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前回までが仏教とお茶の関係 を話したところまででしたね
で今回は 抹茶大ブーム
抹茶大ブーム 日本最初のお茶大ブーム
ですよ 抹茶大ブームって今じゃない
の 今もブームかそうですね
うん
はいそうですそうです この英才が広めたお茶のおかげ
で クゲ貴族お寺あと武士あたりで
抹茶が長いことブームになるんですよ
結構すごい 結構すごいんだ
この抹茶を飲むだけじゃなくて 抹茶で遊ぶっていうのが文化
として発祥するんですね へえ抹茶で遊ぶ
遊ぶとう茶戦う茶と書いて とう茶ですね
とう茶とう牛とかと一緒で そうですそうです戦うって
文庫前のほうのですね戦う茶が大 流行しますこれどんなゲームか
とこれゲームなんですけどほん茶 とひ茶というカテゴリーがあって
ですねお茶にこのほん茶がどれ かというのを当てるゲームです
へえ当てるゲーム 当てるゲームみんなで10人
とか集まって抹茶4種類立てます それぞれ4種類を2,3回ずつ飲んで
さあ1番から4番のうちどれがほん茶 でしょう
なかなか難しいんじゃない の
だいぶむずいと思うわこれ ねえお茶でしょなんかワイン
当てみたいな感じかな そうなのかな
感覚ね今だとワインクイズ とかあるから
聞き酒とかね 聞き酒ね日本酒もやるしね
でもワインとか聞き酒って 飲んでどれがどれって一個一個
全部ついで当ててくじゃんほん茶 は一個当てればいいほん茶さえ
当てればいいからそれでおおよし よし当たったおめでとうみたい
なんで盛り上がってたこのほん茶 になったのが戸賀のお茶
戸賀のお茶 戸賀のおっていう地域のお茶
なんですねこの戸賀のおっていう のが明永の前回出てきましたね
明永商人のお寺高山寺というお 寺があるんですけどここのお茶
なんですよ 京都のお茶
京都のお茶ですちなみに高山寺 ってあれですね長寿義が見たこと
ないですかカエルが相撲をとって たりさ知らないか多分リスナー
さんでああーって言ってる今頃 長寿義が今度ググってみて国宝
で有名だからかなり有名なんで この長寿義が保存されてるお寺
はここですねもうどうでもいい 話ですけどもうちょっと関係ない
そこと同じお寺
そうそうあと碑茶のは外れ 側ですねこれ結構いっぱいあって
まず京都の中に二の四の六ヶ所 三地がある
六ヶ所かなりあるね はいざっと読みますね宇治
忍耐寺第五羽室般若寺神王寺寺 寺って読み方ちゃんとメモして
こなかったから読めなくなっちゃ ったけどこれがあって京都以外
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の地域に大和室尾伊賀の羽取伊勢 駿河の清見武蔵の川越となってる
わけですけどこれ京都の宇治以外 のお茶って聞いたことないでしょ
ない
第五のお茶がうまいとか羽 室がとかあんま聞かないでしょ
全然わかんない
どこだろうと思って調べた のみんなお寺の境内とか
お寺の中に作ってたってこと なんだね
そうそうあと羽室なんか調べ たらなんだこれと思ったらただの
地名でもっと調べてったら羽室 に貴族の庄園みたいなでっかい
建物が土地があったんだって多分 貴族が自分で植えて育てたっぽい
ようなね
そういう規模なんだ
うんなんかすごくこじんまり してるこの辺はもう別に産業だ
というよりは土側のお茶をより 楽しむための相方みたいな遊び
の道具作ってますみたいな感じ 全然商売考えてないですね
大和っていうのは奈良県ですね 大和の室尾で伊賀の鳩この二つ
は今でもある程度茶園はあるんだ けどだいぶ衰退してほとんど産地
としてはあまり流通してないですね で伊勢神宮の伊勢ねこれは今でも
三重県がお茶の出荷量第4位かな これは伊勢茶が支えてますねで
この三つは誰が持ってきたとか っていうのは明確にはっきりして
ないんですけどどうやら明江から 伝播していった
ああ途中でね そうそうだから土側のお茶
から今度明江が土側のお茶を植 えた後に宇治に茶園を作るんですよ
この宇治から大和に行って伊賀に 行って伊勢に行ってとみんなそこ
そこ近い山越えたら宇治から南 区だったら大和があって大和から
東に向かって山越えたら伊賀があって 伊賀から山下ってたら伊勢があって
みたいなそんな流れかな ちゃんと広めてるね
ちゃんと広めてるだいたい 明江が和歌山県あたりの出身の
人らしいから多分そっちの方面 に広がったんじゃないかなっていう
論説を読んでそれっぽいと思った 今までの流れだとそんな感じ
がする なんとなく僕がですよ僕が
これが真実っぽいなと読み取った ものですけどねで駿河は前回も
ちょっとお話ししましたけど松一 国師が英才禅師の孫弟子が持って
きましたね我らが静岡のお茶ですよ でこの清見という場所は松一国師
のお弟子さんが建て直したお寺 なのでなんでここにお茶が来た
のわかってます武蔵の国川越これ 川越茶今さやま茶っていう夢ですね
ここはわかりません 楊 ここはわかんないんだ
全然わかんなかった 楊 そうなんだ
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もう今の茶どころで有名な ところのうちいくつかはここに
もうすでに出てるあれなんですよ 今鹿児島とか宮崎とかがすごく
伸びてるじゃないですかあれは 完全なるニューワールド
楊 ニューワールド 平成とか
楊 本当に最近なんだ もともと茶園はあるんですけど
こんなに有名になって出荷量が 増えてくるのは昭和平成って本当の
ニューワールドなんでこの時代 はまだ全然名前が出てきません
なんですね ここからこの陶茶を通してどんな
動きがあるかっていうとまず久 下貴族の優雅な遊びこれで陶茶
が始まりますねだからここでは 穏やかにきゃきゃきゃきゃけまり
を楽しむかの如く和歌を読むやう が如く楽しんでますよ穏やかですね
楊 本当だね はいっほほほっほっと
言ってるわけですよ 楊 多分だけど
多分だけどこれが鎌倉時代 なので武士に広がっちゃいます
よねすぐに鎌倉時代がまた万能武者 っていって地盤が関東なんで関東
って西の武士よりも相当乱暴なんですよ 深く話すとここで30分いっちゃう
からやめるけどそんな人たちだ と思ってくださいここに広がって
すぐですねすぐ賭ける 楊 すぐ賭ける
賭けごとにする 楊 賭けごとね
もう半課長課のような勢い で賭けごとしてる
楊 お茶に うんお茶好きっていう
か多分ね賭けごと楽しくてお茶 飲んでるぐらいじゃない知らんけど
したらちょいちょい出てくるんだよ 全財産失っちゃったとか全部吸っちゃ
ったとかね 楊 玄道
家一軒持ってかれたとかね 楊 やりすぎでしょ
娘持ってかれたとかねやばい よねこの人
楊 賭けごとやりすぎでしょ これぐちゃぐちゃになってく
わけですよで鎌倉幕府はこの後 孟孔集団とか元寇とかがあって
ガタガタになって崩れてきます よねで室町幕府ができるこれ足利
高氏がもう鎌倉幕府とはやって られんからって言ってすげえ変わる
わけですよ将軍としてしたらもう この武士まとめるの嫌じゃわと
足利家っていうのはバンド武者 じゃないんですよ
違うんだ 西日本の人なんです
西日本なんだ そうだからあいつらもう
マジ勘弁してあいつら統制機関 士で室町幕府ってあんまり統制力
ないんですけどね権力強くないん だけどでも一応武士のてっぺん
なわけですよで法律出すこれは 教科書に出てくる1336年憲務式
期末足利高家が出すんだけども これは室町幕府成立速攻で出した
ルールなのね武士はこうしなさい とか税金はこうしますよとかその
中の一つに統治やめなさいって そんな中に統治やめなさい
ってよっぽど流行ってたね よっぽどヤバかったんだと思う
であることかけごとやめなさい じゃなくて統治は丸ごとやめさ
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しちゃうんだよね そうなんだ
武士においてはでこの人武士 の当領だからクゲに対してのそこ
までの強制力はない別にほっと きたっていいじゃんあの人たち
穏やかだから武士に対してこれは やめろということになるんだけど
えーこれ楽しみ減ったわってなる わけじゃないですか今考えてみ
今麻雀とかパチンコとかいっぱい 言うのがあるよ競馬とか全部ダメ
って言われたらえーって言う人 いるよ
いるだろうね そんな感じになるけどみんな
集まりたいじゃんヤンキー同士 ウェーって集まってキャッキャキャ
会したいわけですよお前どうだ 今日はみたいなでも統治はダメ
って言われてるから茶でもしば きながら話しするべえということ
になってお茶がただの集いのツール になってくんだよね
そういうね あれ文化変わったこれが意外
と広まってくんだよ 広まってくんだ
統治みたいなゲーム性がなくて もこれいいねっていう集まって
お話しするだけでいいねって 考えてみ今考えたよ超荒れてる
ヤンキーがお茶片手にあーお前 どうなってんだよ最近あーって
あーおろしたかよって言いながら 吸ってんのが
そこ酒じゃないんだ 酒じゃないお茶
お茶なんだ いるじゃんほら自販機の前で
コーヒー片手に語ってる 確かにいる
いるよねあんな感じだと思うよ 多分
確かにねコンビニの前であんまり 飲んでる人いないしね
そうそうああいう感じ になってくんだけどこれがなぜ
か茶道につながってくんだよ こっから茶道につながるの
うんこれはもうちょっとハイ 層な人たち貴族とかそっち側の
人たちに逆輸入されていってこれは 良いぞということで今度こっちは
おしゃれにおしとやかにお茶を 楽しむわけです武士にももちろん
そっち側のお寄りの人たちもたくさん いるんで楽しんでいたらこれはいい
なっていうところでこれがねなんと また禅ともう一回再融合するんだよ
またここでくっつく
うん村田寿公っていう人が 禅の精神とか作法とかを全部持ち
込んで今の茶道の基礎を作る あれ英才が意図したことが数百
年経って復活みたいな 数百年経ってるのか
うんもうこの辺で村田寿公って 言ったら1400年代の稀なんでもう
300年ぐらい軽く経ってますよね 経ってるね
この後に武野っていう人が 出てきてその後に千利休ってこれ
ずっと指定関係で文科生として 繋がってくんだけどこれで千利休
が現代の茶道の形を体系づける そこに繋がってくる
ここで完璧に固めるっていう
だから師匠の師匠から始まってる そういうことか
英才からしたらしてやった りだよ
そういうことだね これがあって禅宗も一気に
また広がっていくからね こっからまた広がるんだ
臨済宗なんとか派なんとか 派なんとか派って臨済宗はもともと
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中国にあった宗派なんだけど日本 の一番最初は英才だからなんなら
この後出てくる金閣寺も臨済宗 だからね
金閣寺って臨済宗 そうになってくるこれでもう
一つ茶業界に面白い変化が起こる 紅茶がなくなったじゃん本茶と
紅茶って概念が消し飛ぶわけ当たり がなくなるからそうすると全員
フラットになるよね立場がここで 産業化してくるんだよ
これで産業化する それまでは別に産業の
ためのお茶じゃなかったわけそれが 急に産業化できる状態になる今
までは本茶という権威によって 紅茶が本茶を超えるってことは
概念書なかったわけじゃない 本茶の枠が取られちゃった
紅茶の枠も取れちゃったみんな 自由競争ですっていう
そういうことね ここからですよ宇治茶の独り
勝ちが始まっていくわけですよ ここから宇治茶
これなんで宇治茶が戸賀能 をぶち抜いて世の中を窃監して
いくのかっていうのがこれちょっと 面白くて結構試験も多いんだけど
戸賀能ってお寺のお茶じゃね うんお寺のお茶
ちっちゃいわけですよ山の 奥ですよ修行する場所なんで流通
悪いんですね量が少ない流通が 悪い茶を売れないんです
単純商売にならない 商売上売りづらいんです産業化
しづらいんですねこれが宇治の 場合はそもそも栽培環境がとても
良いまず温暖である朝晩の気温差 があって水が豊富で割と開けた
平野があると 環境的にすごい
うん宇治川の周りがとても 霧が立つような綺麗なところなので
これがまずそもそも良くて広い からたくさん作れますね当時宇
治っていうのは京都の奥下さん や貴族の別荘地なんですよ
別荘地 金持ちの別荘地のところで
お茶作ってるの目の前にお客さん いっぱいいるじゃんめっちゃ売れる
わけですよなんなら京都の真ん中 から宇治に来た人たちは何を飲む
って宇治茶飲むじゃんこれはうまい のってなったら京都に戻っても
マロは宇治茶が飲みたいぞって 話になるわけじゃないこれでどんどん
どんどん宇治茶が伸びてくるで 川があるから物流もあるし
川があったのか 宇治川っていう川があって
物流もいいし資源も豊富だしこれで 宇治茶がどんどんどんどん純粋
に何かのきっかけとかじゃなくて 純粋に産業としてみんなが努力
をしてどんどんどんどん伸びて くるどんどん家が増えていって
茶産業に携わる職人さんとかの お客さんがどんどん増えてくる
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これは自然にどんどん伸びてく 感じこれがどこまでいくかっていう
と1386年三代足利義満金閣寺作った 人ねあの人にこれは幕府のお茶
だという認定をもらう すごいとこまでいったね
もう大ブレイク 幕府の認定
ってことは幕府は戸賀能が 本茶だっていう認識飛ばしてる
よね そういうことになるね
言ってるもんねチロッと書 いてるだけだけど義満は天下の
お茶は宇治だ そんなことまで言ってんだ
そんなとこまで言っちゃう でここから金閣寺これ金閣寺って
お寺になってるんだけど元々ね 義満が生きてる時代はお寺ではなくて
家 あそこに将軍住んでた
住んでたんだ 漫画一級さんの中であそこ
に住んでるでしょなんでこの人 寺に住んでんやろと思ったけど
死んだ後亡くなった後にお寺になる あとからお寺
そうみたいですよ へえそんなことあるんだね
これは金閣のホームページ で読んだんで間違いないと思います
これが正確には六音寺っていう 臨済宗のお寺ですねやっぱり座禅
と幕茶の中心地として発展して きますここから時代がさらに先
に進んで八大将軍足利義満さん もう室町幕府もう終わり頃だね
この人が銀閣寺作りますね へえ結構後なんだね
結構時間空いてるんですよ 銀閣寺は教科書で見たことある
と思うけど書院作りってやつね 和微差微の聞いたあそこで禅とか
和微差微静かに庭を眺めるとか ああいう世界観が生まれてくる
んでここでさっき出てきた村田 寿公が生まれてきて融合するんですよ
ほおここで融合 そう東山文化と茶が紐付いて
茶道の元が出てくる へえここで元が出てくるんだ
ね うんなんか足利将軍家って
三代から八代の間もずっと割と 文化芸術に対して力入れてるんだ
よね へえ
結構好きっぽくってマロは 芸術の世界で生きていきたいから
将軍職は主に譲るとかって引退 しちゃうんですよ
すごい自由だな うん結構自由な人たちだよね
今思うとねこの当時ね おかげでもって室町の北山東山
文化っていうのが一気に花が開いて いくここにうまいことお茶がマッチ
してお茶の流行をさらに広げて いくことになるし形作っていく
ことにもなりますね これ前回ちょっと間違えてたけど
村田寿幸から佐藤の指導を受け たのは八大将軍の吉政ですね
これが佐藤とひもづいたことで 宇治茶イコール天下一というね
ここでね そう佐藤に使うお茶は
宇治だっていうことになるんだよ ねもう天下取ったね完全にね
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完全に天下取ったね この時に一条金吉っていう九行
の一人なんだけど石曽王来っていう 本をまとめていてこの中に宇治茶
のことを書いてる 宇治は東大近代の御生元生元
っていうのは素晴らしい食べ物が 美味しいよっていう意味なんだけど
土賀納王はこの間水長の帝に候 っていうか育れて僅かになっている
感じだよねって笑 楊 そこまで書いちゃったんだね
そうそうそうこの時代がすごく お茶にとっては一大飛躍をする
時代だね ちなみにお茶だけじゃい んだけど歌舞伎の元になってる
能とかねあの辺もここらの時代 に出てくる能って分かるお面つけ
てるやつね 楊 ああお面つけてるやつか
能の官阿弥とか是阿弥って あるじゃん知らない官阿弥是阿弥
親子が能という文芸を確立させ るんだけどそのお師匠さんかその
更に上かなぐらいの人が実は東山 の銀角寺の庭の設計というか作り
込みに入ってたりするからね 楊 歌舞伎と能って全然別物
全然別物 楊 別物っていうか派生的に
歌舞伎の方がずいぶん後だね それでいくとね
楊 能はもっと古いんだ もっと古い猿学とか狂言とか
狂言はどちらかとコメディだけど ね能は奉納するような神様の前
でやったりとかその後武士クゲ のところに行ったりとか歌舞伎
はもう完全に庶民のものだから ねあれは
そうか能は神楽の仲間か 楊 そうだねそっちの方だねそっち
から派生してきたものだよねもっと 廃草な感じ
そうだね 楊 全然お茶の話なくなっちゃった
けどここでちゃんと把握しても らいたいのはもう細かい年号いい
ので抹茶がブームになって遊び が発展して茶道になっていった
のと産業化するっていうところ ですねここが大きなポイントです
この茶道ができると産業化した っていうのが一番のポイントですか
ね 楊 そうね茶道ねまずピンとこない
けどね マイクの前で爆笑しちゃった
楊 いや茶道って言っても茶室で 2回抹茶を飲むみたいな何が楽しい
楽しいんですよあれがいいん ですよ
楊 いいんだよねにじり口から入って ね俺にじり口作ったの完成
させたのが千利休じゃん利休って 190センチの男なんだよね
楊 昨日だらでっかい人だって言って 秀吉は140センチ台だからスル
って入るんだろうけど 楊 頭を下げたのはもしかしたら
千利休の方 一番つらかったんじゃない
まさかだからね 楊 まだね次の回からは利休の時代
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になりますんで 利休の時代ねじゃあ次回に
続きますありがとうございました 楊 はいありがとうございました