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  2. #204(s23-11) 〜遺跡から見る..
2023-11-07 45:11

#204(s23-11) 〜遺跡から見る中国の食文化〜 中国のゴマ【後編】

  • 銭山漾遺跡(せんざんよういせき)
  • ゴマ栽培の広がり
  • 中国仏教と胡麻文化


【キーワード】

浙江省 / 銭山漾遺跡(せんざんよういせき)紀元前2400~2200年頃 / 長江文明 / 氾勝之書(はんしょうししょ)/ 斉民要術(せいみんようじゅつ)/ 物類相感志(ぶつるいそうかんし)/ 後漢明帝 / 魏晋南北朝時代 / 三教保護 / 五代十国 / 胡漢融合(こかんゆうごう)


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サマリー

中国のゴマの遺跡では、紀元前2400年から2200年頃の遺跡からゴマが出土し、超高文明の領域であることが分かります。遺跡から出土したシルクの絹の糸や帯などから、中国の食文化とゴマの伝播についてもわかってきています。遺跡から見る中国の食文化からは、古代のゴマの広がりや栽培について詳細な情報が得られます。また、ゴマの栽培と中国の仏教文化の関連性も明らかになっています。中国のゴマ栽培量が最大になった時代では、精進料理や禅宗の文脈でゴマが広く使用され、日本にも食文化として伝わってきました。次回では、日本のゴマの歴史について掘り下げます。古代中国の時代背景を紹介し、特別講義の概要を説明します。

中国のゴマの遺跡
おっと、前回からの続き
正当なルートだという風に考えられていました。
はい。
が、もっと早かった。
もっと早かった。
はい。これね、紀元前2400年から2200年頃の遺跡からゴマが出てきた。
おー、さらに2000年以上前から。
そう。
あー。
あるやんってことになるんですよ。
はいはい。
で、これが実は超高文明の領域なんです。
超高文明。
いいですか。えっと、中国の地図が頭にパッと浮かばない人はぜひですね、ちょっと簡単にグーグルマップでいいので見てもらいたいんですけど、
大きい川が、全部で3本あるんですね、本当はね。
はい。
で、北に黄河。
うん。
黄色い川ね。
はいはい。
で、一番南が超高、長い絵ですね。
はいはい。
で、真ん中があんまり教科書に出てこないですけど、淮河っていう川ね。
うんうん。
っていうのがあって、文明的には黄河文明と超高文明っていうのがあります。
あー、書いた記憶ある。
はい。
テストで。
でね、これね、タグの時代でどうかわかんないけど、僕が中学生とかぐらいだと、教科書のいわゆる世界四大文明。
はい。
あれで覚えちゃうから、超高文明カットされるんだよね。
あー、そうか。
黄河文明しか書かなかったりするの。
うんうん。
うん。なんだけど、よくよく調べてみると、黄河文明と超高文明って同じくらいの規模、ないしは何なら超高文明の方が栄えてんじゃねーくらいの感じなんですよね。
あー、そうなんだ。
はい。
超高は書いた記憶あるよ。
うん。
超高文明と黄河文明
これあの、中国の大河で覚えなきゃいけない川の一つなんでね。
うんうん。
両方とも書かされると思いますが、実はこの超高の方にも文明が栄えていて、
この超高の上流部が米の発祥の地だったりとかね。
はいはいはい。
ざくっと言うとこの超高文明ってお米文化。
あー、そうか。
っていう感じね。
はいはい。
南側で暖かいし、水豊富やし、土いいしみたいな。
で、そこの河口付近、今で言う上海とかあっちの方なんだけど、そっちの方に領所文化っていうね、また塊があるんですよ。
領所文化。
日本って大きい括りがあったら、関東文化とか関西文化とかって分かれてるみたいな感じで、ちょっとポツポツとある感じなんですね。
はいはいはい。
で、領所文化っていうのがあって、その中に千山陽遺跡というのがあります。
千山陽遺跡。
そう。今の中国の地名で言うと石膏城古宗寺っていうのかな。
何地区って言うのか漢字読めないんだもん。
五郷地区っていうところにね、千山陽遺跡っていう遺跡があるんですよ。
この遺跡ね、何で有名かって言うと、シルクが発見されたことでも有名なんですけどね。
シルクが発見された。
そう。この遺跡ね、2000年以上前の遺跡からシルクの絹の糸とか帯とかが出てきたんで、シルクロードこんな昔からあるんだみたいなね。
え、2000年、え、紀元前2000年頃にあったの?
今から4500年くらい前に、4300年前とかに、絹の織物の帯とかが出土してる。
出土してる。出土してることもすごいけどよく残ってたね。
偶然ね、残ってたらしいんだよ。すげーよね。
ちなみにこれ時代的にはあれですよ。インダス文明のモヘンジョダロとかハラッパーとかあの辺の時代ね。
中東だとアッカド帝国とかと同じ時代ね。
で、あの辺でごま油として重宝されていてみたいな話出てきたじゃないですか。
実はあの時代に中国南部にもうあったっていう話なんですよ。
すごい。
これがね、どうやら熱帯型なんじゃないかというふうに推察されてます。
そこは推察なんだ。
あのね、さすがにその遺跡から出てきたごまが淡化してしまっていて。
化石だもんね。
もうもはやわかんないんだって。
その遺伝子的にもなんだか調べてるんで。
もうそのうち出るかもしれないけどよくわかんないんですって今んとこ。
ただですね、同じ遺跡の中からウリが発掘されてるんですよ。
ウリ。
で、ウリっていうのは一応あちこちインドとかにもあるんですよ。
アフリカにもあるんですよ。
どっちが原産かなっていうよくあるパターンのやつなんですね。
大体ほら植物やるとアフリカ原産かインド原産がやたら多いじゃないですか。
多いね。
それどっちかわからへんみたいなやつの中の一つがウリ。
そうなんだ。
ひょうたんなんかだと完全にアフリカ北部だっていうのがわかってるんですけど。
それ系のものがもうすでに一緒にあるってことはこれ海の道できたんじゃないのかなっていう推測をされてます。
海の道か。
これ面白いよな。
豆も出土してるんだけど豆が何豆かわかんないから特定しづらいんだって。
豆の種類が。
大豆とかだったらこれ中国の北部からやってきてるから相当広い交流したねみたいになるんだけど何せ豆がない大陸がないぐらいだからさ。
どこでも入るしね。
種類が違うだけでその種類が特定できればなんとなく交流関係がわかるんじゃねえのみたいな感じなんですけど。
ヒントはこのウリとですねこの遥か後の時代の書物ですね。
これ南側のエリアの植物のことについて書いた繁殖史書っていう書物があるんですよ。
そこにねこれが紀元前1世紀だけどゴマとは何かみたいなことが書いてあって株間。
栽培をするときにウネに植えるじゃないですか。
株と株の間をこのぐらい離しましょうみたいなのが大体30センチくらいですよって書いてあって。
今とほとんど一緒だね。
それがね温帯型もっと近くていいんだって。
そうなんだ。
これはね多枝生植物っていうのは多分岸生っていうのは1本のメインの茎から枝がペコペコペコって出るのが
熱帯型の方がすごく細かくたくさん横に分岐するんだって。
だから株と株の間を結構離さないといけないよって話。
熱帯型の方が離さないといけないんだ。
温帯型はそうじゃなくてわりとシューっと上に行って上の方でポコポコってできるタイプなんだって。
ゴマの伝播と食文化
あー言ってたね。
もうちょっと近くていいよねとかこの植物はやたら乾燥に強くて雨がなくてもいいむしろ雨がない方がいいんじゃねみたいなことが書いてあると。
これって熱帯型っぽいよねっていうことが言われてる。
そうっぽいよね。
だとするとシルクロードの陸の道ではなくて海の道ナイシーはベトナムあたりから陸を伝って上がってきたかどっちかじゃねみたいな。
ただとりあえず朝堅さんよりだいたい2000年くらい前にはもう一応ありましたよみたいな。
そういうことになるよね。
っていうことらしいんですよ。
中国ちょっとメモしたけどさ広いんだよねやっぱね。
広いね。
清明王子つかなんかに出てきたの寿司の名前の話したの覚えてます?寿司のシリーズ。
寿司の名前。
ただ寿司シリーズの第1話かな2話かそのあたりでお話をしてるんですけど
サとシの字がごっちゃになっちゃったよねみたいな。
これは魚と塩だけのものと魚と米と塩で漬け込んだものが文字と実物がクロスしてしまったりとか
サとシは同じものであるって言っちゃったりとかしてるわけだよね。
それは北の方の人が南の食文化のことを書いてるからそうなっちゃう。
次優秀な学者さんでもそういうことになっちゃうんで
ゴマがあったかどうかわかんないみたいなのがあってもおかしくないんじゃない?
時代観見たらそうだよね。
ここまであんまりゴマの伝播とか食性とか使われ方の話してるけど料理の話全然してないのもそうなんだけど
なんせね紀元前2400年ですよ。
日本は。
いやもっと前です。
縄文?
後期とか晩期とかですね。
そんな前か。
そんな前の時代の話を今してます。
縄文時代じゃまだ食文化も何もないじゃん。
さっき言った長犬さん出てきた7代目武帝の時代ですね。弥生時代です。
そうだよね。そうなるよね。
日本人の感覚からすると恐ろしいぐらい昔の話してますね。
本当だね。
一応ゴマをどんな風に食べられたかなって調べるんですけどあんまり反省としないのよ。
ちょっと割と詳しくやってるから割と最近な感覚はあるけどまだ紀元前だからね。
紀元前ですからね。そうなんですよ。
そりゃないよ食文化と言われるようなものが。
微妙にちょろっと残ってる程度かな。1000人の主食になってましたみたいなね。
そんなのがちょろちょろある程度であまり料理らしき料理はよくわかんない。
そうだね。さっき出てきた長犬さんが持ってきたもの食材多分名前はイメージできるけど
多分当時の品物見たらイメージと全然違うものがあるんだと思う。
かもね。
これちょっと今回はちゃんと明確にならなかったので割愛しましたけど
ゴマという名前がどうして変わったのかとかね。その流れの中で
この当時ゴマと言っていたものは現代のゴマではないっていう学者さんがいたりとかね。
朝の実と誤解をしたんじゃないかとかいろいろ言われてるんですよ。
そんなことはないゴマはゴマだこれは黒ゴマだとかいろいろ言われてるんですよね。
まあまあそんな感じになっちゃうよね。
おやっこしいことにね。長犬が伝えた時代から最初の文字記録になってくる
精密用字図とかね。そのあたりになってくると一応またゴマって書いてあるんですよ正しく。
もう書いてはあるんだ。
ゴマという文字が出てくるんですよ。半生詩書もゴマと書いてあるんですよ。
でもこの半生詩書もすごいよね。紀元前1世紀頃の書物が文字で残ってるっていう。
まあね。中国ですから。
さすがそこは中国だよね。
中国はすごいなと思いますよ。
信憑性まで確認できるほど資料がない。
そうです。多分拾い集めきれてないんだと思いますよ。
まあ多すぎて。
大変だと思いますこの時代は。
だと思う。
不思議だなと思うのがね。精密用字図とか半生詩書くらいまでの
前漢時代とか漢帝国時代まではだいたいゴマって書いてあるんですよ。
その後の時代になると急にジーマーって変わるんですよね。
ジーマー?
ジーマー。
町田的なお客?
ジーマー。違う違う違う。
違う。ドクターストーンが浮かんできちゃう。違う違う。
ドクターストーン今セカンドシリーズやってるからさ。
ああそうか。
ジーマーが出てきちゃう。
メンタリスト。違う。どんどんどっか行くから。
乗っちゃうからさ。
あのジーマーの話ね。
ジンマーとかジーマーとか日本語読みどうやってしていいかわからない。
中国語発音できないんだけど。漢字で書くとゴマのゴがコじゃなくてシバに変わるんですよ。
シバ。
うん。シバ。
うんうんうん。
シバ浜のシバ。
はい。シバ府のシバ。
シバ府のシバ。なんで俺シバ浜って楽かよ。
シバ浜で出てきちゃった俺もどうかと思うけどね。
今日例えがよくねえな。まあいいや。
シバに朝と書いてジーマーって日本語だとカタカナ読みがジマーとかチーマーとかって。
朝なんだ。マーの方は。
ああそうか。
ゴマのマーじゃ朝だから。
ああそっか。マーはそこは変わんないんだ。
うん。それがねなんかそうだな。五湖十六国時代。
うーん。
疑心南北調時代の間にグシャーと変わるみたいなね。
はいはいはい。
あの今五湖十六国時代とかそれを包含している疑心南北調って今回あんまりしないですけど。
うん。
中国史を勉強してる中で一番めんどくさいとこ。
それいつなん?
三国史の後。
三国史の後は何年頃だ?
うーんとね。漢帝国が滅びるのが何年だっけな。漢帝国ぐらい。
じゃあ漢帝国の後は終わってその後の話?
そう西暦で言うとね184年の黄巾の乱から戦乱の世に移ってくって言われてるので。
だいたい200年頃くらいがザクッと三国史かな。いわゆる義豪色の。
はいはいはいはい。
で最後そのごちゃごちゃの時代が終わって隋という国が中国を再統一するのが589年なんで。
あーはいはい。
360年間くらいがグッチグチの時代なんですよ。
あーじゃあ平安期よりちょっと前くらい。
ゴマの広がりと栽培
もっともっと前。奈良時代とか古墳時代とか。
まだ奈良か。
奈良以前かな589年と。
うーん。
この三国史から始まって隋まで行く間が隋が奈良か。じゃあ飛鳥時代だわ。
あー飛鳥時代。
顕隋氏の隋だから。
ざっくりでいいんだけどさ。どのくらいの間までに変換が起こったのかなと思って。
この間のねどこで変わったのかいまいちよくわかんないんだけど、諸物の飛び飛びなんで。
あーそういうことね。
北義という国ができたところでなってるから300年頃には柴に変わってた。
あーはいはい。
でもよくわかんないねみたいな感じなんですよ。
ただもっとずっと後の中国の学者さんがこのゴマの広がり栽培についてちょっと詳しく調べて言及をしてるので、
そこから類推するしかないなっていう感じなんですね。
で、いろいろ文献飛び飛びで読んだんだけど、物類相関史っていう本があって、
これ書いてるのは祖職さん、あの有名な祖職さんなんだよ。
有名なの。
僧という時代の国、僧帝国?僧大?僧って覚えてます?日本で言うと鎌倉時代ね。
はい。
日僧貿易の僧ね。
あーはいはいそうね。
その時代の学者さんで超有名な祖職、別名祖陶馬さん。
敦暴露の元になってる。
敦暴露のくだりどっかで聞いたね。
東風のくだりで言ってますね。
この祖陶馬さんが物類相関史っていう書物を残していて、ここにゴマについての言及が割と詳しいです。
前漢時代くらいまではゴマと呼ばれていたよ、それが島だよ、みたいなこと書いてますね。
紀元前1世紀頃までですね、朝鮮のちょっと後ぐらいですね。
このぐらいの時代は特に太古流域から中原までで栽培されてました。
この太古流域っていうのは朝鮮の河口近辺のことです。
中原っていうのは中原って書いて中原って言うんですけど、中国の中央ね。
朝鮮と黄河の間とか、ワイガ近辺とかあの辺のことです。
センターまでちょっとありましたよっていう感じなんですよ。
そこからどんどんどんどん広がっていって、
五湖十六国時代の終わり頃になると、かなり広域まで来て、だいたい中華の全域まで来てますと。
この宗の時代まで来ると、もう漢帝国の半島を通り越えて、
今の中華人民共和国レベルのところまで五湖は広がりましたっていうようなことが書いてある。
これすごく興味深いのが、その紀元前1世紀頃までには、
特に太古流域から中原ってここがポイントなんですよね。
わりと右下なんだ。
そう、右端の方。下っていうか右端かな。東の端っこ。
上海とかのあたりね。南京とか。
ここがさっき言った戦残遺跡のある長江文明領袖文化のあたりなんですよ。
だいぶ端だね。
ここと中原ね。皇帝の住まいになる洛陽とかの辺のあたりですよ。
このあたりが盛んだったよって言ってるんですね。
これ面白くないですか?
そうだね。原産から考えていくとだいぶ離れてるからね。
中国仏教とゴマ文化
しかも出だしがだいぶ端だからね。間どうしたっていう。
しかも記録に残ってる最初の植物の特徴、さっき言った繁殖市場ですね。
どうやら熱帯型っぽいっていうね。
つまりこれ南側の海のルートと陸のルートがここで合流するんだな、またっていう。
そういうことね。
そんな感じ。インドで一回チョンって触れたじゃないですか。
触れたね。
けど気候的な問題があって別れましたよね。
これね、中国で合流するんだよね。
そうだね。
実際ベトナムの北部とかも完全に両方あるんだよね。
ああ、そうなんだ。
それがすごいなっていう。
ゴマの旅がここでやっとグーンとくっつきましたみたいな。
へえ、繋がるんだね。
そうなんですよ。すごい時代なんですよ。
という長い長いゴマのお話をしてまいりましたが、最後にちょこっとだけおまけで、
前回ね、仏教の文脈をだいぶしてきましたので、
中国仏教とゴマ文化の伝来。
結局ね、植物がやってきたところで、いいなと思ってゴマを食べるとか使うっていう文化が発展しないと広まらないわけですよ。
ここのまでの流れね、結構仏教とつながってるよね。
まさにゴマを研究してらした先生なんかも、
ゴマの栽培機は仏教の電波とともにあるようにしか見えないと。
因果関係はわかんないけど相関関係は見えてますみたいな感じの話をしてました。
で、ゴマが入ってきてからだいぶ経ってから仏教がやってきて、
仏教がやってきたことによって、ただおいしいねとか油になるねっていうのを、
ゴマとかゴマ油に忌み付けがされてくる感じですかね。
ここでゴマが入ってきた時代っていうのは結局いつなの?
仮に朝堅さんだとしましょう。2000年前でもどっちでもいいんですけど、
仏教が入ってくるのは紀元の後なんで、朝堅さんからすると200年くらい後の話なんですよ。
ああ、そっか。どちらにせよ後なんだね。
ちらちら入ってきてるんですけど、一応公に伝わったとされてるのが、
後漢時代、明帝の時代だから、西暦57年から75年、ちょっと後ですよね。
で、いろんな考え方の1項くらいなんですけど、この仏教という教えがですね、
一気に拡大するのが漢が滅亡した、さっき言ったあの、
擬伸南北朝時代、戦乱期ね。ここで入ってくる。
ああ、この後にね。
これ何でかっていうと、擬伸南北朝時代がわからないという意味がわからないと思うんですけど、
これ過去に東風のシリーズでもお伝えした、古漢融合の時なんですよ。古漢融合。
北の北方民族の文化と漢民族の文化が、この戦乱でぐちゃぐちゃぐちゃーって混ざったよっていうのがこの辺から始まっていくんですね。
ああ、あったねその話。
でしょ。でこの後隋が来て唐になって、隋と唐は北方民族の国なんで。
でここでぐちゃっと混ざっていくっていうのが大きい意味での古漢融合期なんですね。
でいわゆる古と呼ばれてる人たちって西側の人じゃないですか。北と西。
北と西だね。
そのルートで仏教一緒に来るんですよ。
ああ、そうか。結局西側だもんね仏教はね。
そうなんです。でここでもう西とか北からやってきた人たちが、中華帝国の中でぐちゃぐちゃぐちゃって侵略をして自分たちの国をぶったてるみたいな時代なんですよここ。
はいはい。
その時に西の方からやってきたお坊さんたちが新しくできた彼らの民族の国で仏教活動をする。
で王様もそれわかってるから来い来いみたいな感じなんですよ。それぞれの国が。
で地元には当然漢民族もいるし中国語喋ってるわけじゃないですか。
で民衆にもその教えを広めなきゃいけないので。統治のためには王が知ってるだけじゃダメなんですから。
この文脈でいくと王様おやまってこの統治がいいよねっていうのを理解してもらうためには民衆にも知ってもらわなきゃいけないから漢訳をするわけですよ。要は翻訳ね。
漢の言葉に訳す。
そう。インドの方の言葉が間経由してるのかもしれないけど最終的に中国語に翻訳され始めるのがまさにこの時期。
でこの時に大乗仏教的なものがどんどんどんどん入ってるんだよね。
この時に大乗仏教。
そうガンダーらけにしてきてるから。始まりが。途中から密教とか直接インドと交流するようになるんでどんどん混ざっていくんですけど。
インドから直接お坊さん呼んできて教えをこうたりとか伝えてもらったりとか。その中の人がダルマ大使だったりとかね。
そういうのが出てくるんですけど。実はこれ大事なのはこの時代に大乗仏教の中で明確に肉食を禁止するっていう教えが出てくるんですよ。
ここでね。
前回とか前々回とかかなくらいの時に南伝仏教、定座仏教とか原始仏教の時ってそんなに肉禁止とか言ってないんだよって話したと思うんですよ。
話してた。
見てない聞いてないそれが間違いないっていうのであれば肉食べていいよみたいな。
最初そうだったね。
これがもうねこのくらいの時代になってくると大乗仏教ってさ修行してる人だけじゃないじゃないですか。
密集もその教えを受けてみんなが救われようぜみたいなことになってるからそんな細かいことやってるとやってられるのですよ。
はいはい。
もう禁止なしいい肉ないから。
明確に分かりやすくね。
本当はすげえ細かいステップがあって厳密に言うとちゃんと哲学的思想があってそこにたどり着くんだけどざっくり言うととりあえずもう明確に肉食だめよねっていう風に経典に書かれるようになるんですよ。
ああそうなんだ。
漢民族の統一とゴマの文化
その系譜を受けた国である随が国を統一してそれを引き継いだ唐の時代になるともう完全にその体制出来上がるわけですよね。
唐のなんかは三教保護して儒教と道教と仏教この3つをちゃんと密集で保護して国の哲学としてやりましょうねみたいなこんな時代になってくる。
でこの時代に空海とか行くんだよね。 ああこの時代なんだ空海行くの。
だって唐だから遣唐使だからね。 ああ遣唐使ね。
最澄とかその前にもたくさんいるけどね、安倍の仲間郎とか。
安倍の仲間郎。
ちょっとその辺に話し出すと止まんないからやめるけど。
今回だいぶ多いからね。
そのくらいになってくると儒教の文脈だったりとかガンダラで拾ってきた輪廻の概念だったりとかがあって。
儒教ってさざっくり言うと親や先祖を大切にしようぜっていうのが基本にあるわけじゃない。
ああはいあるね。
年を止めなさいっていうのもその影響だよね今日本にあるけど。
そういう教えがありますと。
でガンダーラの方の元々のハイカ教ゾロアスタ教なんかだと輪廻転生するよねみたいな話あったと思うんですけど。
それも人間界の他にも天界があったり畜生堂があったりとかいろんな道があってその中をぐるぐるぐるぐる輪廻してますよみたいな話だったと思うんですね。
これ大事なのは陸道なので6つの世界を輪廻するわけですよ。
陸道。
6つの道ね人間道とかね天道とか畜生道とかガキ道とか地獄道とかっていうのがあるわけじゃないですか。
この中を生まれ変わってどんどんどんどん同じなんだ違う道の中で行ったり。
要は前世はあなた何ですかあなたは前世も人間ですか天界にいましたか獣でしたか地獄にいましたかみたいな話なんだよね。
だから私が死んだら次何に輪廻するかわかんないってなってるんですよ。
で下脱すれば悟り開いちゃえばもう別格のね仏さんの世界に行くんだけどそうじゃない人たちはもうぐるぐる回るわけじゃないですか。
お父さんお母さんおじいちゃんおばあちゃんひいおじいちゃんおばあちゃんみんなおやめなさいという儒教の世界に目の前にいるこのブタさんはもしかしてワンチャン俺のひいひいじいちゃんかもしんねーなー食えねーよね。
だから仏教的な文脈もありゾラスター教的なものとか儒教とか他にも仙人とか道教とかいろんな考え方があってぐちゃーって混ざった結果民衆も食えんってなるんだよね。
なんか混ざりすぎてなんだろそれぞれのルール押し付けたらてかまとめたらがんじがらめで何もできないみたいな。
でもちろんね全員が二国はなくなったわけじゃないんだけどそういう思想が確立した時代なんですよ。
だからその唐が終わった後にまた後代実国時代ってまたぐちゃーって言った戦乱の時代がきてちょうどまたあの東風が出てくる頃ねこの頃ね。
でまた北方民族とみんな右側ぐちゃぐちゃーってなってで宗という国がこれは漢民族によってできてみたいな感じなんだけど。
またねこの時代面白いことにね農業技術がクソほど上がる時なんだよ。
後代実国からこの宗っていう時代ね戦年後代日本で言ったら平安末期から鎌倉時代くらいね。
めちゃくちゃ農業技術が上がるで古漢融合はさらに加速するで漢民族は久しぶりに中華を統一するわけじゃない。
数百年間ずっと他の民族にやられてたからで漢民族のプライド爆発するわけですよ。
ちなみにこの時に三国支援儀という物語が書かれる。
三国支援儀ってこの時代なんだ。
劉備玄徳を主人公にして諸葛孝明がいたりとか。
主役が諸君じゃないですかあれ。
そうか諸君なんだね。
諸君という国の劉一族、要は劉じゃないですか。
漢民族の末裔ってことになってるんですよ。劉皇の劉だから。
そういうことね。
漢の再建って言ってるしね。
精進料理と禅宗の影響
負けちゃうんだけど諸君はね。
なんだけどでも宗を打ち立てた漢民族的には主役はやっぱ漢民族であってほしいじゃない。
ということで聖史三国志ってあるんですよ別にちゃんと。
もっと数百年前に書かれたやつが。
それこそ義親南北朝鮮に書かれてるんだけどそれとは別に宗題にいわゆる今日本人がよく知ってる三国志援儀が書かれる。
これ漫画でもあるけどね横浜みつてるさんの三国志ね。
あれが三国志援儀。
その違いがあるんだ。
援儀の方はちょっとドラマチック。
ドラマチックで主役を変えてある。職人。
元々の聖史三国志は誰が主役か。義の曹操。
そうなんだね。
蒼天航路って漫画あるじゃん。知らない?俺もちゃんと読んでないんだけど。
名前しか知らん。
その主人公は曹操。そっちは聖史三国志を元に作られた漫画なんで。
この年代ギャップがどのくらいあるんだろう。1000年くらいギャップあるのかな。
1000年違うなあれ。
1000年弱くらいかな。800年とか違うのかな。
そうなんだ。
年差しだったけど結構離れてるんですよ。
だからそのぐらい元々の聖史三国志を三国志援儀にして漢民族すげえって言いたくなるぐらい
漢民族と農業技術とかがボーって盛り上がった時代のね。
はいはいはい。
この時に朱子学の祖である朱器とかが出てきて、
この精進者いいよねっていう風になってくる。
めちゃくちゃその精進的な採植主義までいかないと。
日本人わかるもんね。日本人のよく言う採植主義的なね。
精進料理的な文脈の植物化が確立していく時代なんですよ。
ここが実はゴマ栽培の最盛期がやってくる時代なんだよね。
ここからね。
このタイミングで学者さんの推測ですけど、
計算していくとどうやらゴマの栽培量世界ナンバーワンになったっぽい。
中国が?
このゴマ栽培量世界ナンバーワンが陥落するのが平成くらい。
割と最近だね。
ずっとゴマすごい作ってる。
だから日本人にとってゴマイコール中国のイメージがある。
栽培量的にもそうだし、この栽培量が最大になったその時というのが、
いわゆる禅宗という、日本で言ったら臨済宗、曹洞宗、大漠宗という禅宗がありますよね。
あれが入ってくる時代感でもあるんですよ。
曹洞宗の土源禅師は曹に留学してますからね。
まさにこの時代なんですよ。
そうなんだね。
曹なんですよ。
曹だけに。
これ拾わなかったのにずっと。
今多分自分で曹なんだねって言ったから。
曹なんですよね。
他に出てこなかったのに。
毎回やるんだよねこれ曹が出てくるとね。
そんなやってないよ。
またこれが出てきて、何の話かわからない。
精進料理的なものが確立していく時代イコールゴマの栽培が最盛期を迎える。
ゴマ油も多用されてしかも庶民に流通するようになってくる。
お寺なんかめっちゃ使うわけ。
ここで登場してくるのがゴマ豆腐とかね。
やっと料理なんだ。
ああいうのが出てくる。
もちろんその前からあるんだけど、ゴマ餅とかゴマ団子的なものとか。
もうぶんぶんゴマを作った料理がその精進料理の文脈からもいっぱい出てくるし、
庶民の中からも使われるようになってくるみたいな。
じゃあゴマが伝わった後、うにゃうにゃとゴマ栽培はしてたけど、
ちゃんと仏教が本格的に広まって混ざり合ってっていうタイミングで初めてちゃんとゴマを使い出したみたいな。
その仏教の影響を受けつつ、仏教だけじゃなくていろんな考え方が社会のトレンドとして生まれて、
中国社会全体、特に上流階級で、なんとなく精進料理的な風潮。
こっちの方がいいよね、江戸で言うと粋だよねみたいな。
素敵だよねみたいな流れがザーッとあって。
割と中国って日本に比べるとずっとカジュアルに精進料理みたいなとこあるじゃない。
あるんですよ。健康にいいよねとか、こっちの方が上流階級とか、
上品な人間はこうだよねみたいなのがイコール精進と結びついてる。
インドのカーストともちょっとリンクするとかありますよね。
上位の人たちはそんなに肉は肉は肉はそんなもの食べませんよみたいな。
それは別に仏教の考え方が入ってるからね。
それがやっぱり中国にやっていた時に中国の元々の習慣と融合した結果同じ現象が起きました。
それがさらに発展して禅宗というものが出てきて強化されました。
精進料理的なものが地と技術の集合体であるお寺の中で加速的に発展していきます。
ゴマ豆腐の登場
そしたら油とかタンパク質大事だよねっていうので大豆とかゴマがすごく徴用されるようになっていく。
じゃあこれ豆腐と出てきたタイミングとね。
まさにそのことを待っていました。
豆腐が代替肉の文脈でこの辺から一気に加速してきますよって話を豆腐のシリーズでしたと思うんですね。
五代十国とかこの辺の宗の時代の話は聞き覚えがあるんですよ。さっきから聞いてると。
結構ごっつり話したんでねこれね。
ただ俺にとって初めての中国人みたいなところだからさ。
そうかそうか。
あんまり覚えてないんだけど2回目かね今ね中国人のこの辺の時代。豆腐が出てきたことによってやっと結びついた感じ。
このね豆腐がもともともうちょっと前からかもしれないけど出てきて豆腐というものが一般にある程度流通し始めた時代っていうイメージあるじゃないですか。
だいたいこのぐらいのタイミングからひょこっと文献上にゴマ豆腐が出てくるんですよ。
でどうやらゴマ豆腐というものは同じく代替肉のような文脈で出てきてる。確かにそうよねって。
そうね確かに肉には油が必要だもんね。
油とタンパク質ですか。大豆を絞ったものを固めた豆腐とゴマ油とクズを練り込んで固めたゴマ豆腐。このタイミングで出るんですよ。
本当にあの肉模倣してるというか真似てるよね。
ちょっとまだエビデンスしっかり追いかけられてないんですけど料理の応爆料理の文脈をちょろっと読むとやっぱりそうやって書いてある。
一説によるとレベルですけどね。ゴマ豆腐は代替肉、精進料理の代替肉としての文脈で出てきましたというような仮説明もありました。
ああそうか。
日本へのゴマの伝播
しかもまあちょっといずれやるけどクズ自体クズの根っこ自体が人の本像教の文脈の異色同源的なね中国漢方の世界でもう紀元前のあたりでクズの根っこは体に良いってことになってるんで。
ああ。
だから核梱頭が今でもあるわけでしょ。
はいはいはい。
クズの根のお湯ですからあれ。
ああそうだね。
それと千人が常食としていたというぐらいのゴマこれを掛け合わせて肉の代わりにするなんて贅沢な。
確かにね。
しかもめちゃくちゃ手間かかるし。というような感じで精進料理そして禅宗と融合してこれが日本に食文化として渡ってくる。
はあやっと繋がってきたね。
という感じなんですね。
そうなんだ。そしたら今までの豆腐と日本料理、豆腐シリーズと日本料理シリーズは割とこっち側が文脈空白のまま来たんだね。
そうです。
ねえ。
そう今世界地図と時間の例えば縦軸と横軸みたいなのがあったとしたらそれを立体的なパズルをちょっとずつはめてる感じなんですよね。
うんうんうん。
である瞬間あそこで繋がるとかあそこ真っ白い地図だったのにああそういうことだったのって今今回まさにね。
そうだね。
今まで触れてこなかったインドとかドナンジャとかアホほどやってるからね。
そうなんとなく今までこうそんな感じできたんだって流してきたところが今回だったね。
そうねなんかちょっとまだシリーズ終わってないのにこんなとこで言うのもなんですが今回ゴマさらっとやるつもりだったんですよ。毎度のことながら。気持ちはね。
気持ちはね。
でかなり現行的にはカットしていて落とした分を限定公開で話しているにもかかわらずサポーターコミュニティで流しているにもかかわらず話しきれないくらい落としてるじゃないですか。
落としてるね。
でもなんでかボリュームが減らないんですよね。
それ謎だよね。
って思ったら分かった。今まで通ってないところをやってるからだ。
ああはいはいはい。
日本2度目とかヨーロッパ3度目とかそういうことやってればいいんだけど全部1回目なんだよね。
そうだね。佐藤のシリーズは長かったけど何回目かだからね。だいぶ落としたもんね。
インドのところは分からないけどヨーロッパはちょっとやったよねみたいな感じだったじゃないですか。
エジプト以前の話とかって今回初だし。
そうね。インドの上あたりのね、ごちゃごちゃっとしたところ全く触れてこなかったからね。
そうなんですよ。今回のゴマのシリーズで2回目だなっていうのはイスラム圏ですね。今中東のあたりの古代ね。
バビロニアとかビールで出てきたねみたいな。
そうね。ビール程度でね。
で今回中国が東風の時にあそこみたいな。けど古代史が出てくるんでまた遺跡が出てくるんでね。
また深掘りしてくるね。
もう大丈夫ですよ。もう大丈夫ですよ。次から日本なんで。
やっとね。
日本は何せ聞いていただいてる方全員じゃないですけど聞いていただいてる方の多くは日本の人だと思うんで。
そうだね。
大体僕日本語喋ってそれ聞けてるからね。
はいはい。
まあまあ大体大丈夫と思いますよ。
そうね。
まあ遺跡とか出てくるとパニックになるけど。
遺跡ね。まだ知らない遺跡いっぱいあるからね。
そうなの。ほんとちょっと雑談になっちゃうけどさ。日本は多いんですよ。縄文遺跡、弥生遺跡、古墳時代の遺跡とか結構いっぱいあるんですね。
ああそうなんだ。
武川市内にも遺跡ありますからね2つ3つ。
ああなんかあるね。古墳とかもあるもんね。
そうなんですよ。一つの県にたくさんあるんですよ。でそれぞれの遺跡が全部文献としてまとめられるかって言うとそうじゃないわけじゃないですか。
まあね。
学術論文の古いやつがポンポンってあって別に博物館も何もないみたいなの結構いっぱいあるんですよね。
なんか古墳とかはここ古墳だったんだっていう感じですね。
うん。だからさそこと例えばゴマとか何かねヒエとかアワとかがヒュッと引っかかってくるとこの古墳の情報ねえけどどうしようってなる。
そうか。間が逆にいろんな情報がありすぎてね。
さらにその間埋められなくなるっていうジレンマみたいな。
困るんですよ。中国ね言っても藩生師匠紀元前1世紀とかさ清明王術500年代とか文字あるじゃないですか。
この清明王術の時代も藩生師匠の時代も日本にまだ書き文字残ってないんでもう考古学的な遺跡見るしかないんですよ。死んだ。
そこまで調べる。
死んだ。
しんどいでしょ。
でこれなんでしんどいかってそんな話してるかっていうとあの日本のゴマの宰相の記述は飛鳥時代なんですよ確かに。
はい。
あの正武天皇とかその辺の時代ね。なんだけど遺跡がそうじゃないのよ。
遺跡がそうじゃない。
あのもっとずっと前から来てるんです。
うんうんうん。
縄文やよいみたいな。
あの広い範囲ね。
そう。で先にちょっと小出しで言っちゃうんだけどどうやら戦残魚遺跡この中国の2000年前にあったよねみたいな話あったじゃないですか。
どうやらこれとあんまり大差ないくらいの時代に日本にゴマも伝わってたっぽい。
まさかの展開だね。
そうなんです。その時代にもうすでにあるんです日本にも。
はあ。
ということで次回日本でもうせっかく中国でね一気に日本でいう鎌倉時代ぐらいまで来たのに日本でまた一変西暦500年代を一瞬踏まえつつ紀元前、文前年にボーンと飛びます。
今回ゴマのシリーズあれだねめちゃくちゃ歴史振れるね。
そうか。
うん遺跡とか。
調べちゃったからね。やめとく?
まあそこまで言ったらやってよ。
じゃあなるべくさらっとどんどん行きますよ。
そうね。
その後の戦国時代とかが面白いんだけどどうせね。どうせみんなその辺の方が楽しいでしょ。
わかんない。
室町とか。
ああまあね。
江戸とかの方が楽しいでしょ。
そうだね。
そっちで頑張るよ。
まだ経済的な話まで来てないからね古すぎて時代が。
そうですねまだそんなに貨幣経済動いてないですね。
まだ王朝があってとか王様がいてとか皇帝がいてみたいな上から下にトップダウンみたいな時代ですからね。
すいませんね今日の収録もしかしたら二分割になるのか知らんけどとりあえず最後が西暦1200年頃でスタートが紀元前200年で一瞬遺跡で紀元前2000年飛んでるんですげえ時代の幅がありますからね。
あるね。2000年以上の時代感を今やりましたね。
なので日本もそこまでやらんけどそれなりに覚悟しといてください。
同じぐらいってことはね座ってきたのが同じぐらいの時代ってことはそういうことになるよね。
間ないんで大丈夫です間は。
間はね。
間不明なんで。
不明ね。
分かんないんで。
そうね。
飛びますんで大丈夫です。
もう一回東風のシリーズと日本料理のシリーズ。
そうですね。
今ちょっと混乱してる方はもう一度聞いていただいたらいいんじゃないかなと思います。
今日はそんなにこの後収録する時間がないんですけど、たくろうには特別講義をします。
この特別講義ね。
はい。
めちゃくちゃハードよねいつも。
特別講義の概要
番外編というか限定配信。特別講義の様子はサポーターコミュニティの限定でお話しますけど、
話す内容は秦の始皇帝から漢帝国のところ、それから偽秦南北朝っていうね、
五湖十六国時代を含むぐっちゃっとしたところ、三国志から隋までのところ、
これをめちゃくちゃシンプルにザクッと30分くらいで。
30分でね。
いけると思うんで詰め込もうかなっていうレクチャーをしようかなと思ってます。
分かりました。
それが分かると今日の話があそこみたいになると思うんで。
そうなるのかな。
と思ってます。
はい、ということで。
大丈夫か今日。マジで今まで以上に大丈夫かな。
大丈夫かな。
ちょっと構成ミスったかな。
ちょっと俺の中で混乱してる部分が多々あったけど、これ突っ込んだら進まねえと思ってだいぶスルーしましたんで。
はい、ということで今回はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
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