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はい、どうもこんにちは、たからんです。
えーっと、今ちょっとですね、子供の習い事の送り迎えというか、送ってちょっと終わるまで待ってる時間なんですけども
今週なぁ結構いろいろなことがあったんで、いろいろ考えたいこと、しゃべりかえたいこともあるんですけども
ちょっと1個に絞っていこうかなと思って、ちょっと考えたいことというか、頭が整理できてないんで
なんかそれを考えたいんですけどもっていうのをちょっと言葉で出しながら整理したいかなと思って今ちょっと立ち上げました。
あのー、ブツブツと考察するLIVEになるんじゃないかと思うので
うん、あの気になる方はね、だけ聞いてもらえればなと思うんですけども
考えようと思ったのは、えーっとちょっと保育の話かなーって感じがしています。
あのー、なんかね、保育士さんのが学んでることとか保育のやり方っていうのが
んーと、この、なんかこういろいろ、なんかおかしいんじゃないのって思う日本の仕組み?
マインドっていうのかな、考え方とか、なんかそういうのが変わるきっかけになるんじゃないかなーっていうのを
なんとなく前から思ってるんですよねーっていう話かなと思っています。
で、ちょっとこの話しようと思ったきっかけが、えっとスタイフでですね
えー、言葉の仕事佐藤さん、ことさとさんですね、ことさとさんが配信してくださった配信があります。
なんてタイトルだったかな、ちょっと調べていこう。
んーとね、ことさとさんは言語聴覚師っていうね、耳とか言葉の専門家として
お子さんとかそういう人たち、子供だけじゃないとは思うんですけども
そういう人とですね、のことを支援するような活動もされてると思うんですけれども
あーこれか、えーと、あーごめんなさいこれじゃない、ちょっと今探してるところ
えっとですね、ことさとさんのチャンネルに行ってですね
特別開放版って書いてあるやつですね、特別開放版MORE DEEPって
これメンバーシップ配信でされてるのかなと思うんですけど
ちょっとこの回は公開にしてくださったみたいです。
ちょっとこれ聞かせてもらったんですよね。
内容が、内容というかタイトルがMORE DEEPで
死にたい小語の相談、意欲を積むなっていうタイトルですね。
ぜひ、ことさとさんの言葉で聞いていただきたいなと思うんですけど
本当にざっくりと回を話すと
ことさとさんが学校で図書館、図書室かな?
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師匠さんなのかな、ちょっとごめんなさい。
細かいところはあれなんですけど、図書室にいるお仕事で行ってたときに
子どもさんが学校のところに来たっていう話だったと思います。
そこでこの子は、
丁寧になったんですかね。
丁寧になると思ってです。
先生の話だったんですけど
先生の話を聞いておりますね。
先生は、
分かったら聴いてください。
あれ、
拾ってくれるんですか。
拾ってかざってくれるんですよ。
拾ってくれるんですね。
これで確認させてもらいますね。
お披露目させてもらいますね。
はい、
法覚等でサービスでも見てたって言ってたかな。
その子が学校のところの本を読んで、自分を好きになる方法だったかな。
そのような、どうすれば自分が好きになるの?みたいな話をその子と散々してきて、
しかも、たぶん生活しづらい、生きづらい感じを受けてて、
聞きたいような気持ちっていうのも、小学生にして言っていたっていう話なんですよね。
そのことを、涙ながらに話してくださった回があるんですけども。
それを聞きながら、すごく思ったことがあったんですけど、
その話のメインの趣旨と言いますか、その話とは別にというか、
私の中でひとつ、アンテナに引っかかったところがありまして、
工作とかがその子がすごく好きだということを言っていて、
それってすごいいいよねって思っていて、
なんだけど、家に持って帰れないっていうことだったらしくて、
家ではそういう工作とかをしてなかったって言うんですよね。
家でやると怒られるとかっていう感じだったかな。
親には認めてもらえなくて、片付けなさいとか散らかさないでみたいな感じで、
言われちゃってるような感じだったんだと思います。
なので、サービスとかそういう別の場所で作ったいいものがあっても、
家に持って帰ったりとかしないっていうことをしてたという話があったんですよね。
それ聞いたときに、家でそういうクリエイティブって言い方変なんだよな。
単なるもの作ったり、表現したり、剣とか作ったり、わいわいって絵を描いたりとかっていうのって、
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すごく自由というかね、子供がやりたいことそのままを出して、
一生懸命考えて作ってっていうようなものの良さ、そのままっていうのがいいよねっていう感覚って、
結構当たり前にあるもんかなって私は思ってたんですよ。
だと思ったんだけど、家でももちろん散らかるとか、
そういうのが大変だったりとか、忙しいときとかっていうのは、
片付けてって言いたくなることもあると思うんだけど、
認めてもらえないような感じっていうのが、大人側というか親側というかにあるっていうのを知って、
そうかー、そういうもん?っていうふうに、すごく自分の中では疑問がわきました。
で、そういうふうになって、家では自由に作ったりできなくてっていう子がいるというふうなのを知りましたと。
んー、で、そこの良さとかってあんまり感じないのかなぁ。
良さがあるよねっていうふうなことを、
感じてこなければ大人になっても感じないものかなっていうところがあるのかなっていうのをちょっと考えてたりしてたんですよね。
私自身は子供のときに、家でもいろいろ作ったんですよ。
あのー、私小学校5年のときにね、
セイントセイヤっていうアニメがあって、
体に防具っていうか鎧っていうか、クロスって言うんですけど、
この星座、私星座が好きだったんですよね。星座が好きで、星座をモチーフにしたアニメなんですよね。
キャラクターがベガサス座とかね、アンドロメダ座とかって言って、
そういう星座の戦士になって、それをスーツっていうかね、鎧というかを着るんですよね。
着て強くなって戦うっていうやつがあって、それをね、ダンボールで一生懸命守るとか紙とか作った覚えありますね。
作ってかぶってなりきってっていう、そういうことをやったりとか。
あとはスーパー戦隊モノのね、戦隊モノの真似してなんか作ったりとか。
そういうのをやったりとか、あとは絵を描いて描くんですよね。
いっぱいその日、家でも描くし、幼稚園とかでも外来してたと思うんですけど。
なんかそういうのを作ったのはやっぱり家では作ったりしてたし、
あと誕生日の時に、自分の家の誕生日の時に、絵をずらずらずらーってその1年間かな、絵を壁に貼って。
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並べて貼るんだけど、貼ったりとか垂れ幕みたいに出して、こういうのをやったねーって感じで親が見せてくれて、
見ながら、1年間感じながら誕生日するみたいな感じで。
そこまでするかな、普通はしないかもしれないけど、自分でも子供に対してそこまではしてないけど。
でもそういう作ったものの良さを感じるみたいなところってやってた過程だったんですよね。
で、全部貼り出すまではさすがにしてないだろうなと思いつつも、そういうの作るとか見るとかっていうのって、
いいよねって出来がどうのこうのじゃなくて、なんかいいよねみたいな感じ。
で、絵とかもやっぱり年齢がね、1年間なんで最初のなんだ、2歳の頃と3歳になった頃ってやっぱりちょっと絵のタッチとか変わるじゃないですか。
丸に手が生えて、だんだん体も描いてとか、そういう変化も面白かったりするしっていうのがあると思うんだけど、
そういうのって、別にそこまでやらなくても、
いいものだよねって感じるんじゃないかなと思っていた。
だけど、でもそういうふうに私の場合はやられてきたから、それがいいもんだよねっていうふうに思い込まされたって言うとおかしいんだけど、
思うようになったのかな、みたいなことをちょっと考えてました。
ちょっと前置きが長くてあれなんですけど、で、保育って話をタイトルつけてるんですけど、
私SNSで最初の頃、ツイッターやってた頃に繋がった同じコミュニティみたいなのがあったんですけど、
そこに初めて入ったのは保育士さんのコミュニティなんですよね。
保育士さん、保育、なんで私がそこに保育でいきなり入ったのかわかんないんだけど、
でも子どもに対する発達とかの気持ちが、厚い気持ちがこうだなっていうふうに一生懸命ツイッターしてくれてる保育士さんがいて、
すごい共感して、ちょっと繋がってそういうコミュニティをやってるんです。
私こういう保育士じゃないんだけど入ってもいいですかっていうふうに聞いて、入れさせてもらったんですよね。
で、そこには保育士以外の人って私以外ほとんどいなかった、10人ぐらいいたのかな、もうちょっといたのかな。
ほとんど全員保育士さん。で、保育士さんたちが保育のことを学んだりとか、
発達、子どもの保育もね、保育士、保育師身みたいなものがあって、国が定めたものもあって、
そういうのを目安にするとか、あとは大学とかそういうとこでね、児童心理学とかそういうのを学んだことがあって、
そういうのを考えながら子ども一人一人統制するとかっていうのをやってると。
で、私その保育士さんって、ただ遊んでるだけじゃないっていうふうに思ってたんですけど、
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でもやっぱりその専門的なところをやってるところって、
そういう勉強とかそういうものを意識しながら子どもと接するっていうことをしてるんだなっていうのは、
やっぱり一位親というかね、そういう子どもと接するってどういうことっていうのは別に何も考えてないで、
親になった、勝手にというか自然に親になったものとしては、
こういう考え方で動く人がいるんだなっていうのをちょっと思ってました。
あ、ナッキーこんにちは。どうもどうも。
はい、今日はブツクスと考察、喋ってるところです。
はい、えーと、そうね、コツサツさんという方のね、財布の配信の中に、
お子さん、お子さんというか、児童保護デイサービスとかかな、とかに通ってたお子さんが、
制作とかものを作ってるっていうのが、
お家ではなかなか親には認めてもらえなくてっていう、
外では作るんだけど、すごく上手に作るんだけど、
家では認めてもらえなくて家に持って帰るとかできないっていう話があって、
それについて考えてました。
その子どもがやりたい気持ちっていうのを潰しちゃうっていうのって、
すごく自信をなくしちゃうことになるよねっていう話につながってたんですけど、
そこ素直に大人としてもいいねって思わない人もいる。
そういうの自然に生活の中で身について、
良さみたいなのを感じるようになるのかなと思ったんだけど、
なんかちょっと違うんじゃないかなと私は最近思い始めてて、
結構みんな感じてない人が結構いるんじゃないかなっていうのを思い始めてる。
なんでそういうふうに差が出るんだろうなみたいなことを考えてたときに、
今話したのは保育士さんたちとコミュニティに入ったら、
保育士さんってすごくそういうことを考えてるんだっていうのがわかりましたっていうことを今言ってたんですけど、
で、ここですね。
で、私ふと思い出したら、思い出したらというか、
よく考えてみたら自分の母親が幼稚園の先生だったんですよね。
保育士っていうのかな、幼稚園教諭っていうのかな。
でも保育の勉強をしてる人でだったんだなって。
今さら気が何だろう、意識したんですよ。
自分が生まれてからはもう保育士さんっていうか幼稚園辞めちゃってるから専業主婦やってたんで。
幼稚園通ってたの知ってる。
で、私が通った幼稚園の元先生だったらしくてっていうのは知ってる。
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私がいたときも知らないけどいないけどっていうようなことは知ってたけど、
自分の親が保育士さん、幼稚園の先生っていうふうな意識で親を見ては別にいなかったんですよね。
ただのお母さんだから自分にとっては。
でも確かにその誕生日にわざわざ絵を、子供が作った絵をね、
1年間の絵を貼ったりとか全部撮ってあったりとか、
なんかそんなことの見せ方するのって保育士的って言い方悪いかもしれないけど、
なんか保育士さんっぽい確かに感じだよなぁとは思ったんですよね。
子供の中でそこまでは他の家してないだろうなと思いつつも、
でも意識的にこういうのがいいよねっていうような感覚を持たないと、
子供の中にも子供から大人になるにあたっても、
その良さがそこにあるっていうのって感じないのかなっていう感性を大事にするというか、
何かを見ていいなって感じる気持ちっていうのがあるよね、それいいよねみたいな。
言われないで分かんないと分かんないよなと思いました。
今の感性って言葉も父から聞いたんですよね。
夕日を見てただ赤いって、赤いのが夕日、当たり前だからそれはそれなんだけど、
それを見てなんか綺麗だねとか雲にも映って綺麗だねって思うとかっていうのはそういうのが感性って言って、
感じる気持ちっていうのは人それぞれにあるけど、
なんて言ったか忘れてた話しちゃったんですけど、
夕日赤いっていうのはただ赤いって見るか何かを感じる綺麗だとか寂しい感じだとかっていうふうに感じるかどうかっていうのは感性って言うんだっていう言葉を
言われたのは確かにすごく覚えてて、そういう何か感じるものっていうのは言葉で表すっていうのって結構大事なのかなって思ってました。
で、なんかこうなんていうのかな、学校の教育みたいな話にも少し絡むんですけど、
成績重視的な感じになっているところとか、受験に向けてどうしてもなるとかあるんですよね。
それはそれでいいだか悪いだかなんていうかうんになっちゃったんだけど、それはそれであるけど、
感性とかそのものを作るとかっていうことだけじゃなくて、絵を描くってことじゃなくても、その人その子供その人のいいところって言い方が変なんだよな。
その人ができることというか好きなことというかやってること、それがそのままただただそうなんだねっていう。
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それでいいね、できるすごいね、できるできないでもないといけますけど、いいねっていう感じっていうのを感じること、変な評価にならないことっていうところが、
そこを持ってるのが大事なんだよっていう話って教えられてるんだろうか。
教えられてきただろうか、教えるシステムがあっただろうかっていうのがすごく気になっています。
で、ただ保育園っていうのは今の、特に今のって言い方したいんですけど、今の保育園っていうのは
そういうことを考えながら保育士さんがやってるんだなっていうことは私は知ったんで、
保育士さんたちの考えてることとか意識しながら保育をしていることっていうのが、もっと世の中に伝わることが結構重要なんじゃないかなっていうのを考えているんですよね。
保育士さんの仕事、保育士の労働環境の改善とかっていう話もあるんだけども、
改善はもちろんすべきだと思うんですけども、その上で保育士さんが保育ってこういうことなんですよ、こういうことが起こるんですよっていうのを、
何だろうな、親のためというか親の支援みたいな話も保育の中にあるんですけど、
親にっていうことももちろんだけど、人として、人を見る、子供を見るって人を見ることだと思ってて、
人を見るっていうのってこういうこと、こういう視点でこういうところを見るっていうのが、その人の良さを引き出すことだし、
その人のパフォーマンスを最大限出して、社会の一員として社会にも還元していって、
そういう人一人になれるっていう、そういうところの良さとか大事さ、視点っていうのを保育士さんに教わるべきなんじゃないかなっていうのを思ってます。
子供の見方ではないと思って、それは人の見方として、もちろんビジネスとか会社でチームメイトとか部下を見るとか、そういう話もたぶん同じ。
そういう視点が保育の中にあると思っていて、っていうのがあるんですよね。
っていうことがあるんだよなと思いつつ、ことさとさんの話を聞いて、
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たぶん自然には身につかない考え方がきっとあるんだと思って、保育士さんから何か得る場が欲しいな。
保育と、例えば親とか保育といろんな人たちがつながって、何か話したり学んだりする場があるといいなっていうのをちょっと考えています。
ただそういう場も欲しいと思いながら、まずは保育士さんが自分の今いるところの保育についても、
こういうふうに子供と接してっていうことがうまくできなかったりとか、
上の強い保育園長さんとかおつもり様が理解してくれないとか、そういう課題とかもあったりするので、
保育の現場を保育現場として、他の形で何か助けたいみたいなことも考えてるんだけど、
そういうところで、やっぱり保育のことを、保育の世界をうまく世の中とつなげたいなっていうのがずっと思ってるところなんですよね。
みたいな感じのことをちょっと考えていました。
とりあえずこんなとこかな。
そうですね。ちょっと取り扱わない感じになってますけど。
なんかそういう場を作りをしたいっていうのがずっとあるんですけどね。
どんな形にしたらいいかちょっとよくわかんないのと、保育士さんのコミュニティっていうのがオンラインでもいっぱいあるんですけど、
保育士さんのコミュニティだからなかなか保育外の人が入るの難しいんだよな。
いいのかな。
いいですかって言うと、保育者だけでって言われることもよくあるんだよなっていうのが、
もっぱらの悩みというかですね。
最初の頃にそのツイッターで保育士さんとつながって中に入れたっていうのは結構ラッキーな、ラッキーとか珍しいっていうかことだったんだなとちょっと思ってて。
よく受け入れてくれたなって思いますね。
でもやっぱりそういうのでやっぱり保育じゃない人が知ってくるっていうのがすごく、
何事でもなんですけどね。何事でもその世界の人とその世界じゃない人が知り合って、
そこのいろんな現状とか知っていくっていうのでいろいろ発展があると思うんだけど、
保育の話をもっといろんな人に知ってほしいんだよなーっていうふうに思うんですよね。
自分ももうちょっとちゃんと知りたいんだよなーっていうところが。
そんなことを考えております。
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まだもうちょっと子どもの習い事があるんですけれども、
一回この辺で切ろうかな。
今週はちょっといろんなことがありまして、
保育のことは本当にちょっと思いついたことではあったんですけども、
教員支援のほうも、教員支援のネットワークの活動のほうも、
ちょっと最近よく参加、顔出しているようになって、
そっちもそっちでですね、先生の支援というか先生助けることというか、
地域と一緒に教育をやっていくことというか、
いろんな課題が見えていて、簡単じゃないなーと思いつつ、
簡単じゃないなーと思いつつ、簡単じゃないんですけど、
でも何かしたい、何かしたいよね、何とかしたいよねっていう気持ちがありますね。
そう思ってる人がたくさんいて、という感じなんですよね。
はい、ちょっと取り手も無くなってきたので、
この辺で一回切ろうかなと思っています。
はい、こんな配信を聞いてくださった皆さんありがとうございました。
というか、ほうきさんとつながりたいなー、なのかな。
ちょっとどういうつながり方をして、
どういうことをやりたいかっていうのはちゃんと整理しないと、
どういう人とつながりたいな、どういうことをやっていきたいなっていうのは聞けないかなと思っているので、
そこもやっぱり整理したいなと思うんですよね。
ちょっとそんなことをずっと考えております。
はい、じゃあ今日も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
私の知らない新しい世界を教えてくれるあなたの存在に感謝します。
皆さんにも素敵な気づきのある毎日となりますように。
ダガランでした。
それではまた会いましょう。