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2025-04-12 11:56

♯50「消えた旅人の100ユーロ(お金や交換って?関係性を潤滑にする道具として)」

3章のワーク3-3ある田舎町で旅人が使わなかった100ユーロ。誰の手元にも残らなかったのに、町の未払いの借金はすべて清算され、経済が回った。この寓話が示す、お金の本質とは?貯めるより動かすことが大切? 「お金を使う=価値を認める行為」だとしたら、どんな消費が社会を豊かにするのでしょうか?

サマリー

このエピソードでは、お金や交換の本質が掘り下げられています。特に「消えた旅人の100ユーロ」という物語を通じて、お金が単なる価値交換の道具ではなく、関係性を潤滑にする重要な要素であることが示されています。

お金の本質と交換
さあ始まりました。タダの箱庭ラジヲ。本屋では買えず増札もされない、読み手から読み手へとギフトされる1万冊の箱庭本についてお話ししていきたいと思いますが、
まずはこのエピソードが掲載されている章は第3章。お金で手に入れたいものとは。孫徳館長やギブアンドテイクの関係は私たちの中の何かを損ねることがあるようです。
でも逆にギブアンドテイクの関係があるから実現できることもあるのではないでしょうか。私たちがお金や交換の取引で手に入れているものの正体とは一体何なのでしょうか。
ということで今日のテーマは、「消えた旅人の100ユーロお金や交換って関係性を潤滑にする道具として」
というテーマでお話ししていきたいと思います。
そもそもお金って何なんでしょうかね。皆さんお金の起源を考えたことありますか。
もともとお金は物々交換が始まりだったと言われています。 物々交換には腐りやすいものは扱いにくい
とか、交換相手を見つけるのが大変といった課題がありました。 そこで人々は保存しやすいもの、
例えば米や貝殻、金貨などを使うようになり、それがやがて貨幣として発展していきました。
つまりお金とは交換の媒体、そしてもといえば人と人との関係性を潤滑にするための道具だったわけです。
でもそんなお金の本質を忘れてしまうと、逆にこの関係をギクシャクさせてしまうこともあるようです。
ここで一つ面白いお話をご紹介しましょう。 消えた旅人の100ユーロというお話です。
とある田舎町に一人の旅人がやってきました。 この旅人は
まず泊まる場所を確保しようということで、ホテルに向かいます。
このホテルに入ったところカウンターにいるはずの店主がいなくて、困った旅人はカウンターに100ユーロ札を置きまして、
2階に部屋を見に行ったんですね。どんな部屋があるかなという感じで。 それとちょうどすれ違いでホテルの店主が帰ってきて、カウンターにある100ユーロを見つけます。
このホテルの店主はちょうど借金があった理念とか食材を仕入れているトン屋にこの100ユーロのつけを払いに行きました。
このトン屋は逆にお肉を卸すのに製肉屋に100ユーロ借金があったので、
その100ユーロを製肉屋に返しに行ったんですね。
この製肉屋は商婦に100ユーロ借金があったので、その商婦に100ユーロを返しに行きます。
商婦は以前お客さんを取った時にホテルに100ユーロつけがあったので、ホテルの店主に100ユーロを返しに行きました。
その100ユーロを預かったホテルの店主は元あった場所にカウンターに100ユーロを置いた瞬間に、
旅人が2階から帰ってきて、ちょっと気に入る部屋がなかったからということで、
まだ日も明るいし、次の町にも出発しますということで、
この旅人は結局この町には100ユーロを使わずに出て行ってしまったと。
結果としてこの町には外貨が1ユーロも落ちなかったのに、この田舎町の住人たちはそれぞれ借金が帳消しになって、
町全体が活気に溢れたという話なんです。 この話を聞いてどう感じましたか?
お金は確かに存在していました。 でも町の誰の手にも残ってはいません。
では100ユーロが本当に価値を生み出したのか、それともただ単にお金が流れただけだったのでしょうか。
この話から見えてくるのは、お金の本質は蓄えるものではなく、動かすものだったということにあるような気がしています。
経済を回す心意気
例えば、タンス貯金のようにずっと使わずにお金を、例えばタンスの中に眠らせておくということが、
実はこの社会はものすごいお金がタンス貯金に眠っているなんて言われていますけれども、
これを例えば車に置き換えてみましょう。 高級車、車を買ったのに、この10年間では車庫にしまっておいたら、
どうでしょうか皆さん。 つまりですね、これ意味ないですよね。結局使った車を動かさないことには何の意味もない。
つまりどんなに大器を持っていても、それを使わなければ社会にとっては意味はないのかもしれない。
逆に奨学であっても活発にぐるぐるぐるぐる動かされることで多くの人が恩恵を受ける。
つまりそれこそがお金の持つ純活油としての役割なのかもしれません。
ではもう一つ別の視点で考えてみましょう。 もしこの町で、
店主が払ったこのトンヤに100ユーロを渡したのに、このトンヤが、
もうちょっと精肉屋には渡さずに持っておこうというので、100ユーロが流れずに誰かが使わずに貯めていたとしたら、
きっと精肉屋の主人は借金を返せず、
商腐の代金も未払いになり、結局ホテルの店主も勝手にこの置いてあった100ユーロを旅人に渡せずに困った状態になってしまったでしょう。
つまりお金が動かないと社会全体が停滞してしまうわけです。 僕たちも何かを買ったりサービスを利用することでお金を流す役割を担っています。
では、お金を適切に流すとはどういうことなのでしょうか。 ちょうど昨日、私は元水穂銀行の常務、すごい偉い人と飲んだんですが、
彼が言ってたのがちょっと面白くて、日中は銀行で経済を回していて、夜は銀座で経済を回していたという話を聞きました。
これどういうことかというとですね、寮邸に行って1日4万円使ってとか、もう終電もないから今度はタクシーで家に帰るのに1万円も使ってですねとか、
まあ泊まらなきゃいけなくなったのでホテルにまた2万円払ってみたいなことをするわけです。
ただそれってすごい、水穂銀行の常務さんからするとものすごい大事なことだったそうです。
つまり、日中この仕事の関係性で行ったら応接室に呼んでお茶を飲みながら、
どうこの経済を回すのかっていうことをシラフの状態で話すときと、もしかしたらそれ以上にですね、この夜、
芸者さんとどんちゃん騒ぎをしながら、気が大きくなり、じゃあもっと大きなビジネスを作ろうとか、
一緒にこの日本を良くしていこうみたいな、その中で生まれるやり取りっていうのがですね、当時の日本を支えていたというふうに言っていたんです。
つまり、お金は動かすものという話をしていましたが、これどうやって動かすのかっていうこともですね、
その常務さんはすごい教えてくれてたんですよ。つまり、じゃあ飲みに行くっていうのも、どこか外資系のチェーン店に行ったら、その街の経済には落ちないわけです。
なので、常務さんは飲むんだったら、この街のスシ屋で飲むとかね、ネクタイはここのところで買おうとか、自転車はここで直すみたいに、
その経済の使い道っていうのもね、ちゃんとこの地域の中で回すように、後輩の方にはね、口が酸っぱくなるほど話していたそうです。
つまり、ここで大切になってくるのは、この経済を回すための心意気みたいなことなんですかね。
例えばお金を使うという行為を単に物を買う行動として捉えるのではなく、誰かの価値を認める行為と考えてみるっていうのはどうでしょう。
僕たちが飲食店で食事するのも、例えば映画のチケットを買うのも、誰かのサービスや作品に対してその価値を支持しますという意思表示なのかもしれません。
だからこそ、ただ単純に節約したり、お酒飲むんだったら100円でもビールが安い大手チェーンにしようとかではなくてですね、
この地域を盛り上げていく人たちにちゃんとお金が回るようにっていうこの使い方をすることで、
このきっとシャッター商店街みたいになってしまった、ああいったことももしかしたら止められたかもしれない。
つまりこのお金の使い方っていうものをですね、本当にちゃんと考えること、それが経済を健全に回していくために大事なんではないのかということですね。
またこの循環を生む消費としてローカル経済を応援するっていうのもやっぱり一つの方法だと思います。
例えば地元のカフェでコーヒーを飲む、お気に入りの作家の本をその人から買ってあげるとか、中古店とかではなくてですね、
また応援したいアーティストのライブに直接足を運ぶ、そういう消費は単にものを手に入れるだけではなく誰かの活動を支え、さらに新しい価値を生み出すことに繋がるはずです。
つまり結局のところ経済というのはお金とかではなく人の繋がりで成り立っているわけです。
大事なのはそんなお金の経営だったりとかこの人の繋がりっていうのですね、どんなマインドで心意気で使うか、それを意識することで他ではただのこのツールや道具ではなく、
豊かさを生み出す関係性のエネルギーに変わっていくのかもしれません。
というわけで今日のテーマは消えた旅人の100ユーロというお話でした。
次回も皆さんに響くお話をお届けしたいと思います。
それではまたお会いしましょう。ありがとうございました。
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