まだ全然こういうタイトルになるかどうなるかも分からない本なんですけど、
今、カンパを募集したり、事前購入を後ほどここのリンクからでもできるんですけど、
そういう趣旨もありつつ、一番は話してみたいというところで足立さんでお話ししたいと思いますが、
新百姓がこういう雑誌で、これ後ほどお買い上げいただけるんですけど、
小池さんはいつから作られていらっしゃるんですか?
3年前から初めて会社を作って、
あちらにいる瀬田さんと一緒に、2人で共同工業の仕事で、
一般社団法人新百姓というのと、それから株式会社テール社というのがあって、
この雑誌を作り始めたと言われました。
ちなみに、おぼけんさんのプロフィールにはあるんですけど、
ご実家は兼業農家だったんですか?
そうです。山農家の兼業農家。
お父さんが稲作を辞めることに疑問を持ちというところがプロフィールに書いてたんですが、
それはどういう疑問だったんですか?
もうちっちゃい頃からずっと町場に住んでたんですけど、
週末は田舎に父親と一緒に帰って、父親は長男で、
おじいちゃんおばあさんがいる山の奥の田んぼをみんなでやる。
田んぼのことって一年かかるんで、子供ながらに手伝って、
遊びながらやるじゃないですか。面白いですよね。泥汗抜いたもんね。
それをずっとやってて、親戚とか地域の人とか集まって面白いし、
景色はやっぱり春は春、夏は夏。春のレゲ畑。
父が帰った後のいい香りとか、田植えの時の水まった田んぼとか、
稲刈りとか、とにかく綺麗。しかもお米美味しいし、
いい営みだなと思うんですけど、祖父が死んで、
祖母と父だけになって、我々が高校生になって手伝いもしなくなって、
父親が大学、僕が大学ぐらいの時に、稲刈りは辞めるって話をしだして、
辞めちゃったんです。その時に父親に話を、
なんで辞めるんだって聞いたら、ガソリン代にもならんのじゃ。
それを毎週末、町場から1時間それまでかけて、
いって、いろいろやって、また帰って。
1年通ってずっとそれをやるんだけど、
収支を見たら赤字に近い。
こんなのずっと続けられない。
僕兄弟があと2人いて、男3人なんですけど、
大学とか行かせてもらってたんで、子供たちをそこに行かせようと思ったら、
お金もどんどん入り込んだし、それは今の父親の気持ちになったら、
こんなのやってらんねーと思ってたと思うんですけど、それで辞めちゃって。
あんなに綺麗で美しくて楽しくて美味しい作が、
金がないって理由で辞めなきゃいけないのって何なんだって思ったんですね。
そこからは金融とかお金とか2%疑問を持ち始めて、
人生が18くらいの時から、20歳くらいの時から、
だんだんそういうことに関心を持つようになった。
でも、そこから証券会社に入られてますよね。
そこの疑問と金融の仕事に行くっていうのは、
その中で改革してやるぞみたいな思いだったんですか?
いや、というよりは、父親が稲作を辞めたのと、
地元のお祭りを作るとか、それを再構築するっていうのを学生プロジェクトみたいにやってて、
地域の祭り作りを何十年やってきた人たちと一緒にやったんです。
その人たちも、断るごとに金がない。
金がないとできないっていうことをおっしゃって、
なんでこんなに楽しくて素晴らしい祭りの営みが、
これも金のことでみんなができないと言ってる。
だから金のことを調べないといけない。
大学では社会学と文化人類学みたいな、その辺のことをやってて、
経済の経路地は全く勉強してなかったけど、
これは金のことを調べないといけないと思って、金融に行こうという。
そのためだけに証券会社に。
フィールドワークだと思って。
なるほど、フィールドワーク。
それで証券会社に。
どうですか?
実はうちも県漁農家で。
ご実家。
島根県なんですけど、
今のお客さんの話聞いたときに言うのは恥ずかしいけど、
シンプルにおばあちゃん、おじいちゃん、親父の口から聞いた言葉として、
米なんか作ってても飯食えんって言われた。
わからない。
でも俺たちは飯を食うために働いてるんじゃねえのかっていう。
日本人の主食である米を作っている。
で、飯食えんっていう意味がなくて、
理解ができなかった。
食に落ちない。
っていうのでずっと引っかかっておいたんですよ。
そこで支援役者を読ませていただいて、
そういう保健さんの流れが出てきて、めちゃくちゃ共感できた。
なるほど。
だから結構足立さんとよく話してて、
合理的な合理性と非合理みたいな話をしたときに、
実は僕この本の中で最初のテーマみたいなところだったんですけど、
例えば、腹が減って明日死ぬかもしれない。
じゃあ鳥をとってこようとか、米稲作しよう。
これは合理的じゃないですか。
なんだけど、お金っていうものが出てきたときに、
稲作やってたらお金無くなるからやってられんっていう、
そっちの非合理になる。
だから経済合理性っていつも投資対効果とか、
そういう面で語られるけど、
本来経済ってそういうものなのかなっていうのが、
疑問が最初はいたんですよね。
だからそれこそ、木引っこ抜いてたら家もらったっていうのは、
家を回収するのにそこに木の根があったら邪魔だから抜こうってことじゃないですか。
それは合理的じゃないですか。
なんだけど、その結果家をもらうっていうのは意味わかんないじゃないですか。
その話は後しようと思うんですけど。
普通だったら家を買うのにお金を払えばいいってなるんだけど、
そこら辺が今日話したいテーマでもあるんですけど、
不思議だなと思うと、おっしゃる通りですよね。
米を作って、食うために作るのに、
稼げないから辞めるっていうところに至っちゃう。
それは大剣さんのところでも、和田さんのところでもそうだった。
その後、大剣さんは社会起業家というか、
スタートアップの創業支援みたいなところをされていくってことですか。
稲作地につらめた事件から就職、証券会社に入って、
その時初めて東京に出て、東京に帰って、
リーマンショップがあったんで、ちょうど間で。
お客さんが預かった30億が1ヶ月15億になって、
やっと貸したじゃないですか。
その時に本社の証券アナリストに電話を何回もして、
これどうすればいいんですかって、下がり続けてるからね。
アナリストがみんな口揃えて、今こそ買いだと。
絶好のチャンスだった。
1ヶ月後、下がりきった後に、誰一人連絡取れなくなって、
なんじゃこりゃと。
要は、お金のこと知りたいと思って証券会社に入って、
金融の真ん中のところで仕事して、
そしたら、みんなお金のこと何にも分かってないっていうことが分かった。
プロって呼ばれてる人たちも正直何にも分かってない。
リーマンショップの事を予見できたって、
日本だってたぶん水溜りボンドの人たちだと思う。
そもそも何が起こってるか分かんない。
だけどプロっぽい子と言って、
お客さんからすごいフィーモな仕事をしてるじゃないですか。
だから、結局金のことを、
みんな金で人生をいろいろいらさくやめたり、
人生をいろいろ振り回されてる。
人とのつまり、金のこと知らない。
俺も知らない。
人生をいろいろ振り回されてる。
人とのつまり、金のこと知らない。
俺も知らない。
インドの株売って、
ブラジルの国債売ってってやったんですけど、
インド行ったことない。ブラジル行ったことない。
これもうダメだと思って。
それでお客さんの資産が減った分全部戻った時に、
会社辞めたりしてもらって、
バックパッカーになって、
2年間、金融の現場を回るって言って、
世界を旅したんです。
2年間バックパッカーで、
インドの鉄道が不設され、ここが建設予定地、
ここに行って、ここか!みたいなのとか、
上海の証券取引所の前に行ったりとか、
そういうことをやる旅を2年間。
現場を見るっていう。
金融の。
ニューヨークの株が上がったら下がったら聞くじゃないですか、
買わせがね、
今ロンドンでどうですかって聞いてるし、
プロだと毎日その話するんですけど、
聞いたことないし、
本当にその建物があるのか、
本当にそれが起こってるのかって見たこともないのに、
それで人生がみんな動いてるんですね。
それは見とかないとと思って、
それで旅して、
で、2年旅した結果帰ってきて、
何やろうかなっていうところで、
社会起業家支援みたいな、
創業支援ですね。
今で言うと、
社会課題解決みたいなところまで言われますけど、
そういうことを事業にしようという人たちの、
0、1のところを立てようとするっていうのを、
5年くらい東京でやり始めました。
なるほど。
そこから、
新百姓をつくろうっていうところになるのは、
どういう課題意識で、
疑問みたいなのが始まったんですか?
開発版で言うと、
お金ってなんだろう、
ロゴから入って、
みんな分かってねえなって、
2年旅して、
お金ってこういうもんだなっていうことの、
それなりに自分の中から気付けて、
それが分かったとき、
ほとんどの人たちは、
キャピタリズムの、
物の見方をインストールされちゃってるから、
それで物を見て、
選択と行動している限り、
例えば格差が広がったり、
いろんなものが、
画一化していったりすることを止められない。
この流れを止めるためには、
物の見方が、
新しい物の見方になる人たちが、
プレイアウトしてくれなきゃいけないなと思って、
なんで企業会議で、
しかも、
金儲けのための授業で、
新しい価値観で、
授業を作る人たち向けの、
やり始めをしたんですけど、
来てくれてありがとうございます。
分かりにくかったですね。
間に合った。
白菜持ってきた。
すごいですね、白菜。
白菜いただきましたね。
デカい白菜。
ミルクボーイのネタみたい。
こんなに何本もらっても。
こんなデカい白菜いただきました。
ありがとうございます。
高いですからね。
ごめんなさい。
ちなみに、
キャピタリズムというのは、
いわゆる資本主義ということですかね。
資本主義。
お金が一番大事だという思い込み、
そういう価値観ですよね。
大昔からしたら、当然携帯電話とかスマートフォンなんて当然ないし、
昔からしたらめちゃくちゃ合理的な生活を俺は手に入れて、
どんどん足りていったはずなんですよ。
このラインを、明日も生きれるという状態を、
どっかで人それぞれ高さがあるとしても、
こう来て足りてねえっていう先人たちがいて、
足りてねえから俺の子供たちに当たらせるんだって頑張ってきた結果、
このラインをどっかでそれぞれの高さで超えてるはずなんだけど、
ここ突っ切って、競争社会の中で突っ切っちゃってて、
これで今、Xっぽい形ができたと思うんですけど、
ここには昔の人なりのストレスみたいなのがあって、
問題解決しなきゃいけねえみたいな、
これはめちゃくちゃ良いストレスだったんですよ。
そのラインをぶち抜いて、こっちにもう一個参画できるんだ。
こっちにみんなドキドキしてて、わけわかんなくて死にたくなってるみたいな、
そういうような感覚を…
いいですね。
こういうやつね。
でも最近、新アクションでやってなかったら、
多分そういう絵は浮かんでないんですよ。
僕イメージの人間やから、
頑張って読んだ結果、そういう絵が出てきて、
多分ここじゃんって思ってたんですよ。
ここを解決する方法を各々が、どういうスタイルでもいいから、
解決していくとか、どう考えるか、この参画とか。
これは本当に…
ここの部分が、今だと、
ねばならないものとして受け取られてると、
そうすると苦しい。
だけど、ここは遊びの余白とも捉えていいはず。
ここは。
遊びの余白と捉えられれば、
どこまででも遊び尽くせる。
のに、これをねばならないものなんだと、
偉くならないととか、
バズるようなことをしなきゃいけないとかなんでもいいんですけど、
それを、ある種の脅迫観念でやっちゃうと、
苦しいんですよね。
そうなのだよな。
それこそ、言葉を伝えるみたいなことも、
昔の人ってすごくしにくいじゃないですか。
距離があったり。
でも、それを踏みにしたためて、
客が運んで、山をいくつも越えて、
届いたか届いてないかもわからない時間を過ごして、
届いてるよって返事が来るようになったら、
とんでもないやつが出るわけじゃないですか。
だけど今は、オンタイムでみんな繋がってて、
既読がつかないというだけでストレスがかかる。
それ自体が、僕はこっちの存在だと思って、
そことどう向き合っていくのかっていうのは、
これって止まれないから、課題なんだろうなっていうのはすごく。
でもぶっちゃけバーチャルじゃないですか。
そこの既読つくつかないとかって、
しかもゼロと一度も。
ほんと表示上の問題だけだったりするし。
お話聞いてて思うのは、
やっぱりちょっと過去とか未来に来ちゃってる感じがするんですよね。
行きさせられてる。
僕、ちょっと個人の話をさせてもらうと、
ちょっと長くなるという解説版で言うとですね、
昔から正直っていうものにずっとトラウマというか、
囚われてきたんですよ。
正直って言う。
で、あらねばならない。
あらねばならない。
嘘をつかないと生きていけない。
で、長くなりそうですけど。
いや、いいでしょ。
続きましょう。
水木しげるの妖精ガダンっていう小さい頃読んだんですけど、
それに正直トマスっていうスコットランドの詩人の話が出てきたんですよ。
で、その人は詩人なんだけど、
妖精の国に行ってリンゴ食べたら、
帰ってきたら正直なことしか言えなくなった。
僕はなんかこれにずっと囚われてて、
で、しかも詩人ってある意味、
フィクションじゃないけど、
言葉で紡ぐのに正直しか言えなくなったら死ぬじゃんと思うんですよ。
っていうことを思って、
30ぐらいの時にスコットランドに実際に行ってですね、
その人が実際にいたとされるとまで見てきたんですよ。
何も言えられなかったんですけど、
帰りのバスで悟ったんですよ。
バスの中でいろんな人の風景とか見てるときに、
あ、正直って現在にしかありえないんだっていうことを。
過去に対して正直って嘘じゃないですか。
今に対して嘘。
未来に対して正直も嘘。
だから正直って現在にしかありえない。
あ、っていうところに至ったんですけど、
それで一番現在を感じる瞬間って何かっていうと、
僕は作ることだなっていうところにその後に至ったんですよ。
作るって現在に対してしかありえないじゃないですか。
今、NOWで作ることしかないから。
だから今の話聞いてると、
例えばこうしなきゃダメだよとか、
このフィードのこの投稿を見てねみたいなことに
みんなこうやらされたり、
あるいは明日の預金残高とか給料もらえんのかとか、
そういうことの未来とかに行きさせられてるんだけど、
本当は現在だけでよかったりする。
あるいは本当はちょっとした蓄えを褒めだけね、
しとけば明日はちゃんと生きられるとか、
そのぐらいの話だったのに、
それが全部お金に換算させられて、
いろんな行動支配させられてるというか、
なんかそういうところに僕は結構生きづらさがあるんじゃないかなっていうのはすごい思ったんですよね。
結構作ることから手放すように仕向けられてるというか、
思いますよ。
そうですよね。
だからそこは結構この閉塞感というか、
どう考えたら、そっちの方が長いんですよね。
本来我々全員それができて当たり前なんですけど、
そのことを、例えば義務教育の中とかで、
要は家庭科とかね、お座りにそういうことはやるけど料理とかも。
だけど飲食中を自分で作り出す知恵とか技を、
本来一番自分の根幹なものを学ぶ機会をとことん奪い切って、
算数そろばん言語やって、めちゃくちゃ金かけて大学まで行って卒業した頃には、
自分のことは何にもできない人間として世の中に出たわけですよね。
こんな馬鹿げたことないなと思うんですよね。
だからお金を稼ぐしかないし、そういうふうに持っていかれてるなって気がするんですけど。
僕もずっと思ってるのは、僕の時代だと技術家庭って言ってたんですよね。
例えばDIYするような木工とか技術っていうような家庭科。
技術家庭って二枠を一緒にされたコマでやってたんですけど、
今本当に思うのは技術家庭こそ義務教育の中心にあるべきだなって思うんですよ。
本当に家計の管理もできたり、裁縫できるとか、
それができたら、まあこれはできてはいけるじゃないですか。
その上にお金の計算するときに算数やろうとか、
それが本来のはずなのに、結局大学出て就職が出口になっちゃってるから、
そのためのものしか、効率でいうとその家庭科とかはやられちゃうんです。
絶対明日からポンと放り出されて、でも安西さんよく言うじゃないですか。
自分ホームレスになってもとりあえずやっていけるっていう話を。
そのぐらいの人に育ったほうがいいのねっていうのは思いますね。
安西さんはだから旭ベースを2014年、6年?14年ぐらいですよね、初めて。
桃子さんと一緒にやられてるけど、ほとんど権利というかお金の管理とかは桃子さんに。
っていうのはその話は何でですかって聞いたら、
俺はいつホームレスになってもやってくれるっていう話をしてる。
まあだからもやれてるっていう話をしてる。
僕はその姿すごい憧れるというか、できることじゃないから。
ピリピリしてる状態というか、だから明日食うもんねえかもって思うから作るじゃないですか。
だから作るっていうことに自分は楽しめてるから、
その燃料としてこのピリピリした状況っていうのをパートナーとして、
僕がピリピリついた感じっていう燃料を桃子さんのおかげで今やってて、
今日も作らねばって作ってる。
それで僕は別に、要は嫌いって言われたら僕は明日からホームレスなわけですよ。
でもそういう状態のほうが作れると思う。作れたときの感覚も大きいし。
確かにね。
本当にお伺いしたいと思いますけど、僕も編集者の仕事をしつつ、
今DIYブックスって本屋でやったり作ることを教えたり、本を作ることを教えたりしてるんですけど、
なんでそういうのを始めたかっていうと、その前ウェブの編集とかマーケティングの仕事で
バーッと外注して、独立して自分の個人化もして作ったときに、
このままいっぱいいろんな人に外注していけば、自分はそれをチェックしていくだけで、
売上はガンガン上げられるなって思ったんですよ。思ったときにものすごい虚しくなって、
同時に自分から手離れした仕事とかが意味がわかんなくなっちゃったんです。
それでお金が入ってくることに。それじゃなくてローカルでアナログな人と繋がって、
しかも手で本を作るみたいなことをもう一回やってみようかなっていう思いがあったんですけど、
さっきのお金を手に入れればいいと思っているっていうのは、
お金で代替しようとするわけじゃないですか。
誰かに米を作ってもらうこととか、この椅子を作ってもらうことをお金で代わりにやってもらうことなんだけど、
代替が多すぎると思うんですよ。全部お金で誰かの代わりに外注したりしている。
これが訳わからなさとか、生きている実感のなさを生んでいる気がして、
そこじゃないんだよなっていう。本来はちょっと立ち止まって作ってみればできることなのにっていう。
それを実は僕自分の店でイベントやるときに、椅子が足りないってなったんですけど、
僕2,30分くらい楽天とかAmazon見てたんですよ。安いスツールを探して。
1000円とか。あとティーも中国のやつとかでめっちゃ安いのがあるかなと思って探してたんですけど、
その日足立さんと会う予定があって、話してたら、作った方が早くない?ってなって、
コーナンに行って板買ってカットしてもらって、仕上げだけ足立さんにやってもらって、
あとは自分で組み立てるってやったんですけど、その方が早かったし、ある程度安くも収まるし、
気持ちいいんですよね。自分で作ったものに囲まれるみたいな。
これはちょっと忘れてたなってすごい思ったんですよ。
やっぱり往々にして、お金で変わってもらうことに発想が行きがちっていうか、
それってどうなんでしょうね。大木さん、さっき新百姓を作るに至ったって話だったんですけど、
この中でさらに百姓っていうテーマに至ったのは、なんでだったのかなと思って。
資本主義のパラダイムというか価値観で百姓、うちの父親自分自身は多分そう見てると思うんですけど、
百姓とかいわゆる農家が自分たちのことをどう見てるかっていうと、これは子供には絶対にやらせたくない仕事って思ってるんですよ。
こんなに苦しくて、何より金にならない仕事は絶対にやらせたくないって思ってるんですよね。
それはいわゆるキャピタリズムというか、資本主義の価値観で見たらそう見える。
それは誰が見てもそう思います。僕らがそう見れば、あんな仕事よりは、やっぱり外資のコンサルになりたいな、
そうじゃなくても大企業の取締役ぐらいになって、3000万ぐらいはもらいたいな、それがイケてるとか思っちゃう。
1年中働きまかって、インテコインの300万ぐらいしか稼げないとか、真面目の癖みたいなのがあったりするのは、キャピタリズムで見てたわけですよ。
でも僕らが新役所を作る上で、最初に考えたのは、あの楽しかった稲作と、あの面白いお祭りを作る人たちがかっこいいって、
僕は現場で見てきて、父親も含めて、じんきゃんもおばあちゃんも、地元の人たちもみんなかっこいいって思ってた。
それをかっこいいって、表現できた。
それはどうやったらできるのかな?それをそう言えるようになるものの見方が、どうやったらいろんな人たちに伝わるのかなって考えたんですね。
その時に、今の百姓、キャピタリズムの世界における、価値観における百姓って、
まあ、なりたくない職業、ほぼワース3ぐらいのところに入ってきちゃうものなんだろうと思うんですけど、そんなこともないかもしれないと思うんで、
それが、なりたい職業、ナンバーワンみたいな、あり方ナンバーワンみたいになる時代が作れたら、
それは僕が言ってる、今はなんだそれ、めんどくせえし、何やってんだって言われるような人が、
なんか憧れたり、かっこよかったり、なるようなものの時代のことだと。
その価値観の転倒が、一番ドラスティックに起きるのが、百姓っていうものの見方が変わることなんです。
一番下の方にありそうなものが、一番上に持ってかれたら、それで新時代の百姓、新しい百姓のものの見方で、新百姓っていうワードに曲がっていったんですよね。
だから、百姓が一番かっこいいってなったら、その時その見方をしてる人たちはもう、外資コンサルが一番かっこいいとは多分言わないと思うんですよ。
やっぱもう、足立さんマジすげえってなる。ここ来てもう鼻血出るほど興奮すると思うんですよ。
ここかっこいいすごいってなると思うんですよね。
そういうふうになる。それはつまり、使う人の時代って言うんですけど、近代から、特に資本主義で社会が動いてきた時代のことを、使う人たちの時代だったなと思う。
コンサル、政治家、メディア、いろんな自分の身の回りのものを作らない人たちが、一番褒めさせられた時代。
それが、そこから作る人たちの時代にもう一回戻るんだ。
その作る人たちの時代っていうのを、このキャプタリズムから、新しいクリエイティビティズムって横文字になってますけど、
創造性、作る喜びを一番大事にする社会というようなことで、そのコンセプトに行き着いて、じゃあそのコンセプトで雑誌を作ったらどうなるんだろう。
そのコンセプトで、企業家とか今の人たちを見たら、どういう言葉で紡いでいくんだろうっていうふうに、そしたらガラリと変わるんですよね。
ひとつの企業家を見てても、この人は若い、何歳、30歳以下で10億稼ぐような仕事を作った。そこの切り取りにある。
この人は、高校生の時からずっと気になってた問いを、ずっと真摯に追いかけてきたら、今こんな会社作っちゃった。それが結果、今10億になってます。
全然違う切り取りじゃない。僕らはその後者のほう、作る喜びのほうを見ていこうっていうので、
今日は高校入って初めて来ましたけど、もう鼻血飲んでた。入る前の入り口のたたずまえから鼻血出そうでした。
それはやっぱり作ってる人たちの作ってる場所だから。そういう感覚で見れるようになれば、なんか楽しいですよ、と思うんです。
百姓っていう概念はね、本当にピンときましたよね。
ピンときましたね。百姓の子なんで。
やっぱりそうですよね、安西さんは。安西さんは島根の猫で、百姓。おじいさんの代から。
おじいちゃんおばあちゃんがまさに百姓。家も建てる。だから、優位ってやつですかね。聞いてる人たちも一緒に集まる。
あれで、写真がね、あるんだけど。これおじいちゃんの写真なんですよ。
うちの実家は田舎なんで、3,400キロぐらいかな。地下とかもある。漬物を漬けるために。
こんなの自分たちですごいねって言ったら、それも漬物を漬けたいからねって言われた。
そりゃそうだけどさ。
こんなのでも、生コンネルとかセメントネルとか鉄筋曲げたりするのは女の仕事やからなっておばあちゃんが言ってた。
すごいっすよね。
なぜなら、地上でできるからです。
あれ見たら分かるんですけど、まだ竹なんですよね、足場が。
危ない仕事だね。
酒飲んでるじゃないですか。多分酒飲んでないとやれなかったのかもわからないですけど。
死ぬような作業はさすがにさせないです。
大変でも地上でできれば。
漬物を漬けたいから、おばあちゃんも必死ですよね。
せんべきがだいぶね。
でもそれは欲望を叶えるために、当時ね。
漬物を漬けたい。
漬物を漬けたいからだった。
すごい話ですね。
だからすごかった。ほんまにまさに多分百姓。
集合写真があるんですけど、子供が3人写ってて、抱っこされてる男の子が2人写ってて、
それが僕の父親と弟なんですけど、
この子たちに自分たちが作ることで、より良い生活を担保してあげたい。
おじいちゃんおばあちゃんを思い出させて。
ちょっと話が反対になっちゃうかもしれないですけど、
おじいちゃんおばあちゃんってすごかったんですよ、とにかく。
田んぼやる、畑やる、家建てる、山も管理する、牛、馬、養産までやってて、
割とこの時代は多かったんですけど、
すごすぎるんですよ、僕からしたら。
15年間から20年間かけて、建物を5つぐらい建てて、
作業場とか、完全に違法建築なんですけど、建てるんですよ、本当に。
こんなことを、しかも借金なかったんで、
自分たちの今の社会活動を落とし込んで考えた時に、
どうやったら金持ちでもないのに、こんなことが可能だったんだ。
結果は自分たちで作ってたから。
DIYをしてたわけですね。
本質的なDIYだったんです。
それを今度、おじいちゃんおばあちゃんが良くないと思ってやってるんですけど、
やりすぎちゃって。ほとんどは何もできなくなっちゃった。
なるほど。
なんて言ったらいいんですか。全部やっちゃうから、おじいちゃんおばあちゃん。
でも、おじいちゃんおばあちゃんの合理的というものは、
実は、うちの父親からしたら合理的じゃなかった。
代が変わったり時代が変わると、
この時点の人の合理性というものは、
この時点の人に対しての合理性とイコールではないというか、
そういう体感があった。
だから合理的というのは、世の中で言ってるやつじゃなくて、
自分で考えて、自分で感じて考えて、
自分の合理性というものを見ていかないといけない。
それは他者から見たら、もしかしたら非合理かもしれない。
木を引っこ抜くという作業が、
ユンボを呼べよって話ですよね。
だけど、そこに引っこ抜くという非合理な行為の中に、
自分の中の合理性というものがあったから引っこ抜けた。
そうなんですよね。
おじいさん、おじいちゃん。
オレンジの帽子だから。
ちょっと違うね、今話されてますけど。
家をもらって、島根にあるから。
同居だからというところでもらった。
それはガサキベースの営みだった。
それで足立さんが国道沿いのお家で、
ジャングルでしたよね。
一応家なんだけど、
庭の木とかが伸びまくって、
都々の森になったみたいな。
建物が食われるんですね。
植物の下とかも入ってて。
まさに食われちゃうという状態でしたね。
それを草刈り機とかも使って、
引っこ抜くっていうのを、
私も実際に引っこ抜かせてもらったんですよ。
引っこ抜かせていただくのもおかしいんですけど。
とんでもなく大変な作業でした。
とんでもない7年とかもっと時間かけて、
地を生きるために張ってるから、
それをまず探るために手でやったり、
斧で全部立ったり、
ものすごい力で引き上げたりってやるんですけど、
足立さんから聞いた面白かったのは、
さっきおっしゃってたみたいに、
ユンボとか機械でやってたら、
またアパート建つのかなとか小民家壊して、
駐車場になるのかなって想像するんですよね。
なんだけど、手で作業してたから人が集まってくる。
何するんだろう、
あの人たち何なんだっていうところですよね。
それが人が集まって、
その中に議員さんみたいな方がいて、
後ろにあるお家も空き家だから、
話をつけてみようかみたいな感じで、
わらしべ長者的にもらうっていう。
普通だったらそれを、
さっき言ったユンボとか、
ホーム店の人とかにお金を払って、
やってもらってとか、
家も買うっていう発想になりがちだと思うんですけど、
そういう作業をしてたら、
家をもらうとこまでいくっていう、
そういう経済の在り方、
それが何だというところで僕は引っかかったというか、
すごい面白いなと思って、
本にしたいなって思ったんですよね。