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2024-12-11 2:06:49

トークイベント「あたらしい百姓と経済」収録

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雑誌『新百姓』編集長・おぼけんさん、ガサキベース足立さん、DIY BOOKS平田による鼎談の様子の収録です。

2024/12/10

Summary

トークイベントでは、地域の経済や新百姓の考え方に関して、農業や金融の観点からディスカッションが行われています。特に、稲作を辞めた理由や資本主義がもたらす影響についての深い疑問が提起されており、新たな価値観の必要性が強調されています。このエピソードでは、新しい経済における価値観や企業化の重要性が探求されています。特に、資本主義から創造的な価値を見出す方法や、社会問題解決に取り組む人々の葛藤について議論されます。 トークイベント「新しい百姓と経済」では、現代社会におけるお金の重要性や生活の合理化について語られており、特に食物の自給自足やコミュニティの再構築といった新たな視点が提供されています。このポッドキャストでは、資本主義の影響を受けた百姓の社会的評価や新しい百姓の価値観の変化が探求されています。また、家族や地域共同体の作業を通じて経済の在り方や、創造的に関与することの重要性も考察されています。 トークイベント「新しい百姓と経済」では、農業の重要性や現代人との関係についてが考察されており、百姓の役割が見直されています。さらに、社会における合理性やテクノロジーの影響についても言及されています。参加者たちは経済やお金の捉え方を深く考察し、歴史的な観点から現代の経済システムとの関連について議論しています。また、材料の意味や価値についての考察を交えながら、お金の役割を再考する重要性が強調されています。 このエピソードでは、お金の感覚や経済についての新しい視点が共有され、家や教育が人生における金銭的依存の要因として考察されています。家庭や結婚に対する考え方の変化についても触れられ、自分自身を見つめ直す重要性が強調されています。結婚生活や教育の価値観の変化、自由研究の重要性についても語られています。また、資本主義の現状と農業を含む新しい経済活動へのアプローチも議論されています。 このエピソードでは、移行期にある人々の経験や新たな役所の設立について語られています。特に、地域おこし協力隊や地方のライフスタイルへの移行、世代間の価値観の変化が重要なテーマとなっています。このポッドキャストでは、現代社会における「新百姓」という概念と、関連する技術や経済の新たな側面が探求されており、特に人々が日常生活に農業を取り入れ、自給自足の楽しさを見出すことの重要性が強調されています。

トークイベントの紹介
今日はお集まりいただいてありがとうございます。
私がDIY BOOKSというお店の平田大と申します。
今日は進行役みたいな感じで、その終わりには話すかもしれないですけど、よろしくお願いします。
皆さんご存知、笠木ベース、足立さんでございます。
そして、東京から来ていただいた新百姓という雑誌の編集長さんです。
非常に寒い中、ストーブもありますし、ぽかぽかした感じなので、ゆったりとやっていきたいと思います。
今日は、なんでこのイベントをやろうかと思ったかと言いますと、
今、私たちのほうで、木を引っこ抜いたら家をもらったという本を作ろうとしてまして、
これは足立さんが島根で起こしたというか、あった出来事と、
いろんなDIYとか経済とか家族とか、そういうところを考える本になろうと思っているんですけど、
ここの笠木ベースもそうだし、私が今興味があるテーマもそうだし、
そこら辺が新百姓という雑誌の考えとリンクしてまして、
ぜひ一回お話ししたいなというところで設定させてもらいました。
稲作の背景と疑問
まだ全然こういうタイトルになるかどうなるかも分からない本なんですけど、
今、カンパを募集したり、事前購入を後ほどここのリンクからでもできるんですけど、
そういう趣旨もありつつ、一番は話してみたいというところで足立さんでお話ししたいと思いますが、
新百姓がこういう雑誌で、これ後ほどお買い上げいただけるんですけど、
小池さんはいつから作られていらっしゃるんですか?
3年前から初めて会社を作って、
あちらにいる瀬田さんと一緒に、2人で共同工業の仕事で、
一般社団法人新百姓というのと、それから株式会社テール社というのがあって、
この雑誌を作り始めたと言われました。
ちなみに、おぼけんさんのプロフィールにはあるんですけど、
ご実家は兼業農家だったんですか?
そうです。山農家の兼業農家。
お父さんが稲作を辞めることに疑問を持ちというところがプロフィールに書いてたんですが、
それはどういう疑問だったんですか?
もうちっちゃい頃からずっと町場に住んでたんですけど、
週末は田舎に父親と一緒に帰って、父親は長男で、
おじいちゃんおばあさんがいる山の奥の田んぼをみんなでやる。
田んぼのことって一年かかるんで、子供ながらに手伝って、
遊びながらやるじゃないですか。面白いですよね。泥汗抜いたもんね。
それをずっとやってて、親戚とか地域の人とか集まって面白いし、
景色はやっぱり春は春、夏は夏。春のレゲ畑。
父が帰った後のいい香りとか、田植えの時の水まった田んぼとか、
稲刈りとか、とにかく綺麗。しかもお米美味しいし、
いい営みだなと思うんですけど、祖父が死んで、
祖母と父だけになって、我々が高校生になって手伝いもしなくなって、
父親が大学、僕が大学ぐらいの時に、稲刈りは辞めるって話をしだして、
辞めちゃったんです。その時に父親に話を、
なんで辞めるんだって聞いたら、ガソリン代にもならんのじゃ。
それを毎週末、町場から1時間それまでかけて、
いって、いろいろやって、また帰って。
1年通ってずっとそれをやるんだけど、
収支を見たら赤字に近い。
こんなのずっと続けられない。
僕兄弟があと2人いて、男3人なんですけど、
大学とか行かせてもらってたんで、子供たちをそこに行かせようと思ったら、
お金もどんどん入り込んだし、それは今の父親の気持ちになったら、
こんなのやってらんねーと思ってたと思うんですけど、それで辞めちゃって。
あんなに綺麗で美しくて楽しくて美味しい作が、
金がないって理由で辞めなきゃいけないのって何なんだって思ったんですね。
そこからは金融とかお金とか2%疑問を持ち始めて、
人生が18くらいの時から、20歳くらいの時から、
だんだんそういうことに関心を持つようになった。
でも、そこから証券会社に入られてますよね。
そこの疑問と金融の仕事に行くっていうのは、
その中で改革してやるぞみたいな思いだったんですか?
いや、というよりは、父親が稲作を辞めたのと、
地元のお祭りを作るとか、それを再構築するっていうのを学生プロジェクトみたいにやってて、
地域の祭り作りを何十年やってきた人たちと一緒にやったんです。
その人たちも、断るごとに金がない。
金がないとできないっていうことをおっしゃって、
なんでこんなに楽しくて素晴らしい祭りの営みが、
これも金のことでみんなができないと言ってる。
だから金のことを調べないといけない。
新しい価値観の模索
大学では社会学と文化人類学みたいな、その辺のことをやってて、
経済の経路地は全く勉強してなかったけど、
これは金のことを調べないといけないと思って、金融に行こうという。
そのためだけに証券会社に。
フィールドワークだと思って。
なるほど、フィールドワーク。
それで証券会社に。
どうですか?
実はうちも県漁農家で。
ご実家。
島根県なんですけど、
今のお客さんの話聞いたときに言うのは恥ずかしいけど、
シンプルにおばあちゃん、おじいちゃん、親父の口から聞いた言葉として、
米なんか作ってても飯食えんって言われた。
わからない。
でも俺たちは飯を食うために働いてるんじゃねえのかっていう。
日本人の主食である米を作っている。
で、飯食えんっていう意味がなくて、
理解ができなかった。
食に落ちない。
っていうのでずっと引っかかっておいたんですよ。
そこで支援役者を読ませていただいて、
そういう保健さんの流れが出てきて、めちゃくちゃ共感できた。
なるほど。
だから結構足立さんとよく話してて、
合理的な合理性と非合理みたいな話をしたときに、
実は僕この本の中で最初のテーマみたいなところだったんですけど、
例えば、腹が減って明日死ぬかもしれない。
じゃあ鳥をとってこようとか、米稲作しよう。
これは合理的じゃないですか。
なんだけど、お金っていうものが出てきたときに、
稲作やってたらお金無くなるからやってられんっていう、
そっちの非合理になる。
だから経済合理性っていつも投資対効果とか、
そういう面で語られるけど、
本来経済ってそういうものなのかなっていうのが、
疑問が最初はいたんですよね。
だからそれこそ、木引っこ抜いてたら家もらったっていうのは、
家を回収するのにそこに木の根があったら邪魔だから抜こうってことじゃないですか。
それは合理的じゃないですか。
なんだけど、その結果家をもらうっていうのは意味わかんないじゃないですか。
その話は後しようと思うんですけど。
普通だったら家を買うのにお金を払えばいいってなるんだけど、
そこら辺が今日話したいテーマでもあるんですけど、
不思議だなと思うと、おっしゃる通りですよね。
米を作って、食うために作るのに、
稼げないから辞めるっていうところに至っちゃう。
それは大剣さんのところでも、和田さんのところでもそうだった。
その後、大剣さんは社会起業家というか、
スタートアップの創業支援みたいなところをされていくってことですか。
稲作地につらめた事件から就職、証券会社に入って、
その時初めて東京に出て、東京に帰って、
リーマンショップがあったんで、ちょうど間で。
お客さんが預かった30億が1ヶ月15億になって、
やっと貸したじゃないですか。
その時に本社の証券アナリストに電話を何回もして、
これどうすればいいんですかって、下がり続けてるからね。
アナリストがみんな口揃えて、今こそ買いだと。
絶好のチャンスだった。
1ヶ月後、下がりきった後に、誰一人連絡取れなくなって、
なんじゃこりゃと。
要は、お金のこと知りたいと思って証券会社に入って、
金融の真ん中のところで仕事して、
そしたら、みんなお金のこと何にも分かってないっていうことが分かった。
プロって呼ばれてる人たちも正直何にも分かってない。
リーマンショップの事を予見できたって、
日本だってたぶん水溜りボンドの人たちだと思う。
そもそも何が起こってるか分かんない。
だけどプロっぽい子と言って、
お客さんからすごいフィーモな仕事をしてるじゃないですか。
だから、結局金のことを、
みんな金で人生をいろいろいらさくやめたり、
人生をいろいろ振り回されてる。
人とのつまり、金のこと知らない。
俺も知らない。
人生をいろいろ振り回されてる。
人とのつまり、金のこと知らない。
俺も知らない。
インドの株売って、
ブラジルの国債売ってってやったんですけど、
インド行ったことない。ブラジル行ったことない。
これもうダメだと思って。
それでお客さんの資産が減った分全部戻った時に、
会社辞めたりしてもらって、
バックパッカーになって、
2年間、金融の現場を回るって言って、
世界を旅したんです。
2年間バックパッカーで、
インドの鉄道が不設され、ここが建設予定地、
ここに行って、ここか!みたいなのとか、
上海の証券取引所の前に行ったりとか、
そういうことをやる旅を2年間。
現場を見るっていう。
金融の。
ニューヨークの株が上がったら下がったら聞くじゃないですか、
買わせがね、
今ロンドンでどうですかって聞いてるし、
プロだと毎日その話するんですけど、
聞いたことないし、
本当にその建物があるのか、
本当にそれが起こってるのかって見たこともないのに、
それで人生がみんな動いてるんですね。
それは見とかないとと思って、
それで旅して、
で、2年旅した結果帰ってきて、
何やろうかなっていうところで、
社会起業家支援みたいな、
創業支援ですね。
今で言うと、
社会課題解決みたいなところまで言われますけど、
そういうことを事業にしようという人たちの、
0、1のところを立てようとするっていうのを、
5年くらい東京でやり始めました。
なるほど。
そこから、
新百姓をつくろうっていうところになるのは、
どういう課題意識で、
疑問みたいなのが始まったんですか?
開発版で言うと、
お金ってなんだろう、
ロゴから入って、
みんな分かってねえなって、
2年旅して、
お金ってこういうもんだなっていうことの、
それなりに自分の中から気付けて、
それが分かったとき、
ほとんどの人たちは、
キャピタリズムの、
物の見方をインストールされちゃってるから、
それで物を見て、
選択と行動している限り、
例えば格差が広がったり、
いろんなものが、
画一化していったりすることを止められない。
この流れを止めるためには、
物の見方が、
新しい物の見方になる人たちが、
プレイアウトしてくれなきゃいけないなと思って、
なんで企業会議で、
しかも、
金儲けのための授業で、
新しい価値観で、
授業を作る人たち向けの、
やり始めをしたんですけど、
来てくれてありがとうございます。
分かりにくかったですね。
間に合った。
白菜持ってきた。
すごいですね、白菜。
白菜いただきましたね。
デカい白菜。
ミルクボーイのネタみたい。
こんなに何本もらっても。
こんなデカい白菜いただきました。
ありがとうございます。
高いですからね。
ごめんなさい。
ちなみに、
キャピタリズムというのは、
いわゆる資本主義ということですかね。
資本主義。
お金が一番大事だという思い込み、
そういう価値観ですよね。
企業化の重要性
その価値観で物を動かしていくと、
いろんな色鮮やかな世の中で、
なくなっていく。
全部同じ色に染まっていく。
地方のロードサイドのお店、
景観で、
どこも同じようなものが、
どこも同じような形になっていく。
経済合理性が高いから、
あんなことになる。
そういうことを、
このままの流れを、
それはそれでいいけど、
そうじゃない流れを作っていこうとする、
企業化を応援しようと思って、
その企業支援をやったんですけど、
やったけど、
5年で、
150人くらいの企業化で、
83社の創業支援をやったんですよ。
すごい。
なかなか多分数やった方だったんですけど、
中には、
本当に10億単位の人に
調達したりする企業化もいたりして、
本当に、
面白かったんですけど、
でもやった結果、
分かったことは、
金になることではないけれど、
金を目的にはしていない奴らでも、
なんていうか、
まだ何か、
とんでもないことがあって、
何か、
とんでもないものに縛られてるなっていうことが、
見えてきたんですよね。
新しい価値観の探求
それはもう本当に、
なんていうか、
社会の、
例えば、
社会の問題を解決するために
修行してるって言ってる人たちが、
社会の問題があることに依存するってことが、
起こり始めたんですよ。
分かりますか。
よく見ると思うんですけど、
NPOとか立ち上げて、
学生で何の社会的な、
仕事もしたことないのが、
なんかこう、
すごい尖がったテーマでNPO立てて、
初年度に2000万とか補助金ついちゃって、
何人か雇っちゃって、
そのまま走るしかないじゃないですか。
彼らが30歳くらいになったときに、
社会的経験ないまま、
そのテーマ、
それを、
課題を解決するっていう、
ある種の正義の御旗に、
お金が流れてるだけだから、
本当にその課題状況がなくなって、
本当にそれに困ってる人がいなくなったら、
僕たち飯食えなくなるから、
途中からその状況を保存するほうに、
無意識に行くんですね。
僕はそれを、
そんな風になっていっちゃうんだっていうのを、
目の当たりにして、
それで、
これ、
もうやっぱりこのままいったら違うわと思って、
それで、
5年経ったところで、
やってた団体を辞めて、
そこから、
じゃあ何なんだと。
単純に資本主義っていうものだけを、
何ていうか、
それじゃない新しい価値観で、
ある種のソーシャリズムみたいなものとか、
そういうのであろうとしてる人たちでも、
まだ何か違和感があるから、
何なんだろうっていう風に試作し始めて、
それがちょうど5年前ですね。
そこから、
試作していった結果、
これになったっていう。
なるほど。
そうなんですよ。
長いね。
いやいや、
すごい現代的な問題というか、
本当にでも面白い話で。
でもこれ、
荒瀬さんこれを、
新百姓宣言とか、
新百姓読まれって、
ハマったって言うとあれですけど、
もうめちゃくちゃ共感されてたじゃないですか。
そうですね。
どうでしたこれ、読まれて。
来たお客さんに、
自分が思っていることとかを、
読んで、
よくわかんないけど、
同じことを言っている人たちがいるよ、
って言われたんですよ。
その人たちが作っている、
新百姓という雑誌があるんだけど、
知ってるって言われて、
知らねえって言ったら、
ぜひ読んでみてって言われて。
で、日和さんがお願いして、
このナンバー、
まさに001の、
水を飲むっていうテーマ、
これを最初に手に入れて、
正直僕は、
先ほど言ったように、
日本語だし、
カタカナ語も結構苦手なので、
めっちゃ調べながら、
頑張って漢字の部分も、
読んでいくと、
何て言うんですかね、
一緒というか、
見てる方向性が、
めちゃめちゃ似てるんだっていうことが、
伝わってくるんですよね。
そこからはまっちゃったというか、
でもじゃあ0014だから、
002も欲しいし、
その後、
そうだっていうのがあるじゃないか、
っていうことも知って、
000が欲しいんだけど、
日和さんに言ったら、
ないんですよって言われて、
ないんですよね。
ただ今、無料公開ってことですよね。
ウェブで見てる。
で、たまたま、
今日コーヒー入れてる彼が、
たまたま000を持ってて、
借りて、
すごい読ませてもらって、
すごく方向性というか、
そうなって思えることが、
大きくなってきて、
それは、
私もそうで、
この、
こんにちは、
ざっくり言うと、
キャピタリズムって、
その資本主義から、
クリエイティビズムを作る方に、
っていう話をされてるじゃないですか、
そこは、
ある意味全員共通というか、
ですよね。
だから、
うちもDIYブックスって野望が多いんですけど、
本当に作るっていう結論に結構至ったんですよ。
そうじゃなきゃおかしいよねっていうところに。
そこが、
自然と違うアプローチでそれぞれ至ってるのが、
本当に面白いなっていうか、
僕も読んでて共感ばっかりだったんですけど、
作るっていうところに、
読ませてはいただいたんですけど、
作るっていうところに至ったのって、
新百姓の取り組みとかを経て、
どういう流れって言ったんですか。
資本主義と創造性
長い話になるから、
ポイントだけ押さえていきましょうけど、
結局、
お金の仕組みのことを知って、
その後、
そうじゃない、
新しい社会を作りたいみたいな人たちを
応援しようと思ってやってて、
ありがとうございます。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
やってて、
だけどその人たちも何か、
要は、
結論みたいなところだけババって言っちゃうんで、
語弊がないようにしたいんですけど、
あとで質問してください。
要は簡単に言えば、
めちゃくちゃ生まれも良くて、
金持ってて、
学歴もあるやつが、
それでも承認欲求は満たされてなかった。
だから何者かになりたいと思って、
正義を掲げて、
社会課題解決の事業家になる経験が結構あった。
それを見てて、
何か、
こんなに豊かで、
物的な意味合いで、
物質的な意味合い、
経済的な意味合いで、
こんなに豊かなのに、
みんなが、
まだ何かこれじゃダメだと思ってる、
今の状況ってマジでおかしくないかって思いながらね、
じゃあ何でそうなってんだっていうことを
ひも解き始めた。
で、
ひも解いてみたら、
いわゆる、
世界の物の見方、
例えばこの世界というのはどういうもので、
それは何で存在していて、
人間は何で存在しているのかっていうことの、
意味付け皆さんそれぞれお持ちだと思うんですけど、
その物語、
その世界観、
あとは価値観ですけど、
実は教育とか、
読むメディアによって、
インストールされているものだなと、
特に今、義務教育とかもあるんですけど、
だから、僕らそれぞれがそれぞれに、
今この空間にいても全く違う意味を持って、
この空間の意味付けをしていると思うんですけど、
それはそれぞれ皆さんが、
自分なりの世界観と、
自分の中の価値観で、
それを通してこの場を意味付ける形になって、
それ自体は何でもいいんですよ。
ただ重要なのは、
価値観とか世界観を、
知らないうちに誰かから押し付けられて、
気づいていないのか、
自分で選んだのかの違いが大きい。
大抵の場合、
みんな知らないうちに押し付けられて、
例えば、
そういうものを押し付けられて、
それで見るのが当たり前になっているかな、
そう見えているだけで、
だから、
例えばこんだけ豊かで、
今地球上に70億ちょっといるとして、
80億弱いるとして、
この80億弱の人たちが、
みんな1年間毎日腹いっぱい食っても、
全然余裕で余るだけの、
穀物生産量というのは、
データ上できているんですよね。
だけど、
片一方では腐るほど余っていて、
片一方では、
明日の食べ物がまだわからない、
という人たちがいたり、
腐るほど余っているくせに、
なんとなく不安。
この仕事がなくなったら、
1年後に食べられなくなるかも、
子どもを食べさせられなくなるかも、
という謎の不安に。
でも、現実だけ見れば、
12分にあるし、
100年前、50年前から比べても、
僕らってすごい豊かになっている。
でも、それをそう見えず、
常に不安。
常に、
これではまだ足りない、
って思わされるものの見方を
何と言うか、
この見方が正しいです、
とか言いたいわけではないんですけど、
それをもう一回、
我々自分たちそれぞれの見方を、
何か気がついたら、
一度されちゃって、
その見方だけじゃないですよね、
ということを問いかけようと思い出して、
それを、
どうやったらいいのかと思った時に、
この紙の場合、
この紙の場合、
この紙の場合、
この紙の場合、
その状態で提示するのが一番、
パワーシップへはなったと。
なるほど。
私はこういうことに気付かせてもらいました。
つくるってことは、
ずっとあらしさんはやり続けてきましたか。
僕はこの本の取材にあたって、
あらしさんの実家までお邪魔してですね、
お墓参りまで終末するという、
謎の、やったんですけども、
そのいろいろ幼少期からのお話は
お伺いしたんですけど、
お話を聞きに伺ったんですけど、
作るっていうことで、ここの新百姓宣言とか読まれて、
どうですか?違うアプローチから作るというところに至ったとは思うんですけど。
結構、今岡さんの話聞いてて、
なんかもう割とど真ん中の話で、
ちょっと言語化うまくできるかわかんないですけど、
僕の好きな言葉は、
平凡だけど、無知の知と、たるを知るなんですよ。
で、まずたるを知るという部分で、
なんか自分が足りてる状態を自ら想像してるかっていうふうに考えたときに、
なんか、どっかから足りてるはずじゃないですか。
だって今日、今生きてて、明日も、
たぶんこの皆さん、きっとほとんど一緒に生きてるし、
その時点で実は、足りるっていうラインをなんとなく確保はしてるんだけど、
その線を自分でなんとなくコントロールできてるのか。
現代社会の合理化
大昔からしたら、当然携帯電話とかスマートフォンなんて当然ないし、
昔からしたらめちゃくちゃ合理的な生活を俺は手に入れて、
どんどん足りていったはずなんですよ。
このラインを、明日も生きれるという状態を、
どっかで人それぞれ高さがあるとしても、
こう来て足りてねえっていう先人たちがいて、
足りてねえから俺の子供たちに当たらせるんだって頑張ってきた結果、
このラインをどっかでそれぞれの高さで超えてるはずなんだけど、
ここ突っ切って、競争社会の中で突っ切っちゃってて、
これで今、Xっぽい形ができたと思うんですけど、
ここには昔の人なりのストレスみたいなのがあって、
問題解決しなきゃいけねえみたいな、
これはめちゃくちゃ良いストレスだったんですよ。
そのラインをぶち抜いて、こっちにもう一個参画できるんだ。
こっちにみんなドキドキしてて、わけわかんなくて死にたくなってるみたいな、
そういうような感覚を…
いいですね。
こういうやつね。
でも最近、新アクションでやってなかったら、
多分そういう絵は浮かんでないんですよ。
僕イメージの人間やから、
頑張って読んだ結果、そういう絵が出てきて、
多分ここじゃんって思ってたんですよ。
ここを解決する方法を各々が、どういうスタイルでもいいから、
解決していくとか、どう考えるか、この参画とか。
これは本当に…
ここの部分が、今だと、
ねばならないものとして受け取られてると、
そうすると苦しい。
だけど、ここは遊びの余白とも捉えていいはず。
ここは。
遊びの余白と捉えられれば、
どこまででも遊び尽くせる。
のに、これをねばならないものなんだと、
偉くならないととか、
バズるようなことをしなきゃいけないとかなんでもいいんですけど、
それを、ある種の脅迫観念でやっちゃうと、
苦しいんですよね。
そうなのだよな。
それこそ、言葉を伝えるみたいなことも、
昔の人ってすごくしにくいじゃないですか。
距離があったり。
でも、それを踏みにしたためて、
客が運んで、山をいくつも越えて、
届いたか届いてないかもわからない時間を過ごして、
届いてるよって返事が来るようになったら、
とんでもないやつが出るわけじゃないですか。
だけど今は、オンタイムでみんな繋がってて、
既読がつかないというだけでストレスがかかる。
それ自体が、僕はこっちの存在だと思って、
そことどう向き合っていくのかっていうのは、
これって止まれないから、課題なんだろうなっていうのはすごく。
でもぶっちゃけバーチャルじゃないですか。
そこの既読つくつかないとかって、
しかもゼロと一度も。
ほんと表示上の問題だけだったりするし。
お話聞いてて思うのは、
やっぱりちょっと過去とか未来に来ちゃってる感じがするんですよね。
行きさせられてる。
僕、ちょっと個人の話をさせてもらうと、
ちょっと長くなるという解説版で言うとですね、
昔から正直っていうものにずっとトラウマというか、
囚われてきたんですよ。
正直って言う。
で、あらねばならない。
あらねばならない。
嘘をつかないと生きていけない。
で、長くなりそうですけど。
いや、いいでしょ。
続きましょう。
水木しげるの妖精ガダンっていう小さい頃読んだんですけど、
それに正直トマスっていうスコットランドの詩人の話が出てきたんですよ。
で、その人は詩人なんだけど、
妖精の国に行ってリンゴ食べたら、
帰ってきたら正直なことしか言えなくなった。
僕はなんかこれにずっと囚われてて、
で、しかも詩人ってある意味、
フィクションじゃないけど、
言葉で紡ぐのに正直しか言えなくなったら死ぬじゃんと思うんですよ。
っていうことを思って、
30ぐらいの時にスコットランドに実際に行ってですね、
その人が実際にいたとされるとまで見てきたんですよ。
何も言えられなかったんですけど、
帰りのバスで悟ったんですよ。
バスの中でいろんな人の風景とか見てるときに、
あ、正直って現在にしかありえないんだっていうことを。
過去に対して正直って嘘じゃないですか。
今に対して嘘。
未来に対して正直も嘘。
だから正直って現在にしかありえない。
あ、っていうところに至ったんですけど、
それで一番現在を感じる瞬間って何かっていうと、
僕は作ることだなっていうところにその後に至ったんですよ。
作るって現在に対してしかありえないじゃないですか。
今、NOWで作ることしかないから。
だから今の話聞いてると、
例えばこうしなきゃダメだよとか、
このフィードのこの投稿を見てねみたいなことに
みんなこうやらされたり、
あるいは明日の預金残高とか給料もらえんのかとか、
そういうことの未来とかに行きさせられてるんだけど、
本当は現在だけでよかったりする。
あるいは本当はちょっとした蓄えを褒めだけね、
しとけば明日はちゃんと生きられるとか、
そのぐらいの話だったのに、
それが全部お金に換算させられて、
いろんな行動支配させられてるというか、
なんかそういうところに僕は結構生きづらさがあるんじゃないかなっていうのはすごい思ったんですよね。
結構作ることから手放すように仕向けられてるというか、
思いますよ。
そうですよね。
だからそこは結構この閉塞感というか、
お金と自給自足
みんながなぜかそういう問題に関わってしまってるっていうところになってるのかなっていう。
今のお話に関連してるんですけど、
みんなお金がないと生きていけない世界に育ってしまって、
特に今の40,50くらいから下の人たちって、
もう社会のインフラが十二分に合って出来上がった状態で、
お米とかお肉とか魚とか商品全般を買うのが当たり前という都市性がある人たちになってるんですね。
その世界に生まれてきて、親もそうで子どももそうっていうような人たち、
僕自身もそれに近いと思う。
それだと、結局お金があることで飲食中というか生きることが叶えてるっていうことはもう疑いのような事実だから、
社会人になる、自立するってことはお金を稼げるようになる。ここに疑問を挟む道がないわけですよね。
だけど、ほんのちょっと俯瞰してみれば、
飲食中を賄うお金を作るためにお金が必要だった時代って、ほんの100年前まではなかった。
日本もいながらなくてもなんとかやってたもんね。
お金ってのはあくまで、あったらさらに便利。
あったら遠くの人とも交換できるし、山の奥でも魚買えるし。
そういうものとしては使えるんだけど、あくまであったら便利なツールだっただけっていうのが、
今はそれがなければ生きていけないものになってきた。
その先頭を、人類史を考えれば、少なくとも1万年前ぐらいからずっとほとんど金使わずに生きてきたんだよね。
新たな経済の視点
どう考えたら、そっちの方が長いんですよね。
本来我々全員それができて当たり前なんですけど、
そのことを、例えば義務教育の中とかで、
要は家庭科とかね、お座りにそういうことはやるけど料理とかも。
だけど飲食中を自分で作り出す知恵とか技を、
本来一番自分の根幹なものを学ぶ機会をとことん奪い切って、
算数そろばん言語やって、めちゃくちゃ金かけて大学まで行って卒業した頃には、
自分のことは何にもできない人間として世の中に出たわけですよね。
こんな馬鹿げたことないなと思うんですよね。
だからお金を稼ぐしかないし、そういうふうに持っていかれてるなって気がするんですけど。
僕もずっと思ってるのは、僕の時代だと技術家庭って言ってたんですよね。
例えばDIYするような木工とか技術っていうような家庭科。
技術家庭って二枠を一緒にされたコマでやってたんですけど、
今本当に思うのは技術家庭こそ義務教育の中心にあるべきだなって思うんですよ。
本当に家計の管理もできたり、裁縫できるとか、
それができたら、まあこれはできてはいけるじゃないですか。
その上にお金の計算するときに算数やろうとか、
それが本来のはずなのに、結局大学出て就職が出口になっちゃってるから、
そのためのものしか、効率でいうとその家庭科とかはやられちゃうんです。
絶対明日からポンと放り出されて、でも安西さんよく言うじゃないですか。
自分ホームレスになってもとりあえずやっていけるっていう話を。
そのぐらいの人に育ったほうがいいのねっていうのは思いますね。
安西さんはだから旭ベースを2014年、6年?14年ぐらいですよね、初めて。
桃子さんと一緒にやられてるけど、ほとんど権利というかお金の管理とかは桃子さんに。
っていうのはその話は何でですかって聞いたら、
俺はいつホームレスになってもやってくれるっていう話をしてる。
まあだからもやれてるっていう話をしてる。
僕はその姿すごい憧れるというか、できることじゃないから。
ピリピリしてる状態というか、だから明日食うもんねえかもって思うから作るじゃないですか。
だから作るっていうことに自分は楽しめてるから、
その燃料としてこのピリピリした状況っていうのをパートナーとして、
僕がピリピリついた感じっていう燃料を桃子さんのおかげで今やってて、
今日も作らねばって作ってる。
それで僕は別に、要は嫌いって言われたら僕は明日からホームレスなわけですよ。
でもそういう状態のほうが作れると思う。作れたときの感覚も大きいし。
確かにね。
本当にお伺いしたいと思いますけど、僕も編集者の仕事をしつつ、
今DIYブックスって本屋でやったり作ることを教えたり、本を作ることを教えたりしてるんですけど、
なんでそういうのを始めたかっていうと、その前ウェブの編集とかマーケティングの仕事で
バーッと外注して、独立して自分の個人化もして作ったときに、
このままいっぱいいろんな人に外注していけば、自分はそれをチェックしていくだけで、
売上はガンガン上げられるなって思ったんですよ。思ったときにものすごい虚しくなって、
同時に自分から手離れした仕事とかが意味がわかんなくなっちゃったんです。
それでお金が入ってくることに。それじゃなくてローカルでアナログな人と繋がって、
しかも手で本を作るみたいなことをもう一回やってみようかなっていう思いがあったんですけど、
さっきのお金を手に入れればいいと思っているっていうのは、
お金で代替しようとするわけじゃないですか。
誰かに米を作ってもらうこととか、この椅子を作ってもらうことをお金で代わりにやってもらうことなんだけど、
代替が多すぎると思うんですよ。全部お金で誰かの代わりに外注したりしている。
これが訳わからなさとか、生きている実感のなさを生んでいる気がして、
そこじゃないんだよなっていう。本来はちょっと立ち止まって作ってみればできることなのにっていう。
それを実は僕自分の店でイベントやるときに、椅子が足りないってなったんですけど、
僕2,30分くらい楽天とかAmazon見てたんですよ。安いスツールを探して。
1000円とか。あとティーも中国のやつとかでめっちゃ安いのがあるかなと思って探してたんですけど、
その日足立さんと会う予定があって、話してたら、作った方が早くない?ってなって、
コーナンに行って板買ってカットしてもらって、仕上げだけ足立さんにやってもらって、
あとは自分で組み立てるってやったんですけど、その方が早かったし、ある程度安くも収まるし、
気持ちいいんですよね。自分で作ったものに囲まれるみたいな。
百姓の価値観の変化
これはちょっと忘れてたなってすごい思ったんですよ。
やっぱり往々にして、お金で変わってもらうことに発想が行きがちっていうか、
それってどうなんでしょうね。大木さん、さっき新百姓を作るに至ったって話だったんですけど、
この中でさらに百姓っていうテーマに至ったのは、なんでだったのかなと思って。
資本主義のパラダイムというか価値観で百姓、うちの父親自分自身は多分そう見てると思うんですけど、
百姓とかいわゆる農家が自分たちのことをどう見てるかっていうと、これは子供には絶対にやらせたくない仕事って思ってるんですよ。
こんなに苦しくて、何より金にならない仕事は絶対にやらせたくないって思ってるんですよね。
それはいわゆるキャピタリズムというか、資本主義の価値観で見たらそう見える。
それは誰が見てもそう思います。僕らがそう見れば、あんな仕事よりは、やっぱり外資のコンサルになりたいな、
そうじゃなくても大企業の取締役ぐらいになって、3000万ぐらいはもらいたいな、それがイケてるとか思っちゃう。
1年中働きまかって、インテコインの300万ぐらいしか稼げないとか、真面目の癖みたいなのがあったりするのは、キャピタリズムで見てたわけですよ。
でも僕らが新役所を作る上で、最初に考えたのは、あの楽しかった稲作と、あの面白いお祭りを作る人たちがかっこいいって、
僕は現場で見てきて、父親も含めて、じんきゃんもおばあちゃんも、地元の人たちもみんなかっこいいって思ってた。
それをかっこいいって、表現できた。
それはどうやったらできるのかな?それをそう言えるようになるものの見方が、どうやったらいろんな人たちに伝わるのかなって考えたんですね。
その時に、今の百姓、キャピタリズムの世界における、価値観における百姓って、
まあ、なりたくない職業、ほぼワース3ぐらいのところに入ってきちゃうものなんだろうと思うんですけど、そんなこともないかもしれないと思うんで、
それが、なりたい職業、ナンバーワンみたいな、あり方ナンバーワンみたいになる時代が作れたら、
それは僕が言ってる、今はなんだそれ、めんどくせえし、何やってんだって言われるような人が、
なんか憧れたり、かっこよかったり、なるようなものの時代のことだと。
その価値観の転倒が、一番ドラスティックに起きるのが、百姓っていうものの見方が変わることなんです。
一番下の方にありそうなものが、一番上に持ってかれたら、それで新時代の百姓、新しい百姓のものの見方で、新百姓っていうワードに曲がっていったんですよね。
だから、百姓が一番かっこいいってなったら、その時その見方をしてる人たちはもう、外資コンサルが一番かっこいいとは多分言わないと思うんですよ。
やっぱもう、足立さんマジすげえってなる。ここ来てもう鼻血出るほど興奮すると思うんですよ。
ここかっこいいすごいってなると思うんですよね。
そういうふうになる。それはつまり、使う人の時代って言うんですけど、近代から、特に資本主義で社会が動いてきた時代のことを、使う人たちの時代だったなと思う。
地域共同体の作業と経済
コンサル、政治家、メディア、いろんな自分の身の回りのものを作らない人たちが、一番褒めさせられた時代。
それが、そこから作る人たちの時代にもう一回戻るんだ。
その作る人たちの時代っていうのを、このキャプタリズムから、新しいクリエイティビティズムって横文字になってますけど、
創造性、作る喜びを一番大事にする社会というようなことで、そのコンセプトに行き着いて、じゃあそのコンセプトで雑誌を作ったらどうなるんだろう。
そのコンセプトで、企業家とか今の人たちを見たら、どういう言葉で紡いでいくんだろうっていうふうに、そしたらガラリと変わるんですよね。
ひとつの企業家を見てても、この人は若い、何歳、30歳以下で10億稼ぐような仕事を作った。そこの切り取りにある。
この人は、高校生の時からずっと気になってた問いを、ずっと真摯に追いかけてきたら、今こんな会社作っちゃった。それが結果、今10億になってます。
全然違う切り取りじゃない。僕らはその後者のほう、作る喜びのほうを見ていこうっていうので、
今日は高校入って初めて来ましたけど、もう鼻血飲んでた。入る前の入り口のたたずまえから鼻血出そうでした。
それはやっぱり作ってる人たちの作ってる場所だから。そういう感覚で見れるようになれば、なんか楽しいですよ、と思うんです。
百姓っていう概念はね、本当にピンときましたよね。
ピンときましたね。百姓の子なんで。
やっぱりそうですよね、安西さんは。安西さんは島根の猫で、百姓。おじいさんの代から。
おじいちゃんおばあちゃんがまさに百姓。家も建てる。だから、優位ってやつですかね。聞いてる人たちも一緒に集まる。
あれで、写真がね、あるんだけど。これおじいちゃんの写真なんですよ。
うちの実家は田舎なんで、3,400キロぐらいかな。地下とかもある。漬物を漬けるために。
こんなの自分たちですごいねって言ったら、それも漬物を漬けたいからねって言われた。
そりゃそうだけどさ。
こんなのでも、生コンネルとかセメントネルとか鉄筋曲げたりするのは女の仕事やからなっておばあちゃんが言ってた。
すごいっすよね。
なぜなら、地上でできるからです。
あれ見たら分かるんですけど、まだ竹なんですよね、足場が。
危ない仕事だね。
酒飲んでるじゃないですか。多分酒飲んでないとやれなかったのかもわからないですけど。
死ぬような作業はさすがにさせないです。
大変でも地上でできれば。
漬物を漬けたいから、おばあちゃんも必死ですよね。
せんべきがだいぶね。
でもそれは欲望を叶えるために、当時ね。
漬物を漬けたい。
漬物を漬けたいからだった。
すごい話ですね。
だからすごかった。ほんまにまさに多分百姓。
集合写真があるんですけど、子供が3人写ってて、抱っこされてる男の子が2人写ってて、
それが僕の父親と弟なんですけど、
この子たちに自分たちが作ることで、より良い生活を担保してあげたい。
おじいちゃんおばあちゃんを思い出させて。
ちょっと話が反対になっちゃうかもしれないですけど、
おじいちゃんおばあちゃんってすごかったんですよ、とにかく。
田んぼやる、畑やる、家建てる、山も管理する、牛、馬、養産までやってて、
割とこの時代は多かったんですけど、
すごすぎるんですよ、僕からしたら。
15年間から20年間かけて、建物を5つぐらい建てて、
作業場とか、完全に違法建築なんですけど、建てるんですよ、本当に。
こんなことを、しかも借金なかったんで、
自分たちの今の社会活動を落とし込んで考えた時に、
どうやったら金持ちでもないのに、こんなことが可能だったんだ。
結果は自分たちで作ってたから。
DIYをしてたわけですね。
本質的なDIYだったんです。
それを今度、おじいちゃんおばあちゃんが良くないと思ってやってるんですけど、
やりすぎちゃって。ほとんどは何もできなくなっちゃった。
なるほど。
なんて言ったらいいんですか。全部やっちゃうから、おじいちゃんおばあちゃん。
でも、おじいちゃんおばあちゃんの合理的というものは、
実は、うちの父親からしたら合理的じゃなかった。
代が変わったり時代が変わると、
この時点の人の合理性というものは、
この時点の人に対しての合理性とイコールではないというか、
そういう体感があった。
だから合理的というのは、世の中で言ってるやつじゃなくて、
自分で考えて、自分で感じて考えて、
自分の合理性というものを見ていかないといけない。
それは他者から見たら、もしかしたら非合理かもしれない。
木を引っこ抜くという作業が、
ユンボを呼べよって話ですよね。
だけど、そこに引っこ抜くという非合理な行為の中に、
自分の中の合理性というものがあったから引っこ抜けた。
そうなんですよね。
おじいさん、おじいちゃん。
オレンジの帽子だから。
ちょっと違うね、今話されてますけど。
家をもらって、島根にあるから。
同居だからというところでもらった。
それはガサキベースの営みだった。
それで足立さんが国道沿いのお家で、
ジャングルでしたよね。
一応家なんだけど、
庭の木とかが伸びまくって、
都々の森になったみたいな。
建物が食われるんですね。
植物の下とかも入ってて。
まさに食われちゃうという状態でしたね。
それを草刈り機とかも使って、
引っこ抜くっていうのを、
私も実際に引っこ抜かせてもらったんですよ。
引っこ抜かせていただくのもおかしいんですけど。
とんでもなく大変な作業でした。
とんでもない7年とかもっと時間かけて、
地を生きるために張ってるから、
それをまず探るために手でやったり、
斧で全部立ったり、
ものすごい力で引き上げたりってやるんですけど、
足立さんから聞いた面白かったのは、
さっきおっしゃってたみたいに、
ユンボとか機械でやってたら、
またアパート建つのかなとか小民家壊して、
駐車場になるのかなって想像するんですよね。
なんだけど、手で作業してたから人が集まってくる。
何するんだろう、
あの人たち何なんだっていうところですよね。
それが人が集まって、
その中に議員さんみたいな方がいて、
後ろにあるお家も空き家だから、
話をつけてみようかみたいな感じで、
わらしべ長者的にもらうっていう。
普通だったらそれを、
さっき言ったユンボとか、
ホーム店の人とかにお金を払って、
やってもらってとか、
家も買うっていう発想になりがちだと思うんですけど、
そういう作業をしてたら、
家をもらうとこまでいくっていう、
そういう経済の在り方、
それが何だというところで僕は引っかかったというか、
すごい面白いなと思って、
本にしたいなって思ったんですよね。
人間の役割と創造性
プロセスの重要性っていうのは、
僕らは取り戻さないといけないんだと思うんですけど、
プロセスを省いて、
結果だけを取り寄せることも、もちろん大事なことだったり、
それの恩恵で我々ベンチ作らせてますけど、
でもそれをやりすぎちゃうと、
結局プロセスって物語だから、物語が存在しなくなる。
その結果だけを追い求めてきて、
結果だけを出し切れた人を生きていって、
何の物語もそこには生じ得ない。
それをちょっと極論で言えば、
それって人として生きている意味なんかあったんですか?
なるほどね。
僕らのいろんな仕事されてると思うんだけど、
もうすぐ機械、ロボティックとAIが、
人間をはるかに超えて、
すでに超えてますけど、明らかに超えて、
それが人間の創造性というか造形力を
簡単に飛び越えていく。
そういう時代になった時に、
目的的な生産とか創造物って、
それに任せておいた方が横で早い。
そういう時代になった時に、
目的に任せておいた方が横で早い。
それだとしたら、
人間っていらないよね。
僕らスタートアップ当時の仕事をしてて、
この新アクション直前に、
シリコンバレーの企業家とか、
中国の若い企業家とか、
いっぱい会ってたんですけど、
彼らが本当に真っ直ぐな目で、
人間がいらなくなるっていう人に僕いた。
それを見て、でも彼は悪気ないんです。
それは良い意味で、人間が仕事しなくて済むっていう意味ないんだけど、
でも人間がいらなくなるって言ったんです。
セリフとしては逆さっちゃってるからね。
でも確かにそうだ。
トラックドライバーはいらなくなりますよっていう意味合いのことですよ。
百姓の重要性の再評価
でも、
じゃあ俺たち何するんだって思ったんですね。
だから、
効率を求めすぎて、
結果だけを急いで、
プロセスを中抜きすることの良さもあるけど、
それをやりすぎちゃうと物語が生まれなくなって、
木を引っこ抜くのも、
ユンボーで一日終わってくる話じゃないですか。
何日も手掛けてやってるからこそ生まれてくる物語で、
その物語にすごく魅力とか、
エネルギーとか、
人を動かすエネルギーがありますね。
それが紡がれていくんだろうなって。
まだ書いてる途中でどうなることもあるんですけど、
でもまさにおっしゃる通りで、
結局人生とか生きるって、
自分のDIY以外ありえないじゃないですか。
自分の代わりに誰かに生きてもらうってことはありえないのに、
それを結構他の外注してしまっているっていう状態が、
そこが結構、
生きている実感と離れちゃって苦しい部分なんだろうって、
やっぱりさっきも言ったんですけど、あると思うんですよね。
それAIに任せてどうこうなって、
ドラえもんの売り切りのラビリンスとか、
まさにそういう話だったんですよね。
サピオ君とか、
歩けなくなっちゃって、全部ロボットがやってくれるから。
ある意味ディストピアというか、
ぶっちゃけて言うと、
デイビッド・グレイバーが言うような、
ブルシッド・ジョブ、クソどうでもいい仕事って、
誰でもいいじゃんみたいな、
これ何のためにやってんだみたいな仕事が今いっぱいあって、
上司のためにプレゼンシールを整えるとか、
いろんなものがあって、
それこそ真っ先にAIに変わられていった時に、
本当に本質的に、
みんなここ数年考えてることだとは思うんですよね。
だけど、
その時に百姓のやってることって、
すっごく人間的というか、
当たり前のことというか、
明日食べるものとか、これから食べるものを作るとか、
家雨漏りするから屋根を直すとか、
めちゃくちゃ合理的なはずなんですよね。
そこがやっぱり、
今、あんまり考えられなくなっちゃってる。
多分、社会が、
やっぱりテクノロジーがそれほど発展していない、
つい何十年か前までの百姓って、
言っても大変ですよね。
僕も米作ったりすると思ったんですけど、
大変ですよね。
それはそれで大変だったから、
その人たちがやらせたくないと思う気持ちも分かるんですけど、
でも、今、正直、
この日本において、
食いっパグれたり、
雨風にしのげないことの方が難しい時代になった。
この時代にもう一回捉え直したら、
正直に言ったら、
米なんてね、
2万円を出せば1年分の米なんで、
買えるわけじゃないですか。
そのある種のシステムが提示してくれる、
安心とか安定があるからこそ、
もう一回山に、
もう一回田んぼに、
失敗してもいいから向き合える。
その遊びの領域に、
なり得るんじゃないかと。
今年の米の収穫失敗したら、
子供が死ぬって思ったら、
今は正直知らないし、
逆に言えば、金でいくらでもベースを作れる。
そう思うからこそ、
いくら失敗してもいい。
いくら実験してもいい。
百姓たちがやっていた人並みを見直すと、
正直面白いことだらけ。
合理性とテクノロジーの影響
ねばならないからやってた人たちと、
面白そうだからとか、
タイからやる人たちでは意味が変わる。
タイで見ていくと、
百姓って遊びしろが多い。
安達さんのおじいちゃんおばあちゃんは、
お父さんお母さんの、
自分の息子とかにあたる人たちに、
戦後の中でこんな死んでることさせたくない、
ある意味親心でさせまいとして、
それで大学入った方がいいよ、就職した方がいいよ、
っていうところになったんだけど、
たぶんうちの父とかもそうなんですけど、
結果として自分のことができない、
とか言われるようなことになっちゃう。
でもその孫世代の安達さんは、
いろんなことを経て、
もう一回百姓というかDIYみたいな外人であるわけじゃないですか。
それは時代の変化もあると思うんですけど。
どう渡すかって重要ですよね。
自分たちが今これのほうが合理的だとか思っていることを、
次の世代にどう渡すべきか。
その頃から生きる時代はワンクールと違うわけで、
その時合理的かどうかはよくわからんことを大人づらして、
言われるようになっちゃうんですよね。
その時の安達さんは、
今みたいな流れでおじいさんおばあさんが
お父さんに言ったわけじゃないですもんね。
大変だし、こういう流れになるから、
俺はさせないんだよっていうわけじゃないですね。
自然と価値観って変わっていってるというか。
うちの父親は結果的に、
暗い話じゃなくて脳がぶっ壊れちゃったんですよ。
誰かが片付けてくれるのを待つしかないぐらい、
全盗用。
萎縮しちゃって。
もう介護が必要。
70歳。
うちのおばあちゃんまだ生きてるんですけど、
おばあちゃんとごいじが生きてるんですよ。
おばあちゃんとごいじが生きてるんですよ。
おばあちゃんとごいじが生きてるんですよ。
うちのおばあちゃんまだ生きてるんですけど、
おばあちゃんとごいじが同時にボケた。
そんなことはおばあちゃんたちは予測していなくて。
でもうちのごいじのケースをとって考えると、
大げさやからわかるけど、
我々も一緒じゃないかって思う。
戦後何もなくなっちゃって、
大人たちが頑張って次の世代にバトンタッチしたところ、
結果地図も読めなくなり、文字も読めなくなる。
結果地図も読めなくなる。文字も読めなくなる。
物も考えられなくなる。
何も考えないと言うとちょっと誤解あるかもしれないですけど、
基本的には暮らしを外注するシステムがあって、
外注費稼ぐのでいっぱいいっぱいになっちゃって。
いかに外注費を稼ぐか。
僕も30歳くらいまでそこに
本当にひたひたに使ってて。
でもいろいろなことがあって、
僕一回死にかけるんですけど、
それからピリついた感じの方が脳がクリアに動くっていう感覚を得たときに、
それからピリついた感じの方が脳がクリアに動くっていう感覚を得たときに、
俺何も考えずに外注費稼ぐことにいっぱいいっぱいになってた。
例えば明日の外注費稼がなくなったとしても、
俺明日別に死なねえじゃんっていうところは、
生きるか死ぬか、動物なんて。
明日生きてるか死ぬかで選択したときに、
ほとんどのことはオールオッケーで。
もし日本だったら、
少々ぶちこけてもセーフティネットはあるし、
そこに引っかかったらええやん。
常に生きてる大人がいる状態を、
常に生きてる大人がいる状態を、
その姿を子どもが見て、
子どもたちが自分たちの合理性を考えれるようなベースを作るっていうのが、
子どもたちが自分たちの合理性を考えれるようなベースを作るっていうのが、
大人の仕事なんじゃないかって考えれるようになった。
何か安心的な…。
何か安心的な…。
何か安心的な…。
何か安心的な…。
すごいですね。
せっかくなんで、
会場にいる方のお意見とかも、
質問があったら聞いてみたいなと。
これこそ1月4日に、
西村組のイベントをしていただくのをよろしくお願いします。
次世代への価値観の伝承
西村組のイベントをしていただくのをよろしくお願いします。
いい話ですね。
本に作るっていうことこそが、
本に作るっていうことこそが、
生きる意味があるんだよね。
生きる意味があるんだよね。
そこは本当に、
何のためにこうね、
それを次の若い人たちにどう繋いでいくかみたいなところで、僕はその家を直そうというのを選択しました。
あらゆる資産が、空き家がね、草でもあるけど、直すだけで生きていける。
目みたいな世界観で、次の世代ができる世の中になっていったりとか、そこで活動してなったりとか。
何もないのに、これだけ話を膨らむのよ。
そこに。
大体こういうのってね、スライドでわちゃわちゃ。
確かにね。
良い配分で、三等分で話す。
まあ、ちょっとしたね。
僕が事が作ってあると、面白くなくなって話しできなくなっちゃうんですね。
なのでアドリブでしか生きてこれなかったので、
あ!そのアドリブが。
そこが神ハってる人とか。
西村さんは肺肉を回収してる。
肺肉はまあ、押し付けられる。
あ、そうなんですね。
肺肉も押し付けられる。
西村さんは、廃屋を回収してやられてるんですか?
廃屋は、押し付けられる。
廃屋の押し付けがあるんですか?
廃屋になる前にやられてない。
みんながいらないといけないから、やらないといけない。
それは役割みたいなもんです。
世の中で、どこでやる人がいないからやる。
ある意味、分解者というか。
分解者というか、深海魚。
誰も食べなくてさえ来ていたのを、そこでバシャバシャする。
でも、そこですよね。
そういう社会課題を解決したら終わっちゃうから、
ビジネス書とか読むと、客を教育しすぎるな、みたいなのがあったりするわけですよ。
解決しちゃうと、そこで終わるから。
会社を売ったら終わる。
そうですよね。
それって全然有機的じゃないじゃないですか。
今の分解者みたいに、回るような仕事じゃないというか。
一番金を稼ぐ仕事は何かというのをずっと見てきて、
ソウル支援とかして、金融もやってみてきて、
結論は、お客さんを依存させたら勝ちなんです。
お客さんを依存させる商売が一番儲かる。
お金が一番大事っていうパラダイムでやったら、
結局麻薬を売るのが一番大事だと思う。
でもそうなると、そこは利益化だなとかしてるけど、
似たり寄ったりになっちゃうじゃないですか。
まあでも宗教とかも言ってしまいますよね。
形は合いそうなんですけど。
根本的にそれは破綻した話で。
確かに。
お金は悪くはないけど。
特にこの考え方って、我々日本にいるケースの場合は、
明治以降、近代文明が入ってきて西洋化していく過程と、
あとは戦後の国民会教育の中で、
このプロセスの中で大きく考え方を刷新されてきた。
それは良いとか悪いとかじゃなくて、
そのことだけ分かっていれば、
僕らの奥底には全然違う世界の見方があるわけね。
いただきますって、
これはやっぱり西洋の思想の中には出てこない発想だと思う。
いただきますっていろんなものが繋がっている、
その命をいただきますから、
その時点で世界の意味に合いが違うと思う。
神様に対してありがとうございますって言いながら食べることは、
意味が違う。
そういうのがまだ、そこかしこにちょっとずつ足元の中に残っている。
そういうヒントが残っている。
どっちがいいっていう話じゃないですよ。
経済とお金の価値観
そこに出すと、
新海峡でやってるっておっしゃった、
その在り方が、僕らなんかするとかっこいいな。
これマジかっけーことやってるなって思うわけですよね。
でも多分、今もうすぐ豊洲のマンション買おうみたいに思ってる人からすれば、
なんだこの人だけ。
不思議な、なんなら近寄りたくないみたいな。
になっちゃう。
どっちがいい悪いわけないけど、
自分で見るもの全部面白い悪いなら、
どっちの方が楽しいなって気がする。
これもいい、あれもいいって思えるようになったら。
僕も最近江戸時代のこと調べてたら、
酔い腰の金を持たないってよく言うじゃないですか。
特に芸人さんとかが、
今日1日稼いだのバーって使える。
あれすごいですよね。
でもあれって実を言うと、
日雇いみたいな感じだから、
酔い腰というか、
その日の金を稼いで終わりみたいな暮らしをしてたから、
そうするしかなかったっていう意味合いもあるらしいんですよ。
すごく人間的というか、
それで例えば使える、
使いたい人に使うとか、
そういうお金の生かし方をしてたっていう。
そこはね、ちょっと変わってますよね。
やっぱりね、意味合いがね。
あなたはお金ってのはどう捉える?
ここでやろうとした時に、
儲けようと思ってやられてないでしょ。
必死で来たからね。
風呂に入りてえとか、
ちゃんと靴脱いで寝てえとか。
その要素も一つですよね。
いろんな、
木とか、
断熱材とか、
わからないですけど、
材料の一部としてお金も。
材料の役割と経済
材料のオールマイティみたいな感じで。
資材の一つ。
オールマイティカードって。
これやったらとりあえず何かと変えれる。
足りないものと変えれるから、便利な素材。
大富豪のジョーカーみたいな。
なるほど。
でもまあ、そこがね、
どのぐらい、
どこにフォーカスを合わせるかっていうときは、
木だってそれこそそうなんですよ。
オールマイティなんですよ。
割と。
例えば、現在人のフォーカスで言ったら、
お金の方がはるかに多い。
だけど、例えば、
例えばあそこにある棚とか、
あんな棚とかって、
もともとでは建築業務の道板。
道板がオシャレやーって言って、
いろいろ使い回されて、
うちも前のお店を2回移転してるので、
最初に作ったお店のどこかなんですよ。
そのお店のどこか。
解体して、
解体して素材に戻して移転するので、
最初のとき何だったか覚えてないが、
2回目のお店のときには何かになって、
また引っ越すときにバラバラになって、
また今は棚になってるっていう状態。
もっと言ったら、
何でも作れるじゃないですか。
そうですね。
素材以上のスプーンでもいいじゃないですか。
そういう調理法をあまり知らないで、
ただの木の板になって、
高えとか言い出す。
これが1000円で買えるんやったらめちゃくちゃ安いのに。
めっちゃ高えじゃん、木1枚で。
結構それ言われたんで、
知らねえよと思ってたんですよ。
お金で言えばそんな感じかな。
面白いですよね。
お金を稼ぐっていう感覚ってある?
お金を稼がなきゃとか、
稼ぐためにこれやるみたいな、
そういう感覚って。
それが結局パルメちゃうときもあるんで、
あんまり関係なくやれることもあるんですよ。
相手があるんで。
相手の空気感もあるんですよ。
向こうがどれ程度それを求めてるか。
それを別に金で得るんだったら、
1ヶ月飯食わせてくれたらそれでいいじゃんって思うこともあるけど、
それを受け入れられない人に。
結構それ僕過去にガチでやってて、
コーヒー屋やりたいっていう人に、
これコーヒーやりたいんだったら、
じゃあ俺やるから1年コーヒー飲ませろって言ったら、
え?みたいな。
怖いんですよ、相手は。
むしろ。
金を買い替えるほうが楽なんじゃないですか。
オールバイティーなカードでやったほうが、
カードゲームとしては、
そこがXになっちゃうと、
めちゃくちゃ怖い。
でもほんまやったら、お金が大事やから。
ほんまの意味で大事やったらラッキーじゃないですか。
でもそこが怖いって言われた。
金って結局、
これより前に文字辞書が本を出して、
お金について旅に行って学んだことで、
お金って何だっていうのを自分なりに考えた。
それの中で触れたんですけど、
お金って結局、知らない人、
社会的関係の人と関わるために、
最も有役に立つものなんですけど、
例えば家族間で何かしてあげた時に、
友達の間で。
本当は信頼関係があれば、
お金を介在させることはむしろ薄いらしく、
むしろ危ないことになるけど、
知らない人と関係ない人、
この人が何者かわかんないし、
おかがり信頼がない時は、
お金を介在したほうがいい。
それ以上近づきたくない人との関係の時は、
あえてお金を介在させたほうがいい。
お金で切ったほうがいい。
っていう時があるから。
それはやり方にもよると、
お金を介在させることって、
もちろん信頼関係の中で、
友人関係の中でもそれは介在してもいいけど、
お金を介在させるだけの関係って、
めちゃくちゃある意味楽なんですよね。
関わらないでいいから、
その人とそれ以上。
だからそこが、
でもそれをやりすぎちゃうと、
結局誰にも頼れない人生になっていく。
お金にしか頼れない。
そういう風になっていくのは怖いですね。
信頼関係とお金の関係
確かにね。
何でもそうですよね、表裏やから。
楽を取ったら結局。
裏側が必ず取り戻されていく。
エネルギー保存の法則にも近い感じですよね。
これをやっちゃったら代わりにこういうのをやらなきゃいけない。
電気を使ったらその分、
軽く圧電で二酸化炭素が出るとかと一緒で、
それをちょっとわからずにいるというか。
いい面だけが出る。
そうですね。
そういう気がします。
他に質問とか話してみたい方がいれば。
充電が大事ですね。
皆さんはもうよくこちらに来られている方々ばかりですか?
どうなんですか?
初めてがさきベースの方?
初めましてです。
ありがとうございます。僕は初めてです。
初めましての方は今日どういう話?
どこに引っかかっていただいたの?
お願いします。
今日のご案内の方は、
新学生の方。
お願いします。
この辺りの人たちにもご挨拶いただけますか?
ネットで?
ありがとうございます。
今のうち分かりますか?
分かります。
一緒に行こう。
一緒に行こう。
一緒に行こう。
ゼロの分析が落ちた。
いいですか?
お酒は何を飲んでいるんですか?
例えば福岡にもあるんですけど、
他を買ってやって、
違うタイプだったんですか?
はい。
君のこの話は、すごく大事なことだと思います。
やっぱり人のお金を稼ぐ人間になってしまいます。
40時間以上。
なるほど。
それは責任重大な話です。
なるほど。ありがとうございます。
Webでゼロ語を公開し始めて、
それを読んでる人はいいのかなと思ってずっと心配だったんですけど、
初めて読んだ。
初めていらっしゃった方は?
私は1月に西村さんの話があるのを、
浜崎のお墓さんから聞いて、
1月にまず申し込んで。
ありがとうございます。
両方聞いて。
今日のも見て、今日のも面白そうと思って、
前の中に申し込んで。
3時ぐらい。
ありがとうございます。
やっぱり面白そうと思って。
嬉しい。
本のイベントの中に、
新白章があって、
1冊しか無くて、買えなくて。
あれ奪ったの?
1冊しか無くて、そこからずっと気になって。
ちゃんと読んだら、今日話すのと、あの場白と。
すごい。
素晴らしい。
聞かれててどうですか?もっとこの辺深掘って。
私、1つがヘルパーの仕事で、
変わったところにヘルパーをして、
そこは完全におじいちゃんの人が、
ヘルパーの方で。
私の考えは、実際に置いてこい。
当事者の人がしたいことをやるのがヘルパーの仕事だから、
ヘルパーはここに出勤するときは、
自分の脳みそは置いてこい。
こうあるべきみたいな話で。
自分のこっちの方がいいんじゃないみたいな、
こっちの方がいいんじゃないとか、
これやるのみたいな、
おかしくないみたいなことは置いてこい。
すごい。
マトリックスみたいなやつ。
ああいうふうに、
それはその人が言ってることを聞けばいいから、
楽なはずなんですよ。
考えないといけないんですね。
めちゃめちゃストレスやから。
そりゃそうですよ。
その人の主体性を大事にしないといけないのは分かってるんですけど、
自分の考えを持ち込まないっていうこととか。
私の主体性があってもらって。