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2022-07-15 28:01

#101(s13-11)【じゃがいもと北海道2】川田龍吉とジニーとアイリッシュコブラー(たべものラジオ)

川田龍吉(かわだりょうきち)さんとジニー・イーディーの物語。
なんで男爵芋?そして最後の最後に大事な話が・・・!


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00:02
前回からの続き
なんですよ もうすごいしか言えないけど
これ続けちゃっていいよね?分割するぐらいの時間にはなってると思うんだけど
もう40分近いですね もう一人いるんですよ
もう一人、濃いね今回は もう一人ね、すげえ人がいて
日本で一番有名なジャガイモの品種といえば何ですか?
段釈 段釈間違いないですね
うん この段釈芋の父、川田良吉
ああそうなんだ はい、1856年土佐に生まれます
はあ、良吉さんって呼ぶの? はい、龍馬の龍と一緒ですから良吉ですね
はいはいはい 川田良吉さん
この人、まずこのお父さんがやばい人なんですよ
もうやばい人? 川田小一郎さん
うん、川田小一郎さん 学校地に行ってたから知ってる?
うん 土佐の豪師の生まれですよ
ああそうなんだ うん、豪師だからそんなに身分高い方じゃないですね
下の上くらいのですか 武士の中でね
武士の中でかなり厳しい階級境があるので
家師はどんなに頑張ってもこれ以上上がれないみたいな
あああったね ありますよね
その中の豪師なんですけど、もうそもそも豪師のほとんどの人たちは
もうめちゃくちゃ貧乏なんですね うーんめちゃくちゃ貧乏だね
はい、川田家はそういう家で生まれました
へえ このお父さんの郷一郎さんは
なんかやたらと頭良かったらしくて、特に会計財務に明るかった
ああそうなんだ 単純に算術得意だったよね
で、その算術の際、理財の際って言うんですけど
で、班内で出世してきます
で、間走りますけど、いろいろと住友となんやかんやで
口座の整理があったりとか、会員帯の前身みたいなのは
つくも勝者とかがあって、それを整理する時にこの人が活躍したりとかして
で、その勝者を整理する時に岩崎八太郎と仲良くなったりして
ああやっぱそこ絡んでるね 同居人だから
で、今の三菱財閥の立ち上げる時の一番最初の段階では
もうこの人が絡んでるんですよ ああそうなんだ
もともと班で経営していた会社みたいな組織があるんですね
つくも勝者っていうのが、それが班がなくなったんで
民間払い下げになって岩崎八太郎が受け取るなんですけど
その前の段階で、この班の持ち物だった時に経営の全般を見たのが川田小一郎さん
で、八太郎ともともとその前から仲良くなってたんで
よっしゃ俺たち一緒にタックンでやろうぜっつって
二人三脚で三菱をでかくしていく
で、八太郎が死んだ後息子の代になってもずっとそばで支えてる
ああそうなんだ
そのぐらいの三菱を支えて作った人ですよ
で、そんな家に生まれた息子長男が両吉なんです
03:02
へえ結構エリートだね
エリートなんだけど叩き上げの家うちのエリート
三菱ってのはもともと海運事業から始まってるわけですよ
海援隊構想から始まってるんでもともとが
海運事業から始めるんで船いっぱい持ってるんですね
けど困ったことに三菱の中にね
船の修理できる人があんまりいないっていう
いないんだ まともに修理できん
だからお雇い外国人とかねあれ系の人たちに依頼をしないとどうにもならんわけですよ
で、小一郎はうんよしわかったつって
まず両吉を英語の塾に入れます
またねこういう仕事をしてるせいか
岩崎八太郎が大阪に英語塾開いてるんですよ
貿易したいから自分が
じゃあお前んとこにうちの息子入れるからつって
うんわかったつって4年間大阪行ってね英語を学ぶわけですね
学びましたよし育ったか
学問を学べつって地元の塾でまた学んだりして
うんよしわかったお前ちょっと造船業を学んでこい
造船技術を勉強してこいつってお父さんに留学命令されるんですよ
そうなんだ 1877年
スコットランドグラス号へ行ってこいつって
スコットランド行くんだ そうグラス号ってねグーグルマップで見てもらうとわかるんですけど
すっごい奥の方まで入江みたいな太い川が入ってるんですよ
手箱で船作ってその川下って西の方の海に出てくみたいな
そういう地形してるんでどうやらイギリスの中でも
造船のメッカで行って
学校というよりは実地訓練っすよ
働きながら学んで本を使って学んで
学校にもちょっと行って学んでみたいなそんなことずっとやります
7年間 7年間
きついっすよね きっちりだね
いかに英語できたとはいえ いきなり7年間はきついね
ボッチだから下宿だし ああそうだね
当時日本人がいるような環境じゃないからね当時
当然いないっすよ
1677年だからね
海外に行く日本人が珍しいところだもんね
だいぶ精神的にも肉体的にもきつかったっぽい
ああそうなんだ
環境違いすぎるよね
両基地が生まれ育ったっていうのは都差ですよ
太陽が降り注ぐサンサンと明るくて穏やかで暖かいところですよ
スコットランド基本的に曇りがち
シャールコムスとか見るとわかるけど基本的に曇りがち
あそこよりも北だからねロンドンよりもね
冬場寒いし曇ってるし霧は出るしなんもねえしみたいな
外人だし税に安いしっていう生活をしてちょっと頭が痛くなっても
06:02
変ずつ出ちゃったりとかそういう生活をしてたみたいな
それでもう頑張って造船技術を学ぶ
蒸気機関も学ぶし自分で蒸気機関組み立てられるレベルになるし
熱機関も学校行って大学で勉強するし
勉強したがらそこまで技術を学ぶってすごいね
ちゃんとマスターして船一隻丸ごと設計できるレベルになって帰ってくるんですよ
7年間でしょ
7年間頑張る
すごくない
すんごい優秀だと思うよ相当コン詰めてやんないとできない
できないよね
まだ武士の魂の時代だときっとねそういうことだと思う
7年間の留学の中たった1回だけ6年目の春に恋をします
勉強するのに独学で行くじゃない
本屋さんに行っては読みたまには買って持ち帰りということをやる
でも外国人だからよくわからんということで書店員さんにもお話を聞きながら
本を読んだりとか買って帰ったりとかしてて
そこに書店員としていたジニー・イーディーさん19歳女性と仲良くなって恋に落ちます
これねすごい青春ドラマみたいな大恋愛なのよ
そうなんだ
仕事がお互いに終わったらお互いそんなお金あるわけじゃない
片屋19歳片屋遠くから来てる下宿生で修行中のみ
あちをブラブラして夕日を見てお話をするだけとか
なんてほほえましい青春
寒い日なんかは街角でベイクドポテトを買ってね
二人で分け分けして半分ずつねとか言ってほくって食べるような
映画化できるんじゃねえかっていう
本当はね
ついぞうっかり買いそうになって買わなかったけど
実はこの辺のことを本にした小説が出てるそうですね
ああそうなんだ
興味あったら探してみてください
僕はもうそれ以上これ以上は不拒まれなかった
概略で勘弁してください
ちゃんと読みたかったね
結局いい話だったみたいですね
へえ
これはね領基地がなくなって20年以上経ってから
1970年代になってから領基地の遺品の中から手紙が出てくるんですよ
ジニーの手紙
ああ
およそ100通
100通
抜粋ちょろっとだけ見ましたけど
もうめちゃくちゃ愛し合ってる感じ
へえ
もう好きだなんだけどちゃんと相手のことを考えて
でも元気でいるとか明るく笑ってるみたいなことを言いながら別れていく
別れちゃうんだ
別れてるっていうのは結婚しようねっていう固い誓いをしたまま帰国するんですよ
そうなんだ
要はもう役割があるんで領基地には
日本に帰って造船技術を伝えるという役割があるんで
父の命令に従って帰ります
ところがですよ帰って領基地は父小一郎にまんまストレートに言うんですよ
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ぜひ僕はジニーと結婚したい
バカもーんって
なるんだ
なるんですね
これ何でかっていうと最初に言った通り川竹っていうのは貧しい業種のお手ですよね
小一郎一人の才能でもってここまで立心出世してきたわけじゃないですか
三菱は財閥化してこの時点では渋沢一とか渋沢財閥とか鈴木財閥と仲のいい状態で
ビールの産業にもキリンの立ち上げに携わったりとかいろんなことやってるわけですよ
小一郎は力はつけたけど足りないものがあるんですよ
家柄がない
確かに
八太郎も同じ思いだったようですけど三菱グループっていうのはトップが家柄がないんですよ
住友とは違うんです住友は商人ですけど元禄時代から続く代々の家柄なんで
岩崎八太郎も川手小一郎もそういうのないのでどっかいいとこのお嬢と結婚させたいって思いがある
ましてやそんな異国の公務人なんかもらえるか日本で生きていけるわけねえだろっていうことで
大反対をされて渋々いいとこのお嬢さんと結婚します
そうか破局ですよかわいそう
時代も時代だしな
でねこっから両基地は仕事に邁進するんですまず三菱製鉄に入社
三菱製鉄の中で造船技術のすべてを教えますそこから日本優先今のね
日本優先に移ってまたそこでも造船技術の展開をして仕組みづくりをします
どんどんどんどん力をつけてみんなから教えをこわれるようになり1897年横浜選挙
選挙って船の今日でドックですねドック横浜ドック後の三菱重工業横浜造船所になるところなんですけど
ここの取締役になってすぐに社長になります
だいたい両基地が社長になる頃に父の川田小一郎が亡くなるんですね
小一郎ってもうその時点で日銀総裁になってるんですよ
日銀の総裁 日銀の総裁になってるんですよ
すごい出世というかすごいところまで行ったね
これまたね川田小一郎物語もものすごいこの日銀総裁時代相当ラツワンでいろんなことやってるんで
へえ 賛否ありますけどめっちゃすごいことやってるんですよ
八太郎もすごいと思ったけどこの人もめちゃくちゃすごいね めちゃくちゃすごい
ブワーってやって執着せずにスッと辞める人小一郎という人がね
ああそうなんだ 両基地も多分それを引き継いでるんでしょうね
横浜道区である程度仕事をするともともとお父さんの小一郎が軽井沢に農場持ってたんですよ牧場
200ヘクタールぐらいかなだいぶでかいね それはあったんでそっちの経営もやりながら社長業やってたんですけど
12:06
もういいだろう船の方は任せたっつって軽井沢引っ込むみたいなそういう身の引き方するのね
1900年頃になると軽井沢の農場でまず競争馬を育てるとかね
ほらスコットランド行ってたじゃん競馬見てるけどね ああスコットランド競馬か
イギリスが発祥って言われてるでしょ ああ馬術自体がね
競馬今のダービーとかも全部イギリスじゃない
それに使えるような競争馬いるよねっつって繁殖させたりとか
あとちょうど外国人バンバン来るんだよ横浜とかキリンビールスプリングバレーとか
あの時代で銀座のあたりにガスとかボンボンってあってさ文明開化の音がするみたいな
ああいう時代ですよ外国人がいっぱい来とると西洋野菜売れるはずだ
言って東京でも西洋風のレストランを作って
西洋から輸入した食材で一緒にビール売るみたいなことお店が出てきましたよね
そこに合わせて西洋野菜を作って売るという一番人気キャベツ
キャベツなんだ 外国人に合わせてね
この時点で完全に西洋野菜ですから そうなの
日本のもんじゃないのでキャベツって そうなんだ
そうなんですよそういう農業みたいなこともやりつつ
一部でちょっと家作ってそこ売ったりとかそういったこともやってたようです
ちなみに後々ですけどこの軽井沢農場は売っちゃいます
売っちゃう 売っちゃいます
で売っちゃった人がたしか野沢さんって言ったかなっていう実業家に売って
この譲り受けた野沢さんが牧場を全部変えて別荘地に変えるんですよ
で今の軽井沢別荘地ができる だからあんなに綺麗なんだ
あの広大な土地はもともと小市郎から両基地に引き継がれた牧場ですね
牧場だから木が管理された跡があるんだねすごく
っていうことなのかな僕も今回調べてそうだったんだへえとか思ったけど
結構高原みたいなところって聞くけど
一回通ったことあるけどめっちゃ綺麗だった
友達の結婚式場が軽井沢だったからその写真見せてもらったけど
やっぱずいぶん綺麗なところだなと洋風というか牧場だったからだね
多分ね元が牧場だったからっていうのもあるし
ちょうど西洋化西洋文明を日本風にアレンジして入れてくる時代
大正ロマンチックな感じですね そういうことなんだ
で走行してのんびりしてたうちにまだ売る前の話ね
函館ドックからお声がかかるんですよ
函館にもドックがあったんで遠いからね函館にも船の修繕するとこ欲しいじゃない
であったんだけど経営傾いちゃっててここ再建してくれんかねっていうので
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1906年領基地はついに北海道に渡ります
はあそうなんだ
でね北海道渡るじゃないですかバリバリ頑張ってなんと函館ドックちゃんと建て直したんですよ
くすほど優秀なのこの家やっぱり 優秀だね
なんだけど一方でねポターンって飛ぶじゃん
行った先でほんとすぐ近所に自分の農園作るんだよね
どっかでね多分この軽井沢やったせいなのかな
土いじりを自分でするということはなくて使用人に任せはするんだけど
農業をやりたいとか土の近くで暮らしをしたいみたいな気持ちがあったっぽいんですよね
でちなみにこの自分の農園のことを清公園清い香りの園って書いて清公園って名付けてあるんですけど
面積は9丁部だから9ヘクタール弱8.9ヘクタールぐらいそこそこ大きいですよね
でこのある場所っていうのが地図で見てびっくりしたのが七重官業試験場あったでしょ
2キロしか離れてない 近いねそういう場所
函館から近いからねいう場所なんですけど
1906年に函館に行ってその年のうちにこの清公園を作ります
何の前衛もなくスッとやるんですけど翌年1907年アメリカの種苗業者に連絡をつけて
ジャガイモの種芋を何種類か送っておこせつって日本にない品種とかもあるんで
その種苗業者から記録だと11種類の種芋を取り寄せる
結構だね 結構ですよねこれを植えると
で使用人の中で軽井沢農場で支配人みたいな農場支配人みたいなのやってた人も連れてきてるから
ちょっとこれ植えといてくれるってやるんですよ
でこの中で1種類がなんと北海道の土地にベストマッチしてるうまいジャガイモがあったんですよ
種量も多いし形もいいし味もいいし気候にも合っていてよく育つし和せだしね
こういうのが出てきたとこれなんだっけアイリッシュコブラーかアイルランド系ね
アイリッシュコブラーねこれいいじゃんって言って近隣の農家さんに分けるのよ
で周りの人たちがこれはいいですねありがとうございますって
これはいいですね寒くてもよく育つし種量もあったらとてもいいですわ助かります
みんなやり始めてだんだん評判になっていって自分もちょっと調子に乗ってくるから
宮長坊じゃあちょっと手狭だなぁつって函館から24,5キロ離れたところに大農園作るんですよ
1400ヘクタールっていうね 1400
くっそでかいとこ作るんですよ だってその前の枯れつが20とかでしょ
200 200か1400
さすが北海道 すげーなそんな土地あったんだね
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そうそこで大農園作って何やったかっていうと西洋式特にアメリカ式の機械を使った農業を始める
だからアメリカからトラクター輸入してくるんだよね
なんでこれができるかっていうとちょっと時代巻き戻していて
ドックで勤めてる時に会員いっぱいやってるでしょ
海外の輸入貿易関係ですごくツテがあるわけなんなら自動車も輸入してるからね
日本で初めて個人で自家用車を持ったのは両基地
えそうなんだ 蒸気機関自動車今でも現存してますけど
黒いやつかな 茶色っぽかったかな俺写真で見たけど
そういうのがあって日本で初めてのオーナードライバーって言われてますね
そういう機械物もどんどん西洋から出て
アメリカ式の大農場で一気に作るのをいろいろ試してやってみるってことをやります
でちょっとずつアイシュコブラがわーっと広まっていくんですよ
いい品種だし使いやすいしそもそも合ってるからこれいいじゃんって
言ったら1913年に北海道のジャガイモが大凶作になっちゃうんですね
例外とか病気なのかちょっとそれは記録ないんですけど
そんな中でもこのアイリッシュコブラだけはちゃんと育つんですよ
これマジめっちゃいいじゃんすっげーっつって一気に評判が大ブレイクして
函館周辺だけじゃなくてもう北海道全土にわーって評判が広まる
で一気に広まるでしょもうねみんなねアイリッシュコブラっていう名前を覚えてられないのよ
慣れない横文字だしなんだっけなーっつって
でなんだらその精工園の大農園の人たちもうちのご主人が言ったのは
確かなんだっけって承認箇所に聞きゃ分かるかもしんないけどなんだっけみたいになっちゃうわけ
函館団借のところの芋だからっつーのでそれで団借芋
函館団借って呼ばれたんだね そうだって団借芋持ってるから
お父さんが川田小一郎団借で亡くなってちょろっと話しましたけど
樋口は団借の位を受け継いでるんですよで川田団借が持ってきた芋だから団借芋
ああそういう由来なんだ そうなんですよ
でこの1913年っていうのがちょうどもう人口100万人強の時代ですよね
で生産量もブワカーンって上がってる時ですよね
とちょうどリンクするという話でございます
団借生まれた話ね
これがドッカーンと大ブレイクしてこの後東北青森の方にもすぐに広まっていって
1921年ぐらいになると関東での初めての試験栽培が始まって
21:04
めっちゃいいってなってそのまま本州で一気に広がって
日本の一番生産量が大きいのは団借という
はあそうなんだ
だから誰もアイリッシュコブラ知らないですよ
知らなかった言わないもんね
言わないです言わないです
団借位まで通っちゃってるからね
そうなんですこの2人がいて北海道のジャガイモがここまで勃興したおかげで
今里芋よりもジャガイモの方が圧倒的に多くなっている
いろいろあったんだね本当に
もちろん団借以外にもあるんですけどねきっかけ聞かねがこれだったって話です
団借位もすごい勢いで広がったんだねそう考えると
でこれともう一個裏側で動いているものがあるはあるんです
ジャガイモって野菜として芋として食べる以外の利用法がいっぱいあるじゃないですか
澱粉加工とかね 澱粉加工ね
他にも今だったら冷凍加工するとかねいろいろあるじゃないですか
意外と澱粉加工古い時代からやってるので へえそうなんだ
初期は明治時代からやっていてそれに合わせてジャガイモの生産量が上がってたっていう部分も
これダブルですね成果として団借がドコーンっていくのと
裏側で澱粉系がドーンって一気に上がるからトータルでジャガイモの生産量上がっていくみたいな
利用法見つかればねより生産するよね そうなんですよ
団借だけじゃなくてもう一個有名なのありますよねメイクイン
メイクインが出てくるとよりジャガイモの普及が広がっていく
そうなんだ そういう感じになります
じゃあちょっとそっちの品種の話は次回してそれで終わりにしましょうか
最後ちょっとおまけコーナーですね次回は 次回おまけコーナーだね
今回もう小1時間喋ってるんで 1時間超えたよ
たまに人の話をすると人物編は盛り上がっちゃうよね
台本がねいつものさらに倍ぐらいの密度を出してるからね今回
しかも台本に落としてないのに記憶の中にある言葉喋ってますからねないこと喋ってるから今
だいぶ今日しゃくんだげえなと思ってこんな書いてあったかなって今思って見直してるけど書いてないね
文字数以上に喋ってる やっぱストーリーはいろいろあるもんね
入っちゃう入っちゃう 入っちゃったね今回長かったけど多分面白かったかな
ちょっとだけせっかく長くなったついでにちょっとだけ補足しておきますね
変わった段尺の足跡を見ることができる場所が今でもあります
そうなんだ 今でもというかできて間もないんじゃないかな
この七重ですね七重って七つ重ねるじゃなくて七つの飯って書くんですけど
七重の道の駅の横に新しくできたんですよね
24:05
旧七重村現七重町か現七重町の道の駅の横に2019年オープンの段尺ラウンジっていうのがあるらしいんですよ
これ写真で見たけどめっちゃいい 段尺ラウンジ
川田良吉が買って持ち込んできた農機具が壁にも貼ってあるし機械自体がずらっと並んでるし
ほんとだ写真見てるけど
それが見れる状態の中でお土産物も売ってるしレストランもある
さっき言った蒸気機関式自動車変わった本人が乗ってた愛車も展示されてる
そうなんだ
これちょっとエモいなと思ったのが天井から紙吹雪みたいなのがわーって吊るされてるんですよ
綺麗な感じに風で舞い上がったんじゃねえかみたいな紙が100枚ぐらいあるんですよ
これジニーからの手紙のコピー
ああそうなんだ
だってさなぜここでいきなり良吉がじゃがいもの11種類も取り寄せたか
理由はたった一つですよジニーとの思い出
だから100通全部を嫁さんに見つからないようにずっと大事に綺麗な状態で保管し続けてた
仕事にバリバリ打ち込んでた裏でどっかにぽっかり空いた穴を埋めようとしたんじゃないかとすら言われてる
じゃあ向こうにいた時に一緒に食べたじゃがいもの料理の品種を追い求めて
ジニーと分け分けした美味しいじゃがいもを求めてこの時になっていきなりやり始める
あの恋愛なんでこんなとこで恋愛物語出たかなって思ったでしょ
この恋愛がなかったら今の弾尺ないから
そういうことだよねすごい話だね
そうこの話すんの大事なとこ言うの忘れたなと思って
だいぶいいとこだよこれ今の話
一番目頭熱くなるポイントだよね
今のでだいぶいろんな話がひっくり返ったけどね
そうなんですよ
すごいねそれで今手紙をこうやって上に飛ばしてきれいな写真で
僕ここ行ってみたいんですけどいささか遠いんですよね
北海道か
ぜひ北海道で近くにいらっしゃる方もし行ったことない方いらっしゃったら
この物語を胸に秘めた状態で見ていただくとこの空間がとってもエモい感じに見えると思いますよ
本当はストーブの上に手紙が吊るしてあるじゃん
飛んでるように羽ばたいてるかのようにこれ知ってる人が見たら入った瞬間うわってなるよね
だと思うよ
あれかついちょっと近く行って中身見たくなる
27:00
ねジェニーからのラブデータだから表記はジニーとかジェニーとか表記売りありますけどどうしてもいいっすわ
そうなんだまたこの外のオブジェもいいね
本当素敵よねここね
外の街灯がジャガイモがぶつかって凹んだようなオブジェがあったりとかオシャレだね
オシャレだよねここは素敵な空間だなと思うのでぜひ僕もいつか足を運んでみたいなと思えるような場所だと思ってます
もし行った方がいたらツイッターか直接メールでもいいので感想いただけるととっても僕たちが喜びます
本当だね直接の感想聞きたいね行った人の
ということで今回長丁場でしたけどこの辺で今回は終わりたいと思いますありがとうございました
ありがとうございました
28:01

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