樹木医の活動とセミナー
おっすおっす、おはようございます。
こんにちは、こんばんは。
こだまこまちプロジェクトのもおちゃんでございます。
いつもはライブ配信でお届けをしているんですが、
今日もおちゃんは1日を通して予定がぎっしり詰まっておりますので、
収録を前もってさせていただきまして、
これを日付が変わったら配信をするというような運びにしたいと思っております。
どんな予定があるかというと、
まず、きょうは樹木医のセミナー・研修があるんです。
樹木医というのは、木のお医者さんのことなんですね。
高知県は森林率83%といって、
県のうちのほとんどが森で囲まれているんですが、
この樹木医、木のお医者さんがなんと10人程度もいないと。
しかも活動をしっかりとされている方が、
もう片手で数えるぐらいしかいらっしゃらないということで、
今、高知県は樹木医というのを増やそうとされているんですよね。
モーちゃんは、自然再生師という自然のお医者さんとして活動しているんですが、
この木一本一本をどのように生かしていくのか。
例えば、五神木なんかが立っている神社があって、
その五神木もかなり木の年齢が上がってきちゃっていて、
もう朽ちてしまいそうだなと。
そんな木をどのように生かしていくのか。
はたまた、しかるべき処置をして切っていかなきゃいけないこともあるかもしれない。
倒れたら危ないからね。
そんなことを判断をするのが、この樹木医という仕事だったりするんですね。
あとは、庭木。
いろんな方々のお庭に生えている木の診断をさせていただいたりするとかね。
駐車場をここに作りますってなった時に、この木は切るべきか切らないべきか。
駐車場を作ったらこの木たちにどんな影響があるのか。
なんていうことを診断をすることが樹木医としての役割になります。
もうちゃん自身はそういうこともしているんですけれども、
改めてこの樹木医という一つの資格ですね。
これを目指していきたいなと思っておりまして、
高知県で明日から開催をする2週間に一度あるセミナーがずっとあるんですね。
すごいですよね。
そしてですね、さらにその後には東京から僕のお客様が高知県にいらっしゃるということで、
おもてなしをしたいと思っております。
なのでですね、本当に一日を通して凝縮された、ぎっしりと密度の濃い一日になるかなと思っておりまして、
ライブ配信をね、途中で30分とかするなんてことがなかなか難しいかなと思いましたので、
本日は収録とさせていただいております。
料理と薬膳の考え方
前置きが長くなりました。
本日の話は、昨日に引き続きお料理の話をしようと思っているんですね。
今もうちゃんは自然のお医者さんをさせていただいておりまして、
この大地、地面がどうやったら元気になるのかとか、
草たちにとって嬉しいことって何なのだろうかなんていうことをですね、
本当に考えながら哲学を深めながらやっているわけです。
実践を日々日々させていただいているわけですね。
そしてお米を作ったり、お野菜を作ったりさせていただいているこんな中でですね、
もうちゃんはその自分で作ったお料理、野菜食材ですね。
自分で作った食材を通じて、自分でお料理をしていくということをやっているんですね。
もうちゃんは薬膳師として活動をしていることもありまして、
しかもその薬膳というものは現代ではですね、
スーパーに行けば何でも買い揃えることができるので、
本当にその人の症状とか状態に合わせて、
この効果、効能を食材を選んで作っていくなんてことがあるんですけども、
もっともっと元を立たせば薬膳にもこんな考え方があって、
やっぱり旬のもの、この季節のものが一番エネルギー量が高いよねなんていうことがあって、
さらにもっと言うならば、
ここからはちょっと薬膳の世界からさらに飛躍をするというか飛び越えるんですけれども、
この自分自身の目の前に現れた食材こそが、
自分が今日食すべきものなのではないかということなんですね。
だからもうちゃんの周りにはですね、極端な話、野菜はめちゃくちゃあるんですけれども、
お肉というものがないんですね。
鶏を飼っていればですよ。
お肉にさせていただいていただくなんていうこともするでしょうけど、
もうちゃんは鶏を飼っていないと、牛も飼ってない、豚さんも飼っていないということになってくると、
お肉をいただく機会が本当にないんですよね。
でもただ釣り糸を垂らせばですね、
引っかかってくれるそんな魚さん、お魚さんたちはですね、
さばかせていただいて自分たちでいただくとか、
あとどこかで獲れたですね、猪や鹿のお肉、そういったジビエと言われるようなものはですね、
巡り巡って僕たちのところにお裾分けされることが結構ありましてね、
そういうものはですね、もうちゃんたちはありがたくいただこうということにしているんです。
それが目の前にやってきた食材たちなんだということなんですよね。
そんな感じがあって、僕が提唱しているのは風邪の薬膳というものなんです。
興味がありましたら昨日の放送も聞いていただけたら嬉しいです。
本日はですね、さらにそれを一歩、また押し進めた考えを話させていただきたいと思っております。
今日もですね、お料理の話をさせていただくんですが、これが正解というわけではないということです。
料理の文化とその意味
もうちゃんは一人の実践者であり、そして研究者であるという立場なので、
やりながらですね、これがいいんじゃないか、あれがいいんじゃないかということもどんどん考えているということです。
例えば昨日お話をさせていただいたものの中には、おき火という考え方があると、
炭とか焚き火をした後に炎、火に残るその灯火というもので調理をするというのが一番食材にとって安定した温度なんだと、
火加減なんだということがあって、それをガス台で表現をするにはどうすればよいのか。
それをですね、ガスコンロがあって、そこで弱火、中火、強火、それをパチッと合わせて、それで作ってしまえばそれで良いのかというのではなく、
しっかりとこの火を見て、火の芯の高さですよね。
これをよく見てですね、フライパンに触れるか触れないか、そして触れないというところでですね、調理をしていく。
これが家の中で作ることができる、ガス台で作ることができるおき火なんだということで、
もーちゃんをやらせていただいているわけです。
こんな感じでですね、風の薬膳というのは、自然っていうものをすごく意識をしてやらせていただくものなんですが、
さてさて、今日ですね、結論めいたことをですね、一言でお話しするならば、
料理というものはこれまで、もーちゃんたち、人間たちに食材を合わせていくものだった。
しかしその逆であって、その逆もやっていこうねと、その逆もですね、もやっていこうねと、
つまりもーちゃんたちが食材たちに合わせていくっていうこともしていこうねっていうようなことをお話しさせていただきたいと思っております。
今日の話は全部これに対して一貫したものになっていくと思いますので、よろしければ最後まで聞いていただけたら嬉しいです。
本当にね、このね、料理の手法が美味しいかどうかって言われたら、そうじゃないかもしれない。
僕たちの口には合わないね、なかなかなんていうことは本当にあるかもしれないんだけども、
だからこれはやりたい人はやったらいいと思うんですけど、これはもーちゃんの中での一つの哲学であって、誰に対しても当てはまるものではないよということです。
そもそも料理って一体何なのかというと、自然を僕たち側に寄せてくるという営みであるということなんですよね。
このままでは食べられない、もしくは食べにくいものを刻んだり、火を通したり、味をつけたりすることによって、
もうちゃんたち側、人間たち側に寄せておいて、そしてそれを食べやすくするという営みがこの料理です。
料理というのは火を使います。火を使うということはここに文化というものが生まれてくると。
文化というのは人が作ったものなんですよね。料理というものはまたは文化とも言うことができるのではないかと思います。
この文化である料理は人に寄せてくるということなんですね。
一体なぜそんなことをするのかというと、人がグルメだからとか、人が美味しいものが好きだからとか、
せっかく食べるんだったら美味しく食べようよとか、そういうことで始まったものではないということなんですよね。
人って健康的に見えて頑丈に見えて、実はとっても繊細な生き物でございます。
というのは皆さんもわかるかと思いますね。
お料理というものは何のためにするのかというと、一言で言うならば人間にとっての外部消化なんですよね。
外で消化をするということです。
干し草だとかさ、さまざまな穀物とかをさ、生のまんま牛さんたちはもぐもぐもぐもぐします。
もぐもぐするんだけど、一回自分の中の胃に入れたものをまた吐き出して、また口の中にまた戻してですね。
また飲み込んで次第2の胃袋に入れるなんていうことをどんどん繰り返し第3第4とやっていくというようなことでですね。
どんどんどんどん胃袋によってね、そのすりつぶしたり溶かしたり柔らかくしたいろんな役割があって進んでいくというものなんです。
だから動物たちっていうのはすごく食事をする能力が高いんですよね。
でも人間たちっていうのはなかなかそうはいかないと胃袋が一つしかないし、わざわざうっと言ってね戻してまた飲み込むなんていうことってすごく苦しいじゃないですか。
だからそんなことはできない。だからどうしたかっていうとここで人間の知恵文化が働くんですね。
自分の体に入る前にできる限り消化をしておくというようなことなんですね。
柔らかくするとか細かくするとかですね。
それからそこに味をつけるとかですね。
そういうことをしていただくなんていうことです。
だから本当に縄文時代なんかまで遡るとですよ。
その縄文土器っていうのは煮たきをするものに使われたなんて言うんですね。
煮るっていう行為ってどういうものなのかっていうとですね。
煮ると炊くって微妙に違うんだっていうことをここで押さえていただきたいんですね。
煮るっていうのは何か出汁だとか醤油だとかみりんだとかお酒だとかそういったものを入れてその中に食材も入れてことことこと加熱をする。
これが煮るなんですね。
炊くってどういうことなのかというと味付けっていうものは煮の次であって多くの場合ただの水を入れるんですよね。
醤油とかみりんとか酒とかそういうものを入れるということではなくとにかくお湯を入れるということです。
水でやっていくってことです。
たまには出汁を入れることもあるんですけれども。
出汁なんていうのはほのかに味がつくぐらいですよね。
味のベースですけどね。
なのでしっかりとした味をつけるためにやるのではない。
炊くというのはあくまでこの食材を柔らかくするとかね硬さを取るとかそういうことによってために使います。
お米を炊くっていうことは炊くっていうのは非変に血石の血を書くという字を書くんですよね。
書くという字を書く。
なのでこれは何かを失わせるっていう意味なんですよね。
火を使ってそれは硬さを取る。
料理の本質
お米はあのままじゃすごく食べにくいから炊くことによって硬さを取ってそして僕たちは食べることができるようになる。
そこに何かね強い味をつけるということはないですよね。
まあねたまにこのね今度は備蓄米がですね今日からどんどん出されたっていうことなんですね。
5月31日か昨日だから昨日から出されたということですけれどもそれはちょっと古いお米だからもしお米の香りが気になるのであればお酒と一緒に煮るといい煮るで炊くといいよなんていうことを呼ばれたりしますよね。
これの場合も炊くですね。
お酒を持ってお米の香りを消すわけですからこれも書く炊くというものでいいと思うんですよね。
まあまあちょっと話が行き過ぎましたけれども。
こんなことをしてですね味付けも去ることながら僕たちがいただきやすいように体の中に取り入れやすいように形を作り変えるというのが料理だったわけですね。
だんだん時代を減ることによってですねただお湯で炊くだけではなく塩を入れてみようで塩美味しいじゃん塩で炊くとか塩で煮るっていうことで美味しいんだってことになってきます。
塩は味付けのために入れるとしたらですね。
さらに醤油で煮るといいよねみりんで煮るといいよねみたいな話がどんどん出てきて煮るとか炊くというようなことがあるわけですけれども。
まあね味をつけるということよりももっと前にあったのは自分たちの外部消化のためにあるんだよということなんですよね。
で僕の薬膳の哲学で大事にしていることは自然のまんま自分たちの体の中に取り入れるということです。
っていうのはどういうことかというと弱火で調理をする強火でやるということはそれは命を失ってしまうような温度になってしまうことがあるということなので。
猛ちゃんは強火はまあまず使わないですねこれはねチャーハンを作る時もそうだしそれから何か野菜の炒め物をするとか野菜炒めとかを作る時にもまあまずですね強火というものは使わないですよ。
でまず弱火でじっくりじっくりやっていってでもそのままだとちょっとね水分が多いかなーって思います。
弱火でやっていくとだんだん野菜から水分が溶け出していくと出てくるとそうなった時にちょっと強火を強火というか中火ぐらいまで上げるんですよね。
中火ぐらいまでさっとやってそしてその水分をパッと飛ばしてそしてまた弱火に戻すというような形でやらせていただいています。
こうやって食材をいたわるみたいなことをですねさせていただくと食材本来の味っていうものが残るような僕は気がしているんですね。
食材のこの生命エネルギー生命エネルギーのことを身というふうに言うんですけどこれが残るような気がしておりまして猛ちゃんはそういう哲学でやらせていただいております。
だからこそですねありとあらゆる局面において猛ちゃんたち側に寄せるということもやりながら猛ちゃんたちが自然である自然の恵みであるその食材側に僕たちが歩み寄っていくっていうことも必要なのではないかと思っているんです。
そこで今日お伝えしたいことがですね2つあります。一つはフライパンのとか鍋とかをするときにどのように食材をその中に入れて収めていくのかということです。
そしてもう一つですねもう一つは本当あれですねもう一つはですね切り方ですね食材の切り方フライパンの中での調理の仕方そして食材の切り方です。
切り方の重要性
3つにしましょう。そして最後の一つがお皿へのこのよそい方ですね。この3つをお話しさせていただけたらと思います。順番としては切るそれから煮込むとか炒めるとかそしてよそうということなのでまず順番として最初の切り方っていうものをやっていこうかと思います。
もうちゃんですねそうですね一番の理想って手で調理をすることなんじゃないかなって思っているんですね。しっかりと洗って清めた手でそのまま食材を触るということが一番いいんじゃないかと思うんですね。
っていうのは僕たちは包丁を使って何でもかんでも切っていくと思うんです。するとですね何が起こるのかというと断面が綺麗なんですよ。スパッと切れるんですね。でこのスパッと切れるのは悪いことではないんですよ。
もう本当にあのしっかりと尖れた包丁であってですね。そして包丁の使い方がしっかりと綺麗であの包丁ってよく見ると刃の部分が湾曲しているちょっと局面を描いているんですよね。まっすぐじゃない曲線を描いています。
この曲線を使ってこうねスーッと切っていく。まあそれがもしできたらですよ。食材側は切られているのかいないのかわからない。そんなぐらいになるんですよね。これねルローニ献身で言われてやってたものなんですけどこれすごいことなんですけど。
あのルローニ献身の主人公の氷村抜刀祭というのがいますね。その氷村抜刀祭の持っている相当酒刀というものが折れてしまう。その酒刀折れてしまったものをですね。
まあ直してほしいというか新しくその作ってほしいと思って行ったその鍛冶屋さんというかその刀屋さんというかですね刃物屋さんそこはですね。代々お父さんの代からですね技が受け継がれているわけですよ。そこはもう刀は作らない人を謝るための道具なんか作らないなんていう風に言っていて包丁を作ってるんですよね。
で氷村抜刀祭がその包丁を見てこれはすごいって言うわけですよ。それでその包丁で試し切りをするんですね。何だったかな大根だったかなスパンと切るんですよね。そしたらさすごいわけですよ。大根側は切られているか切られていないか気がつかないんですよね。
それでスパッと消えて分裂するというか分かれるんだけどでもその大根はまたピタッとくっつくんですよね。切り口を合わせるとまたくっついてしまうということでそれって大根にとって切られているか切られていないかがわからないくらい自然な流れで自分自身の体が2つに分かれたということなんです。
でこれはすっごく理想の切り方だなと毛ちゃんは思っています。包丁をですね手入れをしっかりと行き届かせてそして人たちでその野菜の細胞と細胞の間に刃を入れていく。
そのですね包丁のこの切っ先というかこの刃のですね刃の部分のきらめきこれはさえ渡ってるねーなんていうことを日本語では言うんですね。さえ渡るっていうのはなんかすごく頭がキレキレみたいなような感じなんですけど包丁でもこれさえ渡るって言うんですよね。
このねさえ渡ってるねーっていうこういう包丁が望ましいと毛ちゃんは思っております。ただそれってすごく難しいよねって思うんですよね。
切られているか切れているかはわからないというようなくらい切るときにですねすごく心を落ち着かせてそして呼吸っていうものというかそれを息を止めるというか気をためてですねスッとスッと切っていく。
力むこともなくスッと切っていくなんていうことがまず一つの理想です。まずこれができればいいと。だけどそれが難しかったりそうじゃない方がいいときもあるとそういうときには手を使う己の手を使うんですね。手はしっかりと水で清めてくださいね。
その清めた手を持ってですね食材をちぎるなんていうことはいかがでしょうかということですね。こう自然界を見ているとですね葉っぱとか枝とかがポキンって折れたりちぎれたりする場面っていうのがやっぱりあるんですね。そういう時ってどういう時なのかというと風が吹いた時です。
風が吹いた時枝がですね柔らかいところからポキッと折れるんですね。柔らかいというかもうここしか折れる場所がないっていうところからポキッと折れるんですね。その場所で食材をちぎっていく。
折っていくなんていうことはどうかなと思います。例えばほうれん草とか小松菜だとかそういうものをできる限り手でちぎっていくなんていうことをするということですね。あとですね豆腐なんかもそうなんですよね。豆腐をさ包丁でスパッスパッスパッスパッと切っていくじゃないですか。豆腐というものが自然界にあるかって言われたら。
それはないわけですけども。いくら大豆豆腐とはいえですね。自然界に豆腐がなっているわけではないんですけれども包丁で豆腐を切ってしまう。だけどこれを手を使ってちぎっていくとどんなことが起こるのかですよ。そうするとね断面がねガッタガタになるんですよね。断面がガッタガタになるとそこに味が引っかかっていきやすくなる。
これが毛ちゃんのですねちょっと理論というか哲学理論ですね。これはね表面積が広がっていくんですね。包丁でやった時よりも。だから味が染み渡る場所が増えていったりそのボコッとしたところに味がしっかり乗ったりする。でもそのちぎった豆腐っていうのはすべてが違う形をしているからどれがですね。
味わいが強くてどれが薄味なのかっていうことも不揃いです。不揃いなことが実はその料理って大事なのかなというか自然界では当たり前だよねっていうことを思うんです。
まあそれを均一にですねしっかりと菜の芽、サイコロの芽のようにですね切っていくなんていうことはありますよね。豆腐はありますよね。それがですねすごく舌触りが良くて美味しかったりもします。人はこれに慣れているのでこれを美味しいと思うんですけどもでも手でちぎって断面を出していくことが結構これは斬新な感じで。
食事が美味しいだけではなく楽しい。こんな味わいがある。同じ料理で同じ品なのになんかちょっと味わいが違うぞなんていうことが味わえたらすごく素敵なんじゃないかなと。そういうことを味わえる自分でいたいなとありたいなって思います。
こんにゃくなんかもそうでですねこんにゃくを手でちぎるって結構大変なんですね。ぬるっとしてて弾力もあって大変なんですけどもこれをですね包丁で切るのではなくよくあるかもしれませんけどスプーンでこうえぐっていく。そしてスプーンで一口サイズにえぐっていくと一つとして同じ形になるものはないんですね。
その同じ形じゃないっていうことがすごく大事じゃないかなと思っております。何話してんだろうね。よくわからなくなりますけれどもこういうことをモーチャーは大事にしています。だからね小松菜とかほうれん草とかもできる限り手でちぎりたいなと。キャベツなんかもできる限り手でちぎりたいなって思うんですけどこれ結構大変で力いるなーって思いますよ。だからやっぱり人間って包丁を生み出したんだなっていうことを感じます。
包丁で切るとめちゃくちゃ簡単なんだなっていうことをそこをもってようやく感じることができるので料理をする時に手を汚さないために包丁を使うんだっていうふうに思っているような感覚があったとしたらそれはそうかもしれないけどさらにですね言うならばまあ実はその手でちぎりにくいから包丁でちぎると切るとでも包丁で切るときできる限りスパッとやればいいよっていうね。
手での調理と不揃いの美
切られてるか切られてないかわからないくらい綺麗にスッと切れればいいよっていうことです。でも手でちぎるっていう意味もやっぱりあってそれは不揃いさを出すっていうことです。
手をちぎるときに何をイメージして欲しいかっていうと風になってほしいんですね。この風になるっていうこともまた自分自身が切られているっていうことを気がつかないっていうことでもあるんですね。これはね自然感の自然の解釈によって全然違うんですね。
例えばですね植木屋さんとか庭の木を剪定をしようってなるとこういう考え方が往々にしてあるんですね。それは断面切り口をしっかりとこうねまっすぐ切るっていうことによって木はですね再生が早くなるなんていうことを言います。
その方が傷口がスパッとしているから治りやすいよね。だから木にとって気持ちのいい切られ方っていうのはスパッとまっすぐ切ることなんだとこれはちょうど食材を包丁でまっすぐスパッと切ることなんですよね。
これに慌てはまるということですが毛ちゃんはこういう自然の見方も持っています。それはですねスパッと切られる切られた場所っていうのは早く治るこれって一体なぜなのかっていうと自然界ではなかなかない切られ方だからなんですね。
あ、切られちゃった。だから早く治そうって言ってそこを補修をすぐしてまたぐんと伸びていくというものがあります。これは自然界では慣れていない切られ方をしているからこそなんですよね。
だからまあそういうものではなく実は自然界では風というものがあると風がふわーっと強風のように吹いていく風っていうのはこう螺旋というかこうぐるぐるぐるぐる渦を巻いていくもので移動しているものなのでそうやってですね草とか枝はねじ切られていくんですねねじ切り取られていくんですねそこに断面はもうガッタガタなわけです。
スパッとした断面ではないかまいたちとかではないわけですからもうほとんどの風っていうのはそうやって断面がガッタガタになるということです。ガッタガタになると何が起こるかっていうとまあ先ほどの話で言うと傷口が治りにくいということなんですけど
もうちゃんのこういう見方で行くとですねあ風さんが切ってったのかいつものことだ大丈夫だじゃあ焦ることないよねって言ってびっくりすることもなくその再生っていうのがゆっくりになっていく木は木として植物は植物として落ち着いていられるよねっていうのが一つの自然の見方であったりします。
なのであの草刈りをする時とかってまっすぐの刃でピッと切るのではなくノコガマって言ってノコギリのようなギザギザした刃を持っているかまでザッザッザッって切っていくそうすると切り口がですね風でねじ切られたようになっていて草が伸びるのが遅くなるなんていうことが言われたりします。
まあいろんな自然感があるのでですねあのあなたの自然感が大事だと思いますので否定するものでは決してないんですけれどもまあそういうようなことがあるとでこれを料理の世界でも表現をしていくそうすると食材たちは風に切られたのか風にちぎり取られたのかというふうに錯覚をしてくれるのでだからこそ包丁でまっすぐ切るのではない手でですねいびつに切っていくっていうこともありなんじゃないかなって思っています。
ただこれね結構大変だしこれが美味しいかどうかと言われたらちょっとわからない時もある豆腐とかだったらいいんだけどほうれん草をガッタガタにちぎるのが舌触りがいいのかどうかっていうと必ずしもそうじゃないこともあるからだからね結構これはねまあ自分自身でいろいろあの試しながらやっていくのがいいと思います。
料理の基本
はいここ30分も経っちゃったはいで次ですね僕料理の話好きなんだな次鍋の中とかフライパンの中の並べ方ですねはいでこれもですね確固たる確証があって話しているわけではないんですけれども
よくですねまあまあ今回もそうでした僕は今山椒という作物を取り扱っているんですねその山椒をダンボールに箱に詰めてですねこう収穫する収穫あの集めることをするんですけどその時にですね熱をこもりやすく持ちやすくなってしまうと
ダンボールの中に入れておくとなのでもちろん余冷庫冷蔵庫の中に入れるんですけどもその時にですねダンボールの中どんな形になっているといいのかっていうと山椒ってパチンコ玉よりもちっちゃくてでも bb 弾よりはちょっと大きいようなそういうつぶつぶなんですけどもそのつぶつぶをですねダンボールいっぱいに敷き詰めたときにちょっと真ん中をくぼませるんですね
というか穴を開けるんですねするとですね熱を熱がですねそこからまあ逃げていくというかたまりすぎないみたいなことがあるとだから熱がグーッと上がっていくっていうことはすごくそう食物とか食材にとって自然界にとってすごくストレスを感じるんですよね
でそれを料理の中でも表現するとしたらフライパンとかですねそれから鍋というようなものでこの真ん中まあ一番ですね火がですねグーッと当たるんじゃないかというかまあそういうねその日の中心地をちょっと開けておくなんていうことをしています
一番冷えが火加減が一番強いとこだからそこに食材を乗っけたくなる気持ちがあるんだけどそこじゃないところにちょっと周りに寄せるとか避けていって真ん中をちょっとくぼませるような感じにしています
そうするとですよあの周りでですね寝せられた空気が真ん中からですね上昇気流になって上へと立ち上っていくような気がしましてそれでですね熱というものがこもりすぎないようになるんじゃないかなと思うちゃんは思っているんですね
ほんまかいなって感じですねまあこれはですね実はその風邪の薬膳というものですよさらにもっと言うならばまあインと洋食材のインと洋があってさあこのインの食材っていうのはまあだいたいこの根菜とかに多いわけですけど下に下に下に伸びていくもののように見えてですね
実は下に伸びていくんだけど芋とかから始まっているとですね実はこれ上に伸びていくわけですね何言ってるかわかんないですよあの芋とかって地面の中に植えるじゃないですか植えると上へと葉っぱを伸ばしていきますよね葉っぱを伸ばしてエネルギーを蓄えてまた根っこの方で新しい芋を作ったり新しいなんかその作物とかを作っていくわけですね
芋の作物体を作ったりしていくんですねだからどちらかというとインの食材っていうのはまあ土の中にある食材っていうのは上へと伸びていく力が強いとそういうものを下側に入れるもしもいくつもいくつも使うとしたならばそういうものを下の方に入れそして
そうですねあの 用の食材ですねそれは地面の上側にできるものです地面の上側にできる食材っていうのは上側にできるということは下側の根っこっていうものがすごくしっかりとしたいしたいしたいと伸びていって水を求めていくんですねそして体を支えていくんですね
だから用の食材というのは下向きの力が関わってくるので地面の上にある食材たちはですねだいたいその上の方に置くフライパンとか鍋とかで上の方に置いてあげてそしてその力をしたいしたいの力っていうものを見つけていくとこれ煮物とかするときってすごく大事でこれをね重ねに何という風に言ったりもするんですけれどもそういうような
料理手法があって僕はそれを参考にさせていただいたりしていますただですねもうちゃん自身それを最近すごくやってるかというとちょっとそうでもないところがありますっていうのは食材を様々なものを一緒にガッチャンコしてそれで新しいものを作り上げるのではなくその食材一つ一つの単体の味わいっていうものを引き出したいと思うからです
だからさ究極な話ほうれん草はほうれん草だけで食べられたらいいよねといただけたらいいよねと思うんですよね人参は人参だけでいただけたらいいなと思うんですよねそこに何かと卵を混ぜるとかさ何かと別の野菜を混ぜるとかそういうことではないじゃがいもはじゃがいもだけでいただけたらいいなって思っています
これ別に料理好き好きなのでどうでもいいんですけど誰がどんな感じでもいいんですけどももうちゃん思うのはですね例えばその中華料理すっごく食材多くないですか
例えば麻婆豆腐を作ろうって言った時にですよ豆腐は必要だしひき肉は必要だしねあと何ですかあの片栗粉は必要だしさあと様々な調味料ですよ豆板醤が必要だしさとかさで他にもいろいろ入れていくんですねもうちゃんはなんかのみかんの皮チンピと言われているねまあ小薬にもなる薬にも使われるようなそういうチンピなんていうのもそう入れたりもしますけれども
でもさすっごいたくさんの食材を入れなきゃいけないわけですよだからそれってすごくなんていうかまあ人別のものを人間の手で作っているよねっていう感覚になってきたので最近もうちゃん麻婆豆腐大好きなんだけど作んないで一つの豆腐は豆腐だけでしょ調理をするとかねひき肉はひき肉だけで言ったらちょっと難しいかもしれませんけれども
まあまあまあまあねえあとまあまあそうやってですねやってますネギはネギだけで食べられるようにしているみたいなそんな感じで一つ一つの食材で作れるようなものっていうのをやってますまあもちろん味付けをするのでお浸しをするならば醤油とかさそういうものが必要だよねーとか言ってほうれん草のお浸しにはほうれん草とを煮込んでそして煮込むとかちょっとまあ湯がいて
そしてそこに醤油の作ったですね醤油ベースの味に合いのあるところにポンと入れるというような感じでそして時間とともに時間結果とともにですねまあ自然に自然に味がついていってみたいなことを目指しています
装い方の重要性
はい2つ目のですねこの料理のまあ食材の並べ方とか食材の寝仕方みたいな話をさせていただきました
最後にですね僕たちの作ったものの装い方のお話をさせていただいて終わりたいと思っております
装い方ですね日本では古来からこれをですね装うことを飾り付けるなんていうことは言わないで盛り付けるというふうに言っていきました
盛りっていうのはですね盛るというのはこのこんもりと山高くするということなんですよね
お料理教室にもちゃんが通っていた時にはなるほどと思ったんですけどどんなに大きなお皿であったとしてもですねそのお皿いっぱいに料理を広げるのではない
それは美しくないよと言われておりましたそれよりもまあスパゲッティでも何でもですねすごく大きな平皿だったとしても真ん中の方に寄せてそこを小高い山を作るということです
山盛りにすると山ほんもりと山を作っていくとあとはもう重力に任せていいんだよというような感じでした
確かにそれはね思ったんですよね今振り返ってみると素敵な教えをいただいたなぁと思っております
もーちゃん今ですね山の中に住んでいるわけですけれども山というのは盛り上がっておりますよね
盛りというのは木がいっぱいの盛りでもあるんですよね盛り上がっている場所つまりそこは山であり
山であるということには日本では間違いなく木があるとだからそこの山イコール盛りなんですね
盛り上がってしかも盛り上がっているから盛りと言うんだよということですそれが語源になっていて
そしてその山の中にはですね人が立ち入ることができないような聖域があってそこは神様を祀る場所であったり
また坂坂道坂のですね
さというのは何かの境ということですから山のそのてっぺんというのはまた別の世界へ通じるものの入り口になっていくわけですね
富士山のさ話がありますけどもかぐや姫竹取物語のお話ではですね
あの富士山というのは月との入り口だったんですよね
最後最終的にね月の使者がさ富士山に降りてくるということであったわけですけれども月つまりまあ人がですね手に手が届かないような天上界ですよね
そこの入り口っていうのが富士山のてっぺんだったね
まあそこでですね
富士の薬を燃やしてしまったので
そこの富士山はそこから不死身の山ということで富士山ということになったというような逸話も残っているくらいですよね
まあそんなことがありまして
山というのはやっぱりその聖なる場所であり
そして人が立ち入ることができないような世界との入り口なんだよということです
だから山には時折神様がやってきて
そしてそこから僕たち下々のものを見下ろしてなんていうことをするわけですけれども
神様や仏様やそういった聖なる人たちがいる場所なんですよね
精霊とかもいるかもしれません
これをお皿の中に表現をしていくということは
そこになんかこう野菜たちとかね
もうそういったものに精霊が宿っているなとかですね
神様をリスペクトするような感じで
食材をリスペクトするみたいな意味合いが込められていくよねと思っております
いかがだったでしょうか
今日はですね
もーちゃんのお話は一言でまとめるならばですよ
料理の本質
料理というものは食材を僕たち人間側に合わせる営みであるが
逆に僕たちもまた食材に合わせていくものなのです
ということでした
そのためにですね
食材の切り方から始まって
フライパンやお鍋での並べ方
そしてお皿への盛り付け方
この3本をお話しさせていただきました
何を話しているのかもうさっぱりわからないようなことで
何の役に立つんだって思われるかもしれませんけども
ちょっとでも面白そうだなと思ったらですね
ぜひ試していただけたらなと思っております
いいねやフォローで足跡を残していってください
ということでお時間が来ました
最後にお知らせをさせてください
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こだまこまちプロジェクト
今ですね
メールマガジンが大好評始まっております
このメールマガジンは無料でございまして
もーちゃんがですね
ファンタジー作家としてのこのもーちゃんがですね
こだまこまちプロジェクトで日々日々考えていることとか
仲間たちと行ったミーティング会議の議事録めいたものをですね
ここでアップさせていただいております
はたまた今開発中のキャラクターのお話なんかもですね
載せていただいておりますので
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はいいかがだったでしょうか
エンディング
ということでお時間が来たので
今日はこの辺にしたいと思います
お相手はこだまこまちプロジェクトのもーちゃんでございました
またお会いできることを楽しみにしております
今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ
もーちゃんはこれから樹木医の研修会と
それからお客様をお迎えしてまいります
あなたとあなたの大切な人に
森の精霊の子が子が訪れますように