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2023-05-13 17:08

【ポリコレ】時代によって様々な桃太郎が・

ポリコレも,SDGsも、LGBTも、男女共同参画も,全部大切なことだけど,主張が過ぎれば押しつけになってしまうよーということを考えていたら,桃太郎の変遷の話を思い出しました。歴史の中で同じことは繰り返されてきたんです。
正しいとされることに疑義を挟めない世の中は息苦しいなーと思うんです。
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リュースタイルのハッピーライフコーチング。この番組は、ライフコーチのリュースタイルが、全国のシニアを元気にするために配信しています。
昨日、ポリコレの話をしました。ポリコレ、ポリティカルコレクトネスですね。
無意識の偏見というものを生まないために気をつけていこうね、というような、そのような考え方なんですけども、
それで様々な生産を行う時の一つの考え方になっているわけですね。
これ、とても大切な考え方ではあるんですけども、場合によってですね、近頃、それが急に先鋭化してきて、
それを差別はダメだということを言うがために、既存のキャラクターとか、物語の世界観の中に、
無理やりそれを押し込めてきたように感じる作品が出てきてて、
自分の大事な思い出の作品を何らかの主張の道具にされてしまったと思っている人とか、
何で急にそういうキャラクターが改変されていっているんだろうかということばっかりが気になって、
お話の中に入っていけなくてもやもやしている人とかですね、
そのような人が今すごく多くなってきている作品が、テレビ、ドラマ、映画、そしてゲームに至るまでですね、
すごく今海外で出てきていて、大変な問題になっているよというようなお話なんですね。
このようなことには、どうしてもポリコレというのは正しいよと、それに対して何かの疑念とか疑問なりを持つということは、
それは反対しているのかというような、正しいことであるがゆえにそれに対しての疑問を持つことが許されないというようなね、
そのような雰囲気が醸し出されてきているような状況の中で、
制作会社とかは一生懸命そういうような、私たちはちゃんと考えてますよというような姿勢を示さざるを得ないというような、
そういう状況になっていて、ちょっとあまり良くない状況じゃないのかなというようなことなんですね。
そのことについて、様々な場でそのような事例というのはあるよねというようなことの中で、
今日は一つですね、桃太郎という、これを題材にしてお話をしてみたいなと思います。
何で桃太郎を出してきたかというと、この桃太郎というのが明治の時代から人々にね、
誰も知らない人がいないというほど親しまれてきた物語であって、
そしてキャラクターとかも明確になっているし、お話の世界観も明確になっているんですけども、
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でもその時代時代の中でですね、その時に一世を風靡したような考え方の中で、
それに対してはもうちょっと文句なり疑念なりを持つことができないなという、
そういうような中で様々に改変されてきた歴史があるんですよね。
この桃太郎の改変ということについて、非常に昨日のポリコレの話とね、
非常に繋がるようなことがあるよねということを思ったので、その話をしてみたいなと思ったんです。
ソースはですね、桃太郎の運命という本ですね、NHKブックス、今もあるのかなこのNHKブックスというのは。
岩波新書とかいわゆる新書版をもうちょっとですね、表紙が幅広いですね、
ような感じで作られている本なんですけど、その中の鳥越忍さんという、
これ信じるの忍が書いてある、忍さんなのかな、忍さんなのかちょっとわからないんですが、
その方の書かれた本で、これ僕1983年に買ったんです。教師になった最初の年ですね。
僕は大学時代までに民族学にものすごく傾倒していて、
その昔話であるとかですね、民話であるとかそういうものに関する本をずっと集めてたんですが、
その中でこの本を見つけたんですね。
これは1980年4月に書かれた本で、僕はその年の夏ぐらいにはもう買っているのでですね、
出てすぐに買ったというような本なんです。
この本がですね、桃太郎が書く時代の中でね、どのように描かれてきているのかというのをずっと研究をした本で、
目次を見るとですね、面白いですね、皇国の子、桃太郎という、
皇国というのは天皇の王という字ですね、国、皇国の子、桃太郎ですね。
第2章、同心の子、桃太郎、これは赤い鳥時代の大正時代のですね、
そのような二南岸だとか、そういう方々が活躍した時代。
それから第3章が階級の子、桃太郎、これはプロレタリア時代文学というのが出てきた時代で、
いわゆる階級闘争が行われてきた時代ですね。
要するに社会主義革命が成功して、全世界が社会主義革命に向けて、
いろいろとね、組織を作ったりして、運動をしていた時代ですね。
日本でもそのような社会主義的な文学とかが生まれたんですが、
その頃の桃太郎、それからですね、第4章が侵略の子、桃太郎、
これは戦争時代に書かれた桃太郎ですね。
それから第5章が民衆の子、桃太郎という。
このような様々な時代に桃太郎が様々な描かれを肩押しているということでね、
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その中から今日は階級の子、桃太郎、戦前、1930年代頃ですね。
その頃書かれた社会主義運動がすごく盛んになってきていた時代。
大正デモクラシーの終わりから軍国時代に入っていく間の、まだ良い時代ですね。
その頃に書かれた桃太郎、それから第4章の侵略の子、桃太郎、
これについてですね、ちょっとお話をしてみようかなと思いますね。
最初は1930年ぐらいのお話で、その後の桃太郎というお話があるんですよね。
桃太郎が鬼ヶ島へ行って、鬼たち退場してきて、生きようよと帰ってくるんですよ。
その時にですね、おじいさん、おばあさんとかね、村人たちがみんなで桃太郎を歓迎するんですけど、
桃太郎は犬たちに向かってですね、挨拶をするんですよね。
いや、それでは皆さんご苦労でございました。
今度は竜宮城に乙姫様を取りに行くから、その時も働いてください。
その時も間違いなくきび団子を半分ずつあげるからと言って返すわけです。
宝の分け前に預かれると犬たちは思ってたんですが、そうじゃなくてあぜんとするんですけども、
考えてみるときび団子を半分で雇われた身なので文句のつけようがないなと。
仕方なく帰っていくわけですが、しばらくしてまた桃太郎から召集がかかるわけですよね。
今度はきび団子を一つずつやるから来てくれと言うんですが、
みんなが犬の家に集まって相談をして、そして宣言書を作るんですよね。
そして桃太郎に送るということなんですが、それにはこのように書かれていたと。
俺たちは他国との争いをやめるんだと。
二つ目、俺たちの働きで得たものはみんな俺たちのものだ。
桃太郎のように俺たちの働きで得たものをすっかりせしめていながら、
きび団子で雇ったからなどという小理屈を言う奴に絶対反対するとかね。
好きでもないお姫様を無理に取ることなど、これまた絶対反対だ。
俺たちはそうした戦いのために従軍しないというような。
桃太郎はその返事を受け取るとびっくりして逃げ出したというんですけれども。
これって非常に社会主義の意味からすると、利益追求を目的としているんですね。
資本主義というのがね。
そういう労働者とか農民に対する搾取とね。
他国への侵略ということの問題がここに出ているんですけれども。
鬼ヶ島遠征の時だけ臨時に犬たちを雇って、引き続き家来にはしないで、
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つまり家来にしないで、給料も払わないということですね。
正規社員にしないということですよ。
そして必要な時々呼んで、きび団子やるから働けというような、そういう考え方というのがね。
まさに理順のみに目がくらんだ典型的な資本家の象徴だ、みたいな。
そういうような描かれ方をしているという。
桃太郎が犬や猿や生地が労働者で、桃太郎が悪い資本家であるというようなね。
描き方をされていたというのが、そういう描かれ方をされた桃太郎もいましたよ、というのが一つですね。
次は侵略の子桃太郎というところの話なんですけど、これは漫画映画が作られたんです。
桃太郎のみわしっていうね、漫画映画が作られたんですけれども、1943年。
もう真珠湾攻撃から2年経ってて、むしろちょっと配色が濃厚になり始めた頃に、おそらく戦後用のために作られた漫画だろうと思うんですけど。
一部を言うとですね、桃太郎隊長が空母の上で犬、猿、生地などの隊員を前に訓示している、みたいな感じですね。
桃太郎、これより空中部隊をもって鬼ヶ島にかかる。攻撃の目標は鬼ヶ島艦隊。
並びに赤鬼空軍の撃滅である。日頃の猛烈な訓練はこの時のためであった。隊長はお前たちの帰りをいつまでも待っているぞ。第一鬼ヶ島を撃滅よ。
ということでね、真珠湾への攻撃に行くわけですが、結びの画面がですね、攻撃から規範した隊員を前に桃太郎が訓示をするんですね。
本日の鬼ヶ島攻撃は大勝利を収め、敵の大艦隊を撃滅した。お前たちの勇敢なる働きを隊長は嬉しく思う。というような訓示をするわけですが、これはほぼ真珠湾奇襲の戦況をなぞっているものなんですね。
だからですね、桃太郎というのは軍国主義の象徴のようにして位置づけた代表的作品であったという、そういうことですね。
桃太郎は戦争時代には軍国主義の手先のような描かり方をされていたという、そのようなことですね。
最初二つと言ったんですけれども、もう一つですね、民衆の桃太郎、戦争が終わった後の桃太郎についてのお話ですね。
これはですね、ただの桃太郎というお話なんですね。ただの桃太郎。
それまではね、日本一の桃太郎、日本一の桃太郎と言ってきた桃太郎だったんですが、戦争から帰ってきた時にですね、その日本一という旗だけは大事に大事に持って帰ってきたんだそうですね。
いろんなものはもうなくなっちゃったんだけど、その旗だけは大事にしてきたんだけど、でも帰ってきたらですね、もう日本一の何、日本一の何みたいなのがいっぱいあって、
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それらがもう全部ひどいものだということで、なんかもうその旗をそーっとしまったというようなことなんですけれども、
その時にね、あとみんなと犬と猿とかキジラとかとみんなでこう会うんですよね。
そしてみんなとこう再会をした時にね、口々にもう戦争はこれよりだなって話し合って、
で、その時になんでその日本一の旗を捨ててしまったのかという話題になるんですよね。
その時に桃太郎が、戦争でね、僕が刀もセンスもなくしてしまったんだと。
けれども日本一の桃太郎という旗印だけは大事に持って帰ったんだよと。
犬がね、それをまたどうして?って聞くんですね。
桃太郎は、いやー帰ってきたら日本一なんてもうとんでもない上れだよと。
日本一というのに、ろくなものなんかありゃしないじゃないかと。
僕だって同じことさ。だから僕は今日から日本一の桃太郎じゃない。
ただの桃太郎だよと言って旗の竹竿をですね、後ろの方へ捨てるんですよ。
で、みんなしんとして桃太郎を見ると。
で、キジがね、桃太郎さんこれからどうするんですか?
桃太郎は、もちろんただの桃太郎になって大いに働くよ。
で、猿がね、犬くん、僕たちと同じだね。
僕たち働く者はいつもただの猿、ただの犬、ただのキジだもの。
犬がね、ほんとだ、それでこそ立派に働けるからねって言うんですね。
そしてキジがですね、ただの桃太郎さん万歳ですねということで、桃太郎笑ってうなずきに立ち上がるという。
これは戦後になって民主主義の考え方が入ってきたその時に作られたということで。
これも何かにもその、わざわざね、ただの桃太郎という風にこう言って主張をしているわけですね。
はい、というこの今までこう3つのお話をしてきました。
社会主義、階級闘争の時の桃太郎ですね。
悪い資本家として描かれた桃太郎。
そして軍国主義時代の、軍国主義の手先として描かれた桃太郎。
そして戦後民主主義の考え方、その主張として描かれた桃太郎ですね。
この3つをお話ししましたが、皆さんいかがお考えになりましたでしょうか。
ここでお話ししたかったのは、時代の中でいろんな描かれ方をしたという、そのことなんですけれども、
それに対して義義を唱えるということがしにくかったんじゃないかなというような話なんですよ。
階級闘争の時も、軍国主義の時も、民主主義の時もですね、
その時その時はおそらくね、非常にこれは疑念を差し挟んではいけないものだという、その雰囲気の中で作られているので、
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いやおかしいだろうって、桃太郎がなんで隊長になってんだよとか、
なんでただの桃太郎なんて、桃太郎のイメージ壊れるじゃんとか、
そういうことが言えないと言うと、お前は反対者なのかって言われるような雰囲気の中で、
誰も反対ができない状況の中でこうやっていろいろと作られていったのではないかなというように思うんですね。
これとですね、昨日のポリコレの話と考えてみると、
なんでこの映画の主人公がわさわさ黒人で、さらにそれが原因として描かれているんだっていうことを言うと、
それは多様性に反対しているんですかとか、そうしてないとこれはポリコレ違反だみたいな、
そういう風潮が吹き荒れていくと、日本でかつて桃太郎がそのような描かれ方をしたということと
さほど変わらないような状況が出たりするのではないかなという、そのようなこととつなげてみたというお話でした。
日本の中でもですね、良いポリコレっていうのはあると思うんですよね。
CMの中で家事をするのが全部女性だった時代から、今は男性にシフトしているんですけども、
だけど逆に家事のCMを作るのに男性アイドルを絶対作ってこなければいけないんだという雰囲気になっているなら、
これはまたちょっとおかしなことではないだろうかという気がするんですね。
わざわざそうしなくても自然にできるというのがやっぱり一番いいなというふうに思います。
皆さんどうお考えでしょうか。
もし何かお考え等ありましたらコメントいただければありがたいですって言っても、なかなかコメントしづらい話ですね。
はい、聞いていただいただけでもありがたいです。
それではまた何気始めたのリュースタイルでした。
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