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こんにちは、アラフォーパパのたからんです。
このラジオでは、小学生の子供を持つアラフォーパパが、子育てと仕事を通じて感じてきた気づきをもとに、
子育て、働き方、理想の社会像まで、いろんな視点で考えていきたいと思います。
前々回の収録でですね、自分の子供が小学生の低学年の時に、
いろいろ学校が騒がしくて授業にならなかったという時の話を例に出してですね、
多動性とか発達障害とかみたいな、学校の授業にうまくなじめないというような子がいたとしても、
それは変に特別視するようなことじゃないんだよ、というようなことの趣旨でちょっとお話をしました。
お子さんの行動が気になるようなお父さん、お母さん、お父さんも、
そういう検査をするというのも一つ大事なことだと思います。
検査したとしても、そんなに悲観しないで、周りの子どもたちもそういう子がいても、
だんだんそれも一つの個性として子どもたちも慣れていくということを言ってね、
心配ないみたいなことを言ったんですけれども、
ちょっとだけ一日にしてですね、ちょっと考えが変わりました。
なんで急に変わったかというとですね、
ちょっと動画を見たんですね、
YouTubeで小学校5年生の女の子でADHDとASDの診断が出たので、
特別支援給に小学校で通うようになったというお話だったんですけれども、
その動画の中で支援給に行ってすごくやり方が、勉強の仕方が変わったことで、
すごくやりやすくなって勉強を分かるようになったというか、できるようになったというお話だったんですね。
もともと理解ができないという子ではなくて、勉強しようと思えばできるんだけれども、
大勢の30人から40人を一人の先生で一斉に授業しているというその環境に、
自分のやり方というか感覚が追いついてこなくて、しっかりこなくて、
感覚過敏になっていろんなことが気になっちゃうとか集中できないとか、
そういうことでうまく勉強ができないということだったらしいんですよ。
それが特別支援給で落ち着いてできるとか、
休憩も挟みながらできるとか、
あとは宿題なんかもただ漢字をノートにお手本を見て書きなさいというのではなくて、
お手本があるところにマス目に沿ってやるとか、やり方というのが違うらしくて、
そうすることで負担なく自然と学習ができると、どんどん吸収できるということができているという話だったんですね。
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それを聞いたときに、子どもにとっていい環境、いいことというのはどういうことなのかなと思って、
大人が勝手に決めちゃってこっちのほうがいいというふうに考えちゃっていたなというのが、
そういうふうに考えないほうがいいというふうに言っているつもりだったんだけど、
自分の中でも何か違う偏見というかバイアスがかかっていたなというふうにちょっと思いました。
ちょっとそういう特徴とか症状があったとしても、人として違うとか普通じゃないとかという、
省かれるものではないというのは最初から同じ考えなんですけど、
だから心配しないで同じ場にいていいんだよというようなことを、
前回の放送の趣旨だとそういうふうになっちゃう気がするんですよね、私が言ったのが。
でもそれはそれで間違っているわけではないと思いますが、
とはいえ、じゃあ今今そういう状態、環境がつくれない学校は30〜40人の一斉教育であるという中で、
その場にいいこと、それでいいんだよと言ったところでそれが改善されない現状があるのであれば、
その場に子どもを置くというのがいいことかと言ったら多分違うんだろうなというのを少し感じました。
だから検査とかして分かってというのであれば適切な環境にするというのが今は必要なのかなというのが
そうかなと思ったんですよね。
誰もが変な偏見なんか持たずにそれぞれ違いは違い、そこはそこが違う、僕はこう違うというふうに認め合って、
先生も一人一人にきめ細かくやる余裕があるというか人員があるというか、
そういう環境を持っていきたいと思いますけれども、今すぐそれをしろというわけでどうにもいかないから、
それであれば本当にちゃんと状況を見て調べて適切な環境でというのが大事だよなというふうに思ったんですよね。
だからそこで特別支援給というのはあったとしてよくて、
そこに行っているから特別な違う人というふうに思わなければいいだけなのかなと思いましたね。
別に普通級にいればいいというんじゃなくて、普通級にいない子だってそっちにやっているんだよというふうに、
でも娘そういうふうに言っているなと言っていますね。
自分のクラスに娘のクラスにもやっぱり同じように国語とかそういう一つか二つの算数とかという教科のときだけ支援給に行ってやっているけど、
他のは一緒にやったりとか給食を一緒に食べたりとかというのはこっちの同じ具材でやってという子がいてですね、
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そういうふうにやっているよというふうに、やっぱり普通という言葉はあまり好きじゃないけどやっているからそれでいいのかと思いましたね。
なんか親というか私の世代って言っちゃ悪いけど、私はやっぱり支援給で隔離されていてかわいそうって思っていたんだなというのがちょっと自分で気づいてショックでしたね。
ああ、おかしいな。そういう人たちを特別意識してかわいそうだなんて思わなくていいという言い方をしていたのに、
違う部屋に行っちゃいく扱いかわいそうじゃないかと思っていたのかな。
そういうことになっちゃいそうだなというのをちょっと思ったんですよ。あれ?って思ってですね。
支援給に行けてうまくできてよかったという動画を見たときにですね、
俺何も分かっていないなというふうにやっぱりちょっと思ったんですよね。
実際発達障害とかそういうことって私全然ちゃんとはまだ調べてはいなくてっていうのがあるんですけども、
ちゃんとそういうことを知ってどうするべきかというのを考えなきゃいけないなと思いました。
動画の中でも支援給に行くと高校に、普通高に支援給に行った子は入学できないみたいな、そんなような言い方があったんですよね。
ちょっと正確に今記憶できてないんで変なこと言えないんですけども、
でもそういうふうに制限がかかっちゃうという選択肢がなくなるという状況がどうもあるらしくて、
それはやっぱりちょっとおかしいよねって思います。
動画を見ている女の子を見ても娘と本当同世代で明るくて可愛くて、
ちゃんと適切な学び方をしてちゃんと理解もできているという状況なんだから、
違う選択肢しかないっていうのはやっぱりおかしいとはやっぱり思います。
そういうところをなくしていくところなんじゃないかっていう話ですね。
私も色々知らないことが多いので、しっかり勉強してどういうことをやっていくのがいいかなというのを考えていきたいなと思いました。
ちょっと自分の中の偏見というか、そういうことに気づいたかなと思った回でした。
今日も最後まで聞いていただきありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも新たな気づきのある一日となりましたように、
アラフォーパパのたかなんでした。
それではまた会いましょう。