たべものラジオ たべものの世界を探求する食べ物
ラジオの掛茶料理むとう、むとうたくろうです。
むとうたろうです。 このラジオは、少し変わった経歴の
料理人兄弟が、食べ物の知られざる世界を、ちょっと変わった視点から
学んでいくラジオ番組です。 ということで、本編いきます。
はい。 はい、ということで、前回からの
続きです。で、今回は、アメリカにハンバーグはない、です。
アメリカにハンバーグはない? 何を言ってるの?
いや、そうなんですよね。 ハンバーグはさ、アメリカから日本に
やってきたはずなんですよ。 はい、そうだね。
ハンバーグステーキね。 でも、現代のアメリカ人の、全員かどうか
わかんないですけど、一般的な認識としては、ハンバーグないよね。
そんなの。っていう感じらしいんですよね。 これは面白かったのが、アメリカの
食肉輸出連合会っていうところがあるんですって。 そんなとこあるの?
そんなとこあるんですって。で、そこの担当者に、アメリカ人だけじゃなくて
いろんな国の人が働いていて、日本人の担当者がいらっしゃってね。
あるインタビュー記事の中で、その方が答えてました。
アメリカにハンバーグという食べ方はありません。 ハンバーガーの方が一般的です。
だから、ハンバーグという単語は使いません。 使いません。
そうなんだ。 で、YouTubeとかでも、英語系のYouTubeとかあるじゃないですか。
アメリカではこういう表現をするから、それカタカナ英語だから、アメリカに行っても通じないよみたいなの。
そういうシリーズの中で、やっぱりハンバーグは通じないっていうふうに解説してる動画が多いですよ。
へえ、そうなんだ。 で、どうやって言うのだったら、ジャパニーズミートローフとか言うと通じるよみたいな。
ミートローフじゃねえだろうとは思うんだけど。 ミートローフではないよね。
って思うんだけど、でもそれが一般的らしい。 へえ。
僕が見た動画だとね、日本に来てるけどアメリカ生まれの日系人の方がやっぱりそんなこと言ってましたね。
そうなんだ。 だからね、アメリカにはハンバーグはないことになってるんですよね。
ないことになっている。 じゃあ、日本のハンバーグどこから来たのって話になるじゃないですか。
ちょっと調べてみましたよそれは。じゃあまず本期アメリカ、本当にハンバーグなかったの?って思って調べたところ、そりゃあありますよ。
だろうね。 なんだろう、1876年だったかな、アメリカフィラデルフェアで行われた万博。
万博。 あそこで一番人気のレストランのメインの料理はハンバーグステーキですから。
そうなんだ。 これでアメリカ全土にハンバーグステーキが広まるんですよ。
半年間の間に1000万人以上来ますからね。 そんなに来るの?
そうなんですよ。その頃の万博っていうのは今よりもさらにすごいんですよ。影響力が。
そこでエジソンの電球が展示されていたりとかね。そこでハンドミキサー的な引きにくきが展示されていたりとかね。
そういうのの技術があちこちに広がってきっかけになるのが万博で。そこでハンバーグが大人気でしたからね。
へえそうなんだ。 ハンバーグステーキがね。
レシピなんかをずっと調べていくとアメリカの料理本ですね。僕が見たのは1889年から1927年まで。
1889年から1927年。 はい。1927年ちょうど戦前くらいですかね。
1927年といえばリンドバーグが大西洋を横断したくらいの年。大統領がアインセンバーグだったかどっかその辺ですよ。
なんか全然ピンときてないんでしょうけどそんなくらいの時代感です。ベイブルースがホームラン買ってました頃。
あの頃の料理本はもうだいたいハンバーグステーキって書いてます。
そうなんだ。 表給でありますけどハンバーグステーキないしはハンバーガーステーキっていうのがずらっと出てます。
なんならアメリカの陸軍のレシピ集の中にもハンバーグステーキってあります。
そうなんだ。 ここで陸軍がハンバーグステーキを食べてるから日本に戦後新中軍が来てアメリカ人が食べてるのを見てそれが一気に広がっていくんですよ。
そういう感じね。当時のレシピを見ると肉は基本的にやっぱり牛肉のみですね。
ちゃんと牛肉のみだっていう理由はあるんですけどそれは次の次ぐらいのところでお話しますね。
基本的に玉ねぎは使います。細切れの玉ねぎ入ってます。大半生が多いかな。
もしくはあと絞り汁を絞って入れるとかねいう感じ。繋ぎとして卵を入れてるのも全体の10%か15%ぐらいのレシピで見られました。
少数派だけどあんこも入ってます。普通にハンバーグですよ。
これにソースとしてケチャップ、トマトケチャップですね。あとウスターソース。日本でもおなじみの組み合わせじゃないですか。これが使われてます。
卓上調味料としてケチャップとウスターソースは醤油の変形版なんで置いてあるんですよ。
ハンバーグステーキが出来たらマスタードとケチャップとウスターソースが並んでるのでそれをお好きにかけて食べるというのが伝統的なアメリカの風景です。
食卓をレストランでもやってるけど家庭でもこれやってますからね。
これがねなぜ消えたのかはちゃんと話しますけど1980年を境に急激に消えてなくなっていくんですよ。
1980年。僕生まれてますよ。
めっちゃ最近やね。
だいぶ最近です。これ有名なマクカバンレポートっていうのがあるんですけどこれまた後々詳しく話しますね。
ざっくり言うとこういう食事は体に良くないよね。こういう食事が体に良いよねっていう研究があるんですよ。
そこで初めてアメリカの研究機関でそのマクカバンっていう人が研究レポートをまとめてるんですけど
和食、ジャパニーズフードはヘルシーだってことになって1980年から以降アメリカが日本料理に対して健康的ってイメージを持つようになっていくんですね。
この後ヒッピー文化とか出てきてジャパニーズフードを問い入れていく。寿司がブレイクしていく。
すき焼きとか天ぷらとかがどんどんどんどんアメリカで流行っていくきっかけになるんですけど
このタイミングでハンバーグは単体で食べると脂が取りすぎになるから炭水化物をちゃんと摂った方がいいよねっていう話になるんです。
日本ってほらお米文化じゃないですか。この日本人の炭水化物をちゃんと摂ってる方が健康的で胃にも優しいよねっていうことになって
炭水化物と一緒に肉を食べられるハンバーガーが健康的だよねっていう風になるんですよ。
で気がついたらそれが当たり前になってわずか40年ちょっとの間に人々の意識からハンバーグステーキが消えるというね。
消えたんだね。 40年か。めっちゃ最近なのにね。
もしかしたら詳しく調べきれなかったですけども70代80代のアメリカ人からするといやいやハンバーグ食べてたよねって言うかもしれませんけどね。
それはあるかもね。 世代を超えて子供孫世代から当たりになってくるとハンバーグって何?ってなっちゃうんでしょうね。
じゃあハンバーグは単体で食べてたってこと? そうですよ。
何にもなくて他に。 それにマッシュポテトがあったりとか。
パンはそれで横に置いてあったりとかはしたでしょうけど。 でもハンバーグ屋さん行くと割とパンかライスかで選ぶよね。
西洋人にありがちなパターンですけどハンバーグではなかったとしても普通のステーキね。
テキサス風ステーキとかいろいろあるじゃないですか。あのステーキの横には大体炭水化物としてマッシュポテトがあったりとかパンがちょこっとあってそれをかじるとか
そういう文化の流れの中にハンバーグステーキというものも入っていたということですね。
ああそういうことか。 このハンバーグがねやっぱ日本と似てるけどちょっと違うんですよね。
違うんだ。 肉は牛肉のみ。ここが一番違うところですね。
じゃあ日本のハンバーグの話をしましょう。これね、なぜここにハンバーグを入れたかというと話の流れ上必要なのもあるんですけど
そもそもこのハンバーガーのテーマを取り上げるとなった時にタクから来た疑問がハンバーグとハンバーガー何が違うのって言ってましたよね。
そもそもハンバーグ挟んだらハンバーガーじゃないのということで日本のハンバーグがどのように変化していったのかどのように需要されていったのかもちょっと今回ご紹介しようと思っています。
逆から言いますと違うものになりました。 違うものになりました。 アイビキニングが定番になっちゃいました。
ああそういうこと? はい。もともとは牛肉100%でした。 ああそうなんだ。
玉ねぎとか入れるにしても繋ぎはあるにしても肉は牛肉でしたということですね。
で調べたところ日本で一番最初にハンバーグステーキを食べられたというのが1882年。
1882年。 明治15年。
明治15年。 2月11日。 2月11日。 超ピンポイントでわかってるんですよ。
なんで? 赤堀活邦教授。これ今でも赤堀料理教室かな。
学校があるんですよ。あの調理師学校が。これが開校した時の式典の宴で振る舞われたというふうに記録が残っているそうです。
で名前はハンブルグ風ステーキ。 正しい名前だね。 これね名前が微妙でさ、ドイツ語で言ったらハンブルクーなんですよね。
でもハンブルグって言ってるんですよね。どうしたって感じで。で英語だったらハンバーグにならなきゃいけないね。
英語読みするとね。なんか絶妙に混ざった名前になってるんだけどさ。 確かにそうやって言われるとそうだね。
これ赤堀峰吉さんという人がね料理学校を開くんですけど。ちなみにねこの赤堀さん出身掛川だよ。
掛川? 掛川のそれも東海道沿いにね料理屋さんがあったんだって。いわゆる料亭が。
そこその料理屋さんをやってたのが赤堀家だったんだって。だけど火事でその建物全部焼けてなくなっちゃったらしいんだよ。
で親子で江戸に行って。江戸時代だからまだ。でその赤堀峰吉さんのお父さんと赤堀峰吉さんは江戸に出てそっちで働く。
で息子の峰吉さんは江戸のどっか日本橋かどっかの料理屋さんで修行をして。で後に自分で料理屋さんを持って。でそれで明治維新を迎えると。
へえ確かに赤堀さんって結構いるもんね掛川ね。 この辺静岡県に多い苗字ですよね比較的。そうなんですって。
そうなんだ。 どうでもいいんだけどそのじゃあ地元だから調べようと思って東東右の国掛川宿の料理屋。
今一生懸命調べてるんだけど何も記録が見つからない。 見つからないの? わかんない。
そうなの? 一応その赤堀料理調理士学校のねホームページとかに見ると一応ルーツでね
天邦4年に火事があったよとかそういうのは出てるんですけどその前はわからない。 へえそうなの? わかんない。
そうなんだ。 日本最初の家庭料理の研究家で家庭料理の学校を開いた人。
で日本女子大学の発足メンバーでもあって何ならこの赤堀美根吉さん。 合法儀を発明した人です。
合法儀を発明、そうなんだ。 もともと前掛けでたすぎ掛けをする文化じゃないですか。和服なので。
でも女子教育にものすごく力を入れた方なんですよ。そうすると前が汚れるのが気になるし結構綺麗な柄物とか着てる方も多かったらしいんです当時。
じゃあ前を全面覆えるものがいいよね。でもその西洋風のエプロンだとどうしても袖が隠れない。
着物ですからこのたもとが汚れてしまう。でたすき掛けをすればいいんだけど面倒くさい。ということで袖のたっぷりした合法儀を着ればたもとごと袖ごと入るじゃないですか。
ということで合法儀を発明したんだそうですよ。 だからあんなたもとにゆとりあるんだね。
らしいですね。 そういうことか。 チップスですけど。 へえ着物用だったんだ。
この方が学校を開いたときの振る舞いがハンブルグ風ステーキ。 へえそこでハンブルグ風なんだ。
これちょっとレシピが残ってるんでちょっと読みますね。牛肉100文目小なる玉ねぎ1個卵1個。
ちっちゃい玉ねぎ1個と卵1個。100文目って現代換算するとめんどくさいから知ってないけど。
バター少々塩少々コショウ少々パン粉少々と。でミンチにして玉ねぎも細かく切って混ぜますよと。
で溶かしバターも入れて一緒に混ぜて塩コショウで味付けしますよと。だからバターは焼くときにも使うんだけどそもそも肉をこねるときに混ぜてますね。
で織りのこ状だからつくでの状に丸めて周りによくパン粉をまぶしますと。パン粉をまぶす?
パン粉をまぶす?まぶすの? パン粉をまぶした状態でフライパンにバターもしくはラードを溶かして6、7分揚げ焼きにする。
これは当時の表現で揚げると書いてますけど今でいうフライパンに油敷いて焼くってのと同じですよ。
僕ら和食の世界では油焼きとか言いますから。これはもういわゆる炒めると同じだと思ってもらっていいですね。
でお皿に盛り付けたらトマトソースをかける。これはねアメリカ式ではないですね。
もう完全にイギリスとかオランダの影響がほとんどですね。 そうなんだ。 イギリスオランダドイツかな。
見た目メンチカツみたいな。 そうなんですよ。メンチカツなんです。
メンチカツが元々入ってきた大元がフランスとかイギリスですからね。多分日本に入ってきたのはフランスよりはイギリスの影響が大きいと思いますけどね。
メンチボール。メンチボールって和製英語ですけどミンチですよね。ミンチ肉ボールが生ってメンチって聞こえてるだけなんで。
じゃあメンチカツみたいなやつ。メンチカツか。メンチカツ前今やめちゃった肉屋さんのメンチカツは丸かったよね。ボール状だったよね。
あれが正しいのか。そうなの? メンチカツって日本語になってますけど、あれは元々ミンチっていう言い方を当時してたかわかんないですけど、
フォースミートボールって言って、フォースは力ね。ミートね。ぐちゃぐちゃにした肉団子ですよ。フォースミートボールっていうのがあって、それをイギリス料理なんかだと
ソーセージにしたりとか、何かのスープの具材に入れたりとか、詰め物にしてね。ピーマンの肉詰めみたいなやつですよ。ピーマンじゃないと思うけど。
そんな風に使ってたんだけど、肉をメインとした料理の場合はボール状にして使うっていう文化があったんですよ。それを衣をつけて揚げ焼きにする。
日本みたいにディープフライにする文化ってほとんどないですから、この天ぷらみたいな揚げ方ってのがないので、浅く油を敷いて揚げ焼きにするのは普通。これがコートレットってフランス語で言うんですけど、そういう調理技法が、正確にはあれ形のことを言ってるんだけど本当は。
後々調理技法と勘違いされて調理技法ということになるんだよね。このコートレットがコートレット、カートレット、カツレツになるわけですよ。で、ミンチボールじゃないですか。メンチボール、カートレット、メンチ、カツ。
そういうこと? そう。だから今これ脱線するけど、ロンドンでね、カツカレーが流行ってるらしいじゃないですか。流行ってるらしいんですよ。カレーをね、なぜかカツカレーソースとして売ってたりするんですって。なんだそれって感じですけどね。意味わかんないじゃないですか。
だけど、ロンドンの皆さん、よーく考えてくださいね。日本にカレー文化を伝えたのは、あなたたちイギリス人ですよ。コートレット、とんかつの元のカートレットはロンドンからイギリスから日本にやってきたものですよ。それを日本でガッチャンコしてロンドンに持ってったらジャパニーズカツカレーみたいな感じで売ってるわけですね。あなたたちよーく考えてくださいね。
ややこしいな。 なんでね、これフランス料理は元々当時ね、外国してから日本の生産になったりしましたよね。閻王陛下が召し上がるものはフランス料理だということになったり、六名館で使われたりとかして。高級料理はフランス料理ということで決まったんですよ。
だから帝国ホテルみたいなところでも出されるようになっていって、その影響がやっぱり出ているんですよ。それは最後にお皿に盛った後トマトソースをかけるというところです。 トマトソースをかける。 フレンチ行ったことある人はわかると思いますけど、だいたいソースかかってますよね。別盛りとかないですよね。
これはもう高級料理の証なんですね。アメリカ料理にこの文化ないですから、当時。フランス料理の文化が入ったことでトマトソースをかけるというレシピになっていますが、イギリス料理の西洋料理店のイザベラビートンっていう人が家庭料理っていう料理本を1861年に出してるんですけどね。
イザベラビートン。 これ結構ね、食文化史では結構重要な位置づけになるんですよ。このイザベラビートンの家庭料理という本はね。結構分岐点になるので。これを日本語訳されたのが金垣ロブンが書いた西洋料理2ですよ。
金垣ロブン。 西洋料理2っていう本ね。これ何か覚えてないかな。和食店に行った時にさ、私がすっごい盛り上がって騒いでた本の展示あったじゃないですか。これこれこれ。
これなんだ。 これを元に西洋料理を日本のホテルとかで展開してくるわけですよ。だからこのイザベラビートンってイギリスの人ですからね。イギリス風のこのハンバーグ。
それから当時日本はドイツと交流があるんで、プロイセンに視察に行ったりするぐらいですかね。岩倉施設団はドイツ行ってますから。そういう交流もあるので、ドイツの食文化イギリスの食文化がごちゃっと混ざって日本に入ってきて、今ではハンバーグとは思えないけれどもハンブルグ風ステーキとして赤堀河峰教授というところで教えられた振る舞われたっていうのが元にあるそうですね。
そうなんだ。 ここから一気に広がっていかないんですよ。 行かないんだ。 行かないんです。ハンバーグというのはあくまでもアメリカ料理なので。 アメリカ料理。
ハンバーグという名称で広がったハンバーグステーキはアメリカ料理なのでなかなか広がっていかないんですね。どちらかというと当時の明治大正時代の日本においてはひき肉を使った料理は基本メンチカツなんですよね。
メンチカツ。 代表的なひき肉料理イコールメンチカツなんですよ。今ではひき肉を見たら真っ先に思い浮かべるのはハンバーグになってるかもしれませんが元々その意識はなくて。
そうなんだ。 いいとこミートボール。そのぐらいイギリスの影響が強かったってことですよね。
これが大正の終わり頃から昭和の前半くらいにかけてなぜか謎にアメリカ料理ブームがやってくるんです。
アメリカ料理ブーム。 なんでだろうね別にグルメ大国でもないのに謎にアメリカ料理が日本だけじゃなくてヨーロッパでもブームになる。
へえそうなんだ。 大陸横断鉄道じゃないけどああいうオリエントエクスプレスみたいなさ食堂車がついてるような電車があったりするじゃない。
ヨーロッパ行くと。あそこでもともとフランス料理が振る舞われていたんだけどもちろんそれも継続されるんだけどもうツートップぐらいの感じでアメリカ料理が定番化していくんだって。
へえ。 何だっけ俺読んだ記録は岡本太郎のお母さん。
岡本太郎。 名前忘れてた。岡本かなこさんだっけね。岡本太郎って両親ともに芸術家なんですよね。
それがあるから岡本太郎ってフランスだったかなあちにヨーロッパに留学するんですけどその前の段階でお母さんが行ってるんです向こうに。
その方の日記見ると最近はアメリカ料理が流行りのようねみたいな記録が残ってるくらい。
そうなんだね。 その波は日本にも入ってきていて最初2年に銀座にフルーツパーラーというのが登場するんですよ。
フルーツパーラー。 パフェとか売ってる店ね。もともとのパーラーのベースはアイスパーラーなんですけど
アイス屋さんがフルーツでやるようになってアイスパーラーになってそれがアメリカでブームになってそれが日本にやってくる。これ線引き屋さんね。
線引き屋さん。 大正2年1913年線引き屋がフルーツパーラーを展開していきます。
それからその当時あったのはカフェですね。喫茶店カフェ。当時はカフェとか書いてありますけどハヒフヘで書いてるんでね。
そこでアメリカで生まれたショートケーキが売られるようになっていく。 ショートケーキアメリカなんや。 らしいですね。ショートニングたっぷりのいちごの乗ったショートケーキっていうのがアメリカから日本にやってきて日本のカフェで
あちこちで見られるようになっていく。銀座界隈ではアメリカ料理店がどんどん増殖していってアメリカ料理の代表格といえばもうこの当時はハンバーグステーキですからみんなハンバーグステーキを扱うようになっていく。
そうすると銀座の様々なお店、和食店っぽい定食屋さんであってもフランス料理屋さんであってもなんかハンバーグステーキはとりあえずあるみたいなことになっていくんですね。
そうするとフランス料理屋なんだかアメリカ料理屋なんだかわかんなくなるじゃないですか。イギリス料理屋みたいなのもあったんですよ当時。
いつの間にかぐにゅぐにゅぐにゅって混ざっていくうちに洋食店ということになるんですね。これが真改造されて日本風の洋食屋ができるんですよ。
当時は当然とんかつは和食じゃありませんから洋食ですから。とんかつを食べるのは全部洋食店。ハンバーグとんかつメンチカツスパゲッティオムレツみたいなのがバッと並んでる。
そういうことね。 感じのが銀座を中心に始まってそれがどんどん広がっていくわけですね。気がついたらなんか帝国ホテルでハンバーグが出てきたみたいなね。そこまで行きますか?というふうにこうだんだん広がっていくんですね。
この時代アメリカ料理が入ってきたんですけどこの時代のアメリカ料理の代表格たるハンバーグはつなぎ使ってますからね。アメリカの大元でも。だからつなぎ使ってるのがデフォなんですよ。
卵も入ってるし当たり前じゃないですか。何か問題でもって感じですよね。ここから何故か合挽肉になっていくんですよ。この頃は牛肉100%ですよ。気がついたら何故か合挽肉に変わっていくんですね。この編成が面白い。
ああそうなんだ。 戦後のことでございます。1945年日本は負けます。終戦を迎えます。そうすると新中軍、GHQですよね。アメリカ軍が日本のあちこちに駐留することになりますよね。
当時のアメリカ人にとってはハンバーグは当たり前の日常食なんで。もう駐留軍隊みんなハンバーグ食べてるわけですよね。何食べてんだろうあれ。メンチカツじゃねえけど。ハンバーグだ。まあそうだなってことになりますよね。
食料もらったりしますから当時。ギブンビアチョコレートの時代ですから。チョコレートもらったりとかパンもらったりとかしてるわけですよ子供たちは。アメリカの兵士からね。物資をもらってさキッチンカーが走ってさいう状態ですよ。
ある種はアメリカの小麦粉の押し付け文化がここから出てくるんですけど。これでアメリカ軍の陸軍が食べていたハンバーグが日本に入ってきてアメリカ式のハンバーグが一般家庭にちょっとずつ広がっていくんですね。この時代っていうのは食生活改善運動が始まる時なんですね。
これは何のシリーズでやったかな。お米のシリーズでやったのかな。キッチンカーのこと覚えてますか。米食べてるとバカになるみたいな言説出てきたことありましたよね。こういう食生活をすると健康的なんだ。今の日本人当時の日本人は米に偏りすぎだと。
米を食べるとバカになるっていう。どっかの大学の教授が論文出したりとかしましたから当時ね。それは良くない。米変調しすぎは良くないから食生活改善しようぜ運動がバーっと出てくるんですよ。1940年代から50年代にかけて出てくるわけですね。
食生活改善するにはこのキッチンカーで指導されたようなバランスの取れたアメリカ式のこの料理がベストですよということになるわけですね。そうすると小麦粉売れていいですねってアメリカ産の牛肉食べたらどうですかみたいなことがあったようです。
でじゃあそれでいきましょうってなるんですよ。なっちゃうんですよ。もうだってもうそうだと思ってるしもういい悪いじゃなくてそれが正解なんで当時の。科学の最先端ですから当時はね。それがみんなが信じてそれでいくわけですよ。結果嘘になっちゃったんですけど。
この時代に生まれたのがいわゆる段階の世代ですよね。1947年から49年のこのわずか3年間で800万人が生まれると。 お父さんちょうど入ってるね。そうなんですよ。見事でしょ。見事に入ってる。我々の父はめちゃくちゃアメリカかぶれですよね。一番好きな映画何ですか。トップガンです。OKコラルには萌えたねって言ってますからね。そういう人たちですよ。
だからベンチャーズビートルズもいいよねみたいな。ロックが入ってきてジーパンが入ってきてウェイ。ヒッピー文化バターンみたいな。そういう感じでアメリカ文化をバンバン需要していくんですよ。
彼らが子供の頃。子供は食生活改善しないとダメじゃないですか。戦後の焼け野原の中でとにかくいいものを食べさせなきゃいけない。子供は未来の宝だ。働き盛りの人たちは兵士として出兵してだいぶなくなってしまったし人口もうんと減ってしまった。
これをもう一回立て直すためには子供たちを元気に育てて健康に成長してもらわなきゃ困る。だから肉をちゃんと食べさせなきゃいけない。そのためにはハンバーグとかね。ハンバーグっていうのはミンチだから肉のすじばったところも叩きゃ食えるわけじゃないですか。非常に都合がいい。
例えばソーセージにしてもいい。これをやろうって言って始まるんですが肉が足りない。子供の人口増えすぎた。一気に増えたからね。50年代になるとちょうど食べ盛りになってくるわけですよね。そのタイミングでなんか肉足りなくないってなるわけですよ。
このタイミングで何が起こるかって言うとマグロとかクジラで作ったハンバーグが出てくるんですね。
そこでクジラも出てくるんだ。
ただこの頃はまだね、鮮度保持技術が低いわけですね。臭いんだ。
確かに臭いって言ったね。
だからほら、父の世代、段階の世代の人たちに言わせると給食のクジラがまずくてねって言ってるでしょ。臭いんですよ。
そっか。
だからこの臭い肉をなんとかして食べるためには、玉ねぎがどうしても必要なのこれは。
そういうこと?
匂い消しとして。もうなきゃダメなんだよね。
確かに。
で、ケチャップみたいに醤油とは比べ物にならないぐらい強烈な味付けじゃないですか。
ありとあらゆるものを覆い尽くしてケチャップ食ってんだか何食ってんだか分かんなくなるぐらい強いわけですよ。極端な言い方すれば。
当時の日本人からしたらそういうふうに感じたらしいんだよねやっぱりね。ただこれは臭い肉を食べるにはベストなわけですよね。前回お話ししましたけど、1800年代後半、ハインツがケチャップを発明した、広げた一番の理由は臭い肉をうまく食べるためですから、ちょうどいいわけですよ。
確かに。
だからね、段階の世代の人たち聞いてごらんなさいよ。ハンバーグに何つけますかって言ったら大半の人がケチャップって言いますから。
ああ、確かに。
父もそうでしょ。
そうだね。
絶対ケチャップだもん。
めっちゃつけるもんね。
うん。もうこの世代の特性ですこれは。
そうなんだ。
どうしてもしょうがない。
へえ、まあそうか。それで育ってきたもんね。
これじゃかわいそうだってことになって、1960年代になってくると、このハンバーグじゃなくて今度ソーセージの文脈でね。
魚肉ソーセージ、これを鮮度のいいうちに作ってあげれば臭い肉じゃなくて、健康的で良質なタンパク質を子供たちに提供できるでしょうっていうことで生まれたのがマルシンハンバーグとかマルシンソーセージですよ。
魚肉ソーセージの始まりですここが。
魚肉ってここからなんだ。足りなかったからなんだ。
足りなかったからなんですね。
ところが50年代、ビキニ干渉の原発の実験が起きるんですね。聞いたことありませんか?
アメリカが太平洋戦争が終わった後に太平洋の洋上のちっちゃい島で原子力爆弾の実験やってたんですよ。
ビキニ干渉というところでね。
ビキニ干渉ってあそこ?
そう。でドカーンってあって、今でも映像とか写真とか見ようと思えば見れますけど、
あれで風評被害なのか実被害なのかわかりませんけども、放射能問題が日本国中に広まるわけですよ。
太平洋の沖合で撮れたビキニ干渉の放射能を浴びたマグロとクジラを食べるのかと。
おやおやおや?なんか急に雲行き怪しくなりましたねっていうことになるわけですね。
肉いかなきゃいけないじゃないですかそうなると。
ところがもちろん戦後ハンバーグとか肉を食べましょうよという風に食生活改善運動でもってやってたから、
日本国内でも畜産が元気になってくるわけですよ。あちこちでやるわけですね。
したら今度その日本の畜産vs輸入肉ってことになりますよね。
じゃあ日本のこの畜産業者を守るためにはどうするかというと関税って話になりますよね。
牛肉と豚肉は日本で取れるんです。彼らを守らないとこの先日本の畜産業は伸びていかない。
団体作ってロビー活動して政府に訴えるみたいなことをするわけじゃないですか。
これでもって輸入の牛肉と豚肉に関しては規制がかかるんです。
まあそうかやってるからね国内で。
やってるから国内の産業を守るために海外からの輸入肉に関して、
牛と豚に関しては規制がかかります。関税も高くなります。
守られましたね。いいけどおいおいハンバーグとソーセージどうするんだよってことになりますね。
高い国産の豚と牛だけでいいんですか。数足りませんよ。子供たちたくさんいますよ。
だってまだ60年代だよ。うちのお父ちゃんも小学生中学生よ。
どんぶり飯何杯食べるんですかって世界じゃない。どうするのこれ800万人。
800万人どころじゃないよ。この後もまだどんどんどんどん人口が増えていくわけですから。
困りましたねということでしょうがないから肉また追加で輸入するわけですよ。
規制のかかってない肉をね。牛と豚がダメならば羊がいるじゃない。
パンがダメならお菓子を食べればいいじゃないみたいなノリで。
あ、羊ならいいじゃない。馬もいいよね。これは規制かかってないですよね。
羊と牛をたくさん輸入しましょうということになるんです。
なんでちょっとあの例の女王さんに寄せたのか。
わかんない。羊がねまた評判が悪くてですね。
羊評判悪い。
だってねこの羊というのは大陸からやってくるわけなんですけど、
食肉用の羊じゃないんです元が。毛を刈ってもうこれ以上毛を刈れないお年寄りの羊なんですよ。
臭いし硬いし。馬もそんな感じなんだ。
それを輸入してきてそれでハムとかソーセージとかコンビーフとかハンバーグとかするわけですよ。
これをやれば大衆価格でハンバーグを提供することができると。
相引肉出てきましたよ。
俺のイメージと相引肉とはちょっと違うんだけど。
牛肉と豚肉ではないんです。
羊肉と馬肉を混ぜた相引肉のハンバーグ文化がこの時出てくるんですよ。
そっちはちょっと想定してなかったな。
これの何がすごいって安いからどんな家庭でも買えるんです。だから家庭料理になるんだよ。
確かに。
ちょっと思い返していただくと新中軍がいますとか戦中戦前とかだと料理屋さんで食べるものでしたねハンバーグっていうのは。
これが安い相引肉が出てきたことによって大衆価格だからこそ家で食べられるように変わっていく。
これのおかげで日本でハンバーグが爆発的に広がっていくんですね。
そうなんだ。
これセットでケチャップも一緒に広まっていきますけどね。だって臭いんだから。
まあそうなのね。結構な匂いだと思うよ。
思いますよね。これ広がっていく。で、チョップしてますからね。乾くしてますから。安いものも柔らかくなるわけじゃないですか。
柔らかく食べるためにはパン粉必要ですよ。肉が変わってんだから。牛乳で含ませたらもっとふわっとするじゃないですか。
っていうのがもう土台にあって、だんだん畜産が元気になって輸入規制が外れたりなんやして、牛と豚が使えるようになったらこっちのほうがやっぱりおいしいよね。
臭くないよねってことになって牛と豚の相引になる。で、牛の脂と豚の脂っていうのは優点が違いますから。
豚の脂が入っていたほうが柔らかくなりますね。そうして日本のハンバーグは相引肉でふわっと柔らかっていうことになりました。
そんな背景あるのね。 ここまできてやっとわかると思うんですけど、日本人はハンバーグをステーキだって言われるとピンとこないでしょ。
ステーキってすごい肉っぽいガツンとした噛み応えのあるっていうイメージ持ってるじゃないですか。
元々はそうだったんですよ。柔らかいんだけどちゃんと肉肉しいみたいなね。
これがつなぎとか柔らかくしよう柔らかくしよう子供たちが食べやすくしよう匂いも消しておいしくふわっとさせていこうというある種の母親の愛情と言いますか。
こういうののおかげで今の日本式のハンバーグというのができてるんですね。
だから子供のメニューって絶対ハンバーグが含まれるじゃん。一品の中に。正しいんだよある意味ね。
これをさらに広めたのはファミリーレストランの登場ですよね。
ファミレスの話をするとちょっと長くなるので今回はしませんけど。
ファミリーレストランっていうのは日本にしか存在しませんけどね。
あの名前を作ったのはロイヤルホストの創業者ですよ。
家族連れでこの低価格帯の大衆的な洋食を食べられるように家族が暖覧できるようにっていう願いを込めてファミリーレストランとしたんですよね。
アメリカだったらこれがダイナーになりますからね。
あれとは別の文脈で日本のレストラン方式と定食屋の感覚を洋食に持ち込んでファミリーで暖覧っていうのを組み合わせてファミリーレストランっていうのが出てきて。
これが爆発的に広がっていく。
当時ちょうどチェーン店みたいな形式が出てくる時なのでアメリカ式のフランチャイズとかチェーン方式みたいなのを取り入れるセントラルキッチンっていうのが1970年の大阪万博で大ブレイクする。
それを日本に持ち込んだのはロイヤルホストグループ。
一気にファミリーレストランのラインからもハンバーグステーキっていうのが広がっていく。
当時の子供たち、僕も70年代生まれなんですけどやっぱりファミリーレストランのメインディッシュというかキープロダクトはハンバーグでしたもんね。
ココスは未だにハンバーグメインだからね。
日本のファミリーレストランはだいたいハンバーグじゃないですか。
その中の一つがローカルで静岡の爽やかになってるだけ。
あそこだってハンバーグ屋じゃないもんもともと。あれ喫茶店だもん。
喫茶店。 もともと喫茶店の軽食で、僕がちっちゃい時ですよ。
パスタもあったしサラダもあったしパフェもあったし、かつ煮みたいなのもあったし。
いろいろあったんだね。 いろいろあったんですよ。
で、母さんのかつ煮定食だったかなっていうのがあって、お母さんのかつ煮定食、親父の原骨ハンバーグ。
で、なぜかハンバーグだけが人気になって他のメニューやめたからハンバーグレストランになってるだけ。
ああ、残ったっていうか残したんだそれだけ。 そう、他をそぎ落としてただけです。
へえ、そうなんだ。 僕当時、ハンバーグよりも母さんのチキンかつ煮定食の方が好きでしたからね。
そうなんだ。 行ったら必ずそれ食べてましたから。
だって本店だってこの辺だったでしょ。 そうですね。菊川かな。
菊川だっけか。菊川にあったはずだもんね。 そうなんですよ。隣町ですね。
そんなような感じで、それはカフェ初ですけど、大体今日本で大手になっているファミリーレストランっていうのはハンバーグがメイン。
面白いことにビッグボーイとかデニーズとかってこれアメリカの企業じゃないですか。アメリカに行くとハンバーグではないですね。
ハンバーグではない。 ハンバーガーになってますね。
ハンバーガーか。
ビッグボーイのあの少年は手に持ってるのはハンバーガーですからね。ビッグボーイってあの少年が片手を高く手にかざしてますよね。
あの上に乗っかってるのはハンバーガーですからね。 ハンバーガーなの?そうか。そうやってみればそうか。
そうなんですよ。ハンバーグじゃないんですよ。 確かに。だけど日本はハンバーグ屋さんだよね。
そういう感覚になっちゃってますよね。日米で経営のスタイル変えてるんでしょうね。おそらくは。
そうなんだ。 その辺はもうだいぶ喋っちゃったからいいか。まあ喋っちゃったけど。