1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #100(s13-10)【じゃがいもと北..
2022-07-12 37:40

#100(s13-10)【じゃがいもと北海道1】北の大地へ住民大移動!(たべものラジオ)

屯田兵と湯地定基(ゆちさだもと)さんのお話。
ウィリアム・スミス・クラーク教授 / ホーレス・ケプロン(米政府農務局長)


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00:03
では前回からの続きです。今回は 今回は北の大地でジャガイモ物語
北海道の話ね はい、でございます。前回最後のところで開拓史の話をしましたね
北海道にたくさんの人たちが流れ込んできましたよというお話をしました
これで人口の増え方やばくて 北海道の開拓史が設立された年1869年っていうのは
北海道全体に住んでいる人口がおよそ6万人 6万人しかいないんだね
開拓史が解散するくらいの頃になると30万人 5倍か
十課年計画で頑張ったわけですよ すごいね そこから15年ぐらいすると100万人
15年そこそこで30万が100万ですかみたいな話ね そんなことあるんだね
そこから17年後1918年180万人 増えすぎでしょ
すごいよこれ 一番最初6万人の時の農地の面積が総面積でだいたい3万兆分
3万ヘクタール弱くらいかなこれが 1918年180万人になった時には80万兆分
27倍 面積27そんな変わる すごいね
それだけたくさんの人が流れ込んできた 前回ちょっと言いましたけどまず一番最初に
氏族が流れ込んでくるわけですよ 結構初期で大量に移動してきたのが
領主とその家臣たち丸ごと 例えば仙台藩の中の白石寮とか渡り寮とかいうふうに
今の渡町とか白石寺とかあるんですけど その単位で要は家臣の中でも重心が土地持ってるわけですよ
ここなくなっちゃったんでここの お殿様領主とその配下の家臣たちが寝こそぎお引越しします
へえ丸ごとくるんだ そうなんですよなんでね今でも伊達氏っていう氏があったりとか
札幌氏白石区ってあったりとか ちょっと今あえて仙台藩出しちゃったんですけど
めちゃくちゃいっぱい本州の地名が北海道にあるんですよ ああそうなんだ
加賀にちなんだようなのとかねあるし もうすごいそう栃木っていう村があったりとか
そんな大きな名前であるんだね そう栃木神社の柳中村とか
この地は柳中から来たんだなみたいなのがわかる そうか地名丸ごとになっちゃうのか
移民の人たちがバラバラで入ってくるケースもあればその地域一塊で来るケースも結構あるんですね
そうすると元々のコミュニティがすっくり行くんで そこでめちゃくちゃ厳しい環境じゃないですか寒いし
03:04
今までにない過酷な環境の中で一致団結して頑張るから 結局その人たちが住んだところ昔の場所をしのんで
その名前で呼ぶようになっちゃう そういうことが起こるんですよね
すごいね これをよく教科書で出てくるのが豚伝兵っていう
豚伝兵 開拓をする人たちなんですけど
これなんで兵という字がついてるというのがポイントなんですね
前回最後にお話ししましたけどロシアと緊張関係にある かつ食産工業とともに富国共兵をしなきゃいけない時代
西欧列強がやってくると ヨーロッパをはじめあちこちでどんぱちやってる時代ですよまだ
なのでいざ何かあったら兵が必要じゃないですか この土地は唯一中央集計の中で直接コントロールが効く地域なんですよ
言ってたね だからここで兵を養っておきたい
だから豚伝兵の人たちは訓練と開拓のセットで動いてます
だから例えば士族の人たちがどこそこに行ったったらそこで毎日訓練と開拓をやってる
へえなかなかハードだね ただこの人たちもともとが武士ですから
武士の誇りを守るっていう意味もあるんですね
武士っていうのは負けた側に属していたとしても旧幕府側にいたとしても
それでもやっぱり国のためにって意識がすごく強い人たちなんですよ
国のために命を投げ出せる人たち まあ元がそうだからね
そういうふうに育ってますから この人たちから武士という役割を取り上げちゃったわけですよね
だからそこに兵という役割をもう一度与え直してるんです これで彼らのプライドが保たれて
ここを開拓することがこれからの日の下のためになる
私たちが兵になることは国のためになると思って必死で頑張るんですよ
はあ すごない
すごいね なんなんこのまっすぐな人たち
はあ だから桃鉄の飛んでん兵カードはターン休みなんだね
そんなのあったっけ 覚えてないけど ある飛んでん兵カードってのがあって
北海道に飛ばされて開拓してこいっていうカードだね
何ターンか休みになるね 確かに開拓してるからね
その場所に留まらないといけないって意味で何ターンか休みっていう
そこもちゃんと繋がってんだなっていうのがあった
そんなカードあるの知らなかった あるある
ちなみにこれ飛んでん兵ははじめは元武士の人たちですけど
だんだん庶民からも飛んでん兵志願して行く人たち出てきますね
要はアメリカ開拓地と一緒ですから未開の地なんで
誰もいないところを開拓して原っぱを畑にして町にしてくっていう状態なので
フロンティアスピリットあふれる人たちもやっぱりやってきます
だから北海道ってあんなに飛び散ったんだね
見たいですねそういうのもあるんじゃないですか
住める場所というか気に入った場所にたぶん残ったんだよね
当然ですけど会社組織みたいなね
06:00
もう何だろう本当アメリカンフロンティアみたいな感じですけど
会社作ってきた人は出てやるみたいな
いう人たちも当然出てきますし興味深いのが宗教団体
宗教団体 理想郷を建設するために
特に日本においてはキリスト教が認められてませんでしたから江戸時代
なのであそこに行けばっていうのもあるですね
これあれですよイギリスからアメリカに渡ったピューリタの人たちに似てますよね
だから北海道はフロンティアなんです
そういうことだね
あとこれはもう本当運命のいたずらだなと思うのが
災害とか天災の影響で土地を追われた人たち
行く場所なくなっちゃったんで北海道に移ったっていう人たちもいますね
そんな人もいるんだ
奈良県かな徒川豪雨大災害とかね
大雨で村が丸ごと流れちゃったとか
そんなのもあったね
大地震で亡くなっちゃったとか
あとね足尾洞山聞いたことあります
どこかで聞いたぞ
栃木県の足尾洞山っていうのは
郊外類事件で有名になったところなんですよ
あの水又病棟に並んで学んだわ
そうまさに社会の授業で習ってるはずなんですけど
これ栃木県なんですね
で洞山ところから出てくる煙突が高いのが立てるんですけど
煙がもくもく出ててその煙の中に有毒物質が混ざっていたりとか
あと渡瀬川かあそこに高毒が混ざっている状態で流れていくので
いろんな人が病気になったりして大変なことになると
他の地域の洞山なんかは煙突の高さを倍に高く伸ばして
その公害を出さないように工夫するとかしたんですけど
足尾に関してはやらなかった
ああそうなんだ
そしたら公害がどんどんひどくなって政府も対して手を打たなかった
で最終的に思い越しを挙げた政府が
もうこれ水なんとかするしかねえやって血水工事始めるんですよ
でダム作っちゃうね
水をせき止めて
でそこで栃木県柳中村はダムのそこに沈む
ああそういうことなんだ
で行く場所なくなるじゃないですか
北海道行ってらっしゃいって
へえずいぶん旅出たね
はいもうサロマ湖の方です
すごい右上の端っこの方ですね
だいぶ遠いところに飛ばされちゃいますね
ああそうなんだ
そういう悲惨な歴史背景もあったりして
近所に散らばるとこじゃないんだね
北海道まで飛ばされるんだ
そうそのこと時代がここにあっちゃったんですよ
あああっちゃった
要は北海道のフロンティアっていう時代じゃなければ
他のところが選択肢に上がったはずなんですよ
けど今政府としては北海道に移民が欲しい状態なんですね
でたまたま土地を割れちゃった人がいた
じゃあお金出すから行ってらっしゃいって
そういうことね
ある意味都合よく振り回されてしまったっていう
09:00
部分もあるんじゃないですかね
うーん
この事件があった時代っていうのはもう明治時代なので
今ご存明の方のおじいちゃんのお話とか
ひいおじいちゃんのお話とかそんなレベルの近い時代の話ですね
最近だね 最近のお話です
うん
こういう風にしていろんな人たちが移民として
北海道に移り住んだことで
1918年180万人
今は520万人くらいいますけど
結構いるね
一気に急増するわけですよ
で困るのが食料問題でしょ
急に増えすぎた
こんだけ増えたら大変よ
そうだろうね
米取れんのだから
そうだね
ということはこれが起こる前
人口爆発が
起こってからだと
単純に基金が起きるだけだから
これが起きる前に
行っても大丈夫な状態がないと
いけないわけですよ
バカじゃないんで
それをやった人がいるんです
開拓史の中に
誘致貞本
誘致貞本さん
誘致貞本さん
1843年生まれ
出身地は薩摩藩
薩摩なんだ
随分遠いところから
西郷隆盛とか大久保利見氏とか
あの薩摩ですよ
生まれは結構いいお家の出で
お父さんは
奥医師の
医者さんですね
奥の院まで入れる
お医者さんなのでかなり格上の
お医者さんですね
そこの長男として生まれます
なので寺小屋や
藩内の
学問所で勉強した後は
21歳になると江戸に出て
かつ改修の私塾で学びます
かつ改修 はい一年間
でね
終わって薩摩帰るじゃないですか
今度は1866年
22歳でアメリカへ
密留学します
密留学
まさかの密留学 密留学
なんですけどこの密留学を
させたのが
実は藩なんです
へえ藩がやった まだこの時代
江戸幕府のある時代ですから
幕府の許可がなく国から出ることが
できるわけないんですよ
ましてや海を渡るなんてありえないですよね
なんですけど藩が
お前行ってこい
って言って
行かせるんですよしかも
偽名を作ってねわざわざ
駆動十三っていう名前作ってお前は
今日から駆動だっつって
でアメリカ行って勉強してこいって
そんなことしたんだね そう
貞本以外にもう何人かまとまっていってるんですね
これね実は背景が
あってですね撮影戦争
って聞いたことありますか
撮影戦争 これすごいっすよ
よくよく考えてすごいですよ薩摩対
イギリスっていう戦いですか
あその撮影ね
薩摩とイギリスの
絵ね 日本対イギリスじゃないですよ
薩摩対イギリスですよ
12:01
だいぶなんか規模感おかしくなってるけど
まあ3日間ですけど
これはね結構衝撃的な事件で
実はこの撮影戦争あたりから
薩摩藩が
没効してくるっていうのもあるんですよ
武力が
強くなってく
元々薩摩藩ってのは尊の上位なので
外国のやつらは
みんな打ち払え
の考え方なんですけどここから
尊の上位じゃなくなるんですね
ちょっと海外のこと
勉強して俺たち強くならんと
西欧列強と
渡り合えんなっていう思想が生まれた
きっかけだと言われてるんですよ
元々
生麦事件ってあったじゃないですか
生麦事件
神奈川県の生麦峠でね
で藩主の
お父さんの島津久美通行の
行列のところをねイギリス人
4人ぐらいがバーって横切っちゃうんですよ
大名行列の前横切るってのは
日本人だったら全員アウトじゃないですか
資材だね
当時イギリス人とかは横浜に来てた
わけですビールの会ちょっとやりましたけど
で居留地の中
外国人居留地の中は違い法権
イギリスの法律でやっていいよと
けどそこから離れたら
もう日本の法律でやるよと
で居留地から離れて
動けるのはこのぐらいの距離までだよ
ってちょっとグレーゾーンというか
グラデーションになってるゾーンがあるんですね
そこの中に生麦峠があるんですよ
そうなんだ
ここでねすげえこと
言い出すんですよ
お前ら何殺してくれとんじゃ
そんな法律イギリス人に通じると思うなよ
みたいな
でも日本の
官礼法ではもうきっとオッケーなわけじゃないですか
で揉めるんすけど
薩摩は知るかよ
そんな話ってなって
俺が殿様のお父様に対して
何してくれとんじゃってなってるわけなんで
だいたいから俺たちの
ボスは幕府だと
確かにその通り
ですよね
責任取るようになったら幕府に話し持ってってくれ
って言ってイギリスが
幕府に話をして
ちょうどその時代ってさ
江戸幕府ってすごく微妙な時代じゃないですか
開国したばっかりだし
だから
分かったじゃあ賠償金払えばいいんだろ
つって10万ポンド払うんですよ幕府が
払うんだ
そしたらさこのイギリスの艦隊
横浜港から
軍艦十何隻とか連れて薩摩まで行くんすね
へえ
その遺族の養育料
払えと
25000ポンドだって
薩摩まで行って脅しながら
軍艦のアームストロング砲とかを
お城に向けた状態で
交渉始めるんですよ
脅しだね
完全脅しで薩摩阪神ぶちける
はあつって
言って
ごちゃごちゃしてたら
イギリス側がちょっと
やらかすんすよ
交渉するわけじゃないですか
養育料払え要求を
その交渉も当然
結列して何回もやるんですけど
15:01
その交渉期間中に
交渉を有意にするために
薩摩の基線
蒸気船ですね船3隻を
役立つんす
乗っ取っちゃう
したらちょっと有利になるじゃないですか
っていう感覚が
ヨーロッパの戦いでは普通にあるんですよ
武力を背景に交渉するっていう
文化もともとあるんでそのつもりでやっちゃうんすよ
したら薩摩阪神
全員ぶち切るんすよね
日本の感覚的にはそうなるよね
お前らやれあったなってそっから
戦闘になります
でもさ十何隻きて
全部鉄鋼艦ですよ
周り鉄で追われてるいわゆる軍艦
大砲何本も積んでて
アムストロング砲があってガトリング銃が積んであって
日本は片や半戦が
ほとんどでみたいな
そんな状態ですよ陸対海とはいえ
すごいっすよ
イギリス側の被害
船の大破1隻
駐波2隻
死者63名
これに対して薩摩阪死者1名
負傷者6名以上
なんで ありくそ強かった
めちゃめちゃ強かった
あれ今想像してたのに
真逆を言ったけど
なんじゃこれって
なって
一応和平交渉しましょうと終戦交渉しましょう
ってなるじゃないですか
またね薩摩側が一歩も譲らんのよ
なんなら
交渉中に3隻お前ら奪ったやろがい
って
その罪はどうすんじゃと
そもそもお前ら幕府から買収金もらってる
なんの話じゃって
ここは日本じゃボケって
いう話をして
ところどころ幕府も仲介で入ったりするんですけど
最終的にお年どころが
あがった
俺たちはお前たちの軍艦
1隻25000ポンドで買ったるわい
って
したらお前ら25000ポンド手に入れるやろが
俺たちはその分縦で払うのも尺やけん
軍艦購入するわ
なんか情報してるような
してないような でしょ
しかもこれすごいなこの25000ポンド
薩摩側払ってないのよ
幕府に借金すんの
へえ
この借金薩摩踏み倒すんだけど
まあそうね幕府も
そこまで力ないのか そう
そうなんだよ
俺は親が尻抜くのは当然だろうがって言って
なんで尻抜けるんだよ
したらさ
このイギリス側の交渉役の
ちょっと上の方の人たちが
こいつらすげえって
強え上に賢いし度胸座っとると
こいつらすげえな
って言ってちょっと歩み寄るのよ
だいぶなんか変わったね感じが
で和平交渉の間もめちゃくちゃ話し込むし
へえ
一歩も譲らんも卑屈にもならんし
ですげえなってだんだん
仲良くなっていって
この側の人たちも
欧米の軍事力とかすげえし
物質文明やべえな
ちょっと俺たち学んだ方がいいんじゃねえの
ってなってなんと
薩摩とイギリス有効関係結ぶんですよ
こっから へえそこの流れで
18:01
はいだから
ここで繋がったから
後々倒幕の時のパワーが
海外からやってくるんですよ
はあこっから倒幕の流れに
行くのか そうそうそうそうそういうことです
ずいぶんな下りだね
ここ結構キーポイントですよね
この
一大事件があったおかげで
よし俺たちの中から
優秀な奴らを海外に
行って勉強させよう
送ろうっていうことで幕府に
内緒でもう幕府内側で内緒ですから
借金踏み倒すぐらいなんで
よし密流学者
行ってこい
それで密流学できるんだ そう
させっちゃうの
で薩摩藩が
自力で行くにはなかなか目もあるし
難しいじゃないですか
これを圧戦したのがイギリスのグラバー
紹介 ああ
グラバーさんような ここで仲良く
なってるからアメリカに
行くのにイギリス経由でアメリカ
行くんだわ そういうことね
太平洋じゃなくて太西洋側から
行くのね はいはいはい
これまたすごいことになってますよ
そうだよね幕府の
目を駆け潜って行くには遠すぎるもんね
これ撮影戦争
がきっかけだからねすって通りすぎよう
と思ったんだけどいやこれちょっと一回軽く
言っといた方がいいよなと思って今 だいぶ
キーポイントだね 結構すごいポイントでしょ
日本史の中でも結構重要な場所
なので 変換点と言える
場所だね ですね
でユチさんの話に戻りますよ
忘れてた 貞本さん
ユチ貞本さん忘れてるでしょ
ちょっとだいぶ最初の方に行っちゃったね
これきっかけで優秀だったからこそ
ユチ貞本は工藤十三として
アメリカに留学をします
で行ってすぐはね
モンソンアカデミーってところに入る
これは今でもあるけど大学準備学校
大学に入るための
基礎知識をもう一回入れ直すところ
予備校になるのかな日本だとな
でそこで
学んで
その後に
マサチューセッツ農家大学
農業をやってる
マサチューセッツの大学ですよ
農家大学もあんだね
違う名前になっちゃって
今メモってこなかったから忘れてたけど
学校自体は残ってますね
ここで農学とか植物学とか
そういったもの農政とかね
を学んでいきます
ちなみにこの時に
ユチ貞本の先生になって教えてたのが
ウィリアム・スミス・クラーク教授
ウィリアム・スミス・クラーク
教授 クラーク教授
クラーク教授
クラーク博士と言い換えてもいいかな
あの少年よ大使を
イダケのクラーク博士
後にこの人
日本来ますから
北海道行くと銅像建ってますよね
あのクラーク博士はこの時点で
マサチューセッツ農家大学で教えてます
へえ教授だったんだね
ユチ貞本はこのクラーク博士から
直接学んでます
へえ
すごいよねこの運命の巡り合わせみたいなね
この後日本へ帰ってくるんですよ
当然もう農学詳しい農政もできる
21:01
植物学もわかる
農政ってのは
農業と政治の掛け算ですね
農業統治みたいな
ですねそういうことも学んでいきます
当たり前ですけど何年も
行ってますから英語喋れるわけですよ
そうだね なんなら大学の授業英語で受けてるんで
当たり前ですよね
まあ大学のレベルはね
元々バリ賢い人だしこの人
日本に帰ってきたら
帰ってきたらすぐお前ちょっと開拓時来いや
って声がかかるんですね
この声をかけてきたのが
黒田清高
黒田清高さん
この時点で開拓士長官です
これねビールの
札幌ビールが立ち上がる時にも
少しお話出てきた人ですね黒田清高
後の
2代目総理大臣やる人ですね
なんならこの撮影戦争で
先陣切って突入した人です
そんな人
総理やってたんだ そうそう
で五稜郭で
函館戦争やるじゃないですか
五稜郭 五稜郭
榎本竹明とかさ
肘方俊三とかが負ける戦い
後でオフの時に
ちょっとレクチャーしますね
ちょっと後で教えて
その散歩をやってたりもしますしね
で旅行ですけど
ヨーロッパとかアメリカも行ったことあるような
そんなような人が開拓士の長官やってて
で薩摩藩市なんですよこの人が
ああそうなんだ
内と年齢差3つなんです
黒田のがちょっと上で優秀なの知ってるし
藩から行けって言ってるのも知ってるじゃないですか
帰ってきた情報もすぐ入るんですよね
まあ同じ藩だからね
来いや
っていうことで速攻で
もうほんと数ヶ月後にはいきなり
北海道に呼び寄せられます
北海道行ったらですね
これまたとんでもない人がいるんですよ
とんでもない人
これアメリカ人でホーレスケプロンさん
ホーレスケプロンさん
内は
このケプロンさんの
通訳をやるんですね
農業のことが
分かってかつ英語が喋れて
政治にも通じてる人間じゃないと
対応できないので通訳やるんですけど
ホーレスケプロンさんってのは
お雇い外国人として
政府に雇われてアメリカからやってきた
人の一人なんですね
でこのケプロンさん
すげえのが
1871年
内が日本に
帰ってくる直前ぐらいに
とある日本人に
駆動かれてくるんですよ
黒田がね
ヨーロッパ諸国旅行するじゃないですか
アメリカへ寄るの
でそのケプロンさんとか
アメリカ政府の人たちとも
いろいろと雇用して学んでくるわけ
その中でホーレスケプロン
ってこの人たぶん必要だなって
黒田は感じたらしく
この場で超説得して
駆動き落として来てくれ来てくれ
ってラブコール送りまくって最終的に
うんって言わせるのよ
なんだけどこの人
アメリカ政府の
24:01
農務局長だからね
現役の
大分すごい人
連れてきたね
今例えばどこでもいいわ
日本以外のどっかの国の人が
政府の高官かなんかが来て
しかもどっかの
高長官ぐらいの人が来て
日本の農林水産大臣に来て
あんたが来に行ったら来てくれ
来てくれ今すぐこの職を辞して
今すぐ来てくれ
言える?言えるこれ
言えるというかまず
思いつかないよね
しかも来るんだよこの人
すごいよね すげえこの人
行く方も行く方だよね
そう言うも言ったり
来るも来たり
この人来ちゃってね
混雑日本北海道にいます
またこのケプロンさん
偉い人で踏んどり帰って座ってるわけじゃないんですよ
ちゃんとお仕事するの
自分で手を動かすというよりは
権限書こうしたらいいですよ
っていうのを書にまとめて渡すっていう
仕事をするんだけど
北海道のあちこちの現地視察
あちこち行きまくるの
気候も感じるし食べ物も見て
道路状況とかありとあらゆるものを見て
自分がもう農業専門家なんで
元々詳しいじゃないですか
色々と見た結果
この土地はやっぱ米はあかんなと
小麦を植えるべきだ
じゃあこの辺りの区画を麦にしたらどうか
っていうのを権限して
ケプロンさん確かにその通りですと
分かりましたやりましょうって言って麦を植える
でっかい麦畑ができる
わけでしょその時に
作った麦畑から取れた
麦を使って作ったのが
札幌ビールのビールですよ
だからケプロンさんが麦だって
もし言ってなかったら札幌幕州
が繋がってこないですね
札幌ビールがなかった なかった
札幌幕州ビールは元々開拓士の中の
一機関として誕生しますから
これはもうケプロンさんが
残した麦から発展したもの
へえ
すごい あとは
漁業にも結構ね口出しするんですよ
生魚の送るの大変じゃん
だからこれは加工して
缶詰とかにして送ったら
良いのでは分かりました
缶詰工場作りましょう
缶詰工場ができて今でも
酒の缶詰とか北海道さんありますよね
缶詰とかこの人の提言です
スタートは
だからちょっと北海道の生産物
とか農業の作り方が
アメリカっぽいのは
この時にアメリカの文化を持ち込んでるから
そうそういうことです
なんか裸でさ
そういう大規模農業とかさ
確かに土地が広いから
かなと思ったけどそもそも
アメリカから来てるんだ
アメリカ人が直接来てるしかもトップが
農政のトップ来てる
そりゃあいるわ
で札幌農学校って
できるじゃないですか
農業をしてる学校
それを作ったらいいよって言って
その準備までやって帰る
へえやること
やり切ったね
物流のためにはここ船で航路繋いだら
27:01
いいよとか道路作った方が
いいんじゃないですかって
今国道5号線になってるとかね
ちゃんと跡残ってるんですけど
それもちゃんと整備して
じゃつって帰ってく
へえめちゃくちゃいい人
でこれをずーっと
突き下がって動いてるのが
誘致通訳だから
日本語わかんないもん
行く先々ずーっといるし
権限書も
日本語に訳さなきゃいけない
ずーっと誘致が横にいるの
ほらもうケプロンの
考え完全インストールしてるわけですよ
カバン持ちみたいなもんなのね
まさにこれを生かして
七重官業試験場
っていう
農業試験場ですよ言ってみりゃ
が今の七重町っていうところにあるんですけど
この七重官業試験場の
経営を任されるようになって
いきます
ケプロンを横で見て学んだこと
そして自分がアメリカで学んできたことの
実践の場ができるわけですね
ここでいろんな作物を
試して植えてみてはこれがいい
これをこうするべきだとかトモロコシはどうだ
麦はどうだジャガイモはどうだっていうのをずっと
研究をして
農業の促進をしていくと
いうところですね七重っていう場所が
函館から
JRの駅で
3つ目くらい そうなんだ
ちょっと北っていうくらい
あの中だと北なのかどうかはちょっとあれだよね
ちょい北くらい 気持ちね
JRの駅で3つ分くらいの感覚ですね
東京の感覚だと
言いますけど
近すぎんね3つじゃん
そうこうしてるうちに
キュプロンさん帰ったら
翌年くらいかな
札幌農学校ができるじゃないですか
誰がやんねんってなるんですよ
誰が農業教えてくれんのん
確かに
そこにやってくるのがクラーク博士
またすごい時だね
あれお久しぶりです
先生だよね
先生来て
当然雄知は知ってる人ですし
雄知貞本も通訳にもなってもらって
またクラーク博士の
教えを受けるというか通訳として
ちょっとヘルプをしてね
クラーク博士の教え子たちが
バーっと約1年間しかいないですけど
その間にたくさんの人たちを
教えていくという状態で意外と
これで農業に関する知識とか
基盤ができるんですよ
そうなんだ
雄知貞本の中にもいろいろと構想があるし
これから農業を伸ばしていくと
農政やるぞっていう土台ができたわけですよね
いいなってなって
少しずつ伸びてきました
というところで
1882年開拓史は解散です
そこで解散
だって10年だもん
そうか本当に10年で解散なんだ
72年から82年でピタッと終わるんですよ
へえ
なんでこれ終わったかっていうと
それよりもっと前の段階で
本州では廃藩地権はあって
県で動き始めてるんですよ
県知事に今で言う県知事ですけど
県令っていう人がいてね
県として動いてる
82年で開拓史解散して
30:01
北海道も都道府県制にしましょうということで
県になります
この時できた県が
根室県箱立県とか
札幌県っていうこの3つですね
っていうか北海道の中も県だったんだ
県です
で道庁が真ん中にあって
そこでその3つの県を統括して
中央と繋ぐみたいな
中部とか
中国地方とかの
そんな感じです
3つの県でやるんですよ
この時うち貞本は
根室県令になります
根室県令
県令令は令和の令ですけど
今で言う県知事
ただ今の県知事ってさ
選挙で選ぶじゃないですか
違うんですよこれこの時代は
政府から直接任命されるんです
やってくれって
まだ出来立てだからか
これお茶の会でちょっと出てきた
中城影明も県令依頼が来ますよね
即答で断ってますけど
断ったね
うちはちゃんと受けます
うちは志持って受けるんですよ
というのも
根室県という場所が
かなり当時
何もない
何もなかったな
北海道の右側の
だだっぴろい荒野なんですけど
1000人しかいないみたいな
すっかすかほとんど未開の地みたいな
その土地でやってる
産業と言えばほとんど漁業
漁業なんだ
農業はあまりやってない
寒いし物育たないし
開拓してないしまだ
どうするよ
どうやって生きていくよって言ったら
お米は海運で
堂内の南の方とか青森からまた
運んでくるのよ
魚も別に大して加工してないから
ちょっと運んで打って終わりみたいな
そりゃ貧しいわなみたいな状態ですよ
そうだね
ずっと農業試験場で働いてきて
そのままケプロンとかクラークに
農政を学んできた貞本が
そのままほっとくわけないじゃないですか
そりゃそうだね 何植えるって
ジャガイモ植えや
そこでジャガイモか
麦とかも植えてたんですね
少しはけどいろいろと
研究して実験した結果
今は麦もやるけど
ジャガイモも力入れないと
ここの土地のバランストレンド
ということでジャガイモ奨励を
やり始めます
で初めはこうやろうぜ
みたいな感じで言うんですけど
まあね皆さん動かないんですよ
そうなんだ だって漁師だよ
漁師にジャガイモ植えろっつうんだよ
確かに 動かんよね
普通に 動かないね
しょうがねえなあ
お前ら何がダメなの?
俺たち農業やったことないし
道具もねえしつつ
分かったじゃあ種と農具渡すって言って
各家庭にね
農業器具と植物の種とか種芋とか
バッと配る
どうだつって
なかなか動かんない
分かった農業十字命令を出すって
いきなり強権発動する
33:01
まさしく強権だね
いきなり上から来るんだね
その時は
もう多分うーんってなったんだろうね
どういうことなんですか
もうやればいいから
でも農業なんでもいいけど
じゃがいもやろうぜって
そこでもう一回じゃがいも奨励を
出すのね
なんて迷惑な命令だと
俺ら本当に
魚とってるのに
無茶なこと言いやがるこの
しょうがねえなあ
まだまあ命令だからやるかなあったら
夜中になってコンコン
はいどちらさん
誘致ですって
来るのよ
来るの 来るの
県知事が どこの誘致さんだいって
ガラガラってあげるじゃん
うん 県令なんですか
手にはじゃがいもの種芋を持って
説得する
ああそこも真正面か
ああ 真正面から
強権発動するんだけどちゃんと真正面から
説得するのよ
こういう土地でこうでこうで
食料が大変な状態になってるから
みんなのためにもあなたたちの生活のために
俺は頑張ってるんだぜひ
協力してもらいたい
県令にこうやって来られちゃうさ
そうですかって無視するわけにも
いかねえじゃねえかしょうがねえな
じゃあその裏の庭耕して
道具もらったしやるかいつったら
あんたそうしなさいよせっかく来てくれたんだし
じゃあやるかいつって
やるわけだよ
そしたらさなるんだよ
なるんだ じゃがいもだからさ
手がかかんないの
できちゃうのよ
あれいいじゃん
でこれ1万7千人口いるけど
全家庭を
全部じゃないだろうけど手分けしただろうけど
回ったらしいのね
みんなやるじゃん
命令の上にお願いが来るのしかも
やったらさ
めっちゃじゃがいもできるのよ
そうだね
そしたら麦とか大麦とか
大紬植えるじゃない
収入額が一番高かったのが
大紬なんだけど
単位面積あたりの収入額一番高いの
じゃがいもなのよ
手間かかんない上に高く売れるのね
もうね
根室県民
うわってなる
実際に売れたら多分そう思っちゃうよね
で広がるんだよ
それ広がるね
これちょっとどっち本業
俺魚もいいけど
ちょっとこっち頑張らねえとみたいになるわけじゃん
まあじゃがいも植えときゃなるからね
どんどんどんどん増えていくんだよね
これがあって
広がるじゃない
根室って半分以上が未開の土地なんで
さっき言った移民の人たちね
どこ来るったら人の住んでるところじゃなくて
人のいないところに住むわけじゃないですか
その人たちの食料を支えたのは
このじゃがいもとか麦なんですよね
はあ
そこまでやって広めたんだ
この根室県っていう場所がまた
すごくて実は
わずか数年4年くらいで
3県1局制って言うんですけど
この3県なくして1局も
36:01
今の北海道に統合しちゃう
そんな短かったね
なんでかっていうと当時北海道全域で
25万6万人30万人弱いたんですね
けど
そのうち根室県が1万7千人じゃない
で函館県が
15万1千人いるの
バランス悪いね
悪ってなってやっぱそう思ったらしくて
で中心地函館って
遠くねえつってその時に
札幌に拠点置くように変える
道庁ね
真ん中から全体見ましょう
っていう風に変えるんですね
そうなんだ
なので移民たちは札幌県
旧札幌県か根室県に
行くしかないので
そこの食料を支えたのが
麦であり
トウモロコシでありジャガイモであると
特に冬場持たせるには
ジャガイモがすごく重要なんで
ということでね
先ほど言った移民の
胃袋を支えたきっかけを
作ったのがこのユチ・サダモト
という人です
覚えるに値する人物でしょ
すごいね
すごいしか言えないけど
これ続けちゃっていいよね
分割するぐらいの
時間にはなってると思うんだけど
もう40分近い
もう一人いるんすよ
もう一人濃いね今回は
もう一人ねすげえ人がいて
長すぎたので
次回に続く
37:40

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