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はい、年明け第一発目ということで、みなさん明けましておめでとうございます。 明けましておめでとうございます。
はい、では前回からの続きをお願いします。 はい、ビールが日本上陸と。
はい。 はい、ところでタクは正月ビール飲みましたか?
飲んだね。 飲みましたね。 飲んだ。
多分ほとんどの日本人、年末年始ビール飲んでるんじゃないですか?
まあそうだろうね。 何ビールですか?
何ビール? まあサントリー。 ラガーですね。ピルスナーラガーってやつですね。
僕はあえてあれですよ、ヴァイゼンとかね。 ヴァイゼン?
あとギネスのスタウトとかね。 飲んだね。
買って飲んでみましたけど、やっぱり全然味は違いますね。 違うね。
これが元々だったんだと、改めて感じましたね。
そんな日本のビールがなぜ今の形になっているのか。
ルーツはですね、きっかけは1853年。 1853年。
黒船来航から始まります。 ペイリーさんですね。
日本開国してくださいよ。あったよね。 それフラッシュだね。
昔は懐かしかったね。
それがあって、そこでね、まず日本開国するじゃないですか。
こことここの港OKよっていうことで決められるのが、下田と函館。
下田と函館。
下田の場所わかりますよね。 もちろん静岡県なんで。
いずですよね。そしたら外国の方々が遠いって。
どこに? 東京に。
東京にね。 基本的に開国したら商売したいわけじゃないですか。
遠いわって。ごねまくって。
当時川崎宿があったので、川崎を予定してたんですけど、ちょっと海から離れてるじゃんとか。
あと海道そのものだと色々とめんどくさいと。
外国人見たことのない日本人のところに、その街にですよ。
いきなり黄毛人、壁岸の外国人がうわってきたら、ハレション起きるじゃないですか。
というのを心配した幕府は、当時何にもない漁村だった横浜という漁村に。
漁村だったんだ、横浜って。 何にもない漁村を開港します。
そうなんだ。 ここに外国人居留地って言って、
外国人が住んでいいのはこのエリアだよっていう場所を作っていくんですね。
これが後々神戸とか、他の開港されたところにも外国人居留地っていうのが出てきます。
だから今の横浜って見るとすごく西洋感たっぷりじゃないですか。
古き良き日本の江戸時代の文化がない場所に外国人居留地作ったから、あなってるわけですね。
あれは最初っからなんだね。 そういうことです。
ここで読んでておおやっと思ったのが、外国人居留地に住んでいる外国人のうち約半数がイギリス人なんですよ。
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イギリス人。 ペリーさん何人でした?
ペリーさんアメリカ人? アメリカ人ですよ。
アメリカがやってきたのに、あれイギリスばっかりでアメリカ人あんまりおらへんって。
これね、二つ理由があるんですけど、もともとアメリカは太平洋で捕鯨をしたいとか、
あと中国と貿易をしたいっていうのが目的で、その中継地として日本を使わせてくれと。
ああ中継地なんだ。 だからそこまで日本にこだわってないっていうのが一つと、
あと大事なのが黒船来航直後、南北戦争起きるんですよ。
アメリカの中で内戦でドッタンバッタンしてるんですね。
もう外国と貿易やってる場合じゃないって。
いうところにちゃっかりイギリス人がドーンと入ってきます。
ちゃっかりしてんな。 ここに数百人住むようになっていくんですけど、
そうするとイギリスが植民地にしていたインドとか他の国々と同じように、
イギリス人がこうやって住むじゃないですか、ビール飲みたいねって。
ねえのかよ日本って。 インドの時と一緒だね。
そうなんですよ。この時代はバス車とかオールソップ車がIPA、インディアンペルエル作って輸出してますから、
インドまで来てるんでもうちょっと足伸ばせば日本来れますよということで、
当然ですけども外国人居留地で一番最初に販売されたのはバートンのバス車とオールソップ車のエールです。
当たり前ですね。ところがどっこいわずか20年もしないうちにラガーになっていくんですけど、
この外国人居留地には商人がいっぱい住んでるわけですね。ここで貿易をするんですけど、
ここの商社で働いていたウィリアムコープランドっていう人がいるんですよ。
ウィリアムコープランド。 全然覚えなくてもいいと思うんですけど、
この人ねノルウェー生まれノルウェー人で国籍はアメリカ。ややこいなあ。
でドイツ人でドイツに行ってドイツ人にビール作りを学んだ。よくわからんけど。
でなぜかビール作りじゃなくて商社で取引やってた。 作ってはないんだね。
作ってないんですよ。そしたらそのうちに商社が倒産するか何かして解散しちゃうんですよね。
商社自体が。 商社自体なくなっちゃった。どうすっかね。
この人もともと一攫千金を狙って海外まで飛び出してきたような人なので、職人借りでどうこうとかそういう感じではなくて、
よっしゃ一山当てたるぜという感じで来たのに会社なくなった。で俺ビール作れんじゃんって。
ビールは作れたんだそれでも。 そう元々ドイツでねビールの醸造学学んでるんで。
ああそこは学んだんだね。 元々技術持ってたんですけどなぜか商人をやっていて。
その商人としてやっていけないんでじゃあビール作るかね。日本産ビールないから。
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ということで1870年スプリングバレーブルワリーという醸造所を作ってそこでビールを作り始めるんですけど、
このコープランドさんドイツ人にビール学んでますよね。結果ラガーなんですよ。
まあ自然だよね。 自然的に。で日本は香水が手に入らないですよね。
確かに香水がポイントだったね。 逆に軟水ばっかりじゃないですか。
結果ピルスナーにしかなり得ないんですよね。普通に作ったら。だからもうコープランドさんがビール作った時点でピルスナーラガー確定です。
これをねこの人詳細全くないんだよ。あっちゅう間にね倒産すんの。
また倒産すんの? もう10年とかそこらしか持たないんじゃないかな。
短いね。 14年ぐらい頑張ってその倒産した跡地をジャパンブルワリーカンパニーっていう会社にするんですよ。
これちょっとメモしないから忘れちゃったけどイギリス人とかアメリカ人の富豪とかそういうお金持ちの人が買い取ってジャパンブルワリーカンパニーという会社を設立します。
この会社の国籍自体はイギリスもしくは香港に置くみたいな感じなんでイギリス系の外資系会社ということになりますね。
ちなみにねここに株主で出資してる人に有名人いるんですよ。渋沢栄一。あとね岩崎矢之介。 矢之介。
岩崎八太郎ってわかるよね。あの人の弟なのよ。 そうなんだ弟いたんだね。
八太郎の次の社長。三菱財閥の。この人たちが出資してます。 大御所だね。
ここが実は日本で作り始めたビールの最初になるんですね。この会社後々私たちを知ってる超有名企業になっていきます。
このジャパンブルワリーカンパニーで発売されたビールが翌3年後ですね1888年にブランド名キリンビールとして発売をします。
キリンビールなんだ。 そう。会社の名前はジャパンブルワリーカンパニーなんだけどブランド名がキリンビールだった。
ブランド名? そうそうそう。どうやら名前の由来もこんな適当なつけ方なのかと思ったけど海外製のビールってロゴがわりと動物使ってたらしいんですよ。
じゃあうちも動物のロゴ使ってビール作ろうぜってなって何がいいかな何がいいかなってやっぱ東洋のそういうちょっと架空のペガサス的なやつ。
これ持ってきたらかっこいいんじゃないかなって。じゃあキリンって。 キリンなんだ。 そうみたいよ。
キリンってあれ東洋のやつなの? 東洋の霊獣ってバクとかさ。ライオンとかも獅子になってよくわかんない中国風の絵になったりするじゃん。
あれのキリンでさ馬みたいなやつあるでしょ。これだと。 ああそういうことなんだ。だから未だにああいうちょっと神格みたいな動物使ってるんだね。
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あれがもう初期からずっとそうみたいな。 初期からなんだね。
でねこのビールを販売するにあたって当時の日本の条約上で外国籍の企業が直接全国に販売をすることができない。
外国籍はできない。 そう今でもそうだよね。普通に外国の人が来てガーンって日本でガーって販売することができないから代わりに日本の販売を行う代理店とかが挟まるじゃない。
はいはいはい。 でここでねやっぱり総代理店が入るんですよ。その人も実はこのジャパンブリュワリーカンパニーの株主になってくるんですけど明治屋さん。
明治屋さん。 明治屋って聞いたことない? 明治ってあのお菓子の明治? ではないんだけど。明治屋ってね今でも大きな企業としてあるよ。
ええそうなんだ。全然ちょっとわかんないわ。 東京駅の近くに今でもすごくレトロな感じの歴史感あふれる建物があってそこが本社で
輸入食品を扱っている会社なんですね。今でもそうなんですよ。この時総代理店を包めたのが明治屋。
元々輸入食品の取扱いをしていたのでちょうど良かったんでしょうね。一手に明治屋が引き受けます。
ここから10年弱して会社名が変わるんですね。っていうのも外国企業から日本国籍企業に切り替わるタイミングが来るんですよ。
変わるんだね。 一番最初のホッキニの人たちが手を離すので、我々日本人でやろうぜっていうのが1907年会社名がキリンバクシュ株式会社。
キリンバクシュ。キリン自体が海外製なんだね。 そう元々ね。いきなり日本の会社になる時にブランド名が社名になるんだよ。よくわかんないんだけど。
これキリンビール作ろうぜってホッキニになったのが明治屋の2代目の社長と3代目の社長なのよ。話一気に現代飛んじゃうかもしれないけど、この明治屋さんすごいやり手で中央亭っていうフレンチレストラン作るんですね。
フレンチレストラン。 明治40年、41年だったかな。今でもその場所でモルチェっていうフレンチレストランがあるらしいんですけど。
これ中央亭の時に自分とこで輸入してきた食材を使ってフレンチを作る。そこでビールを提供する。
そこでガチャンコして商売するみたいな。 そうなんです。当時まだ外国産の食材とかビールっていうもの自体が日本人に馴染みがないじゃないですか。
広告か。 そう、アンテナショップ的な体験場として、しかも高級フレンチとして。しかも6名間で働いていたすげえフレンチの人連れてきて。
で、岩崎矢之介とか大久保利道とか伊藤博文とかにも振る舞って。で、奥橋家の子どもが食べて、これはすげえなと。これビールいいぞ。やろうやろうやろうやろう。
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なんかすげえ歴史上の偉人いっぱい出てくるんだけど、その人たちを中央廷に呼んで、よしキリンビール頑張ろうみたいな感じで発祥するのがキリンビールなんです。
キリンビールそしたらバッグすごい人たちついてんだね。 そうなんですよ。だから外国から来て日本の財閥たちがバッグについてドンっていった感じのがキリンビールさん。
この流れが一つあるのともう一つ別のルートがあって明治政府の意向が強く働いてドイツ化していくんですよ。
ドイツ化していく。 明治新政府めちゃくちゃドイツかぶれなんで。そうなんだ。
なんでやって。そもそも大日本帝国憲法ってドイツの憲法を真似して作ってますからね。
多分学校の教科書かなんかでチラッと見たと思うんだけど、これきっかけになった人がやっぱりいて、まず最初に青木修造という人を語りますね。
青木修造。 誰って思うでしょ。 誰か分からん。 俺も今回誰って思った。
この人ね長州藩。吉田松陰とか高杉晋作がいた長州藩の出身で学問学んだところも明林館ですね。
明林館。 明林館有名だよね。反抗明林館。ちなみに明林館出身者はもう有名人ばっかりですよ。吉田松陰でしょ。高杉晋作でしょ。
かつら小五郎、後の木戸孝之ですよね。井上薫とか野木稀助とかすごい人たちが出てるところにこの人もいたわけですよ。青木さんは他の人たちと違って医学の道に進みます。
医学。 医学を学ぼう。東洋医学ではなくて西洋医学の方に振っていくんですね。開国したのでこれからは西洋の医学を学ばれ学らん。ということで長州藩の使品でもってプロイセンに留学します。
プロイセンね。 これが1868年の出来事です。このタイミングが絶妙で1870年、青木さんがプロイセンに渡った2年後、不服戦争が起こるんですよ。ピントきてないっしょ。
プロイセンか。 プロイセンvsフランス。当時のフランスはブイブイ勢いの乗ったナポレオン三世の時代ですね。オナパルトの孫ですね。我が輩の辞書に不可能という文字はないって言った人の次の次の人。
一応ねナポレオン三世頭の片隅、いずれワインやった時にチラッと出てくるから入れといてください。このナポレオン三世率いるフランス軍対バラバラだったドイツの一国のプロイセン。
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シンセローマ帝国あるんですけど、フワッとしてる状態で一番力持ったプロイセンがドイツ民族みんな集まった方がいいよねって言って両方国家をみんなまとめて戦うわけですよ。なんと見事にフランスを撃退してナポレオン三世も捕まえてローに遊兵してみたいなぐらいめっちゃ勝ちするんですよ。
そんなにちゃんと勝っちゃうんだね。 むっきり勝って勝ったことによってドイツ帝国ができるんですね。 そこでドイツなんだね。
死にせのフランスとか他の国々がある中で新興勢力ドイツ帝国がボコンって出てきてイケイケでベンチャー企業のようにウワーって盛り上がってるんですよ。この様をこのアオキシューゾーという人は見てたんですね。
しかも有名なビルヘルム一世とか最初ビスマルク。どっかの回でちょろっと出てきた?何の回か忘れたけど。その人たちがいてその人たちの影響も受けていってこれからの日本はこのドイツ真似した方がいいよねっていうのを感じてるんです。このアオキさんはすでに。そこへですよ。
岩倉施設団がやってくるんです。 有名な岩倉施設団。
岩倉施設団。 岩倉施設団を大使として大久保敏道、木戸孝義、伊藤博文。この人たちが全部で12カ国を視察するのかな。
そんな回ってたんだね。 そうなんですよ。まずアメリカ行ってイギリス行ってフランス行ってドイツ行ってみたいにしてぐるぐる回っていくんですね。
だからもう日本の近代化のためにこれから西洋列強と戦っていくためにはもう一回学ばればならんのと。これすごいよね。日本のトップがさ、今で言う総理大臣自らが行くんだよ。
すごいよね。 ね。大久保敏道なんかはすでにこの時内務卿ですからトップなんで行ってるんですよね。でドイツに行った時にアオキ修造と会うんですよ。
会ってんだ。 なんでか。木戸孝義一緒にいるもん。同じ長州人なんですよ。この人かつら心ですからね。元。会っちゃうんですよ。話を聞くし、でアオキさんはドイツに留学してるんでドイツ語喋れるわけですよね。
この人がいろいろとあちこちを紹介して歩いたりとか、あっせんをしたりしてくれるわけなんですよ。で国の代表が来ているのであのビルヘウルム一世とビスマルクとモルトケっていう将軍が晩餐会に呼んでくれるんですね。したらもうこの大久保敏道だとか伊藤博文だ、木戸孝義らがいやビスマルクすげえって。
そこで感銘を受けるんだ。 そうなんですよ。もうヨーロッパの金庫を一人で保ってた天才ですからね。うわあすげえドイツやべえってなってここでみんないっぺんにドイツかぶれかしていくんですよ。
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単純ファンだよね。 もうファンになっちゃってて。たぶん新興国日本と新興国で成功したドイツ。これをイギリスマネーしようとするとちょっと大変なんですよ。産業革命ってもっと昔からもっと早い段階で起きてるじゃないですか。
ああ確かに。 このステップをずっとやっていくには日本ちょっともう無理なんですよ。歴史が200年とかあるから。フランスもそうなんですね。フランス革命やりますかってできないじゃないですか。
ちょっとね考え方も違うしね。 そこで考えると今ボンって出てきたプロイステムを真似した方がボンって出始めてる日本としては都合がいい。
というのもあって一気にこれはもうドイツ型で行くしかねえぞっていうふうに振り切っていきます。この人たちが日本に帰ってきていろんなごちゃごちゃやるわけですよ。井上カールが出てきたりなんじゃかんじゃするんですけどそれはちょっと置いといて。
何をやり始めたかっていうとドイツに学べっていうことでいろいろと留学生をドイツに送り込むことをするんですね。若い人ちょっと向こう行って勉強しようかみたいな。その中の一人に森林太郎という軍医がいるんですね。
軍の医者さん。 軍の医者さん。この森林太郎さあ誰だ。ペンネームが森鴎外です。森鴎外はこれでドイツに渡ることになります。
もともと医学を勉強しに行ってるのでこの人いろんなところ行ってるんですよドイツの中で。結構ミュンヘンの郊外の宿に泊まっていて公園から見ていたらなんかどんちゃん騒ぎが聞こえてくると。なんだこれはって外からぱっと覗いたらオクトバフェストやってるとかね。もうすげえなとか。
見てんだね。 修道院に行ってなんかプロジェットとか言ってる乾杯とか言ってるのに混ざったりとかしてますねこの人ね。 まあ現地住んでたら混ざるよね。 結構ね割とこの人やんちゃだったっぽいっすよ読む限り。
小説は何にとも静かなのにわりかしワーって学生生活延長してる感じ。 ちゃんと楽しんでるね。 ちゃんと楽しんでる。で鴎外の出番これで終わりなんだけど。
まあかすったぐらい。 ここからねいっぱいいろんな人がドイツに行くんですね。でドイツに行った先には青木さんが待っていてこの青木修道が留学生総代って言ってまあいわゆる元締めみたいなことやってるんですよ。
で受け取ってみんなの面倒を見ますってやってるんだけどこの人結構ねぶっ飛んでるんであのねもともと自分が留学した時も医学の勉強に行ってるのに班のお金で行ってるにも関わらず班の了解取らずに医学じゃなくて政治学に学科変えちゃったりとかして結構怒られたりするんだけどこれ同じことを受け取った留学生にやらせるんですよ。
ダメなやつを。 軍事とか医学生をいやちょっと君は林業を学んだほうがいいね君はパルプ作るところを学んできたらどうだって勝手にもう学校に交渉して学部変えてっちゃうんですよ。
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自分も大学に長いこといるから教授と婚姻だしなんなら学長とも知ってるからもうバンバン変えてっちゃう。君はビール産業やったほうがいいよビールのほうにマイスターになれっつって勝手に送っちゃうんですよ。まあ伊藤博文とか青木さんのこと好きじゃないから何だよあいつ先輩だけど鬱陶しいなあいつとか思ってるんですよね。
そんな感じ? そんな感じなんです。青木は青木で信念があって軍事医学も絶対必要だし政治学も絶対必要だけどこれからは海外の近代化された産業を学んで日本も産業的に勃興していかないとダメなんだとそういう理念があるから林業だとかパルプだとか製鉄だとかビールだとかそういったものを学ぶべきだと。
なんでここにビール入ってるのか知らんけど ビールは入れたかったんだね 入れたほうがいいと思ったんだろうねこの産業的に。でここからこの青木周蔵が手紙を日本に送るんですよ。この送った相手というのが黒田清高。歴史上で有名なのは第二代総理大臣として。
総理大臣だったんだね とかね。あとは函館の五稜郭の戦いの時に新政府側にいたのがやっぱり黒田清高ですよね。 五稜郭の戦い。わかんないわ。
わかんないよね。肘方俊三が最後に戦死するところですよ。函館の戦いね。それはまた本読んでください。好きな人しかわかんないかわかんないね。
全然かすりもしなかった。 黒田清高という人は北海道開拓史次官。当時。 次官。
次官。北海道開拓史っていうのは今で言う省庁みたいなもんですね。なんとか省とかなんとか庁みたいな感じで北海道の開拓しますよという省庁なんですよ。
あったんですよ。でここの次官を務めていたのが黒田清高。薩摩藩出身。この人に対して送った手紙が黒田藩これからはビール作った方がいいと思うんだ。
僕の手元にねドイツ式ピルスナーラーガーを学んだ中川聖兵衛君がいるから是非彼を送るので北海道の地でビール醸造を始めたらどうだいということを送るわけですよ。
で黒田清高は結構熱い人なのでよしわかった言って引き受けるんですね。でも早速中川聖兵衛さんは北海道に行きます。ドイツから一気に北海道です。
すごい強制的に行かされたね。 行っちゃったんですね。これあれですよね。さっきの青木がお前はビール醸造学学んだ方がいいって言われた人ですよね。
で1876年ついに札幌開拓市醸造所ができます。 札幌開拓市醸造所。
省庁の名前がついてるんでいわゆる国営の醸造所ですよね。ここに中川さんが入ってで走行してるうちにその後数年で開拓市自体が解散するんですね。
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そんなに開拓しなくてもあとは民間で任せますって言って国としては引き上げて県庁みたいなところ道庁にお任せして引き上げていきます。
この醸造所どうするんだってなるからこれ民間払い作業するんですよ。で1887年札幌博士株式会社が誕生すると。
札幌博士株式会社会社がするんだねちゃんと。 そうなんですよ。これがあの札幌の前身です。
札幌ビール。 ちなみにこの札幌博士株式会社に民間払い作業の時にお金を出した財閥が3つあるんですよ有名なところが。大倉財閥、浅野財閥、そして渋沢財閥。
渋沢財閥もちゃんとあったんだね。 そう渋沢ビールの会社2つに投資してるんだよね。ちゃんとお金出してるんですよ。これがなんか面白いなと思って。
これだけ国全体がドイツドイツ右を向いてもドイツみたいになってると結局ビールもやっぱドイツ化していくんですよね。
これ面白いのがねジャパンブリュワリーカンパニー霧の前身を作った時もこの札幌博士株式会社ができた時もこれね2年ぐらいしか違ってほぼ同時期なんですけどね。
この時にもう1回ドイツの最新技術を学び直してリンデが作った最新式の冷凍機ありましたよね。ああいう機械類を大前働いて買ってくるんですよドイツから。
借金しても買うんです。ガンガン買ってなんならドイツからさらに先生呼んでくるんですよ。 そこまでしたんだ。
中川さんがいるのにさらにマイスター呼んでくるみたいな感じですね。 信用してるはずだけどな。
でどんどんラガー化していくんですよね。これがおもろいなあ。でこの間ねエールはどうしてたかっていうとあるんですよ。
ちっちゃい個人醸造所が例えば大阪の渋谷醸造所とか交付の方にも醸造所があったりとかしたんですけど淘汰されてっちゃうんです。
そんなラガーが強かったんだ。 ラガーが強かったこれね面白かったのがね今はこの政治的背景とか社会背景の話でドイツ行っちゃったよって話からのラガーだったんですけどどうもエールというビールの味がね日本人に合わんかったらしい。
特にIPAだからちょっと苦いんだよねそれもあってたと思うんだけど当時の新聞かななんかの書評があってエールのことをね苦くてくどい強烈な味わいって書いてある。
まあ下に合わなかったんだろうね。 これ現代語訳するとすごく美味しそうになるよ。ホップが効いた濃厚なドライビール。
美味しそうだね。 美味しそうでしょ同じもの飲んでるわけだから基本的にそれを当時の人たちはうわ苦っなんじゃこの強烈なやつって思ってたっぽいね。
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まだ馴染みがなかったんだ。 そうですね多分元がその日本酒だとか焼酎の文化のとこいきなりこれが来るからちょっとギャップが大きすぎたんでしょうね。
ところがラガーは1回エール1クッション入れてるんでしかもラガーの方が甘くて飲みやすいんですよねスッキリしてて。
でスーッとラガーに寄ってく感じ。 じゃあエールなかったらラガーは流行んなかった。 どうなんでしょうね。 まあ微妙なところか。
いずれにせよピルスナーにはなったと思うんですけどね。南水だしそもそも。その辺の味の影響もあり国家の政策もありどんどんドイツ化していって結果ピルスナーラガーが一色になっていく。
でもこれってさまだそこまで一色じゃなくても良くないって感じがするんですよね。 一色じゃないとっていうのは? 他にも醸造所ができて今でもいっぱいクラフトビルってあるじゃないですか。あればいいのに。
あああればいいと思う。 あればいいと思うじゃないですか。これがねあったんだけど消えてなくなっちゃうんですよ。 ああそんなに売れなかったのかな。
売れなかったのともう一つ力負けするんですね。1889年に大阪爆酒という会社ができます。ちなみにこの大阪爆酒が販売していたビールのブランド名が朝日ビール。
朝日ビールって大阪なんだ。 会社の名前じゃなかったんだよね。漢字も関数字の9に太陽の日の字書いて朝日あるじゃないですか。あれで朝日ビールね。そっから4年後の1893年日本爆酒。日本爆酒は恵比寿ビールですね。
ああ恵比寿。 元々恵比寿ビールって面白くて販売を始める前は大黒天ビールっていう名前で販売しようとしたらしいんですよ。大黒天の方で七福神のね。そしたらだいぶ初期の頃から横浜に大黒ビールがあったっぽくてもう名前被るやん。ということで七福神でちょっと隣くかすって恵比寿ビールに。
七福神からは外れたくなかった。 みたいよくわかんないけど。 そういうこともあんだね。 なんだろうねこれね。割と恵比寿ビールは明治の初期の段階もうできて初期の段階から外国人から飲んでもこれうまいビールだなって言われたっぽいですね。これでもうだいぶ揃えましたよね有名なところが。でこのビール醸造所のうちの大半がガッチャンコするんですよ。
ガッチャンコする? キリン以外の今言ってきたのね札幌爆酒大阪爆酒朝日ね日本爆酒恵比寿ねこれ3社統合するんですよ。国の主導で。国が旗振りをして1906年大日本爆酒という会社ができます。
またストレートだな。 これすごいよ国内シェア65%だからね1社で。
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いや独占禁止法どこいった? ない。これはね外国に負けないぐらいの産業にこのビール産業を育てたいという。
まあ国家事業としてね。 そうそうそうなんですよ。今ねこの時代って西日の間ぐらいの時期なんですね。国力を上げて海外に向けて輸出をしたりとか産業を勃興させていって強くなっていきましょうっていう国の政策があるんですね。
なんならこの大日本爆酒って例えば中国にイギリス資本だったかなドイツ資本で作られてたビール会社が中国国内にあったんですけどそれも買収してます。
ちなみに今の社名でいくとチンタオビールですね。これを買収したりとか。
あと服の替えでちょろっとできたかな。伊藤博文が韓国の大使やるじゃないですか。あの時代感なので韓国今の朝鮮半島ですね。朝鮮にビール会社を作ります。
ハイトビール。韓国最大手のビール会社ですね現在。あのハイトビールは大日本爆酒が作った会社なんですって。
バリバリでかくなっていって1906年創業なのでその後1914年から1918年に世界的大事件が起きますよね。
これはもう先に言うと第一次世界大戦ですね。ヨーロッパしっちゃがめっちゃかなわけですよ。
100万人とか1000万人とかなくなりますよね。今度大マーケットのアメリカがビール買いたくても買えなくなるわけですよ。
戦争で? 戦争でヨーロッパから物を買えなくなるから。ビール足んねえなって日本から買ってくれるんですよね。
そういうこと。 でアメリカに対して日本の輸出額がドーンと上がるんですよ。
まあそうなるか。 思わく通り大日本爆酒はわーって力をつけていって
ここから入ってくる税金が国の税収になっていくっていうこういう循環ですよ。
ちゃんとわかってたのかな。 狙ってたと思うよ。
そういうことだよね。 アジア圏の他の国々も抑えてビールを出荷してますからね。
これを抑えてどんどん力をつけていってここから何十年か経った後ですけど第二次世界大戦が起きますよね。
この軍事力の後ろに財閥系の財力がありで行きますよね。で負けちゃいますよね。
やっぱ財閥とかあるとさ、なんか力が偏ってよくないよねってアメリカっていうかGHQが言い出すわけじゃない。
財閥買いたいって聞いたことある。ググったらわかるけどいろんな今有名な企業は元財閥の中にあったみたいなのあるじゃないですか。
この時にできた法律昭和29年ですけど、めんどくさいなこれ漢字で読むと過度経済力集中排除法。
過度な経済力集中するのを排除する。 そういうことですね。なんでこんなにしちゃったかな。わかんないけど。
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漢字だらけだからな当時。 財閥解体法って言ってるのは財閥だけが対象なのに
財力が集中してるところは全部解体するよって話になったので、どさくさまげに大日本博士を解体されるんですよ。
大日本博士もなんだ。 おぼっちりみたいな感じでね。確かにシェア65%ですから。
ちょっとやりすぎ。じゃあやりすぎだね。 やりすぎ。これ東西の2社に分割されます。
西 朝日ビールで朝日ビールを売ります。東 日本ビールで日本ビールを売ります。
朝日ビールはそこそこ関西方面に地盤があったんで良かったんでしょうね。
日本ビール全然売れるのですよ。 売れないんだ。 キリンさんいるんで。
キリンはまだキリンだけでいるのかね。 単独でいるから強いんですよ。しかも明治屋さんバックについてるんで強いんですよね。
日本ビール売れんなって言ってたら北海道がもともと地盤じゃないですか。
地盤の北海道でやっぱり札幌ブランドのビールがいいよね。札幌ビールがいいんじゃないのっていう声が消費者側から出てくるんですって。
そっちなんだ。 それをまとめて旗振りする人も出てきて運動化してくるんですよ。よくわかんないけど。
どんだけビール好きだったんや。 プライドとかホコリみたいな感じなんじゃないですか。
あったんだろうね。開拓時代だからね。ちょうどね。
したら日本爆酒の方々もじゃあとりあえず地元おひざ元の札幌は札幌ビールで販売してみましょうって言ったらバカ売れするんですよ。
名前変えただけなのに。これは?ってなってその直後日本全国札幌ビールに変えます。ブランドを。
そういうことね。 そっから後々札幌ビールの名前通ったし日本ビールって誰も知らないから社名札幌ビールでよくねって。
まあそうだね。日本ビール発売してなかったら一緒だよね。札幌ビールで。
そうなんです。ということで今まで出てきたビールの醸造会社。
ジャパンブリュワリーカンパニーはブランド名のキリンビールに会社名変わるし、札幌も札幌ビールになっちゃうし、朝日も朝日ビールになっちゃうしみたいな。
結局ブランド名が社名になるっていう流れをずっとやってきてますね。
それで今のブランド名の会社が出来上がったんだね。
これだけ強いブランドのビール会社がドコドコドコって出てくると、当然ですけどちっちゃいところが立ち行かなくなってくるんですよ。
まだビールの文化っていうのが日本全国に浸透しきるかどうかっていう過渡期ですから、ちっちゃいところって自然淘汰されやすいんですね。
結果本当にちっちゃいところの中のいくつかが残るだけでエールとしてほとんど消えてなくなっちゃう。
結果ピルスナー主流の国になっていく。
まあ元はねスタートがでかいんだよね全部。 そう。
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そのビールの会社自体が。
だってさこれ今ザーッといろんな会社出てきたけど、ちっちゃい醸造所として名前が出てきたのってスプリングバレーブルワリーだけだよ。
あともうみんな政府とか財閥の力でいきなりでかいのスタートだよ。
そうだねもう国会事業だもんね。さすがに国会事業に対して一焦点みたいな出発ルールじゃ勝てないよね。
そうなんですよ。
他の焼酎とか日本酒みたいにさ同時的に歴史を積んでってわけではないからさ。
そうなんですよね。本当はこれ次回話す予定だったんだけど、ここには裏っかで種税法の関係もあるんですよね。
税金かけられてでかいですよ税金がまたビールって。
うーん。
そしたらやっぱりちっちゃいとこ耐えられないのよ。
ああそうなんだ。
そういう背景もやっぱりありますよね。
税金ね。税金どのくらいかかってんだろうね。
日本のビールの税率ですか?ひっくりかかりますよ。現在でも。
そうなんだ。
だいたい半分くらい税金ですかねあれ。
え?半分?
はい。
なんかタバコみたいなのね。
ああそうそうそうそう。日本酒とか焼酎ってそんなに高くないから。
ああそうなんだ。
なんならウイスキーのが若干税率低いくらいなんで。
へえ。
なんでビールこんなに高いのっていう。
うーん。
ブランデとかワイン並みに高いんですよね。
へえそうなんだ。
謎っていうところもちょっと勉強したので次回話しますけどね。
次回ね。分かりました。はいじゃあ今回こんなところでいいですか?
そうですね。はい。
じゃあ今回はこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。
はいありがとうございました。