たべものラジオ 〜食べ物の世界を探求する食べ物ラジオの掛茶料理むとう、むとう卓郎です。
むとう太郎です。このラジオは少し変わった経歴の料理人兄弟が食べ物の知られざる世界をちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
あのカバートのね今回のこんにゃくのシリーズの紹介を知ってなかったなっていう 今更だけどね
もう4話だけどね4話だねはいっていうのを先ほど気づきましてはい今こちらに出しました 皆さんはねあのポッドキャストのね
画面からカバード8今言ってるのは第1話に使っている カバードになるんですけどはいこれ何をモチーフにしたんだろうね
こんにゃく シャラクシャラクかな
シャラクだね動きはね でおでお持っている
うんでちゃんとあのお店のカチャロリむとうってちゃんと書いてあるね 本当だうちの親子入ってるねはい
でこの食べ物ラジオの左側まああの襟の部分がね食べ物ラジオで書いてあるんだけど 左上側に何かこう
模様というか家紋みたいな形で入ってるんだけどこれなんだろパッと見群馬県っぽい かなそうだね群馬県ってこんな感じだよね確かね
違ったか 静岡県ぐらいしか形パッと浮かんでこいよ
そうだね大体の人はそういうと思うよ自分の住んでる県はいけるけどみたいな あー群馬県だね
ああそうねさすがねほらこれ群馬県じゃね あほらほんとだほんとだ
一緒だよね群馬県いやーそしても西原さん毎回芸が細かい 群馬出てくるかなぁ
出てくるかなぁ いやこっちに行くかも
兄ちゃんしか知らないけど あの西村さんがね毎回こうカバーとね書いてくださるんですけど
あの書くカバーとあのなんか間違い探してみながらね本人は気づかれる っていうか気づかれたくないようなことをふわって言ってたんだけど
まだそこに気づかないんじゃまだまだだなって俺この間酔っ払いながら言われたから まだね多分ねミルクとかもね結構ある
隠しネタが そうあのUFOでね浮いてるミルクのカバーと猫のマークがね入ってるって
いうのは気づいたけどそれ以外もまだあるらしいんだけど 俺はまだわかってないから多分今気づいた中以外にもあるのではないかと
なるほどね ちなみにあの違うバージョンこれどうやって出していいのかなっていうところがあるんだけど
一つ目ねはい これはね世代ですわ
これ皆さん見えてないから今裏で聞いてくださってるサポートの皆さんにね 見せますね
はい これは
またつまらぬものをてんてんてんてもうねこの一言で大体皆さん想像作るんですけど これネタがわからないとわかんないでください
ネパン三世の語彙もね 斬鉄剣が唯一切れなかったものこれこんにゃくない
そうなんですよね でこれしかも映画版では出てこないんだよね劇場版ではこの話
劇場版出てきますよ 出てくるの はいえっとヘミングウェイかな ヘミングウェイ出てくる ヘミングウェイのシリーズで飛行機を全面こんにゃくで覆って斬鉄剣で
切られないみたいなシーンがあったと記憶してます 今完全に記憶で喋ってるんだけど確かそうだと思う
どうなんだろう ヘミングウェイはあれじゃないのなんか硬くて切れないけど最後カツンって切れるんじゃない
そうそうそうなその中の戦闘シーンのどっかに出てきたような気がするよ そうなのうん確か
まあ調べた感じだと斬鉄剣できなかったのはなんかあの ショートアニメのところで1回だけ出てくるっていう
そうか俺の記憶違いかなぁ セスナーみたいな
えっと単装だけどね あれの飛行機をまるっとこんにゃくで覆って重すぎて飛べなくなるんだけど斬鉄剣に
切られないみたいなシーンがあった気がする それが短編アニメだったのかそれとも劇場版だったのかはちょっと怪しいけれども
僕はなんとなく劇場版だったんじゃないかと思ってますが 一応第61話らしい
空飛ぶ斬鉄剣っていうシリーズで唯一切れなかったらしい これはわかる人は限られるんだろうね
でもう一つあります はい
怒られんちゃうこれそろそろこの2つは怒られるんじゃないでしょうか まああの三島さんもねこれはちょっととは言ってたけどね
あの斬鉄剣バージョンもちょっと微妙だけど それいけって
それいけこんにゃくだからねあの某アニメのところの会社に怒られるんじゃないか っていうそんなことをふわっと
これ出せるのかどうかわかりませんが出せればどこかにホームページでも貼っておくかな 西村さんのコメントそのまま読むとうまく割り乗りできなかったバージョン1
ネタわかるかなっていうのは斬鉄剣 パンのヒーローに怒られそうなで割り乗りできなかったバージョン2
あのこんにゃくはね西村さん今回あの非常に難解だったと まあね地道地味ですからねそう調べても出てこないからネタが
西村さんいつもねこちらのテーマだけを聞いてそこから連想で作ってくださっているので そりゃそうでしょうよ話の内容一切知らないっていう結構無謀なカバーと作って
くださっ だって本編収録終わってないんだもん
終わってないしこの時まだ始まってすらいないからそうね ちなみにあのなんだっけ西村さん群馬のこんにゃくパーク
はいまでわざわざこのために見に行ってくれたという いやー俺も見たいは収録する前に見に行きたかった
まあ群馬ここから来るまで4時間くらいかかるからね ね遠いんですよ結構遠いんだよね
関東からだとね割と近いんだけどね まあ西村さんもっと遠いけどね
はい西村さんはね中国地方なんで遠いですね ということでカバーとの紹介でしたということで本編行きたいと思います
まだ本編入ってないんだまだ入ってはいでは前回からの続きです で今回は中国と日本です
中国と日本 タイトルが思いつかなかったんだよ
いつになくストレートだね まあこんにゃくの伝播における中国と日本がどのような動きをしてきたのかっていうのを
ザクザクっとやっていきます 今回はですね時代区分でいくと
三国志のちょっと後ぐらいからスタートします 日本はその当時古墳時代ですね
でこの回の最後は江戸に入ります 江戸に入る だから西暦で言うと200年代からスタートして
1600年代ぐらいで終わる 200年から1600年ね だからまあざっと280年頃だから1400年ぐらいは一気にぶっ飛ばす感じですね今日は
1400年ねもうさすがに驚かないよ 驚かないですか シリーズをずっと聞いてくださっている方はだいたい時代背景とか
ぼちぼち頭に入ってきてるんじゃないかなと思いますし まあ一応なくても分かるように話すつもりではいますけどね
ちょっと歴史のことを思い浮かべながら想像して聞いていただけるといいと思います よろしくお願いします
古典ラジオを聞いてくださっている方が割とうちも別角度から面白いってちょうど昨日 コメントいただいたので
そうなんですか しっかりとお願いします うちはあの歴史の番組ではないので
そうなの 職の番組ですから いやまあそうなんだけど 職文化史としてざっくりいきますよ
政治史はちょっと置いときましてね 西暦でいくと220年221年222年ぐらいに
義と語と職という国が出来上がります 義、語、職 確かにちょっと俺もウロウロなんだけど義が成立するのが220年だったかな
語が2年後とかで職がその1年後とかそんなぐらいのタイミングで3つの国ができてこれを通称三国史の時代って言ってるわけですよね
本当は三国時代とか言うんですけど 文献の話をするんですが
日本と中国を合わせてこんにゃくという文字が一番最初に登場するのはそこからおよそ300年ちょっと後なんです
300年ちょっと後 580年頃かな6世紀後半ですね文献という本ができますね
ごめん580年だとそれ随までいっちゃうからもうちょっと前か530年くらいかな
細かいな 義親南北朝と呼ばれる時代区分があるんですけどこれ多分覚えてるかな
三国史が終わって義が秦に変わって秦が中国統一するんだけど北方民族を傭兵に雇ったらその北方民族に北半分持ってかれて
北半分が北方民族の国で南半分が漢民族の国みたいにして南北に分かれちゃうよって言ってぐちゃぐちゃして最終的に590年ぐらいに随ができて
で唐に変わっていくみたいな話をしたと思うんですけど ふんわり覚えてる ふんわり覚えてるこれ東風のシリーズかなんかでもちょっと触れたのかな
そうだね っていう時代区分の中の真ん中辺ね 真ん中辺 領っていう国があるんですけど
領 これ南北条時代の最盛期ですねこの南朝の領という国でそのある王様がね
明文集っていうのを作るんだよ 明文集 そうその550年頃よりも昔の時代の素晴らしい作品文章作品
詩文とかねああいう小説じゃないんだけどいろんな文章の素晴らしいやつを800種類ぐらいを集めてきて
著者の人数130何人とかなんだってそれを集めて門前という文章を選ぶって書いて門前って言うんだけど
その明文集を作るとでこれがこの中に収録されている三都の府というのの中の食都の府っていうところに
史上初の婚約という漢字が出てくるとでこの三都の府っていうのは3つの都のことを書き表した詩文なんですね
これ3つの都は何かっていうと義の国の都 吾の国の都 食の国の都はどのような様子だったのかっていうのが書き記されているんですよ
でこの食っていう国が今回フューチャーされるんですけどこれ書いたのが青春だからそうだね食という国がなくなってまだ100年経つか経たないかぐらいの頃に書かれた本なのね
だから比較的その食の地域のことを知ろうと思えばちゃんと知れる環境にあるから割と真実味があるんじゃないかなというふうに考えられているそうです
でそこに婚約が出てくるって話ね
これ簡単に言っちゃうと食という国には
こんにゃくとかグミとかういとか芋とかが畑に植わってるよっていう文章が出てくるんですよ
つまりですね西暦で言うと食は221年から263年なのでこの時代にこんにゃくを畑で育てているということがもう明確なんですよね
当たり前ですけど畑で育ててるってことは利用されてるってことですから
まあそうね作って捨てる必要はないからね
ないですからねでこんにゃくの利用方法って他にないんですよあの形以外に
まあそうだねえぐみすごいからね
煮ても食えない焼いても食えないまさに煮ても焼いても食えないやつですから
食べてるけどね
これをもう少なからず口に入れるなりなんなりするであれば絶対にあの形にせざるを得ないっていう状況なので
おそらくこの三国史と呼ばれてるようなね一般的にね三国時代には今のこんにゃくの原型があったはずだというふうに考えられています
日本はまだ古墳時代
日本古墳時代なんだ
日本史の教科書に出てくる和の吾王はまだ出てこない
古墳時代そうだねいよいよ終わってるかな古墳時代だねぐらいのタイミングです
でこの食都之父とか門前っていう本がもう古い時代の本なので
なんかわかりづらいよねって言って脚注をつけまくった人がいるんですよ
いわゆる解説書だよねこれを書いたのが600年代
600年代
もう当だよ時代は
遣唐使の時代日本はもうどのぐらいだろう
飛鳥時代終わってるかな奈良時代入るかなぐらいの頃かな
まだ飛鳥かそのぐらいの時代なんですけど
李禅という人が出てきてこの人が一生懸命調べて
この門禅っていう800個の文章の全部に注釈をつけていくと
でその中で当然食都之父の食の畑にはこんにゃくがあってウンカンヌンってやつね
これについて説明売れてるわけですよ
一字で一個あらしてるのか二字で一個あらしてるのかっていう解釈が揺れちゃったんですよね
基本的にはこの李禅の言っている
二つの植物である説が今中心で言われてます
苦弱は金馬漢字で書くとね
こんにゃくの根に醤油の醤って書いて金馬って呼んでるんですけど
金馬っていう言葉がこの読みが中国語由来じゃないから余計ややこしいんだよこれ
大語由来だから
大語
よくわかんないでしょ
だいぶ違うね
そう意味わかんないじゃん
意味がわからない
全然違う植物なんだよこの金馬って
マジで葉っぱでこれちょっとね一気に話ぶっ飛んじゃうんだけど
東南アジアに生えている古椒花のつるか植物なんですよ
古椒花のつるかっておかしいな
古椒花のそういう植物があって
乾燥させた葉っぱっていうのは漢方薬になって
健胃剤って言って胃を助けてくれたりとかね
いろいろと体にいいような漢方としても使われてますよと
これ原産がタイとかミャンマーとかそのあたりです
っていう金馬の葉っぱがあります
でこれがまた漢方として使われてるのが
ちょっと紹介しなかったけど食都の風とか
モンゼの説明とかでちょこちょこ出てくるんだけど
こんにゃくの葉っぱの部分は漢方で使えますみたいなことが
ちょろっと書かれてたりするわけ
それとごっちゃになったんじゃねえのって言ってるのね
で弱は草なんだけど
これはそのまんまこんにゃくのこと言ってるんだよ
弱はこんにゃくのこと
弱は草その根をこれ読み方わからない
ジャックトーって読むのかジャックズって読むのかわかんないんだけど
こんにゃくの脈に頭って書いてるんだよね
だから頭ほどでっかい芋ができるよって
でこれを利用していてその根っこを
ジャックズという大きなものは頭のようだ肉質は真っ白であり
薄で煮ると凝固し酢にあえて食べる
視線の人々は沈聴する
これが利禅が書いてる注釈なんだけど
でまんまこんにゃくのこと言ってるんだよね
まあこれはこんにゃくのことだね
だからこんにゃくと
金馬をごっちゃにして書いちゃったんじゃねえのっていう話をしてるわけ
ただねこれ異説が最近出ててさ
これまたややこしいことにこの
ジャクっていう漢字をね漢字辞典で調べてもらうとわかるんだけど
日本語でもこれは音読みジャクなんですよ
そうなんだ
その意味がね
1ガマ
ガマ
ガマの油のガマですよ
ああはいはいはい
稲葉の白草に出てくるあのガマね
1ガマのこと
2ガマで作ったむしろのことって書いてあるんだよね
3こんにゃくの脈の字としても用いられるって書いてある
ええーってなってるじゃん
なってるね
だから漢字の意味としては
ジャクイコールガマとして認識されてるんだよね
なんでガマは食べれないよね
食べれないけど
草のあのもこもこしたやつだよねうまい棒みたいなやつ
でもあれも漢方で使われて医薬品として使われるんだよね
ああそうなんだ
でねこれややこしいのが例えば
本当は植物学的には同じ種じゃないんだけど仲間でもなんでもないんだけど
当時の感覚では仲間だと思われてた植物っていっぱいあるわけじゃない
なんか蕎麦なんかさ麦かでもなんでもないのに
京麦と書いて蕎麦って呼んでたわけじゃん
当時の中国の人たちは蕎麦も麦の仲間だっていう認識をしてるわけ
でカマの仲間にショウブっていう5月人形の時に飾るショウブの葉っぱってあるよね
あれもショウのガマって書くからショウブって読むんだけど
あれガマの仲間だと思われてたのよ
でそのガマという漢字とジャクという漢字がイコールで結ばれちゃってるからもうパニックなわけ
でこれはコンのガマであるっていう解釈もできちゃうわけじゃん
コンの
そう要はキンマに似たガマであるっていう解釈ができちゃうから
もはや別々の植物が途中でごっちゃになっちゃったのか
1個の植物を表していたのかがもうわからない
わからないんだ
パニックになっている
という状態ですね
間400年とか経ってるんでもうわかんないわけですね
これなんでこんなことが起きてるかっていうと
これはいろんな学者さんがいくつかのとこで書いてたんだけど
リゼンとかそれ以降のいろんな植物の中で
まとめた本蔵書とか納書とかが出てくるんだけど
現地に行ってちゃんと調べて百科辞典作ってる人って少ないんだよ
まだこの時代って
基本的には文献を集めて整理するっていう感じでやってるのね
だから現物見てないからこれとこれは整合性とれてるのは
ABCD並べてAとBとCが合ってるから
Dはカットしていいだろうみたいな判断をしたりするわけじゃん
それが何世代か積み重なるともはや原型留めてないみたいなことが
起こっちゃうんだってやっぱり
伝言ゲームだね
そうでしかもこのリゼンという人は
北の方の出身だからさ
南の方に生えてる植物は見てなかったりするわけね
まあそうだろうね
無理でしょだからもう文章上でまとめてる可能性が非常に高くて
わけわかってないんじゃないのっていうようなツッコミもある
まあそういうのはこんにゃくに限らずいろんなところであるからね
でこれがこんにゃくという言葉の始まりというふうに言われてるんだけど
それが徐々に広がっていって900年代くらいになってくると
資産省だけで食べられていた変わった食べ物こんにゃくは
石膏省とか鉱属省とかそっちの方まで広がっていく
だからもう前回の話でも言ったけど
沿岸沿いに右方向東方向に広まっていったよっていう話ね
そういう話ね
植物が勝手に広がっていったんじゃなくて畑が広がってて収穫されてるよって言ってるから
人的に栽培が広がったんでしょう
まあそういうことだね
で徐々にだけど市場で取引がされるようになっていったということが記録に残ってます
じゃあどのように使われていたかというと基本的には薬用
まあ薬用なんだね
そう薬
前々回ぐらいで話が出てきたのかな
健康効果初回か初回だね
初回にちょっと言いましたけど
砂くだしとか言ってね体に良い効果がある要は
体の悪いものを外に排泄してくれるという効果があるので
そういった意味合いで体に良い食べ物
漢方の一家みたいな扱いをされていたそうです
これがざっくり中国ね
これが中国
こっから先の話にするともうわけわからんのですっ飛ばします
長いし
では日本です
日本
前回の話でも出てきましたけれども
日本にこんにゃくが伝わったのは
仏教とともにやってきたのではという説があると
仏教その話あったね
前回しましたよね
これ教科書で習ったと思いますけれども
仏教公伝
くだらからお経と仏像が送られるというのが
550年説と520年代説があるんだけど
だいたい6世紀の中頃
6世紀頃ね
にやってきましたというふうに言われている
このタイミングですね
ただこの頃は文字記録が日本にはほとんどないので
こんにゃくに関しては全くもって皆無だからわかんないです
日本の書物の中で一番最初にこんにゃくという文字が登場するのは
本蔵和名
本蔵和名
918年頃に成立したんじゃないかというふうに言われてますね
平安時代も真ん中通り過ぎだったよね
平安のほとんど 真ん中ぐらいか
794年でしょ 楠葉5位数でしょ
で白紙に戻す検討誌でしょ
894年検討誌最終回
行かなかったんだけど
そっから20年後ぐらいなんで
だいぶ経ってるんですよ平安時代の
随分中国とのギャップあるよね
ギャップがある
中国の最初の記録ってさ
もう6世紀とか3世紀とかまで遡るわけでしょ
日本は10世紀ですよ
そうかもう4桁近いんだね
この10世紀これがもう中国では
高僧正南部とか石膏正北部に畑が広がってた時代なんですよ
このぐらいの時代になってやっと
日本でも文字記録として出てきます
その最初が本蔵和名書いてあることは
こんにゃくの別名はジャクズ
さっき言いましたね
理伝中のとこ出てきたやつね
で和名はこにやく
こにやく
まあ鉛でしょうね
んが入るか入らないかっていうのは
こんにゃくと思っていいでしょう
ここではこにやくってちゃんと出てくるんだな
これ平安画なので全部
一文字一音の漢字ですけど
漢字なんだ
だってひらがな使ってないもんまだ
ああそっか
こにやくだから
こにやくと出てきます
でそこからもうわずか10年経つか経たないかくらい時に
和名類辞書っていう本が余れるんですけど
この本の中でやっぱりこんにゃくが紹介されていて
日本で初めてこんにゃくの加工方法
今のこんにゃくの作り方ですね
でそれをどうやって食べるかが紹介されています
和名類辞書ってどっかで聞いたね
いろんな回で出てくる
ちょいちょい出てくるよね
通称和名称とも言われるけどね
へえ和名称って言うんだ
和名類辞書略して和名称とか呼ばれるけど
その中では加工法と食べ方あとは
こんな植物だよっていう特徴だったりとか
別のこういう植物と間違いやすいから気をつけた方がいいよとか
いうことも書かれています
で苦弱は弱ずともいい
日本名ではこんにゃくと言うというふうに書かれていると
でそこから数十年後くらいに
維新法という医学の心の方向の方って書くんですけど
日本の最初の頃の医学書だと思ってください
医学書なんですか
ここに薬効ね
こんにゃくを用いた薬効とその食用方法とまた食性っていうのが
このと細かに記されている
まあ官邦薬ですよもう扱いが
官邦薬
ここからもわかるように中国でも同じでしたけど
日本も中国もこんにゃくはやっぱり薬だったんですねと
いやわかんないよその東南アジア出た時に
本当に薬だったかどうかわかんないけど
少なくともこの時代の中国日本は
薬ないしは薬効のある健康食品くらいの感覚では
食べていたという感覚だと思います
ちょっとこうなるとそろそろ官邦の話聞きたいよね
そうだよね僕も知りたい
買ったんすよ二冊本を
一覧の図鑑のように使えるものと
もう一つ漫画で学ぶ医学誌っていうのを買ったんですよ
漫画で学ぶっていうライト層に見えて
読んでみたらすさまじいヘビー級っていうね
で平安時代から鎌倉時代にかけてやっぱり僧侶だとかね
貴族クゲの間で薬であったりとかあとはおやつ
完食として食べられるようになってたと
急におやつ
わかんないんだけど
体にいいものを完食で食べとこうみたいなのあったと思うんですよ
でも当時はお昼ご飯ないので
ないんだ
一日2食ですから
朝と晩でその間に小腹がすくんで完食しますみたいな
確かにその話あったね
ありましたよね
完食自体が今で昼みたいなもんだね
ちょっと松投げで食べるところに
この健康に良いとされているこんにゃくが差し込まれていく
栄養ないのにね
いいんじゃない
藤原道長とかさあの人糖尿病で目が見えなくなったりとかしてるから
貴族だってクゲの上位の人たちはそのぐらい抑えていいと思うよ
確かに糖尿病だもんね
そう糖尿を抑える効果あるとか言ってるしね現代学で
この時代に糖尿病か
すごいよね
すごいね
よっぽど贅沢してたんでしょう
だろうね
肩や気がとか起きてるからね
ほんとだよね
そんな感じで一応薬用効果としても使われていくと
でお寺で使われてくるようになるとお寺向けにこんにゃくを売る人たちが
行ったりとかするわけですよね流通を支えるインフラを支えてくれてる人たちなんですよ
で座が組まれます
座
こんにゃく座同業釈明ですよ
ああこんにゃくも座ができたんだ
座ができたもう至る所でいろんな座ができるんだけど
その中の一つに鎌倉時代くらいになってくるとぼちぼちこんにゃく座ができてくる
これ何でかっていうとお寺が増えるんですね鎌倉仏教が出てくるし
禅宗が入ってくるじゃないですか
で禅宗が入ってくるってことは隣在宗と相当宗が成立するわけですね日本において
そうすると精進料理的なものはどんどん発展していくわけじゃないですか
そうするとそこに納めるこんにゃくが欲しい豆腐が欲しいみたいなことになってくるので
もちろんお寺の中でも作るんでしょうけどお寺の中で作るための芋を持ってくる農家さんがいて
その間を繋ぐ座が必要になるみたいな感じでなります
なんかこれゴマだっけかゴマもそうだよね
ゴマもそうですよね
ゴマ豆腐とかのくだりね
油座っていうのができましたからね
だから豆腐座はなかったかなでも豆腐座もあったかあったね
そんな感じでお寺で必要なものっていうのは座が組まれやすいんだよね需要が確定してるんで
そうだね
BtoBにしたほうがいいじゃないですか
まあそれだけお寺強かったんだろうね
まあねそうなんですよ一大将員抱えてますからでかいんで
でこれが鎌倉時代が後半になってくるとこの精進料理が出てきたことによって
こんにゃく料理が発展し始めるんですよ
これもう日本料理の編成のシリーズを聞いていただくとよくわかるんですが
平安時代から鎌倉時代くらいにかけての機内ですね
京都を中心としたあのあたりの料理っていうのは基本的に料理自体に味をつけないんですよ
料理に味をつけないああそうだね
手元によぐさものとか言って塩ひしお酢酒を置いておいて
自分で好みで調味して食べるというスタイルでした
あったね
これ包丁師って言ってもう基本的に切るとかつけるとかっていうのが基本の料理人のことですよね
昔料理人って2種類パターン別の職業だったんで
でもう一つ調材っていう人たちが出てきてこの人たちが煮滝とか練るとかすりつぶすとかそういうような
外科と内科みたいな感じなんだけど医者で言うと内科系の料理の仕方っていうのが発展してくる
それが全州が日本に伝来したことによって発展していきます
ここで何が出てくるかというとお寺さんは肉魚生草全部ダメなので味がどうしても淡白になりがちなんですよね
なんとなく物足りない感じになってくるのでしっかり味付けをするっていう方向にこう料理の体系が動いていくわけですよ
そこはちゃんと味付けしてくるのね
これで煮込んでいったりとか漬け込み料理とかっていうのも出てくるし
中国大陸から伝えられてきた油を使った料理っていうのが発展してくるわけですよ
ごま油とかが使われるのはこの辺りからね
ここで一番大きなポイントになってるのは出汁を使った料理っていうのが発展するんですよ
出汁を使った料理
コンニャクとかってさ基本的に味ないじゃん
ないね
風味はあって歯応えもあるけどそのものの味ってのはすごく薄いわけでしょ
まあほぼ水だったしね
これに出汁と味噌で味を含めるっていうことができるのでいわゆる煮物ですよ
これでコンニャクがすげーうまいものに変化するっていうことが起きますね
だからこれもう精進料理の文脈でコンニャク料理っていうのは発展していくことになるわけです
ついにですね記録上ではっきりわかってるのだと定金往来がわかりやすいかな
定金往来
定金往来
二羽二羽群は群れの群で往来は行ったり来たりの往来ね
これは手紙の往復の手をよそった文章なんですよ
原画っていう偉い人が書いた書物なんですけど
たぬき汁なんだそれはたぬき汁なの
だってこんにゃく百珍にもそれはたぬき汁って出てくるからちゃんと
見立て料理ねよく精進料理にあるもどき料理ってやつですよ
そらへんが室町時代くらいに出てくる
たぬきもどき汁ね
たぬきもどき汁なんだけどたぬき汁といえばこんにゃくの汁物のことを指してる
そもそもいうことになってきてるのね
馬鹿してるとかではないんじゃない たぬき
たぬき そうね
で室町時代のわりごろになってくるとぼちぼち庶民化してきます
庶民化
たぬき 豆腐が庶民化してったように精進料理もだんだん一般庶民にまで
料理の技法とか味噌とかが普及してくるから
だんだん戦国時代になると一気にこれが広がっていくわけじゃない
武士と農民がごっちゃになってるような時代になってくるんで
この食文化っていうのが社会の仮想まで広がっていくという感じですね
このぐらいの時代になってくると
滋賀で有名な大見八幡の赤こんにゃくが登場してくる
ここで赤こんにゃくなんだ
たぬき そう赤こんにゃく
信長が赤いのが好きだったから説があったりとか
詐欺帳っていうお祭りがあってね
詐欺帳
たぬき 詐欺帳っていうのはあれだ
どんとうば焼きみたいなもんだ
ああどんとうば焼きみたいなもんだ
たぬき 松飾りとかを焼くんだよね
年末にどんときあるとこもあるんだけど
基本的に詐欺帳っていうのはお正月の飛祭りの延長場にあるから
炎をたたえる祭りね
でその正月の松飾りとかあと柿染めしたものとかを焼いて
その灰を庭の周りに巻くと無病息災とかっていうそういうお祭りなんだけど
大見の赤こんにゃくの
安土城下のところの詐欺帳っていうお祭りは
竹竿さんをいっぱいこうだしに立ててね
竹竿
たぬき 竹の竿をねボーンって立てて
そこに赤い短冊をいっぱいこうつけるっていう風習があるんだって
へえ
たぬき でそれに見立てたんじゃないかっていう話ね
ああそういう意味なんだ
たぬき もしくはこの信長説と詐欺帳説の両方あるんじゃないの
なんでかっていうとそういうのにあやかって
商人たちとか農村の人たちが売り上げをあげるために赤いこんにゃくを開発したんじゃないかみたいな説もあると
ああありえるね
たぬき ありえるでしょ
この辺りくらいになってくるともうだいぶこんにゃくが一般市民に広まってきてますよって話ね
まあどちらにせよ食べてるんだねって感じ
たぬき そうだね
まあそこまで珍しくもなくなってきましたよと
で江戸時代に入ります
江戸時代か
たぬき グイグイ飛ばしてくよ
200年代中頃から後半ねもう
松尾馬将という人物がやってきます
松尾馬将
たぬき 元禄時代だわ
元禄
たぬき だいぶ後だよ
だいぶだね
たぬき 三代四代将軍五代目とか
わからないけどもうちょっと忘れちゃったけどだいぶ後ですよ
実はですねこの松尾馬将という人は大のこんにゃく好きなんですね
松尾馬将ってこんにゃく好きなの
たぬき だって自分でこんにゃく好きって言ってるもん
好きらしいよ
こんにゃく好きがこうしたのかどうか知りませんが
こんにゃくを読み込んだ俳句も残してますね
俳句にこんにゃく入ってる
たぬき そうちょっと読みましょうか
こんにゃくの刺身も少し梅の花
もう美味しそうだね
たぬき これはね美味しそうに見えるんだけど
とある知人が亡くなってしまいましたと
とっても寂しいですというのを
弟子に手紙で送るときに書き添えられた
徘徊の報告がこれ
ああそうなんだ
たぬき 亡くなった知人もこんにゃくが好きだったのでね
お仏壇かなんかにこんにゃくの刺身を少し備えられてたと
で外を見られば梅の花が咲いてきてもう春だねっていうそういう句なんですけど
だいぶ切なかったね
たぬき そういう切ない句ですこれは
こんにゃくに今日は売り勝つワカナかな
こんにゃくに今日は
たぬき 売り勝つ
売り勝つ
たぬき ワカナかな
いつもだったらこんにゃくがよく売れるのに今日ばっかりは
七草粥で必要だからワカナの方がよく売れてるよねっていう
日常を謳った句なんですよ
ああそういう意味ね
たぬき これ何を言ってるかって
一番最初にこの句を読んだときはこんにゃくじゃなくて
ハマグリで一回読んだらしいんだけど
なんか違うなと思ってこんにゃくに変えたって書いてあったんだよね
っていうのはそれはどっちでもよくて
ここに普段ならこんにゃくが売れてるはずなのに
今日はなっぱだよって言ってるってことは
普段からこんにゃくが売られてる状況にもうなってるって話なんですよ
ああそういうことね
そういう話ね
たぬき とっさに言った悪いのはきれいにまとめたね今俺
そうだねじゃあその数秒でよかったのかな今日ね
たぬき これねこれで今半分なんだ僕が今喋ったのは
こっから読み解きが始まるんだよ
読み解き
たぬき これはね配信が遅れたおかげで間ができたって話を冒頭にしちゃったんですけど
実はこれがね交互相してですね気づいたんです
気づいた
たぬき 食の畑には苦弱があるから始まり和名はこんにゃくであるの
おかしくないだってさこんにゃくという漢字自体は中国からやってきたわけでしょ
中国からやってきたって言ったね
たぬき で仏教公伝でやってきたらさもう漢語なわけですよ
漢語
たぬき 中国語が日本にそのまま日本人に読みやすい音に変えられてるわけですかね漢語っていうのは
なんでわざわざ和名はこんにゃくなのこの発音の違い気持ち悪くない
間ぶっ飛んだよね
たぬき 苦弱とこんにゃく全然違うじゃん
違う
たぬき 実はこれが漢字の音読みのパターンなんですよ
例えば行くという字は行とも行とも読むみたいなのあるじゃないですか
思いという字は重とも読むし超とも読むわけですよね
これは誤音と漢音と言って漢音っていうのは
検討詞の間に体系化されて伝えられた漢字における読み方なんですよ
それよりももっと古い時代に中国から伝えられてきた言葉は誤音って言われてて
誤の方が先なの誤音っていうのは
たぬき これはね諸説あるんですけど誤音っていうのは割と中国南部の方の言葉であろうと言われていて
それは誤から直接伝えられた南部から直接伝えられたっていうのもあるだろうし
実は区ダラから朝鮮半島から経由して入ってきたっていう説もあるんですよ
これは南からとすごい北の方の朝鮮半島でバラバラのように見えるんですけども
もうちょっとシンプルに歴史を考えるとですね
もともとの中国の言葉方言の違いはあるにしてももともとの中国の漢民族の音っていうのは
誤音に近いものだっただろうっていうふうに考えられるんですよ
でこの後の隋とか唐っていうのは全部扇比形北方民族の国なんですよね
上の方の人 そうこれ何のシリーズで話したか忘れちゃったんだけど
唐府かな唐の都長安ってさすさまじい国際都市だったって話したの覚えてます
キリスト教の教会があったりとか宗教もいろんなのが入ってきていろんな思想が入ってきて
で中央アジアの人もペルシャ系の人もみんな生き返してるみたいな
そういう環境なんですよ長安って
つまりいろんな民族といろんな言語がうわーって入り混じってきている上に
一応土台は漢民族ってことになってるんですが支配者は扇比族っていう別民族なんですね
何て言ったらいいんだろう今の日本で例えると難しいけど他の国の人
わからないけどインドの人が日本に来て日本の支配者層は全員インド人ですみたいなことになると
統治するためには日本文化を基調にしながら自分たちの文化が乗っかってくるんで混ざっちゃうじゃないですか
片言の日本語喋ってたりするわけですよみんな
そうやって生まれてきたのが漢音
これが終わって宗の時代になってくると間に弦が挟まるのでモンゴル系の音が入ってきちゃうとか
で民が漢人の国なんだけど支になるとまた今度女神族の国だから
また中国語にまた女神族の音が乗っかってきてどんどん変わっていっちゃうみたいな
方言に方言を重ねていくような形になっていくの
外国語かな
もはや別物
もはや別物だと思うほとんど近いところはあるけど
漢字という文字のベースがあるから
そこに寄せていった
寄せていったのね
女神族は女神族の漢字に似た表記文字を持っていたんだけど
統治の都合上漢字を使うようにしていったみたいな感じ
そういうことね
だから中国の中っていう一つの国家だと思うとややこしいんだけど
例えばドイツとフランスとイギリスぐらいだと思って
一応言語のルーツは近いわけじゃん
近いね
だけど全然別でしょ
別
であっちの人たちもイギリス人がオランダ行ったり
イギリス人がドイツ行ったり
ドイツ人がイギリス行ったりとかしてるわけじゃん王様が
あれでもうごちゃごちゃになってわけわかんなくなるみたいなことが
もっと激しくこの中国大陸の中で長い歴史の中で起こってた
そうなんだ
そうすると音がどんどん変わってっちゃう
で日本はその外側にいるから
どのタイミングで音を輸入したかによって
輸入した音が全部違うみたいになってるね
でこれが誤音関音等音とかって言われてて
もう名称ずれてっからややこしいんだけど
なんで漢時代の音が誤音でさ
なんで唐時代の音が関音なんだよとか
俺は思うんだけど
まあそう誰かがそう決めたんだ
ずらすなよみたいな感じだよね
でこれ何をなんでこんなね誤音と関音の話をしたかというと
関音は遣唐詩の時代くらいに
体系化した文章のシステムとして
漢文が入ってくるわけ
その時に関音が入ってくるね
でそれって仏教公伝以降の話だから
もう西暦で言うと600年代とか500年代くらいか
聖徳太子の時代だから
に隋詩とか遣唐詩が始まるわけですよね
そこから先はみんな関音なわけですよ基本的に
つまりですね
仏教公伝より前にこんにゃくが日本に伝来してないと
その作り方も含めてですよ
畑から製造方法まで含めて
日本にすでに入っていないと
どうやってもこんにゃくにならないんですよ
苦弱になっちゃうはずなんですよね
つまり少なくとも4世紀とか5世紀
西暦400年代とか500年代よりも前には
こんにゃくが日本に製法も含めて伝わってないと
おかしいってことになっちゃう
伝わってきた言葉的にはこんにゃくの方が
もともとは古いから
古いから
その言われている仏教伝来で合わせてくれば
苦弱になってるはず
だからもっと前に入っていた方が濃厚ではないか
という話
そういうことです
仏教公伝って550何年とか520何年とかっていう話だから
それよりも古い時代じゃないのってなると
古墳時代には少なくとも日本に入ってきたはず
ってことになるわけですよ
交流はあるからね
古墳時代も王朝がちゃんとあって
大和王家があるんで
当時天皇じゃなくて王君とかって言ってる時代だけど
西暦で言うと300年代とか200年代から
都来人来てますしね日本にね
普通に
縄文時代伝来説が正しければ
物はあるわけだから
正法があったかどうかはわかんないけど
そこに中国伝来の正法が重なってきて体系化されたって
考えても不自然じゃないとは思うんですよね
一般的には仏教司伝って言われてて
公伝っていうのは公に伝わるだから
国王レベル同士国家間の政治的なやり取りで伝わったっていうのが
公伝って意味ね
司伝っていうのはプライベートで伝わったってことなんだけど
それはね500年代前半とかとも言われるんだが
でも状況を考えると300年代くらいから
徐々に徐々に伝わってたとしても全然おかしくないわけ
都来人いっぱい来てるし
300年代後半ぐらいになってくると
すげえ大量の中国人と朝鮮半島の人たちがやってくるからね
なんか後来っていう後送りっていう国がね
わーって暴れ出したから
追われて出てきた人とかもいっぱい来るからさ
その時に仏教は伝わってて
古墳なんか調べると400年代に日本の古墳の遺跡から
これは仏教由来のものとして考えられない鏡が出てきたりとかね
してるんでね
四仏四十経とかって言うんだけど
4つの仏の間に4つの獣が描かれてる鏡っていうのが
古墳時代の古墳から出てきてるからね
みたいな感じで伝わってきたんで
少なくとも仏教公伝よりもずっと前
五音の時代には入ってきたんじゃねえかなっていう話ですよ
分かりましたこれ伝わりました
まあそうだね今までの説の中では
この時代の方がちょっと証拠としては
その言葉の表現方法が違うっていうところからいくと
まあこっちの方が濃厚じゃねえかって話ね
これは僕の説ね
誰も書いてくれてねえから
そうなんだ
これがこないだ俺がなんでこれ音読んなのっていう話から
音読みが2つあるのは何とか
みんな重複って呼んでるけどあれは間違いね
重複が正しいよねみたいな話
感音と五音ね
定義出して感音と五音で何っていう話しましたね
が根脈と結びついた結果発見したと
そういうことです
結びつけたね
だいぶね
あとはちょっと金馬の話はいいか
金馬ねちょっと面白いんだけど