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2024-10-19 22:53

ちえラジChatライブ - ゲームから学べることもあるけれど

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図書館総合展のプレイベントとして行われた国立国会図書館のゲームの話。
このイベントを通じて思ったことについてお話をしました。 #ゲーム #図書館 #声日記 #ちえラジライブ再配信

 

サマリー

今回のちえラジChatライブでは、ゲームを通して学ぶ可能性について議論され、国立国会図書館でのゲームの貸し出しも紹介されています。また、現代のゲームの教育的価値や、体験を通じて得られる気づきについて具体例が挙げられています。ゲームには多様な操作方法やインターフェースがあり、ゲーマーはそれに迅速に順応する能力を持っています。ゲームを学びに活かせない人もいる一方、図書館などでゲームから得られるものを探求することが課題だと論じられています。このエピソードでは、ゲームを通じて得られる学びの重要性や、ゲームが正当に評価される環境を作る必要性について語られています。また、サイドウィッチシティにおける活動やコミュニティへの参加の呼びかけも行われています。

国立国会図書館のゲーム貸出
始まりました。今週1週間を振り返る、スタンダードFM等のちえラジChatライブでございます。
今回は、ゲームから学べることもあるけれど、という話で、今週は、格闘系社さんのイベントが、プレイベントですね、図書館総合展という、来月から行われるイベントのプレイベントがありましたので、
そちらの話を振り返りながらね、ちょこっと思った話とかをしていきたいと思います。
師匠と大学教員が国立国会図書館でゲームの館内プレイをした話。
ということで、こちらの内容のズームのイベントが、この間水曜日に開催されました。
国立国会図書館では、実はゲームの貸し出しをやっていますっていうのは、以前どこかで聞いてはいました。
ゲームを図書館に収蔵するっていうのは、さすがにまだまだ日本では珍しい方ではあるよねっていうふうに言われてはいるものを、それでも国会図書館だけはちゃんとやってるんだぞっていうような話は、以前聞いてました。
補足として言うと、やっぱり海外だとわりとそれって当たり前の話で、
ゲームを普通にコンテンツの一つっていう形で、結構いろんなところで図書館に収蔵されてて、普通に遊ぶことができるっていうのがあるらしいです。
アメリカのどこの図書館だったのかな、忘れたんですけど、そこを実際に見に行ったよっていう人の話をこの間聞いて、
そちらの方では本当に最新どころのゲーム、スイッチとプレイステーションとXboxとSteamの環境が用意されていて、
それぞれの各ゲームハード9つぐらいだったかな、なんかゲームが遊べるよっていう状態になっていました。
なのでそういうような場所があるよっていうのは聞いていました。
ただ国立公開図書館の状況がどうなのっていうのはあんまりよくわからなかったんですよね。
とりあえずあるよ。
ただ、特に古いハードなんかだとデータを維持するのが大変だよね、遊べる環境を維持するの大変だよねとか、
そういうお悩みがあるんだよっていうような話をしていて、そういうものがあるんだなっていうふうに聞いていた程度でございます。
で、より詳しい話を今回聞くことができたというわけで。
なんかすごく概要かいつまんで言うと、
あちらの方ではプレイルームみたいな場所とか視聴角質みたいな場所が用意されているかというとそういうわけではなく、
一応動画再生コーナー的な場所でプレイができるということだけども、
周りに人がいる状態でヘッドホンして遊んでねっていう感じになるそうです。
また、メモリーカードとかそういう記憶媒体の持ち込みとかができないので、
基本的にゲームのセーブはできません。
例えば、メモリーカードが入ってないと動作しないよっていうようなゲームはできないよみたいな話でしたかね。
それぞれのハードの中から4つほど選んでいろいろ遊んでみてこんな感じなんだなっていうのを調べたよというようなお話を報告会がありました。
まぁだいたいゲームがあるよっていう話だけは聞いていたものの、
今こんな感じの環境でやるんだっていうのは初めて聞いたので、びっくりな内容ではございましたね。
メモリーカードが入れられない。
いろいろ手続きの都合上もあるんだけど、しょうがないところもありつつも、
マジなのかそれはっていうところがあって、すごい意外な感じでしたね。
それでゲームを図書館として収蔵して遊べるっていう状態になっているのかなっていうのをちょっと不思議に思ったところもありましたけど。
まぁなんかね、それでも一般的な前進ではないのかなっていうふうに思いました。
まぁそもそもゲームは全然遊べないし収蔵もされてないよっていうところからするとかなり変わってんだろうな、良くなったんだろうなっていうふうに思います。
ただ、その中からゲーム体験を得たり、その中から何かを学んだりとか、そういうようなことは残念ながら多分できないんだろうなっていうのをなんとなく感じました。
なんて言ったってセーブできないんじゃね。
当初のマリオ、カミコンのマリオ3とかみたいに、なんだかんだ言ってセーブはできないんだけどワープがいっぱいあるからそれでなんとかしてよみたいな、
そんな感じのゲームならいざ知らず。
ドラクエの1,2とかみたいに復活の呪文入れればなんとかなっちゃう的なものならいざ知らず。
そうでないものでセーブができないっていうのが致命的だと思うので、
まぁでもね、感じを確かめるっていう感じになるんだろうなっていうふうに思いました。
ちなみに当然ながらというか、貸し出しはできませんっていうようなことだそうです。
なので完全に本当にオープニングの画面とかその辺のプレイルームを見るだけっていう感じですね。
ゲームを通じた学び
ひょっとしたらRTA奏者の方なんかはそんな環境でも普通にクリアできるよとかいうのがあるのかもしれません。
っていう感じでした。
ただもう一つ気になったのが、そこで言うのはやっぱりゲームっていうのはそこに置かれている以上やっぱり学べの一環でもあるよっていうような形だったんですかね。
確かにゲームって非常に学びになる部分っていうのはあると思います。
今朝もちょうど地域の方とそういう話をしててね。
やっぱり今の時代、ゲームじゃなきゃ学べないこと、体験できないことってあると思うんです。
例えば今やってるゲームグラウンデッドなんかだと、
やっぱり自分が生き残るためには他の無抵抗な動物を狩りをして食べなければいけないわけなんですよね。
でもそういう狩りをするとか、その動物を食べるっていうのとか、
特に油虫なんか姿焼きなんですよ。
普通に目とか見えちゃってね。
そんな感じの姿焼きをバクバク食べちゃうわけなんですけども。
そういうような経験を経て、
あ、命をいただくってこういうことだぞとか、
無抵抗な動物を襲うってやっぱり心が痛むわけなんですよ。
気が引けるんですよね。
ある程度慣れてきたとはいえ、
ゲームの中で150日近くやってますからね。
150日分いろんな虫を食べてきてるわけですけども、
それでもやっぱりちょっと気は引ける。
でもそういうようなことを経てるからこそ、
やっぱり命ってこういうことだよねとか、
他の動物を狩りすることってこういうことだよねっていうのをなんとなくわかったりするし、
あとは集まる動物の森なんかでも、
あの世界ってまだちゃんと四季があるんですよね。
春夏秋冬しっかり3ヶ月ずつあって。
でも今の日本ってもう四季があるかどうかすら怪しくなってきちゃって、
春春春、春春春春、
あ、春がそんなに早いや。
春春春、夏夏夏、夏夏夏、
秋一新あって冬冬冬、
そんな感じになっちゃっているような状況で、
なんかもう本当に四季がちゃんとない状態。
だからその中でもちゃんと四季を感じることができる。
地域の歴史の、それぞれの時期の行事を感じることができるって、
やっぱ集まり動物の森みたいなゲームの特性の一つじゃないかなっていうふうに思ったりするんですよ。
だからそういうような経験がもうできるようになったよっていうのが、
まあ一つありますわね。
で、その他だと、
そうですね、やっぱり、
特に今回だと、
ポケモンのスカーレット&バイオレット、
ポケモンSVとかなんかもやっぱり、
もうああいう地域ってなかなか見に行けないよねっていうようなところが結構あるわけなんですよ。
本当に日本にはまあないだろうなっていうような地形とか、
あとは日本にはあるんだけれども、
かなり遠くに旅行しないとひょっとしたらないかもしれない地形とか、
そういうようなところを見ることができて、
そこでああこういうものがあるんだなって感じ取ることができる。
個人的にはね、ポケモンSVのね、
なんかどっかでも話してたような気がしますけども、
パルデア地方の北東部分にね、
すごい険しい山があってね、
そこからちょっと太陽が見える場所があるんですよ。
そこで朝日を見拝むっていうのも、
なかなか私は好きだったなっていうような場所があるんですよね。
だからそういうところを見るっていうことも、
なかなか多分現実ではできないだろうなって思うし、
それって外に興味を持つきっかけにもなりうるのかなっていうふうに思ったりはします。
あとはやっぱりそうですね、
ファイアインベルムとか戦場のバルキリアとか、
あとは今やってるのはユニコーンオーバーロードとか、
そういうシミュレーションゲームを通して、
戦争ってこういうもんだぞっていうものを学ぶ。
まあリアルな戦争体験を聞くよりは、
全然戦争体験は学べないかもしれない。
でもやっぱり戦争を仕掛ける側とか仕掛けられる側になって、
こういうことで戦争って起こるんだなっていうのを体感することができる。
それって多分ゲームじゃなきゃできないんじゃないかなっていうふうに思ったりはするんですよね。
具体的なゲーム体験
だからそういうような経験ができるっていうのは、
やっぱりゲームならではだと思うんです。
あとはその他にもシステム的なところでも、
やっぱりゲームって基本的にどのゲームでも、
別のゲームを遊べば別のユーザーインターフェースがあるわけで、
操作方法とかメニューの選び方とか全然違うわけなんですよ。
でも多分ゲーマーの方々ってそれにうまく順応できるんですよね。
いろんなゲームやってきてるから、場合によって、
この時はこういうふうな操作すればいいのねって。
特に自分なんかは平行で20個ぐらいゲームいろいろやってるんで、
さすがに迷うことはありますけど、
それでもだいたいある程度経ったら慣れるんですよね。
それぐらいの熟練はできる。
操作を切り替えても普通に使える。
そういう感覚ってリアルにネットのシステムいじったりとか、
ITツールのプログラミングやったりとか、
そういう時にも役に立つと思うんですよね。
画面構成見て、今こういうふうにすればいいんじゃんとか、
こういうふうにやれば大丈夫だよねみたいな。
使ったことのないツールをなんとかうまく使うって、
やっぱりゲームの感覚が生きてくると思うんですよね。
実際それが理由なのか知らないけど、
やっぱりうちの母なんかは基本的にタブレットのアプリとか、
新しい出てきたものでも大抵使えるんですよね。
それはなぜかっていうと、
やっぱり多分ゲームやってるからってのもあるんじゃないかな、
なんていうふうに思います。
もちろんそれらをゲームを削して学ぶっていうことはできると思うんですけれども、
圧倒的にやっぱりゲームを学びに使ってきたほうが、
なんか生きるんじゃないかな、楽なんじゃないかなっていう気が、
ちょっと個人的にはしています。
だからそういうところで、やっぱりゲームを通して学べること、
ゲームを通して得られることってすごくたくさんあると思う。
学びの課題
反面、そういうのを学びとして見ない人だっていると思うんですよね。
やっぱりゲームをやっていても、
そこから何も得ないで帰ってくる人っているわけで、
そういうような人たちも、
その中にもゲームが大好きなんだけどっていう人だっていると思うんですよ。
だからそういう人たちに、
じゃあどうやってゲーム、
特に図書館とかでゲームから得られるものを得ることができるのか、
与えることができるのか、発信することができるのかっていうのが、
ちょっと課題だなっていうふうに思ったりしました。
それはね、あとはプレイスキルの問題とかもあるかもしれません。
例えばグランデッドなんかね、
この間見たら、
YouTubeに上がってたのが、
オートマトンのサイトに上がってた動画なんですけれども、
グランデッドってすごい評価高いけどクリア率めっちゃ低いっていう話で、
っていうのもめちゃくちゃ難しいんですよ。
やっぱり基本的にどこにでも行けるし、
あの時のバージョンとは全然違うんでね。
ゲームをやっていると、
例えば目的地に行くことはできるんだけども、
大体の目的地、途中に、
本当に最強の敵ってわけじゃないんだけど、
かなり強い敵のクモがいたりするんですよ。
あのゲームはやっぱり、
1センチサイズくらいまで体が縮んじゃった主人公の物語なのか、
子供たちの物語なので、
やっぱり最大の天敵って結構クモの時が長いと思うんです。
で、基本的に本当に初期装備の状態なんかだと、
クモなんかあった日には、
まあとりあえず1、2撃耐えられればいいかな、
ぐらいなレベルなんですよね。
だからそういうような、
もう本当にめちゃくちゃ強い敵がうよいよいる中を、
なんとか生き残らなければいけない。
っていう意味で、
ものすごく最初大変なんです。
まあ途中も大変なんですけども。
そしてこの後がもっと大変になるらしいっていう話です。
まあね、実際に聞いた話ですと、
もっと強い敵、
ヒアリーとか、
あれ?ヒアリーってあの当時いたんだっけ?
発見されてたんだっけ?っていう気もするんですけども、
あのゲームは舞台がね、一応、なんだっけ、
1990年代ぐらいのアメリカのお話なんだけどもね、
なんかそういうようなところで、やっぱり、
それでもめちゃくちゃ強い敵っていっぱいいるんですよ。
例えば本当にヤゴなんだけど、
なんか、
なんだっけ、
助走罪の影響を受けて、
ちょっと変異しちゃったヤゴとかいて、
基本的にどんな攻撃もまともに当たんないっていうね、
めちゃくちゃ強い敵がいるんですよ。
なんか霧攻撃だけ当たるっていう、
当たるというか、
ちゃんとダメージを与えられるっていう話らしいんですけども、
そういうようなめちゃくちゃ強い敵とかが、
要所要所に出てくるんですよね。
で、今後アレ地獄とかも出てくるし、
団子虫とかも出てくるし、
ものすごく強い敵とか厄介な敵とかいっぱい出てくるらしいんです。
で、そこで折れちゃったからファンクリア率が低いっていう意味なんだと思うんですけども、
それだけ難易度が高いゲームだから、
やっぱりそういうところで、
命ってなんだろうとか、
狩りってなんだろうとか、
誰かの命をいただいて、
何か食事をするってそういうことだぞとか、
そういう感覚を覚える前に、
諦めてしまうってあると思うんですよ。
特にね、あのゲームって基本的に、
全くの素手で倒せる敵ってほとんどいなくて、
まあとりあえずまずは石斧を作るところかな、
そこらの小石の欠片を集めて、
縄で小枝と絡めて、
結んで、縛って、
それを斧にして戦うとかいう感じになるんですけども、
それをするまでに結構ステップがあって、
やっぱりその間に挫折しちゃう人もいると思う。
だからそういうようなところで、
せっかくゲームの中に散りばめられた、
ゲームのプレイ環境
学びとかそういうものを得られない人っていると思う。
で、もちろん先ほどのとおりに、
ゲームそもそもやらない人は、
そこから何も得ることができない。
あとはゲームを楽しむ目的としてしか見てない人は、
まあそもそも国会途中間でゲームなんかやらないでしょうけども、
でもそこから何かを学ぶことは当然できない。
というわけで、なんだかんだ言って、
やっぱりゲームがあるだけじゃ、
そこからそれを資料的価値があるものだって言って、
済ますことができない、
言い切れない場合があるよねっていうのは、
すごく思ったりします。
そのほかにも、やっぱり、
実際にプレイ環境を持ってきたとしても、
そこからこういうような見方があるのかって、
気づけないケースだってあると思う。
まあもちろんね、それのヒントが、
例えば、
YouTubeの動画シリーズ。
動画シリーズというか、ジャンルの一つですかね。
ゲーム散歩っていうものがあります。
ゲームをプレイが上手い人と、
なんか全然関係ない分野。
例えば都市計画とか、建設とか、
あとは歴史工学、歴史の建築学とか、
あとはパリ観光とか、
いろんな全く違う分野の専門家の人と、
一緒に見て実況し合う、
というようなゲーム散歩っていう、
ジャンルの配信があります。
そういうところを見てると、
ああ、こういう視点で見ると、
このゲーム面白いんだっていうのは、
分かったりすると思うんですけども、
ただ、それを見るまでの道って結構長かったりして、
たぶんゲーム好きじゃない人って、
たぶんそういうゲーム散歩読まないよね、
っていうのもあったりして、
厄介なところであるんですけども、
そういうヒントにはなってるんですよね。
ただ、それだけでもちょっと足りないのかな。
じゃあ、図書館でゲームを収蔵して、
学びとするためには何が必要なんだろうねっていうと、
たぶん今の設備だけでは足りないんだろうな、
っていうふうには思うんです。
それは、例えば、
ゲームが上手い人の実況動画かもしれないし、
上手くはないけれども、
なんかやたらと感情的にゲームやるんだよね、
この人っていうような、
人のゲームプレイの動画かもしれないし、
それこそゲーム散歩かもしれないし、
そういういろんな側面の動画だったり、
資料だったり、
そういうものを、
ゲームを置けばいいって話じゃなく、
置けばいいとは、
たぶん国会図書館の方は思ってないと思いますけども、
そういういろんなサブコンテンツを詰めて、
初めて、やっぱり、
ゲームの学びと評価
そのゲームを置くことで
資料的価値っていうのが出てくるんだろうな、
なんて思ったりしていました。
それを、今の、
そういうゲームを図書館に置くことを、
面白い、素晴らしいと思っているような、
師匠の方々。
まあ、割とね、話していると、
その格闘技師匠さんって、
そういうような感じなのかな、
っていうふうに思ったりはするんですよ。
やっぱり、ゲームが好き。
本人もゲームが好き。
その中から学べることは多いと思っている。
っていうような人。
そういうような人は、
やっぱり集まりすぎると、
逆にそうじゃない人の目線に立てなくなってしまうので。
でもやっぱり、
こういうような活動をしてて、
自分もNPOの方が活動をしてて思うのは、
やっぱり、
常にここに来れない人、
来れなかった人のことを考えなきゃいけないよね。
そういうような人たちは、
なんでここに来なかったのかな、
なんでここのことを見つけることができなかったのかな、
ここまで来ることができなかったのかな、
っていうのを考えなきゃいけないと思っています。
だからこそ、
やっぱりそういうような考え方を持ってもらう。
そういうような人に来てもらう。
そのためにはどうすればいいんだろう、
っていうのは考えなきゃいけないんだろうな、
なんていうふうに思っていました。
まあ、とはいってもね、
結論が出るわけでもなんでもないんですけどね。
ただ、自分としても、
やっぱり、
サイドBHTと活動として考えていること、
目当てとしていること、目標としていることは、
やっぱり、
すべてのITに関わる人、
もの、
すべてのものが、
適切な評価を得る環境になること。
そしてその中には、
当然ながらゲームも含まれます。
ゲームのデザイナーさんも、
ゲームのプレイヤーも、
ゲームの、
例えば配信者さんとかも、
そしてゲームそのものも、
正当な評価を与えられる環境になってほしいな、
っていうふうに思うんです。
食わず嫌いをするんじゃなくて、
ちゃんと見てから、
あ、でもこの人の実況あんま合わないや、
とか言うのはいいにしても、
全く見ないで、
あ、ゲーム実況なんかダメだよ、
とか言っちゃダメ、
だという話。
そういうようなところで、
ちゃんと見てほしいな、
ちゃんと、
分かんない人にも、
あ、こういうやり方あるんだな、
っていうのは、
許容してほしいな、
っていうふうに思っています。
別に理解するとは言わないんですよ。
許容してほしいな、
っていうふうに思うんです。
そうするためには、
じゃあどうすればいいんだろうね、
っていうのは、
やっぱり自分たちが考えて、
いかなきゃいけないんじゃないかな、
なんていうふうに思っています。
まあ、そんなことを思っているのは、
サイドウィッチシティの中で、
自分一人かもしれないですけどね。
コミュニティ活動の重要性
本当にサイドウィッチシティって、
そういう、
なんか意思の統一とか、
そういうの全然無縁な場所なので、
まあ、
それでも、
自分はそこに所属しているってだけでも、
できること増えるんでいいんですけどね。
ただまあ、
それはそれとして、
自分と同じ方向を、
ある程度のいいから見てくれる人を、
入れたいな、
集めたいな、
っていうふうには思います。
なんでね、
本当にね、
興味ある方は、
ぜひぜひサイドウィッチシティに、
入っていただければと思います。
今日はちょっと終わっちゃいましたけどもね、
サイドウィッチシティ、
もこもこ会とかもやってますんでね、
お気軽にそういうところにね、
来ていただければいいな、
っていうふうに思います。
まあ、
その他にもね、
なんかもっともっと、
うちの団体としても、
こういうことやってるよ、
ああいうことやってるよ、
っていうのをもっと、
どんどん宣伝していきたいな、
っていうふうには思っています。
なんかそういうような、
手法を含め、
いろいろと工夫していければと思います。
せっかくね、
AIを使ってなんかツール作るとか、
そういうことも、
テクニックとして覚えてきたんでね、
なんかその辺の有効利用をせつつ、
サイドウィッチシティに活かしていきたいな、
というふうに思っております。
ということで、
今日のお話、
これくらいで終わりにしていきたいと思います。
明日は日曜日なので、
お休みです。
週明け月曜日はいつもの通り、
今週1週間の予定ということで、
お話をしていければと思います。
ではでは、
どうもありがとうございました。
22:53

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