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【ジェンダー】受け入れられないことと否定することは違う
2026-09-17 19:01

【ジェンダー】受け入れられないことと否定することは違う

セクシュアリティの捉え方が変わる、自分の感覚やポリシーは変えなくてもよい。この感覚がわかると世界が違って見えると思うんだよね。

話題に出ていたポッドキャストはこちらです
■ちゃんまりとめいのMellowing Coke
女子高生と考える性教育②
stand.fm
https://stand.fm/episodes/6aa38ceb7e32df002d37f008
Spotify
https://open.spotify.com/episode/6zduoYU2LA9vkksgn768s4

#性教育 #包括的性教育 #セクシュアリティ #ジェンダー #性的マイノリティ #LGBTQ #SOGI
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https://stand.fm/channels/600ecdaf2b4a4592fe0df6ef

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サマリー

このエピソードでは、ジェンダーやセクシュアリティに関する考え方の違いについて掘り下げています。親世代の反応の違いや、性自認と性的指向は別のものであるという理解が、多様な性のあり方を「受け入れられない」ことと「否定する」ことの違いを理解する鍵となることを解説。自分の感覚やポリシーを変えずに、他者の多様なあり方を理解することで、世界の見え方が変わるという視点を提供しています。

近況報告とポッドキャスト紹介
はい、どうもこんにちは、たからんです。 収録がめっちゃ久しぶりですね。
9月頭に1回撮ってから、久しぶりに撮ってるんですけれども、 あのーやっぱりね、9月ってちょっと生活の変化が結構あって、なかなか落ち着いてなくてね、今もまだ落ち着いてないですね。
夏休みが終わって、夏休み期間も子供たちの夏休み、学校がなかったりとかもしたりとかするし、その辺がメインで生活スタイルがね、ちょっとルーティンがぐちゃぐちゃになって、わけわからなくなったんですけど、
9月になってからもね、子供の塾の予備が変わったりとかしたりとかね、その辺もあってね、まだ慣れてないんですよね、この2週間。
そんなにちょっと追われてる日々ですけれども、だんだんね、やっと少しずつ慣れてないな、まだな。1ヶ月くらいかかるかなと思うんですけど、ちょっと収録とかもね、ちょっとずつやっていけたらと思ってます。
そんな中でですね、最近ちょっとよく見てるのが、包括的性教育というかジェンダー関係の話は、最近というか常に気になってはいるんですけども、
1個ね、以前イベントでご一緒した方がポッドキャストをやってまして、それをね、たまに聞かせてもらうことがあるんですよね。
メロウィングコークっていうチャンネルで、スタイフでもチャンネルあるし、スポティファイとかでも聞けるんですけど、
ちゃんまりさんという方とめいさんという方のお二人でやっている番組ですね。
こちらもジェンダーとか性の話とか、よくテーマにされているラジオなんですけど、
この前ですね、ゲスト会でゲストに、私が去年の性教育フェスタに参加した、参加というかね、見に行ったときに、
ボランティアでね、出展のいろいろ生理用品とかの説明してくださってた小中さんがですね、ゲストに呼ばれてまして、
ちょっとその話あったんでね、ちょっと気になって話聞いてました。
小中さんへのインタビューするというような回だったんですけど、結構いろんな話題があってね、面白かったんですけども、
親のサポートと世代間のギャップ
その中で一個ね、私の中ですごく気になったのがあって、親のサポートの話っていうのがありましたね。
親の反応どうなの?みたいな感じのところがあって、そこが小中さんのところ、親御さんとめいさんとかちゃんまりさんたちが感じている
親の反応というのがね、ちょっと対比がありまして、すごくここ、なんだろうな、ちょっと考えさせられるというまで言っちゃうとちょっと固いんだけど、
なんか気になりましたね。小中さんのほうは、ご自身が性教育のほうに興味があるというか、
いろんな自分やね、友達のいろんな経験の中からもっといろいろ知らなきゃいけないなというふうに思ったってことで、
性教育活動、性教育の勉強とかそういう活動をし始めていて、それをするようになってから、親御さんですよね、お母さんが、
もう子供がそういうことを調べて勉強していく中で、
あ、性教育って、性触とか妊娠とかそういうことだけ、否認とか、そういうことだけじゃない、
人間関係とかですね、同意とかネバウンダリとかっていう言葉、私もそこがすごい大事だなと思ってるんですけど、
そういうものから始まって、人と自分との関係性を考えるっていう、人間関係の根本に関わるところ、
そういうところに関わる勉強なんだなということを知って、すごく関心持って、
今もこの子さんの活動をサポートしてくれたりとか、実際に展示会とか準備、一緒にやってくれたりとかということをやってくださっているという話でした。
あのね、お母様とイベントで私も一回会ったことがあって、多分ほぼ同じ年代なんですよ。
娘がね、私の娘もこの子さんと同い年なんで、多分ほぼ同年代かなと思ってたんですけど、
感覚ちょっと似ててですね、イベントの中でも若い学生の方たちがいる中の意見とか聞きながら、
自分たちもその時はなんだっけな、デートDVの話をして、テーマの回で、
そう確かGPSでね、GPSで人がどこにいるかっていうのを監視するじゃないけど、そういうのってどうなのみたいな話題もあったときに、
結構若い人の意見の中では、あまりプライバシーの侵害とかしつこいのは良くないけど、
どこにいるかぐらいだったら別になんとも思わないっていう人も何人かいてですね、
今の若い人たちの感覚、そうなんだっていうのを二人で言ってたりしたんですけどね。
なんか感覚に似てるなというのも思いました。
っていう協力してくださっているお母様がいるという話があって、
なんだけどそのラジオの中でですね、ちゃんもりーとめいさんの方がですね、
そのお母様の態度というかその関心、肯定的な反応というのに割と驚いていて、
自分たちの親はあまり関心がなかったりとかしていると。
例えばLGBTQの話とかしても、最近はそういう性の対応性みたいな話が一般的に言われるようになってきているから、
それはそういうもんだろうな、そういう人もいるんだろうなということが分かるけども、
なんかこう自分の中では生理的に受け付けられないとかね、っていう反応があったりとかしているので、
あまり肯定的な感じじゃないというようなことをおっしゃっていましたね。
で、それはなんかすごく分かるんですよ、それも。
で、あのね、たぶんめいさんたちとは私よりは若い世代だろうなと思っている。
思っているというか実際そうだと思うんですけど、
その親ですよね。親っていうと、親世代ってなると、
私の親より少し下かもしれないけど、そのくらいですよね。
昭和平成くらいに生まれた子供を持つ親っていうと、今6,7,8にかかるような人たちかなと思うんだけどね。
自分とか妻の、私の妻の親とかね、もう似たような反応するかもなっていうのはすごく思いました。
で、それって個人個人の反応し方とか、性教育、性の話の伝え方とかっていうのもあるかもしれないんだけど、
年代的なものも結構、世代的なものも結構影響が大きかったりするのかなっていうのをなんとなく感じていますね。
「受け入れられない」と「否定」の違い
自分の親世代、70代、80代、まだ80ってないから70代、70代か60代後半とかだと、やっぱり性の多様な性っていう考え方ではなかったんですよね。
言葉を選ばずに言うと、同性愛とかそういうのが気持ち悪いって思っちゃう。
性的に受け付けられないっていうのはそういうことだと思いますけど、
そう思う方がどっちかっていうと当たり前で、変わった人が、その時だっていることはわかってて、
でもやっぱり変だというふうに思っちゃう、そういう感覚はあったんじゃないかなとも思うし、
そういう人を揶揄して笑い者にするとか、そういう感じも普通にありましたよね。
お笑いとかでもね、私の子供の頃なんかそういうのをネタにしたコントみたいなのは普通にあったりしたんで。
ですけども、そういう中で育ってきた感覚で思うと、受け入れられないっていうのもわかるかなという気もします。
ただ、ここ言葉選びがすごく難しいんですけど、今回ちょっと性の多様性の話題だけに絞りますけども、
セクシュアリティの理解を深める
性の多様性、性的マイノリティって言うけど、これね、すごい捉え方だけで自分の感覚変えなくても、
なんか全然見え方が変わると思うんですよね。
これ難しいんだよな、言語化するのが。
難しいな、言い方によってちょっとね、すごい悪く聞こえちゃうんで、
あれなんですけども、ちょっと不快に思っちゃう場面があるかもしれないんだけど、
例えばですよ、
例えばどう性愛、私は性の多様性、多様性っていう言い方ちょっと好きじゃないんだよな。
性的自認、セクシャリティって、
性自認と、身体的な性と性自認、自分の性をどう自分で考えているかっていうのと、
性的思考、どの性を性的な対象として見るか、または見ないかっていう、そういうのがありまして、
そういうのがあるってことをまず知らなかったわけですよ、私も。
性別性って言ったら男か女かっていうのしか考えてなくて、
性別性っていうのが男か女かしかないっていう世界にいるから、
それはそうじゃないのがあったら意味がわかんないですよね。
それはだから異質ってなっちゃうわけだけど、その中に含まれてないんだから。
ただ自分の中に性っていうのが、男と女っていう二極分裂のものじゃないっていうことが、
世界の捉え方としてわかった、セクシャリティっていうのを考えたときに、
人には身体生まれつきの、体の性、オスかメスかっていう本当の性別があって、
そならに、性自認、自分は男性と感じるか、女性と感じるか、感じるかというか、
女性と考えているかっていうところ、という性自認というものがあって、
それってすごくなんだろうな、そこなんですね。
性別と性自認っていうところの違いっていうのが、
多分ここの感覚的な理解がすごく大事なんじゃないかなと思うんですよね。
ここね、ここわかるとすごく性に対するグラデーションがすごく豊富になって、
見え方変わるし面白いんですよ。
自分も男でも女でもないって思えるようになるんですよ。
男とか女とかそんな単純な言葉で括るんだって言いたくなるんですよ、自分のことを。
人からも言われたくないし。
男性と女性、ここはちょっと長くなるんで別で話したいところもあるんですけど、
性の自認でいううちは私は男って思ってるんですよ、私はね。
私は性自認は男って思っている。
体の性も男性で、自分も男性だと思っている、シスジェンダーって言うんですけど、
体と性と一致していると思っている男性なんですけど、
その思っている男性って何だろうなみたいなところがあるんですよね。
思っている男性って自分でも何だろうなと思うんですよ。
自分は男性です。何でかっていうと女の人が好きだからです。
いやそうじゃないんだよね、だから。
性自認と性的指向っていうのは別物なんですよ。
だから性自認、性的指向は、私は異性。
性自認が男性で異性である女性っていうのが好きっていうタイプですっていう。
そういうタイプですなんですよね。
A型なんです、B型じゃなくてA型なんですっていうとか。
タイプがそういう人間ですっていうだけで、他にもいろいろタイプがあるよね。
例えば、世の中、何だろう。
例えば、仮想的な話なんですけど、
A族です、B族ですっていう族があって、
俺たちはA族の血が流れてる、あいつにはB族の血が流れてるみたいな感じで、
A族とB族は違うんだって思ったら違うけど、
そうじゃなくて、人間っていうのは全部ABで分かれていて、
実は中にもAAとAOがあって、科学的に分かってきたりすると、
そういう問題だよねって分かると、
じゃあ、ただ同じ人間でそういう区別があるだけなんだね。
で、まあ、族がどうかっていうのは、それは社会的な違いの話だけだよねっていう。
そういう得体の知れないものではなくて、
その区別の見方が変わるじゃないですか。
そんな感じ。
個人の感覚と他者の多様性
わかるかな、これ。
今の例がいいかわかんないですけど、そんな感じなんですよ。
だから、自分も男性女性っていうのがすごく、
もっと本来いろんなものが混じっての、
自分は男だし女性が好きだしって思ってるっていうのが、
もっと流度が細かくあるもののはずなんだな。
それをざっくりと男ですって言ってただけなんだなって思うと、
で、やっぱりそれだけだとね、
同じ男ですって言ってる男の男性が周りにいっぱいいてですね、
全然自分となんか感覚違うんですよね。
すごいイライラするんですよね。
同じ男じゃねえよってすごい思うんですけど、
でもそれは大きくくぐった性別としての男性としての、
では同じグループかもしれないけど、
やっぱりいろいろな細かいところを見ていくと全然違う人だよね。
そりゃそうだよね、だって人が違うんだから。
全然違うわねっていう感覚になれると、
なんかね、自分も楽だし、
相手も別にそんなおかしくないんですよ。
で、私だってシスジェンダー男性で異性が好きな女性が好きな男性なんで、
同性愛として同じ男性同士で性的行為をするってことに対してどう思うかって言ったら、
私自身、実質気持ち悪いって思ってます。
だってそういう思考がないんだから。
そういう思考がないってことは気持ち悪いんですよ。
私、食べ物で言うとね、
ラッキョ食べらんないんですよ。
ラッキョだけはどうしても食べらんないんですよ。
気持ち悪くて。
理由は本当に気持ち悪いだけなんですよ。
子供の時にね、体調悪い時に食べたら戻しちゃったんですよね。
その印象がトラウマで、ただ食べられない。
でもラッキョ別に悪くないし、
ラッキョが好きな人とかいたって全然悪いと思ってないし、
っていう感じ。
別に生理的に受け付けないとか、
違いの受容と包括的視点
それ自体は別にいいんですよ。
私の自分の感覚だから。
だけど、それが、
そういう自分の感覚にはない人がいて、
それは人としてどうなのとか、
そう考えるのとはちょっと分離して考えた方がいいと思うんですよね。
だってそれ自分の感覚で言ってるだけじゃんっていう形なんで。
だから、自分はそれを受け入れる、
受け入れるって言葉なのかわかんないんですけど、
自分がそうなくても別にいいし、
そういう人がいてもいいし、
いてもいいって言うのかな。
いてもいいけど私には関係ないとか、
そういう人もいるけどちょっと別世界のおかしい人だよね、
っていうふうに思うんじゃなくて、
そんないろんな人がいるのが当たり前で、
自分だって他の人から見ては
結構気持ち悪いことやってることがあるんですよ。
性の話だけじゃなくてね。
食べ物の話だけじゃなくて。
いろんな観衆とか自分の行動の中に、
この人ちょっと私とは違う、
え?みたいなのは確実にあるはずで、
その中の一つだと思うんですよね。
だから、違うってことに対して、
自称に対して受け入れないのは別にいいと思うんだけども、
その思考とか性質、
そのタイプっていうものに対して否定するものではないと思う。
っていうのが私の考え方ですね。
だからそう考えると、
別にいること自体に拒否感とか嫌悪感を示す必要が別にないんじゃないかな、
そんなところにあんまり不快感を持たなくてもいいんじゃないかな、
持たないほうが楽なんじゃないかなって思ったりしますけどね。
ただその感覚を今言った種類とかっていうのって、
自分の中でああ、そっかってなってやっと分かることだと思うんで、
何か勉強するとかでもちょっとないんですよね。
ちょっと知るってことを知って、
ああ、なんか自分の中でそっかってなるってなったら、
なんかもう全然どうでもよくなるし大丈夫になるし、
それが分からなければ自分のモヤモヤっていうか、
拒否反応っていうのは当然ある。
分かったところでは結構ある。
難しいな。拒否する気持ちは別に悪くなくて、
それも含めてオッケーって思えるか、
それだからダメって思ってるかっていうところの違いかなっていう、
そんな感じがします。
ちょっと全然まとまらなかったんですけども、
でもそんな感じで少しずつ、
包括セキュリティ教育って話題をよく出しますけども、
自分がどこまでどう思ってるか、
他の人はどこまでどう思ってるかっていうのを、
やっぱり包括的なんですよね。
全体的にまとめてみれるような、
そういう感じになりたいんじゃないかなと思ったりしてます。
エンディング
ということで、今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在で感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように。
タカランでした。
それではまた会いましょう。
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