1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #15(s3-3) そもそもお茶ってな..
2021-09-07 41:44

#15(s3-3) そもそもお茶ってなんだっけ?宗教(座禅)を広めるための道具でもあった!

前半はお茶がそもそも何だったのか、という基本手な疑問からお茶が広まった、いや、広められた理由について深堀りしていきます。

特に後半はお茶と宗教が結びつく面白い部分になるので最後までお聞きいただければと思います。




一説では空海が持ち込んだと言われるお茶。

実は広めたのは別の意味と別の人物だった!


栄西(えいさい)、明恵(みょうえ)、聖一国師(しょういちこくし)がどのようなんのために広めたのか。

座禅をするのに必要な道具だった?


そして当時のお坊さんの立ち位置とは。



今回も歴史の事実とともに深堀りしていきます。

00:03
前回から引き続いて、人類を魅了するお茶物語ということで、今回はお茶ってなんだっていうところなんですけど、お茶ってお茶じゃないんですか?
お茶はお茶ですよ。
だよね。
だけど、そもそもお茶ってなんだって疑問じゃないですか?
疑問なの?お茶じゃないの?
いや、飲み物だと思ってるでしょ?違うんですよ。
違うんだ?
違うんですよ。どうも調べていったら、初期の人たち、今みたいな思考品的な飲み物だと思ってないっぽいんですね。
飲み物じゃなければ何なの?
薬。
薬?
ガチ薬。
ガチの薬?
飲み方を見ていても、今の煎茶とか抹茶ですらない原型は、本当に薬っぽい飲み方してる。
へー。
製法も薬っぽいね、漢方っぽいねって感じする。
そうなんだ。
ポン酢とかのときは調味料っぽい作り方をしてたじゃない。
だけど、ポン酢も元々薬だからね。
これもやっぱり薬だった。
何でも薬としてくるね。
誰がどこでこれを薬として使い始めたのかっていうところを調べてみたのね。
5000年前までいったよやっぱり。
そこまでいっちゃった。
そもそもだけど、原産地どこかっていう話だよね。
これどこか分かる?
原産地は中国じゃないの?
そうです。その通りです。
これほとんどの人が知ってると思うんですけど、これ調べたら面白いことが出てきて。
これ本当ちょっと本編とずれるんだけど、100年くらい前までは中国説とインド説があったらしいんだよね。
インド説もあったんだ。
学者さんたちがどっちだどっちだってずっと言ってたんだって。
そしたら中国の山奥にすごい古い木が見つかったんだって。
古い木。
樹齢1700年。
想像以上に古かった。
相当古いよね。ちなみにこの木がね、高さが32メートル。
32メートル?
32メートル?
そんなにあるんだね。どんだけ大きくったって背丈よりちょっとでかいぐらいだと思ってたんだけど、普通に32メートルあったらしいよ。
古代の大木みたいになってる。
直径2.9メートルとか書いてある。
太いな。大きいな。
これが1961年に発見されたから、原産中国じゃねってことになったっぽい。
お茶って気づかないけどね、日本で見たら。
普通にすどりしそうだよね。
大きい木があるなぐらいだよ。
これが見つかってからよくよく調べてたら、インドの茶産業の歴史が200年くらい。
03:00
中国は3000年以上前からあると。
いうことが分かっていたの。
全然議論にならないレベル。
全然レベルが違う。
これ本もちゃんとあって、1800年くらい前にお茶のことを書いた本があるんだよ、中国語で。
1800年前。
神の農業の本当の本に草って書いて、神農本蔵って読むんだけど。
本蔵経とか、江戸時代も日本では本蔵学って言われたんだけど、これは薬に関する学問。
漢方薬どうやって作りますかっていうのを本蔵学って言ったから、多分そういう系統の本だと思われます。
神農っていうのは、それよりもさらに昔に伝説の仙人がいて、その人が神農っていう名前だったんで、多分そこから取ったんじゃないかなと思われるんですけど。
ここの本に主にお茶のことが書いてあって、下毒作用の研究がされてます。
下毒作用。
そう。お茶の下毒作用について、当時の学者さん、1800年前だよ、1800年前に頑張ってる。
想像以上に古かったな。
すごいよね中国。
ねえ。
ヤバいっすよ。
中国3000年の歴史は立てじゃない。
ちなみにね、3000年超えたところにもね、ちゃんと伝承が残っていて、4000年前。
全然3000年じゃなかった。
州王朝、州って周回の州で回るっていうじゃん。1州2州の州。
隠州進化の2番目ですね。この王朝の時代に、料理の食材としてね、苦菜、苦い菜っぱと書いて苦菜という呼び名で使われてます。
お茶が?苦菜。苦いよね確かに。
多分炒め物とかにパッと入れたりとかね。
炒め物に入れたりね。
よくわかんないけど何か使ったんでしょ。さすがに古すぎて文献ないからわかんないんだけど、どうやらその時代には苦菜として料理に使われてたみたいだよ。
料理にも使われてたんだね。
この時代に今のお茶の茶の字、文字が登場する。
そんな古いんだ。
4000年前に。
そんな古いんだって片付けるほど新しくはなかったよね。
4000年前って紀元前だよ。
紀元前だね。
紀元前2000年ヨーロッパまだどのくらいだ?ローマ帝国あったのか?あったね。ローマ帝国くらいだね。
いや中国すごいな。
すごいな。ここからさらに1000年前の今から数えて5000年くらい前に伝説の仙人、一応人物扱いされてるんだけど神農廷もしくは神農廷、神様の農業の皇帝の帝の字で神農廷っていう人がいて、この人が野草研究をしてるんですよ。
そんな前に?
もう野人のごとくに野山を駆け回ってとりあえず何が食べられるかを試しまくった人。
今まで言ったらやばい人じゃない?
06:00
だいぶやばいと思うよ。確かに。これは大丈夫。これはいけそうだなって。うわっこれ食っちゃった毒だってなったらもう食べるたびにお茶っぱ食べてたみたいな。
へえそこでお茶っぱ使ってたんだ。
神農廷って今でも中国ではお茶の神様のような扱いされてるね。
そんな下毒作用があるんだったら日本で何か当たったときにお茶っぱ食べればいいんじゃないかと思っちゃうね。
たぶんその思想はずっと続いてるんじゃない?
初めはやっぱり下毒薬として生まれていて、下毒薬って現代人の感覚の毒物を飲んだから下毒するっていうだけじゃなくて、
抗菌作用的なものとかも含まれての下毒。ほら刺身についてくる妻でこれ毒消しだからみたいな表現するじゃない?
ああいう感じ。消化を助けてくれますよとか、水を殺菌してくれますよとかそういうのも含めての下毒じゃないかなと。これはちょっと僕の推察も含まれてるんですけど。
とにかく健康に良さそうだなということには5000年前あたりから気づいているらしい。
ずいぶん前に気づいたね。
古代文明ですよ完全に。本能で気づいたのかな?
なんだろうね。やっぱり試したんだろうね。
多分これが繋がっていって異色同源という考えに通じてくるのかなと思いますね。医療の異色と色は同じ源ですよという意味ですね。
あとでまた出てくるけど、当時のお茶の飲み方が現代と全く違うんだよね。
日本に入ってきたのも同じ形なんだけど、団茶。団茶の団は応援団の団。国構えの中に寸と書いて団ですね。
この団茶という形状で茶葉がブロック状になってる。
ブロック状?紅茶というかウーロン茶みたいな。
そうそう固まってるやつ。作り方が書いてあってね。お茶葉を蒸してそれをキネと薄でついてそれを固めるんだって。
へえ一回キネとかでつくんだ。
ついちゃうんだって。固める時に単体で固めることもあればお米の澱粉を混ぜて固める。
へえそれでいいんだ。
だから別名もち茶って書いて平茶って言うんだけど、そういう呼び名もあるくらい。
不思議な形。
ねえこれどうやって飲むのって感じじゃん。
全然想像つかない。
これねナイフとかで削り出して。
削るんだ。
そう。野原ってわかる?
野原聞いたことある。なんだっけ。
漢方薬のさ、輪っかの中心に棒が通してあってゴリゴリと薬をつぶすんだよ。
あの薬局の古い映像とかにはあるんですか。
09:01
漢方薬のニーヤって言ってもこれはね静岡県民のある一定年齢以上しかわかんないからなんだけど。
漢方薬を扱ってるお店でねゴリゴリゴリゴリやってるやつですね。今だったらCMで赤ひげ先生とかがゴリゴリやってるCMありますけど。
わかんないか。
特茶のCMでやってますけど。ああいう感じのものですりつぶして何ができるかっていうと現代時の感覚で言ったら普通に粉薬なわけですよね。
で普段粉薬どうやって飲みます?
水と一緒に流し込む。
そういう感じですよね。もしくは左右に混ぜてゴクッと飲むわけですよ。これがお茶です。
お茶これ。
お茶の飲み方これです。ですから粉薬飲んでるのと一緒なんです。
美味しいイメージからほど遠いけど。
これを美味しいと感じて飲んでいくように変わっていくんだろうねきっとね。そういうことですよね。これが上院するようになっていってだんだんと飲み物化していくわけです。
そうなんだ。
日本ではあんまり聞かないですけど、例えば外国映画なんか見てると痛み止めのロキソニンとかモルヒネとかあるじゃないですか。
ああいうのを症状が治まった後も飲み続けて中毒患者化していくケースがあるって聞いたことないですか?
あああれ常用しちゃダメって書いてあった。
そうですよね。あれねマリファナとかヘロインとかと同じように薬物中毒になるんですって。
へえ常習性がある。
常習性がある。だからアメリカ映画とか見てるとたまに出てきますよね。そういうのがね。
多分お茶もカフェインのせいで同じような状況だったと思うんですよ。これ想像ですよ。
まあカフェイン入って飲み続けるとやっぱり癖になるからね。
完全に癖になるんで薬のつもりで飲んでたら常用するようになっちゃうんですよ。
しかも普通の苦い薬とかと比べてさお茶っておいしいじゃない。
うまみあるからね。
言ってもお茶葉を砕いたやつでしょ。うまみあったよねきっとね。
おいしい薬だなって感じてこれやべえなやべえなと思って飲み続けてるんだけどこれがロキソニンとかモリフィネとかと違うのが中毒になっても薬中にならないどころかむしろ健康になるっていうところだよね。
常習したほうがいい。
そうなんですよ。この薬は毎日飲みましょうみたいな状態なんでね。これがね後々飲み物化していって世界に広がっていく原因なんじゃなかろうかと思ってます。
そういう流れで飲み物化していく。
じゃないかなあ。でねこれ当時の人たちはさ当然化け学もないし機械もない状態ですよ。機嫌全ですから。
うん。
なけどねこれ現代医学で調べてったらほとんどの人知ってるとは思うんですけど改めて言いますね。本当に薬効がすごい。
効能がもうこんなにあるのかっていうくらいある。
そんなにある。
ざっといきましょうか。現代医学で判明している薬効。抗がん作用。これはがん細胞の増殖抑制ですね。視力の維持。ベタカロチンが作用するそうです。
12:11
あと老化防止。アンチエイジングきた。これビタミンEの18倍の効果があるそうです。
18倍。
これはお茶に含まれるタンニン渋み成分が良いということともう一つは良質のアルカリ性なんですって。
へえ。
で現代人は弱酸性によってしまいがちなので特に肉とかそういうの食べてるからこのアルカリ性を取ることで中性に保つことが見込まれてます。
じゃあ肉食べてる俺はあれか。お茶飲んだ方がいい?
どんどんお茶飲んでください。コーヒー飲んでる場合じゃないですよ。
あとちょっとメタボ気になる方。減肥作用。減肥っていうのは減らす脂肪の効果ですね。
これはカテキンがコレステロールを低減させてくれたりとかサポニンっていう成分が脂肪を分解してくれますね。
脂肪分解するの?
だからペットボトルであるじゃないですか。特茶とかカテキン何倍とかいうの。利にかなってるんですよ。
そうなんだ。
これステロールを避けてくれます。あと有名な抗菌作用ね。
抗菌作用。
これは我々飲食店ちゃんと覚えておいた方がいいですよ。
効く病原菌というか菌ですねがO157、ブドウ吸菌これ食中毒の一番多いやつですね。
コレラ菌、ピロリ菌、虫歯、風邪、インフルエンザ。この辺が現代医学で証明されてるところですね。
すごいね。お茶飲んでればなんかちょっと日常生活では困らんね。
そういうことなんですよ。これで治すというよりはこれを取り続けることで免疫力が上がってくるっていうのもあって防ぎますよとか。
あと食材をこれで洗うと、お茶で洗うと。実際全国的には全然知名度ないと思うんだけど、足湯みたいな感じでお茶で足を洗うと水蒸し治るとかね。
聞いたことある。
匂いも取れるしね。そういう効果もあるし。あと医療現場では白血病の補助治療としてお茶が用いられてるそうです。
へえそうなんだ。
臨床治療で使われてるんだって。あと今ちょっと言っちゃったけど免疫力の向上ね。今の時的すごくいい話ですね。それから高血圧の効果作用。血圧を下げてくれます。
血圧を下げる。
そしてまだ証明はされていないんだけど研究中のものがどうやら健康寿命に関係するんじゃないかっていう研究がされてますね。
健康寿命。
そう。ただただ寿命が長いだけじゃなくて健康な状態でいくつまでいられますかっていう。
ああ重要だね。
結構重要でしょ。一番いいのは寝たきりよりもピンピンコロリが一番いいわけですから。
もちろんね。
それがお茶の作用によるものじゃないだろうかという研究が今まさにされてます。
15:01
へえお茶で飲みたらいいね。
なんでこれが今研究の対象になってるかっていうと掛川市ですね今我々が住んでるこの掛川市が健康寿命長寿の国ナンバーワンを取ったり2位になったりという。
長寿なんだね。
そう健康寿命でナンバーワン取ってるんですよ掛川市って。
そうなんだ。
あと同じようにライバルのところが本川根町ですね。大井川の一番奥の源流のほうの茶山地ですね古いからの。ここも健康寿命が長い地域として有名なので。
そうなんだ。
健康寿命の長いところをピックアップしていったらどうやら茶山地だと。これはもしかしたら関係あるかもしれないということで近年研究が深まっていると。
へえお茶すげえな。
すごいですよマジで。
だって証明はされてなくてもさピックアップしたらお茶の山地だったっていう時点でも僕らだってお茶ものすごい飲むからね。
なんだらコーヒー飲んだ後もう一回お茶で口直しするからね。
うんご飯食べてお茶むしろ朝起きてお茶だからね。なんか水分出ちゃうとか言うけどそれ以上に水分とってるからね。
そういうことです。是非お茶飲んでください皆さん。本当是非静岡のお茶をよろしくお願いします。静岡じゃなくてもいいけど。是非日本茶飲みましょう。
本当だね。そのお茶が衰退してるっていうのはね悲しい現実。
この薬行成分ここまで厳密には見つけてないんでしょうけど5000年前から信じられてるっていうのがすごいですねまた。
今一つその功能の中で全然聞いたことなかったのが視力回復というか。視力に影響するんだね。
書いてあったのが回復というよりは視力の維持なんだって。
維持でもすごいでしょ。
俺老眼始まってるからさもっとお茶飲もうって思ったよね。
本当にねうちら老眼早いからね家計的に。
最近本当30センチ以内とかぼやけるからね。
でも老眼というか視力の悪化防止にみんなブルーベリーとか言ってるけどお茶飲んだけどだいたいオッケーじゃん。
でしょ。
そんなことあるっていう。
すごいんですよ。
もうちょっとお茶飲もう。
これは後々後でまた話しますけど英才前次が幼女の千薬長寿の妙薬というふうに本に書いてますね。
へえその時から言われてるんだね。
言われてるんですよ。
じゃあせっかく英才前次の話が出たんで。
じゃあ日本上陸はいつだと。
日本上陸。
日本上陸したのが明確にわかってるのは600年代奈良時代ですね。
奈良時代だね。
検討史によってもたらされたというふうに言われています。
ただどうも中国側の記録によると紀元前には日本に輸出してたよっていうのも書かれてるそうですね。
紀元前にすでに。
漢の時代ですね。
18:01
になんかどうも輸出してたっぽいんですけどわかりません?
日本が文字ないんでまだ。
文字なかったんだ。
漢の時代に文字が中国から輸入されて日本に文字がなかったのに漢字が入ってくるわけですよ。
だから漢字なんだ。
漢という国からもらった字なんで漢字なんですねあれは。
そういうこと。
つまりそれ以前は日本には文字がなかったということですね。
へえなかったんだ。
なのでわかりません。
それはわかんないね。
記録できません。
明確にわかるようになるのは紀元600年以降ですね。
検討史。
登場するのは出ました空海。
空海。
最澄。
ああ最澄。
高野山と比叡山の階層ですね。
階層様です。
前回も言いましたけど空海はここで言ってますね。
中国の本を読むときはお茶を飲みながらがいいよねと。
こういう記述を残してるんですけど、
どうもこれはこのとき空海が飲んでいたお茶は全部中国産。
中国産。
輸入品ですね。
ああまだ作ってはないんだ。
だから今の日本人がコーヒーを輸入品しかなくて飲んでるようなそんな感覚で
中国茶を飲んでたっぽいですね。
へえ。
これタイミングが超よかったんだよね。
タイミング。
っていうのも中国でお茶ブーム真っ盛りのときだったみたい。
へえ。
760年に中国に陸羽っていう人がいるんですけど、上陸の陸羽ね。
陸羽という人が茶教っていう本を書いてるんですね。
へえ。
その本にはお茶のことばっかり書いてあって、栽培方法とか、
生茶方法、それから飲み方、あと茶道に近い感じでお茶の作法が書いてあるんですって。
へえそうなんだ。
これが貴族とか僧侶にバカ受けでめちゃくちゃ流行ったらしいんだよ。
そんな流行ったんだな。
その流行ってるところに空海が中国に留学するわけですね。
はいはい。
最澄と一緒に。
うんうん。
ハマっちゃったんだよね。
ああブーム乗っかったんだ。
乗っかっちゃったんですよ。
へえお茶流行りだったんだね。
ちょうどいいタイミングだったみたい。
うんうん。
流行りに乗っかったっていうのもあるし、流行っててくれないと認知できないよね。
まあそれはね。
中国に何十年も住んでればわかるかもしれないけど、
1年2年いたぐらいでお茶に出会う確率って限られるじゃないですか。
うんうん。
これがちょうどブーム中だったんで、
留学先のお寺で出会うわけですね。
うんうん。
これでお茶が初めて日本に入ってくることになります。
ああ。
なりますが、
はい。
育たれるんですよ。
あ、育たれちゃうんだ。
はい。輸入品じゃないですか。
うん。
日本投資828年頃で終わっちゃうんですよ一回。
ああ、そうなんだ。
東が滅びるんで。
物理的に。
物理的に無くなるんですよ。
無くなると。
はい。で、その後日本もちょっとわちゃわちゃするんで。
うんうん。
荒れるんですね。で、350年後。
うん。
鎌倉幕府ができる頃ですねちょうど。
はい。
に日相貿易、さっき出ましたね。
うんうん。
21:00
前回話しましたけど、
そうという国になって日相貿易戦が動き出します。
うーん。
だから今度は朝廷の命令で行く国の国士ではなくて、
貿易戦ですね。
商売としてね。
商売として。で、ここに英才という偉いお坊さんが乗せてもらって中国に留学をします。
ああ、貿易戦に乗ったんだね。
そうなんですよ。幕府の権力弱いんで当時。
ああ。
朝廷じゃなくて幕府になってますから。
うんうん。
で、貿易戦に乗って中国に行って英才は1191年に日本に帰国します。
はい。
で、この時に持ち帰ったのがまずお茶の種ですね。
ああ、持ってきちゃったんで。
うん。お茶の種子。持って帰ってきました。
うん。
今だったら普通に怒られますけど。
完全に怒るけどね。
当時はOKですね。
うん。
あと栽培方法。
はい。
これから抹茶法。
抹茶法?
飲み方がね、暖茶から抹茶法に進化してるんですよ。
へえ。
だってよく考えてよ。間350年超えてるからね。
まあ、進化してなかったらおかしいか。
今から350年前考えてください。
うん。
ついこの間、徳川家康に亡くなって400年とか言ってるぐらいですからね。
うん。
そのぐらいの間、時間が余裕で経ってるので、それはお茶の飲み方も進化してますよね。
うん。
この時、英才が持ち帰ったのは抹茶をベースとしたお茶文化ですね。
うん。
これが思いっきり日本に大きな影響を与えるわけですよ。
うん。
で、英才は日本に帰ってきてすぐに茶園を開きます。
ああ、いきなり茶園開くんだ。
これがね、国産のお茶の第一号。
ああ。
はい、どこだと思いますか?
へえ、帰ってきて。どっから行ってどっころに帰ってきたの?
出身は、お寺は京都から行きますね。帰ってきて京都にお寺を開くんですけど、
で、京都じゃん。
港は、
ああ、九州。
はい、一番近いとこ帰ってきますんで、長崎です。
ああ、その時も長崎なんだ。
長崎から出てって長崎に帰ってくるんですね。
うんうん。
まあ、太宰府っていうところがあるんですけど。
ああ、知ってる。
はいはい。平の清盛が抑えていたのが太宰府ですから、
うんうん。
日荘貿易船はそこら辺で発展した港から出てくるわけですよ。
ああ、そうなんだ。
なんで、1191年に帰国ということは、
平の清盛がなくなるくらい、なくなった直後くらいかな。
うんうん。
なので、やっぱりその、太宰府中心になるんですよね。
だから、長崎県の平戸というところに、不春縁という名前のついた茶園を開くんですね。
うんうん。
これが日本最高の茶園と言われてます。
本当に帰ってきてすぐだったんだね。
本当にすぐ。
降りてすぐじゃん。
降りてすぐ。
とりあえずこの種なんとかしようって。
ダメになるまで使おうみたいな感じじゃない?知らんけど。
だとしても戻ってからじゃないんだね。
うん。
なんならもう一個九州に作るからね。
ああ、そうなんだ。
福岡県と今の佐賀県の県境にある、
背ぶり山っていう山があるらしいんだけど。
うんうん。
そこにも茶園作ったっぽいですね。
へえ。
はい。
で、そこから1202年。
はい。
10年くらいそっちにいたのかな?わかんないけど、
24:00
1202年に京都の兼仁寺というお寺を作って、
そこのお坊さんとして入るわけですね。
うーん。
はい。
で、ここに住んでいる頃に、
高山寺っていうお寺がね、京都の別のところにあるんですけど、
うん。
ここの住職をしていたお坊さんが訪ねてくるんですよ。
うん。
なんかすげえお坊さんが中国から帰ってきたらしいよって。
うーん。
一遍会いに行こうって。
うんうんうん。
で、平成前時にちょっとお話聞かせてくださいって言って、
いろいろお話をしているうちにめっちゃ仲良くなるんですよ。
うーん。
そしたら、これめっちゃいいから持って帰って植えなって言って、
お茶の種もらうんですよ。
へえ。そこでお茶の種もらっちゃうんだ。
もらっちゃうんですよ。
はい。
これはぜひやってほしい。どんどんどんどん植えてほしい。
うん。
広めてくれって。むしろ。
うん。
うん。苗栄。
苗栄。明るい恵みと書いて苗栄と読みます。
うん。
この人が戸賀能茶の、そうですね。
あ、戸賀能茶。
はい。前回出てきましたね。
出てきた。
本茶と呼ばれた戸賀能ですね。
うん。
この戸賀能茶はどういう場所かというと、この高山寺の境内です。
ああ。境内に、さっき言ったお寺の庭に植えたと。
そうそう、そういうことです。お寺の庭を宇治に植えただけです。
へえ。
で、そこで植えて、さらにもっと広めようということで、どういうわけか宇治に植えるんです。
うん。いきなり宇治で出てきた。
ここがちょっと俺謎でね、戸賀能っていうのが、例えば京都の駅近辺を中心地と捉えると、
左上、北西の位置の山の中にあるんですよ。
うん。
宇治は右下ですね。
うん。
対角線挟んで反対側ぐらいのところにあるんですよね。
うん。
なぜ?
なんでだろうね。
わからんかった。
わからんかった。
調べても調べても出てこなかった。
なんだろうね。なんかあったんだろうね。
一応伝承、伝説の類で、閉塞禅治がここに植えたらいいよって言ったんじゃないかって書いてあったね。
ああ、そこに植えたらいいと。
でもこれね、書いたのがずいぶん後のやつだから、信憑性ちょっと薄いんだけどね。
ちなみにこの前の段階で閉塞禅治が書いた本があるんだよね。
喫茶養生記って。
ほう。
喫茶ってわかるよね。喫茶店の喫茶店ね。養生の印で、喫茶養生記。
基本的にはお茶のことが中心に書いてます。上下巻に分かれていて、上巻がお茶のこと。下巻はちなみに桑のことが書いてあるんだけど。
へえ。
どっちも養生記なので、体にいいことばっかりですよと。
で、お茶に関しては、まず茶樹の、お茶の木の栽培方法、それから生茶の仕方、抹茶の作り方ですね。
お茶の紅葉についてしつこいくらいに語ってます。
相当入れ込んでたね。
読むの超めんどくさかった。
読んだんだ。
一回ね、国会図書館のデジタル版にあったんで、原文読もうと思ったんですよ。
すさまじいたっぴつの漢文なんですよ。読めるかーと思って。
ようやくの方をさらっと流し読みにしました。
面白かったのがね、五蔵六不の五蔵ってあるでしょ。
五蔵と五味、味のね、五つの味ね、これが全部対応なしていて、
27:03
例えば肝臓が好きなのは酸っぱい味だよとか、心臓が好きなのは苦い味だよって書いてあるんですよね。
で、脾臓が甘い、肺が辛い、腎臓がしょっぱいなんですって。
で、日本人はこの中の苦味が足りてないと。
だから心臓が弱くて若いうちに亡くなる人がすげえ多いんだと。
苦味不足だからもっと苦味取ったほうがいいよね。
ああ、そういう流れ。
で、この苦味の代表がもうお茶だよっていう話を書いてるんですね。
へえ、苦味が心臓。
良いと。だから皆さんお茶飲みなさい。
みんなお茶飲んだら心臓系の病も減るのかな、日本人。
どうだろうね。これが現代学で証明されてるかって言うといまいち分かんないからね。
今ほら成分じゃん。味と関係ないからさ。
ああ、そうだね。
当時はそう考えられたんで、五臓と五味がリンクしているということだそうですね。
で、この英才禅師のお弟子さんのその又お弟子さんに当たるのが、生一国師です。
生一国師。
ちょうど英才が京都に県任寺を開いた1202年に生一国師が生まれてますね。
静岡県生まれの人です。
で、九能山、東照宮のある九能山のお寺でまず修行をして、それからだんだんと京都に近づいて
どんどんどんどん位の高い良いお寺で勉強してるわけですね。
鎌倉に行ったりとかして。で、中国にも渡っています。
で、当然なんですけど、英才が隣在宗なので生一国師も隣在宗ですね。
なので、孫弟子ですからやっぱりお茶の伝統が響いてくるわけですよ。
これが静岡の茶祖、静岡茶の元祖と言われてる人ですね。
そういう流れなんだね。
この人は東福寺というお寺を京都に作るんですけど、晩年になくなる近くになって静岡に帰ってきます。
で、生一国師のお母さんが生まれたところが今の本山茶のあるところ。
なのでそこに移り住んで、その近在の農家さんにお茶の木を渡して植えなさい。
静岡市の上の方?
そう、静岡市からずっと北に上がったところだね。安倍家の上流にあるところですね。
ここが元祖だという風に言われてます。
これともう一つ面白かったのが、生一国師のお弟子さんにあたる人が、とあるお寺の復興をするために住職になるんですね。
本当あずま屋みたいなお寺があったのが、前回も出ました、おきつ駅の近くにある清水の清賢寺というお寺なんですけど、ここの復興に入ります。
これを任されるわけですね。
そしたら一人だとしんどいので、ボス手伝ってください、生一国師呼ぶわけですよ。
すごい人呼んだね、急に。
ボス手伝ってください、よしよしお前が行くんだったら行きましょうということで、生一国師も清賢寺に行くわけですよ、お手伝いで。
30:04
お茶植えますよね。
そりゃ植えるね。
この植えたお茶が、前回出てきた五名茶の中の一つになるんですね。
静岡がお茶で有名になった一番最初ですね、あの陶茶で、戸賀能お茶が本茶です、碧茶が宇治です、清賢寺の清水の静岡のお茶です、川越のお茶ですとか、
ということなんですけど、この本茶、戸賀能はさっき出てきた明和商人が植えたところ、そのライバルヒットの宇治茶、これも明和商人が植えたところ、そして京都外のライバルの一つである静岡、これは英才の孫弟子が植えたところ、すごいでしょ、全部英才禅師繋がりなんだよ。
そう、英才禅師はどうしてもお茶を広めたかったんだろうね、全国各地にこうやってお弟子さんや知り合いを使ってお茶を広めていくんですね、なぜ?
なんで?
想像つくことないっすか?
体に…
一つはそうでしょうね
お茶を広めることの良さ、だって薬以外何があるの?
でしょ、意味わかんないじゃないですか、意味わかんないですよ、ほんとにお坊さん儲かんないしこんなものやったって、これは謎解いていったら出てきたんですよ
出てきたんだ
まずまず一つは分かりやすい方から薬の観点からいきましょうか
当時のお坊さん、それこそ英才とかそれより前の空海とかは全員国家公務員なんですよ
国家公務員なの?
空海とか最澄なんか完全に国家公務員扱いですね、朝廷が認めないと国のお坊さんとして認められないみたいな
そうなんだ
そういう時代なんですよ、だからこの当時の国家公務員の知識人最高レベルがお坊さんって扱いなんですね
仏教に詳しいだけじゃダメなんですね
今で言ったら社会学的なもの、政治学、人文学、あと国防を司っていたり、あと面白いのは建築学
建築学
建築の能力を持っていたりとか工学の知識を持っていたりとかするんですよ、物作れるもん
そうなんだ
建築工学の知識があるから山を切り開いてお寺建てられるんじゃない
なんかお寺の建築物がすごく建築物としても未だにすごいって言われるのはそのせいか
東大随一の建築学の知識を持ってますから
へえ
というのとあと本造学出ましたね、薬の知識、あと医学、天文学、外語学
天文学もか
小読みとかが分かんないといけないし先生術的なこともできなきゃいけないので
これらの知識を包括的に持っているのが時の僧侶という人たちなんですよ
僧侶というのは庶民の幸せをなんとか救って幸せにしたいっていうのが本来の趣旨じゃないですか
33:04
立ち位置として、医者っていう立ち位置は同じなんですよ
人を救うという意味ですね
そうです、庶民を救うために心の面と体の面の両方をケアしたい
だからお医者さんが薬を各地に植えて回ったと思ったらどうですか
確かに広める意味があるというか
ありますね、これが一つの側面です
人を救うためにひたすら広めることをしたと
ともう一つの側面があるんですよ
もう一つ
これは仏教的にメリットのあることを考えています
へえ仏教的に
まず簡単に言っちゃうと眠気覚ましとして使われてるんですね
眠気覚まし
これは延載より前の段階では天台宗とか違う仏教なので
あまり瞑想の時間が長くないんですよ
禅宗といって座禅を組むことをメインにした宗教のことを禅宗と呼ぶんですけど
臨済宗はその最たるものと言われてるぐらい瞑想の時間がすごくあるんですね
そうなんだ
今でもそうですよ、禅宗、曹洞宗なんかもそうですけど
座禅を組んで瞑想すること、それから臨済宗の場合は体を使った修行もしますけどね
山ごもりとか千日行とかねあれありますけど
禅がとにかく一番大事なのは瞑想なんですよ
めちゃくちゃ辛いですから
やっぱ辛いんだ
やってみてください5分で寝上げますから一般人の僕ら
そうなんだ
30分超えたらおー慣れてきたね
数時間やってみてください
頭おかしくなりますよね
ほわーってなってくるんで
そうなんだ
それで何してるの瞑想って
さあ
僕はあんまりちゃんとやったことないですけど聞いたことがあるのは
心を無にするっていうよりも心を一箇所に集中させて
雑念を払って自分が何者かを悟ること
わからん
全然わからん
一回修行行こっか
いや帰ってこれるかな
一日で帰ってくるかもしれない
僕らが想像しているよりも実体験として
修行している人たちはなかなかしんどいらしいんですよ
特に修行中ですからねまだまだ悟れてないので
眠くなったりもするし心も体も疲労たっぷりなわけですよ
30分間ピクリとも動くのって結構きつくないですか
まあきつい
これ数時間やるんですから
数時間はもっとしんどい
こういうのにお茶が効果を発揮する
そこでお茶を使うのか
あとリラックス効果もあるし
リフレッシュすることで気持ちが盛り上がってくるとか
すっとぎすまされて精神集中にもってこいだと
だからお茶っていうのは修行の効率を上げるためのアイテムっていう
へえ
そういう側面も持ってるんですね
そうなんだ
だから全宗の修行をしたいんだけど
辛くてついていけない人たちを脱落させないためにも
お茶ってすごく有効なんですね
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補強とセットなんですよ
お茶がね
お茶を広めることと全宗を広めることがリンクしてるんですよ常に
だから英才禅師は全宗を広めるためのアイテムとして
お茶を普及させていくっていう目も持ってるらしいですね
そういうことなんだ
これすごいいいですよ
これ読んだ時俺もうひっくり返りましたもん
へえそういう使い道っていうのは考えつかなかったね
初め眠気覚ましっていうのを読んだ時に
眠気魂だけに使うんだったら広げなくたって
自分とこのお寺に植えとけばいいじゃん
それだけで済むわけなんで
それをわざわざ広げていったっていうのは
そういう効果を見込んで他のお寺の和尚さんたちに
これいいよこれいいよこれいいよって
仲持ちでやるわけですよね
どんどん広がっていくと自分の宗派も広がっていくし
仏教自体が広がっていくわけですね
これは仏教ととしては素晴らしいことなわけです
そうだねそういうセットか
だから英才禅寺をスタートとした
明和聖人や聖一国士たちが
頑張ってお茶を広げていくんです
それ頑張るね確かに
もう忘れてるかもしんないですけど
京都府外の御名茶奈良県
宇治からもう一足伸ばしたところが奈良ですよね
もうちょっと右下って言ったら分からないね
南東方向に行ったらもう奈良県ですね
で生駒の山を越えたところが伊賀ですね
そこから海の方に東に向かっていくと伊勢がありますね
これが明和聖人から流れていった電波です
流れた
ここから伝承伝承伝承で繋がっていくんですよお茶の文化が
そういう流れで繋がってくるんだ
飛備地の静岡が違う人のルート
つまり聖一国士のルートでやってくると
そうなんだ
川越え茶だけ分かりませんでした
分からないんだ
普通に見ても英才禅寺からの流れを組むとしか書いてないです
もっと深く探したらあるんだと思うし
川越えの人たちに聞いたらこれだよって
この人だよって言うかもしれないですけど
ちょっと僕見つけられなかったですね
面白いなと思った
不協と説道っていうのは面白いね
あとずわり寝向けとの戦いは結構すごいんだと思うよ
これちょっと本当どうでもいいチップスなんだけど
一周のお寺には魚をモチーフにしたものが結構いくつかあるんですよね
魚のモチーフ
聞いたことないですか
牧魚
牧魚確かに
あと木の鐘
カンカンカンカンって鳴らす呼び鈴みたいな使い方をする
木の内側をくり抜いた打ち子みたいなのがあるんですよ
鳴る子みたいなのが
あれが魚の形に彫られてるものが
お寺に行くと置いてあることがあるんですね
うち転がってるよね
そうあれは総統宗のお坊さんからいただいたものなんですけど
あれ何かと思ったよ魚の形の木のくり抜いて
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ハンマーと一緒に
叩くんですよ合図ですね
ご飯だよと
そういう使い方なんだね
あれなぜ魚の形なんでしょうって謎だったんですよ
そしたらある時
家にある鳴る子打ち子を見たお坊さんがですね
あこれどこそこのお寺にあったやつだって言うんですよ
要は総統宗のお坊さん
禅宗のお坊さんなのでよくご存知なわけですねそのこと
で言われを聞いたところ
二つの理由があるそうです
魚というのはまぶたがないので目を閉じませんね
目は閉じれない
目は閉じれないですね
眠らないんですよ
眠気との戦いを打ち払うために魚の形をしてると
そんな理由
起床の時もあれを習ってそうです
起きる時もか
これが一つの理由と
あと開眼せよ悟りに開眼せよという意味も込めて
魚がモチーフになっていると
そっちなんだ魚そのものにというか魚にまぶたがないこと
らしいですよ
詳しい文献とかまで当たってないんですけど
実際のお坊さんに聞いたところによるとそういう理由があって
魚をモチーフに使われてるそうです
へえ不思議だね
そのぐらい眠気との戦いっていうのは切実なんじゃないですか
それだけ眠いんだよね
ということは抹茶がそういう風に使われていてもおかしくないよねとは思いました
まじめ者を眠気覚ましに何言ってんだって感じだったんですけど
実はそうらしいですね
いや眠気覚ましか使い道が
そうですよ
さっきもちょっと言っちゃいましたけど
これがどういう風な変遷で各地に広がっていて
各地のこの時代の茶どころがどういう風な発展を遂げていくのか
特に宇治茶ですね
この宇治茶の発祥で盛り上がっていって本茶を打ち倒して
日本一になっていくところがわかると
静岡茶が後々ナンバーワンになっていく経緯と比べられて
より深くわかると
そういった意味合いで宇治茶の下国城的なところですね
その時宇治茶やっぱ日茶だっけ
日茶ですから日茶が本茶倒しますから
今じゃ考えられないけどね
起こるんですよこれが
そうなんだ
次回その辺の話を
やっていこうと思います
楽しみに聞きたいと思います
ありがとうございました
41:44

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