1. たべものラジオ 〜食を面白く学ぶ〜
  2. #205(s23-12) 日本の胡麻 ~10..
2023-11-28 51:32

#205(s23-12) 日本の胡麻 ~100年間で70回以上の飢饉・・・!?〜【前編】

・正倉院について

・正税帳に胡麻の記載(大分の豊後)

・当時の胡麻の金額

・100年間で70回以上の飢饉・・・

・大墓公 阿弖流為(たものきみ あてるい)(蝦夷の族長)


【キーワード】

東大寺 正倉院文書 /  正税帳 / 胡麻油 / 種々薬帳 / エゴマ / 太政官符


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サマリー

ゴマ湖という地名が古代の文書に登場し、松草院文書にはゴマという言葉が使われています。約800年前の日本では、ゴマは高級品として扱われています。ゴマ油は他の雑穀のおよそ900倍の価値があり、宮中や貴族によって使用されていました。エゴマとゴマは別のものであり、エゴマの方が栽培量が多かったそうです。今回は日本の胡麻についての考察と歴史について話しています。ゴマの栽培は干ばつの対策として広まり、特に830年代から840年代にかけて基金対策として栽培されました。また、ゴマの栽培は関東以西の地域で行われ、関東より北では作られなかったことが分かりました。次回は、いつどのタイミングでゴマという植物が日本に入ってきて栽培されたのかについて話しますが、今回はあくまで文字としての記録の話をしているだけです。

00:07
たべものラジオ
掛茶料理むとう、むとうたくろうです。
むとうたろうです。
このラジオは、少し変わった経歴の料理人兄弟が、食べ物を知られざる世界を、ちょっと変わった視点から学んでいくラジオ番組です。
だいぶ疲れてるね。噛んだね、だいぶ。
噛んだね。
目がちょっとシバシバしてるんだよね。
今日、収録時点が三連休初日なわけですよ。
明日も結構ね、いっぱいお客様いらっしゃいますし、結構早起きなわけですよ。
このタイミングで撮るのかっていうね。
ちょっとそれはね、思ったんだよ。
本当はもうちょっと早い時間、もう今夜9時になるところですけど、2時間くらい前にはスタートできそうだねなんて話をしてたんですよね。
フグが撮れましてね。
フグめっちゃ上がってたね。
今日10本来たんですよ。
10本か。1回に来る?しかもこのタイミングで?と思って。
夕方、電話かかってきたんですよね。
魚屋さんから。
来てたね。
これから競りだみたいな話で。
今10本くらい上がってるんですけど、なんて話ですよね。
あの後競りだったんだ。
そういうね。
どうします?5本くらいします?って言ったけど、結局10本競り落としたらしくて、全部来ました。
良かったね。割と昨年なんか結構量が取れない時期もあったから。
10本も来ましたよ。
良かったですよ。
取れただけでマシだと思わないといけないけど。
今日じゃなくてもいいかなと。
タイミングね。しょうがないですね。
下ろすのも本当に解体するだけだったら1本あたり10分あればだいたいいけるんですけど、その後の処理が手間かかるわけですよ。
皮とか?
そう。僕らなめたれって言いますけど、いわゆる粘膜ですね。あれ掃除したりとか、細かい毒が残ってないか全部チェックしたりとかね。
毒の処理の部分ね。
はい。で、血抜きをしたりとか。
まあね、一番丁寧にやらないといけないところね。
僕いつも手順的にそれ先にやっちゃうタイプなので、後でまとめてやると面倒くさいし、なかなか血抜きができないんで、そこまでやって9時です。
そうね。それで9時になっちゃったね。
そう。だから、ばらすだけで1本10分として軽く10本あたり100分かかるわけじゃないですか。
もう2時間弱だよ。
はい。そうなんです。で、そこに細かい処理入れたら軽く3時間超えるわけですよ。
はいはいはい。そうなるね。
だから晩飯食わずにそのままずっとやってましたけど。
やってたね。ずっとね。淡々と。
もうね、やだ、ほんと。ポッドキャスト番組聞いていて、20本分くらい聞きましたよ。
そうだね。180分もね、聞けるよね。
聞けちゃいます。短い番組だったんで軽く20本分くらい聞きました。
ちょっとね、手伝おうかなと思ったんだけど、今日の時点で朝から腰も張ってて。
おお、なるほど。
割と限界直前感があって休んでました、途中。
そうなんですね。
痛いんですよ。
じゃあ、どんどん本編撮ったほうがいいですかね。
そうなんだけど、今日ね、朝ポストを見ましたら、なんと僕ら2人の名前宛てにお手紙が入っておりまして。
そうなんだ。初見。そうなの?
そう。これも朝見て、これはなんだと思って。ただ、いつも入ってる手紙は大体請求書だとか。
あんまり嬉しくないやつばっかり。
そう。税金関係のやつばっかりなんですけど。
かわいらしい封筒できたので、これはなんか違うぞ雰囲気かと思って。
開けてみましたところ、なんとファンレターでした。
ありがとうございます。
いつも皆さんメールで感想とか送りいただいて、それもとても嬉しいんですけども、初の手書きのお手紙をいただきまして、ちょっと読み上げたいと思います。
はじめまして。静岡県東部に住む30代のおこのぎと申します。
いつもAmazonのポッドキャスト、食べ物ラジオを楽しく配置をしています。
掘り下げが細かすぎて時間が的なトークもありましたが、私はその細かすぎるところがむしろ好きです。
ありがとうございます。
日常に役立つかわからない知識もありますが、新しい知識を知ることはやはり楽しいです。
そしてカチャ料理無当を検索してみて、県内ということにびっくり。いつか料理を食べに行きたいです。
お店もラジオも頑張ってください。乱筆にて失礼します。
はい。ありがとうございます。
いただきましたよ。こんな感じ。
ありがとうございます。すごいかわいい。
お芋のね、お芋の絵画を描かれたかわいらしい紙が。
ありがとうございます。役に立たないこと結構喋ってますよね。
役立つ方が少ないんじゃないかと思う時があるんだけどさ。
これちょっと打線しちゃうんですけど、実は役に立たなさそうに見えることって大事だと思ってるんですよ。
特に今の教育なんかだと、社会に出てすぐ役に立つことを中心にやってるわけじゃないですか。
近現代の教育ってそういうものですよね。
福沢幸一だっけ。実学大事だぜみたいなこと言ってた。その影響もあると思うんですけど。
でもそれって安定した社会だと今役に立つものを学んだらいいと思うんですよね。
安定してない時、トランプゲームの大富豪の革命が起きた時に強さ逆転するじゃないですか。
今役に立つと思ってるものが一瞬の間に使えねってなることあると思うんですよ。
ひっくり返った時にトランプと違うのでどの方向にぶっ飛ぶかわかんないんですけど、
そこに山張っとくみたいな感じがあるんですよね。
あるよね。すごいマニアックな人が急にパンデミックとかになって、
こっから薬作れるじゃんみたいな知識を持ってる人、むしろこの人しか知らんじゃんみたいな。
っていうことって過去にも何個かあるよね。
山張って外したら結構寂しいんですけど、楽しいので教養の一部として趣味として知っておくと、
よくぐらいの感じはありかななんて勝手に思ってます。
この間けまこさん、例の調理師学校出た後、大学院に行ってから調理師学校に入ったりとか、
だいぶ変わった方、僕らもなんだけど。
この間アメリカに行ったそうで、そこで僕らの知識を使わせていただきました。
とても楽しんでもらいました。
よかったです。
海外の方は日本のことまだ知らない方が結構多いので、そういう話面白いんじゃないですかね。
そうですね。
ということで、僕も気合いを入れて聞いていきたいと思います。
はい、頑張っていきましょう。
はい、では前回からの続きです。今回は、
日本のゴマ。
急にシンプルな題名だったね。
書いてあること違うこと言っちゃった。
俺も題名と違うぞって思ったよ。
ゴマのトライと需要って固く書いたんですけど、いまいちよくわかんないなと思って。
最近さ、題名をね、このタイトル。
兄ちゃん、台本のタイトルにしたわけですよ。
めちゃくちゃ固くなったよね、シリーズの題名が。
そうだよね。そうなると思います。
キャッチーなところもちょっとつけようかなと。
その方がいいと思いますよ。
僕、この台本を書き上げてるときって、
自分で書いた原稿と手元に資料を2、3冊用意して書いてるんで、
その資料の方がですね、だいぶ固い文章なんですよね。
はいはいはい。
引っ張られますよ。
そういうね、確かに引っ張られそうだね。
そんな感じなんで、なるべくライトに。
じゃあちょっとライトにつけていくように頑張ります。
ということでですね、
松草院文書とゴマ湖
まず日本の書物で一番古い誤魔の記述。
一番古い誤魔の記述。
文章上ね、誤魔って書いてあるので一番古いのが見つかってるんですけど、
それが東大寺の松草院文書。
北大寺。
奈良ですね。
奈良ね。
完全に奈良時代です。
奈良時代。
東大寺、松草院ってありますよね、宝物庫。
松草院。
正確には元々宝物庫じゃないんですけど、結果宝物庫化した松草院。
そうなんだ。
松草院っていうのが、実は正しい蔵ですね。
これ日本全国というか、当時の日本というエリアの中にいくつかあったんですよ。
当時の両国あちこちに、いわゆる今でいう役所みたいなところがあって、
そこにある蔵が松草っていうんですね。
そうなの?
ここはそれぞれの地域の蔵、蔵用町の蔵ですね。多蔵とか税金。
お米ですよ。
お米ね。
お米を税として集めて、そこに保管しておきますみたいな蔵があるんですね。
それを松草っていうんですね。
そうなんだ。
それの大元というか、蔵元締め的なのが奈良の東大寺にある松草院。
蔵の名前のついた、委員会じゃないけど、役所みたいな。
本当にまさしく蔵。
蔵なの?
役所に蔵があるよねっていう。家に土蔵があるじゃん。蔵があるじゃん。昔の家って。
それの役所版が松草。
そうなんだ。
それの大元が東大寺にあって、
その松草院っていうところには1万数千点にも及ぶ文書がですね、文書が残されていますと。
その中に小勢町という文書が残ってましたと。
その中にゴマという言葉が出てきます。
小勢町とゴマの関係
ちなみにこの小勢町ね、さっきの松草の話につながるんだけれども、
当時、税金を集めるだけじゃなくて貸し付けしてたのよ。
貸し付け?
稲を貸すわけですよ。種もみのもととしてね。
それを貸して地元の農民の人たちが田んぼ耕して米作るじゃないですか。
栄冬って言って穂のまんまの状態で収めるんですけど、その時に利息をつけてちょっと多めに収めるみたいなことをするんですね。
それって収支の関係出てきますよね。
このぐらい貸したからこのぐらい返ってきて、プラス税がこのぐらいだよねっていう。
出すのと入ってくるのの収支バランスを基調しなきゃいけないじゃないですか。
それが小勢町。
これを大本の東大寺に送って、東大寺じゃないけどね当時、中央政府に送って、
で、朝廷がチェックして、で、合ってるかどうかチェックするんですよ。
みたいなのがやり取りがあって、なぜかその税金のやり取りしてる町面の中にゴマという言葉が出てきてる。
一番古いのが西暦で言うと734年。
734年。
終わりの国。
終わり。
今の愛知県ですよね。
名古屋のあるところ。
そこの小勢町にゴマ湖。
何かゴマ市とも読むらしいですけどゴマ湖ですね。
ゴマ湖。
ゴマの子供の湖がついてるゴマ湖。
要はね、タラ湖とかさ、あるじゃないですか。
え、そっち?
魚の子供の湖ですよね。
樹脂みたいなのも子供なのでゴマという植物の子みたいな感じでゴマ湖って言ってたらしいです。
ああまあ区別するためにって感じか。
そうそうそう。
結構ね、種とか実の部分って植物名に子供の子をつけるっていう表記は他の植物も見られるらしいですよ。
へえ、そうなんだ。
またちょっと出てきますけど絵ゴマなんかも絵の子とかね。
へえ。
いうふうに記載があるそうです。
へえ、そうなんだ。
ブンゴの国とゴマ湖
やっぱりね、その3年後、737年の、これ何だっけ今、ビンゴ、ブンゴか。今の大分県ですね。
ああ、ブンゴね。
ブンゴの国。今の大分県の省税庁でゴマ湖を三国四都四省購入と書いてある。
三国四都四省、ああ寮ね。
寮をすげえいっぱい買ったよって書いてある。
はいはい。
何で買ったんか知らんけどね。
わかんないねそこは。
わかんない。一応推察はされてるらしいんだけど、いまいち僕理解できてなくてね。
ええ、だってこれゴマでしょ?
ゴマ。
すごい量じゃない?
そう。まずね、この省税庁を見ててすげえなと思うのは今タックが言った通り、結構な量作ってるんですよ。
うんうん。
だって米よりもだいぶちっちゃいからね。
そうだよね。
国としては米作れって言ってるわけじゃないですか。
うんうん。
その中でゴマをこれだけの量作っていることがまずすごいですよね。
うん、まあそうね。3国ってことはあれだもんね。3人分の1年間の消費量だもんね。
米で換算するとね。
うん。ゴマで考えるとどんな量だろうってちょっと逆にわかんなくなってるけど。
えげずに得る量だよね。これを購入して税として納めていて、これを中央に送ってるとか、いう記録があるんですよ。
へえ。
もう一つすごいなと思うのは、言ったら愛知県と大分県じゃないですか。
うん。
結構広域で作ってるなって。
ああ、確かに。
ね。少なくとも多分ね、この中間点、あちこちでゴマ作ってたんじゃねえかなと思うんですよね。
もう中部から九州まで。
うん。
もうほぼ全域だよね、下半分。
そう。もう少し後の時代、800年代の初期なんかを見ると、とうとうみの国って出てくるんで、静岡県でももちろん作られてたでしょうし、
関東でも結構作られてたっぽいですね。
ああ、関東もね。
はい。
税として集められるっていうのは、割とね、もう価値が高いよという認識があったってことなんですよね。
うんうんうん。
この辺がやっぱすごい、ゴマがどれだけ重要視されてたってことがわかると。
確かにね。税としてオッケーなのはね。
そう。
ゴマ油の取引と米の交換
ああ。
でね。
うん。
じゃあゴマって、今の金額にしていかほどじゃいってことになるじゃないですか。
はいはい。
もうかなり前にコショウのシリーズで、コショウと金かな、が同じ重さで取引されてたってあったじゃないですか。
うんうん。あったね。
ゴマってどのぐらいか。
ゴマってどのぐらいか?
いや、べらぼう高いんですよ。
ほう。
えっとね、ザクって言うと、これね、ゴマの実の方ではなくて、ゴマ油で表記がされてたんですけど、ゴマ油はその他の雑穀のおよそ900倍です。
900倍?
はい。
えっ。
すごいことなんですけど、これ762年の記録を見ると、ゴマ油が2と4章。
うんうん。
1と間2つ半くらいかな。これで金額にして3間600文って書いてあるんですよ。
うん。
で、これちょっと値合わせるんで、3600文ってことなんですよね。
はい。
2と4章で3600文。で、この時代、雑穀は6章で1文だよという取り決めがあるんですよ。
6章で1文。
うん。雑穀っていうのは麦とか大豆とかいうのですけど、6章で1文なんですね。
ああ、そんなもんなんだ。
うん。6章の6×4×24なんで4倍じゃないですか。
はいはい。
4倍だったら4文ですよね。
うん。
3600文なんですよ。
ああ、めちゃくちゃ多い。高いね。
そう。で、仮にこれね、ゴマ油、ゴマに含まれている油の含有量が50%弱くらいとして計算しても、軽く300倍とかあるわけですよ。
はいはいはい。
多分、2の段階でベラボー高い。
はあ、高いね。
これはすごいんですよね。で、711年ってこれ何の年かっていうと、711年限定じゃないですけど、この時代、708年に和道会知が導入されて、日本最初の歌兵ですね。
はいはいはい。
社会の教科書で見た記憶ない?和道会知。
俺めっちゃ覚えてる、和道会知。
覚えてる?これ和道元年708年に導入されて、日本最初の流通歌兵ってことになってるんですけど、あんまこう流通しないんですよ。慣れてないから。
はいはいはい。
エゴマとゴマの違い
ずっとみんなブツブツ交換してるじゃないですか。
ああ確かに。
え、税に何それみたいな。
まあ初めてだとそうなるよね。
で、711年、和道4年に歌兵をもっと流通、促進しないといけないよねっていうので、政府が政策を打つわけですよ。
これ畜戦助威令って言って、ちゃんと税にを使って税にを貯めるっていう行動をしたら、貴族とか官僚に限った話ですけど、ちょっとランク上げるよって。
はあ。
異界って、簡易十二階とかって習いましたね。
あったあった。色で分かれてるんですね。
ちょっとランクに落ちてですけど、100問貯めたらワンランクアップみたいなね。
財力でランク決まるみたいな。
ああそうそう。ちょっとボーナスみたいなね。
へえ。
いう感じでやって、そうすると税にが回っていくんじゃねっていう政策。そんな長くやってないらしいですけどね。
800年に廃止だから、それでも90年やってんのか。
90年って結構よ。
でもね、これやったおかげで結構税に回り始めるんですよね。
へえ。
800年辞めた理由は、税にいっぱい貯めるとランクアップするじゃないですか。めっちゃ貯めるやつ出てきて。
そしたら、税に作るのって銅が必要だから、銅も産出量限界あるじゃないですか。
あるね。
全部蔵に貯められたら経済回んないわけですよね。
はいはい。
で、これダメだ貯めすぎる。買い干しろって配信になってんだよね。
そういうことね。今の時代見てるようなもんだな。
まあね、流通が悪いとそうなっちゃうんですよ。
なるんだね。こっちの場合はお金を作る原料がないっていうちょっと違った話だけど。
まあね、お金を作るに原料っていうか素材の上限が決まってるっていうのはつい昭和まであるんですけどね。
ああそうなんだ。
金本位制っていうのがそうですよね。金の総量までしか税にを作らないっていうのが国際的な取り決めだったんで。
うんうんうん。
で、これはやばいと。物が増えてるのに金が足りなくなって、これだと経済のバランスあるよねって言って今の金本位制じゃない感じになってますよね。
信用可変だっけか。まあ信用でお金の価値を生み出すっていうね。
そんな感じですね。だいぶ話が脱線しましたけど。
そうね。
で、この700年代っていうのはまだまだそのゼニがぐるぐる回ってないもんだから、
どっか他の地域、特に奈良京都から遠いところ、まあ当時奈良か、奈良からすごい遠いところだとまだまだ全然ブツブツ交換やってるわけですよ。
うん。
したらね、ブツブツ交換の記録があって、その中にゴマ油の取引が記録になったんですよ。
うん。
ゴマ油1ショウで米4ト5ショウ。
米4ト。
すごくね。
すごい量だね。
1ショウと4トだよ。
1ショウでしょ。
1ショウ瓶だよ。
瓶1本分だもんね。
そう。あれで米4ト5ショウ。
4ト5ショウ。
それで対等の交換をしてる。これちなみに静岡県の伊豆の国ですね。
へえ。
うん。その記録でブツブツ交換やったらこんなになってたっていうね。
すごい。超高級だね。
かなり高級ですよね。
たださ、米もそんな安いもんじゃないもんね。
もちろんもちろん。米が足りなくてみんな雑穀作ってたりしますからね。
うんうんうん。
なんでこんなに高級品なんだろうっていうのをずっと悩んでて、
この台本を書くのにすげえ時間かかったんですよ。
そうなんだ。
結果ね、結論出なかった。
出なかった?
なんでこんなに高級品扱いしてんのかなみたいなのが。
単純に人気があったとかそういう感じなのかな。
だと思うんですけどね、これ前回までのお話だと、
例えば中国なら仏教の影響もあり中国文化の元の影響もあって、
肉食はあんまりしないほうがいいよねみたいな。
精進最高っていう感じになった結果っていうのもあったじゃないですか。
だけどね、この時代の日本ね、全然肉食してるんですよ。
ああそうなんだ。
もちろんね、飛鳥時代に天皇が肉食禁止令みたいなの出しましたっていうの。
これなんかシリーズで言ったよね。豆腐かな?なんだっけな。
肉食やめとけっていうチョコを出してはいるんですけど、
でもあれってすごい限定的で、雨漕いのためとか、ちょっと身を清めるとか、
あれはね、ちょっと生贄の感覚もあるらしいんですよ。生贄っていうか二重ですね。
二重。
ほら、眼かけをする時ってさ、なんとか立ちとかやるじゃないですか。
あの感覚。
ああそういうこと。
で、それが結構強くて、全然浸透していかないんですよね。
で、日本って割と食文化的には肉を食べない文化だよねっていう風に言われていて、
実際そうなっていくんですけど、それってここからさらにだいぶ後なんですよ。
700、800年頃の話じゃないと。
全然違う。普通に動物収穫はあるんで、
それ考えるとね、油、油脂植物で大体とかってあんまないよねみたいな。
だって普通に油分、脂質欲しかったら、猪でも鹿でも食べればいいんですよ。
まあ確かにね。
いるから、その辺に。
うん。
で、魚も獲れるんで、いいじゃないですか。
そうね、日本からその獅子肉とか魚覗いたらだいぶ食べるもの減るよね。
当時ね、特に。
だいたい元々ね、日本の古代っていうのは普通に獅子肉、鹿とかイノシシとか食べていて、
神仙なんかでもね、平岡さんとの対談でも話出ましたけど、神様に捧げる神仙でも獅子肉使われたりとかしますしね。
そうなんだよね、知ってたね。
別にそこまで代替品っていう、肉の代わりに栄養を取るとかそういう感覚でもなさそうだなということなんですよね。
じゃあ油かなってなるじゃないですか。
油を使うみたいな。
実を食べるというか、油脂植物というよりは油分が炎を灯すために必要だとか、そっち系かなと思うんですよね。
にしては高いよね。
高い。で、どうやらこの当時、それこそね、源氏物語とかにもちょっと油で灯りをとるみたいなのね、記述が出てくるんですけど、
一部の高級貴族ね、簡易で言ったらもう5位以上とか4位以上とかそういう上の人たちはゴマ油使ってたかなーみたいな推測は立つんですけど、生産量的にはね圧倒的にエゴマなんですね。
エゴマなんだ。エゴマとゴマってそんな違う?
違う。そもそもエゴマはゴマじゃねえ。
エゴマはゴマじゃねえ、名前がゴマなのに。
何ならゴマよりもエゴマの方が古い、日本では。
え、そうなの?
そう、後から来たゴマに名前を汚染された感じ。
逆パターン。
逆パターン。
へえ。
まあまあ後でじゃあエゴマの解説ちょっとしましょうかね。
はいはい。
まあ一応ね、文献見ると味と香りの劣るエゴマの方が栽培量が多かったというふうに書いてありましたね。
エゴマの方が劣るの?
だって香りはねやっぱゴマ油いいんですよ。
ああ。
香りに関する言及と料理における香りの重要性
でこれ中国編でもそうだったし、インドとかあの辺りを見ててもやっぱね香りに関する言及がねチラチラ出てくるんですね。
うん。
やっぱ香りって大事なんだね。
香りね、特にまあ日本人香り好きだよね。
うん。
そう今の。
私実際調理場でね、あの料理をしていると、まあゴマに限らずですけどね、ちょっと生姜の汁を絞ってあげるとか、
ネギとかシソとか胡椒にしても、少し香りのあるものを加えてあげるだけで、そのメインの食材がめちゃくちゃおいしくなったりとかするわけじゃないですか。
うん。
これはねハーブとかスパイス人気出るわけだよ。
まあね。
で初めね、そのゴマの本を買って読み始めた時に、ゴマはスパイスだって書いてあって、
僕ら日本人の感覚からすると、いやゴマはゴマやろ、スパイスかなみたいな。
まあスパイスってもっとね香辛料系の、もっと刺激的なイメージがあるからね。
ね、なんですけど、やっぱね香りが良いので、やっぱりその香りの文脈でいくとスパイスなんだろうなっていう。
じゃあユーゼスパイスになっちゃうけど。
うーん、シトラス系はまたハーブに近いのかな。
ハーブ。
まあまあどっちにしても香りですけどね。
うんうん。
だから今回のシリーズも随分やってきましたけど、
ゴマのスパイスとしての位置づけ
強く感じるのは、ゴミに含まれない塩味とか甘味とかああいうのに含まれない香りっていうのはすごく重要なんだなっていうことが、
現場でも思うけど、歴史を通して見てても思うかな。
うーん。
そういう部分もあって、超高額で高級な油としての要素が一つあったのかなみたいな。
ああ、そういうね。確かに。
でも何に使ったんだろうね、そんな高い油。
ねえ、何にしたのかわかんないんだよね。
その体に塗ったのかもしれないし。
実際ね、灯明に使ってた、灯明ってわかりづらいか。
あの灯火で。
うんうん。
明かりに使ってたっぽいなーっていうのはあるんだけど。
この値段の油を?
まあ酸味のクラー、酸味ってわかるかな。
酸味?
この後、律令戦になってから会議がまた細かくなって、1位、2位、3位って上からランクが決まるんですよね。
それぞれの位には正しいと10というのが出て、小1位、11位、1位って読まないですけど1位って読むんですけど。
小1位、11位とかってなって、それが3位まで来て。
全部で6段階、6段階じゃないんだけど、その辺の酸味までの人たちを天上人って超偉い人たちなんですよ。
あの酸味一体とは違うの?
とは別ですね。
あ、別なんだ。
その酸味くらいまでがもういわゆる貴族なんですね。
うーん。
どんでもない権力集中が起きてるので、まあ余裕で金は集まったし、余裕でこういうものは手に入ったんじゃないかなと思いますね。
なんかともしみだけど、なんかちょっとアロマっぽいのかな。
かなという気がしますね。
特にこの時代っていうのは、統治、政治をする力、スキルですね。
これはやっぱり学問とか知力によっていたわけですよ。
もともと唐の時代の中国からいろいろと学んでいるので、中国史勉強してたりとか、政治の仕組み勉強してたりとかするんですね。
なんですけど、印刷機ない時代じゃないですか。
本を持ってる家っていうだけでもマジやばいぐらいレベル高いですね。
本も高かったんだ。
だって全部手書きやもん。
そっか、印刷機ないもんね。
で、それを読めるっていうスキルも必要だし、読めるという環境も必要なんですよね。
だから文章を読めるっていうのは、その家のスキルになるんですよ。
他の家の人たち読めないからね。
で、この学びをするのに明かりが必要なんですよ。
まあね。
とかね、いうこともあるし、ちょっと今回メモしてこなかったですけど、儀式ですね。
儀式。
儀式。神様の前で神前で行う儀礼とかね。
ああいったところにもやっぱり炎と油っていうのは不可欠だったようなんですね。
あと五穀とかね、ああいったところにも登場してきています。
五穀。
これね、二七祭ってあるじゃないですか。
二七祭。
今でもありますね。一年の収穫で神様と一緒に天皇が食事をすると。
で、その一緒に食事をしたものを歌詞って言ったら神歌に分けるんですよね。
その記録があるんですよ。
で、700年代のものでもやっぱり餅米、うどるち米、小麦、大豆、小豆、ごまと入ってるので、
もう神様と協食するところにごま出てきてるのね。
思ったより古いね。
だいぶ古いところから普通に使われてますね。
古いって言っても中国史でお話ししたところ全然時代感違いますけどね。
紀元前の話と一緒にしちゃうとちょっとおかしくなっちゃうけど。
そうそう。前回までのお話が紀元前百何十年の話から、
その後50何年とか100何年とかいう話をしていますからね。
まあ西暦やっと入ったなぐらいの話だからね。今一気に700年までいったからね。
最後ちょろっと総題の例、日本で言ったら鎌倉時代の話に触れましたけど、
だいぶ新しいっちゃったらしいんで。
検討史も行われてるわけですから、中国の文物が渡ってきたんだろうなみたいな感じですね。
でね、検討史といえばですよ。
ゴマの使用方法の謎とその重要性
検討史といえば。
検討史といえば、これはえ?と思ったのが、船にゴマ積んでってる。
え?船にゴマ積んでってる?
ゴマだけじゃないんだけど、50種類くらいだったかな。
なんかいろんな薬を持ってくるんですよ。大変だからね、船旅。
10隻出てったら、現地に到着したら2隻だけでしたとか、ざくっと言ってね。
ああ、そんな感じなんだ。
結構厳しい船旅なんですよね。
だいぶ厳しいね。
なんで、いろいろ船の上で食料調達するのも大変だし、まみずも貴重じゃないですか。
だから、旅の間に何かあっちゃいかんからって言って、いろいろ眼かけもするし、
当時で薬と思われてたものも一緒に持ってくるんですよ。
で、その中に練りゴマが入ってた。
練りゴマ?
練りゴマが入ってた。
ゴマじゃなくて練りゴマ?
もう練りゴマになってる。
へえ。
これがどう使われたかまだ記録がないからわかんないんだけどね。
まだゴマ油とかの方はわかるようですけど、練りゴマなんだ。
練りゴマなんだって。
ええ、なんでそこなんだろう。
いや、絞ったらカサ減るからじゃね?知らないけど。
わからん。
わからん。
謎が多いね。
ねえ。
で、やっぱりゴマも薬だったのねと思うじゃないですか。
うん。
ところがですよ。
手術薬帳っていう薬のことを記録した帳面が東大寺の焼酎院に残されてるんですよ。
ああ、あるんだ。
うん。これはね、東大寺を混流したという聖武天皇がね、もともと病弱な方でして。
で、聖武天皇に御殿位って言って、お医者さんがついてるわけですよね。
で、このお医者さんたちがいろんな薬草のことを調べていて、そこには薬のリストがあるんですよ。
なんだろうね、後の薬学章になっていくようなやつですね。
ああ、そんな感じなんだ。
うん。で、その中にね、なぜかゴマが入ってないんだよ。
入ってない?
うん。何なら胡椒とかクローブとか長寿ね、入ってんのにゴマ入ってないのよね。
ええ、そんだけ胡椒とか入ってんのに?
そう。でさあ、聖武天皇が亡くなった後ね、奥様の孝明皇后っていう方が聖武天皇亡くなったのを嘆き悲しんで、
聖武天皇の持ってたものとかゆかりのあるものを全部東大寺に寄贈するんだよね。
ああ、そうなんだ。
でね、この孝明皇后って方がたぶんすごく心優しかったんだと思うんだけど、ここに貴重な薬とか、他にも楽器とかね、武器とかも一緒に寄贈してるんだけど、薬とかもたくさん寄贈されていて、
ここ置いとくから、あの人が使った大事な薬、貴重なもの置いとくから、この先民が困った時に、何かあった時に時々出して使ってねって。
へえ、そうなんだ。
そう、これがずっと残ってて、そのうちの一つで有名なのが乱蛇隊っていう鉱木。
乱蛇隊?
乱蛇隊っていうね、鉱木があるんですよ。木、香りの木。
香りの木。
で、これを時々出して削り取って、それぞれの時代の人が使ってるんだけど、なんと秀吉とか家康も削り取って使った、明治天皇も削り取って使ったって言われてるやつね。
そんな長いこと。
そうそう、それを入れたのがちょうどこの頃らしいんですよ。諸説ありですが。
すごいね。
そういう中に、なぜかゴマがないんだな。
ゴマはないんだ。
中国では千人の食事なんて言われてたのに、アイルベイダーの文脈でインドでもずっと薬だったじゃないですか。仏教入り始めた頃ですよね。
そうだね。
なぜゴマが入っとらんのかな。
謎だね。
謎なんですよね。ますますわかんなくなっちゃって、結果わかんねえっていうね。
どの方向から調べてもわかんなかった。
そう、なんかどの方向から見てもそれっぽいし、それっぽくなかったりして。
確証は得られない。
よくわかんないなーみたいな感じなんですよ。
ここに来て初めてのパターンだね。
さらにね、もちっとわかんなくなる事例があってですね、僕の中でですよ。
城は7年、840年だから平安時代入ってます。
840年。
仲良うぐい巣なんでね。平安戦としてから50年近く経った頃に、基金対策の打城官府という命令ですね。
打城官っていうのは中央だと思ってください、中央政府で偉い人が各地域の国司、国司っていうのは今で言ったら県知事みたいな感じなのかな、わかんないけど、そこに命令出すわけですよ。
基金対策としてこれやりなさいとっていうのを出すんですよね。
これがね、この作物作るように仕向けなさいよって話なんですよ。
それがキビとかヒエとかアワとかムギ、大豆、あずき、ゴマの栽培指導をさせなさい。
そのための陣を裂いて、最低でも高級官僚一人当てなさいと。
そうすれば国は富、民は賑わい。
去年、去年ってのは不作の年、歴金の年に備えられますと。
もし国司が怒ったりなおざりにすれば状況によっては責任を取る。
なんか最後すげえ思いたい文章が今。
全部当たれてないんですけど、この時代の打上官婦とか天皇の直でこんなに厳しい言い方してるのって結構少ないらしいんですよ。
ああそうなんだ。 絶対やれよ。
そういうことだよね、最後のね。なんか責任を問うって言っちゃってるもんね。
もう首切るぞって言ってるんですよ。 すごいね。
実際基金対策ってのは結構この時代いろいろとやっていて、国からもいっぱい指示が出てるんですよね。
っていうのはこの800年代ってめちゃくちゃ基金多いんですよ。
ああそうなんだ。
800年代、800年か899年までの100年間の間に基金が73回は消えるんですよね。
73回? 73回だったら76回だったかな。70回以上あるんですよ。
何年間なんだ今。
800年間の間に70回以上の基金が来てる。
ほぼ毎年や。 ほぼ毎年来てるわよ。
ゴマの栽培の広まり
それは基金なのかそれがデフォルトなのかわかんないよね。
で、これ900年代になるとグッと減る。気候の問題なんですよね。
で、そういうことがあるからこの基金対策やれって言うので、ちなみに839年、前年ですね。
前年は蕎麦植えろっていう指示出してる。
ああ蕎麦植えろね。
蕎麦のシリーズ聞き直してもらうと多分どっかで言ってる。
なんか聞いた記憶あるよ。
その翌年に出たのがこの基金対策の妥情幹部。
すごい繋がりだね。
実はそうなんですよ。
で、ちょうど830年代にめちゃくちゃ間罰置きまくってて、840年ってえげつない状態なんですね。
で、プラスアルファで朝廷の中でも権力争いでドッタンバッタンしてる時代。
その話は本編関係ないとあんまり言わないですけど、仁明天皇のうんちゃらかんちゃらで藤原家が没効してきてみたいな、そんな時代ね。
なんですけど、そんな時に基金対策の妥情幹部出すのはわかるんですよ。命令で栽培やれよみたいなのは。
旗策頑張っとけば米がダメでもなんとかなるじゃん。
で、比もわかるじゃないですか。
基尾もいいでしょ。麦もいいでしょ。で豆類もいいじゃん。
ゴマ?
急にゴマだよね。
基金対策でゴマな。
それまでめっちゃ高かったのにね。
なんでこれ作らせんのって。要はちっちゃいし、直接食べて腹溜まるもんでもないし。
ないね。
お米の代わりに大豆食ってもゴマでは腹いっぱいにならんのんちゃうかな。
ならんね。むしろゴマを摂りながらお腹が減っていくよね。下手したら。
食欲増進しちゃってね。
量も量だしさ。チマチマ取ってる間にお腹減るぐらい働かないといけないじゃん。あれって。
基金対策としてはちょっと違う気がするんだけどさ。
ゴマの栽培は干ばつ対策
なんとなくね、ちょっと思ったのが、830年から840年頃の基金の原因って基本干ばつなんですよ。
干ばつなんや。
雨が少なすぎて困っちゃうみたいな。特に西日本でね。
西日本なんだね。
関東は干ばつ強いんで、この時代基本的に。干ばつに不作無しとか言われてるぐらいね、関東は強かったので。
主に西日本がきつかったんですよね。考えるとね、やっぱ干ばつに強い作物としてゴマが選ばれたのかなーみたいな。
まあ蕎麦とかは分かるけどね。大豆もあんまり雨降ると逆に良くないっていうから。
そうね、確かにパッと並べてみると水に強いものしかないよね。水が足りなくてもいいもの。
そうそうそう。
特に多いとダメなやつ。
キビとかヒエとかもそうだしね。なのかなーなんて想像してるんだけど、にしてもゴマ?
ゴマね、なんかこの緊急な対策の時にゴマを入れる理由がよく分かんないね。
よく分かんないですよね。ということで余計分かんなくなっちゃうんですよ。
そういうオチなのね。
結局分かんないんだけど、みんなそれぞれの方向にそれっぽいことがあるんだけど、なんだかなーみたいな。
一本、一つの理由じゃないんでしょうね、きっとね。
あらゆる面で使ってたのかもしれないよね。
ちなみにですけど、この上和7年に基金対策で干ばつにつやつや作らせるじゃないですか。
40年代後半ってね、違う理由の基金がやってくるんですよ。
違う理由の基金。
数年間連続して長雨による基金が起きるんですね。
今度は長雨?
そう、雨降りすぎて作物がうまく育ったみたいな。
ほうほうほう。
いうのが来るんで、どうなったのかな。
どうなったのか。
どうなったんだろうね。
聞かれましても。
ちょっと想像するしかないんだけど、乾燥に強いやつ植えたのに急に長雨来たら大豆とかダメじゃん。
まあね、水の切れのいい土地とか畑を作りにしてれば耐えれるかもしれない。肥料はあんま関係ないからさ。
まあそっか、そうだね。
肥料ないとどうにもならなかったりね。暑かったり寒かったりってのは全く想像たないけど。
雨が多くても晴れがないってことはないから。
まあそうね、確かにゼロではないでしょうからね。
取れんことはないと思うよ。持ちが悪いとかね、なりが悪いっていうのはあるかもしれない。
あとあれね、ゴマの場合はこれ蕎麦と共通するんだけど、栽培期間めっちゃ短いっていうね。
栽培期間ね。
3ヶ月ぐらいで収穫できちゃうっていうのは強みだったかもしれないですね。
確かにそれはあるかもね。
お米だとね、結構時間かかるので。という意味では、まあね、ねとしか言いようがねえや。
だいぶ剥ぎれの悪い回だね。
そうなんですよ。僕のもやっとしてる気持ちを皆さんにシェアしたい。
お救いられた方はたまたまじゃないかな。
みんなそれぞれに想像して、よかったらXとかね、つぶやいていただいてもいいですし、直接メッセージいただければ読みますし、僕も勉強になるので。
確かにね。でもゴマ油って考えると、薬品とか値段を見るとね、化粧品とか、そういう系の価格帯だよね、お米に対して。
うん、かなり高いですからね。
逆にそれ以外の高級利用ってあんま思いつかないですよ。
何に使ったのかね、ちゃんと書いといてほしかったけどね。
確かにね。
まあ一つ言えそうだなと思うのが、他の貴重な薬に比べて、かなり栽培が広がってたのかなと思うんですよね。
地域限定だとめっちゃ貴重なんで、それは国の記録に残った可能性はあるんですけど、割とあるみたいな。
高いけどあるよみたいな感じで、あえて書かなかった可能性もあるかな。
実際ね、近畿地方とかでは割と作られ始めてたっぽいんですよ。
もうこの東大小僧院時代ね、7時代に。
ゴマ油を?
関東以西での栽培
ゴマ自体がね、栽培されてたみたいなんですよ。
で、それがこの840年の基金対策の打錠貫復によって、さらに爆速で栽培面積が広がる。
当時の大和朝廷の権力内では割と作られてる。
九州でも作ってるし、東海地方でも作ってるし、関東でも作られてる。
ただ、関東より北にはいかない。
北にはいかない。
これ何でかっていうと、2つ大きな理由があって、1つはシンプルに寒い。
まあね。
思い出して。熱帯植物よ。
熱帯からギリ温帯に変わっただけだもんね。
そう。だからそんなに北の方で作れねえよみたいな。
麦穂堂まで体制はない。
関東以西、関東から西側の方で作られてますっていうのが1つね。
もう1つは、東北北海道は異国なんですよ。
ああ、その話あったね。異国っていう話。
そう。だいぶね、いけるようになってて、新しい異国じゃないか、もうだいぶ朝廷の権力内には入ってるんですよ。
奈良時代末期から平安時代の頭くらいにエゾ討伐っていうのは行われるようになったので、
誰だっけな、桓武天皇の時代、坂上の田村丸って知らないですか。
前はなんか聞いたことあるね。
教科書に出てきて、エゾの大将アルテイラ500人を都に連れてくるみたいな。
いうのが700年代終わりから800年頃なので、一応討伐はしてるんだけど、まだそれから50年と経ってないんで。
そういう意味では一気に広がるかっていうとそれは厳しいでしょうね。
まあそういうことだね。
っていう感じかなと思うんですけど、逆に言うと朝廷の権力範囲内、
硝煙があちこちにあるようなところは普通に駒が作られるようになっていく端緒になりましたと。
その感じだと思いますね。
そうなんだ。
解説ハブ、これまだ台本半分しかやってないんだけどさ。
そうだね、もう50分になりますけど。
マジで?
なります。
そんな喋った。
一個一個わかりにくい言葉を解説したらこうなった。
確かに。
中国紙ほどではないんだけどね。
まあまあでも軽いと思うんですよね。
少なくとも奈良時代から平安時代の初期までは駒というものがかなり広く認知されていたし、
それなりにしっかりと作られるようになってましたというのが、初期の駒の記録で見えること。
この時って駒油って食用でどんだけ使ってたんだろうね。
よくわかんない。でも食用してたんだろうね。
香り良ければ食べたくなるのが人の常ていうか。
もうこれ中国史でいくと隋が滅んで唐になってしばらく経った頃なんで、
中国で普通に駒は食用で使われてますからね。
ああそうか。
食べられてる時代なんで。
で剣刀師行って、しかも空海とかさ、この後の試合だけども900年後の話だけど、空海とか西張とかが行ってさ、
中国のお寺で修行して帰ってくるわけじゃない。食べてるよね。
まあ食べてるよね。900年でしょ。
空海はお茶飲んでるしさ。
確かに。
ゴマ油使った料理かゴマ使った料理、多分食べてるよ。
空海が出てくるのが900年って聞いて、だいぶ後だなって思っちゃってる。
900年ちょっと前だけどね。
900年って空海が行った頃ってものすごい昔に感じてたから。1年くらい前まで。
そうか。
あの像があるじゃない。空海の像とか。だいぶ前だなと思ったけど、そうでもねえなって。
特に今回ゴマがさ、バグってるからさ。
ゴマがね、紀元前6000年とか紀元前2000年とか言ってるからね。
そうなんだよ。しかも今までの紀元前の話ってさ、だいぶ一瞬で過ぎたりさ、何万年とか一瞬で終わってさ、
言ってるよ言ってるけどちょっと飛んで戻ってくる感じだったのに、今回メインが割と紀元前の話だからさ。
そうだね。
紀元前が中心って今までないんだよね。
ゴマシリーズね。特にそうですね。
だからさ、そっからって言うと紀元後の900年ってだいぶ後やなと思って。
だいぶ後ですよ。まだ1000年ちょっとしか経ってないんで。
そうなんだ。お茶って。
ちょっとしかって。
いや、そんな考えるとお茶ってすごい割と最近なのかな。いやまあゴマに比べればすごい最近なんだね。
ゴマに比べればね。記録で見る限りはですよ。
ああまあ記録でね。
記録でね。
わかんないですよ。
そうか。
お茶さ食べ物ラジオでも初期の配信なので改めて勉強しながらしたらもっといろいろ出てくる可能性はありますね。
なんかこの誰かこう物好きな方がいらっしゃったら食べ物ラジオのさ、今までの触れた年数。
年表?
年表ってことじゃないんだけど、まあ例えばこのゴマだったら紀元前何千年からこのぐらいの話をしてますっていう棒グラフ。
ああ。
バー。
バーね。
バーでこう全部書くシリーズバーってやったら被ってるところどこなんやってわかるかもしれないね。
僕手元でExcelで作りかけててまだ全然埋まってないです。
まああれはだって出来事とか全部入ってるじゃん。じゃなくてもうここから始まったら話が終わりは大体この辺で終わったなっていうのをビッとこうマーカーで引くような。
食べラジオの。
そうそうそう。ビーってやってて重ねったらちょっと面白いかなって。
ちょっと長くなったんでこれ後半ブツッと切りますか一遍。
これはね、いやもうだって切る前提で今話しちゃったからね。
そうですね。しかもそれで全編になっちゃったのが50分ぐらい言ってるわけでしょ。
そうそうそう。
あれですよ。冒頭のオープニング長かった?今日。
いや12分。
ああそうでもなかった。
40分話してました。
ゴマの日本への渡来
すいません。はい。じゃあちょっと一回分けますけど、今回日本に渡ってきたゴマの話をしたんですけど、これはあくまで文字としての記録の話をしてるんですよ。
じゃあいつどのタイミングでゴマという植物が日本に入ってきて栽培されたのかってまだ語ってないんで、次回その話します。
ああそこもわかるんだね。
はい。発掘のレベルですけど。
ああ発掘ね。
なせあの文字ない時代なんで。
はいはいはい。
アスカナラ時代くらいから文字がね、ちょっと使われてくるんで。それ以前となったらもう発掘するしかないです。
まあ確かに。
はい。ということで次回はもう一遍紀元前行きましょうね。
もう一遍紀元前ね。
はい。
じゃあ。
一回切りましょう。
じゃあ今回はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
サポーターコミュニティでお待ちしてます。
上手ですね。
大丈夫ですか?
51:32

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