00:01
たべものの世界を探求する、たべものラジオ
たべものの世界を探求する、たべものラジオの掛茶料理むとう、むとうたくろうと、そして
むとう太郎です
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、食べ物の知られざる世界をちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です
はい、今回で第3シーズン突入ということで
はい、ですね
今回のテーマはお茶ということで聞いてますけれど、はい、なんで?
まあ、静岡県民ですからね
まあそうだよね、そんななるよね
なりますよ、これは絶対にいつかやらなきゃいけないところですよ
触れないとね
だいたい静岡県といえば、何ですかという質問がありますとしたら、どう答えますか?
お茶
お茶
でしょうね
あと富士山
みかん
うだき
そうだね、お茶と富士の国とか言ってますからね
そうなんですよ
お茶の産地日本一
静岡県民なんかそういうプライド持ってますよね
そうだね、みんなあんまり関心ないようなことを言いながら、都会じゃないけど、よそに出たらお茶の自慢はするよね、少なくとも
逆に例えば東京に引っ越したとして、他の産地ですね、例えば今で言ったら鹿児島県とかね、三重県の人とかに、いやいや静岡じゃないでしょって言われたらどう思います?
まあそうだよ、そうかもねくらいで
内心なんか若干イラっとする人もいるでしょうし
まあイラっとはないけど
いかないか
けどまあお茶言っても作ってますから、かなり
そうですね、実際去年は鹿児島県が相当伸びてきているのでどっちが生産量多いんだみたいな感じになってますけど
ずっと長いこと静岡県が生産量ナンバーワンなんですね
そうなんだ
もう圧倒的に多いのが静岡県と鹿児島県
でこの2つの県を合わせると全体の45%ぐらい
結構ある
でその次に三重県
三重県もあるんだ
宮崎県
宮崎県
あと京都府
京都府ね
歴史長いですからね
こんな感じであるんですけど
ただね静岡県がお茶で有名になる理由が生産量が多いことだけなのかなっていう疑問があるんですよ
そうなのか
例えばですよ
鰹といえばどこ?
鰹といえば八重洲?
僕ら静岡県民はそう思うんですけど
全国規模のアンケート取ると高知県って答えるんですよ
03:03
土佐
土佐か
確かにいっぱいあったよ向こうにいたけど
実際東京で取ったアンケートを見ると
圧倒的大差で高知県の勝ち
そうなの
だって日帰れ予選結構多いよ
そんなに量取れないからね
量はベスト10入りしてないもん高知県
そうだよね
だけどブランド力は鰹といえば高知だし
みかんといえば愛媛だし
和牛といえば神戸牛とかの兵庫県とかね
松坂牛の三重県っていう
なんだけど生産量別でいくと
鰹のナンバーワンは今タクが言った通り
八重洲港を持ってる静岡県がナンバーワン
みかんは和歌山県
和歌山ね
和牛だったらぶっちぎり鹿児島県
そうなんだ
ブランド力と生産量って必ずしも一致しないわけですよ
なんで静岡茶が宇治茶よりも上に来ちゃってるのかな知名度で
お茶っていうだけでね
他にもあるじゃん埼玉の狭山茶とか
福岡のやめ茶とか
鹿児島のチラン茶とか
いっぱいあるわけですよ
なぜ
いやなんでだろうね
じゃあ今日の本題入ってきます
人類を魅了するお茶物語
人類を魅了するお茶の物語ということで今回は
そうですねオープニングにも話がありましたけど
茶どころ静岡はどうやって生まれたんだと
これがわかると他の産業が没効して
ブランドが高まっていった理由も
似たようなことから検証できるんじゃないかなって
ちょっと思ってるわけですね
でこれを調べたところ
やばいっすよ今回マジで
そんなに多いの
楊 なるべく縮めて言いますけど
現時点で3万文字以上書いてますから
本書けるじゃん
楊 まだねこれ第1話撮りながら
もう結論書き終わってないですけど
多分3万4、5千文字いっちゃうんじゃないかな
まだ伸びる
楊 まだ伸びるなるべく余分なことを端折って
縮めて縮めて話はしていこうと思いますけどね
ところで静岡県が全国規模で
お茶の産地として名前が出始めたのはいつ頃だと思いますか
出始めたの
5、60年前とか
楊 はい惜しいね
1300年頃です
かすってもない
楊 大体鎌倉時代が終わるかどうかぐらい
鎌倉時代
楊 が終わって室町時代
足利隆氏が室町幕府を作るくらいの頃に
06:00
静岡県今の清水あたりかな
駿河清美のお茶というのが
これはおいしいお茶だっていうのが書いてある
かなり古いんだね
楊 かなり古いあと有名人も言ってるよ
江戸時代の俳人だね俳句読む人ね
松尾馬賞知ってるでしょ
静岡県東海道島田宿
老井川のほとりですね
ここで読んだ句が残っています
駿河時夜花立花も茶の匂いと
どういう意味
楊 駿河のところに来ると
花の匂いも立花の匂いよりも
お茶の匂いがかぐわしくていいねっていう
そういう意味でね
楊 そういう意味で
ちゃんとお茶嗅いでる
楊 その時点で茶をわざわざ題材にするぐらい
お茶が有名だったということですね
その頃から
楊 その頃から
これずっと掘り下げていったの
どんどん遡って遡って
いやいや静岡茶の始まりどこだと
行ったらとある有名なお坊さんが出てきて
松一国師と
これはこの人ね
全国でそんなに有名ではないかもしれないけど
京都の東福寺というお寺を作った人ですね
元々名前は縁二という名前なんですけど
死んだ後に贈り名として天皇陛下から
天皇から松一国師という
松一っていうのは聖なるのひじりに
一番の一位
国師っていうのは国の師匠の師
松一国師って読むんですけど
これはどういう意味かというと
松一っていうのはとんでもなく素晴らしい
ナンバーワンの人だっていうことだよね
そういう意味なんだ
楊 国師というのは国の師匠
つまり天皇の師匠というぐらい素晴らしい人だという
天皇の師匠とかありなの?
そのぐらい時の天皇が
慕ってたお坊さんなんだよね
すごい人ってことだね
このすごい人が
なぜか静岡にお茶をポンと置いていく
静岡生まれだからなんだけど
この人がなぜ京都からお茶を持ってきたんだ?
なるじゃない
京都で何が起こってたのかっていったら
英才禅師っていう英才っていうね
偉いお坊さんに当たるわけですよ
知ってる?英才
名前だけ?
要塞とか英才って発音するけどね
この人は今の日本の臨済宗の階層
日本に禅宗って言って
座禅を中心とした仏教を持ち込んだ人の一人かな
ということは当然中国にも渡っている
この人がお茶を日本に持ってくるんだよね
この人が一番最初かと思いきや
空海が出てきた
また空海
また空海出てきた
この人は英才禅師よりも350年くらい前の人
また350年戻るの?
戻ったの
なんだなんだ空海お茶飲んでるじゃないかと
09:00
空海の日記が残ってるんだ高野さんに
それの抜粋をちらっと見たら
中国の書物を読むときは
お茶を飲みながらがやっぱりいいよね
みたいなこと書いてる
そんな風流にお茶飲んでんだね
そう
なんだこれってなるわけですよ
みんなお茶が中国から来てるのはなんとなくわかるんで
なんで?って思ってね
確かになんで持ってきたんだろう
これはね僕の一番の疑問は
なぜお坊さんが持ってきたのかなのですよ
確かに空海みんなお坊さんだ
そうなんですよ全員お坊さんなんですよ
この時代背景を考えると
空海や最澄は
県投資という国の施設団の一員として
中国に渡ってます
勉強のため留学ですね
これはいいですよ
英西全治は日相貿易戦
はい貿易戦
党が滅んで総に国が変わってるんですけど
貿易戦なんですよ
なんなら英西が貿易戦に乗ったのって
貿易を始めてから何十年も経った後なんですね
もう貿易は始まってたね
始まってて第何回目かの貿易戦に
乗せてもらっていくんだよね
じゃあ商人そんだけ貿易やってるんだったら
商人が日本にお茶持ってくればいいじゃん
お茶の輸出乳って誰がやるよ
また普通に商人じゃない
ですよね
それやらずになぜか英西なんだよね
なんでそこでお坊さん
でしょ
ここまで行っちゃったんですよ
これをわからないと
はるばるお茶が静岡県にやってきて
それから産業が勃興していって
静岡茶日本一までたどり着かないんですよ
そこまで戻らないとだめ
結果どこまで戻ったかというと
紀元前3000年
紀元前3000年
だから今から5000年前
一瞬ね一瞬
一瞬だけでそこまであるんだお茶って
それはさすがに日本にはまだなくて
中国の中の話だけど
想像以上に古い
その古い時代に
人類はお茶をどう認識していたか
これがわかると
空海や英西がどういうふうに
お茶を見ていたのかがわかってくるでしょ
今と違うということ
違うんですよ
違うんだ今って思考品だよね
そうだね完全に
そんな感じじゃない
そんな感じじゃない
これは知ってる人も一部いるかもしれないんだけど
基本は薬ですね
薬
薬漢方
でそれが一瞬食べ物を挟んで
飲み薬的な薬なんだけど
薬の飲み方がお茶っぽくなっていって
中毒になっていって
中毒って言うと言葉悪いけど
飲むようになってそれが日常化して
抹茶が出てきて煎茶が出てきてた
12:00
抹茶からの煎茶
それ知らないんでしょう
知らない人思いますよ
逆かと思ってた
抹茶が先です
なんか煎茶とかああいう方が
簡単に飲めそうだけど
煎茶が生まれたのが
日本で発明されたのが
江戸時代に入ってから
結構最近だ
まだ二三百年くらいかな
1700年代くらいなんで
さっきまで千何年前とか言ってたのにね
だいぶ時間がかかってる
そうなんだ
この流れを掘り下げていったら
やたらと面白いことがいっぱい出てきましてね
はい
宇治茶がもともと
肥茶って言ってあんまり
お茶美味しいんだよ美味しいんだけど
メインじゃないよって扱いされてるんですね
メインじゃないっていうのは
日本の一番の
お茶はたった一つ
戸賀能というところで取れた戸賀能茶
戸賀能
これを本茶と呼びます
本茶?
これね当茶って言って
お茶を当てっこする遊びがあったんですね
鎌倉から室町時代にかけて
あのお茶の種類は
当てるってこと?
4種類とか5種類のお茶を並べて
さあどれが本茶だって
当たりを見つけるんですね
本茶っていう名前の
お茶と別のものがあったってこと?
そうですその本茶になれるのは
たった一つ唯一
戸賀能のお茶だけなんです
要は4種類の中から
戸賀能茶どれだって言ってるだけ
それだけなの?
残りは全部非茶
非茶の非は非常口の非だね
本に対して本じゃないもの
っていう意味で非茶
すごいネーミングセンス
本茶と間違ってもらわないと
遊びにならないんで
美味しいお茶以外はもちろん選ばれないんだよ
当たりか外れか
くらいの表現方法だったということね
その外れの中の
一つに宇治があり
静岡の清見があり
伊勢茶がありと
すごいなんか
今の社会だったら
完全に怒られるやつだよ
完全に怒られるやつだよ
だけどこれはクゲの遊びだから
誰も文句はないから
そうか当時は
クゲとか武士の遊びですよ
今の時代じゃないから
良しとされたんですよね
この非茶の筆頭である
宇治が戸賀能を
凌駕していくんですよ
最終的に宇治が
強くなりすぎて戸賀能がほぼ
産業としては消滅しかかってる
戸賀能茶って
今知らないんだけど
産業化されてないね今は
されてないんだ
お茶の栽培面積が圧倒的に違いすぎる
この時の
文字に書いてあるのは日本五名茶って言って
五つの良いお茶
っていう意味ですね名茶
名茶の名は金辺に名前の名で名茶ね
この五ヶ所が京都の中の五ヶ所
15:00
それから京都以外に
さらに五名茶っていうのがあって
それが大和茶奈良県ですね
で伊賀茶
伊賀の国伊賀ね
三重県のそれから同じく三重県の伊勢茶
で静岡県の清見茶
今聞かないけどね静岡県の中でも
清見茶ってどこかわからないわ
政権時代だとね今
沖津という駅がある清水区ですかね
はいはい沖津
あそこら辺のお茶のことを清見茶
ですね へえあの辺にあったんだ
それから埼玉県の川越
川越有名だよね
川越茶
この中で現在
残っているお茶が
大きく三つですね
清見静岡茶ですねこれは
川越茶これはさやま茶ですね
今の伊勢茶
これは今でも伊勢茶ですね
変わらず
で大和茶あるけど
もうトップランカーではないですね
奈良県は
大和茶ね
途中で五名茶のブランドが変わって
いって宇治静岡
川越伊勢
という風に徐々に変遷を
していくわけですね
だんだん減ってっちゃうんですよ
どこが有名ですかっていう場所が
まず京都の中に
あったのはなんとか寺なんとか寺とか
お寺の名前がついてるお茶なので
お寺の庭で作ってるのねそもそも
お寺の庭で作ってる以上
産業化できないでしょ
お寺の庭で作ってる
そのお寺の庭で作ってるお茶
美味しいよねこれだったら本茶と
間違えるでしょ
っていうので選ばれてるだけなんですね
そういうことなんだ
でも都市が発展していくとさ
お寺の中でお茶やってる場合じゃないじゃない
建物建てたかったり
人が住みたかったりするわけでしょ
できなくなっていくんですよ
お寺の庭ってそんな広かったの だいぶ広いよ
今そんな
普通の庭っていうか
普通の庭はもちろん広いけど
言っても栽培できるほど
畑とかが広大にあるわけ
ないじゃん今のイメージだと
鎌倉時代
とか室町時代っていうのは
自社勢力っていう呼び方が
あって
武士が権力を握ってるのと同じように
京都や地方でも
自社がある程度の権威権力を
誇っている
両縁持ってるんですよ自分の領地を
お寺が
これがだんだんと発展して
いくと室町後期になると
例えば比叡山円略寺ね
信長に焼き討ちされた
あそこは僧兵っていって僧侶の僧に
兵士の兵だね兵士を持っていたり
とか石山本願寺
石山本願寺とかこれ
戦国時代の武将勢力のように
見られてますけどあれはお寺ですからね
お寺なんだ
そうそういう風に勢力を持っていくわけですね
なので土地持ってるんですよ
そうなんだ
ただ京都の
都の中のお寺っていうのは
勢力拡大できないわけですよ
権力よりも権威は
あるんだけど力は
18:00
幕府直下するようなんで
足利家のものじゃないですか
土地の拡大とか領地の拡大とかはできないので
産業としては
没効しにくい ああそういうことなんだ
他にもなんとか家
っていうクゲさんのお庭に
作ってあるお茶とかね
へえそんなお茶作ってたみんな
みんな作ってた
ただそれはどんどんどんどん淘汰されて
いって戸賀能の
本茶と京都では
宇治だけが残っていく
そういう流れなんだ
そうすると結果として宇治対
京都府以外のお茶
っていう戦いになっていくんですね
その中で
産業バトルが繰り広げられて
いって日本一はどっちだ
ってなったらまた逆転劇がずっと
繰り返されていって
今生き残ってるのがそこの
5名茶の中からサバイバルを
耐え抜いた静岡茶とかね
狭山茶とか宇治茶なんですよ
へえ結構壮絶な
争いがあったんだね そう
これが歴史あるだいぶ昔から
1000年くらいやってるバトルの末の
茶産地
これに対してワイン言ったら
ニューワールドみたいな新しい新興政権が
ドーンって出てきてる
これが鹿児島茶とか宮崎茶
鹿児島宮崎は
新しい方に入るんだ だいぶ新しいですね
それこそ最近
です
産業としてなかったわけじゃないんですよ
昔から歴史はあるんだけど
全国に名乗りを
あげるほど生産量が
多くなってガンガン出荷をするようになるのは
本当に最近ですね
そうなんだ
話は聞いたことあるけど鹿児島の方が
平野が多いというか
大規模農業に向いている
っていうところで産業として
発展したっていう話は聞くけど
その前はちょっと知らないけどね
これすごく面白いな
と思うのが
宇治がトップを走り続けてると
静岡と鞘山が頑張るわけですよ
宇治を追い越せって
静岡がボンって一回出るんですね
それをさらに鞘山が
ドンって抜くわけですよ
そうすると宇治が3番って落っこちるじゃないですか
宇治頑張るんです
大逆転を起こすんです
やっぱ1位が重要なのかな
1位が重要というか
何だろうねビジネスだから
この時代になってくるとこれ今僕が話してるのは
江戸時代の話ですよ
そのぐらいになってくると
それまで遊びだったりした趣味だったのが
産業として
なってくるので
どこが売上が高いんだって
戦うというかライバルとして
いい関係でありながら
技術の向上をお互いにしあっていたり
とか
やってくわけですよね
それでどっちが上に行ったみたいなので
切磋琢磨することで日本の茶業界は
進歩してきた
それが現代まで当然続いてきていて
今度は静岡に対して
他のところが出てきたのが
ヒットが鹿児島茶
という
抜きつ抜かれつを
みんなやり続けてるのが
茶産業ですね
21:00
面白かったすごかった
すごかった
宇治の没興の瞬間とか
ゾクッとする
宇治って没興するまでそんなに
もともと抹茶で
ナンバーワンなんだけど
煎茶の前身の
釜入茶とか知ってるでしょ
庶民が簡単に飲める
釜入茶とか同じような位置付けで
日刊番茶って言って
庶民向けのお茶がもともとあったのね
これの方が売れちゃってて
マーケット違うじゃん
抹茶ってのはクゲさんとか
武士とか上流階級向けで
売ってるわけです
人口規模で言ったら圧倒的に庶民の方が多いわけです
江戸時代になると
庶民の暮らしが平和になったせいで
豊かになりますよね
お茶買えるようになるんですよ
でも抹茶買えないんですよ
抹茶よりも
釜入茶とか日刊番茶の方が売れちゃうんですね
抹茶しか作ってない宇治はだんだん衰退していくわけですよね
売り上げのね
流通量が全然
伸びていかない
減るというよりは伸びていかないけど
他がどんどん伸びていく
ここで長谷総演という人が出てきて
現代の清茶法を確立させて
一気に江戸に
ドンと進出して
静岡と狭山が
抑えてたマーケットを
ガンって取っていくんです
静岡とかも取られていくんだ
ちなみに後でまた出てくるんだけど
この宇治茶を江戸で
ガンって売った茶商さん
販売元ですね
これが今の山本山の
前身です
上から読んでも山本山
下から読んでも山本山
のりとかふりかけとか売ってる
あの山本山はこの時に
できた会社ですね
お茶の お茶から出てます
お茶からなんだ 宇治茶をね
ポンって宇治煎茶を
売り出したのが山本山ですね
この宇治煎茶
今の煎茶の元祖と
なってる宇治煎茶を
発明した人が発明したとは言わないな
正確には確立させた人
生産方法ですね
生産方法を確立させたのが
長谷総演
この方の
10代目の子孫が
作った会社が今でも有名ですね
長谷演です
長谷演 お茶漬けだ
お茶漬け
すし太郎
この会社を作った長谷さんの
10代前の先祖は
長谷総演という
宇治煎茶
現代の煎茶法を確立させた人です
へえそこで
繋がるんだ びっくりでしょ
俺もびっくりしたもん
明治一緒だなと思ったの
うんうん
ここで来たみたいな
やっぱお茶関係ずっと10代やってたってことだ
10代続いてお茶の
ことをやってたってことか
長谷演を
創立した方は
総家ではないので文家なので
本家ではないです本家は今でも
長谷演という同じ名前だけど
24:00
茶演を京都でやってますね
まだやってんだ 農家さんやってますよ
へえ はい
いいお茶作りますよやっぱり
日本家だからやっぱお茶関連
そういうことですね 強かったんだろうね
強いんですよね
ちなみに山本山は
明治25年だったかな
明治に入るまで
販売契約料を
長谷家
総家に毎年25両収めてますね
へえ
契約料とかあったんだ
1000倍契約ですね
そういうことかお茶を作ってるのは
長谷さんでそれを
作る権利が山本山
そこを
自分で作らなかったんだね
長谷家として
独占販売みたいなのは
やらなかったみたいですよ やらなかったんだ
多分時代が江戸時代
中期ぐらいの方なので
なかなか難しかったのかもしれないですね
自分は
茶演をやらなきゃいけないですから
今はそうだけど
生産と販売は
両方やるっていうのはかなりしんどいからね
だって全部手作業だから
当時
そうか手作業がね
農作業買うところ積むところ
成茶するの全部手作業なんで
ああえぐい量あるね
でしょ それは専属じゃないと無理だわ
そうなんですよ
そういうことね
機械化されるのは幕末から明治にかけて
幕末なんだ
幕末でそれが出始めて
明治でドンと
一気にいくんだけど
頑張った人たち
何人かすごい人たちが出てくるんだけど
これはね読んでて燃える
燃える うん
涙出てくるぐらい頑張るからみんな
そんなに壮絶な
頑張りを
する
資材投げ打ってやっちゃうから
家が傾いちゃって
明日の飯食えるかどうか分からんぐらいまで
行っちゃう人もいる かなりだね
かなり そこまで行く
もうその人がいなかったら
近代茶業は成り立ってない
へえ
すごい人いるもんだね
やっぱり
この人たち3人いるんだけど
主にお茶の生産技術に
貢献したと言われてる
近代茶業の父3人種
へえ3人いるんだ
3人いるんですけど
それとは別に静岡県の茶業
勃興を思いっきり
後ろから押してくれた有名人たちもいて
いきますよ
かつかいしゅう
山岡鉄修
山岡鉄修知ってる
この人は県と諸島全の
達人と言われた人ですね
それから同じく爆心の中城陰明
中城陰明
県の達人ですね
そしてこの人たちを
さらに影からこそっと
バックアップしていたのが渋沢栄一ですね
渋沢栄一
ヤバいでしょ急にそっち来る
へえそこ繋がるの
繋がるんですよ
へえ
27:00
黒船の来航によって
幕府が倒れて
大正奉還がなるんですけど
その後旧爆心たちが
めちゃくちゃ茶産業を
復興で頑張るんですね
すごいイメージ揃えたね
15代将軍徳川義信
その息子家貞も
お茶の振興に結構情熱かけてくれてるんで
へえ徳川家も
幕府がなくなっても
国のために
国益のために
へえそこまでしてお茶を
推し進めたかったんだ
これが富国強兵とか
食産工業っていって
日本の国の方針なんだけどね
それの中の一つの大きな柱が
茶産業だったってことなんですよ
へえそこに茶産業入ってたんだ
入ってたの
でそのことを調べていったら
またねイギリスオランダアメリカ
出てくるんだよ
関わってくるね
明治の時代に
お茶を輸出するじゃないですか
そのきっかけを作ったのはオランダと
イギリスなんですよね
オランダとイギリスが入ってくるんだそこに
まあ紅茶の国イギリスですから
お茶には親和性が高いわけですね
確かに紅茶ねイギリスといえば
はいでこのイギリスが
アヘン戦争
という戦争を中国に
仕掛けていくんですけど
これなぜ起こったかっていうのも
お茶絡みなんで
アヘン戦争もお茶絡み
お茶絡みざっくり言うと
イギリスは中国からめちゃくちゃ
いっぱいお茶買ってたんですよ
紅茶ですね
紅茶っていうのは中国人が発明してるんで
当然紅茶は中国からしか
輸入ができない状態です
ずっと買ってたら逆に
中国もイギリスのものを買ってくれれば
貿易ってウィンウィンになれるじゃないですか
だけど中国って
すごい巨大な国家なので
どいなかのイギリスごときから
買うもんねえよって言って何も買ってくれないですよ
うーん
洋服だとかって全然ある
こっちにあるなんならお前らが欲しいシルクだって持ってるし
中国のほうが強かったんだ
圧倒的
圧倒的
産業革命以降
イギリスが大英帝国を
築くくらいまでいかないと
それまでは世界のGDPの
3分の1くらいは中国だけで
締めてんじゃないかな
3分の1が中国
そういうお国なんですよあそこは
すごかったんだね
もう世界史の中でほとんどの
時間中国がナンバーワン
へえ
そのプライドもあるし実際
物はあるから買ってくれないじゃない
だからイギリスからすると
赤人しかいない
イギリスは買うばっかりでね
買うばっかりだから何とかして他の物を
売りつけようと思って少し中毒性のある
物の方がいいよねってなって
思いついたのがアヘン
中毒性が
アヘンだと
アヘン戦争やるときには
イギリスは大英帝国っていってね
巨大な国家になって産業革命
回ってるんでインドあたりも
植民地化してるわけですよでインドで
30:00
アヘンを作ってそれを中国に
買え買えって持っていくと
一般人は面白かったら買っちゃうんですよね
どんどん中毒者出るから
どんどん売れるわけですよ
最初中国の政府
薬漬けみたいな
そうだから取締りするわけですよ
そしたら今度イギリス側が
何取締りしてんだよと
自由貿易だろふざけんな
って切れるんだよ
無茶苦茶だな
現代の考えでいくと完全に無茶苦茶ですよね
で大英帝国は
艦隊を中国に仕掛けると
これもう
全部お茶絡みですよ
お茶ばっかりを
中国がイギリスに売ってる
イギリスは中国から買いまくってる
これを何とかしたい
うまいこと安く
良いお茶を手に入れたい
こっちも貿易をして黒字化させたい
から起きるのがアヘン戦争
買ってくれないなら
買わせようとして
無理くりか
いろんな本があるんで
ちょっとずつ言い方が違うんだけど
これそうだろうなと思ったのが
おそらくイギリスは
中国ボコボコにしようと思ってなかったんじゃないかな
っていう説があって
一発ボコンって殴っといて
ビビったところで
交渉に入るみたいな
そういう外交戦略の一部だったっぽい
ようなことが書いてあって
もしかしたらそうかもしれない
それで攻撃をちゃんとしようかな
とか
でもこれで一発軽く殴ったつもりが
ボーンって
一発で決まっちゃってノックアウトしちゃって
それを見てた日本は超焦るんだよね
超焦った結果
不国共兵って
国を強くしないとやばいよね
ってことになって
国を強くするんだったらまず金儲け
って話にならんよねって
当時日本は
鎖国を終えて開国したばっかりだから
ヨーロッパの文明危機
ガストとかさ
洋服とかボンボン買ってたから
イギリスと同じ状態になってるわけですよ
赤字化してるんだね
逆に売るものを探してて
外国人が欲しがってるものの
筆頭が木とシルクね
富岡製糸工場ってあるでしょ
あそこの糸と
あとお茶
これで売って
儲けて国を豊かにして
このお金で軍をちゃんと整備して
西欧列強に
中国の二の舞いにならないように強くしよう
じゃあ今の日本の原型は
金とお茶で支えられたってこと
そういうことです
お茶そんなすごかったら
広がるよね 広がる
そういうことなんだ
これはいずれ
後の回でちゃんと話しますけど
アメリカはだってもともと
コーヒーの国じゃなくてね
お茶が欲しくて欲しくてですからね
そうなんだ
イギリスからアメリカに
お茶が送られていて
要はアメリカ独立前ですね
アメリカの市民はイギリスからお茶を買ってる状態です
その状態でお茶に税金かけます
ふざけるら
他のものを
33:00
税金かけてもいいからお茶にかけたら
それが一番欲しいのになんで
そいつにそんな高い税率かけんだよって
そんな
お茶欲しかったんだね それでブチ切れて
ボストンってわかるよね
ボストン港に
やってきていたイギリス商船
商船がお茶いっぱい積んでたんだけど
ここを襲って
お茶を全部海に投げ捨てる
っていう事件が起こるんですよ
そこ奪うんじゃないんだ 奪うんじゃない
でもボストン港の海が
抹茶色に染まったらしいよ
相当な量だね かなりの量だと思う
でアメリカの
国内でイギリスの不買運動
イギリス製品買わねえぞって
だからお茶買わないんですよ
買わないんだ
でもめちゃくちゃ飲みたくてしょうがないのよ
アメリカ人
しょうがないから
お茶っぽい味の
コーヒーを発明する
飲み物がコーヒーだった
コーヒーはほらすぐ南米近いから
何分でも取れるから
なんとかなるじゃないですか
お茶だけは栽培失敗してるんでアメリカ
そうなんだ
多分環境が揃わないんですよ
でどうしても
お茶飲みたいけどないから
コーヒーでお茶っぽい味のものを
なんとか開発するのが
なんでしょう
アメリカンコーヒーです
アメリカンコーヒー
うん世界中の
コーヒーの中でアメリカンコーヒーだけ
ちょっと特殊じゃない
焙煎が浅くてさ
あれはね紅茶に味をにせるために
ああいう味になってるっていうね
あれ紅茶が
飲みたくて作ったんだ
よっぽど紅茶を諦められなかったんだと思うよ
それすごいね
その
モチベーションというか
そこまでして紅茶が飲みたかったんだ
飲みたかったんだって
もうそこから時間軸で言ったら
100年経っているんで
コーヒー文化の国にはなってるんですけど
今ニューヨークを中心に
抹茶文化が
広がりつつありますよね
抹茶お茶広がってんだ
面白いでしょ
そうやっぱ
お茶ってすごいんだね
ペリー来航黒船の時も
そこで開国した後も日米就航通商条約
不平等条約で
貿易始めるじゃないですか
ヒットお茶ですからね
ヒットお茶だったんだ
アメリカが
日本から買ってくれたのはお茶ですから
よっぽどだね
でしょ
そういう流れもあるんだね
これを一個一個
なんでなんでって言ってたら
とんでもないことになってしまって
でもすごい面白かったの
また文字数にしたら3万文字超えちゃった
笑
面白そうだね
なんで次回からは
そもそもお茶はどこからやってきたのか
お茶ってなんぞ
っていうところを掘り下げて
いくのとあとは
空海と英才が
日本にお茶を持ってきたところ
36:00
一発目で
なんで僧侶がお茶を持ってきて
広めたのかがわかる
そこ気になる まずそこから
答え合わせしていこうと思います
じゃあ次回もお楽しみに
ありがとうございました ありがとうございました