長々とまとまりのないメールを送ってしまい申し訳ありません。
またのんびりと聞かせていただきます。
田辺さんの好きな料理、ご飯。
昔好きだったのは、祖母が作ってくれたフキの煮物です。
ということでございます。
ありがとうございます。
大切なお便りだなと思って、読ませていただきましたよ。
なんか食事、栄養補給になってるなって、
ただの栄養補給になってるなってことって、
私は結構あって、
サンドサンドすべてがおいしそうで、すべてが満足。
満足っていうか、なんていうんだろうな。
自分が食べたいものを食べているかって言ったら、全然そうじゃなくて、私はね。
だからなんか、田辺さんのメールを読んで、
全部がわかるわけじゃないんだけど、
そういうときもあるよなっていう感じで読んでた。
僕もね、これ味覚障害なのかな。
なんかちょっと舌がずっと変な味してるときがあって、
それもストレスなのかな。
絶痛症みたいに言ったりするらしいんだけど、
それが2、3か月続いたときがあって、
ずっと味変だなみたいなのがあった時期があって、
そのとき食べれてはいたけど、そういうのがあったのと、
あと妻氏もたまにちょっと味覚障害っぽくなるというか、変になるときがあって、
そういうときによく話すのは、
おいしく食べれてたものはおいしく感じれない。
すごい作業みたいになっちゃってる。
それがちょっと悲しいみたいな話とか、よくすることあって、
きっと似たような話なのかなと思ってるから、
便り読んでても、そういうのめっちゃわかるよなって。
しかもおいしく感じれていた記憶があればあるほど、
ちょっと悲しい話でもあるよなっていうのもすごいわかりますね。
昔、自分だと子供の頃だからな、
自分は給食が全く食べれないって話もしたかもしれないんですけど、
でもほんと給食、ストレス、今思うと一時的な挙食症っていうか、
体が受け付けない状態になってたから、
毎日給食があるから学校行くのやだなと思ってて、
朝起きたら、給食があるみたいな。
体育があるみたいなイメージで運動苦手な方が。
でもほんとに給食が原因じゃなくて、他のことが何かあって、
給食が食べれないっていう順番だったと思うんだけど、
それが給食が置き換わっちゃってたの、最初って。
その時はほんとに口に入れるともう吐いちゃうみたいな、
そんな感じだったから。
その食べれない悲しさみたいなのはね、
ちょっと違うけど分かるような気もするなと思いながらね、
飲んでましたけどね。辛いですよね。
今は割といろんなものを美味しく食べれてると思うんだけど、
それもそれでというか、たまにこれ考えるんだけど、
食べることって結構プログラムっていうか、
慣性って、慣れの方の慣性だなって思うことあって、
前向きに食べたいって思って食べてるわけじゃなくて、
ただお腹が空いたら食べるものだから食べるっていうプログラムで、
なんかやってるだけな気がするんだよ。
それがただなんとなく今普通になってるだけ。
なんかの表紙にそのプログラムが書き換わることってあるなって思ってて、
お腹が空いても食べなくていいとか、
食べたくなかったら食べなくてもいいとか、
お腹が空くっていうこと自体に鈍くなるとかっていう時に、
パッとプログラムが書き換わっちゃって、
そのままになっちゃうことって全然あるなっていうか、
誰でも起こり得ることだなっていう気は、
ただ今なんとなく食べ続けてるだけなだけっていうか、
な気がするなって思ってて、
そういうことって起こり得るよなっていうのはめっちゃ思いますね。
お腹が減るのもさ、
栄養をとるタイミングだよみたいなお知らせじゃん、
身体が必要としてて、
その反応として脳にお腹空いたぞってなって、
食べろよっていうのがあるわけじゃん、サインとして。
そういう意味では、
身体が必要なかったらもしかしたらそうなるかもしれないよね。
お腹空くってこと自体なくなるかもしれないし、
身体じゃなくて気持ち的にさ、
栄養をとらなくていいかっていうのが作用して、
お腹減らないとか食べなくていいみたいな状態は、
あったりするかもねとは思うよね。
このたなべさんがさ、
ここにこういうお便りを送ってきてくれたっていうのも、
勇気のいることだったんじゃないかなというか思ったりして、
すごく2年ぐらい前から、
たぶん仕事だったりプライベートだったりで、
いろんなうまくいかないことだったり、
ストレスかかるようなことがいっぱい起こって、
まずはその養生というか、
そこをケアするって言うと変だけど、
大事にしてもらって、
食べるっていうことが今回テーマだと思うんだけど、
全然やる気なくなっちゃうこととか、
よく話してるけどさ、ここでも。
まったく起き上がるのきついみたいなときあるっていう話をしてるじゃない?
本当に何にもしたくなくなっちゃうときとかがあって、
そういうときに、
何にもやらなくていい自分を許すみたいなことのほうが大変だと思ってるのね。
だからそれをこぶして、
起きるためには例えばUber頼んでみるとかっていうのもあるんだけど、
全然まったくそれも何もきかないみたいな状況のときに、
その状態を許すっていうことをやってるわけですよ。
何にもできないし、
昨日できてたことができないみたいなことに対する、
許し、自分でね、みたいなことをどうやったらいいんだろうってなったときに、
わたくしの愛するスタジオジブリの魔女の宅急便のですね、
ウルスラさんがですね、
キキっていうね、ご存知かわかりませんが、
魔法使いの少女がほうきを使って飛んでたのが飛べなくなっちゃうってなったときに、
ある種スランプ状態になったときに、
ウルスラの山の森の中の家に行って、
彼女のアトリエをたずねるんですけど、
そこで、そういうちょっと不調になったときに、
どうするの?ってキキはね、言うじゃないですか。
そこでウルスラが、書くのをやめるって言うんですよ。
あの言葉が大好きで、
彼女は画家で、書くっていうことに対して、
いっしょけめい取り組んでいる。
でもやっぱり、やんになっちゃうこともある。
そしたらもう、書くっていうことをしないことにする。
そこからちょっと離れてみる。
で、他のことをやっているうちに、
また書きたくなったりする。
そしたら書く、みたいな。
そういうことを、私の場合は、
そのシーンをたまに思い出して、
あ、やめてもいいときあるな、とか、
できないときに、できないことをから離れる。
離れるというか、まで聞いてないことをせめる。
自分から離れる、みたいなことでも、
すごくその言葉に助けてもらうことがあって、
なんかちょっと、たなべさんのお話を聞いていたときに、
うるすらの言葉が思い出したので、
お話ししてみました。
そうね、たなべさんも。
食べなきゃいけないものとかは、
お便りの中にもあるようにあるのかもしれないけど、
食べなきゃいけないリズムというか、量とかあるのかもしれないけど、
どうか無理せず、ゆっくり、自分のペースで、
ということも同時に思いますね。
あとさ、お便り読んで、ちょっと僕、思ったことあって、
ちょっと今の話からはずれるんだけど、
そういえば、僕、食べるのが好きで料理してるわけじゃないさそうだなって思って、
いや、食べるの好きではあるんだけど、
食べるのが好きかっていうと、そうじゃないっていうか、
ちょっと表現難しいんですけど、
今僕が料理してるのって、
食べることよりも作るのが好きだからだなって思ってて、
その結果として食べてるだけっていうか、
で、多分その作るのが好きなのが、
下手くそでも面白かったりしたところから、
この番組スタートしてるなって思っててさ、
美味しいものをたくさん食べたいとか、
食べるのがとっても好きなことを共有したいわけじゃなくて、
僕の興味って結構作るところに向いてい続けてるな、
この数年って思ってんのよね。
だから美味しいものを食べたくて作ってるっていうよりも、
作ってるときにあれ、これ美味しくなっちゃいそうだなって思ってることが楽しいっていうか、