じゃないけど、メディアに乗ったときの言葉としてどうなるとか、
あとは実物の建築を見てどうやって健康化していったい、いろいろ発生が全然できるのがいいテーマだなと思います。
あとね、ちょっとね感性的に捉えるみたいなところでいくと、一個ちょっと例を挙げておきたい、絶対話したかったことがあって、
ピン芸人の鈴木ジェロニモっていう、ジェロニモさんって人が出してる動画が結構面白くて、一時期ちょっとバズったんだけど、
水道水の味を説明するっていう動画を出していて、それが水を含んだときの自分の感覚とかっていうのを、いろんな言葉にしてみるっていう試みなのね。
すごいね。
で、我々がやろうとしていることってこれに近いのかなとも思うのよ。
建築の味を説明するじゃないけど、建築っていうのが世の中に普通に自然とある。
で、ぱっと見たときに何感じるかっていうのは人によってもちろん違うんだけれども、感じたことを言葉にしようとしてみると、もっとそれが見えてくるっていうところはあると思ってて、
水道水は別に味があるって思ってなかったじゃん。みたいなのを、味ってあるよねって説明してる動画なのね。
この聞いてくださってる方もお二人にもぜひ見てみてほしい動画で、あ、そんな言い方あるんだみたいな。
24:08
で、結構やろうとしていることはこれに近くて、当たり前に存在するもの、そこに味とか細かい何かみたいなのがあると思われてないものに対して、言葉をつけていくことで気づきが生まれるっていうのが、結構このチャンネル全体としてやる意義としてはあるかなと思ってるんだよね。
言葉って一口に言ってもなんか文字に書くのか、声で聞くのかみたいなとこあるけど、ポッドキャストだとちょっとこう音で発信していくっていうのがメインにはなるかなと。
結構作る系のテーマはいいかもしれないね。
うん、そうね。なんかね、結構多分それ回深めていった時に、なんかこう特別回みたいなの作ってもいいかなとは思ってる。
でも結構その説明しようと思うと、こうフォーカスポイントは絞っていく感じじゃん。
でも結構、これ聞いてもらう人からすると多分接続点を増やす方がいいのかなと思ってて、雑談としてやる意義としてはそこかなと思ってる。
なんかこうレンジをどんどん広くしていくというか、これと建築もつながるみたいな。
建築ってもともとレンジがすごい広いじゃん。
そうだね。
接続点がいくらでも何ともつながるというか、テクノロジーとかもそうだし、そういう芸術系もそうだし、社会ともつながってるし、お金の話もそうだしみたいな。
いろんなこととつながってて、防災とかも含めて考えた時に、あらゆる職種とあらゆる生活とつながりうるっていうのを、なんか言葉にしていくみたいなことが、
建築に対して興味を持ってもらって、建築について話したくなる人を増やす。
それが前回の一番最初に話した建築雑談ネイティブな社会に向けての、なんか我々が一番なんかちょっとこう貢献できるというか、社会貢献じゃないけどさ、
普通に我々も楽しくて喋っててやってるから、我々にも楽しいし、まあハッピーハッピーな状態だよね。
だからまあ、そうマキが言ってくれたみたいにこのテーマ自体ね、またやりたいなっていうのもあるんだよね。
なんか別のテーマにも全然つながりそうだし、テーマごとの連感もね。
まあそんな感じ?ちょっとめちゃくちゃ喋っちゃった。
あの、俺がテーマあげた回だからさ、この2回分俺めちゃくちゃ喋ってるけど、聞いてる人に喋りすぎだよって思われそう。
しゅんは言葉をいっぱい持ってるっちゃ持ってる。
言葉に対してね、なんかねセンシティブというか、すごい日頃からすごい考えちゃうのよね。
言語学の本とかよく読むし。
しゅんは言葉の人だよね。
言葉の人だね。
マキは感性の人だと。
うん、わかる。
トッキーは?
27:00
トッキー、トッキーは、なんだろう。
なんだろう。
トッキーは自由な人。
トッキーは自由な人です。
本日はいかがでしたか?
マキさん。
マキさんいかがでしたか?
またなんか、どこかに飛び立てそうなテーマだと思いました。
なんか新しいバリエーション、結構いいね。
あの、熱い議論した後はそれなのね。
羽休め奥義で言いたくなるから。
羽休め奥義。
ここ一番つらい。
でもこの前ね、あれだよ、友達にざまたまった時に、
今週まだ羽休めしてないわって言われたよ。
羽休めが結構浸透してるから。
これからも広めていきましょう。
じゃあありがとうございました。
ありがとうございました。
27:56

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