はーい。
はい。ということで前回からの続きです。で今回は。
全国に広がるハンバーグステーキ。
全国に広がるハンバーグステーキ。
はい。全国ってあれですよ。
はい。
日本じゃないですよ。
あ、違うんだ。
いや違うんだって。そりゃそうでしょうよ。
これまでずっとアメリカの話をしとんね。
ああアメリカだね。確かに。
前回ね、ハンブルクドイツの辺りの話しましたけど。
じゃあ今回ドイツの話ではない。
ドイツの話ではなくアメリカの話です。
アメリカね。
はい。ちょっと長くなってきたので前回のところまでを軽くざっとおさらいしておきましょうかね。
はい。
大まかにハンバーガーではなくアメリカの初期の段階で
いろんな地域にエスニックフードそれぞれの郷土料理的なものが出てきましたよと。
はい。
そういう話ですね。
はい。
でその中の一つである東海岸チューブ。
東海岸チューブ。
ニューヨークとかペンシルバニア州とかその辺りの食文化について少し深めに掘り下げてお話をしているという状態ですね。
はい。
でその東海岸チューブ地区のエスニック料理としてハンバーグが出てくるんですけど
そのルーツはドイツ北部のハンブルク。
ハンブルク。
この地域で発祥したフリカデレという料理。
はい。
ドイツについて前回実はモンゴルの影響があったんだよとか
ホルシュタイン州の中にあるハンブルクという街だから
もう近隣がねラクノウというか牛を飼っているのが当たり前の環境だったから馬じゃなくて牛になっていったんだよとか
あとは生肉からタルタルステーキから焼いて食べるとそういった文化が出てきましたよという話をしてきました。
はい。
これがついにハンブルクアメリカ有線会社などの交通機関が発達したことによって
移民が大量にハンブルクからニューヨークへ移動することになったので
その人の移動とともに食文化も流入してくるとそういったことをお話ししてきましたね。
はい。
なんかもう前回だとモンゴルのタルタルとユッケの話がインパクト強すぎてほとんどそっちしか覚えてない。
そうなの?
いやハンブルクの話なんでフリカデレを覚えてくださいね。
ちょっとそっちのほうが薄いのよね。
いや今回ハンバーガーだから。
ハンバーガーだから。
だってお尻の下だよ肉。
そうね。
お尻の下に肉引いてミンチにするってすごいことじゃない?
そうねこれ何でだろうなと思って調べようとは思ったんですけどあまりにも記録がなさすぎて無理でした。
遊牧民の記録ってなさそうだよね。
そうなんですよねあんまり深い記録というか当時の記録の明確なものってあんまりないらしくて
もちろん考察されている遊牧民、遊牧騎馬民族などの文化について研究した論文とか書籍ってのあるんですけれども
いまいちこのタルタルステーキについてはよくわからないという感じでしたね。
そうなんだ。
3冊ぐらい本あるんですけど途中で読むの諦めました。
そうなんだ。
多いよ3冊は。
3冊か。
厚さも今想像できてないからね。
270ページかける3冊はちょっとしんどいのでやめました。
薄くはなかったんで。
薄くはないですね。
普通のサイズですね。
ともあれアメリカ合衆国内の話をしましょう。
フィラデルフィアの街のお話ですね。
フィラデルフィア。
フィラデルフィアについては少し前にお話をしましたね。
覚えてますか。
あんまり。
クエーカー教本人たちはフレンズ会と言ってますけども
一般的にクエーカー教と呼ばれる宗教集団が入職しましたと。
ウィリアム・ペンという人がそこに植民地を作りました。
しかも借金の方にチャールズ2世というイギリス国王から
広大な土地を受け取るっていうね。
めっちゃ安く買ったやつか。
そうですね。
そこにどーんと作って
フレンズ会クエーカー教徒が大量入職したのが1682年です。
1682年。
これすごいのがここから100年も経たない間に
このフィラデルフィアという町がとっても大きく発展するんですよ。
100年で?
はい。100年かからないですね。
遅くとも1750年までには北米最大の都市になります。
これ以前の最大の都市っていうのはボストンなんですよ。
ボストン?
なんだっけ?
ハリーポッターじゃなくてさ
なんちゃらビースト
なんちゃらビースト?
えっと
ファンタスティックビースト?
そう、なんで出てこないんだ。
ファンタスティックビーストとかああいうので
イギリスの国王域があるところっていう
港町がいくつか登場する
ああいう時代感ですよね。
もうちょっと古い時代だと
やっぱり13植民地っていうのは
東海岸でも北の方に集中してますので
主にやっぱりボストンが一大都市になるんですね。
だから古い文化として今でも
ボストン大学とかがあるような
古い街並みが残っていて
で、古都みたいな扱いをされてるんですよ。
古都?
古い都ね。
で、フィラデルフィアがどんどん
新しく発展していくことによって
ボストンを抜いて
第一の都市になっていきます。
第一の都市?
はい、一番大きくなるんですね。
これなぜかと言いますと
フィラデルフィアっていうのは
もちろん大きな街づくり
大規模な街を建設するという計画があって
その通りに行われたっていうのも一つありますし
それによってベンジャミン・フランクリンとか
そういう人たちが生活の基盤を
人工的に作っていくんですね。
きちんと整えていく。
インフラ整備とかですよ。
一つはね、あと交通の
交易の要所になっていったっても
すごく大きいんですね。
交通交易?
主に船ですね。
船ね。
一番港として栄えていたのは
ニューヨークの港だったりするんですけど
マンハッタン島とかね
あの辺りなんですけども
やっぱりフィラデルフィアっていうのは
デラウェア川の河口にあるので
そこから内陸に物資を送ったり
逆に内陸のものを持ってきて
輸出したりと
そういったことでも発展していったというのが
要因としてあるそうです。
ついに
イギリス県内っていうのかな
イギリス文化圏
大英帝国的なね
あの中ではフィラデルフィアは
ロンドンに次ぐ第二の都市になると
そのぐらい発展したそうです。
そうなんだ。
この
二十数年後
ついにボストン茶会事件が
起きましてですね。 ティーパーティー。
覚えてますね。これは覚えてますね。
まあちょっと衝撃的すぎるからね。
ボストン湾が
しょっぱい紅茶になるという
あの事件ですよ。
つまりはこの後アメリカ
独立戦争が勃発をします。
独立戦争?
この時にやっぱり中心になったのは
当時の首都である
ニューヨークだったりボストンだったりが
中心になっていくわけですね。
首都だってまだ独立じゃないので
首都とは呼ばないんですけれども。
1776年
7月4日
7月4日
有名な独立宣言が行われた日ですね。
アメリカの?
アメリカ独立宣言7月4日
今でも7月4日はインディペンデンスデイ
ということでお祝いされてますよね。
英語のやつね。
あれはエイリアンからの独立で
引っ掛けてるだけで
インディペンデンス自体が
独立という
ディペンドから離れていく
そういう意味ですね。
というのが
1776年
独立戦争の
スタートが1775年
1775年
で
76年に独立宣言をして
戦争が終わって独立を勝ち取ったのが
1783年
なんです。
完全勝利するよりもはるか前に
とっくに独立宣言をしてしまうんですね。
そういうことね。
実は独立戦争はいろんな国々
世界中で
あったわけですけれども
基本的に独立宣言というのは
戦争に勝ったから宣言するものではなくて
独立宣言をしたことによって
戦争が起こるという方が
基本なんですよ。
独立宣言が先?
勝手に独立宣言するから
総主国が
何言ってるの?ってなるわけじゃないですか。
そこから武力衝突が起こるわけですよね。
そのドタバタの中で
当時首都機能的な
ことをやったのが
ニューヨークであったり
フィラデルフィアであったりといったような
状態になっていました。
ここで大陸会議と呼ばれる
会議が行われたりして
各州の
有力者
州知事に当たるような人だったりとか
後に建国の
父と呼ばれる人たちですね
50人ぐらいの大義士が集まって
会議をしたりとか
そういったことが行われていました。
その場所がフィラデルフィアなんですよ。
独立宣言も
フィラデルフィアで行われていますので
アメリカという
国の文化
精神的象徴としてフィラデルフィアというのは
非常に重要な場所なんですね。