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2024-06-07 03:56

子どもと過激な表現のゲーム

子どもがCERO B以上などの過激な表現のゲームをやることについて、そんなゲームの中から学べる可能性について話しました。 #ゲーム #CERO #声日記 #ちえラジゲーム話

 

サマリー

彼女は子どもと過激な表現のゲームについて話しています。フォートナイトが圧倒的に多いです。

フォートナイトの人気
ちえラジチャット、金曜日始まりました。今回は、週帰りテーマ、ゲームについてということで、子どもと過激な表現のゲームについての話をしようと思います。
最近と言っても、なんかここ最近はあんまり見かけなくなっちゃったんですけれども、 今まで縁の場で子どものやってるゲームとかを見てると、やっぱ圧倒的にフォートナイトが多いなって感じがします。
自分自身はああいうFPSタイプのゲームって、なんかあんまり苦手であんまりやってないんですけれども、
ああいうタイプのゲームって、すぐ遊べて、すぐ追われて、すぐ繰り返せるからってのもあって、やっぱ流行ってるのかなというふうに思いますね。
まあフォートナイトってセローシーなんですけどね、っていうのはまあ置いといて。
そこで出てくるのは、割とリアルな人の描写。人が倒れてたり、倒したり。
小さい子を持つお母さんがスタッフ側にいるっていうのもあって、その辺の話って当時から結構あったんです。
でも考えてみると、自分の小さい頃ってそういう制約全然なかった。
でも、むしろ自分はゲームをいろんなところから吸収してゲームの良さっていうのを立場になってたりしてるわけで。
当時は表現もそんなにリアルじゃなかったので、表現できるものに限界があったっていうのもあるんですけども、
ただ正直ね、子供からすると表現性ってあんま関係ないんですよね。
チープな表現でも、リアルな表現でも、死は死だっていうね、そんな感じがある。
残虐な表現とか過激な表現とか当時はいっぱいあったんですね。
それこそリメイクしたらセロBC確定だろうなって、そういう表現も結構いっぱいあった。
実際、割と有名なところだとドラゴンクエストだってそうじゃないですか。
ファイブなんかだと主人公のお父さん目の前で焼き殺されてますからね。
あれも想像するとサゴインパクトすごいだろうなって思うんです。
本当にドット絵だから許されたっていう感じがするっていう感じですよね。
でも多分、自分たちはそれによって学んできたものって結構あるんじゃないかなって自分は思ってて。
ゲームの中であっさり誰かが死んでしまうからこそ、自分は誰かを大事にしようって思ったり、
こういうような人で目落とされがちなんだけども、だからこそ自分はそういう人をちゃんと見ていこうって思ったり、
人種関係なく普通に付き合ってたんだけども、種族が違うことが判明した途端に
なんだこいつって言い出す人を見たいとかね。
そういうのを見る機会って、やっぱりゲームだから意外とあるっていうのがあると思うんです。
もちろん自分は母というゲームの先輩がいたからこそ、そういうような考え方ができたっていうのもあるんだろうと思うんですけども、
ただ、やっぱりゲームってこうやって極端だからこそわかることってあるんじゃないかな。
特に今の社会って、例えば人が死ぬとかそういうものってすっごく出会いづらくなったと思うんですよ。
人の死に立ち会う機会が少なくなった。
リアルにそういうシーンに出会う機会がなくなった。
そんな機会をゲームが保管しているって考えると、なんか描写化過激だからダメっていうのをそれっていいのかなって疑問に思うところがあり。
もちろんね、自分自身が子育てしてるわけじゃないから勝手に言ってるだけなんですけども、
ただ、今の社会においてあまり表に出てこないものをリスクを最低限に知ることができるツールとしてこういうゲームってあるんじゃないかなって最近思うんです。
だから、その少なくともあるリスクっていうのを最大限減らした形で子供に届ける方法っていうのを考えていかないといけないかなって最近思います。
はい、というところで今日の話はこれくらいで終わりにしていきたいと思います。
明日は土曜日お休みですがライブはするかもしれません。
週明け月曜日いつもの通り今週一週間のお話しをすると思います。
ではでは。
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