00:03
はい、では前回からの続きです。で、今回は
さっそくいきますよ。江戸時代
江戸時代、ハートな江戸時代
長いんで、いきましょう
まず本筋の慣れ寿司が本慣れの方ですね
本慣れの方ね
これ残っていったので、これどうなっていったかって
あんま変化ないんですよ
今の前振り
あんま変化ないんですよ
前回ぐらいかな、奈良時代平安時代に
税金としてとか献上品として慣れ寿司がありましたよ
っていう話をしましたよね
これ続いてるんです
ああそうなんだ
ただその送り先が朝廷にももちろん江戸時代送ってるんですけど
最高権力者が将軍になっていくので
そっちに献上していくことになるんですね
なんでこんなことしてるか
江戸幕府ができてすぐの頃って
国害いっぱいやってるじゃないですか
有力大名を遠くにいって
戸様をね遠くにやって
無本を起こしても幕府が潰されないようにとか
そういう国害をいっぱいやる時代なんですよね
でちょっとなんか事件が起きたりとか
あとは着死
後継がいないと
老いへ取り潰し断絶っていって
そこに自分の生きのかかった
徳川家の生きのかかったのを
すげ返るとかそういったことをやってる時代なんですよ
だからちょっと幕府に対して
おべっか使わないと怖いわけですよ
という意味で献上品をするんですね
そういう意味なんだね
年貢を収める以外にも
献上というか贈り物ですよね
僕ら反抗心ないですよ
これうちの名産品なんで
旬でこれがおいしいんでっていうのを
みんな贈り物を始めるんですよ
そうすると300くらいいる各藩がですね
お前がやるなら俺も負けてらんねえや
半分くらいがやりだすと
いやいやうちら少数派だからやらないとまずくないですか
みたいな話になって
結局みんな贈り物をするようになっていくんですね
これが1700年代中盤くらいになってくると
もう分かった分かったと幕府の側も
もういろいろとごちゃごちゃしてて大変だから
これ制度化しようと
システム化しようって言って
時献上という直の字ですね
時献上っていうのでシステム化されて
もう全国から名産品が将軍家江戸城に
集められるという時代が来るんですね
ここに寿司の名産地があって
それは慣れ寿司をずっと送り続ける
そこは慣れ寿司はずっとなんだね
ずっと
もう献上品で進化しないんですよ
いっても生慣れくらい
この名産として上がってるのがね
大見の船寿司
船寿司
今でもある滋賀県の船寿司
あれはもう名産品として書物に残ってます
この頃からなんだね
はい
俳句の教養本と言われてる
ケフキウグサっていう本が
1645年に出版されてるんですけど
03:02
その中でこれが名産品だよっていうのの中に
大見の船寿司
それから宇治川の宇治丸
これはうなぎの慣れ寿司ですね
それからキー半島
キーの国とか
これは奈良ですね
もうやっぱりあゆ寿司は
奈良は将軍家というよりは朝廷の方に
多めに送ってたみたいなこと書いてましたけどね
うなぎの慣れ寿司とかあったんだね
うなぎか想像つかないな
どうなんだろうね
生?
生を普通に慣れ寿司でつけるんじゃないですか
大丈夫なんだね
これ以外に加賀の的寿司とかね
いろいろ飯寿司とか出てくるんですけど
調べても調べてもその正体がない
分かんない
分かんないんだ
もう学者さんたちも調べても
もはや分からん
あんま残ってないんだ
伝統も絶えてしまってるし
書物も分からない
これね何でかっていうと
名物名産品っていうと
僕らの感覚だとお土産物の感覚ありますよね
名物って
違う意味なんですよ
違う意味
名物っていうのは名声のあるとか
名のあるものっていう意味なんですよ
ああそういう意味なんだ
将軍様に献上するようなものって
すごいよねって
今でもそうじゃないですか
現代でも天皇家献上茶とか言ったら
おおーみたいになりますよね
ああいうのを名物って言ってますね
ああそういう意味の名物
当然なんですけど
高級品なんで慣れ寿司は時間もかかるし
だから庶民は中身知らなかったりします
そうか食べたこともないしね
そうなんですよ
つるべ寿司とかっていうと箱の形状を表した
つるべっていうのは井戸のつるべですね
ああいう形の桶に入れた寿司があるんですよ
あるんだ
あったらしいんですけど
それも庶民が書いた書物だと
つるべ寿司が名物だってことはわかるんだけど
中身知らんの
食べたことないもんね
食べたことない
かかの的寿司なんてもはやなんだかわからない
わかんないんだ
名前しか残ってない
名前だけはいろんな人も連れてくるんだけど
っていう感じになっていきますね
ちなみにこの時賢城
幕末までちゃんと続きます
これがすごいのが幕末まで続いたということは
各藩の大名がその産業を庇護したってことなんですよ
270年弱
ずっと大名の金でもって庇護され続けてるから
絶えなかったんです
これがすごいんですよ
すごいのか
これやらなかったら
松藤寿司がなんだかわからないとか
宇治丸なんかもうなくなっちゃってるわけですから
復活させるよりも復活させられないぐらいになっていくわけですよね
他のものもね
だからもしかしたら
おそらく名物と言われてなかった
もっと前にあった馴れ寿司は
とっくに消えちゃってるんですよ
これは権力が守ってくれたから残ったっていう
06:00
そういう流れか
この中の最たるものがね
前回ちょっとお話出ましたけど
ほう
終わりですよ
終わり
終わりの国現在のどこですか
終わりってどこ?
おい?音?
終わり?終わりって名古屋?
終わり名古屋の
名古屋のとこですよね
今の愛知県の西部地区ですわ
うーんはいはいはい
東側三河の国ですね
終わりの国の名物が
鮎寿司
長良川で獲れた鮎の鮎寿司
長良川って何県です?
岐阜?
岐阜県ですよね
愛知ではないよね
だいぶ離れてるよね
なんでや
これちょっと面白かったんで調べましたよ
長良川の鮎って結構すごくって
この長良川の鮎寿司は
江戸幕府ができるよりも前から
もちろんあったんですね
これを歴史の有名人で
早い段階でこれはいいわって言って
観光課までさせた人間が
かの織田信長なんですよ
織田信長がここに出てくるんだ
出てくるの
信長の息子で信長ってやつがいるんですけど
武田信玄と同盟組むために
信長と信玄の娘の松姫っていうのを
結婚させましょうってことで婚約するんですね
その時に武田家の方が土地でかいんで
武田方の使者を信長はもてなす自ら
その時に迂回の船
あれに乗せて迂回を見せると
そこからやったんだ
一緒に見て鮎寿司食べて
手土産持たせて帰らせるって
ちゃんとイベントだね
日本で初めて迂回を観覧した人ですよね
それまではそういうのはなかったんだ
なかったっぽいですよ
ただの寮なんで
寮を見るって何って話じゃないですか
これを観光課してこれはいいねってなって
これが現代まで続くわけですよ
すごいね
鮎寿司が結構良かったらしくて
次の時代秀吉朝鮮出兵やりますよね
仙台味噌が流行ったよって話しましたよね
あそこに秀吉が鮎寿司を送らせるんですよ
お前らこれ食って元気だぜ
そんなことしてたんだ
やってるんですよ
ちなみにこの二人終わりの出身ですから
ちょっと絡んできましたよね
そして徳川家康
家康は大阪冬の陣夏の陣で
大阪城せめ滅ぼしますよね
夏の陣で終わりました
これでめでたく徳川の天下ですと
安泰だなっていう帰り道に
長良川で鮎寿司食べてるんですよ
出身近所だっけね
隣の三河ですね
だから知ってんだ
知ってるんですよ
これは家康と秀吉の親子が二人揃って
鮎寿司食べてますね
これをもてなしたのが
09:02
終わり藩の徳川義直子ですね
苗字徳川なんですよ
徳川だね
徳川家康の旧男です
旧男
もともと四男が入ったんですけど
四男なくなっちゃうんで
代わりに旧男が入って
名古屋城の城主終わり藩主初代になるわけです
で将軍であるお兄ちゃんと
親父がいるわけですよ
これ気に入ってんだったら
じゃあ送るわって言って送るんですね
これ始まっちゃうんですよこれで
これで始まるんだ
なんで長良川の愛を
終わりが管轄してるのかっていう話なんですけど
僕らの感覚だと
藩と国ってイコールのイメージないですか
ある
違うんですよ
違うの
違うんです終わりの国は終わりの国で
美濃の国岐阜ですね
美濃の国は美濃の国なんですけど
藩はその中で細分化されていたりとか
またがっていたりとか飛び散ったりするんです
ああそうなんだまたぐとこもあんだね
あるんです
まず細分化されてるっていう意味で言ったら
尊美の国ここですね
は浜松と掛川は別の藩じゃないですか
ああ確かに
藤枝市は田中藩とか別にあるわけですね
佐賀藩とか
細分化されています
この細分化された藩の上主が
大大名の家来だったりすることもあるわけですよ
要は領地を持ってるっていうのは年報なわけなんで
お前にこの土地を任せてくれてやるみたいな
預けるぞそこの売り上げは全部お前のもんだ
みたいな感じでやるんですね
なので終わり藩の領地そのものも
浜川の流域にあったし
もっと上流とか下流に行くと
終わり藩の下進の領地だったりします
そういうことか
そういうルーツがあって
どっちが先かはちょっと明確じゃないんですけど
終わり藩がああいう図書を作ることになる
これすごいシステマチックでね
清居坂って東京にありますけど
あの辺に終わりの江戸屋敷があるんですよ
藩邸がね
その藩邸で行ったり来たりするんで
殿様が住む江戸の家がなきゃいけないですから
そこにあってそこの台所頭みたいな人がいて
将軍家に献上するのに
他の順番待ちしてますんで
今いいぞこのタイミングだぞっていうと
そこから使いを出して
国元の名古屋城にお知らせですよ
くれって
それを今度その使者がまた別のお手紙持って
岐阜の長良川まで行って
そこにねお寿司もとっていう役所があるんですよ
そこにすでに
役所
寿司を管轄するだけの役所が長良川沿い作ってあるの
終わり藩で
そんな
黄巾で
へえ
でそこで指示が飛んでくると
迂回臭がいて
その人たちに取ってこいっつって
12:00
逆算全部逆算
何月何日に献上するから
さかのぼってこの日に漁して
このぐらいの漁を取ってこいっつって
それを持ってきて
お寿司どころの役人たちがマスクして
手すぎ掛けしてそこで寿司つけるわけですよ
はいはいはい
で逆算して何日でここで通って
で茶壺道中と一緒ですよ
各席所で何月何日にこれと
ハンコボン
これずーっと四十何宿をずーっと行って
江戸半堤に着いて
そこで中身を一回見て
で役人が吟味をして
よしオッケーって言って献上するみたいな
へえそこまでしてやったんだ
そう
すごいのが寿司をつける桶に最後生で包んで
和紙で封をするわけですよ
それを木箱に入れて
木箱に鍵をかけて持っていくみたいな
ヤバ
厳重
すごいでしょ
そんななんだね
ここまでするってことは
これ終わり班すげえ金使ってて
迂回に特権与えてるんですよ
特権
武士とかに取り立てることは一切ないんですけど
まず蘇養長って
税金とか労働義務とか全部免除
へえ
いらん
やんなくていいと
お前らはもう迂回として生きていけ
専念せよと
給料も出してやる
米出す
松明叩かなきゃいけないですよね
迂回ってやる
あれも出してやる
餌内も出してやる
新しい魚を取ってこなきゃいけないから
その日も出してやる
川の中を自由に
国またぎますか
藩をまたいちゃいますから国の中で
それもいいよっていうのを
俺たちは話し通しといてやるから
徳川家として
ここ御三家ですからね
なんでもういい
だからオッケーにしてやる
餌場も俺たちがちゃんと押さえておいてやる
だからお前たちは安泰だから
そこに集中せよと
すごい手厚い国家事業みたいになってる
もう国家事業になってます
完全なる公務員課ですよ
公務員だね
で終わり班は
この綾鶴氏を幕府県城だけじゃなくて
朝廷に送ったりとか
あと新類演者とか
付き合いのある大名のところに
贈り物としていっぱい送るんで
かなりの量取らなきゃいけないですよね
それは相当だね
これ260年間やりますからね
ああすごいね
すごい財力
これはやばい
260年間やったんだ
やったんですよ
それで未だに有名なんだね
なんだと思いますよ
終わり班は江戸時代を通しても
江戸以前からですけどね
商業の松下として栄えてる国なんで
元々が強いですよ
なんなら堺の町は終わりの職人を連れてって
秀吉が堺の町を作ったって言ってるぐらいなんで
ああそうなんだ
それが現在の愛知の名古屋ですよ
はあ
この話をするとね
名古屋の方々
俺らはどうだ見たことかって話しますと
それが名古屋なのか
工業地帯だねまだ
工業地帯ですね
あれはいろいろと
その後の話出すと
15:00
すげえからあの人たちも
織物の町になって
幕末維新で海外に布を送るとか
キートだっていう時に
あそこが宝石の一大拠点になるんですよ
ああ宝石の映画見たわ
日本の産業革命の中心地ですから
その織物を織るための機械を作ってた
トヨタ・サキチが起こしたのが
今のトヨタ自動車ですかね
すごい町なんですよあそこ
ぜひ映画見てくださいあるから
ちなみに御三家わかりますか
御三家
御三家ってなんか習った気がするけど
要は御三家っていうのは
将軍家が
弱男が生まれなかったとか
いう時に家康の
息子たちの家なので
血が繋がってるじゃないですか
そこから次の将軍を出しますよ
という土地柄ですね
はいはいはい
なので八代将軍吉森暴れん坊将軍は
紀州藩
紀の国の方ですねもともとね
そうなんだ
そういう地筋の土地なんですよ終わりも
清居坂っていうのは紀の紀と
終わりの大戸って清居坂ってなってますね
ああそっから通ったんだね
そうですそうです
ということで馴れ寿司はこうやって
権力にがっつり守られてる
もうこれで権力にどんだけ守られたかよくわかりましたよね
だから残るんですよ
だから
あの迂回という寮も
現代はちょっとね
基本的に苦しいとかっていう話も聞きますけど
それでも江戸時代ずっと
ちゃんと安定して
伝統が守られつつ進化したのは
こういう権力による
被害があったからっていう側面を持ってますよね
ああ
すごいなと思います
寿司なのに権力に
守られるところは出てくる
そうなんですよ漬物なんですよ
寿司って
高級漬物なんですよ
高級漬物を権力を使って守る
それだけ美味しかったんですよ
相当ね入り込んでたね
相当入り込んでますね
一方庶民
こんなことできませんから
できないね
すごいですよ
ハチャメチャですこの人たち
前回の話でも出ましたけど
ちょっと手っ取り早く
簡単にしたいよねみたいな話なわけですよ
基本的には
生活かかってますしね
どんどんいきましょうって
初めは一般家庭でやるんですけど
そのうちに寿司を売る人たちが出てくるわけですよね
商売として
この人たちの手にかかると
進化早いんですね
だって売りたいもん
どんどん売りたいよね
儲けたいじゃん差別化しますよね
結果こうなるのかみたいな感じ
へえ
前回早寿司出てくるとこですね
材料にお酒とか
麹とかいろいろ混ぜると早くなるよね
っていうのを発見しますよね
麹入れたりとかじゃかんじゃするのが
だいたい1700年くらいまでの
間ですわ
元禄文化が出てくるくらいまでかな
そういった時代背景の
頃です
そのうちに1750年頃
18:01
田沼おきつぐとかが
出てくる時代かな
分かる人だけ分かればいいですよ
重商主義っていって貨幣経済をね
バーッと盛り上げて
今まで農業農業っていったけど
ビジネス頑張ったほうがいいからそっち
いいよ行けよっていうのを政策として
押し出したんですよね
そういう時代になってくると
みんなどんどん高速化していくんですよ
酢だけでもよくね
酸っぱいしどうですか
なんか着地点が
似てるからね
漬物だったから寿司を作るって
言ってないんですねこれまでの人たちって
なんなら大正とか明治の
人くらいまでは寿司屋さんは
寿司を漬けるって言ってますから
漬けるか
有名な余平寿司ってこの後出てきますけどね
元祖にぎり寿司を作った
余平さんの
孫かなんかが寿司の漬け方っていう本書いてるんですけど
作り方じゃないですからね
漬け方ですからね
漬けてたんですけど
それを漬けなくしてしまう
笑
根本的に覆そうと
この時代の書籍ひどいですよ
なんかね一冊
見かけたんですけど料理本の中に
ちゃんとねこの早寿司
酢で味付ける早寿司
書いてるんですけど
もうね書きっぷりが若干
寿司もどきこんなものみたいな書き方してますから
笑
なら紹介すんなよっていうくらいなんですけど
もう紹介せざるを得ないぐらい
この寿司もどきたる早寿司が
大流行するんですよ
大流行
店先でね
桶並べて売ってたのが
だんだん屋台になってわーって広がってくるのが
ほぼ早寿司だから
今までの生馴れとか本馴れとかが
街からほとんど淘汰されて消えてっちゃう
笑
手間のかかるものは排除され
だけが残っていくと
売れて儲かるやつ
経費固定費どんどん
下げていくみたいな感じで
なってくわけですよ
早寿司でお酢を使ったら
なんか味付くからこれでいいんじゃね
っていうことになると
何でもできそうですね
これってみんな考えるわけですよ
応用できそうだよね
できそうですよね
まず最初にコケラ寿司が箱寿司
押し寿司あれですねつける代わりに
押してなじませる
押してなじませるんだったら
別に箱使わなくても
よくねって
圧かけりゃいいんでしょ
魚なんかも
そもそも仲間にとって
開きにすれば
真ん中に米入れて
ギュってささとか
ギュって巻いてさ
ギュって縛って一晩置きゃ
押せるからいいじゃんって
そういう発想
棒寿司の誕生です
これで棒寿司なんだ
巣巻きでギュって巻くわけですよ
巻き巣でね
タコにとかなかったらギュって巻って
今だったら輪ゴムでもいいですから
ギュってやってできました
巻き寿司
だから巻き寿司ってあんな形してんだね
21:01
棒寿司から
サバ棒寿司とか巻き寿司が
本当の意味での別の巻き寿司が誕生するんですよ
のり巻き巣は
そうですわ
魚で米巻くんだったら
米で魚巻いてもいいよね
その方が
端っことか全部中詰められて
効率的じゃない
ということで
逆転するんですよ
だけど米表面出てると
ベタベタするよね
一番最初の時は
わかめで巻いたりとか
なんだろうね和紙で巻いてます
和紙で巻いといて
食べる
カステラの白いやつみたいな感じ
あと面白かったのは
フグの皮使って
食べたのかな
巻くのに使っただけじゃないかなと俺は想像してるんだけど
書いてないからね
そのうちに板のりが出てくるんで
のりで巻きましょう
関西地域で発祥したこの巻き寿司は
今でも古い人は
巻き寿司って言うんですよ
のり巻きのこと
関東に来るとのり巻きって言うんですよ
そのうちに魚じゃなくて
鑑標とか
大阪のどこだかっていう店で
きゅうり巻きって
これがまた大当たりするんですよ
さっぱりしていいねって
大当たりするんだけど
みんなマネーショーするじゃないですか
江戸じゃなくて明治の橋なんですけど
きゅうり巻きって商標登録しちゃったから
周りの人たちマネーするときにきゅうり使えなくなるんですよ
きゅうり巻きって言えなくなるんですよ
でカッパはきゅうりが好きだから
カッパでよかろうっていうので
韓国に名前が流通していく
ああきゅうり巻き使われてたから
そんな理由でカッパ巻きになったの
へえ
この源流がはじめふぐの川で
舞い散ったわけですよ
箱寿司棒寿司巻き寿司みたいな流れじゃないですかね
箱寿司ってほら
切って
出す手間があるじゃないですか
やったら分かりますけど包丁で寿司切るって
結構ベタベタしててさ
大変だよね
で一回だったらいいけど
何個も何個もやってると
包丁洗って拭いてとかしないとやってらんないじゃないですか
しかもお手振りしてね
天秤棒を担いだりとかオケ担いで
お久しぶりやーっつったら
よーっつってその場で切るわけですから
あれはちょっとやってらんねえな
っていうことで
ここから二つ登場するんですよ
おこし寿司とかすくい寿司ってやつね
もう切るのやめたって
器に入れてあるから
こっからさじですくって
なんか
なんだっけ鮭の丸いやつ
はいはいはい
現代のコケラ寿司ですよね
マス寿司か
今駅弁とかでもよくある
あれはちっこいので切るっていうか
すくいながら食べる感じ
あんな感じか
あんな感じこれはねチラシ寿司の原点と言われてます
チラシ寿司もそうね取り分けるもんね
もう押さなくなってくる
だんだんと途中から
はじめ押したらしいんですよ
押したらさ起こしにくいね
押すのやめたって
24:01
やめちゃったんだ
でこれがチラシ寿司化していくんです
混ぜご飯だよね
まあどん物ですよどんぶりどんぶり
どっちかっていうかどん物みたいになっていくんです
チラシ寿司って言ってみれば
どんぶりみたいなもんじゃないですか
どんぶり飯みたいな
あんな感じにだんだんと一人前サイズなんでそんな大きくないですけどね
そうこしてるうちにね
違う理由が
具を上に乗せるんじゃなくて
混ぜてもよくね
カンピョとかさ
ミョンガとかナスとかもあるわけだし
チイタケとか
混ぜちゃえばいいじゃん
って言ってゴモク寿司が誕生します
ああそうなんだ
精進系の流れから
今現代人はチラシ寿司って言うと
もうゴモク寿司の上に具が乗ってる
CMでやってる
あのイメージになってますよね
あれは昭和の終わりから
平成にかけてあのメーカーが
CMガンガンやったせいでそうなっただけで
それまではゴモク寿司とチラシ寿司
別物使ってた ああ別物なんだ
チラシ寿司はもう乗ってるやつ
ああチラシ寿司は
乗ってるやつなんだ そうそう
混ざってるのはゴモク寿司
ゴモク寿司とチラシ寿司ごちゃになってるんですよ
元々別です
ああその違いがあったんだ
その違いがあるんです
でキルの面倒くさいって話さっきしましたよね
そこ戻りますね
キルの面倒くせえから現場で
それから分けとこうやって
なるんですね
これがたまめんどくさい作業してる
箱寿司の箱の中に
笹の葉をね敷いて
一人前で区切って
全部こうくるんで
12個ワーッと並べるわけです
それに蓋をして
押しをかけるっていう ああめんどくさい
そうすると売るときに
1個くれって言ったら1個ずつはいどうぞって
手でポンポンポンってできますよね
確かに
それをやり始めたと
作る手間はすごいけどね
これ笹巻き寿司って言ってね
現代でもありますよ
笹巻き寿司って笹で巻いた
理由はそっちなんだね
そういうところもあるらしいです
これ棒寿司から来てるのか
小分けから来てるのか不明瞭ですけど
それの原型になってるんじゃない
だろうかっていう
言われてますよね
でこの小分けにする
手間をさらに省きたいと
言って出てくるのが握り寿司ですよ
ああそうなんだ
もう押すの
良くね
巻くのも巻かんで良くね
1個1個握ったら
手で圧かけたら
いいじゃんって
だいぶ横着したな
相当横着しましたよね
これで花屋余兵という人が
1824年頃に
正確な年代は
分かってるんですよ
いろいろ言われてますけど
その頃に握り寿司を始めます
ああそうなんだ
これが江戸で生まれた
現代の江戸前握り寿司の最初ですね
へえ
花屋余兵さん
花屋余兵って今ファミリーレストランありますね
27:01
関東に行くと
大体的にやってますけど
あるんですよ結構
あるんですけどあの花屋余兵と
今出てきた花屋余兵さんとは
全く関係ないですから
ただ名前借りてるだけなんで
全然ルーツ関係ないです
全然関係ないです
あとね今紹介してないやつで
いつどこでどう生まれたかが
全く不明瞭なものがあるんですよ
お稲荷さん
お稲荷さん
稲荷寿司
ルーツ分かんないんだよね
分かんないんだ
僕も推測難しくって
エビデンスゼロなんで何とも言えないんですけど
稲荷寿司の
種類の中で
埼玉だったかなちょっとメモしてこなかったから
押しちゃったけどあっちの方に
長い稲荷寿司があるんですって
へえ長いんだ
それを切って食べると
巻き込んであると
だからどうやら巻き寿司じゃないかな
発祥は
巻き寿司は一口サイズじゃないけど一人ずつに
小分けしたらそうなの
だったらもう始めっからちっちゃいので巻いたらいいや
って言って
これは地域によって差がありますけど
深く包むか三角形で包むか
地域によってあるし
表のまんまやるか裏返して
包むかとか
だんだん流派が分かれていって
そのうちにごもく寿司を中に入れるようになったり
とか普通の車両
そのままやってるとこだったりとか
いろいろ出てくるしなんならガリを混ぜて
お稲荷さん作る地域もありますし
あるね
これがもうだんだんよくわかんなくなってきますね
これで
幕末近くになってくると
お稲荷さんと
お稲荷さん安いんですよ当時から
安いんだ
江戸時代の料理紹介本の中で
下船な寿司って書いてますから
下船な寿司
安くて下々が食べるもんだみたいな
相当ライトだぜ
こいつはっていう扱いされてるんですね
魚も使ってないしね
別に魚ないから
それと一緒に
巻き寿司いわゆる海苔巻きですね
これを二つセットにして
弁当として売り出したのが
初回でお話ししたスケロクですね
歌舞伎を見るときの手早く食べられる
弁当として
安い席の人たちに主に売られていたと
ああそうか
そうなるんだね
昔は差し切って枠で
区切られててさ歌舞伎見るときとかって
ここが高いとこでここが安いやつで
って別れたらしいんですよ
安い人たちはスケロクで
高いところに座ってる人たちは
お汁に入った
幕の内弁当を食べると
そういう
ところに繋がってくるらしいですよ
ああそういう感じなんだ
握り寿司なんかもあれですからね
今マグロじゃないですか
猫跨ぎって呼ばれてますからね
猫跨ぎ
こんなうまくなんともねえもん
猫も跨いで歩くわって
普通に書いてありますから
へえ
全然違うね今の価値観が
30:01
一時なんか
すごい取れ過ぎちゃった時代があるらしくて
神奈川県とかね
千葉県とかでめちゃくちゃ取れちゃったと
これ食べんの
言ってもったいないから食うけど
余っちゃったし
足早いからすぐ腐っちゃって保存きかないから
冷蔵庫ないんでこれどうするって
言って最初に考えたのが肥料にすることですからね
肥料
ワオ 肥料に
してたんだけどそれでも肥料に
しきらんと
どうするかなって言って
じゃあ
なんとかなんねえかねって相談をされた
人の中にたまたま
寿司職人さんがいて
じゃあちょっとなんとかして寿司でも
して振りさばいてみるかって言って
マグロの寿司が漬けですね
漬けが誕生するんで
マグロの寿司は
肥料の下です
笑
肥料にすらしてももうさばけないから
なんとかしてってやつですから
そんな扱いが
そんなことがあったんだね
それでも赤身ですよ
トロに至っては昭和の時代まで
まかない飯ですからね
聞いたことない?
なんかまかないで出してたって聞く
あれはね我々の父が
若い頃ですらそうですから
じゃあもう50年ぐらい前は
前は
トロのこの脂の乗った部分は
こんな脂乗ってて猫をまたぐような
下栓な部分をお客様に出すもんじゃない
こういうことですから
いやぁ真逆だね
雑談会かなんかで話しましたがね
脂の味を
感知してその脂がいいよ
ってうまいよってなってきたのは
ほんと近代直近も直近ですね
僕が生まれた後の
話です
そんな最近か もう半世紀も経ってないです
経ってないね
バブル期ぐらいの話です
だいぶは最近よ
じゃあフォアグラとかが
高級品としてあがめられるようになってからか
そうですね
日本がだいぶ豊かになった昭和50年を
越えたあたりの話なので
だいぶ後ですね
だから江戸時代は
マグロも避けられるし
サーモンのトロとかね
ダメなんですよ脂っこいやつは
だめなんだね
よっぽど脂を取ってなかったんだね体が
だと思いますよ
特に江戸の庶民たちは
わりとさっぱりした味を好んでたんで
そうなんだ
なんでうなぎのところで少しお話ししましたけど
夏場のうなぎなんざ
食うもんじゃねえっていうのが江戸っこの
常識
こんな暑い時にあんな
甘ったるくって脂っこいもんなんか食ってらるげえ
っていう感じなんですよ
そういう感じなんだね
で大根おろしを乗せたりとか
キウイと一緒に食べたりとか
うなぎだてするわけじゃないですか
でポン酢みたいなのが
もてはやされていくさっぱりしたもの
の方がいいから
そういう背景があるからおそらく
お酢でしめただけの早寿司
握り寿司が流行っていく
さっぱり系
かといってツンと効くような
33:01
あんまり強い寿司は好まない
さっと気持ちよく食べたいから
マイルドな寿司が流行っていくのが江戸
そうなんだ
関西の方で
続いていく棒寿司とかね
箱寿司っていうのはわりと酢が効いてるっぽいですね
そっちは酢が
あるんだね
当時の料理本にそういうのが載ってましたね
そうか
そう考えると
今の解析も油物が少ない
っていうのはその流れなんだね
またいずれ
西洋的なとか大陸的な
味の思考と
日本的な味の趣味思考の違い
っていうのはどっかシリーズで
2話か3話くらいでやりたいなと思ってるんですけど
やることいっぱいだね
やることいっぱいなんですよ
これどっかでやります
オスもね
オスの回もやりますから
今回これ全然触れてなかったですけど
握り寿司のこの発展
1830年以降に松ヶ寿司がいろいろ出てきて
ドワーッと一気に握り寿司で
江戸中埋まるような状態になるんですけど
その盾役者に
中野さんという人がね
出てきてこの人が
オスを加工してくるんですよ
寿司が流行ってると
寿司に合うオスがあったら
このオスもっと売れんじゃねえかって言って
作り酒屋の人だったんですけど
酒屋を飛び出して独立して
オス屋さん作るんですよ
それが現在の密館
密館
どっかのがちらっと出てきたね
赤酢とか麹酢っていうのを
開発してそれ一本で
江戸に出てって売り込むわけですよ
赤酢か
これうめえなって寿司作るの最高だぜ
なってそれが大当たりするんですよね
へえ
じゃあその辺は酢の会を
どっかでやんないとね
酢はね長いよ
長いっていうかね
面白かった
まだ僕も表面さあって言ったけど
これ掘ったら絶対面白いなと思って
じゃあぜひやんないとだね
ぜひやりましょう
夏までには
ねえ?
まだ冬だった
まあ酢はね一番好む時期は
夏場なんで
ぜひ間に合わせてほしいな
エンディングみたいになっちゃってますけど
全然お寿司のシリーズ
エンディングじゃないですからね
まだあります
次回はもう一回
同じ時代のこの
庶民の寿司早寿司から
にぎり寿司に至るまでのこの変遷ですね
これをもう一回違う角度から
話してみようと思います
もう一回なぞりますよ同じこと言いますよ
同じこと言うの?
違う角度から
相手を想定しているのはビジネスマン目線です
へえ
江戸時代のこの
寿司が発展してきた時代
っていうのは元禄から文化
文世の家政文化
とか言われている
江戸時代の中でも最も文化と
ビジネスが発展した時代なんですよ
急速に
蕎麦が出てきた天ぷら屋が出てきた屋台ができた
居酒屋ができたお酢が
36:01
発展したみりんが生まれたみたいなそんな時代なんですよ
だからビジネス
外食産業が大変化をした時代なんですね
へえ
なんで
大江戸外食ビジネス史寿司編
そんなのあんだ
今勝手にタイトルつけましたけど
びっくりした
そういうのを次回違う角度版をやってみようかなと
面白そうだね
僕はたぶん
次回めっちゃ面白い回になってくれるはずだ
と思いながら
まだ原稿書きかけなんですけど
何とか
話してもらって
頑張りますよ
皆さん興味ある方は事前に
八大将軍吉宗の米改革から
七間沖継とか
新井白石水野忠邦
松平信長
この辺の教法の改革から
天邦の改革までのあたりを
ざっと知ってるとわかりやすいと思います
そうなんだ
面白そうだね
次回に期待だね
そうですね頑張ります
はい
以上ホームページの方にも
便りフォームを作りましたんで
そちらも皆さんどしどしと
書いていただければ僕らの
モチベーションも上がりますので
作ったんだよぜひよろしくお願いします
あとツイッターの方で
ハッシュタグ旅者ラジオでも僕ら
探してみますのでぜひお願いします
毎日英語探ししてますから
毎日やってるんだ
こんな感じで今回は終わりたいと思います
ありがとうございました
ありがとうございました