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2025-09-24 30:17

#269(s29-11)アメリカ全国に広まるハンバーグステーキ〜認知度爆上がり!ハンバーグとミートチョッパー〜

サマリー

ハンバーグステーキはフィラデルフィア万博をきっかけにアメリカ全国に広まり、その人気の背景には多くの来場者がいる。さらに、この万博で成功したドイツ料理レストランがハンバーグステーキを紹介し、食文化の流入を促進している。アメリカでのハンバーグステーキの認知度は急上昇しており、その歴史的背景や調理器具であるミートチョッパーの重要性が語られている。また、アメリカではハンバーグステーキが全国的に広まり、朝食に食べる文化が根付いている。これは産業革命に起因する食文化の変化を反映しており、パワーモーニングとして知られる朝食スタイルが形成されている。

フィラデルフィア万博の影響
はい、では前回からの続きです。今回は認知度爆上がり、ハンバーガーステーキ全国へ
ハンバーガーステーキ全国へ。はい。前回までの話でね、共同料理としてのハンバーガーステーキがニューヨークやフィラデルフィアを中心に確立していきました。
はい。という話ですね。はい。これがあるきっかけで全国に広がります。
はい、そのきっかけというのがバンコク博覧会。バンコク博覧会。はい。2025年大阪万博やってますね。
やってるね。はい。これのもっともっともっと前にフィラデルフィア万博というのが行われました。
ああ、そうなんだ。はい。もう何回前かわかりませんけど。うーん、さすがにちょっとわかんないな。はい。
フィラデルフィア万博1876年。1876年?はい。アメリカ独立宣言が1776年。100周年なんですよ。ほえ。
ですから成功するかしないかはもうさておき、アメリカは国家の威信をかけて何としてでもやり切るみたいな覚悟で
フィラデルフィア独立宣言を行った都市で100周年を記念した万博を行いたいということでやりました。はい。
で、ここで登場したのが例えば電球だったりはね。おお、電球。はい。もともとそれ以前に発明はされてるんですけれども
もうすべてのパビリオンで電球が灯されるとか。うーん。で、日本館もあって日本風庭園が展示されていたりとか。はい。
そういったのがたくさん出ていたそうです。はい。で、会期はまあ半年ですね。半年。はい。これはあのもう毎回万博って半年間やりますから。
毎回なんだな。だいたいね。半年前後ですよ。へえ、結構長いな。大阪万博もだいたい半年くらいなりますよね。
ああ確かに。春から秋までかけてやりますんで。うんうん。これは一緒です。はい。はい。で、このおよそ半年間の間に
やってきた、つまり来場者数がおよそ1,000万人です。1,000万人。はい。ほとんどアメリカ在住の人ですよね。
うーん。まあ当時飛行機があるわけでもないので。まあそうだね。一部ヨーロッパから来る方々っていうのは当然いますし、来賓の人たちってのもいますけども
まあそれでもアメリカ人ですよ。うんうん。で、この1,000万人がどのぐらいすごいかってことなんですが。はい。
当時のアメリカの人口。はい。約3,900万人です。おお、3,900万しかいないんだ。はい。3,900万中の1,000万人が来場してます。
まあのでですけど、うん。それにしたってすごいですよね。確かにね。一つの国の人口の3分の1ぐらいくって結構だよね。うん。3分の1から4分の1
くらいかな。だいたい。相当なアメリカ人がフィラデルフィアを訪れたそうです。
交通網の発展
日本だったら今だったら3,000万人が行くみたいな感じでもね。そうですね。3,000万人以上か。4,000万人とか行くイメージじゃないですか。
大移動だね。うん。まあもちろん半年間の間なんで毎日いろんな人が何十万人って感じで行くんでしょうけどね。そういうことだね。はい。
これはですね、あの広い国土を持つアメリカでなぜできたかというと、このフィラデルフィア万博が行われる30年40年くらい前からね、
大陸横断鉄道の建設ラッシュが始まるんですね。大陸横断鉄道。はい。線路をあちこちで作りまくるんです。
あーはいはいはい。でちょうどねこの1830年代くらいの建設ラッシュであちこちに線路が敷かれるようになっていく。この時に今の資本主義の基本となっている株式会社のシステムが
増えていくわけですね。もういろんなところから資本を集めてその投資をしていただいて事業をやっていくっていう大きいことをやるのに国の権力で今までやってたりとか王族のパワーでやってたんですけど
王族のいないような大資本家がいないようなアメリカという国においてはたくさんの人からお金を集めるっていう仕組みが非常に都合が良かったんですね。はいはい。
でいくつもの会社が立ち上がってそれぞれの線路をつなぎついに39年後かな1869年には西海岸から東海岸までが列車で移動することができるようになりましたと。へー。
いう状態なんですよ。もちろん船便もありますしね。ほうほう。ちょうどこの頃に蒸気船これよりも100年近く前かな1700年代後半から1800年頃にかけてフィラデルフィアを中心とした蒸気船航路っていうのも開拓されて
東海岸を蒸気船が行き来するようにもなってます。っていう交通網の発達によってフィラデルフィアという街に人が集まることができるようになりました。つまりここで集まった人たちはその当時の最先端のテクノロジーなどを見てすげーってことになるとそれを買いたいと思う人が現れるとか
その文化を自分の地元で商売としてやろうとかそういう人たちが徐々に現れるということですね。このフィラデルフィア万博の中でいくつもあるパビリオンの中でねやっぱりね食事をする場所って非常に大切なわけです。
フィラデルフィア万博も当然いくつものレストランが中で作られました。この中のぶっちぎりナンバーワンの大人気レストランがドイツ料理レストランです。
このドイツ料理レストランは万博で最も成功したレストランそのように書いてありましたね。
最も成功したレストラン?
はい。席数が1200席。ほとんど開くことがなかったというくらい人気だったそうです。
埋まったのもすごいけどそれ回したのもすごいね。
ね、すごいよね。
1200席?常時入れ替わり立ち替わりで稼働?
だって200人集まるパーティーホテルでありますってオペレーション相当だよ。
相当だよね。
うちでも30、40でもそろそろ大変だなってなってくるから100超えたらホテルのあのでかいキッチン必要だなとかなりますよね。
なる。
1200。
1200?すげえ数だね。
ランチタイムやばかっただろうね。
いやー戦争も戦争だよ。
大変だったと思います。でこのレストランの一番人気メニューがぶっちぎりでハンバーガーステーキ。
あーそうなんだ。
いわゆるハンバーグですよね。
これが大人気だったそうです。
ハンバーグね。
これ食べちゃったらこれはうまいってなってこれをうちのレストランでも出すんだっていう人絶対出ますよね。
出るだろうね。
もしくはこれを今料理経験ないけどこれなら作れそうと思ってレストランを開業する人も出ますよね。
あー確かに。
こうして一気に特に西海岸よりも東側の方が多いんですけどそれでも内陸のかなり奥の方までイリノイ州とかねあっちの方までハンバーグステーキの文化が広がっていく。
そのきっかけになったレストランですね。
で残念ながらねこのレストランについての細かい記述というのは僕が調査した限りは見つけられなくてですね。
あーそうなんだ。
このレストランを手掛けた人の名前がフィリップJラウパーという人だけはわかりました。
本には名前しか書いてなかったんですけどこのフィリップさんが何者かが気になってしょうがなくてですね。
まあ日本語だけじゃなくていろんな国のサイトにねウェブサーフィンしてみたんですよ。
なかなかね記録が見つからない。
見つからない。
唯一見つけたのがアメリカのオークションサイトです。
そこでこのフィリップJラウパーという人のやっていた会社の株券。
ポットー品として株券の照書みたいなのが出品されてたんですよ。
そうなの?
ソールドアウトになってましたけど買った人いるんですね。
いるんだね。
写真が上がってたのでそれを画像で撮ってきて拡大して読みました。
大変な苦労か。
この人何者だろうと思って。
この人生まれは1830年ちょっと鉄道の建設ラッシュの時代に生まれてお亡くなりだったのが1881年フィラデルフィアバンクから数年後にはお亡くなりになっている方なんですけどもともとこの人輸入貿易省らしいです。
輸入貿易省?
フィリップラッパーカンパニーというのが株券に書いてあったんですけどこの人はドイツ産のワインとかビールをドイツからアメリカに輸入をしてアメリカ国内で販売するというインポーターとしてビジネスをされていたそうなんですね。
インポーターね。
でこのドイツ産のワインやビールがアメリカの東海岸近辺で非常によく売れたそうなんです。
当時ね。
移民も多いですし。
でそれをベースにあるので万博で一山当ててやろうということでレストランを開業する。
自己資金プラスでいろんな人に声をかけて投資を募ってですねドカンと派手にやると。
でドイツ産のワインやビールを売るためには当然それを楽しむための食もセットじゃなきゃいけないのでドイツ系料理ソーセージだったりとかザワークラウトだったりとかそういったものを一緒に出すようにする。
で当時人気のあったニューヨークフィラデルフィアで人気のあったハンバーグステーキも料理として出す。
としたらビールワインも売れたんだけどどっちかっていうとインパクトが強かったのはハンバーグステーキだったっていう話ですね。
なんかドイツ楽団の音楽がずっと演奏されてたらしいですね。
そうなんだ。
日本のビアホールみたいなね。
ドイツ系のビアホールみたいなイメージでいいのかな。
多分そんなことなんじゃないかなと思いますよ。
大変だったこの人調べるの。
これ以上わかりません。
記事にもなってないんだね。
ちょっとねドイツ系移民この人自身がドイツ系移民だよとかそのくらいのことはね少し調べていくと。
日本語のサイトでは見つけられなかったですけど英語のサイトでは見つけることができましたけどね。
100年以上前のフィラデルフィア万博に出してたドイツ料理レストランのオーナーでしょ。
本人はもともとレストランをやってたわけではなくインポーターですからね。
絶対情報ないよね。
ほとんどなかったですね。
よく見つけたな。
大変だった。
何をやってるんだと思いながらも。
裏付けとしてはそうだね。
ドイツ系移民ってのもわかればドイツ系移民の人がちゃんとドイツ料理レストランの人から売れたみたいな。
そんなところなのかもわかんないですね。
こだりっぷりがやっぱりドイツ料理出すぞって言ったら
ドイツ産のワインドイツ産のビールが基本ですからドイツ料理を出すのが当然だし
ドイツの文化を楽しんでもらったためにドイツ楽団を呼んでくるとか
装飾もドイツ風にするとか
その辺まできっちりやり込めたのは
彼自身がドイツ系元ドイツ人だからでしょうね。
その辺はお客様の反応が良かったのかもわかりません。
まあそうね。
彼のおかげでハンバーグステーキは全国へと広がることになったわけですね。
影の盾役者みたいな。
この人がその後リッチになったのかそうでもなかったのかはよくわかりません。
知らないです。
最も成功したのにね。
まあどっちもあり得ますから当時のアメリカというのは。
大成功してそのまま不幸の道を歩むこともあれば
大転落することも十分あり得る社会ですから。
受給席ってそういうもんです。
ていう感じですね。
ちょうど年号を見てふと思い出したのは
バックトゥーザーフューチャー3が
確か1885年だよね。
蒸気機関車でタイムスリップするようなあのシリーズの。
あのシリーズの最後。
蒸気機関車が出てくるのは西部開拓時代に行っちゃうから
車がなくてかソリがないから機関車で
88マイルを突破するっていう。
っていうのを頑張ったっていうのがこの時代だった気がする。
まあそうだね。だって1849年ゴールドラッシュなんで。
確かゴールドラッシュ49ersだからそうですね。
そっかそっか。
そっから27年後30年後くらい。
って考えるとあの時代感であってますよ。
そういうことね。
バックトゥーザーフューチャーの世界は西海岸。
西海岸か。
ですよね。
それでやっと建設してたんだ。
東海岸はもうとっくに都市化してますんで。
そうなんだ。
全然東から西へ向かっていくんで開拓は。
そこにはまだ当時ギャップがあったはずです。
そうなんだ。
だいぶ違うんだね。西と東で。
だいぶ違います。
街の作りも全然違います。
そうなんだ。
スケールが。
だって砂漠に1から街を作って
しかももう車社会前提で作る街とさ。
電車だとか徒歩だったり馬車を中心に構成された街では
もうそもそも街の作り違いますよね。
確かに。
そういう感じですよ。
ハンバーグステーキの広がり
さてこのフィラデルフィア万博
もう一つハンバーグステーキにとって大きなインパクトをもたらしました。
もう一つ。
今のお話はハンバーグステーキという概念、料理の認知が広がったという話ですね。
これを効率よく生産するためには
様々な調理器具が必要ですね。
もちろん包丁さえあれば
骨にこびりついた肉をそぎ落として
一生懸命叩いてミンチにするができます。
けど大量調理となるとなかなか大変ですね。
大変だね。
何十人かで1200人分のハンバーグを作るために
何十人かで一生懸命肉を叩くという
ちょっと脅威の絵面が浮かんできますよね。
これ1回転とか限らないからね。
3回転したら3600人だからね。
なんせ延べ1000万人来てますから。
1000万人ですからね。
何割か言っても本当に1万人以上とか10万人以上だもんね。
10%としたら半年間で100万人ですよ。
100万職か。
うちの店でさばける気がしないでしょ。
それは無理だね。
絶対機械欲しいですよね。
ミートチョッパーの発明
ということでここで紹介されたのがミートチョッパーです。
ミートチョッパーイメージつきますかね。
一応台本には写真貼ってあるんですけど。
このぐるぐるするやつね。
螺旋状になってて。
パスタ作る機械にパッと見形状に似てますけど
上から肉入れて横についているハンドルをぐるぐると回すと
反対側からニュルニュルニュルニュルニュルと
パスタが出てくるようにしてミンチ肉が出てくるという機械ですね。
これ使ったことあるよ。
ありますか。
今は電動が当たり前になってきてますけど
当然ですけど当時は電動ではなく手動です。
これが画期的だったんです。
つまり誰でも大量生産が可能になったということですね。
これがもともと発明されたのが
おそらく1840年代じゃないかというふうに言われています。
1840年代。結構早いんだね。
そのぐらいからミンチ肉を使うというのが
一般化して定着していたということなんですね。
前回の話にありましたけども
東海岸のドイツ系レストラン
内緒は一部のイギリス系レストランでハンバーグステーキを出すようになった。
そういった中で手動ミートチョッパーを工夫する人が出てくるんですよ。
おそらくこれは僕の想像ですけど
パスタ製造機に形状がすごく似ているのは
それを改良して作ったのかもわからないですけどね。
確かに可能性ありそう。
可能性としてですけど。
そんなようなこともあって
1840年代に登場した頃は
各自がお手製で作っていたらしいです。
よくある話なんですけど
これは誰々の発明ですって書いてあったりするんですけど
信憑性はあまり高くないです。
そうなんだ。
分かりません。
みんなが同時多発的にいろんなこと考えるんで。
ただこれを1850年代に
商品化する人が現れたんですね。
商品化。
つまりこの1850年代には
結構たくさんのレストランがハンバーグステーキを
メニューとして売るようになったので
レストラン向けの調理器具として
商品化する人が出てきました。
一般家庭じゃなくて
あくまでもレストランの一部に流通するという感じだったんですよ。
確かにミートチョッパーって
家庭で使うにはデカすぎるからね。
そうなんですよね。
そこまで大きいですね。
家庭で食べる量をミンチにするような量じゃないの?
できるのが。
そうですね。
かえってオーバーなの?
一部商品化されて
一部流通したっていうのを言いましたけど
レストランも多いんですが
やっぱり肉屋さんが多いですね。
まあまあそうだろうね。
肉屋さんそれこそ骨に残った肉だとか
筋の張った硬い肉っていうのは売り物にならなくて
細がるわけですよ。
だからチョッパーって言ってね。
昔は人間のことチョッパーって言ったんですけど
トニートニーチョッパーみたいな?
それは人の名前だけど
チョッパーってそういうことですよ。
空手チョップってありますよね。
空手チョップ。
チョップって。
あのチョップって
あの動作がチョップですよ。
叩き切るみたいな。
確かに手刀みたいなやつね。
包丁で叩くこともチョップって言うんですよね。
そうなんだ。
だから叩く人ってチョッパーと言ったこともあるらしいんですけど
ERがついてチョッパーね。
そういうことです。
でそれがもともと包丁で叩いたのを
チョッパーというのを代わりにやってくれる機械が出てきたと。
ということで肉屋さんはロスが減ったので
いい肉をちゃんと売って
安い肉は安い肉として売ることができるようになってくる。
でその固い筋肉の分とかも売り物にできるじゃないですか。
利益率上がりますよね。
上がるね。
ゴミ出ないし。
だから後はね内臓部分。
内臓。
混ぜるんだ。
内臓混ぜるの?
そうなんです。
へー。
他の固い肉の部分とか骨についた肉とか
その辺も内臓とかも混ぜちゃって
でチョッパーでミンチ肉として売ると。
へー。内臓まで入ったの?
安いのでやっぱり。
それで暴利は取らないですからね。
これ安いのでいわゆる労働者にとっては
ありがたい肉なわけですよ。
そうだろうね。
安価に手に入るので。
そういった意味で労働者向けの食材として
ドイツ人コミュニティなどで流通していた肉なんですね。
でその流通させていたのがこのミートチョッパーという機械。
アメリカの料理としての定着
でこれが万博で展示されたんですよ。
しかもこれを使ってできたミンチ肉をどうすれば美味しくなるかも
フィリップのレストランで展示されてるわけですよある意味。
食べたわけですよね。
だから内陸部の人たちや南部の人たちや
いろんな地域の人たちがなんだこれって機械のことを見て思うんですが
あーさっき食べたあのハンバーグ作るやつってこれだって分かりますよね。
だから概念と調理器具がセットで展示されてるもんなんで
これで一気に拡大していくんですよ。
あーそういうことね。
なんか店頭の試食じゃないけど
この道具のサンプルみたいな料理屋がもうあるっていうね。
もうほぼ元祖でしょうねこの辺りがね。
その販売手法の。
かからずもそうなっていたということだと思いますがね。
でこの人気料理とそれを支える調理器具がセットで展示されたということで
この労働社会に適応した人気料理っていう組み合わせですね。
とこの調理器具はある種経済合理性ですよね。
これがパチンとはまるわけです。
で1880年代この万博の後ですよ。
ドイツ系以外のレストランのあちこちでハンバーグステーキが提供されるようになっていきます。
もうそれはイギリス系だろうがアメリカで出てきた新しいレストランスタイルであろうが
イタリア系だろうがもうあらゆるところでハンバーグステーキが提供されるようになっていって
ついに1900年になる頃にはレストランでハンバーグ置いてないところあるのくらいの勢いになっていきます。
そんな勢いで?
はい。もう普通のメニューって感じです。
へぇー。
怖いよね。
そんなにだいぶ侵食された感じがするね。
それほど人気があったしもうまさに庶民の味なんですよ。
はいはいはい。
でこれハンバーガーシズこのシリーズのほんと1話2話のところでお話をしていますけど
ハンバーグステーキがこれでアメリカの料理として定着する。
要はアメリカを代表する料理になっていくわけですね。
あーそうなんだ。
アメリカにハンバーグはないのシリーズでちょっとお話しましたけどね。
こういった経緯でなりましたよということでこの当時当然ですけどレシピを見ると
このミンチ肉には玉ねぎのみじん切りそれからニンニクとかねそういったものが混ざっています。
でこれを成形してバターソテーにするという感じですね。
バターソテーなんだね。
はいらしいですよ。
まあ確かに内臓とか入ってたらニンニク入れたいよね。
玉ねぎとかね。
そうだね。
まあもともとフリカデで入ってるしね。
まあ確かに。
やっぱグリル炭焼きグリルとかってもできなかないんでしょうけど
おそらくまあそういうのはバーベキューとかそっちの東海岸南部の文化と混ざっていったとか
そういったことなんじゃないかなと思うんですよ。
基本はやっぱ鉄板です。
鉄板ね。
グリドルで焼くっていうのとかあとフライパンで焼くっていうのが一般的ですよね。
だってステーキだもん。
まあステーキだもんね。
ハンバーグステーキの朝食文化
でこれをみんな自宅でやるようになったりとかレストランでやるようになっていて
でだいたいプレーンステーキ状にして朝食に食べるとか
ソースを添えてディナーのメインディッシュにするとかそういう感じになっていきます。
いいですかもう一回いきますよ。
ディナーはメインディッシュとしてハンバーグステーキが食べられる。
で付け合わせに焼き野菜とかマッシュドポテトとかフライドポテトとかそういうのが付くわけなんですが
プレーンステーキにして朝食にするんですよ。
えっ朝食にするの?
もう一回言いますか。
朝からハンバーグです。
朝からハンバーグ?
が割と一般的に広がっていきます。
そんな肉食文化なの?
そうなんです。
もともとヨーロッパ大陸でそうだったかというとそうではないです。
これはねあくまでも工業大国を目指している社会いわゆる産業革命をきっかけとした
工業化の流れでこの文化が表に出てくる感じなんですね。
どこかのシリーズで多分お伝えしていると思います。
多分佐藤のシリーズか何かだと思うんですけれども
工場労働をする時に体力をつけなければいけない。
たくさんエネルギーを摂取しなければいけないのでもちろん甘いものも流行るんですけども
パワーモーニングという文化が出てくるんですね。
それまでの農業中心社会であれば
お腹が空いたらその辺に果物が生えてたりもしますけど
最悪農場と自宅っていうのは隣接してますので
お昼ご飯になったら戻って食べるのが当たり前の社会なんですよね。
映画だとよくあるよね。
日本でも当たり前ですけど農家さんはそういう生活をしますよね。
ただ工場労働者や勤め人ですね。今でもそうですけどサラリーマンなんかは
自宅から離れて会社に出勤をするというようになるので
朝しっかり食べておかないとランチまで持たないんですよ。
そこでパワーモーニングというのが出てきて
それの原型はブリティッシュブレックファースト
イギリス風のブレックファーストで
パンとかジャガイモにプラスベーコンとかハムとか
少し温かいものを食べる。
これに対してコンチネンタルブレックファースト
大陸型フランスとかドイツとかの方では朝はパンとコーヒーだけみたいな。
なぜ大陸がそうかというとそれは工業化もしてますけど
基本的にはやはり広大な農地があって農業大国である。今でも農業大国ですよね。
なのでそういう軽いモーニングでスタートして働いてご飯を食べるっていう
そういうランチでしっかり食べる環境があるところはそれでいいんです。
アメリカは当時イギリスに追いつけ追い越せっていう機運が高い状態で
とにかく工業立国で世界一目指すんだっていう時代ですから。
そうすると朝から肉食べるということがだんだんと出てくるわけですね。
ちょっとその工業化についてはまたおいおいこのシリーズのどこかで
もう少し詳しくお話をしようかなというふうには思っております。
ということでついにアメリカ全国にハンバーグが広まったわけですね。
これが土壌なんですよ。これがあちこちにあるということで
ハンバーガーの歴史
これを挟もうという人がいろんなところで出てくるわけです。
確かにまだハンバーグだもんね。
つまり確率が上がったわけです。
イノベーションの確率が上がった状態ですね。
普及しちゃったからねハンバーグが。
そういうことです。
俺の朝食は未だにこの当時の人と一緒なの俺ね。
アメリカンブレックファースト。
朝普通に俺ハンバーグがあったらハンバーグ食べるからさ。
消化不良を起こすリスクを抱えますので気をつけてくださいね。
毎日じゃないけどね。
日本人が朝からガツンと食べて胃もたれを起こしにくいのは
植物性がすごく強いからです。
昼まで持たないからさ。
だから皆さん一般的にはですよ。
一般的にはご飯と味噌汁とかそういうのでしっかり食べて
タンパク質をして卵焼きだったりとか焼き魚だったりとか
ちょっと合成だとつくみたいな感じなのが和食ですよね。
油が少ないんでね。
そっか。うちの業態でいいのはあれなのか。
そもそも昼ご飯が2時とか3時だからか。
そうだと思います。
朝俺今6時半とかに食べるからさ。
持たないよね。
若いうちはいいんですけど
これは個人の見解とかではなくて
全体的に歴史上そうなんですけど
朝から油物食べると結果大量の人たちが胃を壊すという現象が起きますから。
気をつけなきゃ。
それはアメリカ社会でももちろんこの後出てきますね。
はい。ということで次回は
挟むことを始める人たちの前提の話をします。
前提ね。
そもそもサンドイッチってなんだ?どっから出てきた?
っていう話からちょっともう一度
18世紀に遡って
イギリスのサンドイッチの話をしようかなと思っております。
せっかく19世紀まで来たけどまた戻るのね。
大体19世紀、18、19、20世紀を行ったり来たりしながら
ハンバーガーを深掘りしていくという感じですね。
そうか。
ハンバーガーになるまでは大変だったんだね。
大変なんです。いろんなものが組み合わさった結果なんです。
だから言ってるじゃないですか。
アメリカのエスニック料理は根欠だって。
言ってたね。
ハンバーガーはドイツ系のハンバーグステーキと
イギリスのサンドイッチの根欠なんで。
なのでもう一歩のサンドイッチという概念をやっとかないとね。
理解ができませんから。
ということで次回をお楽しみにということですね。
ということで今回はこの辺で終わりたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
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みんなの応援待ってます。
それではサポーターコミュニティでお待ちしています。
ってそんな感じ?
めちゃくちゃガチだよ。
何が何でもいろんなパターンでやってみただけ。
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