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2025-03-24 29:32

小学校卒業の夜に考えたことを残すLIVE


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00:09
どうもこんばんは、たからんです。
えっとですね、ちょっとさっきまで、
コミュニティのね、AVision Plusっていうコミュニティの
総会って言ってですね、ちょっとみんなで集まる会がありましたので、
ちょっと開始が遅くなっちゃったんですけれども、
うーん、やっぱり今日ちょっと終わる前に、寝ちゃう前にですね、
今日、息子の小学校の卒業式がありまして、
そこの、まあそれが終わってね、終わったんですけれども、
うーん、そこで思うことをちょっと残しておきたいかなって今日思ったこと。
ちょっといろいろあったんで、
本当は、なんか、テーマ別に分けて収録とかしたほうがいいかなと思ったんだけど、
そうするとね、どうしても感覚がやっぱりその当日の時とは変わっちゃうんで、
ちょっと思ってるところを残しておこうかなと思ってLIVEにしてみました。
残しておこうと思ってLIVEにしたというよりは、
なんかちょっとダラダラとしゃべる感じになりそうなんで、
ちょっとそれを残していきたいかなと思ったりしてます。
ちょっと感じたことというのは、まあ子供のことはもちろんなんですけど、
あとは教育のこととかね、
教育のこと、ちょっとコメントを取っておこう。
教育のこと。
あとは保育のこと。
なんかそんなことをね、ちょっとやっぱり振り返る感じのきっかけになったかなと思ったので、
話していこうかな。
話していこうかな。
こうかなと思ってます。
みたいな感じでポンと。
これを固定する。固定。
はい。えっとですね。
今日卒業式が終わったっていうのが、
一応子供が2人いまして、
上のお姉ちゃんはこの前ね、中学校卒業式終わったんですけど、
今日下の弟のほうがですね、息子が6年生で卒業式してきました。
で、これってもちろん子供がね、
小学校の6年生。
5年間終えましたよってことなんですけど、
と同時に、私自身が親としてというか、
子供を通してね、小学生っていう子供を通して小学校と関わったっていうことが、
これが下の子が終わったってことで、
私の小学校生活が終わったっていうことになるんですよね。
で、今日は卒業式やって、
その後に学童保育ですね。
お世話になった学童保育に寄って、
03:02
それからその学童を運営しているのがね、
もともと子供たちが通っていた保育園なので、
保育園のほうにも寄ってきたっていうことをいろいろ流れでやってきたんですけども、
そこのところでちょっと感じたことがあったなと思いました。
まず、学校のほう、卒業式普通にやってきたんですけど、
なんかね、最初のね、
上のこの中学校の卒業式は、それはそれで感動したんですけど、
私自身はそこまで泣かなかったというか、
ぐるっときた感じはあったかな。
娘の中学校はまたそれは、この前ちょっと収録したけど、
それはそういう考えの深さがあったんですけども、
息子のほうが終わったら、
私の中では全部小学校終わったなって思ったんですよね。
なんかね、校歌があるじゃないですか、最初。
入場してきて、国歌斉唱、校歌斉唱みたいなのがあって、
その校歌を子供たちが歌っているのを聞いたときに、
ちょっとぐるっときましたね。
終わるんだなっていう感じがしたかな。
私が住んでいるところのここの地区のこの学校、小学校っていうのは、
私とか妻とかには特別ゆかり屋のある場所ではなくて、
もともと、私たち夫婦も同じ地元なんですけれども、
今ここに住んでるんですけど、
今住んでいるところはそれぞれの職場があって、
その間というか、一番通いやすいところというところで、
新しく住み始めたところだったんですけど、
そこに住み始めて、子供が生まれて保育園に通って、
小学校に行ってってなっている中で、
知らない土地だったけど、やっぱりそこの住んでいるところの愛着が出てきて、
子供の小学校の校歌っていうのも、
上の子がやって、下の子がやってっていうと、
親としても覚えちゃってるんですよね。
覚えていて、その校歌が流れたら、
この校歌を聴くのも最後になるなって思ったらね、
ちょっと寂しい気がしましたね。
卒業式の中で、校長先生の話とか、
祝辞とか、あとBTA、校長代表の祝辞とか謝辞とかっていうのを、
大人が喋る部分があります。
子供にとってはちょっと話が長いよなっていう、
大人の話になるかもしれないんだけど、
それを聞きながら、6年間のことを振り返ったりも皆さんしてくれてましたけども、
06:03
1つコロナの話が出ましたね。
下の子は小学校1年生で入学して、
1年経って、やっと慣れてきたかなって思ったときに、
その年がコロナ20年だったんですよね。
コロナになって、
学校がね、
学校閉鎖って何て言いましたっけ?
自粛?
緊急事態宣言か。
ちょっとなんか忘れかけてますけども、
とにかく学校行っちゃダメだというふうになったんですよね。
学校に通えなくなった。
っていうときになって、
そこからしばらくは学校に通えなくて、
帰省解除されたけども、少しずつ登校はするけども、
給食も黙って食べるみたいな感じとか、
そういうコロナ禍での学校生活っていうのをやってきて、
やっと最近になって復活してきたっていうようなことを、
まるっと体験してきた年でしたね。
学年というか。
そういう話が出たときに、
子どもたちも頑張ってたんだけど、
学校の先生方というか、
できることできないことある中で、
頑張ってやってくれてたんだなっていうふうに思ったりしました。
私はあのときに、
あのコロナのときに、
上の娘も小学生で通ってましたけども、
学校に行けないっていうことと、
それから教育を受けられないっていうことが、
あっていいとかっていう、
この日本でっていうふうに思って、
そんなのあるかって思ったんですよね。
なんかこう、教育とか学ぶとかって、
学校行かなきゃいけないとか、勉強しなきゃいけないみたいな、
しなきゃいけないの?みたいなとかとか、
意味あるの?みたいな話があったりしますけども、
教育を受けられるとか学ぶ場を、
自然と一日生活するだけで、
学べる環境が用意されてるって、
めちゃくちゃすごいことというか、
恵まれてることというか、
なんですよね、本来。
その当たり前にありすぎちゃって、
日本はね、そういうのができてるから。
だから、
09:02
当たり前にありすぎて、
そこを得られてる根本的な事実っていうことへの
ありがたみっていうのが、
正直全然感じられてないんじゃないかな、
今の人は、今の人っていうのは、今のこの時代、
どこと比べてるかっていうと、
古い江戸時代とか、もっと前とか、
ちょっとよくわかんないですけど、
学校がなかった時代とか、
勉強をするっていうのが当たり前じゃなかった時代っていうのが、
ああいう時代っていうのは、
ちょっと物心ついたような若者たちが、
自分が学びたいって言って、
学ぶ場所に自分から行っていくわけですよね。
そうじゃなきゃ字も読めないみたいなのが、
当たり前になったようなところだったのが、
それがもう、
体験的に学びたい人が集まれる場所っていうのが、
学校みたいなのが多分できて、
別に歴史そこまで詳しいわけじゃないんですけど、
その学校っていうシステムができて、
もう男子しか学ばないみたいな、
女は勉強なんかしなくていいみたいな、
時代もずっとあった中で、
みんなが、男女とかそういうのも関係なく、
また身分なんか意味はないけど、
どういう家庭環境であってもっていうところで、
みんなが、
無償というか、
国のシステムとして学ぶ機会が、
設けられているっていうことって、
これやっぱ普通じゃないんだよなっていうふうに、
思いました。
で、
子供を見てると、
小学生って特にやっぱり、
1年生、
1年生の時に、
初めてランドセルを撮って、
玄関の前で撮った写真があったんですよ。
それを見て、同じアングルで撮るんだって言って、
最後のランドセルで撮って、
同じアングルで撮って、
小さい時とすごいでかくなってて、
大人側向けの大きさとか、
あとは言動とかもね、
自分のことを自分でできるかどうかもわからない。
ものを考えるっていうのもよくわからないっていうところがあったところが、
この6年間の、
6歳から12歳みたいなところってやっぱり、
一気に、
何か、
一つの人の形ができるというか、
その子の形が、
ちょっと大人っぽいかもしれないけど、
12:01
大人っていう言い方も変だけど、
なるっていうのがあるなと思ってて。
そこが、やっぱりこの群と、
人が、
いろんなことを、勉強だけじゃなくて、
いろんなことを学んだり体験したり、
感じたり、考えたりってこうして、
考える一人の人になって、
9時台だったなっていうのが、
この小学生の間でしたね。
なんか、
全然違う人になってる。
全然違う人になってるっていうか、
全然同じ人なんだけど、
変わったよね。
成長したよねって言葉がね、
それってすごく単純すぎちゃって、
あたしあんまり使いたくないっていうか、
成長したのでまとめたくない気持ちがあるんですけど、
なんか大きく変わった時代を見るっていうのが、
この小学生時代だったのかなと思いました。
保育園時代というかね、
乳児から幼児、小学生に上がるまでっていうのも、
これもすごい変化があるんですよ。
人が生まれて、何もない無の状態から、
自分の体が変わって、
自分の身体が変わって、
何もない無の状態から、
自分の手が動いたとかっていうのを認識したとか、
自分の気持ちはこうなんだとか、
こういう気持ちはこうに表現するんだとか、
人には人の気持ちってものがあるんだとかっていうのを、
そういう無から何か感じていくっていうのが、
幼児期かなと思うんですけど、
そこからもう少しだけの社会性を身につけて、
小学校に入って、
そこから自分でいろんな体験とか考えるっていうのをやってみれば、
小学生なのかな。
もちろん学校っていう場だけが、
当たり前に行く場所じゃないっていう考え方は
ありだと思うんですけど、
そこに合わないっていう、
合わない、合わない、
いまいまの形では合わないとか、
無理が生じてしまって、
きつい苦しくなっちゃうっていう子供、
人にとっては、
その人の居る場所、
行ける場所を作るっていうことが大事だと思うんですけども、
ただ学校そのものは、
別に行けなくたって、
自分で好きなことをやればいいんだよっていうのとは、
なんかちょっと違う気がしていて、
学校のシステムっていうのかな、
とても
いい面が、
とてもいい面がある。
なんていうんだろうな。
要は私たちが大人になっている私たちが、
15:01
何も知らずに何も意識せずに何もわかっていないのに、
いまこんだけ何かができている。
いまこの社会で生きていけるって、
要するに教育を受けたからだと思うんですよね。
学校教育かもしれないし、家庭教育かもしれないし、
地域の教育かもしれない。
教育ってその3つがあるんですけど、
それらの中で、やっぱり見聞きして学んで、
なんかおかしいなと思いながらも、
いろんな人のことを聞いて、
感じて、それをもっていま自分が大人というかな、
いまこの歳で生きているっていうことだと思ってて、
それが本当に皆無になるっていうことが、
どうなるのっていうね、
自分一人の力では生きていけないし、
何も学ぶことなんかできないし、
だからまあ、
教育するっていう、
教育というか、人が生まれて、
何かを感じながら、
この教育を受けながら、
教育を受けながら、
大人になっていくというか、
この10代前半から後半にかけて、
育っていくっていうのって、
その時代、
その期間を大切にすることっていうのが、
本当に大切なんだと思うんですよね。
っていうふうに感じました。
今日改めて。
やっぱりそう感じました。
学校を、
学校、
私がだから、
子育てとか教育とか保育とかっていうところが、
やっぱり重要だと思ってて、
重要というか、
この人が生きていく中の社会の中で、
教育を受けながら、
教育を受けながら、
この人が生きていく中の社会の中で、
そこがなければ、
この世が成り立たないじゃんっていうところなはず。
そういうものなはず。
なんか、
みんな、自分もそうだし、
その他の人も、子供に関わってない人も、
人ってなんか勝手に自然に大きくなって、
いろいろ身につけて、
大人になって何かを成すんだみたいな感じに、
してるような気がするんですけど、
何もしなかったら何もできないよねっていうふうに思ってて、
その土台となる人が出来上がるっていう、
幼児期から小中学生にかけてというか、
18:00
この時期を大切にしないって、
なんか、
子供が大変なんじゃなくて、
そういう社会づくりというか、
環境づくりに意識がないような、
社会人って、もう社会捨ててない?
って思うんですよ。
そんな状態の社会の中で生きてて、
今後良くなると思えない。
それで平気なのかって言ったら、
平気でいられないと私は思ってる。
だからそういうところが気になるんですよね。
今日さっき学童寄ったりとか、
保育園寄ったんですよね。
保育園の先生とかも保育士さんも、
結構入れ替わりも多い職業だったりするので、
知ってる先生とかはどんどんいなくなっちゃったりするんですよ。
だけど息子の他人の先生だったりとか、
主任の先生だったりとか、
残ってくれてて、
今日行ったら、
わーって出てきてくれたんですよね。
それが嬉しくて息子も、
知ってる先生もいるんだっけなーみたいな感じで
言ったんですけど、
わーって名前呼んでもらったりしたら、
嬉しくて歓喜が余っちゃって、
涙流したってみたいな感じで。
先生も、あーとか言いながら、
立派になったねーとか言いながらね、
歯食いしてくれてたりしたんですけども、
先生方もですね、
自分が幼児を見てきた子供たちっていうのが、
将来どうなっていくんだろうってよく分からないことが多くて、
その時期大切に保育士さん達やるけど、
その後どんな大人になっていったかって、
なかなか知れないことが多いんじゃないかなと思うんですよね。
だから、そうやってね、
大きくなって姿を見せてくれて相当嬉しいらしい、
嬉しいみたいでして、
泣いて喜んでくれたみたいなところがありまして。
でもやっぱなんか、そういう感情だよなーって
いう気がするんですよ。
幼児期とか小学校の子、小さい時とかっていうのを
知ってる人が、
その先にどうな人間になったかっていうのを
見れた時っていう感動というか、
そうだったのかって思えることっていうのって、
人がどう形作られていくかっていうようなところを
真剣に考えたりとか
してる人たちだから、
どんな形でもね、
その人になったっていう、
大きくなったっていうところっていうことに
感動を覚えるんだと思うんですよね。
なんか、
21:02
社会人になりましたって言って、
そこから6年とか10年とか経って
久しぶりに会いましたって言って、
いや体制したんですよとか言って出てきたって、
別にそんな泣くほど感動なんかしないじゃないですか。
そういうね、
俺が弟子をかけて育てた部下なんだよと思って、
考え深さもあるかもしれないけど、
そういう人の成長のところを
やっぱりしっかり見ていくっていうところって、
めちゃくちゃ大事だなというふうに思ってます。
本当に本格的に
全然久しぶりになったんですけど、
やっぱりこういうところを見てくれてる人たちが、
こういうところっていうのは、
小さい頃からの人が
何かを知っていくっていう形作られてるんですよね。
何かを知っていくとか形作られていくっていうところを、
どうに向き合ったりどうに寄り添ったり、
大人としてできるのかっていうことを
一生懸命考えてる人たちが、
こうやっていてくれる。
自分たち親もそうですけど、
そういう人がいて、
一人の生まれ出た赤ちゃんからの
人間が
出来上がっていくのを
助けていく、助け合っているっていうのが
人の社会かなと思ってて、
それがしっかりと見える世界っていうのは
美しいなって思いますね。
それを大切に
直接関わってるんじゃないとしても、
そういうものがある、
そこは大切にしなきゃいけないよねっていうような
気持ちっていうのって
誰も持っててほしい、
持ってなきゃいけないと思ってて。
そうじゃないと社会が成り立たないので、
人間ってもう
人と人と一緒に過ごしていくことを
前提とした生物なので、
自分のことだけ考えちゃってダメなんですよね。
だから他のどんな人たちが
どんなふうになっていくのかっていう場を
大事にしていく必要があって、
今の経済を回していくっていうのが
とても大事なんだけど、
それと同時に
その経済を明日回す人たちを
どう
どういうふうに
制していくかというところって
無関心じゃいけないと思うんですよね。
で、無関心だと思うんですよね。
この国の人たちって
24:01
他の国のことは知らないけど
それが
やっぱりもっと
そっちを
気にしてよくするだけで
子どもと
子どもと関わるということに
今関われているということが
すごく自分の中
自分の世界が豊かになることで
ありがたいことだなと思います。
子どものことは
どういうふうに
君たちのことに関して
ありがたいことだなぁと思いますね 子供がいる子供が生きていくとこに
より伴奏していくとか寄り添うというか 突き沿わせていただいているというか
見させてもらってその世界を同時体験する 自分が子供の時によくわかんなくて何も考えずにすって過ぎてしまったことを
今になって子供がやっているところのそばにいると やっと
自分が どう生かされて
どう いう
ものの中で 生かしてもらってきたのかっていうのが
わかる 社会がわかるっていうところで
なんか ちゃんと見えてくるものがあるなっていうふうに
思っています 何も気づかないでね 社会の仕組みって自分が気づかないところでいろんなことが実はなされていて
それの恩恵を知らぬ間に受けているということがよくあるんですけども そういうものの一つを
すごく 気づかせてもらえるんで
じゃあ自分に何ができるかなっていうふうにやっぱ考えることができますよね っていうふうに思って
思いました
ですね 場所とまとまらないけどそんなとこかなぁ
が若い人たち子供たちとかに伝えたい言葉っていうのが何かいろいろありますね
pta 会長さんの話しているのを聞いて あの
なほどと思うこともあったし 自分だったらこういう言葉
27:04
送りたいなって思うこともあったし そういうの
うん ちょっとみんないろんな
大人というかいろんなまあ大人がな いろんな人が自分の思っていることっていうのを
若い世代に伝えられる場があるといいなぁと思ったかなぁ 思いますね
あんな真面目な変に真面目な敷地とかだけじゃなくてね もちろんラフな感じでいいから伝えられるといいんじゃないかなって思ったりしますけど
でもまあ一つの区切りとして区切りっていうかなやっぱり卒業
要ですからね学業と含めて 学業だけじゃなくていろんな
体験っていうのを やり切ったんだというところの
ところはまあ本当に みんなよくやったねーと大きくなったねーと思うところですね
はい じゃあちょっと今日はこんな感じかな
違う方面の違う方向性の話もしたかったのでそれはまた別でやろうかと思いますが はい
とにかく 私の小学生
子供 生活が終わりましたということでこれからまた
違う形で まだまだ
子供ともかかっていきますが でもなぁ
うん 大事なところはやっぱり小さければ小さいほどと思っている保育園
幼児時代と小学校の時代と というところに
すごく大事なものがあると思ってるんで そこを
自分としては子供はもうそこにはいないけど 何か
できることを探していきたいなというような 思った
そういう日でした はいこれからまたそういうのを探していこうかなと思っています
はい今日も長いちょっとダラダラとした
内容でしたが聞いていただいた人ありがとうございました 私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように だからでしたそれではまた会いましょう
29:32

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