人が自発的に動くことの重要性
はい、どうもこんにちは、たからんです。
えー、ちょっとここのとこ、考えてることについてなんですけれども、
最近、私、最近じゃないな、私、どうも、やっぱり、
人が、こう、能動的に、積極的に、自分からこう動いてくれたりとか、えー、
なんだろうな、こう、
物文字、物文字せずっていうのはちょっと違いますけど、遠慮せずっていうのかな、遠慮せず、こう、
自分の気持ちに素直に、こう、意見言ったりとか、こう、発言したりとか、
そういう風にしてくれるのってどうやったらいいんだろうなっていうのを、結構よく考えますね。
割とそんなことばっかり考えてるのかなっていう気がするなってちょっと思いました。
COTEN Gamesコミュニティでの経験
あの、今、ちょうど、コテンゲームスっていう株式会社コテンの、えー、ゲーム開発事業っていうのがありまして、
それのね、ゲーム開発の裏側は見れるよ、また開発前ゲームで遊べるよっていうような、そういうコミュニティがあって、
えー、その、ディスコードのコミュニティに参加させてもらってるんですね。
で、もうすごいたくさんの方が、コテンファンの方のまま来てくれ、来て、来、来、来らっしゃっていて、
来てくれてっておかしいですね、私、もう、あの、参加してる方だって。
で、なんですけど、その中で、結構、こう、じゃあ一緒にゲームやりましょうよとか、
また、あの、そのゲームのね、ボードゲームなんですけど、ボードゲームのオンライン中でこう、パソコンでできるやつで、
えー、ちょっとトーナメント戦みたいなのをやろうみたいな感じの企画的なものが立ち上がってるんですよ。
えー、そういうちょっとやるのに、あの、私とか、あ、ちょっと面白そうだなと思って、
その企画側に回って今、えー、いろいろルール決めたりとか、ちょっと、えー、練習会開いたりとか、
なんかそういうところの準備、準備というか、まあそういうのを裏で回すようなことをやってるんですね。
まあ、もちろん自分も参加して遊ぶんですけども。
で、なんかね、やっぱり、こう、他のオンラインコミュニティやってる時もそうだし、結構、リアルの場でもそうなんですけど、
そういう企画ごととか、仕切り役とか、裏方みたいなところとかっていうのを、
割とやるというか、かなりやりますね。やってますね、私。
だからこれ好きなんでしょうね。
あのー、例えばだけど、例えば高校の時とかも、こう、文化祭の実行委員とかやるわけですよ。
実行委員になって、えー、まあいろんな準備をやったりとか、その、場を回す役目をね、えー、になったりとか、
っていうので、あのー、やることも多かったし、えー、今例えば、えー、8月に、この、クラス会、同窓会をやるんですね。
あの、中学、中学校の卒業した時の、3年生のクラスだったこと、友達と同級生との同窓会と、クラス会なんですけど、
これも、ほぼずっと漢字やってるんですね。
リーダー格な一人いて、まあその彼と、えー、私が交差しながらっていうようなことが、まあ結構続いていて、
漢字にしようって決めたわけじゃないんだけど、なんとなくずっとやってるんですよね。
とか、そんなリアル度までもそういうことやるし、うーん、そういうことをして、えー、で、いろんな人がやっぱり参加してほしいなとか、
参加しやすくなるにはどうしたらいいかなっていうのを考えたりします。
で、今の、えー、古典ゲームスなんかもそうなんですけど、あの、結構やっぱり、そういうオンラインコミュニティとかにそうなんですけど、
こう、なんていうんだろうな、発言力って言い方するとちょっと嫌な感じするけど、やっぱりこう、こう、なんだな、
意見とか言葉を発しやすい人、うーん、投稿をよくする人っていうタイプの人と、まあ基本的に見てる人っていうのがこういたりもして、
えー、別にどっちも必要だしいいんですよね。で、参加の仕方はもちろんそれぞれ自由だし、って思うんだけども、
やっぱり単なるな、こう、すごい大勢いる中で、しかもその、メインのね、あの、
例えば古典ゲームスだったら、その、古典のメンバーの、やっぱり、ホストと言いますか、えー、の方たちもいるわけですよ。
要は運営ですよね。運営の人たちがいたりして、そうすると、そういう人たちがね、もう、引っ張ってって、発信して、発言して、こう、企画してっていうのは、
まあそれは当然そういうことがあるようになってあって、で、それに従ってこう、見てるっていうのは、まあ大体、そういう立場になりやすいよねとは思うんですけど、
で、私ももちろんそういうふうにしてる、コミュニティ内で、まあ見てる、基本見てるだけとか、あの、っていうことも多いんですけど、
あの、私も今のところ、ただの、ただの1メンバー、他にも何百人かいる方々の、ただ見に、ただ好きで見に来た、入った人なんだけど、
ああいうのなんかみんなでやりましょうっていう空気の中で、こういろいろ、じゃあやりましょうとか、遊びましょうとか、うーん、企画立てましょうとかってこう、出て行きがちなんですよね。
あんまりこの、遠慮しないというか、遠慮しないんですよ。遠慮しないんですね。
なんかそれは、あの、ちゃんと運営とかそういう代表格な人たちのこともリスペクトしながら、でも、やっぱりそこはなんていうのかな、役割とか立場あるでしょうけど、
もう同じ人間じゃないですけど、そのふうに思ってるところあって、こっちがそんなに遠慮しなくてもいいよ、まあそういう空気作ってくださってるんで、いいよっていう中であれば、
もう対等にどんどん意見とか言ったほうが、いろんな考えが交じり合うし、いいかなって思ってるから、だから結構積極的に行く派なんですよね。
参加しやすい場の作り方
で、さっき言ったように、誰もが積極的にならなきゃいけないってわけじゃないんだけど、でも、やっぱりこう、
ちょっと遠慮がちにでも、話しかけてきてくれたりとか、ちょっと興味あるんですっていうふうに言ってくれたりとかっていうのがあって、
そこから少しずつ話すようになってとか、また少し緊張が解けて投稿しやすくなってとかっていうのがあると、やっぱりなんか良かったなって思うんですよね。
やっぱり全然出てこなければ全然わからない人、知らない人っていう感じだったけど、なんかこういう人なんだってわかってるとかなるじゃないですか。
で、やっぱりちょっと言っていいのかなっていうふうに遠慮してるところもあったりとかすると思うんですけど、まあ大丈夫だからっていうふうになって、
そういうふうにいろんな人が関われるようになると、やっぱり面白いし本人もいろいろ楽しかったり得られるようになるだろうし、
そういうのがどんどん発生していくといいなって思ってるんですよね。
そういうのをどうすればいいかっていうのを結構思って、声かけたりとか仕掛けたりとか、場作りをしたりとかみたいなのをあらたことは考えるんですけども、
考えてうまくいくこともあるんですけど、やっぱりね、私の考える参加しやすさっていうのは他の人の参加しやすさとちょっと違うはずなんですよ。
私がいいと思ってやってることが全然響かないことの方が多くて、気持ちはあるんだけどなかなかそういう人たちのためになってないなって思うことなんかもしょっちゅうありますね。
でもいいやと思ってるんですけどね。それでもいいんだよって。
で、別にそんなのに惑わされるうちに自分のペースでやってもらえるのが一番いいと思うんですね。
私が私でやりたいと思っていいと思ってやることをやっていて、ちょっとそういうのをうざったりすると嫌な気分になる人もいる可能性は当然ありますけども、
まあそれは仕方ないというか、仕方ないし、何かあるんだったら言っていただきたいですね。っていうのもあるし。
そんな感じで、やっぱりなんかうまくというのか、これ全然本当によくうまくいかないんですけど、
いろんな人が関わり合える場を作るってどういうことかなって。
やっぱ常に考えてるかなっていう気がします。
全くどうやってうまくいくかわからないでいますっていう感じですね。
協調する社会の実現
いろんなバラバラな人たちが協調するっていうね、輪を作りたいとかって言ってるんですけど、
まあ難しいこと、すっていく感じではないことかなとは思ってる。
だけど、そうでもないんですよね。
そういう場だよねっていうことが理解できちゃって人たちが集まれば、勝手にどんどんそういう風になっていくっていうのを見てるんですよ。
だからそういうコミュニティもいくつかいくつもあって、
だから、なんだろうな、大丈夫なんだよかなって思うんですよね。
まあちょっといろんな性格の方もいるし、とは思うけどね。
ぜひ、いいんですかって感じから入って、いいんですよって感じになってもらって、
いつの間にか溶け込んだっていうような感じのをいろいろな場で作っていきたいなと思っています。
そんな感じです。
せっかくコテンゲームのコミュニティの話をしたんで、私は運営側でもなんでもないんですけれども、
ただ参加していて、ちょっとイベント事をするのが好きな人間なだけで、
仕切ってたりするような言動をすることもありますけれども、ただの人ですね。
そんな人が一緒に楽しんでいるコミュニティがありますので、
これ、面白いゲームをやっていますので、
ぜひ、興味ある方はディスコード無料で入れるので、見てもらえればいいかなと思います。
ボードゲームも面白いですね。ボードゲームをパソコンで操作してっていうやつをやっていますけど、
面白いので、また新しいゲームを開発しているっていう裏側も見れて、
ゲームのプロトタイプとかができたよって言って、プレイテストしてみてくださいって言って、
コミュニティメンバーでプレイテストして、あらレコーダーいいね、こうするといいねみたいな、そんな場面もあってきますので、
ぜひ遊びたい人も、そういう裏側を見たいっていう人に参加してもらえると面白いかなと思います。
ということで、今日も最後まで聞いていただきありがとうございました。
私の知らない新しい先を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な生き続きがある毎日となりますように。
タカランでした。それではまた会いましょう。
はい、どうもこんにちは。タカランです。
現代社会における課題提起
今日はですね、ジェンダーの話をしたいかなと思います。
以前、不揃いな輪っていう話でですね、
それぞれ別々、別に違う人たちがそれでも協調し合って輪を作る。
そういう社会にしていきたいなという話をしていまして、
その中でも大事なのが自分を知ること、他人を知ること、
その関係性から人一人一人の違いを知ることっていう、そういうことを考えているんですね。
で、その中で大事なこと、結構重要だなっていうこととか、課題として大きいなと思っていることとか、
3つ私の中であるんですね。
1つが保育。保育の考え方っていうのって、結構その人を見る、自分を知るっていうところに
すごく関係があるんじゃないかなって感じているってことですね。
で、あとは2つ目が包括的セクシュアリティ教育ですね。
包括的性教育ってよく言われてますけど、セクシュアリティ教育ってちょっと私は呼ぶことに来てますけども、
これは本当に性の話だけじゃなくて、自分とか他人とかっていうのを定義づける、
または意識して大切にする、考えるっていう、そういう考え方基盤がもともとある内容なので、
これは単なる性の話じゃない、大事な考え方の学問だろうなと思っているところがあります。
で、3つ目がジェンダーですね。
3つ目のジェンダーっていうのは、ちょっと性教育、セクシュアリティ教育にも結構大きく関わるところがあるんですけど、
ジェンダーは、これジェンダーを学ぶことが大事だよねっていうことよりは、
それは包括的セクシュアリティ教育の中で学ぶことであって、
私のジェンダーの話は、ジェンダー格差とかジェンダーバイアスっていうものが
日本社会の中にすごく大きくあると思っていて、
それがあることが個々の良さを引き出すっていう考え方を持つための、
すごい邪魔なもの、大きな壁になっている、阻害要因になっているっていうふうに思っているんですね。
だからこのジェンダー問題っていうのは、背景とか仕組みとか何でそうなってるんだっけっていうことを
よく考えて、単なる男女の平等だとかっていうそういう話ではないところで
考えたほうがいいだなってすごく思っています。
なのでそのジェンダーっていうのをすごく、結構一番ぐらいに、
自分の課題意識の中の一番ぐらいにちょっと考えているところがあるんですよね。
私がそうして考えているジェンダーって、最近気づいたことがちょっとありまして、
ジェンダー問題への独自の視点
ジェンダー問題って話している方ってすごくたくさんいろんな方がいるんですよ。
私でもその人たちと違うなって思ったことがあるんですね。
それは何かっていうと、女性を助けるためにジェンダーを語りたいんじゃないなっていうふうに私は自分で思っているということです。
ジェンダーの話って、どうしても男女格差とかっていう言葉があるように、
女性側がレステンだっていう話っていうのが、課題っていうのが目に見えやすくて、
女性が発信しているっていうことが割と多いんじゃないかなと思うんですよね、比率的にも。
それを別に悪いとは全然思っていないというか、むしろ女性たちとも同じ意見だし、
女性の権利を守ったりとか、女性の価値、評価を高める必要があるっていうとか、
女性はもっと自分にも自信を持ったりとか、そういうことが必要だっていうことは全く反対してないですね、賛同するんですけど。
でも、ただ目的がそこではないっていうのがありますね。
全員じゃないんですけど、女性の方の主張の中っていうのは、
女性の側の痛みとか、劣勢な部分っていうところを何とかしよう、
痛みを感じる人が多い、それを助けようとか、そこから抜け出そうとか、
またはそういうことを知ってもらうとかっていう部分が少なからずあるんじゃないかなというか、結構強くあるんじゃないかなと思ったりしてます。
で、私はその部分をすごく感じるし、女性側の痛みを見るとすごく私も胸が痛くなる。まさに胸が痛くなるんですね。
野沢園妊娠とかでね、子供を産み落としちゃって、息して死なせてしまって、
そうした母親逮捕みたいな話とかを聞いて、すごく怒りにも近いようなもの。
なんで女ばっかだって、男どうしたんだよって、そんな話をしたことありますけども、
そういう気持ちはあるし、すごく女性の痛みには敏感に反応するほうがないですね、私。
だけど、やっぱり私は男なので、女ではないので、やっぱり想像なんですよね。
今言ったような経験をしてなければ、女性だって同じ女性だとしても想像しかできないぐらいの痛みはあると思うんだけど、
でもやっぱり女性側が、今までもこの社会、基本的には日本社会にしてますけど、
日本社会で生きてきた中で、女性として感じてきたこと、
まさにジェンダーバイアスで、女だからとか女らしさとか、もちろんそれは男らしさもあるんですけど、
女だからっていうことで感じてきた、言われてきたとか、疑問に思ってきたこととか、
あと、いろんな力の弱さ、性的に弱い立場とかというところで、被害にもありやすいというところで、
日頃の日常の中でも、ちょっと警戒しなきゃいけないとかね、みんな危険を感じるとかっていうことがあったりとか、
そういう経験も多いかもしれない。私は男なので、なかなかそういう立場までなったことはないですね。
なので、そういう経験には同じようにはなれないと思っています。
思っているからこそ、私が女性のためにっていうふうには、多分、女性視点から見ても見えないし、想像の範囲でしかないと思うんですよね。
ただ、だから自分にとっては、そっちの目線じゃないんですよね。
女性のためにではなくて、女性のためとか男性のためとかじゃなくていいんじゃないっていうのがあるって感じですね。
ジェンダー規範からの解放
男だから男性のためにっていうわけでもないんですよ。
男性も、この男女のバイアス、ジェンダー規範に縛られているところがすごくあると思います。
男子たるもの、一家の大黒柱にならなきゃいけないとかね、かされて身を立てないかカッコ悪いとかね、
そういうのってどこからくるの?なんで男だったらそうなの?っていうのがあったりとかする。
それができなければダメなやつなんか、使えないやつなんか、カッコ悪いやつなんか、ダサいのか、そういうのじゃないと思う。
ただそういうふうに感じられてしまうっていうね、マイナス面というか、縛られている何かがありますよね。
だから男性も、そのジェンダー規範、バイアスというものに縛られたりとかいうものがある。
だからといって、それを助けようという感覚でいるかというと、そうではなくて、
男性も女性も、もちろん性の違いっていうのはあります。性別の違いっていうのがある。
それは区別としてしっかりあった上で、だけどそれがあることで社会的な扱いとか社会的にこうじゃなきゃっていうようなことって、
そんなのなくてもいいんじゃないって思っていることなんですよね。
これ時代によっても変化するものだと思っていて、ジェンダーって。
社会的な性っていうのかな、性の役割っていう感じだと思うんですけど。
社会的な性の役割としては、もちろん昔のね、戦争しているような時代でしたら、
腕力で力のある男性が社会を動かすっていう立場になるっていうのは、そういう自然なことかなと思うんだけど。
まあ戦争はありますけども、今は腕力で戦うっていうことでもないし、
日本は戦争しないって言われてるし、そして仕事の方もツルハシでね、
山を削ってとかっていうような力技じゃなくて、コンピューターでいろいろできることもあるしっていう風になった時に、
男性はこうだ、だから女性はこうだっていうことをベースにしなきゃいけないってことはないし、
逆にそれがあると、男女の違いよりも個々の違いによって出ている得手不得手、
どちらかというと得手の方ですね、得意なことを生かすっていうことが遮られてて、
結局社会全体としての利益を損なっているんじゃないのっていうことがすごくいっぱいあると思います。
技術とか時代が進んだことによって、今までだったらできなかったことができることによって、
男と女で縛るって必要は実はもうなくなっているっていうのがたくさんあると思っていて、
そこに目を向けて、男女で縛ってるとかってなんかあるんじゃないの?
無意識のうちにっていうのを見て解消していくっていうことが必要だと思うんですね。
それをやることによって、やっと一人一人の人に目が向くっていうことになるんじゃないのかなと思う。
そういうふうになるべくにはどうすればいいの?っていうところをすごく考えたいなと思っているところです。
今後の展望
ちょっと抽象的な話なので、こんな感じではあるんですけども、
個々を生かした不揃いな輪っていう社会を作るっていうところには、
現代のことを考えているのは必須事項だなと思っているので、
私もこれからまたそういう話を、ちょっと具体的な例とかも話していけたらいいなと思っています。
はい、ということで。
はい、ということで、今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な生き続きのある毎日となりますように。
タカランでした。それではまた会いましょう。