この人たちをなんとか仕事につけてあげなきゃいけない。大量の失業者を救わなきゃいけないということで目をつけたのが牧野原大茶園。
大茶園。 今でこそ大茶園。当時は不毛の地。見捨てられた土地。
不毛の地に目をつけたと。 これなんで不毛の地だったかと言いますと、まず水がない。
水がないんだ。 まずも何もこれが最大の理由。すぐ近くに特急河川の大井川が流れてますよ。
だけど標高差が100メーターくらい軽くあるわけですよ。 確かに結構上にあるわ。
ポンプもない時代。電力のない時代。どうやって汲み上げます? 手動?
はい、人力です。だからこの人たち人力でマジで頑張るんですよ。 人力でやったの?
お茶を育てるために必要な水を、雨水をため息作ったりもするんですけど、初期段階では大井川から汲みます。やばい挙動します。
だってかなり広いよね。人力か。 その頃はまだちっちゃい茶園だったので、頑張って。
後々明治政府が大きくなって明治後半になるまでずっと政府に陳情し続けますね。水のインフラ整えてくれって。
それは昭和までずっと続いていきますから。 長いことやるんだね。 長いことやっていきますね。
これを圧戦した旗頭になったのが、蚊の蚊蚊回収。 蚊蚊回収。
江戸幕府がある時となくなった後で動き変わるんですけど、江戸幕府時代のことは別のところで聞くなり調べるなりしてください。
幕府崩壊後、蚊蚊回収は何をやっていたかというと、平たく言うと後始末です。
後始末。 さっき言った就労圧戦ですね。お仕事見つけてくること。それから資金援助。その人たちにお金を貸してあげる。
生活保護の組織を作るとか。とにかく混乱とか反乱を最小限に抑えるために動いた。徹底してますここは。
そのために自分の力とか知り合いとかいろんなパワーを使って動きまくるんですね。
その知人で有名なのが山岡哲史。この人が幕末の体制崩壊の時に結構使者として動いたりした人なんですね。
朝廷との朝政役、それから薩長同盟側との朝政役で動いていたのが山岡哲史です。
この山岡哲史が結構あちこち歩き回ってるんですよ。実はこの時代。
今でも伊豆の修善寺にゆかりがあってそこで禅の修行をしたり書を書き残していたりとかしますし、
今の浜本寺にあるお寺にも同じように書が残っていたりとか。 そうなんだ。
割と歩き回っていますね。その影響が清水の二郎町。そこそこ有名な方ですね。
この方とも割と仲良くなって。清水の二郎町からそんなにあんた言うんだったら
あっこにでかい大地があると。不毛の地だけど人さえ集めりゃなんとかなるかもしれんよって。
ちなみに二郎町って何? 清水の二郎町知らない?
森の石松とか知らないか。 なんか名前はなんとなく、名前は知ってるけど。
今の清水市に住んでた敵家の親分みたいな感じですね。仁教の世界の方ですよ。
そうなんだ。 この方はヤフザまではいかないけども、
そっちに寄ってるような方。ただ今みたいに犯罪を犯しまくるわけではないですよ。
この方が町の復興のために尽力をしたということで有名になってますね。
じゃっきり節にも出てきますよね。男は二郎町。これが清水の二郎町ですね。
その人のことなんだ。 その古文の筆頭が森の石松。森町の石松さんですね。
へえ、名前だけ聞いたけどそういう繋がりなんだ。
時代全然違うんでわからないと思いますけど、芸能人でガッツ石松さんっているじゃないですか。
あの人ボクサーだったんですけど、ボクサーとしてリングに上がるときには森の石松の格好をして登場してましたよね。
知らないと思うんだけど。これ昭和です昭和です。
そんな。 どうでもいい話。どこ行ったかわからなくなっちゃうけど。
行くわけですよ。山岡哲史は。で誰と一緒に行ったかというのがこれが駐場影明という人ですね。これは剣術繋がりです。
剣術繋がり。 どっちも剣の達人で山岡哲史は剣の達人ですし駐場影明も剣の達人でね。
こっち駐場影明は徳川義信15代将軍なので最後の将軍ですね。の敬語隊長なんかも務めてますね。
へえすごい人だね。 この方を連れて牧野の大地に行くわけですよ。
でどうやら記録によると二人で一回水汲みやってますね。試しに。
剣の達人が。 視察に行ってここ行けるかなーって言っていや水ありませんけどって言って。
いや下に流れてるじゃないか。やれやります?やってみよう一回。行けるかもしれん。
言ってなんか桶担いで二人で水汲んでえちらおっちらまた登っていくわけですよ。
で馬子弟子これきつかろうって言ったら駐場影明がやってやれんことはないじゃないですかって。
何そのど根性論。 結構ど根性なんですね。
でこの駐場影明がじゃあいいっすよ。なんだったら私やりますから。オッケーっす。
言ってそれが勝ち返しのとこまで声が上がって分かった。じゃあ徳川家として支援しよう。
ということになるわけですね。でこの駐場影明は自分の配下精鋭部隊が敬語隊があるんですけどこの敬語隊の名前を精鋭隊と言いますけどこの精鋭隊とともに
機能機能って言って変える農民の農ですね。農民になるという意味です。刀を置いて農民になります。
剣の達人? 剣の達人が剣を振るうことをやめるんです。
これからは産業の時代だから剣はいらぬと言って。
すごいね。 本人が言ったとされる記述がちゃんと残っていて
不毛の地で推論に乏しく民に見捨てられているけれど私に与えてくれれば命を懸けて開墾してみせると。
何その男に。 これを徳川家とで明治政府に言い切るんですよ。
すごいな。 すごいですよ。で金谷原開墾方。
この金谷原っていうのは牧野原の別名ですね。牧野原のふもとが金谷町という地名だったので
そこから来て金谷原を開墾する人たちのことを呼んで金谷原開墾方という役職をつけます。
だいたい200名程度です。 200人でやったの? あの広さ考えたらびっくりするけど初め200人で始めるんですよ。
ええ何か途方もない広さだけど。 いろんな身分の人がいるんですけど基本ほぼ武士。
あれかさっきの職業にあぶれた武士たちの働き先か。 そうです。ある意味リストラにあっちゃった人たち。
でもリストラしたくないから会社作るみたいな感じですよね。女子どももいるし農学士。踊る人ですよ。
ああ踊る方の農ね。 あと歌う人とかねそういう人たちも混ざってて。
面倒くさいのが中条陰明よりも身分制度時代に格上だった人たちも混ざってるんですよ。
ああ。 プライド高いんですよ皆さん。これを中条陰明がまとめていくこの大変さ。
相当大変だと思う。 あなた今31の状態で50とかの料理業界の従事人たちを携えて新しい会社を起こすわけですよ。
いやー考えただけでも嫌だわ。 これまたそこに異業種のちょっと格上の人たちもいるわけですよ。40代とかの。
自ら望んできたならまだいいんだけどなんか追われてきてるからさ絶対嫌々の人とかいるじゃん。
ここに合流した人たちがいます。大井川の川越人足。もともと江戸時代っていうのは大きい川特に大井川は橋を架けるなということになってたんですね。
なぜかというと西側から攻めて来られないように川を防壁の代わりとして使っていたので川を渡るときは肩車で渡るとかね、濡れないように。
あとおみこしみたいなやつですね。あれに乗るとかお金を払って渡してくれるんですけど渡す仕事をしていたのが川越人足です。
ところが明治政府になったのでそんなルール作らなくていいので船使っていいよってことになっちゃったんです。
川越人足いらないわけですよ。大リストラです。この人たちも吸収します。
だからもうありとあらゆる人たちがそこに合流していくんですね。これ束ねるのやばいっすよ。
だって一気に振るでしょ。 型や文字が読めない人たちがいたり、型や文字を読んでそれを歌にして踊りにしてやってる人たちがいたり。これはえぐい。
いやー労働者と文化人が一緒くたでいきなり農業やろうって言ったからすごい幅の広さだよね。
これはゴリゴリにやっていくんですよね。この時に裏でコソーっと動いてる人がいるんですよ。コソーっとでもないけど。
これがさっき出てきた渋沢栄一。 これ少し時代が後になっちゃうんですけど渋沢栄一は500いくつの会社を作って
日本の復興に貢献したことで有名ですよね。その作った会社の第1号が商法会社という名前の株式会社です。
商法会社。 これ商工会議所とかは全く関係ない別の名前が似てるだけですね。この会社というのが今の株式会社というのと同じ意味ですね。
これを作った場所が寸布。静岡市です。 静岡市に作ったの? これねちょっとややこしいんですけど、藩が政府からお金を借りるんですよ。
今でもありますよね。国から県に予算がつくみたいな感じで。で貸し付けなんですこれ。 貸し付けなんだ。
現代は国家から県に対して助成金みたいな感じでお金をくれますけど、あれは貸し付けだったんですよ。初め。だから返さなきゃいけない。
でもそんな簡単に返せるわけないよねっていう時代なんですね。幕末の動乱を乗り越えたばっかりの、しかも徳川家ですから。
でこれをなんとかせにはいかん。渋沢栄一もともと徳川家の家臣でもありますから、これをさらに葛藩衆らの了解を取って渋沢栄一が運用を始めるんですよ。
ほお でこれを使って起こした会社がこの商法会社ね。ここで利益を上げてその利益の中から政府への返済を始めていく。
へえ 返済ですよマジで。わずか8ヶ月で8500両の利益を出すと。
8500両 8ヶ月で8500両だからこれ利益ですからね。だいたい1両あたり20万くらいだったかな確かね。
なんでもうこれ日本円現代のお金に関するとちょっとやばいぐらいなんですね。
1億6000万とか。利益でか。 利益ベースで。1年経ってないですから。
8ヶ月で。えげつないね。 8ヶ月で。でこれで何をやっていたかというと村にお金を貸すっていう事業をやってるんですね。
はあ でこの村で何をやってたかというと茶摘みとか製茶の費用、このコストをこの会社が先行投資するんですね。
ああそうなんだ。 要はお茶の産業って年1しかお金が入らない仕組みじゃないですか。農家って基本的にそうですね。
特に1種類作ってるところって。だからお茶の産業が始まる前の冬とかってちょうどお金がない時期なんですよ。
このタイミングでお金を貸してあげるんです。でお茶が売れて利益が出たらその中から返済をしてもらうという。
お金を貸すというか資本投資融資とか投資の世界ですねこれは。これをやって利益をガンガン出していく。
つまり商法解消がなければ、逆側から見るとですよ。商法解消がなければ茶産業はここまで大きくなれなかったとも言えるわけです。
ああそういうことになるね。 はい。これがねじがーっとボディーブローのようにずっと効いていくんですね。
へえ。 ちなみにこの渋沢一は8ヶ月で商法解消を去りますけどね。
ああそうなんだ。 別の会社作りにどっか行っちゃいますから。これがすごいですね。
さあ牧野原は今どうなっているかというと地道にずっと開墾をこの資本とかも入れつつ頑張るんですね。
2年間で500ヘクタールの農地を作りました。 500ヘクタール?
桑だけで。 桑だけで? うん。桑とスキートでああいうマジの人力ですね。
わあすごいね。 はい。200人で。 200人でしょ。
全然お茶できなかったみたい。 いや開墾だけで精一杯。
3年目か4年目ぐらいにちょろっと葉っぱが取れてあまりにも嬉しくて
家族で女性たちはもうフリソデみたいなああいう晴れやかな着物を着てお祝いしたらしい。
牧野原からんでもないな。 すごいよね。ここからねさらにすごかったのがこれは明治政府の命令もあるんだけど
農地開放するんですね。これまでは牧野原大地というのは徳川家の持ち物なんですね。
ところがこれを明治政府は良しとしなかったのもあり一旦国のものにします。
でそれを開墾していた農民にプレゼントします。みんな自分のものにしていきます。
中条影明の手を離れていくんですよ。影明はこの間もずっとこの人たちが元気で商売ができていくようにずっと指導したりとか助けたりとか
寄り合いを作って協力する体制を作ったりとかしてどんどん進行のために動いていくんですけど最終的に自分の手が離れていくんですね。
これで中条影明一回手離れるじゃないですか。それで明治政府からもこの男はすごいという評価をされるんです。
マジすごいじゃないですか。で何が起こるかというと県知事やってくれないかという打診が来るんですね。
そんな話来るんだ。 静岡県知事じゃなくて隣の神奈川県知事。
当時は神奈川県令で県令って言うんですけどね。神奈川県令をやってくれませんかという打診が来るんですけど即答で断ります。
マジ即答です。その場で。言った時のがまたかっこいいですよ。読みますね。