祖父の思い出と気づき
はい、どうもこんにちは、たからんです。
ちょっと前回ですね、祖父が他界しましたっていう話から、
祖父とのね、おじいちゃんとの思い出をこう思い返して、
ちょっといろんな気づきというか思ったことがあったなっていうのを、
いくつかあるんで紹介したいですっていう話をしまして、
前回はちょっと自分のね、ルーツと言いますか、幼少期の経験みたいなところを
話しさせてもらったんですけども、
ちょっと今日話したいなと思ったのが、
私が感じている子育てというか、幼少期の子供に対する考え方っていうのが、
なんかこのおじいちゃんのところ、おじいちゃん絡みの、
もうちょっと詳しく言うと、祖父の親戚で集まったことによる
いとことの関係っていうので、なんか自分の中にできてたのかもしれないなっていうところに
ちょっと気づいたって話をしようかなと思ってます。
いとことの関係
で、子育て配信みたいなことをよくやってるんですけれども、
これってなんでそんな話をよくするかっていうと、
子育てに興味があるからというよりは、子育てに悩んでる方とかいうよりは、
私の中では子供に接すること、
特に幼少期の2週学児とかに対しての接し方とか、
そういう子供の育ち方っていうのって、
こういうもんだよね、こういう感じだよねっていう、
なんとなく自分の中の感覚っていうのがあるんですよ。
それをですね、私は自然にというか、なんとなく自分の中で勝手に思い浮かんでたんで、
当たり前のこととしてなんとなく思ってるものがあったんですけれども。
世の中のお父さんお母さんの、実際にスーパーとか公園とかそういう場面での子供への声かけの仕方とか、
あとはSNSとかで話されてる悩みというか、そういうのを見ていると、
自分が思っていることを感じていない人っていうのは結構普通にいるなというふうに感じている。
別に私は物を分かっているというわけではないんですけれども、
専門的に学ぶわけでもないし。
なんで子供がよく分からないっていう感じで悩んでいる方とか、
子供が苦手っていう大人って割と結構いると思うんですよね。
それってなんで分からないんだろうって自分の中で最初はそういう思考ですよね。
自分自体、自分中心に考えちゃうから、なんでみんな分からないんだろうって思っちゃうんですけど、
逆に言うと自分は何を分かっている。
分かっているという言い方はあれなんですけど、自分は何でそう感じているのかっていうのを思ったときに、
なんか多分いろいろ体験していたからなんじゃないかなって思いました。
具体的に言うと、自分が、さっきいとこたちっていう話をしたんですけども、
祖父側、母方の祖父、祖父母の兄弟の中で母の下で生まれた私が、いとこの中で一番上なんですね。
下に妹二人いまして、その下にいとこが二人いまして、
さらにその下に三人いるっていう、母が三人兄弟の長女だったので、
そんな順番で下に、いとこの弟妹たちがすごいいっぱいいるんですよ。
一番下がもう十二歳ぐらい、十二、三歳離れてたんじゃないか、もうちょっとかなぐらいな差があるので、
その子たちを基本的にはいとこ長として、あやしてたんですよね。
正月にだいたい一年に一回は親族全員で集まるみたいな感じのことが多かったんですよ。
正月以外でも会うこともたまにあったんですけど、
その中で自分の妹も、二子下の妹はさすがに犬で、
二歳であやしてた記憶はほぼないんですけども、
子育ての理解
五歳下の妹、下の妹の方は生まれて、かわいがって、
あやしてたとか、そういうのをなんとなく覚えてるところがありますし、
あとはいとこですね、その下にね、下の妹に近い、
一子下の妹と、いとこと、さらにその下二人の妹、
別の母の兄弟にさらにその下の女の子、
その下に男の子が二人って感じでしたね。
ずっと妹の国でずっと女、女、女、女になってきてて、
最後すごい離れた弟、いとこの弟が二人って感じなんですけど、
生まれるたびにね、あやしてたこともあって、
子供の中で、兄ちゃんとしていないないばーしたり、あやしたりしてたんですよ。
それをやっているから、赤ん坊もいないいないばーをやっていたし、
だんだんちょっとずつ大きくなって、幼児になってきて、
祖父の家で、母親の家で、親御として生まれて、
子供のお年寄りが前に出てくると、
だんだんちょっとずつ大きくなってね幼児になってきて
で、お祖父の家でこうなんだかんだ大人が喋ってたりとか
大人が料理の準備してるとかっていうときは
子供は私とか妹含めて集めて遊ぶとかそういうのをやってたわけなんですよね
それが、多分自然と小さい子たちの様子を見るっていうのを
多分やってた
前はね、保育室さんってずっといろんなその時期の子供たちを
しかもたくさんの子たちをね、いろんな性格とか見てるのもあるし
専門的に学んでるのも、児童心理学とか学んでるのもあるから
その頃の子供たちがどういう考えているのかとか
その行動でどんな意味があるのかとかっていうことは
保育室さんは分かっていて
私、なんとなくそれに納得がいくってスッと入ってくる
その考え方があったっていうふうに思ったのは
母が保育士だったからなのかなっていう気はしてたんですよ、最初
母が幼稚園の先生だったんで
その母に育てられたためにそういう感覚も身についたのかなと思ったけど
よくよく考えるとちょっとおかしいんですよね
子供にとって考えを持った大人に接してもらって
何かしらの成長に寄与したっていうのはあるかもしれないけど
育てられたからといって、大人っていうのかな
育てる側からの目線ってそんなに育つかどうかよく分からない感じがしたんですけど
よくよく考えたら自分でちっちゃい子たちをいっぱい育ててたっていうのがあります
それを子供の時代にやったっていうのは結構大きかったのかなって気はしますね
一番下の子なんかがやっぱり12歳だから一回りぐらい離れたってなると
小学校、高学年から中学ぐらいまで
そんな赤ちゃんのね、待遇してるとかっていうのは必然なんですよ
一番下のういとかが3歳、4歳
4歳か3歳かぐらいの記憶までしかないですね
たぶんそこから先、私大学で家を離れたからって感じなんですけども
なんだけど、やっぱり小さい子がイナイナイバーして喜ぶっていうのも
イナイナイバーって面白い顔をして顔が面白いから笑ってるんじゃないですよね
大人は見て面白いと思うから笑うっていうふうに思うと思うんですよ
面白いとか楽しいとかっていうのがあって笑ってると思うから
面白い顔したりとか明るい顔したりとか音出したりとかっていうので
気を引こうとすることが多いかなと思うんですけど
あれ別に面白くて笑ってるんじゃなくて
自分の期待が期待通りになったから嬉しくて笑ってるんですよね
これは厳密には本で読んだ知識なんですけど
自分の中でも感覚的にあって
イナイナイバーって最初の1回目はほとんど反応しないんですよ
何が起こってるかわからないキョトンとした顔をしていて
またイナイナイってやりながら指の隙間から表情を見ていると
スーンとした顔からバーって顔を出すと
ハッって顔をするんですよ2回目ぐらいはね
その3回目ぐらいにもう1回やると笑い出すんです
4回目5回目やると笑いがでかくなってくるんです
あれって赤ちゃんが学習して
顔隠れてその次に出てくるんだっていう
その予測が自分の中にできて
隠れたら次に出てくるんじゃないの出てくるんじゃないのって思って
出てきたほらみたいなそうだみたいな感じ
そういう喜び自分が考えた期待したものがその通りになったっていう
その満足で笑ってるっていうのが
たぶん定説だと思うんですけど
なんかね知識として読めばそうだなと思うんですけど
そのいとこをねやってる時にもねこれ百発百中なんですよ
本当にね8人いとこ妹で含めて自分の下に7人いるんですけど
どの子もね必ず笑うんですよね
自分もね割りながらこれは特技だなと思ったというところがあって
タイミング大事なんです隠してパッて出すんじゃなくて
2,3回目の時にはちょっとじらすというか
さあ来るよ来るよパッみたいなタイミングみたいなのも結構考えたりしてましたね
そういう今の言えない場だけなんですけど
そういういとこの小さい子たちをちょっとずつ見てた
その反応を見ててやっぱりこういうもんだなっていうのが分かったりとか
っていうのをなんかその生活の中で経験してたんだなっていうのを
今になってなんとなく思いました
祖父の葬式での再会
祖父のお葬式でですねそのいとこたちに会ったんですね
あのもうなんだろうな
もうみんなまあ30代と40代って感じになってくるから
一番その人の子もね12歳と3歳下回っててもう30になってる年でね
もうかっこいい青年、青年チェックお兄さん大人っていう感じになってましたけど
自分の記憶の中で小さい幼児のイメージで終わってたような感じの子なんですけど
言ってしまえば自分も含めていいおじさんお子さんになってきたっていう感じでもありまして
時は経ったなって気がするんですけども
なんかでもやっぱこの子たちと関わってきたっていうのが結構自分の中では感覚的に多くて
それでわかってるっていうとこも大きいのかなと思いました
ちょっとわかんないんですけどね
でもやっぱり
やっぱりわかんないんじゃないかな
本当にいとこも子供も兄弟も少なかったりとかして
でやっぱり自分はこう大人
小学生中学生高校生ぐらいになってもまだ赤ちゃん生やしてたみたいな状態だったから
だいぶ物考えられるようになってからもうそういう感覚持ったと思うんですよね
自分の妹だけだったら2歳で5歳ぐらいだと何となく記憶もなくなっちゃうような感じがする気がするんですけど
そうかどっちかというと
だからもう小中学っていうのかな
そのくらいの年齢の子供というか若者というかの時に
子供とか赤坊とか幼児と接するっていうのって
なんかこう人間を知っていく
人間がどういうふうに大人になるまでには
大人になっていろんなことの社会的なこととかいろんなものを
環境的なものとかも含めて考えるようになっていくまでの間には
どんな状態の子供の状態があってどんなふうに育っていくのかっていうのを
感覚的に知るには
ちょっと10代ぐらいの頃からの
8歳以上ぐらいかな
8歳以上ぐらいからの子育て経験というのが
ちっちゃい子をお世話する
一緒に遊ぶっていう
そういうのが結構大きいのかもしれないなって
自分の感覚としては思いました
なかったら確かに分からないかもしれないな
逆に言うと男の子
一番下の子たちなんかは
自分で下の子に接した経験がないから
分かんないかもしれないなっていうのはちょっとありますね
それはしょうがないですよね
しょうがないって言ったら当たり前ですよね
だからでもなんかこう逆に
もうちょっと公の
公のって言い方も変なんですけど
場で子供子育て体験とか
保育体験とかやってる保育園とかもたまにありますよね
そういうので子供っていうのはどういうものなんだろうって
知ってみようっていうみたいな回って
もっと積極的に意図的に
作り出してもいいんじゃないかなという気がします
やっぱりねなんか
子供と接する機会とか
周りの子と遊ぶとか
近所の子たちと年齢制を超えて遊ぶとかっていう機会も
だんだんというかね
私の子供の国から比べればかなりなくなってきてると思うので
やっぱり小さい子とか年下の子とか
また周囲の子近い子に育てられる
関わり持つとかっていう経験が
すごくなくなっている世の中かなって気はするので
なんかもっと積極的にそういう場を作りをするっていうのが
あったほうがいいのかな
あればいいんじゃないかなっていうのはちょっと感じますね
そんな気はしました
なのでじゃあ今何ができるかなって言ったら
なんとなくそんな風に育ってきた私なんですけど
考えてみますっていうのを
シェアすればいいかなっていうふうにちょっと思いましたね
いろんな経験状況の人たちがいる中で
何が正しいというわけじゃないんだけども
そういう風にそういう感じのもので
感じている人の言葉なんだなっていうのは
伝えられることがあるかなっていうのがあったりもするので
子どもってこういうところが面白いよねとか
ここで今育った感じっていうのがいいよねみたいなことを
よく言ってるんですけども
そういう話をまたしていけたらなと思っています
今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました
私の知らない新しい世界を教えてくれる
あなたの存在に感謝します
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように
ダカナンでした
それではまた会いましょう