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2024-08-17 12:24

♯20「桃太郎 鬼退治に隠された目的」

もしも鬼退治がお宝のためだったら皆さんはどう思いますか?


桃太郎の話に隠された秘密があったとしたら?桃太郎はかなり浪費家でお米を食べつくしてしまったり、きび団子を餌に動物たちを手なずけいいように扱っていたとしたら?皆さんはどう感じるでしょうか?お金を嫌い、お金を愛し、時には人に活力を与え、命を奪うことになることも。お金絡んでモヤモヤした話の中に何があるのか一緒に探求してみましょう!

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さあ、始まりました。タダの箱庭ラジヲ。本屋では買えず、増冊もされない、読み手から読み手へとギフトされる1万冊の箱庭本について、今回もお話ししていきたいと思います。
その前に、ここまで仕事も年齢も違う多種多様な方々からお金が絡んでもやもやした話をテーマに、いろんなお話を紹介させていただきましたが、今回はリスナーの皆さんと一緒に考えるプチコーナーをしてみたいと思います。
これは箱庭本の構成にもなっているのですが、1章あたり10人くらいの方たちにエピソードをお聞きしているのですが、その章ごとに4つのワークが本の中で差し込まれておりまして、読者が書き込める仕様になっております。
こちらのワークが4本あるので、今日はそのうちの1つをリスナーの皆さんと一緒に考えていけたらなと思っております。
ではまず私がこのショートコラムを読むので、それに対してリスナーの皆さんも自分だったらどう考えるのかということを一緒にやっていけたらなと思っております。
ということでですね、ちょっとショートコラムをご紹介したいと思うのですが、
桃太郎、鬼退治に隠された目的というタイトルで、サブタイトルがもしも鬼退治がお宝のためだったら皆さんはどう思いますかというコラムです。
ではご紹介します。
桃から生まれた桃太郎が鬼を退治する、日本人なら誰もが知っているおとぎ話。
ですがもしこのお話に隠された秘密があると言われたらどんな印象を持つでしょうか。
桃太郎は実はかなりの浪費家で、蓄えていたお米を大量に食べてしまったり、きびだんごをエサに動物たちを従わせ、毎日森でどんちゃん騒ぎ。
そんな時に鬼たちのお宝の噂を聞きつけ、財宝を奪うために計画を立てたのだとしたら、皆様どう思うでしょうか。
正義のためではなく贅沢な暮らしを夢見る野心家だったとしたら、桃太郎のお話は誰もが知るお話になり得たでしょうか。
あなたはそんな桃太郎を軽蔑するでしょうか。それとも人間ぽい一面に好感を抱くでしょうか。
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どちらにせよお金に尋常じゃないこだわりを持つ生き物は人間だけだと言っても過言ではないでしょう。
お金を嫌い、お金を愛し、時に人に活力を与え大事なものを奪うこともある。
なぜ私たちはお金に対して過剰に反応してしまうのでしょうか。
大事なものがお金によって台無しになってしまった経験をしたことがあるのでしょうか。
このモヤモヤの正体の先に一体どんな秘密が隠されているのか一緒に探究していきましょう。
というコラムになっております。
皆さんどうでしょうか。
もしも正義のためではなくお宝目当てに桃太郎が鬼退治をしていたら皆さんはどう感じるのか。
ちょっと考えてほしいのですが。
私はこれを考えた時にこの桃太郎がいけいけやり手の経営者で大型スーパーを作ってローカルの個人商店を潰している光景をちょっとイメージしてしまったのですが。
経済合理性みたいな観点だと正解というか正義になり得るけど。
鬼からしたらとんでもない暴力というか。
いつの時代も勝者にとって都合のいい物語に歴史というものはなっていくし物事の捉え方みたいなものも全然視点を変えた時にはいろんな視点があるんだろうなというのは感じました。
鬼っていう存在もそうというか。
ほんとただ角生えてる人を敵っぽいイメージに植え付けて迫害してきた歴史が例えば裏にあったのではないかとかですね。
本当にストーリーのお話のものによって全く変わってくるだろうなと感じますね。
正義のために桃太郎が鬼退治しに行ってお宝持って帰ってきたとすごいハッピーエンドで。
だからこそ昔話が現代まで語り継がれて誰もが知るお話として認識されていますけど。
このストーリーって本当にこれだけでは絶対本当のお話ではないかもしれないんですけどね。
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桃太郎っていうお話もそんな単純なことではない気がしていて。
このストーリーっていうもの物語っていうものの強さっていうか怖さすら感じるというか。
どういう物語にするかでみんなの受け取り方も違えば
大きく世論さえ動かしてしまえる。
メディアが言ってたり評論家が言ってたらそうなんだって思っちゃうんですよね僕たちって。
だからこそ戦争みたいなものも正当化されて正義として世論を作るみたいなプロパガンダ的な話も聞きますし。
本当に人を勇気づけたりとか挑戦に向かうための美談にすることもできれば、
大衆を操ったりとか何かの都合の悪いものを隠すこともできてしまうんだろうなと僕は感じました。
確かに言葉を使って物語っていうものになった時に、
僕らはすごい大きな影響を受けるわけで、それがさっきも言ったように大衆をコントロールするみたいなことも可能だし、
自分の人生に置き換えてもかなり大きな影響を及ぼすんじゃないのかなと思いました。
例えば自分の人生っていうものを捉えた時に、いわゆるお金が絡んだストーリーとして自分の人生を解釈した時にできていくストーリーで、
お金のために抗議退治に行った桃太郎みたいなストーリーになりえちゃうというか、
みんながみんな社会のためにとか、正義のためにみたいにお仕事にしている人の方が少ないじゃないですか。
なんていうか、食っていくためにしたくない仕事をしているっていう表現もあれですけど、仕事を選んでですね、
働いてお金を稼いで自分の人生っていうものを想像している僕ら現代人からしたら、
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そういうストーリーで自分を捉えた時に、自分って何なんだろうとか、どうやったら価値のある人間になれるんだろうみたいに考えると思うんですよ。
そうやって捉える自分の人生、物語と置き換えてもいいですけど。
かたやですね、自分の人生をそういったお金をベースに物語を作らない物語の設定もできるじゃないですか。
例えば、親友と何かプロジェクトでもいいし、遊びに行くでもいいですけどね、地元を愛していて、地元の仲間たちと地元が盛り上がることをなんかしていきたいなと思っているんですっていう物語として自分を捉えたりとか、
奥さんと子どもたちとの守っていくのが自分の仕事だみたいなですね、形で自分という人生を捉えることもできると。
それがメインストーリーにそれをしているのと、お金ベースの物語を自分のメインストーリーにしている人とでは生きるスタンスとか世界を捉えるスタンスみたいなのが違う気がしていて。
僕は結構、もちろんビジネスも大事ですけど、どちらかというとメインストーリーはなんかいっぱい仕事していっぱいお金持ってゴリゴリの経営者ですみたいな人生ストーリーをメインストーリーにしているわけではなくてですね、
どちらかというとどうして自分が生きて何のために自分の命を燃やすのかみたいなことがメインストーリーにしているんだろうなと思っていて。
それがあるからこそ頑張れてるなとか、お金で自分のやりたいことができないみたいにならないようにしているのかなとかね。
ちょっとそういった物語の捉え方の違いで、僕らは人生にしろこの社会システムにしろ物語を変えることでまた新しい見方ができたりとか自分の人生が豊かになるっていうことがあるんではないのかななんていうふうに思いました。
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皆さんはどう感じたでしょうか。ということで本日はこの辺でありがとうございました。
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