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2022-04-24 29:14

#77(s11-10)【日本酒と経済】酒は儲かる!(前編)(たべものラジオ)

お寺のお酒が無くなり、お米(お金)と酒造りの関わりを経済面から見ていきます!
そして1話のハズがやっぱり2部構成になりました。ごめんなさい!

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00:03
はい、では前回からの続きです。で、今回は
酒は儲かるぞっていう話です。
いきなりお金の話だね。 金の話ですね。
前回までで、お寺がなんでお酒作ったのかっていう話しましたね。
そして僧帽子がかなり人気を博しましたよと。
これが戦国時代に急速に没落してきます。
前回最後の方に少し仏教の話をしたんですけれども、仏教勢力が非常に強くなっていってですね、お金持ちになっていって、なんなら武力まで持ち始めて。
武力? はい、僧兵って言うてね。武装した僧侶がいるんですよ。
僧侶武装していいの? してるんですね。そういう組織ができて、
例えば一公一騎みたいなのがバカスカ出てきてさ、本願寺派とかって本願寺県よだっけ?そういう勢力がいるんですけど、武将化してるんですよ本願寺って。
武将化? もうお坊さんなんですよ本願寺っていうくらいだから。なんですけど、もう守護大名と同じくらい力持ってるんですね。
へえそうなんだ。 なんなら今の大阪城のある場所、あそこ石山本願寺の跡地ですからね。
大阪城のある場所か? お城イコール元お寺? 元お寺です。その本願寺がめちゃくちゃ強くて、なんとか倒したのが確か豊臣秀吉だったかな?
ああそうなんだ。 そこがめちゃくちゃ強いし、その場所めっちゃいいねって言って、そこぶっ壊した後に自分が乗っ取って大阪城を築いたのが秀吉なんで。
そうなんだ。 そういうのがもうあちこちで起こるんですよ。 ああ一箇所じゃないんだね。
そしたらもう戦国大名的にはお寺引っ込んどれと。出てくんなってやってダンスしまくるんですね。そうするともう寺院もうやってられんくなってだんだん縮小してシュリンクしていくんですよね。
ああそうなんだね。 そうするとそう防守作ってた技術者、税がお坊さんなわけじゃないので、もう生きていけないわけですよ。
お寺にそういう力がないから。で市街に流出していきます。 まあそうせざるを得ないね。
そうですね。で総防守作ってたお寺で有力だったのが奈良の大寺院、例えば東大寺とかね。 ああそうなんだ。
幸福寺とか省略寺とかそういった場所がありましたけどそこもだんだんと小さくなっていくので、奈良の首相下のところに働きに出るようになります。
奈良にね。 はい奈良の町ですね。ただねこれ首相下に一回なって町に出るとですね、もう町から町へ移り始めるんですよ。
ああそうなの。 うんなんか別に観戦するわけじゃないんですけど、居場所を求めてどんどんどんどん点々としていくんですね。
へえ。 だって他にない技術持ってるんですよ。 ああそうね。
で他のまだ技術を持ってない首相下たちからすれば来て来てって給料出すから来てってなるじゃん。
03:01
まあ超優秀な技術者だもんね。 そうそう。そういうことでだんだんとこの機内、地方に広がっていくんですよ。
ほう。 でちょっと前回思い出してほしいんですけど、機内の首相下たちはもうすごい金持ちになってましたよね。
ああ機内ってなんだっけ。 京都とか大阪とか奈良とかあの近畿のちょっと内側らへんと思ってください。軽くね。
あのあたりの首相下たちはもう土蔵坂屋とか言って。 土蔵坂屋。
はい土蔵坂屋。金貸しですよ。 あ土蔵ね。
うん。市中入れしてお金を貸すみたいな金融業も一緒にやってたところ結構多いんですよね。
ああ前回話に出たね。 そうですそうです。で金持ちなんでもう引っ張り放題なんですよね。
結果として例えば京都、今は京都ですけど当時落外にあった伏見とか、あと大阪の西の端っこの池田、あと堺とかね。
ああ堺ね。 あと池田のさらに西側、今兵庫県ですけど伊丹とか。
ああ伊丹。 大阪空港あるとこですね。あと西宮とか。
西宮。 はい。兵庫県西宮市。あのあたりにこうだんだんと広がっていって技術が広がっていくわけですね。
この場所っていうのはもう機内ですんで元々まず巨大消費地である大阪や京都が近いですよね。
だから作れば買ってくれる人が近くにいるよっていう状況ですね。
かつ元々京都にはお米が集まりやすい環境だったし、大阪なんかはもうほら米が集まるような環境じゃないですか。
天下の台所ね。 歴史で出てきた。 出てきますよね。
なんでお米が比較的手に入れやすい場所。で海に面してるんで海運にも優れてる。
で浄化町だったりとか門前町だったりとか、あとはね交通の要所ね。 交通の要所。
交差点になってる場所とか、あの五海道あるじゃないですか。街道。東海道とかああいうところですね。
の宿場町なんかで酒造りの酒造家が発展していくということになるんですね。
まあ人が通るところで発展するのはまあ当たり前っちゃ当たり前だよね。
そうなんですよ。宿場町だったら人止まりますから。 そうだね。
止まったら飲むじゃないですか。絶対飲みますよね。 飲むだろうね。歩き回ってるからね。
絶対かどうか知らんけど。 多分大概飲むと思うよ。想像だけど。
作りゃ売れると。そういう環境になってくるんですね。
ちょっと時代後になりますけど、これねもう一ついわゆるお町がお酒造りに特化していく理由の一つに
1647年なんで江戸幕府ができてから40年以上経った頃ですけど
幕府の法令でもって在家た酒造の禁止。要は農村で酒作るなっていう禁止で出るんですよ。
いきなり出るんだ。 出ちゃうんですよ。農業従事してて頑張れよと。
そういうこと?
五公五民って言ってね。50%が税金で50%は民に残すってやつなんですけど
06:04
50%の米で食っていくの大変なんですよ。
今だったら確実に革命か何か起こるよね。
50%税金はやりすぎでしょ。
そうなんですよ。そういう状況なんですよ。
だからね、お前ら何米で酒作っとんじゃんってなるんで、お前らやめとけよっていう話。
そうか。お米で税金を納めてるもんね。
そうなんです。なんでもう酒作る場所といえばお米が集まってお金のある酒造家たちに集約されていくっていうのが
これから先の時代の話なんですね。
江戸時代が始まる直前、室町時代の最後、戦国時代ですね。
痛みでちょっとした異変が起きます。
河野池直文っていう人が出てくるんですね。
河野池直文。
この人ね、ちなみに河野池財閥の子祖です。
財閥の子祖。
後に河野池財閥となっていくんですね。江戸時代切手の大豪商になるんですよ。
この一族がね。
そうなんだ。
この人は、本当伝承レベルなんでわかんないんですけど、三陰地方の戦国武将だった天越の武将である山中鹿之介。
これね、ゲームとかね、信長の野望とか刀剣乱舞とかやってる人だったら、
あのイケメンかもって思うんだと思うんだよね。
そうなの。全然わかんないわ。
この三陰のキリン寺って言われた武力に強い武将がいるんですよ。
この人の息子だという風に伝承されてるんです。
そうなんだ。
証拠何もありませんけど。
武将の子供ね。
河野池財閥の伝承に残ってるっていう記述がありましたね。
この人が、天越が亡くなっちゃって、山中家も無産してしまうので、武士ではなくて普通に一般庶民になるんですよ。
どうやら1590年代くらい。本の字が終わって、秀吉の天下になったくらいの頃かな。
痛美の地方で酒造りを始めたらしいんですよ。
そうなんだ。
だって金儲かるからね。知らんけど、俺が想像してたんだけど。
そうなんだ。
で、この1590年っていうのは結構キーワードで、
徳川家康がね、東海地方から関東にお引越しするタイミングなんですよ。
徳川家康って引っ越ししたの?
そうなんです。だから元々豊臣政権下とか、あと信長まだ存命の時代って三河の国。今の愛知県ですよね。
あそこが所領なんですよ。
あそこ出身地って言ってたよね。
そうなんです。
例えば今の静岡県の西部とかも自分の土地だし、静岡市寸布ですね。
あの辺りも自分の所領だしみたいな感じだったんですね。
で、北条家を滅ぼして小田原攻めをして、北条家を滅ぼした後に、
09:05
秀吉があちこちの部署を土地買いするんですよ。
お前あっち、お前こっちみたいな。
そうなんだ。
パズルに変えるんですね。その時に稼働するんですよ。
もっと今までよりも儲かる土地に移すから、土地も広くするから、家康さんそっちねって言って、
当時の片田舎の関東、関八州って言うんですけど、関東八州に遍布されるんですよ。
ああそうなんだ。
当時江戸なんもないっすよ。
ああそうなの?
ただの湿地帯みたいなとこなんで。
へえ。
土田舎。
土田舎なんだ。
そこに池って言われて。
そこで家康は一年復帰して、ここに日本一の街を作るとか言ってね。
だいぶすごいことやったね。
そうなんですよ。映画化されてますからね。
ああそうなんだ。
そういう場所に街を作り始める時期なんですよ。
で、これをどういうルートで情報を得たのか、どういうギャンブルに出たのかわかんないですけど、
河野池直文は、これこの先江戸伸びんじゃね?って思って、
また関ヶ原の前ぐらいの段階から江戸に向けてお酒の出荷始めるんですよ。
え、片田舎に?急に?
もう書いてあったのが、1599年にはすでに江戸に向けてお酒の出荷をしていたって書いてあったんですね。
お酒作り始めて家康が関東に行って、8年9年ぐらいした頃にはもうお酒を食ってるんですね。
早い段階だね。
家康も相当パワーかけて街作り始めたっぽいので、
ああそうなんだ。
これから新興住宅地じゃね?なんて言うのないの?
開拓地でもないし。
発展途上国の街が急速に開拓して進化していく瞬間あるじゃないですか。
多分あんな感じに見えたと思うんですよね。
そもそもこの江戸池さん、お酒作りとしてはかなり新山ものじゃないですか。
髪型なんかあちこちで池田池田ってあちこちできてるんだから。
なので京都とか大阪の市場に入るの多分大変だったと思うんですよね。
既存市場に新規参入ってどれも難しいからね。
そうそうそう。
じゃあ新しい街できるんだったらみたいな感じで、
当初は馬にクラックくりつけてタルグリグリってやって運んでいくっていう。
もう船じゃなくてね。
船でもないんだ。
運んでいったらこれ意外といけるみたいになって。
1600年に入った頃からこのマーケット行けるぜって言って江戸済って言うんですけど、
江戸に出荷をするこのビジネスモデルを確立させていきます。
これちょっと僕読んでて勝手な解釈なんですけど、
もしこの人が武将の息子だったっていうのが本当だとしたら、
武士だからこそ仕入れられた情報ってのがあるのかもしれないなって。
まあ人脈としてはあるだろうね。
そこそこね有力大名の下にいた人たちなんで。
ああそうなんだ。
12:00
山中志科之助がゲームのキャラクターに普通に出てくるぐらいの、
それなりの知名度なんですよ。
ああそういうことね。
天子氏が先に滅んじゃったから知名度上がってこないだけで、
これが秀吉の部下とかだったら普通に名前残ってるようなレベルですよ。
ああそうなんだ。
じゃあ情報集まってもおかしくはないね。
かなって勝手に想像しましたけどね。
ですね。
これ河野池さん当たるじゃん。
ほう。
これは周りの痛みの集真似するわね。
まあそりゃね、いいマネタイズモデルがあればすぐ乗っかるのがね、
人の差がというか。
実際乗っかるんですよみんな。
乗っかるんだ。
で、もう1600年代初頭の頃にはもう河野池流って言ってね、
独自にお酒の作り方とか改良してるって言ってるんですよ。
ああ。
その河野池流の大きな特徴として挙げられてるのが、
まず一つはOO系を使ってると。
ああ、そうなんだ。
仕込みOKでかいぞと。
大量生産しますと。
あとね、三段仕込みをしてます。
三段仕込みね。
他でもやってた気がするんだけどな俺なとかね。
あと缶作りをやってます。
ああ、冬に作るやつを。
これ他でもやってんだけどね。
そうだよね。
なんか前の前の前の回ぐらいではあったよね。
ちょっと出てるんですよ。
あとね、木の灰を入れて炉化するっていうのも編み出しましたって言ってるんですよ。
ああ、あったよねそれも。
もしかしたら途中で出現してるかもしれない。
ああ、そういうこと?
一応ね、働いてた小僧さんか何かが、
なんかもうやってられるかこんな店って言って、
やけっぱちでオケの中に灰をバーンってやって嫌がらせしたんだって。
そしたら、お、これなんかすげえことになってる。いいじゃん。
っていうのが河野池流の発祥だって書いてあったんだけど。
いやいやいや、だいぶ前にあったはずだけどなみたいなね。
まあでも情報もそこまでしっかりしてないからね。
今となっては調べればどっからか出てくるかもしれないけど、
当時は日本広いですから。
そうなんですよ。
ちょっとその辺は定かではないんですけど、
まあとにかく河野池流ができて、どんどん痛みの先が伸びていきます。
はい。
で、1619年。これ日書海戦ですね。
ああ、日書海戦。
出た日書海戦。
うん、船で運ぶやつだ。
ついにこの日書海戦が大阪から江戸に向かって出航するわけですよ。
ああ、そうなんだ。
で、ここで物流インフラが整うわけですよね。
俺もう馬で運んでる場合じゃねえやってなって、
みんなそこに酒樽バンバン乗せて持ってくわけですよ。
絹とか桃面とかいっぱい乗っかってんのに。
そしたらね、ちょっと時代ぶっ飛んじゃうんですけど、
100年後くらいに樽海戦が出てくるんですよね。
ああ、どういうことだ。
この後ちょっと詳しく話しますけど、
伊丹がめちゃくちゃ酒の出荷を始めて、
どんどんどんどん酒の出荷量が増えていくんですよね。
そうすると、婚妻船じゃもう乗らないんですよ。
ああ、そういうことね。
着物とか邪魔だと。
ということで、酒樽船用の海船が1730年に登場すると。
へえ、そこまで増えるんだ、出荷量。
15:00
そう、こっからぐわっと増えていくんですよ。
増えたきっかけが、まあちょっといろいろ理由があったんですけど、
いろいろと幕府の力もこの酒造りの傾向に影響を及ぼしていて、
1667年と日書海戦が出始めてから、もう50年近く経った後ですけど、
新酒醸造禁止令っていうのを幕府が出すんですね。
新酒っていうのは、今の時期でいくと、
9月の上旬くらい、ちょっとまだ暑い時期に醸す酒なんですね。
ああ、そうなんだ。
前々回くらいで言いましたけど、
当時の日本酒造りってほとんど1年中作ってたわけです。
なんですけど、新酒の時期だから、
収穫の直前に酒作るのやめれって話します。
ああ、そうなの?
なんでかっていうとね、
秋に、例えば10月に収穫するじゃないですか。
9月の頭って言ったら、一番米の量少ない時ですよね。
ああ、少ないね。
米の価格上がりやすい時に、
そこで大量の米使ってくれるなよ、危ねえじゃんってなる。
ああ、そうか。
米できる前に米なくなっちゃったら困るよね。
そうなんです。
食べる方が。
来月の給料入ってねえのに、
今月の給料ギリギリまで使い切ってくれるなみたいな。
だから食料統制の面でも必要だし、
価格調整の面でも必要っていうことなんですね。
ああ、そういうことね。
はい。
なんならこの後ね、1673年、ほんのわずか6年後には、
もう缶作り以外やめれって。
ああ、そんな短いスパンでそういう風になるんだね。
そう、一気に缶作りだけにしとけよみたいなことするんですよ。
ああ、まあお米できた直後だから、
まあ利にかなってるって言えばかなってるよね。
そうそうそう。
ただね、これ結構酒作る側からするとリスクで、
例えばこの当時ってまだ付増するリスクがあるわけですよ。
付増する?
腐敗しちゃうの。
だから長期間保存すれば長期間になるほどリスク上がってくわけじゃないですか。
まあ、そりゃそうだね。
一回しか作れないのに、
一年後売るものあるかどうかわかんないじゃないですか。
だから一年中作ってちょんちょんちょんちょん売ってたほうが、
リスク低減できますよね。
そりゃそうだね。
高品質になるのは確かに缶作りなんですけど、
寒いと酵母が元気に働きにくいかつ鈍いんですよ。
鈍いって言ってたね。
腐りにくいけど鈍い。
つまり醸造にかかる期間が日数長いですよ。
まあそうなるか。
手間かかるやん。
ってことは値段上げないとやってけないな。
確かに。
商品の値段上がると売れにくくなるやん。
きついんよ。
単純に考えたらきついよね。
あともうこれは農家さんみんな一緒なんですけど、
1年に1回しか生産しないってことは、
それだけ1回に集中投下してたくさん作んなきゃいけない。
それだけでかい施設と大量の人員が必要になりますよね。
18:03
まあそうだね。
作ったら作って貯めておく場所も必要だしね。
そうなんですよ。
だから結構負荷高いんですよね。
ああそうだね。
この品質がいいとか大量生産っていう部分と
経営のバランスをとるにこの先江戸200年間
手造家たちはみんな四苦八苦していくんですよ。
200年も?
この中でちょっとずつ改善していった地域だけが
有名地になっていくみたいな感じ。
ああそうなんだ。
そういう流れですね。
じゃあこの裏っ側で幕府また違う動きするんですね。
そうなんだ。
1657年。
新種醸造禁止令のちょっと前くらいですね。10年前。
ああそうだね。
明暦の大火が起きます。
明暦の大火。
江戸がもう完全に全焼しまくったやつですね。
大火災のやつね。
お寿司のシリーズでちょっとお話ししたので
詳しくはそちら聞いてください。
この時にね酒株制っていうのを導入するんですよ。
酒株制?
はい。株です株。
株っていうのは
ああ酒株。酒のお株。酒のお株じゃない酒の株。
酒のお株ってマイクに直で笑っちゃった俺。
酒の株式ね。
株式。株式っていうか免許みたいな感じ?
免許みたいな?そうなんだ。
株に書いてあるのは名前。
酒造家の名前と醸造していい国だか。
ああ。
この人は南国までの酒作っていいよっていう
面状みたいな感じで株を発行するんですよ。
はいはいはい。
この株は売買ができるんですけどね。
ああ作る量が余れば渡せると。
そうなんで例えば俺も酒作るのやめたって言ったら
この株欲しい人って言ったら売れる。
うーん。
あと株で戦国作れる。戦国って相当でかいですけど
戦国持ってたとするじゃないですか。
俺が戦国持ってて兄弟であるタクローが
兄ちゃん俺も酒作りてーよ文献で作るよって言ったら
じゃあ俺戦国持ってるからうち500持ってっていいよみたいな。
そういう分け方もできるんですね。
ああそうなんだね。
でねこれ株を発行した一番の理由は
誰がどんだけ酒作ってるかっていうのを幕府側で把握したいんですよ。
ああ。
何使うかって言うとね現状例って言って
酒を作る量を制限させなきゃいけない時があるので
分かります?
え?なんで制限するの?
強作の時どうします?
ああお米ないと困るのか食べる方が。
そう食べ物なくなっちゃうから
もうお前ら今年は半分にしとけよとか
3分の1にしとけよって。
ああコントロールするためには必要なんだ。
そうなんですよ。
その3分の1にする前の元の数値が分からないといけないんで
酒株で統制をしたっていう感じ。
はいはいはい。
でねこの統制しようとしたらね
あんまね統制効かんかったんよ。
なんで?
あのねもう株高超えて作り出すから。
まあ誰かが計測してるわけじゃないのかな。
なんで時々株あるためって言って
お前ら実際どんだけ作っとんのって。
21:00
何回か調べてそれに合わせてまた株発行し直したりとか
やるんすよね。
ああそういうことね。
これでなんとかして株で回して統制して
あとね米価も安定させて米の価格もうまくコントロールして
さっき言ったように酒作りすると米価上がっちゃうんで
で統制しようとしてたんですよね。
そしたらねうまいこといかんのですよ。
ああそうなの?
むずすぎる。
まあ情報を持ってくるまでのタイムラグすごいもんね。
そうでしかもこの裏側で大阪道島米市場とかさ
ああいう複雑な金融システム動いてるんですよ。
酒物取引が始まったりしてる時期なんで
これをコンピューター何もない時点で手書きの筆と和紙とソロ版だけでやるんですよ。
ああお米のシリーズの中でもかなり複雑なシステムあったもんねその時代って。
それをね統制聞かんくてもしょうがねえかなと思うんですけど
頑張った。頑張ったけどうまくいかなかった。
ということでもうこれじゃあちょっと税金取れないし財政も苦しいし
元禄ぐらいから金山の金だいぶ使っちゃったじゃん。
使っちゃったね。
金ないんで補填するか。
酒運賞取ろうって言って酒運賞っていうのはね首税です。
もう酒を作るのを減らそうとしたんだけど
それ統制聞かないから酒作った分税金収めろやいって。
そっち側に回ったんだね。
そっち側に回ったんですよ。
これ酒運賞って言うんですけどこれね税率50%です。
出た出た50%。
好きだね50%。
これねすごいっすよ1698年酒運賞の実施したらね
98年だから元禄10年くらいかなには江戸に向けて出荷してた酒の量が64万樽あったんですよ。
64万樽。
とりあえず64万と覚えておいてくださいね。
3年後1701年22万樽まで減ります。
めちゃくちゃ減ったね3分の1。
だって50%税金持ってかれるのよ。
その税金誰払うのってなったらさそりゃ売り値に転嫁するじゃん。
ならそうだね。
高くて売れんし。
しかも現状令もガンガン来るし。
税金分乗っかるってことはもう2倍だもんね単純に考えて売り値が。
そうですよ。
この時幕府が書いてた書物の中にきちっとね文が残ってて笑ったんですけど
こんなことやったら絶対酒屋減るじゃん。
そしたらね酒屋が減ったら庶民が盲飲しなくなる。
まあガバガバ酒飲まなくなってね。
酔っ払った人減っていいよねって。
手塚じゃなくなったんだ。
で盲飲による乱暴漏漬が減るからまあそれでいいじゃんって。
で酒屋が減ったら減ったでそれまたOKみたいな。
そんなこと書いてあるんですよ。
なんだけどこれね全然うまくいかないんですよ。
前以上にダメなの。
そうなの減ったのに?
まず税収めっちゃ減るんすね。
ああ全体量が減るからか。
そうもう酒の量減っちゃってるから売上に対して50%だからね。
24:03
ああ売上に対してね。
そうだから税収が当然ガターンと落ちますよね。
でも酒作りたい人はいるわけじゃん。
作りゃ売れるから。
そしたら密造したい人が出てくる。
密造したい人は揉め事なくうまく密造したいから
下級役人とかに賄賂渡しで始める。
そうするとねこの密造と賄賂を取り締まる役人を配備しなきゃいけなくなるわけで。
コスト上がるんだよね。
いたちごっこみたいになってるな。
そうなんですよ。
そしたらねそんなこと言ってる矢先に1703年元禄大地震。
1707年法営火山噴火。
1709年京都の法営大火。
こんなところにコストかけてて何の効果もないところにコストかけてる場合じゃなくなっちゃうんですよ。
1709年やーめた。
やっぱやめたんだ。
酒税廃止です。
維持できないでしょ。
そうなんですよ。
そんだけ自然災害と人災と重なったら。
江戸時代の酒税って11年終了するんですよ。
11年なんだ。
あともうほとんどないですよ。
たまにあるんですけど基本的にはこれで公式の継続系のやつはもう終わりですね。
へーそうなんだね。
短かったね。
短かったんですね。
この後徳川義宗八大将軍が出てくるんですね。
この人はいろんな改革を打ち出す時代ですよね。
米将軍なんて言われて。
あーお米の会でできたね。
そうですそうです。
だってはじめ禁縮財政やるんですけど。
大海自然がいろいろとやって。
で黒板を懐中してリフレリを実現してちょっとずつ良くしていくっていうことをやってきます。
軽く言って経済がちょっと立て直した人なんですよ。
そうか。
実際考えたのはほとんど大海自然らしいんですけど。
そうなんだ。
お米の会聞いてもらうとわからんかもこれ。
そうですね。
かなり長いもんねあれね。
そこちょっとかなり詳しくやってるので。
この時ね徳川よしむね。
これはよしむねがやったことの結構初期の方なんですけど。
お酒作りを振興するんですよ。
振興する?
もっと作れ作れって。
へー。
これは何でかというと。
1710何年とかになってくるとですね。
お米の生産量がまた上がってくるんですね。
で先物取引とかも入ってもうじゃんじゃん経済が回り始めて。
お米の価格がかつてほど高くない状態。
ちょっと低い水準で安定しちゃうんですよ。
あーそうなんだ。
そうすると当時米本位制だから。
幕府も藩も収入は米ですよね。
はいはいはい。
米1穀1万円とかで仮に買ってたものが。
米価下がると米1穀もらってるのに5,000の価値しかないみたいなことになっちゃうじゃないですか。
うーん。
そしたら米の価格上がってくんないと困るわけ。
まあそれはそうだね。
米の価格を上げるためには米をどんどん消費して米の流通量を減らせば値段上がりますよね。
27:01
まあそれはそうだね。
どうやって米減らすかっていうのでよし酒作らせようって。
基金で売った時と真逆のことやるんだね。
そうなんです。どんどん酒作れば米の値段上がるだろうって言って奨励するんですね。
はいはいはい。
でちょっと回復する。
ちょっとね。
ちょっとだけ回復する。
うーん。
その酒産業は。
ああ酒産業は。
米貨はほとんど変わらない。
ああ変わらないんだ。
で最終的に大買い自然買いやもうこれ懐中するしかねっすわって言って。
ああで金融政策か。
そうです。
うーん。
そしたら金融政策売ったらいきなりこの日本酒産業とかもドーンっていって税収上がるみたいな。
まあお金そのものをいじった方が早いよねそういうのはね。
そうなんですね。
うーん。
でこれを受けて次の代くらいになって1754年ですね。
はい。
緩和します。
緩和する?
はい。
あの酒株持ってない人酒作っちゃダメよとかあと在家た農村で酒作っちゃダメよっていうのを初期の方でずっと出してましたよね。
うーん。
1754年になったらもう酒自由に作っていいよっていう緩和を始めますと。
だいぶ急に開放したね。
そうなんですよ。
こっから緩和と統制の繰り返しをしていくことでいろんな現象が起きていくって話をここからするんですけど。
はい。
今何分喋りました?
もう30分。
もう言ってますね。
もう30分です。
ちょっと後半分分けましょっかこれ。
まだだいぶあるからね台本。
だいぶありますまだ半分くらいですね。
ちょうど半分くらいだね。
はい。
これ60分コースなんでちょっと切りましょうか。
そうですね一回じゃあここで一旦切って後編行きましょう。
マジで。
また伸びる。
すまん納めるつもりだったんですけど。
いやもう台本が納める気ないからこれ。
ああそうですか。
この密度ね。
はいすいません。
ということでここで一旦終わりたいと思います。ありがとうございました。
はいありがとうございました。
29:14

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