00:08
はい、こんにちは。またやってまいりました、無題のなんちゃらキャストです。 このポッドキャストでは、私、キョウヘイが思ったこととか、最近の出来事とかを、適当かつ目責任に、
生半可な知識で、知ったかぶって話します。 趣味のランニングのこととかも話すかもしれないですね。
ハッシュタグがございます。ハッシュタグは、ハッシュタグなんキャスで、よろしくお願いします。 ツイッターやインスタグラムなどで、つぶやいてくれると大変喜びます。
なんは平仮名、キャスは片仮名ですね。 というわけで、今日は、なんと10回目。すごいね、2桁、2桁、桁が上がりました。
昨日のキョウですが、10回目ですね。 いやー、なかなかこうやってコツコツやってると、面白いですね。
いつの間にか10回目やって、そこそこ皆さんにも聞いていただいたりしているようで、 私も大変楽しんでやっております。
さて、今日は朝から雨が降ってますね。 なんか帰るのめんどくさいなーって感じですが、
最近はですね、雨とは何の関係もないんですけど、ずっと聴いてるアーティストがいて、
それをSpotifyで教えてもらったんですけど、 ニシナっていう女の子の歌手がいて、これはなんかすごく良くて、ずっと聴いてますね。
というか、いい時代になったよね。 Spotifyが勝手になんか教えてくれて、お前こんなん好きじゃね?みたいな感じで聴いてると、あれ?これいいじゃん。
じゃあもっと他の曲聴いてみようっていうことができるのはすごいなぁ。 ということで、このニシナっていう人の音楽をもう多分2,3週間ずっと聴いてるんですけど、
いやー何がいいかって聞かれると困るんだけど、まずね、声がすごくいいんですよね。 もう何この声、かっこよ!みたいな感じで。
で、あとね、歌詞がすごく深い、不思議な歌詞。 まあ、ずっと真夜中でいいのにとかも同じような難解な不思議な歌詞書きますけど、
この彼女の歌もなんかすごく歌詞が深くて、 こんな若いのよく書けるなぁって感心しながら聴いたりしますね。
ずっと普通になんか流し聞きした曲が実はものすごく深い意味持ってるとことか、分かったりしてね。
まあとにかくすごく気に入ってるんで、最近ランニングしてる時とかチャレンコって時とかもずっと聴いてるんですけど、まあ飽きないですね。
まあそういうことがあります。
で、前回はそうですね、英語の話をずっとしてましたね。 今回はまあその続きをして、まあこの2回で一旦この英語について、英語にどう出会ったか、どのように喋ってきたかについては終わりにしようかなと思うんですけど、
そうですね、していきたいと思います。 前回はどっちかっていうと、どんな風に出会ったかみたいな話をしたんだったかな。
たぶんそうだよね。 ということで、今回もまあいろいろ言いたいことがあるんですけれども、まとまるかわかんないけどとりあえず喋ってみますか。
03:06
英語とは、英語といえば、最近あの、 英語で時系団っていう言葉があるんですけど、時系団って自分たちで自圧的に町内とかを守るような人たちのこと。
これ英語でビジランテって言うんですけど、ビジランテって言葉を自然な日中会話の中で使うことができたっていうのがあって、これ結構面白かったな。
なんかこれ俺密かにこの実績解除したい言葉みたいなものが頭の中にあって、覚えてもなかなか使えない単語ってあるじゃないですか。
その一つだったんだけど、自然なやり取りの中で、なんだっけな、 シドニーの上司が日本に来てみんなで食事に行った時に、
なんか多分コロナの話になって、その時に他県のナンバーは来るな、みたいな話をして、
そういう張り紙とかあったんだよね、みたいな。 へえ、それって警察がやってんの?みたいなことを聞かれた時に、
おっちゃんっつって思って、いやそれがなんかビジランテみたいなやつがやってんのよ、みたいな話をしたんですけどね。
まあ、なんかこういうふうにもちょっとずつ楽しみながら、 なんていうんだろう、ボキャブラリー増やしたりとかをね、してるんですけどね。
でね、こうやって喋ってきていろんな良いことはあるんですけど、 前回言ったような仕事とか収入とかっていうのももちろんそうなんだけど、
そういうなんか簡単に定数化できないような、定量化できないようなものもやっぱりいろいろあるなと思いますね。
それは、前回BFFとふざけていましたけども、
英語でしかコミュニケートができないけれども、 とてつもなく仲良くなれる仲間たちがいるっていうのは、やっぱり良かったなあ。
ということで、目的は何かっていう話に広がってみると、 やっぱりコミュニケーションしたいってことなんだよね。
前回言った、収入とか、あんま収入入れるとすごくやらしいんですけど、 できるも活かさないでもないですよね。
そういうのはとても良いんですけども、それ以外にコミュニケーションしたいと。
その言葉を喋らないと一種卒ができない、 日本語でしか喋らない、一種卒ができない人と喋りたいっていう思いがやっぱりあって、
これってなんか、前に話した、 誘われた誘われない時に話した、
なんていうか、乾きみたいな寂しいみたいな話をしましたけど、 あれと根源は似てる気がするな。
で、それが拡大して、いろいろアメリカ人の友達とか、 フィリピン人の友達とか、いっぱいいるんですけど、
中にも前のロードトリップで話した、 ジョッシュなんかはものすごく仲良くて、
毎年家に遊びに来たりしますし、 彼とは本当にいろんなところを旅行行って、 国内も海外もいろいろ行ってたりするし、
あいつは家に1ヶ月が泊まってたこともあったなーとかね、 そんなのは、
自分の国の言葉でしかコミュニケーションできないでいたら、 出会えなかったなーっていうのはあるなー。
他にも何人もいて、 クライミングを俺が教えたジェイソンってやつとか、
06:04
あとは、日本に来て一緒に熊野古道を歩いたマットってやつとか、 いろいろ友達できたんだけど、
やつらこれっぽっちも1ミリも日本語喋れないんで、 こういうとこやっぱすごくいいなーと思うよね。
ただ別に、英語できれば誰しも友達ができる っていう話をしたいわけじゃなくて、
なんというか、一条にはなりますよね。
で、いろいろあるんですけども、
前回話した中でやっぱり、 自分でも言ってて印象に残っているのは、
日本人が一番日本人の英語に厳しい っていうところだなーと思いますね。
前回言った中で、中学の英語ってすごくいい っていう話をしたと思うんですよね。
ただ、それとついになって、
中学で英語を学校の科目の一つとして 学習してしまったことの欠点っていうのが、
ここに出てるんじゃないかなと思う。
日本人が日本人の英語に厳しいっていうのは、
要するに常に採点する対象であって、 採点される対象であるっていうところが、
とっても深い問題を抱えてるんじゃないかなと思うな。
なんていうか、要するに間違っちゃいけない、 美しく喋りたい、綺麗に喋りたい、
かっこよく喋りたいっていうのと同じで、
体育の授業で走るの嫌いになっちゃったりとか っていうのとすごく似てるなって思って、
で、その体育の授業でやったものだ、 ランニングはっていう思いを消せない人って、
ランナーならないですよね。
ランナー、日常的にランニングしている人たちって、
かっこよく走ろうとかって別に思ってないよね。
だからそういうところとすごく似てて、
教科の一つとして採点対象であった、
俺がやりたい英語って別に学校の科目ではなくて、
コミュニケーションの一手段に過ぎないのに、
それが採点される対象であるっていうところが、
なんていうか、不幸な点だなぁと思う。
で、やっぱりみんな採点されることに ビビりすぎてるっていうのがすごくあって、
たぶん昨日ふざけて言った、
私聞き取ることはできるけど 喋れないんだよねみたいなことも、
もしかしたら、
喋れないっていうのは、
きれいに喋れないみたいなことを 言ってるんだとすると、
ちょっと気持ちも分からないでもない。
ただ、ここで俺が言いたいのは、
もう忘れてほしい、採点されてきたことは。
誰も採点なんかしないっす。
コミュニケーションの使う英語はね、
テストじゃないんだよね。誰も笑わない。
自分が日本語を喋ってるときのことを 思い出してほしい。
ど忘れするし、間違えるし、
ランなき言葉喋るし、
俺はランなき言葉嫌いなんだけど、 たまに自分でも言っちゃうから、
そういうときにとてつもなく落ち込むんですが、
要するにテストじゃない、 採点対象じゃないっていうところを、
ここはいくら俺が言ったところで 自由には気持ちになれないと思うし、
09:02
これはさっきも言ったけど、 ランナーとかもそうだよね。
ランニング楽しいよ楽しいよ、 別に誰も見てないよ、全然平気だよ、
お腹出てたって走って平気だよ。 これってなんか、
体型ジャージの話とも繋がってきちゃって、 全部なんかいろんな話、
日本人の性質に繋がってる気もするんだけど、 要するに見られって恥ずかしいから
水着になれないみたいなのと すごく似てるよね。
綺麗に喋れないから英語喋れないみたいな。
いやいやいやいや、 そんなん関係ねえだろうと思います。
採点されるって思っちゃダメだと思う。
だからあれなのかな、
でもお前あれなんだろう、 マッチングアプリとかでよ、
女の子見て、男の子見て、瞬時に採点して、
左にスワイプしたい、 右にスワイプとかしてるんでしょ?
そうやって採点してっから、 あなたも選ばれないわけだって。
それと一緒ですよ。
自分の英語が採点されると思ってっから、
あなたも他人にも厳しくなっちゃうわけ。
だから前の先輩も、
自分の首絞めてたんだよなって思う。
彼が俺の英語に対してすごく
酷だったのは、結局それって 自分にも返ってくることだから、
それはあるよね。
だから採点するもんじゃないっていうのは、
すごく言いたいところですね。
そんなかっこいいこと言いますけど、
じゃあお前はどうなんだって 思うと思うんですけども、
自分のこと言わしてもらうと、
発音なんて今でも1ミリもできないです。
例えばLとRなんて一生わかんないです。
俺の場合小賢しいんで、
なるべくLのない単語を選んで 喋ったりしますよ、これマジでね。
例えば、傘なんてね、RとLめっちゃ出てくるから、
絶対喋りたくないし、喋れますけど、
なるべくそう言わないでいいように言葉を選ぶ。
要するに、教習所を卒業して、
右折が怖すぎるから左折を3回してた。
みたいな。
そういうテクはもちろんあるわけ。 小賢しいことはできるわけ。
だから、100%Lの発音が一切出てこないような単語を
選び続けていくのはそこそこ 無理が出てくると思うが、
LとRが一緒に出てくると区別できないっていうところは
絶対みんなあると思うんで、
LとRが両方出てくるような言葉は
使わない方がいいっていうのは 俺の中にはある。
ただね、はっきり言って発音なんか 誰も気にしなくて、
さっきも言ったけど、 誰も採点してないから。
そういうのって全部抑揚とリズムで
カバーできるんだ、これが。
あ?今の抑揚とリズムって 同じだろって思いました?
違いますよ、抑揚とリズムは。 抑揚はどっちかというとイントネーションですよね。
リズムは違いますからね。 また別の意味でしょ。
要するに、平板に、 棒読みで喋るんじゃなくて、
ちゃんと伝える内容によって、
いい感じで強弱つけて、
リズミカルに喋れば LとRが間違ってようが、
みんな脳みそ保管してくれるし、
所詮俺たち日本人なんだから、 みんな知ってんの?
よくわかんないアジア人が頑張って 英語喋ってんだなっていう風に、
そう思ってるか知らないけど、
特にアメリカの人たちなんて、 いろんな国の人たちがやってきて、
12:02
いろんな国の人たちがわけのわからん 英語を喋るわけ。
だから相当そういう土壌ができてると思うし、
だからね、全然平気なんだよね。
今のは気にしないほうがいい。 もう採点のことは忘れよう。
今日はとにかくこれを聞いて、 みんなに思ってほしいのは、
あいつあんなこと言ってた? 採点されねえのか?
っていうのを理屈だけじゃなくて、
体感してほしいなってことは思いますよね。
これも一般化しすぎかもしれないけど、 インドの人も何言ってるかわかんないし、
韓国人の英語も何言ってるかわかんないし、 アメリカ人の英語も何言ってるかわかんないし、
イギリス人の英語も何言ってるかわかんないし、
映画とか小説とか、
彼は綺麗なキングスイングリッシュを 喋りますとかって言うけど、
全然わかんないから。 どういうのがキングスイングリッシュなんですか?
まあいいのいいの。 そんなの別にわかんなくたっていいの。
それとコミュニケーションできることとは 全然別。
っていうところを、何ていうか、 どこまでが古風に落ちるかっていうところが、
自由に喋れるかどうかのところに 繋がってくる気はしますね。
なんか別に真面目な話をするような 回ではないんだが、
もし英語を喋りたいって思う人たちがいたり、
今喋ろうとしている人たちがいるとすると、
私からちょっとできるアドバイスとしては、
いくつかあるような気がするので、
それを思いつくままに 喋っていきたいように思います。
まずね、
いちいち英語に訳すのはやめたほうが いいんじゃないかなと思う。
次に、
日本語で話しているときのことを思い出してほしい。
単語にこだわるのもやめたほうがいいと思う。
ある単語が思い出せないから文章が 組み立てられないみたいなことが多分
往々にしてあって、
それがさっきも言ってた、
私聞けるけど喋れないみたいなところに 繋がってくるような気もするんだけど、
とにかく単語にこだわるのやめたほうがいいと思う。
例を挙げれば、極端な例で言うと、
車っていう単語を、
忘れちゃったとか知らないかもしれないですよね。
でもそれって別にいいじゃん。
タイヤが4つあってさ、
エンジンで動いてさ、
箱みたいな形になってて人が何人か乗れて、
燃料みたいなものはガソリンスタンドで 液体を入れたりするとかって言って
説明すれば、
あーそれ車じゃんってなるでしょ。
これさ日本語やってんじゃん。
あの言葉なんだっけとかって言ってんじゃん。
それ別にやればいいんじゃないの?英語で。
だってテストじゃないじゃん。
仕事の同僚とかでもね、
これを100年毎日やってたら嫌われちゃうと思うけど、
こういうのは許容してくれると思うんですよね。
だからそういう許容してくれる人と、
先進的に心理的な安全性を確保したまま 英語を喋る環境っていうのは重要なんだよな、
っていうのは思いますね。
で、
ちくわ役の話で思い出したんだけど、
これ全然話はずれるんだけど、
例えばこれも良くないなって思う点なんだけど、
日本人って中国人の人の名前、
15:02
例えばモタクト、モタクトって読むじゃないですか、
でもこれって日本人にしか通じないんだよね。
勝手に漢字だからって日本語で読みに当てはめるのは、
本当にやめた方がいいと思う。
だって中国、中国側も行かないけど、
例えば台湾行った時に、
モタクトが紹介席の方で話したいと思っても、
俺たちモタクトと紹介席、モタクトと紹介席って覚えちゃってるから、
人の国の地名、人名などのこういう名詞を、
台湾もそうだけど、勝手にそのうちの国の言葉で読むのは
マジやめた方がいいと思う。
絶対通じないからね。
北京は北京って読んでるけど実際は北京じゃないけど、
北京とか読んでたら絶対通じないでしょ?
東京みたいに読んでたらね。
だからあれすごく良くないなって思うんだけど、
なんでNHKとか総務省とか旗振ってやめにしないんだろうね。
本当に。
キム・ジョイルはキム・ジョイルって言うのに、
なんでモタクトはモタクトって言うんだろうね。
これは、ちなみに同じことを、
イヌカイ総理大臣に暗殺された、
イヌカイ・ミチコって人もエッセイで書いてて、
俺それすげえ共感したことあるなっていうのを思い出した。
話はまたそれるんだけど、
日本語で例えば富士山とか美和湖とかあるでしょ?
これいい例えか分かんないけど、
あれをマウントフジって言うのもちょっとおかしいなって思いますよね。
だって俺たち、富士山は例えが悪いけど、
富士山を表すときにフジって言わないじゃないですか。
フジフジって言ってもこいつ多分、
フジフジって言ってたら富士山のことかどうか分かんないな、
リンゴの種類かも分かんないしなってなるでしょ?
富士山は富士山でも固有名詞だけじゃん。
あれを最初にマウントフジってやったやつ頭おかしいな、
マウントフジさんっていいと思うんだよな、
でもすげえ違和感感じるのは吊り込まれてるからだよね。
何が言いたいって、名前もそうだし、地名もそうだけど、
その国で固有で呼ばれてるものに勝手に別の国の言葉を当てはめるのは
めちゃくちゃ危ういなっていうことだよね。
例えばだって、
天元寺橋?
天元寺ブリッジじゃないでしょ?天元寺橋じゃん。
もっと言えば、
飯田橋?飯田橋って飯田ブリッジじゃないじゃん、
飯田橋じゃんっていうこと。
富士山とかもそういう話。
地区語訳はやめたほうがいいし、
単語が分かんないんだったら、
Lを回避するってのが似てるんだけど、
別にそこで行き止まりになっちゃって、沈黙しちゃう必要が全くなくて、
分かる範囲で言葉を拾って、
単語を出せるようにすればいいよね。
だって別にボキャブラリオンテストしてるわけじゃないからね。
車はちょっと例としてかましくないんだけど、
カーぐらい覚えとけって話なんだけどね。
あとは、英語は、
英語で調べたほうが多分いいんだろうなと思います。
これはさっきの地区語訳、
一個一個日本語に訳すのと同じ話かもしれないんだけど、
18:02
英語を英語で覚えるようにしたほうが多分、
その後、農水の働きが良くなるんじゃないかなと思う。
俺もどうだろう。
50%50%じゃないけど、英語は英語で調べるほうが多いけど、
日本語で調べたほうがふっと踏み落ちることもあるんだよな。
だからそこはケースバイケースなんだけど、
これはちょっと覚えておいてもいいような気がするな。
英語で調べるっていうのと似てるのが、
周りの人がいるんだったら、
英語はやっぱり英語で聞いたほうがいいですね。
英語でわからないことを英語で聞く方法を覚えるっていうのが、
今風で言ったらサステナブルですよね。
それがいいなと思います。
あとは、読んでるときかな。
読んでるときも、いちいち辞書を引かないほうがいいかなと思う。
例えば小説でも、何かのドキュメントでも、
わからない単語が出てきて、
今紹介しているコアな言葉だったらちょっと困ると思うんだけど、
説明の中に出てくる言葉でちょっとわからないなってあっても、
これ感覚だけど3回出てきて、
まだわかんないし、
数字が通んないなっていうとき以外は、
いちいち辞書を引かないほうがいいんじゃないかなと思う。
だって別に俺が今喋ってる言葉、全部わかってないでしょ。
俺もわからないで喋ってる言葉あるかもしれないし。
さっきから言ったけど、誰も採点してないってところだよね。
結局採点されると思っちゃってるのが、
すげえよくないんじゃないかなと思いますね。
誰も採点してない。誰もテストしない。
全然中学のジャージで走ってても誰も恥ずかしいなんて言わない。
ランニングしてる人たちは。
してない人たちが言ってきます。ダサいって。
それと同じです。
やってない人たちがわがかりしたりするんです。
ある程度努力だとか時間使ってる人が
同じことをしようとしてる人たちのことを
採点したり笑ったり絶対しないので、
そこは本当にいい話をしたいわけじゃないんだけど、
覚えてるほうがいい気がしますね。
やっぱり一番大事なのは、
環境を手に入れることですよ。
さっきも言ったけど、
喋れる相手を見つけることもそうだし、
俺の場合だと、
強引に仕事と結びつけて、
英語が使えないと仕事できない環境に身を置いたりしたんだけど、
だからね、
それすごくいいと思いますけれども、
でもそれすごく難しい。
でもそれがいいのに難しいし、
容易にできないっていうのは一体どういうことかというと、
実は全然必要ないってことじゃん。
だから必要ないものを覚えようとするのは、
多大な努力がいるわけですよ。
本当に多大な努力がいると思うんですよ。
なので必要とするっていうのはあれですよね。
だからアメリカの人が日本に来て、
外人バーみたいなところに行って、
21:01
日本人の彼女なりを作るっていうのは一つ、
それが目的で日本に来てるとは全然思わないけれども、
それをそのパートナーを見つけることを
日本語を覚える手段としているとは全然思わないけれども、
そのようにして環境を手に入れたらやっぱり、
すごい力強いですよね。
それはあるなと思います。
必要ないものを覚えようとするっていうのは、
努力が必要だみたいな話をすると、
俺がいつも思い出すのが村上春樹の
ノルウェーの森っていう小説に出てくる長澤さんっていう先輩なんだけど、
あいつはどっかの官僚になるような内定がしてるんだけど、
今からスペイン語とかイタリア語とかを勉強してるみたいなやつなんだけど、
彼が言うのはみんながしてるのはただ労働だと、
努力っていうのは主体的に目的的にするもんだみたいな、
俺ノルウェーの森好きですげえ読んでるんでこれ、
最後に読んだの多分10年以上前だけど、覚えてるんだけど、
そういうことですよね。
必要もないのにやろうとする、それを維持するっていうのはすごい努力が必要なので、
なかなか難しいなというのはある。
もっと言うと、はっきり言って英語なんていらないんですよ。
だって必要ないじゃん。全然生きるのに必要ないじゃん。
だから覚えないんですし、必要あったら覚えるんですよ。
だって俺も隣にいるフィリピン人に何か伝えたくて覚えたわけだし、
ジョン・マンジローなんか誰も先生いないのに必要すぎたから覚えたわけだし、
そんなこと言ったらアメリカで生まれる赤ちゃんは必要だから英語を覚えるわけだし、
というのはあるんだよな。
だから別にいらないって割り切って全然やんないっていうのがすごくありで、
なんか別に優れたことじゃないし、
二つ目の言語として覚えてる人たちっていうのはそこそこ努力を費やしてる部分があるから、
優れたことではないっていうのが言い過ぎだけど、
でも所詮言葉なんで、
その国の人誰でも喋ることなんで別になんてことないんですよね。
それによって得るものはいっぱいありますけど、
はっきり言うかいらない環境の人は絶対いらないですよね。
なので話を広げると、
俺は英語に対する初期教育、
2歳からやらせる、3歳からやらせるとかっていうのには、
ものすごく怪異的っていうか、
馬鹿にしてるっていうか否定的なんだけど、
だってその子は必要なのかどうかわかんないじゃん。
俺バイリンガルの人とか何人も知り合えるけど、
その人が英語を必要とする仕事をしてるかなんて全然関係ないよ。
そういう人もいればそうじゃない人もいるよ。
ただもちろんその人のコミュニケーションする仲間たちとか、
属する世界っていうのは、
日本語も英語も両方使うようなところにいるっていうのはもちろんあると思いますけど、
そういうちっちゃな頃から英語を叩き込まれてる人が、
将来的にそれを職業に生かすかどうかなんていうのは全く全然関係ないし、
必要感がもうわかんないものを与えるっていうのは
マジやめたほうがいいなと思って、
俺は全然だから、は?みたいな気持ちでいつも思いますね。
ちっちゃい子用の英語の塾とかね。
だってはっきり言って、もうこんなこと言うと出血くるかもしれないけど、
それって何?お前の人生の仇討ちじゃねえかよ。
24:02
自分ができねえことを自分のガキにやらそうとすんじゃねえよ。
子供の人生はお前の人生の2週目じゃねえの?
いきなりなんかすげえ強い武器を与えてやろうみたいな。
いや、わかるよわかるよ。
親の気持ちを知ってたらそれはわかりますよ。
でもなんかそれって逆にさ、
遅すぎるとか遅いなんてことはないっていうのが
人生のコアになる考えだし思ってるんですけど、
だから25歳までこれっぽちゃんとしゃべれなかったのが
しゃべり始めてすごくよかったなと思うし、
ランニングも30歳過ぎて始めてすごくよかったなと思うし、
遅すぎることはないんですよ。
個人が、その当人が後から考えて、
こんなにいいものだったら12歳のとこやっとけばよかった、
こんなにいいものだったら自分で判断できる年齢ですよ。
でも周りの奴らが早いうちに与えようとするなんていうのは
マジおこがましいし、それって逆に逆か知らんけど、
何かには遅いことがあると。
手遅れになってしまう前に手を打たなければっていう
自分の子供の可能性を否定してるわけじゃないですか。
なので英語に関わらず、そういうのはすごく俺は嫌いなんだよな。
だってやりたいと思ってるからやればそこそこ物になるっていうのが
その子の可能性考えてあげるって本当のことじゃないの?
もちろんわかるよ。プレートの上に全部食材並べてあげたいのわかるよ。
そりゃそうだよね。毎日納豆ご飯しか食わせないよ。
好きなもの選びなさいって言って残させるほうがいいよね。
わかるわかる。わかりますよ。わかりますけどね。
でもそれって食い物の今例えだからさ。
そいつの人生のことをそんな勝手に可能性しもんじゃねえよって思いますよね。
俺ね、話し続けると
一体幸せとは何だよみたいな話になっちゃうんで。
話し終わるだけになっちゃうんだけど。
なので、俺は
自分の
そういうのもあって、あとはいろいろ
ちゃんと学校も行ってないとかもあるんで
常にゼロから始めてるみたいな気持ちがあるので
なので今回のこの英語の話もそうですけど
ランニングの話もいろいろありますけど
やっぱり物事に遅すぎるなんてことは全然ないよね。
っていうようなことを自分で
自分の身をもって自分に対して証明したっていうような
自分にどうこうっていうことではないですけど
自分自身に対する自信?
自分自身に対する自信ってものすごくバカっぽいな。
まあでもそういうことですよね。
ただ、やっぱり言いたいのは
英語の話に戻りますけど
日本語が通じないうちに何か伝えたいとか
彼に彼女に私に何か伝えてほしいと
言ってることを理解したいっていう気持ちがあれば絶対覚えられると思いますよ。
日本語の話って俺だって喋れるんだし
アメリカで一番バカな人だって喋れるわけだからね。
これ適切な理由かどうかわからないですけどね。
そんな感じで
じゃあ一体何か良かったことあんの?
っていう風に思えば良かったことはいっぱいありますよ。
やっぱり意思疎通ができたりコミュニケーションする対象が
無限に広がったわけですよ。
英語ってはっきり言って世界語じゃないですか。
27:02
それってやっぱり有利で
俺は英語読むのすごい嫌いだけど
英語というか世界共通語を操れるようになったっていうのは
世界の図書館っていうところへのアクセス権を得たと。
これっていうのは
昔読んだ日本語が滅びる時っていう
水村美奈さんっていう人が書いた本の
受け売りなんだけど
これ結構俺も腑に落ちる動画あって
最高の頭脳とかって英語で発表すると思うんですよね。
技術的なものとかはもちろんそうだし
だってその方が読んでもらえる確率が高いじゃないですか。
当たり前ですよね。
Netflixとかは
全部の言葉に対応して発表するじゃないですか。
そういうわけでちょっと賢いやつとかって
やっぱそうなると思うんですよね。
その本に書いてある言い方だと
人々っていうのは
日本語で、そもそもオリジナルで日本語で発表すらしなくなる可能性ありますよね。
例えばだから日本語の文学っていうのは
滅びる可能性ってありますよね。
俺結構それもなるほどなって思ったんだけど
日本語の文学滅びるとまでは思わないんだけど
頭のいい奴らが論文とか日本語で書かなくなるんだろうなっていうのは
多分感覚として合ってるなとは思いますね。
俺は別に延長を求める人々ではないんだけど
世界共通語が喋れることによって
世界の図書館とまで読まないけど
世界の図書館は今でも誰でもアクセスできると思うけど
先端の情報とかは英語で公開されるから
それを躊躇なく読んでみようって思う気になるっていうのは
世界の図書館のアクセス権みたいなのに爪が引っかかってるってのはあると思うし
思っていれば図書館とまで読まんが
会議室?会議室とまで読まないかな?
でも世界の喫茶店ぐらいにはアクセスできましたよね。
世界共通語が喋れることね。
っていうのもあって、実は中国語は難しいんで
スペイン語をやってみようと思って
スペイン語覚えるとスペインと南米のほとんどの国で全部通じるから
中国語でもね。
って思ったこともあって
これ2つ使えるとほぼ世界に全部アクセスできるなって思ったこともあったんですけど
そういうのはすごくあるよね。
だってそこにパッと入っていくだけだからね。
良かったことはいっぱいありますよ。
ただこれ本当なんか別に俺がランニングやってるから
あと聞いてくれてる人がランナー多いからっていうことでは全然なくて
本当これランニングと一緒ですよ。
生涯やっていくもんだなって思ってるし
キャッチアップしたり新しい言葉を覚えたりっていうのも
どっから止めていいようなものではないから
ずっと生涯やっていくもんだよなっていう風には
思ってますよね。
そんな感じですかね。
俺とMe and Englishみたいな話はこんな感じかな。
ここまで聞いてくれた人がいたら本当にありがとうございますって感じで
また次回からはバカバカしい話もしようかなと思います。
それじゃあ。