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2024-02-19 08:41

なぜ商社を辞めて起業したのか?

2 Comments

起業を選んだ経緯を話してます。写真は商社時代にインドの取引先と撮った写真です。笑

#声日記

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はい、どうも、たかしじゅんです。本日も公営日記始めていきたいと思います。
今日も朝からお弁当を作ってですね。
今日は配達ないので、私はあつさんがしっかり出勤してくれて、私は配達に出る必要がないので、今朝取っています。
今日はもう1日事務作業をすることができるんで、事務作業をして。
雨なんでね、朝もゆきちの散歩行ったんですけど、夕方ちょっと雨があまりにも強いとスキップしちゃうかもしれないですけど。
そうでなければゆきちの散歩行ってっていうような1日なので、比較的ゆっくりですね。
本日ですが、私がなぜ起業をしたのかっていう話をさせていただきたいなと思ってます。
自己紹介で簡単に経歴は話してるんですけども、起業した理由は話してなかったと思うので、改めて自分の言語化プラスみんなに知っていただきたいなと思いまして話します。
私、社会人生活ですね、まず新卒で岡屋幸喜という賞者に入りまして、丸5年間水産品の輸入販売っていう営業の仕事をしておりました。
この仕事はですね、めちゃくちゃ楽しかったんですよ。
私自身、若い年齢から年代から海外で活躍したい、出張で飛び回りたいっていう思いを持って、岡屋幸喜という賞者を選び、その結果ですね、水産室っていうところに配属になったんですけども、
配属になって1週間後にはアラスカ3週間貼り付けみたいな、一人でアラスカ行ってこいみたいな出張、酒の買い付けとかカズの子の買い付けなんですけど、現場見てこいみたいな感じで出張化してもらったりだとか、
その後担当がエビになりましたので、エビの産地って東南アジアがメインなので、タイ、ベトナム、インド、インドネシア、ミャンマーだとか、そういった国々に1年目の頃から毎月のように行かせてもらうような仕事をして、
現地の仕入れ先と交渉をし、夜はお酒を飲んで、親睦を深めみたいな生活をさせていただきました。これめちゃめちゃ良かったです。なのでめちゃくちゃ感謝してますし、この岡屋幸喜という賞者が嫌で嫌で辞めたというわけでは私はないです。
では、なぜ辞めたのかっていう話なんですけども、起業しよう、起業しようと思って最初からサラリーマンを始めたわけではなくですね、賞者に入った頃は私の家庭が別に特に裕福な家系じゃなかったので、年収1000万もらえる賞者に入りたいなっていうふうに思って、半分岡屋幸喜という会社を選んで、
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実際問題、35歳ぐらいになると年収、年次でいう10年目、12、3年目になると1000万ぐらい越すような賞者なので、望み通りの就職でした。ただですね、働いていくうちに気持ちは変わっていったっていう話なんですけども、
理由の大きく分けて2つあって、1つはですね、もうなんか自分のキャリアパスが見えてしまって、つまんなくなってしまったっていうのが1つですね。どういうことかというと、大手の賞者でしたので、はっきり言って年功序列ですし、23年目、4年目から課長みたいな。
ということは不可能なんですよね、制度上。っていう中で、私が営業して、デスクに座って、目の前には課長がいて、部長がいて、本部長がいてっていうふうに、彼らを見ていると、自分は今後どんだけ頑張ってもああなるんだと、あれが僕のサラリーマン生活のゴールなんだっていうのが見えてくるんですよね。
具体的にイメージもできましたし、慣れるなと正直思ってました。一生懸命頑張ってたので。ってなった時に、特別彼らが悪かったとかで全くないんですけど、そういう課長部長の方々がめちゃくちゃワクワク働いているかっていうと、そうではなかったんですよ。
なんとなく社内営業みたいなことをして数字を作ってみたいな感じで、何か例えば夜中買えたいだとか、仕事最高だみたいな感じで働いている姿ではなかったですし、とはいえじゃあ家庭生活というか、私生活がめちゃくちゃ充実しているのかなっていうか、何て言うんですかね。
僕年収一千万ってお金持ちだと思ってたんですよね。大阪にいる頃、学生の頃は。ただですね、東京に住む年収一千万ってそんなにお金持ちじゃないんですよ。好きにお金使えるわけでもないし、都会に家買えるわけでもないので、年収一千万ってそんな裕福じゃないんだっていうのと、しかもワクワク働けないんだっていうので、なんか冷めちゃったっていうのが一つです。
じゃあこの制度を変えることはできないので、社会で出るしかないな、転職するしかないな、および起業するしかないなというふうに思いましたと。
で、そんな中でなぜ起業したかというと、それは海外のインドとかパキスタンとかそういった仕入れ先の中小企業のオーナー社長ですよね。エビの生産者と話していくうちに言われた一言が大きくて、お前は日本という国で食うに困らない生活をしてて、なんで好きな仕事やりたいことをやらないんだと言われたんですよね。
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彼らは生きるために仕事をしていて、選択肢なんかないと。ここにエビがいるからエビを生産しているんだと。で、食うので精一杯だっていうふうなことを言って、お前らは本当に幸せ者なのに、やりたいことやらないなんてもったいないぞっていうふうに、まっすぐな目で彼らに言われた瞬間ですね、本当その通りだなと思いまして、やめようと。
自分のやりたいことをやろう。もっとチャレンジしよう。できるかわかんないけど、やろうというふうに思い、退職、退社を決意して。で、2年間その後個人事業主。特にやりたいことがなかったんですよね。で、企業のネタもなかったので、やめてどうしようみたいな感じなんですけど、2年間個人事業主をして、これ修行の期間みたいな感じですね。
本当いろんな方に出会って、いろんな人々と話す中で、障害福祉っていうジャンルを私は選んで、企業をすると。で、企業の場所は地元の大阪の平方市にしたというふうな流れです。なので、僕が思い描いていた年収1000万のキラキラサラリーマンではなく、
そんな未来にはしたくなかったっていうのが一つと、たった一回の人生やりたいことやらなきゃなって思ったのがもう一つの理由。この二つの理由で僕は企業をしました。はい。なので本当に僕はこの選択は間違いなかったと思ってますし、今でも悩んでる人とかいるんだったら今の現状を変えたいだとか、僕は企業をしてほしいって思ってるんですよね。
転職よりも企業をしてほしいです。で、特に地方だとか地方都市、限界集落とかじゃなくても地方都市とかで企業することをお勧めをしております。で、この辺も全然話せるので、後日、なぜ地方都市で企業すべきなのか、そもそもなぜ企業すべきなのか。
それなりの自分の幸せだけじゃなくてですね、日本というものの課題を考えた時に僕は企業する人が増えた方がいいと思っているので、そういったところの話も次回したいと思います。はい、以上です。ありがとうございました。
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コメント

コメント失礼します。 自分のやりたいことをするってのもありですし、自分のやりたくないことをしないって選択も確かに大事だなあ、ってこのエピソードを聞いて思いました。

高橋隼

コメントありがとうございます!そうですね!やりたいことを仕事にするのはハードル高いですが、やりたいことをやらないのは比較的選択しやすいと思います!

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