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2025-04-05 10:17

♯49「私という器を満たすということ(“私とあなた”というセパレーションの世界で)」

3章のワーク3-2「まずは自分のコップを満たせ」とはどういう意味なのか? 仕事、家庭、人間関係——他者を支えようとする前に、自分自身が満たされていることが大切だと言われます。でも、私たちは本当に「満たされる」とは何かを理解しているのでしょうか?高級品を手に入れること? SNSでの承認? それとも、もっと別の何か? 「私」と「あなた」というセパレーション(分離)が生む不足感と、本当の充足とは何かを深掘ります。

サマリー

このエピソードでは、自分自身の器を満たすことの重要性や、それが他者を助けることにつながるテーマについて話されています。また、自己犠牲や比較意識を低減することで、真に満たされた状態に近づく方法が探求されています。

私の器を満たすこと
さあ、始まりました。タダの箱庭ラジヲ。本屋では買えず、増冊もされない、読み手から読み手へとギフトされる1万冊の箱庭本についてお話ししていきたいと思いますが、まずはこのエピソードが掲載されている章は第3章。
お金で手に入れたいものとは。損得感情やギブ&テイクの関係は私たちの中の何かを損ねることがあるようです。
でも、逆にギブ&テイクの関係があるから、実現できることもあるのではないでしょうか。私たちがお金や交換の取引で手に入れているものの正体とは一体何なのか。
ということで、今日のテーマは、私という器を満たすということ。私とあなたというセパレーションの世界でということで、皆さんは自分のコップを満たすという言葉を聞いたことがありますか。
誰かを助ける前に、まずは自分自身の器を満たさなければならない。そんな考え方ですね。
例えば、飛行機に乗った時に機内アナウンスで、緊急時にはまず自分の酸素マスクをつけてから他の人を助けてください、なんて言われますよね。
これはまず自分が安全でなければ誰かを助けることもできないという考え方の表れです。
でも、私たちは社会の中で他者のために尽くすことが美徳とされている場面も多く、まずは自分を満たすことを後回しにしがちです。
では、そもそも自分の器を満たすとはどういうことなのでしょうか。
例えば、誰かに親切にしたり何かを手伝ってあげるとき、自分の余裕があるときと余裕がないときでは感じ方が全然違うんですよね。
余裕があるときは心から楽しんでできる。でも余裕がないとなんで自分ばっかりという気持ちになったりもする。
これってやっぱりまず自分が満たされていることが大事ってことなんじゃないかなって感じたりもします。
よく自分が本当に自己犠牲だったり誰かのためにって考えてばかりいるとどうしても義務感になったりとか辛くなってしまって誰かのために優しさを向けることができなくなっちゃうみたいなことでまず自分を癒しましょうみたいなね。
よく聞きますよね。まずは自分を愛しましょうみたいなフレーズよく聞きますけど、皆さんは自分のコップが今どれくらい満たされていると感じていますでしょうか。
満たされるという状態
僕はというとですね、常に溢れているイメージです。
周りの人たちを見回してみると満たされていないと嘆いている人の方が多い気がしますけれども、ではこの満たされるってそもそもどういうことなんでしょうか。
満たされると聞いて皆さんはどんなイメージを思い浮かべますか。
高級ブランド品を手に入れることでしょうか。
それとも好きなところに旅行に行くこと。
または美味しい食事をお腹いっぱい食べることでしょうか。
SNSを見ていると豪華な生活や成功した人の姿が溢れています。
それを見て羨ましいなと感じることもありますよね。
でもそれって本当に満たされていると言えるのでしょうか。
もっとフォロワーを増やしたいとか、もっとお金を稼ぎたい、もっと認められたい、もっとモテたい、こうした欲求は尽きることがありません。
そして不思議なことにそうした欲求を満たしても時間が経つとすぐまだ足りないと感じることが多いんですよね。
それなら本当に満たされるってどういう状態なのか改めて考えてみたくはなりませんか。
満たされるって結局どんな状態なんでしょうね。
お金を稼ぐこと、それともいい車に乗ること、または大切な人と過ごす時間でしょうか。
私自身、昔は成功とは満たされることっていうのが同じような感じに思っていたんです。
でも実際に自分が例えばある一つの目標を達成してもまた次の目標が出てきてまだ足りないって思うことが多かった。
じゃあ本当に満たされる瞬間っていつなのでしょうか。
私は最近何気ない時間の中にこそそういう瞬間があるんじゃないかと思うようになりました。
例えば気の合う仲間と話している時とか、自然の中で美しい自然を感じている時とか、皆さんは何をしている時に満たされているって感じていますか。
私とあなたとセパレーションっていうのも一つタイトルになったんですけど、ここで一つまた面白い視点を紹介したいと思います。
他者とのつながり
この私たちが満たされないと感じる理由の一つに、私とあなたというこの分離の意識があると言われています。
つまり私は○○を持っていないけれどあの人は持っているとか、私はまだ成功していないけれどあの人は成功しているという比較が私たちの不足感を生んでいるという考え方です。
でももしこの比較の意識を手放したらどうなるのでしょうか。
私とあなたと区別せず、私たちとしてもし考えることができるとしたら、これは仏教だったりとかマインドフルネス的な考え方なんですけれども、
私たちはみんなつながっていて、子としての存在は幻想に過ぎないとも言われています。
これはちょっと抽象的な話ですが、例えば誰かを心から助けたいと思ったとき、それって自分自身が幸せをそれによって感じることってありますよね。
その瞬間私とあなたっていう境界は薄れ、この満たされる感覚っていうのが芽生えてくる。
これですごい面白い現象というか、誰かのために何かをすることが逆に自分を満たすことにつながる。
例えばボランティア活動しているときってすごく生き生きしてたりとかしませんか。
あれって単に誰かを助けたいっていうだけじゃなくて、その行動自体が自分にとって満足感につながっているからなんじゃないかなって思うんですよね。
私も何かを教えたり助けたりしたときに、ありがとうって言われると自分の方が満たされた気持ちになる。
またそれをしてあげたいっていう思いが湧いてくるんですけれども、
皆さんも誰かのために何かをしたとき、逆に自分が満たされた経験ってあると思います。
それを意識して行動したら自然と自分のコップが満ちていくなんてこともあるかもしれません。
つまりまずは自分のコップを満たそう。
それまでは他の人のことなんて考えなくていい。
まずは自分、まずは自分って自分のコップをひたすら満たすことばかりをアプローチするよりも、
もしかしたら誰かのコップを満たそうとしたときに、
同じように、もしかしてそれ以上に自分のコップが満たされそうなことがあるのかもしれません。
僕自身ずっとコップの水が溢れていると感じているのは、ここにある気もしますね。
いつも自分のためにとか考える時間ってほとんどない気がしていて、
常に誰かのが楽しくなるようにとか、幸せになるために自分がどう動いたらいいのかってことばかりを考えて生きているから、
もしかしたらこの溢れている感がずっとあるのかもしれないですね。
まさにフリーエネルギーってやつかもしれません。
ということで結局自分の器を満たすっていうのがね、どうすればいいのかってことなんですが、
自分の器を満たすことは決して物質的な豊かさだけではなく、
心の在り方とか人との繋がりによって成り立つものなのではないでしょうか。
だからこそ大切なのは何を持っているかということではなく、自分自身がどうあるか。
もしかすると私たちはこのね、もっともっとと外側に求めるのではなく、
今あるもの、自分がどんなことを持っているのかとか、
どういうその存在でいれるのかみたいなですね、
そういった内面にこの目線を向けることで、
本当の意味で自分の器を満たすことに繋がるのかもしれません。
というわけで今日のテーマは、
私という器を満たすということ。
私とあなたというセバレーションの世界でというエピソードでした。
次回も皆さんに響くお話をお届けしたいと思います。
それではまたお会いしましょう。ありがとうございました。
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