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経営学者、ピーター・ドラッガーは言った。
変化はコントロールできない。できることは、その先頭に立つことだけだ。
始まりました、「大人の近代史」。よろしくお願いします。
おが太郎って経営学を学んで、会社も立ち上げようとしている感じなんだよね。
学んだことねーよ。
これさ、先頭に立つことだけだみたいなかっこいいよね。
ドラッガーさんはね、いいこと言うからね。
なぐはまろも足早かったから、いつも人より違う先の景色を見てたわけじゃん。
一瞬だけね。
短距離だからさ、長距離になるとすぐ抜かれてさ、どんどんみんなのケツを追っかけるようなね。
そんなことないだろ。長距離も別に早かったじゃん。
でも俺の人生は誰かのケツを追っかけてるような人生だからさ。
やめろやめろ。
まあ、ということで、今回長丸がどんな先っぽを見せてくれるのか楽しみです。
それ下ネタ?
やめろやめろ。
えっと、今日は正観論についてやりたいと思います。
おー、正観論きましたね。
久々になんかちょっと歴史っぽいテーマ。
歴史っぽいテーマでもあり、ちょっと大丈夫かなっていう回かもしれない。
いや、大丈夫だよ。全然大丈夫だと思う。無風、無風。
じゃあお願いします。
ちょっと改めて正観論っていう、正は制服の正で観は韓国の観で論は論じるの論で正観論なんだけど。
日本の大体この幕末ぐらいから明治初期において言われてたというか唱えられていた朝鮮の侵略論なんだよね。
はいはい。
これは武力によって朝鮮を開国させようっていうような主張のことも含め正観論って読んでたんだよね。
はい。
どういうことかっていうと当時の朝鮮の話なんだけど、李氏朝鮮の時代だったんだよね。
うんうん。
ちなみに李氏朝鮮ってさ、なんかさ断るごとに朝鮮って李氏朝鮮じゃんって思うんだけどさ、俺もあんまりちゃんと知らなかったんだけど。
李氏朝鮮って1300年ぐらいから1900年ぐらいまで続いてる超長い御朝なんだよね。
はいはいはい。
そう、だからめちゃめちゃ日本の江戸時代とかよりも全然長い御朝だったからさ、なんかいつ朝鮮こう見てもさ、なんか李氏朝鮮じゃんとかってちょっと俺思ってたんだけどさ。
うんうん。
まあそんな長い支配が続いてた御朝だったんだよね、当時の朝鮮っていうのは。
はいはい。
で、この李氏朝鮮っていうのは江戸時代の日本と同じで鎖国をしてたんだよ。
うんうん。
まあとはいえ朝鮮通信士とかさ、ちょっと前の回でやったけどさ、ああいうふうなやり取りとか、日本とはそういう交流があったり、隣の中国、民の時代もあったしっていうところでは策法体制って言って、
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まあ見継ぎ物を送る代わりに多くの公益品を得てたみたいな、そんなやり取りとかはあったりしたんだけど、基本的なスタンスは鎖国だったわけ。
はいはい。
まあ日本とほんと同じ、日本の鎖国と。
うん。
これが1860年とか70年とかそのぐらいの時代になってくと、排外運動っていうの。外国人を追い出そうっていう運動がすごい盛んになってくるのよ。
はいはい。
日本で言うさ、上位運動みたいな感じで、朝鮮の中で外人をお断りみたいな感じで、
これにはもちろん日本人も含まれてて、日本人なんかも結構差別的な扱いを受けたりとかしてたっていう感じなんだよね。
はい。
具体的に言うと例えばカトリックみたいな宗教を徹底的に弾圧したりとかっていうのが有名なことなんだけど、やっぱりそういうカトリックを弾圧すると、欧米とも圧力を生むじゃん。
うんうん。
だから欧米とも結構争いがあったりとか、あと漢字の李氏朝鮮の王朝の方ね、王朝の方でも結構朝廷内でも内紛があったりとかで、すごい政治的に混乱しているっていうのが当時の朝鮮の状態だったわけ。
はいはい。
じゃあ日本はどうかって言うと、日本はもちろん幕末から明治維新を経て新政府が樹立されるわけじゃん。
はいはい。
そこでさ、懐かしのあれだよ。尾形郎がやってくれた第一回岩倉施設団。
あーはいはい。
大久保利道とか木戸孝之とか伊藤博文っていった名だたるメンバーが岩倉施設団に行って、残った留守政府を任されていたのが西郷隆盛とか板垣大輔とか伊藤新平とかっていう、尾形郎風に言うと行った人たちはエグザイル、残った人はジェネレーションズ。
誰もわかんねえそれ。
1回目聞いてくれてると俺は信じるよ。
で、そんな感じでさ、残った人も有能な人たちだし、行った人たちももちろん有能な人たちみたいな、そんな感じでさ、別れたんだよね。
はいはい。
でさ、これで日本に残ったメンバー、留守政府のメンバーたちが結構西郷隆支持者が多かったのよ。
あーはいはい。
で、ちなみに岩倉施設団に行った人たち、大久保利道とかさ、木戸孝史とかさ、まあ岩倉智美もそうだし、っていうのは、青函論に対しては反対の立場だったわけ。
うんうん。
そう、だから結構残った人と実際に欧米に行った人で意見が分かれた。
まあ、あの、もちろん全員が全員じゃないんだよね。
行った人と残った人で立場が分かれてたっていうのがまずあって。
うんうん。
まあそんな状況、日本の状況として。
はい。
で、ここでじゃあなんで青函論っていうものが生まれたのかっていうところなんだけど。
だってそもそもさ、他国を侵略しようとかさ、そういう話なわけじゃん。もう簡単に言っちゃうと。
うんうん。
日本っていうのはさ、もともと鎖国をしてたわけだからさ、まあ外国のことなんか知りませんっていう感じの時代がずっと続いてたわけじゃん。
うんうん。
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まあじゃあなんでそんな、まあ日本が新しい政府になったからって、急にじゃあ青函論みたいな話がこう出てきたのかっていうと。
うん。
まず要因の一つ目としては、まあさっきも言った通り、立地朝鮮っていうのはもう400年以上こう続いているようなすごい長きに渡る王朝だったわけ。
はいはい。
で、さっきも言ったけど、その鎖国を基本的な政策っていう風にしてたんだけれども。
うん。
ここがポイントで、江戸時代の江戸幕府のことは朝鮮通信史でやりとりもあったじゃん。
うんうん。
だから対外的に国として認めてくれてたのよ。
はい。
ただ、新政府になったら、日本の新政府ね。
うん。
正式に国として認めてくれなくなっちゃったの。
あーはいはい。
要は政権が変わったから、あ、お前らは違う国だ、今までやりとりしてた幕府とは違うんだって言ってさ、まあ違うじゃん確かに。
うんうん。
だから国書とかも、日本はこう何回も送るんだけれども、受け取ってもらえなかったの。
あーはいはい。
だから国交結びましょうよとかさ、まあわかんないけど、そういうさ国書をいっぱいこう仲良くしようよっていうのを送っても、受け取りすらしてもらえない。もうそんな状況。
うん。
仲直りしましょうよって言っても、電話かけてももう着信拒否みたいな、ほんとそういう状況。
はい。
だから、まあさっきもちょっと触れたけどさ、在留法人、朝鮮にいる在留法人も差別の対象にもなってたし、そもそもその在留法人と交流した朝鮮人はなんか罰せられるみたいな、そんな法律みたいなのもできちゃったりして向こうでは。
うんうん。
そんな状況だとさ、やっぱりさ、日本側から見てもさ、なんだよあの国ってなるじゃん。
はいはい。
そう、だから対日関係っていうのは、対日対朝鮮関係っていうのはめちゃめちゃ悪化してたのよ。
うんうん。
お互いがもうこう、なんだよあいつらみたいな感じになっちゃってるみたいな。
あーはいはい。
そう、まあ要因の1個目としてはそういう、お互いがこう悪い感情になっちゃってるってところが、まあ1個目の要因としてあって。
うんうん。
2つ目の要因、まあ実はこれが一番大きいんだけれども。
はい。
これは、ロシアの南下政策なんだよね。
うんうん。
まあ幕末ぐらいからロシアっていうのはさ、不投稿を求めて、もう日本にもそうだし、朝鮮にもそうだし、シンにもそうなんだけれども、めちゃめちゃこう圧がかかってたわけよ。
はいはい。
で、幕末なんかでは、津島あるじゃん、津島。
はいはい。
津島がもう一時的にロシアに占拠されるような事件が起きてたのよ。
あーそうなんだ。
そう、まあ全域じゃないんだけど、一部港にこう船が入って、ロシア船が。で、そこに居座られたみたいな、そんな感じ。
うんうん。
結果撤退したんだけど、ロシアは。
はいはい。
で、あとはさ、カラフトとかチシマレットなんかもこう領有権の問題は抱えてたわけ。これどっちのもんだみたいな。
うんうん。
そんな状況、だから日本とロシアっていうのはそういう、なんかもうお互いが領有問題を抱えてたり、上からロシアにこう圧力をかけられて、いつ侵略されるのかみたいな、そんな状況だったわけ。
はいはい。
でさ、地図を見てもらうと一番分かりやすいんだけど、もし朝鮮半島をロシアに取られた場合って、もう日本ってめちゃめちゃ近いんだよね。
はいはい。
日本本土って。で、北海道の方からもカラフト島って攻められちゃうし、朝鮮の方から攻められると今度は九州の方からも攻められちゃうような、そんな状況になるんだよ。
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はいはい。
だから上からも下からも攻められちゃうみたいな。
うん。
ピンチじゃん。
ピンチだね。そう。
だから朝鮮っていうのは何としてでも日本の防衛っていうものを考えた時に、ロシアに取られるわけにはいかない。で、ロシアに取られる前に何としてでも日本の支配下に置きたかったっていうのが要因の二つ目って言われてて。
はい。
これが結構大きいって言われてる。
うんうん。
あともう一つ要因の三つ目なんだけど、これは西南戦争の回でちょっと言ったんだけど、
うん。
やっぱり私族っていうのは既得権益、私族って元武士じゃん。
はいはい。
刀奪われたりとかさ、年貢とかもさ、そういう調整する権利をどんどん取られてったりとかさ、してさ、もうめちゃめちゃ不満が溜まってたんだよ、私族が。
はい。
だからその不満をそらすために働き口を要は見つけてあげたかったっていうのがもう三つ目の要因なんだよね。
はいはい。
朝鮮を侵略するってなるとさ、そういう私族みたいな、要は元武士、要は武力を使って制圧しに行くってことはさ、もともとそういう武士とかの人たちって活躍できるじゃん。
はいはい。
だからそういう人の働き口のために朝鮮を侵略したかったんじゃないかとも言われてて。
うん。
まあ青函論が生まれた背景っていうのはこんな感じ。この三つがまあ要因とは言われてる。
はいはい。
じゃあ次は何で反対したかっていうところに入りたいんだけど。
うん。
青函論を支持する人たちっていうのはそういう要因があったから支持するわけじゃん。
はいはい。
じゃあ反対する人たちっていうのはじゃあ何で反対したのかっていうと、まあさっきも言った通り主に岩倉施設団に行ったメンバー、エグザエルなわけよ。
はいはい。
そう。で、世界とやっぱ日本の差がめちゃめちゃついてるっていうことを目の当たりにしてきた人たちなんだよね。
うん。
岩倉がさ、岩倉施設団の時にやっぱりすごいこうさ、全然違うんだってことを言ってくれてたけどさ、もう本当その通りなんだよね。
はいはい。
だからさ、今はさ、そんなさ、当時の朝鮮と日本なんてさ、正直さ、なんかイギリスとかから見たらさ、もうほんとどんぐりの性比べみたいなもんなから。
うんうん。
もうどっちが上とか下とかじゃなくて、そんな変わんないよみたいな感じのところ同士で争ったってしょうがないじゃん。
はいはい。
そう。だから今は侵略戦争をしている場合じゃなくて、国内の発展に全力をもうあげるべきなんじゃないかっていうのがその岩倉施設団に行ったメンバー。
代表で言うと大久保利道とか木戸孝之とか岩倉智美とかそういった人たちはそういうふうに考えたんだよね。
うんうん。
で、あとはさ、琉球の帰属問題があったり、さっきも言ったカラフトとか千島の琉球の問題も抱えてたし、あと何よりもさ、不平等条約の改正が全然まだ残ってたじゃん。
はいはい。
だから問題がそんな山積みの中にさらに問題を増やすなよみたいな。そんな感じだよね。反対した理由としては。
はいはい。
対外的な問題がいっぱいあんのに、なんでわざわざ自分から対外的な問題を作りに行くんだよみたいなのが多分こうあったんだよね。
うんうん。
ここでちょっと西郷隆盛に触れたいんだけど。
12:02
はい。
西郷隆盛っていうのは留守政府側だから政官論支持者の方にいたわけよ。
うんうん。
西郷でも勘違いされやすいんだけど、西郷隆盛は政官論支持者の中でもだいぶ政官論反対派に近い立場だったんだよね。
あーはいはい。
だから正確に言うと中立寄りな人だったんだよ。
最終的にもうダメだったら武力を使うこともしょうがないのかもしれないけど、まずは交渉するべきだっていう。
うんうん。
だからその支社として自分が自ら朝鮮に行って交渉しますって言ってたの。
はいはい。
やっぱ明治政府の重鎮の西郷さんがそういうこと言うわけだから、主戦派たちも戦いたくてウズウズしてるような人たちも黙って言うこと聞いてくれてたわけよ。
はいはい。
そんな感じでとりあえず反対派と賛成派みたいな感じで日本は別れちゃってたんだよね。
はいはい。
これでじゃあ次、正観論の結果っていう部分に入りたいんだけど、歴史的に有名な明治6年の政変って呼ばれる政治事件が起きるんだよね。
起きるっていうかなんだろう、政治事件があるんだよね。
はい。
これは年号で言うと1873年明治6年なんだけど、明治天皇の命令でもうこの正観論に関してはもう閣議で決めましょうという要請がされるんだよ。
はい。
で、賛成派と反対派っていうのはもうそもそも五分五分だったわけ。
うんうん。
だからじゃあ話し合いで閣議でしっかりとお互いちょっとちゃんと意見を言い合って決めましょうみたいな感じにしたわけよ。
はいはい。
ただやっぱりさ、どっちもこう譲らないというかなかなかこう折り合いがつかないわけ閣議でも。
うん。
で、ここで蔡豪が自分の朝鮮派遣、さっき自分が交渉しに行くっていうのをちょっとちらって言ったけど。
はいはい。
その朝鮮派遣が認められない場合はもう自分はもう新政府を辞めるよって発言するのよ。
うん。
これに対して当時の打城大臣だった三条三年富が、蔡豪がもし辞めちゃったら薩摩出身者みんな辞めちゃうんじゃないかって。
実際これ辞めるんだけど、蔡豪って辞めるし薩摩出身者も辞めるんだけど。
はいはい。
だから蔡豪さん辞めちゃったらちょっとみんな辞めちゃうよ、それまずいよって政府的にってなって三条三年富が後押しするんだよね、蔡豪のその意見を。
はい。
で、朝鮮派遣決定するのよここで一回。
うんうん。
蔡豪じゃあ朝鮮行ってくださいみたいな感じで決まるんだけど、なんだろ反対派からするといやいやちょっと待ったちょっと待ったってなってまた揉めるのよ。
はいはい。
で、今度は大久保利道とか大熊重信、大熊重信も反対派だったんだけど。
はい。
じゃあ俺たちはもう辞票出して新政府を去りますみたいな感じで辞票返しをされちゃうわけよ。
はいはい。
で、もうめちゃめちゃ混乱するじゃんそんな感じでもう大荒れになっちゃったわけ。
うん。
で、あとはもう明治天皇が決定してくれれば決まるところまで言ってたのよ。
もうだから明治天皇がイエスって言ったら蔡豪が派遣されてっていうところまで決まってたんだけれども。
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はい。
で、ここでそんな状態だから大乗大臣の三条さんねとみが過度のストレスでね倒れちゃうんだよ。
はいはい。
やばいよね。あのなんかたまに今も政治家でさあのストレスとかでこう倒れてさとかっていうのはあるじゃん。
うん。
結構こう板挟みに本当になっちゃってポジション的に。
はいはい。
で、倒れちゃうんだよ。
あーそうなんだ。
そうだから相当ストレスだったんだろうねっていうのがまあちょっと余談だけどそれは。
はいはい。
で、代理の大乗大臣に岩倉智美がつくのよ。
あーはいはい。
岩倉智美ちょっと触れたけどさ政管の反対派なんだよ。行ったほうだし。
はいはい。
私節団にね。だから明治天皇にこう閣議の結果を伝えに行くときに合わせて自分の意見書も提出するのよ。
あーはいはい。
まあ上層って言うんだけど意見を上層したわけ。
うん。
これセコいなとも思うしやり手だなとも思うけどさ。
はいはい。
岩倉がもうだから明治天皇にさもう私は反対ですってもう絶対ダメですみたいな感じのことをこう言うわけじゃん。
うんうん。
だから明治天皇もさやっぱり岩倉智美が言うんじゃなみたいな感じになるわけじゃんそうなると。
うんうん。
だから最終的に明治天皇は岩倉智美の意見を採用する形で政管論を却下するわけ。
はいはい。
で、却下されたらさもう今度はさ閣議で決定してた事柄を覆されたわけじゃん。
うんうん。
で閣議で決めましょうって言っときながら閣議で決めたことを覆されたから
西郷隆盛とかがもうじゃあやめますつって。
西郷隆盛含む5人ぐらいがこう一気に辞職すんのよ。
はいはい。
で軍人たちもその薩摩出身者とかその西郷支持者たちのたちが600人ぐらいいて。
うんうん。
それもみんな辞職。
あーはいはい。
そう。でこの一連の流れをいわゆる明治6年の政変って言うんだよね。
はいはい。
だから明治政府すごい一気にこう人が辞めちゃって弱体化したっていう言い方もちょっとあれだけど
すごいとにかく政変が起きたんだよねここで。
うんうん。
政官論っていうのはとにかくこういう政変を巻き起こすような大激論が交わされたんだよ。
はいはい。
でその後の話になるんだけど。
うん。
西郷隆盛はさこの後さ西南戦争を引き起こすじゃん。
はいはい。
まあ反政府運動だよね結果的に。
うんうん。
で江藤新平は佐賀の乱っていうのを引き起こしてまあこれもあの西南戦争みたいなもんで反政府運動つったらあれなんだけど内乱だから。
うんうん。
あと板垣大輔この人もあの政官論の支持者だったんだけど。
はい。
板垣大輔は武力じゃなくて言論で反政府運動を展開するんだよね。
うんうん。
自由民権運動っていうやつ。
はいはい。
そんな感じで政官論者だった人たちっていうのはまあ何かしらの形でこう政府と戦っていくっていうような形になっていったんだよね。
うんうん。
まあそんな感じでちょっと政官論者のその後っていうのはこうなっていくんだけれども。
18:00
うん。
ここでちょっと興味深いのが明治6年の政変っていうのが1873年だったんだけど。
はいはい。
1875年に日本は朝鮮と武力衝突を起こしてんだよね。
あーはいはい。
これいわゆる高下島事件って呼ばれてるんだけど。
はい。
あれ言ってること違ぇじゃんってなるじゃん。たった2年後だよ。
うんうん。
だってさ政官論っていうのはそもそも武力で朝鮮を支配しよう武力で朝鮮を開国させようとかっていう感じで武力を用いて朝鮮を何かこうに働きかけるっていうのがまあ大枠じゃん政官論っていうものの。
はいはい。
でもたったさその政官論反対ですって言ってた2年後にさ朝鮮と武力衝突を起こすわけだよ。
はいはい。
何やってんのって感じじゃん。
うんうん。
でこれそもそもなんだけどじゃあなんで政官論に反対していたのかっていうところをこうもうちょっと掘り下げていった時にまあいろいろ出てくるんだけど。
うん。
まず1つ目が留守政府のやり方が気に入らなかったっていう説もあるんだよね。
はいはい。
はいはい。
西郷とか板垣大輔とかそういった面々がさ大久保利道とか木戸高芳とかがいないぜって言って結構やりたい放題やってたっていうかさ重要なことまで結構決めてたりするのよ。
うんうん。
例えばあの学生とか徴兵令とか地層改正なんかもそうだし太陽暦採用したりとか。
はいはい。
であとまあこれは江藤新平だけど司法制度整備したりとかさ。
そんな感じで結構重要なことを留守政府時代に決めちゃってたりするのよ。
はいはい。
特に徴兵令とか地層改正なんてモロじゃん。
そうだね。
ただこれはやっぱり異論もあってなんだかんだそういったものは早く決めなきゃいけないから岩倉施設団にいるメンツも承知の上でそれをやっていたっていう説もあって。
ただここは正確なところがちゃんとわからないっていうことらしいんだけれども。
うんうん。
まあとにかくそういう感じで留守政府のやり方が気に入らなかったんじゃないかっていう説。
だからとりあえず反対してちょっとそういう気に入らないやつを政府から追い出したかったっていう。
まあ政変だからそういう動きっていうこともあり得るじゃん。
はいはい。
っていうのが一個説があって。
で、もう一個は西郷を守りたかった説ってのもあるんだよ。
おーそうなんだ。
そう。これ朝鮮派遣西郷が行ってたらまあ結構高い確率で西郷は殺されたんじゃないかとも言われてて。
うんうん。
とにかく朝鮮と日本の仲っていうのは悪かったわけよ。
うんうん。
だから西郷の身の安全なんて保証されなかったわけもし行ってたら。
はいはい。
まあ死者をその殺すっていうのはちょっともうそのぐらいの時代になると完全に論外ではあるんだけど。
ただそういう可能性も結構あったとも言われてて。
はいはい。
だから西郷を守るためにあそこで西郷に交渉役として行ってもらうっていうことはしてほしくなかったっていうのも一応説として言われてて。
はいはい。
まあちょっと要は人情味のあるような説なんだけど。
ただこの辺はもう真相っていうのは分からずじまいなんだよね。
21:01
うんうん。
だから結局じゃあなんでそんなに政権を真っ二つにしてまで反対したのか賛成反対が分かれちゃったのかとか。
そういったものっていうのは結局お互いもともとさ合わないところがあったのがただただ聖カルノンっていうものを議題にしてただただこう喧嘩分かりしただけなのかもしれないし。
たったその2年の間に聖カルノン反対論者たちが支持者に変わっちゃっただけかもしれないし。
その辺はちょっともう本当に真相は闇の中っぽいんだけど。
そんな感じなんだよね聖カルノンっていうのは。
うんうん。
でこれ結果的にさ歴史のその後の話になっちゃうけどさ聖カルノンは達成したわけじゃん。
うんうん。
日本は最終的に1910年に韓国併合っていう形で日本の領土としたんだよね。
はいはい。
そうこれが結果的に聖カルノン支持とか反対とかそういうの関係なしに歴史で起きた出来事なんだよね。
だからそっから何をこう読み取っていくのかっていうのはちょっと多分人それぞれ違うけど。
やっぱり韓国を併合するまでにいろんな戦争を日本は経験してきてるし、
やっぱりその中でこう日本の中の主要メンバーっていうのも変わってるから考え方もどんどん変わってきちゃってるから、
当時の聖カルノンとその結局併合した時の考え方とっていうのは全然違うからさ。
何とも言えないけど一応聖カルノンとしてはそういう感じで今日は締めくくりたいなと思ってます。
はい。
じゃあちょっと小片郎感想をお願いします。
聖カルノンってなんかよく歴史でも教科書でも聞いたなと思って、
この1回の回でだいぶ分かりやすく話してくれたんでいいまた学びになったなと思った。
ありがとうございます。
そうそう。最後の方に言ってたけどさ、やっぱ新政府と留守政府のそのちょっとやっぱ対立の構造もやっぱあったのかなっていうのは思うよね。
そうだね。やっぱりさ、岩倉施設団で行った人たちっていうのはさ、もう実際に見てる人たちじゃん、その世界を。
留守政府っていうのはさ、行ったことない人の方が圧倒的に多いから、胃の中の蛙的な考え方にはなりつつあるよね。
別にそれが悪いわけじゃないけどさ、全部が全部。ただやっぱりそういう視野の広さ狭さっていうのは出てくるよね、少なくとも。
岩倉施設団が行く前にさ、留守政府にさ、重要な取り決めっていうのは勝手に決めないようにみたいなそういう取り決めあったけども、
意外とさ、残った留守政府もかなり有能でさ、いろいろ今に至るまでも重要な取り決めしてったじゃん。
逆にその世界を見てないけど、そういうのができちゃったっていうのもすごいなっていうのはちょっと思ったけどね。
だからね、さっきも言った通り、残った人たちも相当いう、まあジェネレーションズだからさ、なんつっても。
わかんねえよっけ。
そう。残った人たちもやっぱりさ、すごい有能でさ、なんならさ、別にそこに優劣はなかったわけじゃない?人材的な部分で言ったらさ。
はいはい。
ただ世界を見てきたか見てきてないかだけのさ、話だからさ、決してその人としての優秀さにはさ、違いが全然なかったからさ、
24:04
別になんだろう、世界を見たから変わる変わらないっていう話じゃなければ、どっちが考えてもきっと一緒なようなレベルではできてたんだよね。
ああ、はいはい。なんかその聞いててさ、今の感覚でさ、考えるとさ、いやその政府の中でさ、会議というかさ、あの中でその韓国政官論っていう話を、今の国会がさ、してたらかなりやばい国じゃん。
うん、やばいよね。なんか他国侵略を閣議で言ってるんだぜ。やばくない?
そう、でもさ、その今第二次世界大戦後からさ、世界でなんかそういうのってあんま見られないけど、その戦前ってやっぱりそういうさ、どこの国もさ、そういう植民地政策というかさ、ね、行ってきて、やっぱ時代によってこんなにさ、考え方ってもう全く変わっちゃうんだなと思って。
うん、だから時刻の発展を考えた時にさ、やっぱり他国侵略っていうのが、まあ手っ取り早いっつったらあれだけどさ、まあ手段の一つとしてはやっぱり入ってくるんだよね。
うん。
そう、で、日本は漏れなくそういうことをやってきたっていうだけの話なんだけどさ、結果的に。
ああ、はいはい。
そう、で、別に日本に限らずいろんな国でそれは行われてて、で、日本が悪いんだけど、日本だけがやってたことでもないけど、やっぱり飲まれてやってた感はあるよね、とは思う。
ああ、はいはい。確かに。じゃあ、ということで、今回のテーマは正観論についてでした。
はい。
これを聞いてですね、スポーティファイとかアップルポッドキャストとかで評価の星がつけられるので、もしなんか聞いてよかったなとか思ってくれたら星をポチポチっとしていただけると、それ数字になって現れるんで嬉しい限りです。
はい、ぜひとも高評価をよろしくお願いします。
はい、それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
ありがとうございました。