1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #46(s7-9)【新興勢力ラガーが..
2021-12-24 38:37

#46(s7-9)【新興勢力ラガーがバドワイザーの大元!】友人と協力して作り上げた大人気ビールとビール王国チェコのプライド。(たべものラジオ)

イギリスエールに変わり、ウィーンとミュンヘンの醸造家の友情によって新たなラガービールが誕生する。その中にはカールスバーグ醸造所、ヤコブ・ヤコブセンによる偉大な研究も。ミュンヘン式ラガーの技術を使い、チェコ王国のピルゼンで偶然できた淡色すっきりキレのビールのおかげでなんとあのバドワイザーが誕生!?


00:03
はい、前回からの続きです。で今回は
さあ前回エールがイギリスでどうなっていったかという話をしたのが産業革命前後でしたね
はい
一方その頃ヨーロッパ大陸でラガーはどうなっていたのかと
ラガーがどうなっていたか
はい、ちょうど同じ時期のお話です
実はですね、ラガーが出てきてミュンヘンがすごく盛り上がってましたよね
前々回ぐらいの話で
ただそれでもエールの国イギリスから見るとお前ら誰だっていう
全然トルに足らない存在だったっていう
そんな感じなんだ
そうなんですよ、というのも前回出てきたバス社とかね
ギネスとかがもう世界戦略的に大企業にあって
大型の工場を作って最新鋭の設備を作ってたという状態にもかかわらず
まだミュンヘンあたりでは木の樽を使った昔ながらの手工業だったんですよ
まだそんなアナログなんだ
そうなんです、というのも産業革命の技術革新だったり
仕組み的な技術革新ね
ああいうシステムもドイツあたりにやってくるまでに何十年か間があるんですね
何十年
その間にイギリスが没効していって
大英帝国と呼ばれる海洋大帝国を築くという
その間になんだ
このタイムラグがすごく大事だったんですね
じゃあその頃今のドイツのミュンヘンあたりでどうなってたのか
黙ってるわけではない
これパスツールのビールの研究という本の中にあるんですけど
実はエールとラガーでは醸造の成功率が断然違うんですって
醸造の成功率が違う
上面発光であるエール
これは常温で発光させるので比較的腐敗しやすい
まあ常温だからね
で下面発光であるラガーは低温熟成なので
当然これはダメになりにくいわけですよね
この率がパスツールはっきり出していて
エールは大体2割くらいダメになるんだって
結構だね
だから10個クラがあったら2つ倒産するみたいな
結構えげつないねその基本だと
えげつない
ラガーは10分の10いけるから
10分の10そうなんだ
こっちのがいいよねってなってましたし
これがミュンヘンの人たち
特にこれから出てくるゼイドルマイル2世という人がいるんですけど
この人が中心になって
いやこれからの時代ラガーだろって頑張るんですよ
バイエルン公国ミュンヘンシュパーテン醸造所というところに
ガブリエルゼイドルマイル2世という人がいますね
ちなみにこのお父さんも同じことを思っていて
お父さんややこしいことにゼイドルマイル1世なんですけど
出た一生
出た生一生っていうね
でこの2世のほうね息子さんのゼイドルマイル2世と
まぶたちのアントンドレアっていう人がいるんですよ
03:03
アントンドレア
この人オーストリアウィーンのシェバチェット醸造所の人なんです
このウィーンとミュンヘンがなんと協力をします
ウィーンとミュンヘン
ミュンヘンで始まったラガーがウィーンに渡っていって
その時のつながりでこのドレアさんとゼイドルマイルさんが仲良くなって
この2人の協力でもってラガー工房の分離に成功します
工房の分離
完全ではなかったみたいんですけど
工房だけを別の小瓶に移して保存するとか
これ何がすごいかというと
それまでは木樽の中に自然にずっと住みついていた工房
ラガーなんかは下に工房がこずむじゃないですか
ビールを取り出すときに上っ側だけ取れば一番下に工房残りますよね
そこにもう一回爆銃突っ込めばその工房がもう一回働くみたいな
そういうことなんだ
だからこの工房の移動ができないんですよ
逆にね
これ分離ができることによって人に分けたりとか
別の樽で用意しといて真っさらな樽に工房を入れるっていうことができるようになるわけですね
広みやすくなる
そうなんですよ
これが1840年の出来事です
これをできるようになったので
今度アントン・ドレアもウィーンでウィーン流のラガーを開発にかかります
この人も結構頑張って爆瓦の低温焙煮
低温焙煮
焙煮って意味わかんないよね
焙煎と、コーヒーとかである焙煎と乾燥の中間みたいな感じ
そういう方法があるんだね
そうなんですよ
爆瓦って麦の芽ですよね、種ですよね
麦の種を水に浸して発芽させて水からあげて加湿しながら芽を伸ばしていく
これ保存するために乾燥させなきゃいけないんですよ
でも自然乾燥させてるとどんどん芽が伸びちゃうから
これを止めるために焙煎をかけて止めるんですね
乾燥させる、いって乾燥させるって感じか
そうそうそう
それをやるのに今までは普通に薪と炎で焙煮をしてるので火力の調整難しいですよね
薪じゃあね
ここに石炭とかその後石油ってものが登場してきた時代なので
火力の調整が容易にできるようになった結果
低温で焙煮するということができる
それが産業革命
の影響ですよね
そうすると今まで焦がしつくらいの狐色よりも黒に近い焙煎をかけたのが
狐色で止めるとかうっすらとかっていうのはできるようになってくるんですね
細かい調整ができた
結果ビールの色がダークから赤みがかったものになって
最終的に白っぽくなっていくっていう
今のは白っぽいにあたるのかな
そうですね
この時ウィーンで生まれたウィンナーラガーっていうのが
これは釈銅色赤い銅の色っていう
10円玉の新品の色ね
06:01
ああいう感じの赤い色で甘みがあって
ちょっとトーストみたいなこんがりと香ばしい香りがするっていうビールを開発します
それは美味しそうだね
美味しそうですよね
このレシピ仲良しなんでドレアとゼドルマイルが
ゼドルマイルに丸ごと教えるんですよ
丸ごと
これいいぞっつって
すごいねレシピそのまま教えちゃうって
ガチンコのまぶたちなんでね
そうすると今度ミュンヘンではミュンヒナーとかミュンヘナーと呼ばれる
やっぱり赤っぽいラガーが登場していきます
で一方その頃デンマーク
デンマーク
コペンハーゲン
ここにヤコブヤコブセンという人がおりました
ヤコブヤコブセン
誰やって感じだね
難しい名前だな
この人ビールデンマークでも作ろうぜ
でエールだったんだけどラガーいいよねってことに気づきます
割と商売人気っすらしいんですけど
この人がゼドルマイルのところに行って候補ちょうだいって
いきなり行くの
行くんですよ
へえ
すごいよこれこの時代馬車じゃん
約1100キロ
1100キロ馬車で移動したの
現在でもこれググってみたらね
車で移動時間が約12時間
高速使ってねこの距離行きます
すげえな何週間とかだね
そうでゼドルマイルも気前がいいから
どうぞってくれるんですよ
そこあげちゃうのすごいね
ね2本の小便もらったそうです
へえ
でこれを持って帰るんですけど
この道中やばい大変だったらしくて
要はね工房の保存って結構シビアなんですよ
そうなんだ
摂氏レードで保存しても
だいたい1週間を超えると徐々に工房が死滅していく
死滅していく
栄養がないからね
ああそうか
ブリしちゃったんで
幕中丸ごとだったらいいんでしょうけど
工房だけにしちゃったから
はいはいはい
でこれを運ぶのに1100キロですよ馬車ですよ
レードに保っても1週間しか持たないんですよ
これを必死で持って帰るんですよ
すごいね
だから途中途中馬車降りて
近場で井戸水汲んで冷やして
また運んでるをずっと繰り返して
過労死で少し工房が生きてたので
コペンハーゲンについて
幕中の中に投下したところをなんとか復活したみたいな
ほんとギリギリの綱渡りだね
そうなんですよ
なんとかできてこれがデンマーク初のラガービールになり
これが会社化するんですけど
この会社の名前をカールスバーグと言います
カールスバーグ
聞いたことありませんか
聞いたことあるかも
今でも世界で大手のビールメーカーさんで
例えばサッカー好きな人なんかだったら
ワールドカップのオフィシャルスポンサーとかね
ユーロ2000とかあるじゃないですか
09:00
あれでもスポンサー契約をしている
ものすごく綺麗な緑色の企業からしてますね
そうなんだ
興味ある方ググってみてください
見たことはあるんだろうね
でもね画像を見た瞬間に
あー知ってるって結構たくさんの人になると思いますよ
そうなんだ
カールスバーグ
カールスバーグですね
あー見たことある
カナダのドライジンジャイルみたいなビールのやつ
そうですそうですそうですまさにまさに
これが実はこの税ドルマイルから分けてもらった工房によって
デンマークで発祥すると
今世界150カ国で販売してるって相当でかいよね
相当でかいですね
このヤコブ船割と研究熱心なんですよ
そうなんだ
なのでカールスバーグ研究所というのを1875年に設立します
研究所を作る
この人すごいのは微生物の研究とかね
温度の研究とかめちゃくちゃいろんな部署立ち上げてやらせるんですよ
すっごい科学に基づいてやってるんだね
バリバリ理系な感じ
そこで微生物部のところで
工房の純粋培養装置の開発がされます
工房を培養するためだけに
そうなんですよ
だから税ドルマイルとドレアが工房分離しましたよね
まだ完全じゃなかったんですけど
これをベースにしてカールスバーグでは
工房を完全分離した挙句に純粋培養できる
純粋培養
実はこれはすごい転換点で
ビールって今まで自然の環境に頼ってたわけですよね
今度は微生物を完全管理するという世界になるんですよ
これができるから例えば金属製の樽の欠屈に爆銃だけで
そこに後から工房を投入するっていう製法ができるようになる
環境的にどこでもできるぞっていう状態が
昔の酒蔵も一緒だよね
倉月工房って言ってて
今は完全に培養室があるもんねどこの酒蔵行っても
そうですまさに
全く同じなんだね
これを確立させたのがカールスバーグ研究所
すごい異業だね
かなりの異業です
一方ミュウヘン戻りますね
この時アンモニア式冷凍機が発明されます
アンモニア式?
冷凍機
ドイツ人のカールフォンリンデさん
この人高校の教師をやりながら論文書いてたんですって
こういうふうにしたら冷凍機できるぞっていうことをやるんですね
冷凍冷蔵の技術の話するとこれだけで10本ぐらい話せちゃうので
ザクッといきますけど
また別の回でね
別の回でどうかでやりましょうね
その論文をゼイドルマイルさんが見るんですよ
12:01
リンデの冷凍機の論文これおもろいぞってことになって
これいいじゃん作ってみようよって
この頃もゼイドルマイルのラガーは地元ではもう一大メーカーになってますから
そこそこ資本持ってますよね
うち資本出すから共同開発でやろうよって言って
論文ベースだったものを実用化レベルに持っていくのを
ゼイドルマイル率いるシュパーテン醸造所とリンデが共同開発するんですね
これはミュンヘンで行われた
ミュンヘンで行われた
これっていうのも今までのラガービールって
例えば1キロリットルのビールを作るのに
なんと氷約1トン必要
1トンすごい量だね
低温で発酵させなきゃいけないし
その後3ヶ月間ぐらい低温で貯蔵しなきゃいけないでしょ
山の奥から切り出してきた氷を穴蔵
洞窟みたいな穴掘ってそこに氷突っ込むわけですよ
そこに木の樽をばらっと並べて
3ヶ月間保つってことをやったんですね
やっぱ氷は取ってきてたんだね
そうなんですよ
えげつない労力
めちゃくちゃ大変じゃないですか
これが冷凍機ができるとめっちゃ楽になるんですよね
そりゃそうだよね
もう一つすごいことがあって
いつでも作れるようになる
寒くなくてもね
そう今までは冬場に仕込まなきゃいけない
リール純水法の延長で出ましたよね
9月から3月までに仕込みなさいとか
これが夏でもいいぜってことになってくるわけですよ
これは後々すごく響いてきていて
赤道直下の国でも作れるようになるわけですね
確かに
これ世界中でいつでも作ることができるという環境が
徐々に作られていくと
結構早いんだね
これが1800年代後半に出てくるんですね
そしてピルスナ発祥の地
チェコ王国のピルゼンです
ピルゼンというのは町の名前ですね
町の名前なんだこれ
ここで実はチェコ王国というのは
ドイツに負けないくらい
ビール王国であるんですね
現在でも世界で最もビールの消費量が多い国といえば
ナンバーワンはドイツではなくてチェコ
チェコのイメージ全然ないけどね
あんまりイメージないですよね
どっちかとドイツベルギーの方が強いですよね
実はチェコが消費量ナンバーワンです
へえそうなんだ
このチェコがなぜビール王国になったのか
背景だけざっくり話をすると
時は一気に遡って1500年代
シンセローマ帝国の時代ですね
ちょうどマルチン・ルターが出てきたじゃないですか
アインベックの時に
マルチン・ルターが活躍する頃の皇帝カール5世という人がいましたよね
15:01
あの人の弟のフェルディナントという人がいるんですよね
このフェルディナントがチェコ王国の王様なんです
そこで繋がってくるんだ
カール5世もビール好きだったし
シンセローマ帝国ないだし
勢力圏内だし
チェコのビールをフェルディナントがすごく愛していて
このビール王室持ってこいって
なんなら醸造所も王室で作るぜって言って
やっぱ作るんだ
やるんですよ
なんならこのフェルディナントカール5世
お兄ちゃんのカール5世の後を継いで
シンセローマ皇帝に即位します
へえ
チェコのビールは結構有償あるビールなんですよ
この頃からなんですね
1500年代からなんだ
当然その頃はエールでしょうけどね
そうだねエールだよね
イルゼンという町では
今までエールとかいろいろ作ってた
各醸造家がそれぞれに作っていたんですけど
ドレアとゼイドルマイルが交互の分離をした年1840年
この年に醸造家たちが話し合いをして
何でか知らないですけど
俺たちもこれからはラガーの時代だと思うから
ミュウヘン式のラガー作るぜ
急にラガーに曲振りするの
曲振りするこっちの方がいいだろうって
一気に振るんですね
ここで聞いたことあるようなことするんですけど
まずみんなでお金出し合って
市民醸造所を作ります
市民醸造所
共同の醸造所を作るんですよ工場を
なんかこれミュウヘンも同じことやりましたよね
アインベークからパクってくる時に
同じことやるんですよ
バイエルン公国ミュウヘンの入ってる国ですよね
ミュウヘンの近くから
マイスターを呼んできます
マイスター制度あったね
その人を呼んできて
ピルゼン風のラガー作りたいから
ちょっと手伝ってよって言って
マスター呼んでくるんですよ
技術を教えてもらいながら
ピルゼン風のラガーを作ります
1842年11月
2年半後くらいですかね
ついにピルゼンラガーが誕生します
ピルゼンラガー
これがね結構細かく
文章に残ってたんですけど
相当感動したらしいですよ
感動
もともとミュウヘンラガーといえば
ダークビール
黒っぽいやつですよね
でコクを重視した
旨味たっぷりのじっくり飲む系の
ビールに近かったらしいんです
ところが
ラガーのマイスターが作った
はずのピルゼンラガー
春を明けた瞬間に
あれ?黄金色だけど
黄金色
黄色じゃん
何これって
いやいやおかしいおかしい
コーボだってミュウヘンから持ってきたやつやし
ホップだって同じボヘミ屋さんだし
何何って
意図して作ったわけじゃないんだ
そうなんですって
18:00
泡も今までよりめっちゃクリーミーだし
雪みたいにふわふわやし
何じゃこれって
でみんなやべ失敗かな
と思いながら飲んだら
何じゃこりゃ
超絶旨いってなるんですよ
へえここでか
美しい黄金色そして
力強い雪のような泡立ち
キレの良い旨い味わいは
未だかつて味わったことがない
そこまで言いますか
飲んだ人たちはわっと簡単の声を上げた
これがピルゼンラガーの
誕生の瞬間だそうですね
へえ相当な衝撃だったんだろうね
だったみたいですね
これなんでこんなに差が出たかっていうのは
原因解明までに50年くらいかかるんですけど
理由はわからないんだ
わからなかったんです初め
よくよく調べて50年くらいかけて
研究したところ水だと
水で
水だけでそんなに違うんだ
みたいですね
ピルゼンって南水が湧く町なんですよ
ああ
これね
ミュンヘンも洪水
ロンドンも洪水
バートン・アポントレントも洪水
みんな洪水だったんだけど
ここは南水だったんですね
はあ
そうなんですここで
ピルゼンが誕生をして
またこれが爆発的に売り上げを伸ばしていくんですよ
これ前回の話でも出てきましたけど
容器がグラスになりますよね
みんなが色を意識するようになった
色が美しい上に
飛んでるのが良しとされた
ピルゼンラガーって透き通ってるんですよ
綺麗だねって
それはグラス入れたら綺麗だよね
しかもペールエールとかスタウトもそうですけど
すっきり綺麗の良い味が
好まれる傾向に傾きつつあった
まさにこのピルゼンラガーは
すっきり系綺麗味なんですよ
ああ
時代にバチンとはまったんですね
タイミングすごいね
これがどんどん広がっていって
この頃はオーストリアの
ウィーンとミュンヘンとピルゼンが
サンダイラガーと言われてるんですけど
これは味だけで
ピルゼンが人気を博していきます
そうだよね
目標としていた色が薄くて
キレのある味っていうのを
あっさり作ってしまったんだよね
そうなんですよできちゃったんです
狙ってなくてすごいね
これ面白いのが
ミュンヘンバイエルンからすると
待て待てってなるじゃないですか
どっちが親だと
でも売れるんだったらちょっと俺たちも
そっち系やろうぜ色の綺麗なやつ
作ろうぜって言って
まず最初にねドレアが
低温バイソンを教えてくれたじゃないですか
もっと低温でやるんですよ
もっと低温
香水なんだけど
ピルゼンラガーみたいに綺麗な黄色っぽい色をした
ラガーを
開発しますこれヘレスラガー
っていうんですけどね
ヘレスってのは色が
21:00
単色だっていう意味らしいですよ
すげえストレートだね
ダークラガーとかね
分かりやすくていいけどね
これがヘレスラガーというのが
出てきますそしてそのうちに
軟水器っていうのが発明されてくるので
やっぱり軟水で
ラガーを作ることができるようになってくるので
ピルゼンラガーをミュンヘンでも
ウィーンでも作ることができるようになってく
るんですよね
ちゃんと軟水器まで作るんだね
そうなんですよミュンヘンの
シュパーテン醸造所も筆頭ですね
シュパーテン醸造所
ガブリエル・ゼドルマイルさんの
先作ってるところですね
このシュパーテン醸造所とか
パウラナーとか今回全然説明してないですけど
めっちゃ有名なでっかい元修道院の醸造所が
あるんですけどこの辺が
ピルゼン風のラガービールを作って
販売をします
その名称が
ピルスナーです
ああそうなんだ
ピルゼン風という意味でピルスナーラガーとして
売り出します
したらさピルゼンの人たちからすると
いや待て待て待てって
意義申し立てをします
裁判まで行っちゃう
ピルゼンからしたらピルゼンのビールが
一番最初に
ピルゼンビールとして作ったのに
他の国で作ったけど
味が似てるからってことで
ピルゼンのビールだって言ってるのもんだもんね
ただ一応ミュウヘン人からすると
別にうち本家だし
お前ら文家だろっていう意識も
あったしピルゼンとは
行きってないですね
ピルスナーだからピルゼン風のって
言ってるんで一緒
まあ難しいとこだよね
ピルゼンの人たちはちょっと待てって
びっくりしたんだけど実はミュウヘンの人たちも
えってめっちゃビビるんですよ
まあしょうがない
日本でも中華風とか韓国風とか
そうそうウィンナーソーセージみたいなもんですよ
要は
ウィンナーってのはウィーン風のって意味じゃないですか
同じ同じ
で裁判の結果も同じ結論出します
ピルスナーだから
ピルゼン風っていうことで
一般名称ということでインデネのって
でピルゼンはしぶしぶ
引っ込むんですね
だからピルゼンの人たちはピルスナーウルクル
って言って
ウルクルっていうのはどうやらねチェコ語で
ホンケとかいう意味らしいんですけど
ホンケピルスナーとして
今でも名称として残っていて
売ってます
なかなかなんか日本とかとも
一緒だねホンケとかって
つけるとこあるもんね
なんかホンケハカタカとかいろいろあるじゃないですか
もう世界中で同じことやってるんですよ
まあやれることはこれが限界なんだろうね
でここまでの話をちょっと整理するとですね
まず冷凍機が
出てきましたよね
いつでもどこでも醸造ができますよ
で工房の純水培養装置ができたので
これもまたどこでも
誰でもできるようになっていくという
ところにきて実はこのピルスナーが
一般名称だって言われたことで
他の地域で
ピルスナー作ってもピルスナーとして
売っていいんだってことになりますよね
24:01
裁判の結果出ちゃったんで
だから世界で
最も売れているピルスナーを
どこでも作れるからよし俺たちも
ピルスナービール作ろうぜってことになるんですよ
これが
元々人気があったところにきて
この3つが噛み合わさったことで
世界中でピルスナーが
作られるようになった
だからアメリカも日本も
ピルスナー
っていう状況を
偶発的に
重なっていってできちゃうんですね
使っていいよっていう裁判結果も
出ちゃってるっていうのもでかいよね
そうですね
これがね今出ましたけど新大陸
アメリカ現在のアメリカ合衆国ですね
でもピルスナーが大人気になっていきます
すごいな
一方で
まだあるんですよ
チェコ王国の中に
チェスケブジェヨビッツェ
という町があるんですけど
言いづらいわ
チェスケブジェヨビッツェ
ブジェヨビッツェ
これチェコ語読みなんですけどね
ここもビールの
メッカみたいなところなんですよ
それこそさっき話をした
フェルディナント
この人が最も愛したのが
ビジェヨビッツェのビールなんですね
へえ
このビジェヨビッツェに
王立醸造所があって
そこでビールを作らせて
ずっと皇帝に献上させる
ってことをやってました
かなり優秀正しきビールなんですね
そうね公認公式か
そう公式
なんなら筆頭みたいな感じですよね
でこのね
フェルディナントっていう人は
ドイツ系民族なのでチェコ語あまり話せないんですよ
王様なのに
王様カール5世で神聖ローマ帝国の
皇帝じゃないですか
ドイツ語なんですよ
生まれスペインなんですけどドイツ語圏なんですね
ブジェヨビッツェって言いづらいんですよね
だからフェルディナントは
これドイツ語読みで
普通に言っちゃうんですよ
この町の名前
ドイツ語読みすると
ブドヴァイゼル
ブドヴァイゼル
王様がブドヴァイゼル持ってこいって言うから
もういいんじゃねってなって
1500年代から
ブジェヨビッツェは町の名前だけどビールは
ブドヴァイゼルってことになる
読み方の違いかな
読み方がねドイツ語読みで
固定されます
面白いね
今チェコ人でもブドヴァイゼルって言ってるらしいですからね
でこのブドヴァイゼルが
とんでもない
ブドヴァイゼルの方向から論争の種になっていくんですよ
時はまた
1800年代に戻りますけど
1873年
アメリカですね
ミズーリ州セントルイスというところで
ドイツ系移民の
アンハイザーさん
そしてアンハイザーさんの
娘の旦那さん娘向こうですね
にブッシュさんっているんですけど
この二人でアンハイザーブッシュ
という会社を立ち上げます
27:01
アメリカは当時
ピルスナーブームだったんですけど
このアンハイザーブッシュ
この二人が目をつけたのが
このブドヴァイゼルなんですよ
みんなピルスナーって言ってるけど
こっちの方が歴史あるし
この人たちもともとドイツ系の移民なんで
そこそこ詳しいんでしょうね
これ世に出したら売れんじゃねえって
ピルスナーよりもちょっと甘くて
すっきりしてるし
これいけんだろうというビジネス目線もあり
立ち上げます
1876年
創立から3年後
あの有名なビールが
登場します
バドヴァイザー
バドヴァイザーは
ブジェオビッツェの
英語読みなんですよ
ああそうなんだ
ピルス前のことピルスナーみたいな感じで
ブジェ
言いづらいな
ブジェオビッツェの
英語読みで
ザーって売り出しちゃったんですよね
さあこの
チェコ王国チェスケーブジェオビッツェの
人たちどう思いますか
丸かぶりだもんね
さすがにアウトでしょ
いやないだろうって話になるよね
なりましたやっぱり
バドヴァイザーがそもそもめっちゃくちゃ
売れますから
今でも世界トップランカー
ですからね
意義申立てをして
裁判まで行かなかったけどずっと
交渉してたらしいんです
最終的になんと落ち着くんですよ
落ち着くんだ
アメリカ国内は
アンハイザーブッシュがバドヴァイザーを
売るんでチェコ王国の
ブドヴァイザーは売りませんと
その代わりヨーロッパ出てくんなよって
自分の陣地決めたって
そうマーケットシェアしたんですね
だけどこれすごいのが
相手は国営ですよ
チェコの
ブドヴァイザー
ブドヴァルってのは醸造所って意味ね
ここと争って
ある程度アメリカの権限取っちゃうんですよね
そこすごいね
これが当時の
国力の違い経済力の差
なんだと思うんですね
まだこの1800年代はギリギリ
世界の起軸通貨がポンドですけど
この直後から
徐々にドルに変わっていく時代なんですよ
ちょうどその時期なんだ
ここから20年30年後ですけど
1914年に
第一次世界大戦が勃発して
ここでヨーロッパが疲弊をして
金を貸す側に回ったアメリカが
大儲けをして
ドルが起軸通貨になっていくという
そういう過渡期の時代なんですね
強いんすよアメリカ企業
強いね
株式会社やし資金力いっぱいあるし
実はこの紛争
現時点で
まだ収まってない
結局収まってないんだ
このアンハイターブッシュ社
は一応
ヨーロッパとアメリカ大陸の取り決めをしたけど
アジアやってないでしょ
何をしたかというと
30:00
これすげえなと思うのが
例えば日本とかに行って
先に商標を登録するんですよ
アドワイザーで
先に
申し立てをします
ブドウアイゼルを
日本で売るなよって
これをいろんな国で
バババババってやってくるんですよ
その辺はやっぱ企業だね
戦略的だ
当然
ブドウアイゼルは
待って待ってってなるじゃん
これ現在も40カ国以上で
論争中です
多いなまだやってる
企業としては
売る国は増やしたいとこだしね
経済のロジックで動いてる
会社会社の方から
すると所詮アドワイザーってのは
ブランド名でしかないわけですよ
ところが
ブジェオビッツェの人たちからすると
伝統あるオラが街の
名称なんですよ
勝手に使ってんじゃねえよってなるんで
これ多分なかなか落ち着かないと思いますよ
まあ着地点はないよね
何なら今ヨーロッパで
売らせろっていうことで再交渉始まってる
っぽいんで
さすが企業だな
世界的企業になっちゃってるからね
純粋なるアンハイザーブッシュは
一回買収されてるんですけど
アンハイザーブッシュ
インペットかな
合併後の巨大企業になって
これは世界最大のビール会社ですかね
ここと
チェコの国とで
揉めてるというか
ずっと交渉が続いている状態なんですね
ちなみになんですけどね
アンハイザーブッシュ社
一回すげえこと言ってるんですよ
もう
商標権売ってって
ブドバイゼルの名前売ってよって
街の名前やし
まあそうだけど
そうだけどそうじゃないよね
地元の人たちもビールの
名前として認識してる節があるからさ
別に売ってもよかったんじゃないかなと思う
どうやらね政府に対して
言うんだけど
でもほら今国民国家なんで
国民の意向を聞かないといけないじゃないですか
猛反発にあって
サクッと拒否してますね
それは地元の人は反対するさ
かけがわ市民が
お茶に携わってなくても
かけがわ茶の名称売ってって
もしこれ権利売っちゃったら
かけがわで作ったお茶なのに
かけがわ茶って名乗れなくなっちゃうわけですから
もう地元民の
魂としてはおーってなるわけですよ
確かに地元で作ったビールも
その名称で売れなくなるってのは
確かに痛いね
なんでもう
これはね金だけの問題じゃないなみたいな
そうだね
しょうがないねこの論争は
これがずっと今現在続いてる
これはきっと
ずっと続くね
今回はね駆け足で
ザーッと変遷言ってきたんですけど
僕このシリーズの中で
33:00
ここの回が一番好きなんですよ
そうなんだ
エイルの歴史とかね
ラガーコーブの誕生とかね
ホップの発見とか
ああいうのを経て最終的に
ここでいろんな
醸造家たちがいろんな土地で
ババババババって
なんかすごいあれだよね
醸造家って言っても
世間狭いというか
友達同士でとかで
広がっていったじゃん
侵略とか
強奪とかではなくて
順当に平和的に広がったよね
ビールって そうなんですよね
文化って強えなと思う
なんかヨーロッパの方はさ
結局過去の歴史見ていくと
他の職の歴史見ても
全部搾取だったりさ
奪い取ってきたわけじゃん
ビールなんかすごい平和だったね
平和だった
僕すごいなと思ったのが
ビール禅の人たちさ
醸造所作って呼ぶじゃんマイスターを
これねお茶でもやってるよね
おお
静岡茶が勃興し始める
一番最初
宇治の煎茶いいよねって呼ぶじゃん
確かに呼んでたね
で勉強する結果乗り越えてくけどまた
宇治が盛り返してくるみたいな
やってると
全然違かった鹿児島辺りから
ドンってくるみたいな
同じような現象がヨーロッパ大陸で起きてる
っていう 結局
食文化って
自分たちがいいものできたから
ってそこだけで囲っても
結局規模が欲しいんだよね
そうですね
食が流行るっていうところとか
永久的に残る文化として
発展するためには
みんなが飲めるような状態にしないと
残らないっていう
はい
その辺かけがの深虫茶なんかも
製法めちゃくちゃ
簡単だけど簡単っていうか
定義が曖昧だけど
そういうのももっと
広がっていったら別に
かけがは茶も残るし
深虫茶もちゃんと残っていくんじゃないかな
っていう
なんかそんな感じがしてきた
産業の復興とかさ
発展とかのヒントが
この辺りにありそうだね
人じゃないじゃん食文化
そうですね
その辺の違いが
面白いよね
技術の発展をシェアし続けるっていう
この精神はいいですよね
ねえ囲ってもしょうがないな
と思ってしまった
まさにまさに
実はこれがちょっと後ぐらい
ほとんど同時期に日本に
飛び散ってきます
次回
日本の話をしようと思ってるんですけど
なぜ日本が
ピルスナーなんだと
これがね
時間をかけてピルスナーになってったなら
まだわかるんですけど
明治20年頃には
作られるビール
ほぼ全てがピルスナーになるんですよ
でもよく考えてくださいね
36:01
前回海外進出の
最大手はどこでした
海外進出の最大手
前回話に出てきた
イギリスのバス車とか
ギネス
インディアンペールエールが
アジアを接見してたわけですよ
幕末から明治初期に
かけては日本で一番
飲まれていたこれすげえぞ
飲まれたビールがバス車
なんですね
なんですけどわずか20年後に
エールを作るのをゼロにして
オールピルスナーになる
オールピルスナーに変わるんだ
なんでかなってちょっと謎
幕末の時もフランスとイギリスから
例えば幕府側と新政府側
がイギリスやフランスから
技術提供を受けて
提携しながら戦っていきますよね
ドイツの巣の
そこにないんですよ
なのにドイツ式
なんでやって
ああ確かにね
はいその辺の
ルーツを見つけました
見つけたんだ
わあ伊藤博文とか森鴎外
とか出てくるねやみたいな
また伊藤博文出てくるんだ
またねちょろっと出てくる一瞬だけね
しかも森鴎外とかの方が
出番多いかもしんない
ビールまで来ますか
はい
次回は我らが日本
そして日本が
今はそうでもないですけど一時期
世界のビール醸造ベスト10に
2社入ると
ベスト10まで入ってくるんだね
そこまでビール大国として
立国していくことになります
すごいね
次回ということなんですけども
ここでお知らせです
年末年始
とてもうちの店舗がですね
多忙極みまして
勉強が間に合わないと
収録する時間もほぼないと
今日も
公開日の朝に
収録してますからね
自転車創業化してますね
自転車創業ももうぴったりよ
ほぼ生配信みたいなもんよ
状態なので
このタイミングでですね1月の7日まで
ちょっとお休みをいただきました
今年は今回で
シーズン途中なんですけどここで一旦
お休みをいただきたいと思います
ということで
よろしくお願いします
年明けから日本のビールですね
今回はこの辺で
終わりたいと思いますありがとうございました
皆さん良いお年を
良いお年を
38:37

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