00:01
はい、前回から引き続いてお茶の話です。ここから後半戦
後半戦に入ります ということで概要回になります
そうですね、前半までは日本にお茶が入ってきたところからどう広がっていって
戦国時代を経て江戸時代にどうなっていったか 最後は宇治の宇治煎茶が江戸で流行っていくと
それを受けて静岡と川越が対抗して3つの勢力が競抗しているというような時が続きますという話をしました
これが1738年でそこからお茶の世界も江戸の世の中も太平の時代が続いてですね
だいたい120年間ぐらいあまり大きな変化ないんですよ 変化ない うん、そのまんまいきます
ところがですね約120数年後黒船がやってくると 黒船
皆さん知ってますよねペリーが日本開国しなさいって ニッチャーで流行ったですね
ああ一時は流行りましたね フラッシュで フラッシュでね
これある一定年齢以上しかわからんと思うけどありましたね
あれ以降もちろん日本の政府が江戸幕府から明治政府に変わっていくんですが
これに伴ってなんとお茶業界がすごく面白かった 前半はお茶すげえって話はよく分かった
関わる人たちの情熱がやばい 挙動が面白すぎて
ここはね多分これ早口になるんじゃないかな喋ってるくちに ゆっくり喋ってください はい頑張ります
ざっくり言いますね黒船がやってきて幕府があれやこれやって
大正奉還を迎えて徳川家が政治の中枢ではなくなりますね 江戸を開城して明治政府ができると
じゃあ追い出された徳川家どこ行った 追い出された徳川家
東京江戸城から出て行かされますよね それまで約700万国ぐらいとも400万国とも言われた領地を
大半取られてですね70万国に原風されて寸歩正式名称駿河府中の国 静岡市 はい現在の静岡市近郊ですね
ここに移動することになるわけです でここからが静岡イコールお茶というお茶の国静岡が誕生していく
おギャーの瞬間ですわ ここからですよ そうなんだ 仮に400万国の国高があったそれだけの収益のある
でかい企業だと思ってくださいこれが70万国まで減るわけですから ずいぶん減ったね だいぶ減りましたもう収入減でいくとマイナス82.5%
ずいぶん減ったね大赤字だよ 普通倒産しますけどここで何が起こるかっていうと人が溢れちゃうんですね
03:03
溢れる この時代はリストラをして首を切るということをギリがたくできないんですね
へえリストラできないんだ できないですもう人を守りたいという情熱に駆られてるわけですよ
へえ任状だね 任状ですねでそのロック高が減った時にも幕審の人たち旧幕審の配下の人たちも殿を助けねばならん
これだけ苦労されているので ギリだね ギリで 喪失相愛ですよ
で徳川家の中枢の人たちはこの人たちを守るために職業圧戦とか始めるわけですね
へえそんなことまですんだ ちなみにこの中心を担ったのが勝海舟です
勝海舟 知ってますね幕末の歴史では絶対出てくる超有名人ですね
この人が職業圧戦をするにあたって目をつけたのが寸布隣の豊臣今の静岡県西部ですね
にまたがる牧野原大地の茶園開拓です
牧野原ここで出てくる はいそこそこ全国でお茶の世界では有名ですが
ここはこの時代全くの未開の地です へえ未開の地だったんだ
もう人類から見放された土地だったんですよ
へえ今あんなに開けてるのに 地元の人もあそこで畑を作ったり
お米を作ったりということは未人も考えないぐらい不毛の土地です
へえ考えられないね今 ここにですよ農家さんが行くならまだ農業技術持ってますけど
つい一週間前まで刀を持っていた人たちが刀を牧野原大地まで持って行って
その場でポンと置いて桑に持ち帰るわけですよできんのか
まあ素人じゃんね 素人ですここでね駐場影明という
これは歴史好きの人は知ってると思いますけど幕末の剣豪ですね
へえ剣豪 はい大剣豪です
ここで剣豪が出てくるの はいちなみにこの駐場影明を
牧野原に送ったらいいよってアドバイスをした人が山岡鉄修
おお山岡鉄修 これまた有名ですね
諸禅剣の達人 へえ
今でも全国の有名なお寺に行くと山岡鉄修の諸などが飾ってるとこありますね
諸 諸道の達人なんです
諸道ねそうなんだ 禅の師範としても有名ですね
へえ この人と清水の二郎長がなかなか仲が良かったらしくて
この二人が見つけてきたのが牧野原大地
へえ 鉄修の道士というか剣術仲間である駐場影明に声をかけて
行ったらどうだとそしたら駐場影明が男気見せるわけですね
殿のために国のために一丁やったると
ここからがすごいここから本当によくぞ頑張ったなって
涙も出るぐらいの男気見せてこの人すごく優秀な方なんですよ駐場影明って
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剣知事やらないかとかいう話も来るんですけどその時に言ったのが
病殺で断るんですよ 一旦山に上がったからには俺は茶畑の小屋師になってくれるの
そこまで言い切ったの で笑って追い返すっていうすごいよ本当に
もういきなりテンション上がりましたね開拓したのがこれがまず土台になってくんですけど
なんでこんなお茶の開拓をしたのか開墾していったのかここが謎ですよね
これね基本輸出したいからです 輸出したいから 国内需要じゃないんですよ
海外需要 海外需要そんなに大きかったの かなり
相当出荷してますね へえどのぐらい
ある程度静岡が勃興してお茶で有名になった後でいくと国内生産のうちの60%は海外に送ってますね
へえかなりの量だな はい主に最後日本の大きな取引先になったのはアメリカです
きっかけはやっぱりオランダから行ってるんだね オランダ経由 オランダ経由もうほら故障の回でも少し出てきましたけど
オランダっていうのは日本と行き来してましたね当然ですけどオランダは日本だけではなくて中国
上海とかねあとはジャカルタとかいろんなところを経由していきますでもともと中国からシルクロード経由でお茶なるものの存在はヨーロッパには伝わっていたらしい
一部の人たちからは薬として健康食として 健康食ね なんか山奥のとか神秘の国の健康にいいものとして陳調はされてたらしいんですね
それに目をつけたオランダがビジネス始めるんです なぜかというと故障の値段がかつての金と交換できるような価格ではなくなってるからです
その代わり はいもう完全に今と変わらないぐらいの価値観まで値段が下がってきてるんですよ故障が
次の儲け口探しに行くんですね そしたら中国でお茶というものを見つけるんですそれを船で中国茶を船で持っていく
と同時に日本を立ち寄っているので日本の抹茶文化を仕入れていくんです 何が入っていったかというと
高貴なる人たちが特別な儀式で飲むものという概念が伝わっていくんですね 概念ごと はいこれは1500年代1600年代なので
江戸幕府始まるくらいの頃なんですね 武家社会の上流階級の人たちが抹茶を茶道ですよ茶道
あれを見てこれ高級茶としていけるわと でも抹茶買ったら高いわけですね
なので中国で大量にお茶作ってますからそれをごそっと買って持っていくと 元は中国だけ持って 中国茶から行きました
この時に中国に紅茶なる存在はなかったんですけど 発酵茶ですねウーロン茶とかプーアル茶をはじめは輸出してたらしいんですけど
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だんだんと買ってくれるお客様の味に合わせてちょっとずつ変えていくんですよ こうしたらヨーロッパ人喜ぶこうしたらヨーロッパ人喜ぶってもう誰とも言わないです
中国のお茶の商人たちがどんどんどんどん改良して生まれたのが紅茶 中国人が発明してるんですねあれね
中国人発明なんだ これでオランダで普及しますオランダのすぐ近くにイギリスありますね
海渡った国家ですイギリスで名誉革命という革命が起こって王様が追い出されます 細かく言わないですけどそしたら王様不在になるんで
議会が招集してお願いです王様になってくださいって言って呼ばれていったのがオランダの人なんですよ
オランダの人だ オランダ総督がイギリスの王様の娘かなと結婚してイギリスに入っていくんですよ
オランダの中では王様たち貴族は紅茶飲む文化できてますからイギリスで引っ越しますよね紅茶飲みますよねこれが大ブームなんですよ
オランダが持ってった そうオランダ経由でイギリスに行ってここでイギリスで大ブームになってその後イギリスがアメリカを職員に民地化してきますよね
そうするとそこでまた紅茶ブームがアメリカ国中で流行るわけですよ そんな紅茶良かったんだね
そうなんですその前の時点でコーヒーの方が先にイギリスに入っていたんですコーヒーを飲むためのカフェです今のがあったんですけど
紅茶が入ってきたことによってコーヒーサロンが絶滅しますもうお茶に全部取って変わられるんですよ
そうなんだ お茶にはコーヒーを駆逐するパワーがあるってことですねある意味
すごいね このお茶がイギリスからアメリカ行きますよねアメリカ今コーヒーの国になっちゃってますけど
紅茶が大流行するんですよアメリカでも アメリカでも
イギリスからガンガン買うわけですけど独立したいという気運が上がってきた時にアメリカはイギリスのものを買わないという不買運動が始まりますね
これによって紅茶を買わない代わりに紅茶の代わりになる飲み物を開発したくなってコーヒーを紅茶っぽい味に近づけるっていう無茶をやるんです
逆張り 逆に これで生まれたのがアメリカンコーヒーですね
だからちょっと薄めなんだね そうなんですこの間ずっとイギリスとかオランダはヨーロッパ国内でお茶の貿易で利益湧いてるわけですね
特にお茶は一大消費国ですからめちゃくちゃお茶飲みますからもうガンガン中国から買うんですよ
ところが中国って超大国なんです今のアメリカよりも大きいぐらいの先進国なんですね国力としては
変境の地イギリスごときから買うものねえよって言って何も買ってくれないんですね
そう完全なる貿易黒字貿易赤字の対立構造できますよねイギリスとしては何か買ってほしいと
金ばっかり流出するからで中毒性があって商売になるものなんかねえかなって言って目をつけたのがアヘンです
アヘン 麻薬ですねアヘン
12:00
あれを当時植民地化していたインドで作らせてそのインド産のアヘンを中国に売りつけると
そんなことしてたの お茶買いすぎてその対価としてアヘンを売りつけると
そしたら時の中国政府当時は死んですけどねからすれば当然取り締まるわけですよ
麻薬だしね 薬物ですんで
麻薬ってか薬物ね そしたらイギリス側はめちゃくちゃなロジックを
僕ら現代人からするとめちゃくちゃなロジックで言ってくるんです
貿易の平等自由さは守れと取り締まりなんかすんじゃないと
はい ここでごちゃごちゃしてるところで発生したのが有名なアヘン戦争ですね
これでアヘン戦争になるの はい
へえ で秦が負けますね中国が
ああ中国が負けた でこの時代に中国が負けてイギリスはお茶を抑えることができますけど
この時お茶を飲みたいアメリカ人はお茶手に入れられてないですよね
しかも中国の勢力中国の領域はイギリスに制圧されてしまいましたよね
イギリスの支配権ですアメリカお茶買うのどっから買うって話になる
もともとどっから買ってたんですか 中国から
中国から 中国イギリス経由がもしくはオランダ経由とか
ああそういうことか で後々ですけどアメリカはサンフランシスコ日本シャンハイっていう
航路を開きますんでシャンハイから買っていくんですね
ああ ところがシャンハイなんかイギリスに完全に支配される時代が続くので
吹っかけられたりしてなかなか物を手に入れられないんですよ
ああ そこで目をつけたのが日本の緑茶でございます
ここで緑茶が出てくる 日本が最大輸出を誇っていた明治の中頃
輸出したお茶の90%以上はアメリカに渡っています
そんなに そんなに残りの10%のうちのほとんどがカナダです
カナダ カナダでも需要はあったんだ
あったんですね少しですけど一方で日本のお茶はイギリスが買ってくれることはなかったですね
へえイギリスを買わないんだ なぜかというと中国を支配下に置いたからですね
ああそうかわざわざ他の国から取る必要性がない
しかも中国完全支配はできなかったん ですけど中国からお茶の苗木とか
種を入手することができるのでそれをインドに持っていってお茶を植えるわけですね
アッサムセイロンガージリンこれはイギリスが中国からインドに運んで植えた地域です
中国からイギリスがインドに持っていった そういうことですね
もちろん自然的に動いたものもあるかもしれませんけど主にはそれですね
へえそれでできたんだ この時代になると産業革命後ですから
機械化が進んでますね特にヨーロッパイギリスでは進んでますね
この技術が直接インドに持ち込まれてガンガン大量生産してます
へえもうその頃から機械化されるんだね 日本はそれを追っかけて機械化を進めていくという流れなんですよ
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でこれを機械化をするために高林式製茶器という機械があるんですけどね
これを死に物狂いで作った高林健三という人がいるんですよ
へえ 近代日本茶業の父とも呼ばれてますね
へえ頑張った人がいる 相当頑張りました
発明して最終形ができて普及する頃にはもう70くらいになってたんじゃないかな
へえどのくらい作ったの 30代くらいから発明を始めて出し茶失敗し
なんなら財産食いつぶしてるくらいのことをやって最後70歳直前くらいに
今の高林式十年器を作ってこれが日本の茶業をひっくり返すんですよ
そうなんだ すごいもう感動した
それまではずっと手作業 手作業
手作業だけか 今農家さんと
荒茶工場と仕上茶、茶商ってバラバラですけど
基本的にこれまでの時代っていうのはお茶の木を育てて収穫して生茶して売るまでが
もう一緒こたなんですよ 一人の人っていうか一つの家族ですね
がやってるというのが当たり前だったのが今の近代化につながる機械化産業
分業化の基礎を作ったのはこの機械があったからだと言われてますね
そこから変わってくんだね これをもう一つ革命的なことがあって
お茶の品種改良です 今まで品種改良なんて頭ないんですよ
ないんだ 品種という概念が存在しない
全く概念の存在しないところからどうやら木ごとに味が違うっぽいとか
和製、中手、奥手とね葉っぱができる順番ですねタイミング
この違いがあるってことをつぶさに観察したら気づいた人がいて
これを生涯かけて徹底研究した人がいるんですね
すごい人いたね 周りから完全に変人だと思われてます
概念がないところだから変人扱いになっちゃうよね
この人がついに見つけるのがこの品種はいい最高に美味しいし
最高にたくさん摂れるぞっていうのをたまたま竹ヤブの北側にあった
一本の苗木なんですねヤブの北側に生えていたからヤブキタ茶
そんなまんまの意味なんだ まんまです
今このヤブキタ酒が日本のお茶の70%以上占めてますね
このヤブキタ茶は静岡県静岡市今の麻里湖という
麻里湖 麻里湖宿って東海道53席に出てくる宿場町の一つ
あそこでできたんだヤブキタ
これが面白いことに機械家と行ったり来たりで
ギリギリの同じぐらいのタイミングなんですね
なんでヤブキタの品種ができた段階では機械がそこにないんですよ
ヤブキタ酒っていうのは今までのお茶の木に比べると3倍から4倍の収穫量があるんですね
そんなに違うんだ 急に取れるようになるんですよ
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いっぱい積むんですけど精茶間に合わないんで半分捨てるみたいなことが起こるんですね
すげえもったいないね めちゃくちゃもったいない
ここに日本の高林敷が入ってきてあと一方でインドまで視察に行った人がいて
インドの紅茶の機械を見てこれイギリスが発明したやつね
これはいいぞって設計図もらってきてそれを自力で日本で作り直してゼロから
それを緑茶版を改良してとかいうこともして一気にここで機械化が始まったことで
ヤブキタのお茶を無駄にすることなくスムーズにしかも良質なお茶を作ることができるようになっていく
これで安定供給につながるんだね できるんですね
ところがですねこれ機械とか物が良くなっても一番気をつけなきゃいけないところが抜け落ちてるんです
会社と一緒ですよ良い商品ができて良い機械があっても
働くその人たちの運用だとかモラルだとかここ整備しないと組織って成立しないわけですよ
人の部分品質管理の一番重要な部分だね もう人材育成です
ここに歴史の表舞台に出てこない名前すら知られてない一般の人たち
その人たちがめちゃくちゃ頑張るんですね
この中で僕は今回一人ピックアップしましたけど
静岡県の牧野原大地近辺の茶業を監督した茶業監督員っていうのがいるんですね
この例になった河村総兵という人ですね ああ河村総兵
この方の子孫が我々二人の恩師ですね河村先生ですね
ここにつながるんだ塾長 そう塾長、ワルチュウス塾長ですね
元塾長だけど ちなみにこの方の子孫の一人に
東北の市長の河村さんもそうですね確かね 親戚ですね
この河村さんがいたからこそ静岡が勃興していくんです
すごい立場というかすごい人なんだね もちろんこの人一人ではないんですけど
調べれば名前ちらっと出てくるかもしれないけどほとんどの人は絶対に知らないだろうマニアックな著名人が
静岡のお茶作りのルールか運用かを徹底してやるんですね
他県は対してそこまでやらないんですけど静岡県はもうとにかくお茶で復興するっていう命がけでやってますから
すごいね命がけ これはもう徳川家のためでもあり日本という国をなんとか支えねばならんという
旧爆心たちの熱い思いが重なってるんですね
俺たちは負け組だけれどもこの日本を何とかして西欧列挙に負けないようにすればならぬ
そのために茶業が必要だっていう熱い思いでこれを成し遂げていくんですね
すごい思いだね めちゃくちゃすごい
そこまで思い入れられるってすごいね なんなら輸出をする際にですね
もともと日本が開いた港ってのは二つそして三つになるのが
初めに開かれたのが横浜と長崎からわかりますね裏側と長崎なんで
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続いて神戸が入りますこの三つ以外は開港していないので輸出しちゃいけないんですよ
しちゃいけないんだ そのルールになってるので権利がないんですね
外国人も来ちゃいけないし日本人も輸出できない整備もされていない
そんなところで清水港 清水港 清水エスパルスのあるあそこの清水港ですね
港あそこがめちゃめちゃ頑張るんですよ特別輸出許可を取りに行くんです
そんな許可取りに行ったんだ はいもう地元の人たちがみんなで署名運動してね
県知事に掛け合って国会議員に掛け合って何とかして開港するんですよ
ええすごい努力だね でこれがなんと清水からアメリカの直通ルート作っちゃうんです
直通 直通ルート作っちゃう努力をするということはですねここにからみんなお茶を出荷するわけですよね
お茶を輸出するときには外国向けのパッケージングをしなきゃいけない検査しなきゃいけない
それから最後の仕上げの工程もそこで作業しなきゃいけない なので静岡県内のお茶が全部静岡市今の茶町という町がありますけど
あそこに集積されるんですよ へえそうなんだ これをこの作業を各地域がバラバラにやると
収量が少ないところは負荷が大きいんですよ だったら一元管理して一箇所にまとめたほうが効率がいい
静岡茶業界はどんどん買ってくれますから なので静岡県外長野とか山梨とか岐阜とか
あの辺のお茶も全部静岡県に集まってくるんですね へえそんなとこからも
これは東海道線の開通が大きいんです 東海道線 今の東海道鉄道ですよねローカル線
本線 本線あれが開通したことによって各地からお茶を集められるんですね
鉄道を使ってね で静岡に集積をしてそこで全部準備してこれを港に運ぶんですけど
またこれローカルの人しかわかんないけど静岡市の茶町という場所から清水湖までそこそこ距離があって
東海道線でちょっとうまくいかないんですよ面倒くさいんですね
でなんと鉄道を引きますから 鉄道を引いたの 私鉄を引いちゃうんですよ
あれ私鉄あったよね 今でもありますね静岡鉄道これは茶町から清水湖までお茶を運ぶために敷かれた鉄道です
そうなのだからあんな独特なルートしてんだ はい変な動きしますよね
そして茶町の少し西側安倍川沿いのところに今道路になってるんですけど
道路の5車路かななってるところがめちゃくちゃ交差点がだたっぴろいんですけど
広い あそこでUターンするたりとか別の路線と繋ぐための
なんていうんですか鉄道のぐるぐる回ったりする 回転台ね あれがあったとこらしいですよ
それであんな広いんだあの辺 ちなみにこの情報は僕調べたのではなくて
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母がですね静岡のそのあたりの生まれなので私がちっちゃい頃あったよって言ってたところから
調べてたらわかったんですよ まあ生々しいというかリアル情報ね
ええと思って調べたら本当に写真出てきたみたいなね
あんなとこで回転台儲けてやってたんだね往復しようと思ったらね
昔の記者じゃ回転台使うしかないもんね そうなんですよもうねインフラ整えまくっちゃうんですよ
そこまで力入れてやってたんだね これで日本から海外に輸出するお茶の生産のうち
半分から半分強が静岡茶になりますね すごい規模だね
近代化をするための運用機械の発明 開運ありとあらゆる仕組みを静岡県が旗振り主導のもとに進めていったという構図なんですよ
でこれがパタッと止まる瞬間が来るんです 1914年第一次世界大戦勃発です
戦争か 日本の都合ではなくて海底側の西欧列強諸国
そんな買い物してる場合じゃない まあそうだよね貿易なんか二の次だからね
お金資本を徹底的に戦争に投入し始めますから で日本の輸出額はゼロにはならないですけど激減するんですね
余りますよねお茶 余る で静岡茶を輸出していた人たちはパッと振り返るわけですよ
日本国内に 国内にね あれ振り返ってみたらなんか俺たち最強じゃね
もう品質最高出荷量最高スピード最高生産効率最高
おおっと思って国内で売り始めたら完全に国内を席巻していくんですね
そうか90%海外に出しちゃってたから10%しか国内流通してない してないこれ全部振り向けたら
あ静岡最強だってことになってそれを全国の人たちが認知をするんですよ もう東北だろうが北海道だろうがあちこちのところに静岡茶が行き渡る
ここで初めてお茶といえば静岡が確立されるわけですよ
そういう流れがあったんだ ただここまで行くには英才が持ってきたところ
農営が広げて生一国氏が静岡に伝えてという土台がないと行かないんです絶対に
で永谷草原が煎茶を作るとかその前の抹茶の文化を広めていくとかこれがないとここにたどり着けないんですよね
確かにね徳川家康がいたお寺あれが清水にあったんだっけ 清賢寺ですね
あれも偶然だよね そうです完全なる偶然ですなんなら今川家の人質になっていたからこそですよね
ああそういうことだよね愛知の人だっけね そうです三河ですね
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つなみに今川家がもともと静岡を含めた東海地方の大大名だったからこそ強かったからこそ
徳川家康は静岡に人質に行ったわけですよね 確かにね 全部繋がるんです
すごいななんかどれか一つかけても静岡が静岡茶はここまで大きくならなかったよね
そういうことです これがさらに今新しい時代入ってますよね深蒸し茶
深蒸し茶 この深蒸し茶というのはもうほとんどの人知ってると思いますけど現在日本国内で流通しているお茶の大半は深蒸し茶に変わりました
そうなんだ なんなら皆さんがペットボトルで飲んでるお茶のほとんどは深蒸し製法です
東京関東地域も深蒸し茶の方が主流になってきてますね もうほとんど煎茶じゃないんだ
最近勃興してきている鹿児島茶あれもほぼ深蒸し茶ですね へえあれは深蒸し茶
が多いです圧倒的にでもこの深蒸し茶発明されたのは昭和30年から40年代
昭和30年から40年代 まだ100年経ってません ずいぶん最近だね
最近の話ですこれが深蒸し茶が発明されたからこそ現在急激に伸びてきている鹿児島が存在し得るんですよ
そうなの はい元々深蒸し茶は品質が悪い
悪いくはないけど上級茶を作りづらい茶葉をなんとかするために苦肉の策で生まれた製法なんですね
これは牧野原、金谷、島田、牧野原市、菊川市、掛川市このあたりですね
みんなうちが発祥の地って言ってますけど全部正解だと思ってますけどね そうなんだ
みんなで一緒に開発して情報交換してますから 共同組合かなんかで話し合ってるでしょうからね
自然発生的にみんなで開発をしましたと 実は鹿児島のお茶っていうのはもっと古い時代から作ってはいるんです
もう江戸時代からあるはあるんですけどそんなに流行ってなかった
だって一大消費地からめちゃくちゃ遠いですからね ずいぶん遠いね
京都、大阪、江戸とは圧倒的に遠いのでそんなに流通させられないんですよ
ここでなぜ鹿児島が上がってきたのか ちなみに鹿児島が急激に伸ばし始めるのは平成くらいからです
ずいぶん最近だった 超最近昭和40年から平成2年でもういきなりプラス1万トンみたいな
そっから20年後の平成22年で2万4000トン 令和元年で2万8000トンと
ずいぶん増やしたね ちなみに令和元年の静岡県が2万9500トンですから
その差1500トンまで迫ってますね ほぼほぼ一緒じゃん
ちなみに昭和40年は4万4000対3800ですから話にならないんですよ
そうだね これがなぜ来たか鹿児島の生茶環境がとても牧野原に似てるからなんです
30:00
そうなの 広大な土地広い土地開けた土地があるんですけど
日照量が多いために深蒸し茶を作るような肉厚で硬い茶葉ができちゃうんですね
確かに鹿児島って平野多いよね 日照量が多いとそういうことになるんですよ
渋みが強くて硬くて加工しづらいとこれが今までのつまり長谷草原に
単を発する生茶法だとなかなか加工ができないんですね
煎茶だったよねいわゆる これが深蒸し茶だとマッチングするんですね
ああそうなんだ だから平成の初期から今に至るまで鹿児島とこのあたり
円州地方はめちゃくちゃ茶業界が仲良いですよねお互いに技術検査で行ったり来たりしてますね
ああそうなの 仲良しですライバルでありめちゃくちゃ仲良しです
仲良しなんだ 賭け川にも視察何個とも来てますよ
ああそうなの うちにも鹿児島茶業界の人接待で何度かいらしてますし
ああそうそれ知らなかった これで技術持って帰るわけですね
しかも平成で大開墾してるわけですからそもそもでかい機械を使う前提の開墾しますよね
茶畑に行くための道路だって昔の細い道じゃなくて初めから広い道しくじゃないですか
まあそうだよね だから一人あたりの収穫量めちゃくちゃでかいわけですよ
これは伸びるよ いきなり平野でもう区画整理から入ってるからね
そうただねこれうわ静岡県民会社はうわ鹿児島来たみたいになってるんですけど
同じことを幕末にやってるんですよ静岡が要は
法?
法は宇治の政法を江戸時代中期ぐらいに入れていって
で近代化を進めるための整備をもうゼロからですよね
さらちだった薪の原を近代茶業をやるベースで開墾してるわけですから
ああそうか
要素の技術と近代技術と運用を作り直して最大産業化していく
最大公約数を取りに行くと
同じうねりを現代版でやってるのが今の鹿児島とか宮崎とかもそうですね
へえそうかもともとは宇治が強かったんだもんね
そうですちなみに宇治は今洗茶の方もやってますけど
比重を抹茶に置いてますよね抹茶ブランドナンバーワンですからね今ね
宇治といえば抹茶だと思ったけど元は違ったんだね
抹茶やと洗茶を両方出してたんですけど
静岡が没効してきたんで洗茶で無理せずに元々の抹茶の方で力を入れて
宇治ブランドの抹茶に力を入れていますよねより比重を置いてる
これですよこの繰り広げられるこの行ったり来たりのこのシーソーゲームのような
これがドラマですよね
これどこ行くんだろうね静岡と鹿児島の立ち位置は
そうなんですよこれからお茶は消費の仕方販売の仕方
生産効率とかをまた変えていって次の世代に向かっていくわけですね
現在ニューヨークを中心にロンドンカリフォルニアロサンゼルスですね
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抹茶スタンドとか
抹茶スタンド あと洗茶のスタンドもできてるみたいですね一部で
あとスタバでよく見ますよね抹茶ラテみたいなのあれはもう海外でもある程度浸透してきています
抹茶って抹茶だよね向こう行っても
そう抹茶はアルファベットになる だけで抹茶なんですよ
最近知らなかったんだよね最近は
これがまた今ブームが来ている ところなので今また明治の頃のように
出荷を輸出を頑張ろうという風潮 も出てきてますね
いやもともとコーヒーに勝 ってたんだから勝てるっていうのはこういうことだよね
はい特に旧イギリス大英帝国 のところなんかはもともと遺伝子に
遺伝子レベルだと思うんだけどね 抹茶の文化が根付いてますから
反応良さそうじゃないかなと僕は 思ってます
ちなみに紅茶と緑茶の違い って何なんだろうね
発酵させてるかどうかですね
その旨味とか味の部分肯定 はもちろん違うよ全然製法が
ただ紅茶が好きな人が緑茶好き なのかっていう疑問はちょっとあるんでね
日本だと緑茶文化が強すぎて紅茶が浸透しきらないイメージがある人もいるし
コーヒーがアメリカと仲がいいので コーヒー文化があるんですけど
比較的アンケートでいくと紅茶 を飲む人は緑茶も飲むし
プーアル茶もウーロン茶も飲むし お茶類はお茶類であれもいいねこれもいいねみたいな感じには
なるんで日本酒好きな人も焼酎 も飲むしワインも飲むしみたいな
アルコールだしみたいな そこまで遠くないじゃないですかお酒と違って
だから飲めちゃうんですよ そうか確かにダージリンとかプーアル茶とか
ジャスミンティーとかって緑茶 も飲むしコーヒーも飲むけどジャスミンティー
やっぱ飲むよねとか自分はねジャスミンティー 結構好きで飲んだりするし重力茶も飲むし
よく考えたらあれも紅茶の部類だもんね そうなんですよ紅茶と同じように
捨たれてるんですけど日本茶も 香りづけの文化って昔からあるので
みかんの皮を入れるとかあと花の 乾燥させたドライフラワーをお茶っ葉の中に
入れとくと勝手に移りがしちゃう じゃないですか花を外してそのお茶っ葉
でお茶を入れると香りがついた緑茶 が出来上がるとか
そういうことか これは紅茶でもやるし他のお茶でも
出来るんですよね へえやるんだね
こういうフレーバーティーは 緑茶の世界でもまたリバイバルで
伝わってる人たちがいますね その辺もちょっと飲んでみたいな
あとうちでお勧めしたいのは お酒飲むときに焼酎ですねお茶割り
お茶割り これは同じ焼酎でもう緑茶の
種類変えるだけでもう劇的に味 変わりますから
うんもうあれは衝撃だよね ねえこんな違うのっていうぐらい
ねえなんか想像していたもの と全く別のものが出来上がったような
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うんあれはびっくりしたすごく 良いのでお茶3種類ぐらい買ってきて
試したらいいと思いますよ その辺の解説もまた残ったで
また最後の方で本当の近現代 令和に入って今の人たちがどんな
チャレンジしてるかというところ まで駆け抜けたいと思います
じゃあ後半の内容はここで 終わりで次から本編ですね次回
はお楽しみにありがとうございます ありがとうございました