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スピーカー 1
まあ最後まで新政府と戦ったっていうところで、まあなんかすごく有名なところだと思うんですが、
ちなみにさ、日本でそこで江戸共和国を作って初の選挙を行った人っていうのも言われてるんだよね。
スピーカー 2
ああ、そうなんだ。
スピーカー 1
そうそう、日本でさ、あのまあ公式にその初めて行われた選挙っていうのは1890年の第一回衆議院議員総選挙なんだけども、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、この江戸共和国の幹部を決めるための選挙っていうのはそれよりもね20年以上前に行われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これが日本で初めての選挙なんじゃないかって言われてて、で、その時の選挙って入れ札によってこう投票が行われて、
榎本武揚がまあ一番トップの票を集めて、江戸共和国の総裁になるっていうね、まあ156票だったらしいよ。
スピーカー 2
うん、まあでもそんなもんだよね、きっと。
スピーカー 1
そうそう、2位のね松平太郎がね120票だから結構まあダントツって言っていいのかな、うん、すごい人望も扱ったんだろうね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあそんな彼の、ちょっと今日はおいたちから話しますが、彼は1836年に幕府旗本の次男として現在の東京都台東区に生まれるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、お父さんもね、あの幼いながら結構秀才として有名で、幕府の天文型として徳川家に仕えて、あの井上忠敬の内弟子としても働いて、あの側僚にこう実際に従事してたりしてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、榎本武揚自身はもう幼い時から学問、出資学だったりオランダ語、あとは中浜万次郎、あのジョン万次郎から英語も直接習ってたりするんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
彼ってあの語学の天才なんて言われ方もするんだけど、その後オランダ語とかフランス語、ドイツ語、ロシア語、あとモンゴル語なんかもその勉強してたらしいけどね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそうそう。すごく語学に長けてたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、19歳の時に幕府がロシアの来航に備えて函館武行を設置して、その武行の配下として江戸地とか、当時は北江戸地って言われたカラフトの部分を巡視したりしてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
その後彼は長崎海軍練習所に入るんだけども、これは江戸幕府が海軍士官を当時要請するために開設したもので、そこで数学とかオランダ語、工科学とか機械学っていうのを学んで、この時も彼の勤勉さとか才能がすごく高く評価されたっていう記録も残ってるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その後彼は幕府のオランダ留学生15名の中に選ばれて、5年間オランダへ行くんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そこでも航海術、蒸気機関学とか鉱物学、機械工学、科学、電信技術、国際法なんか、本当に幅広い学問を学んだんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
国際法なんかね、特に彼は重要視してて、というのも、鎖国体制が長かった日本にとって、やっぱこの国際法って遅れてた分野なんだよね。
うん。
それを熱心に勉強していて、当時フランス海軍中佐のオルトランが書いた「万国海図全書」っていうのがあったんだけども、これを熟読してるんだけども、これは当時指導教官だったフレデリック博士っていう方が、
榎本のこの熱意に打たれて、フランス語、オランダ語に翻訳をしたものを手書きで提供してくれたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、榎本はそれを元に理解を深めるために約400時間以上も費やして、その本を理解しようとしたんだよね。
うん。
で、こういった国際法の知識が長けていて、それが後のエゾー共和国の構想だったりとか、明治政府での外交活動にも活かされていくんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この留学中に彼は戦争の視察もしていて、1864年にデンマーク対プロヒセンオーストリア連合軍の戦争が勃発してるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、ここで榎本は各国の公使から紹介状をもらって、艦船部官として視察をしてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。あれ、艦船部官って俺なんかあんま聞き慣れないなと思って、これなんか一国の軍を代表する艦船部官として認められると、戦争の視察ができたらしいんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。現在はね、なくなったんだよね。
というのは、第一次世界大戦以降、兵器とか航空機の発達で戦役が拡大して、見に行ったとしても視察するのが難しいっていうことになって、自然に消滅していったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
いや、でもなんかすごいよね。本当に人が正直殺し合ってるところを視察するっていうのもね。
スピーカー 2
確かにそうだね。
スピーカー 1
そうそうそう。で、ここでね、榎本は、その両軍の配置とか、あと兵器、缶詰の食料配給とか、あの電信装置って、あの通信機の活用してるのを見て、初めてその国際戦争の目の当たりにするんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この戦争で使われてた、あのクルップ砲の威力にも注目していて、それをきっかけにね、プロ一線の兵器会社のクルップ社っていうのを実際に訪問して、兵器技術なんかも学んでるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これがね、幕府がね、ちょうどそのオランダに注文した軍艦海洋丸っていうのが、この時オランダで完成をして、で、この海洋丸にもあのクルップ砲が取り付けられたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、榎本竹明がこの留学生を乗せた海洋丸がこう日本へ向かうっていうことになって、その後榎本竹明はその海洋丸の艦長になるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、時代はさ、もう幕府対東漠海の戦い、母親戦争が始まっていって、で、ここでまあ徳賀義信将軍は海洋丸に乗って大阪から江戸へ配送するっていうことがあって、
スピーカー 2
まあこの時大阪湾にあったのを海洋丸に乗って配送するんだよね。
スピーカー 1
うん。
で、まさかのこの榎本竹明ってそこで不在中のままだったんだけども、もう彼は置いていかれて、その海洋丸は江戸へ行っちゃうっていう、まあなんとも言い難い現象が起こったんだけども。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その後榎本は海軍副総裁になったんだけども、幕府自体はその東漠海に対して矯準の意向を示して、もう武力抵抗はしないっていうような状況だったんだけれども、
榎本竹明らはその幕府の艦隊をいくつかこう率いて江戸地へ向かうっていうことになって、で、まあここはちょっと母親戦争、五稜郭の戦いの回で結構話しているので、今回は割愛しちゃうんだけども、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあここでさ、あの五稜郭が本拠地として榎本竹明は過ごすんだけども、徐々にさ、やっぱ新政府に押されて五稜郭が包囲されて、で、ここで翌日決戦が起こるっていう、その時に榎本竹明って担当をこう腹に突き立てて自決しようとするんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そこにさ、仲間の大塚角之助っていうのがその担当をつかみ取って止めたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、彼ってあのその時、右手の指がもう3本ブラブラの状態に実際になっちゃって、それでもその担当を離さずに榎本竹明の自決を止めようとしたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、他の仲間がそれで駆けつけてきて担当を奪い取って、結果その榎本竹明っていうのは自決することをやめたんだよね。
うん。
で、このことが結果に大塚角之助って生涯手は不自由になっちゃったらしくて、榎本竹明はただその後も大塚を気にかけて、後に榎本が所有する小樽にある土地の管理を任せたりっていう信頼関係が続いていったらしいんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
長丸もね、小樽行ってたもんね。
スピーカー 2
小樽。ああ、俺は行ったね。
スピーカー 1
行ったよ、長丸だけ。みんなで北海道行って、一人で帰りの飛行機を乗らずに。
スピーカー 2
小樽、よかったよ。
スピーカー 1
いや、すごかったよ、マジで。だって飛行機のアナウンスで長丸何回も呼ばれてたからね。
スピーカー 2
なんかキャンセルって俺よくわかんなくてさ、多分キャンセルができてないってことでしょ。
スピーカー 1
キャンセルしてないでしょ。びっくりしたよ。まあそんな、なんか小樽と言ったら長丸だなと思っちゃったんだけど。
いや、それは違うと思うけどさ。
で、その後、江戸元竹明は降伏を決意をして、彼自身はその後牢獄へとらえられるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、2年半ぐらいの牢獄の生活になるんだけども、そこで書物を読んで、獄中日記なんかも書いてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、で、彼はもう命は助からないって思ってたから、これまで学んだ自分の科学技術とか知識のすべてを後世に残したいっていうんで、
いろいろこう、そこの半紙にね、書いていくんだよね。
うん。
そう、まあなんかいくつもすごいいっぱいあるんだけど、石炭油を使った陶瓶の作り方とか、石鹸、ロウソクの作り方とか、
じゃがいもや、あの糖蜜からの焼酎の作り方とか、ガラス鏡の作り方とか、鶏やアヒルの卵を孵化させる方法なんかも、なんかすごいいろんなの載せてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
いや、鶏やアヒルの卵を孵化させる方法ってすごいね。
スピーカー 2
まあそうだね。
スピーカー 1
そうそうそう。
で、彼ってさ、結果、この命は助かったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これはなぜかっていうと、当時さ、やっぱ新政府側って、その最後まで抵抗した榎本に対して死刑にするべきだっていう意見の方が多かったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、出獄の知らせをさ、榎本が実際に知った時に、その時仲間と一緒にビールで祝杯なんかもあげてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なんかこれ、どんな牢獄って思ったんだけどね、すごい。
スピーカー 2
確かにそうだね。
スピーカー 1
そうそうそう。
で、このビールなんだけども、榎本滝崎って日本で最初にビールを輸入した人物なんじゃないかって言われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これね、五稜郭からもビールの瓶が実際に出土されていて、あと同様のものが座礁した海洋丸からも引き上げられてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。で、このビールって、オランダで1864年に創業したハイネケンのビールなんじゃないかって言われてるんだよね。
うん。
榎本滝崎が留学して、ちょっとして創業されたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。で、ハイネケンってさ、赤い星マークで見たことある?
スピーカー 2
あー、まあ、なんとなくわかる。
スピーカー 1
そうそうそう。今でもさ、あるんだけどさ。
で、この榎本滝崎がその留学先のときに、そのビールに出会ったんじゃないかって言われてるし、
その留学先から海洋丸に実際にこのハイネケンのビールを積み込んでいったんじゃないかって言われてて、
で、もしそれが本当なら、日本で最初にビールを輸入した人物って言われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、彼ね、なんかその獄中の中で姉に送った手紙にもね、
無儀種、御敬と下され、ただいま晩飯にたっぷり、
愛、要意、誠にウキウキ、親し、申し候って書いてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なんか夕食のときに、そのビールをたっぷり飲んで、気分はウキウキだみたいな、そんなことを言ってるんだよね。
スピーカー 2
気分はウキウキだっていうのはすごいけどね。
それそういう訳なの?
スピーカー 1
そうそう。でも実際にさ、誠にウキウキ、親し、申し候って言ってるから。
スピーカー 2
あー、ウキウキって本当にそっちのウキウキなんだ。
スピーカー 1
そうそう。で、手紙の最後にはね、少々ドロン犬のため乱筆をお許しくださいって書いていて、
ドロン犬ってなんだと思う?
スピーカー 2
え、なんかその中で、話の流れで言うとなんか酔っ払ってるとかじゃないの?
スピーカー 1
あー、そうそうそう。さすがドロン犬。
俺別に酔っ払ってないよ。
スピーカー 1
そうそう。なんか彼ってさ、すごいいろんな書物もさ、こうやって語学が堪能だから、英語書いたり、
俺これオランダ語なんだけど、オランダ語をこう交えたりとかするんだよね。
スピーカー 2
ルー・オーシバみたいな、そんな感じなんでね。
なるほどね。
スピーカー 1
そうそう。すごいあの、なんかさりげなく使うからすごいなと思って。
スピーカー 2
小片郎もそういうとこあるじゃん、でも。
スピーカー 1
ないよ。無理があるだろ。
スピーカー 2
いやいやいや。
スピーカー 1
で、その後、彼って明治政府に仕えるんだけども、
まずその開拓時間になった黒田清高に熱望されて、北海道の開拓主として従事するんだよね。
で、もともとさ、榎本って北海道をかつて調査してたこともあったし、
映像共和国の経験もあるし、西洋の近代的な知識を持ち合わせてるし、
もう彼しか責任がいないっていうところで選ばれて、
榎本自身が未開拓の北海道を時にはのじゅくしながら、地形とか地質、農業、漁業とか幅広く調査していくんだよね。
この調査の中で、埋蔵量、日本最大級って言われてる石狩りの石炭山を発見してるんだよね。
さらにその石炭を運ぶ運搬路も低減して、鉄道が実際に不設されていったりとか、
スピーカー 1
北海道開発にすごい熱心に取り組んだんだよね。
その後は第一次伊藤博文内閣において閣僚に選ばれるんだよね。
これは提審大臣に任命されたんだけども、提審大臣って通信とか運輸に関する業務なんだけども、
榎本竹明ってオランダ留学中に電信技術も学んでるっていう、そういう経験もあって選ばれたんじゃないかって言われてるんだよね。
この時、第一次伊藤博文内閣って薩摩藩が4名で、長州藩4名、土佐藩が1名の中、唯一旧爆心出身者榎本竹明だけが1名選ばれたんだよね。
これって当時、殺長派閥、もしくは殺長都市の派閥が閣僚を占めていた中にすごく異例なことで、それぐらい彼の能力っていうのが認められていたんだよね。
提審大臣時代の彼っていうのは、デンマークの会社に委託していた国内の海底電線不接工事を日本の技術者だけで行えるようにしたっていうことでも成果があるんだよね。
日本人でできるようになったら国家の利益につながるってことを力説して、若い日本人エンジニアを育成して、函館海底電線の工事を日本人技術者で実際に行ったんだよね。
以降、国内の海底電線不接の工事は日本の手で行われてるんだよね。
そんな成果があるから、実際に大人の皆様、海を潜った時には竹焼きって呼んでほしいな。
スピーカー 2
海を潜るっていう機会があんまりない気がするけどね。
スピーカー 1
その後も大臣を歴任していって、農政務大臣とか文部大臣、外務大臣なんかについて有名どこで言うと1875年に全憲特命大使としてロシアに渡って、カラフト・チシマ交換条約を締結したんだよね。
当時チシマレットってエトロフ島とウルップ島の間に国境線が引かれていて、カラフトは国境線が定められてなくて、日本人、ロシア人が混在していて紛争が多々あったんだよね。
そこで国境の交渉が必要ってことになって、この交渉ができる人物って言ったら語学が堪能で国際法の知識もある、その榎本竹明っていうのが選ばれたんだよね。
彼が粘り強い交渉を何度も続けた結果、カラフト全土はロシアあるようになって、その代わりチシマレット全土を日本領にするっていうものになったんだよね。
さらにカラフトの一部の港においては10年間関税を免除するとか、日本領事を駐在させる、近海での漁業は再警告待遇にするっていうような成果があったんだよね。
それでも当時の新聞でカラフトがロシアあるようになっちゃったから、ヨワゴシ外交っていう非難もあったんだけども、実際その当時のロシアとの国力差から言ったら結構これは高く評価されてるんだよね。
これまで日本って各国と不平等条約を結ばれてきてたんだけども、初めてここで対国と対等に交渉して結ばれた条約とも言われてるんだよね。
その条約締結後に榎本竹明ってロシアから日本へ帰国するのに、わざわざ陸路で約2ヶ月間ぐらいかけてシベリアを横断してるんだよね。
このシベリア横断するのにも、当時シベリア鉄道なんてまだ整備されてない時代で、約1万3000キロをそのうち半分を馬車で横断したらしいんだよね。
ただ横断するんじゃなくて、その間にシベリアの産業とか地質、兵力、生き物の調査なんか細かく記録を残したものがあって、それが今シベリア日記っていうのが本であるんだけども、そこに残ってるんだよね。
この中身で見ていくとマイナス42度とかすごい世界なんだよね。
で、クマとかオオカミが実際にいたりとか、アザラシなんかも生息してたっていうことも細かく書いてあって、
で、アザラシの絵なんかもね、なんか実際に榎本竹明が描いた絵が残ってるんだけど、見てね結構びっくりした。めっちゃ上手いね。
スピーカー 2
えーそうなんだ。
スピーカー 1
そうそう。なんか全体通して言うんだけど、彼のその好奇心とか探求心なのかな?すごいものを感じるね。
さらに農職務大臣時代には、軍備増強とかもあって、日本の工業の発展のためにも鉄の国産化をするべきだっていうことを訴えて、製鉄所の設立を推奨してたんだよね。
結果その官営の八幡製鉄場の創設に関わったりとかもしていて、
ただ農職務大臣の時に足尾銅山の鉱毒問題が顕在化してきたってことがあって、
田中翔三が質問書を提出して鉱毒防止を怠ってきた農職務省庫を批判したんだよね。
その時、榎本孝明が農職務大臣だったから、彼が農民代表の面談なんかもして話を聞いたりとか、
明治政府の官僚として初めて郊外の現地を訪れて、その悲惨な現場を目の当たりにするんだよね。
彼は責任を感じて62歳の時に農職務大臣を辞任するんだよね。
これが彼の閣僚としての最後のキャリアになってしまったんだけれども、
その後も彼は富山県で発見された隕石があって、
これを大金を払って購入して、この隕石から約4キログラムを切り取って刀を作らせたりしてるんだよね。
長い刀、長刀を二振りとか短刀を三振り、合計5振りを刀剣を作成して、これが流星刀って言われるんだよね。
一振りは皇太子に献上していたりとかして、
さらに隕石の刀剣作成の技術をまとめた論文なんかも書いてるっていう、すごく熱心なんだよね。
今5振りのうち1振りは不明なんだけども、残り4振りは現存してるんだよね。
これね、隕石で作られた刀自体、世界を見ても十数振りしか存在しないんだって。
スピーカー 1
そう、その縁の今4振りが猟本たけやきによって作られたのが残ってるから、すごいなぁと思って。
彼は1908年、72歳の時に病気のため亡くなってるんだよね。
そんなわけで、ちょっといろいろ本当はもっとあるんですが、彼の話をバーッとしてきたんですが、
ちょっとね、今回の会話空振りに終わってしまいましたけども、長丸いかがでしたでしょうか。
スピーカー 2
いやもうホームランですね。もうすごいね。
猟本たけやきっていう人物、やっぱりさ、冒頭で話した通り、俺はどちらかというと幕府側の時のイメージがすごく強くて、
新政府でも活躍してたのは知っていたけど、あまり知らなかったっていう状態で今日の話聞けて、
ああ、そんなすごいことやったんだっていう感じ。
定心局にいたのはなんとなくイメージはあったんで、そりゃ知ってたんだけれども、
なんか細かいところで言うと、一島から布団乗って、ああ、あれ猟本だったんだっていうのは、なんか今日改めて知ったし。
スピーカー 1
長丸がやってた分ね、会でね。
スピーカー 2
ああ、そこ、それ猟本たけやきだっけって、全然そんなのも俺の記憶の中にはなかったもん。
だからやっぱりね、要所要所多分重要なところに出てくるはずなのに、
なんかやっぱり印象としては幕府側の印象が強かったから、なかなか定着してなかったけど、
今日小片郎のおかげでいろいろとすごい勉強になりました。
スピーカー 1
いやいや、盛り上がってないですけども。
スピーカー 2
いやいや、小片郎かよ間違いないんだよ、もう大丈夫です。
スピーカー 1
やめて。
いや、なんかそうそう、幕府側でも活躍してさ、まあ活躍って言っていいのかわかんないんだけど、
でも有名で明治政府でもすごい成果を出してるじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なんか福沢幸一とかがさ、逆にそのどっちにもこう使えてるっていうところで、
後年こう批判してる部分もあったりするんだよね。
その言う見方もあるんだけど、やっぱでもそれくらいさ、どこへ行ってもやっぱり彼のもう本当に単純に能力って高かったんだろうね。
スピーカー 2
ああ、なんかそう、俺聞いててさ、なんか多彩じゃん。
なんか小片郎と同じ系統かなっていうのはちょっと感じた。
スピーカー 1
いや、それを言ったら一気にみんな冷めちゃうかやら。
スピーカー 2
なんでだよ。
スピーカー 1
榎本竹明の評価が一気になんか、え?って。
いや、そうそう、あとなんかやっぱり北のイメージがあるね。
北海道中心にさ、あとまあロシアとの関わりとかもそういう交渉も含めて、シベリア横断なんかもしてるし。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあ、ということで、今回は榎本竹明についてでした。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
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スピーカー 2
はい、ぜひともよろしくお願いします。
スピーカー 1
それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。