2025-10-02 40:12

#1586. 名前×英語史 with 小河舜さん&青木輝さん --- 「英語史ライヴ2025」より

▼2025年10月15日に新刊書が出ます


📕井上 逸兵・堀田 隆一 『言語学でスッキリ解決!英語の「なぜ?」』 ナツメ社,2025年.


- YouTube 「いのほた言語学チャンネル」が書籍化されました

- Amazon 新着ランキングの英語部門で第2位を記録

- Amazon での予約注文はこちら:https://amzn.to/4nmDn6Y

- 本書を紹介するランディングページはこちら:http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/inohota_naze


▼2025年6月18日に新刊書が出ました


📙唐澤 一友・小塚 良孝・堀田 隆一(著),福田 一貴・小河 舜(校閲協力) 『英語語源ハンドブック』 研究社,2025年.


- Amazon 新着ランキングの英語部門で第1位を記録

- 発売3ヶ月で早くも3刷が決定

- 「本格的な語源本」としてご好評いただいています

- Amazon での購入はこちら:https://amzn.to/4mlxdnQ

- 本書を紹介するランディングページはこちら:http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/lp/hee.html


▼パーソナリティ,堀田隆一(ほったりゅういち)の詳しいプロフィールはこちらの note 記事よりどうぞ.


- https://note.com/chariderryu/n/na772fcace491


▼heldio のビデオポッドキャスト版を Spotify で始めていますので,そちらのフォローもよろしくお願いします.


- https://open.spotify.com/show/0xOyOIXBUrIZbnwSLeJsSb?si=zH5V2CjkS0ekqNz5ro7caw


▼helwa リスナー有志による月刊誌「Helvillian」の11号が公開されています


- 第11号(2025年8月28日):https://note.com/helwa/n/n2415c5e4db5e


▼2025年7月7日に『英語史新聞』第12号がウェブ発行されています.


khelf(慶應英語史フォーラム)による『英語史新聞』第12号がウェブ公開されています.こちらよりアクセスしてください


- 第12号:https://drive.google.com/file/d/1eQawDu2njFNMMVKDUr4JRZdIWTNHDdha/view?usp=drivesdk


第12号公開については,khelf 公式ツイッターアカウント @khelf_keio (https://x.com/khelf_keio) を通じても案内しています.

リツイートなどを通じて「英語史をお茶の間に」の英語史活動(hel活)にご協力いただけますと幸いです.


▼プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」 (helwa) も毎週火木土の午後6時に配信しています


「英語史の輪」にこめる想い


1. レギュラー放送は,これまで通り,最大限に良質な内容を毎朝お届けしていきます.プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」のための課金の余裕がない方々(例えば中高生や英語史を真剣に学びたい苦学生など)は,無料のレギュラー放送のみを聴き続けていただければと思います.レギュラー放送では,皆さんに最良の放送をお届けし続けます.


2. プレミアムリスナー限定配信チャンネル「英語史の輪」で得た収益の一部は,レギュラー放送の質を保ち,毎日円滑にお届けするための原資とします.


3. また,収益の一部は,Voicy 以外でのhel活をさらに拡大・発展させるための原資とします.


4. ときに khelf(慶應英語史フォーラム)やプレミアムリスナーにも協力していただき,hel活の新機軸を打ち出していきたいと思っています.企画本部としての「英語史の輪」です.

5. ぜひとも「英語史の輪」のプレミアムリスナーになっていただきたい方


 ・ hel活を応援したい方(資金援助,広報支援,盛り上げ係りなど.研究者,学生,一般の社会人など職種や専門は問いません.)

 ・ 毎日もっともっと英語史に触れたい方,レギュラー放送では足りない方

 ・ 私(堀田隆一)の話をもっと聴いてみたい方

 ・ レギュラー放送のような一般向けの話題にとどまらず,もっと専門的な英語史の話題も聴いてみたいという方

 ・ レギュラー放送で言えない/配信できないような「低い」話題(対談のアフタートークや飲み会での雑談など)も聴きたいという方

 ・ パーソナリティおよびリスナーさんどうしで,もっと交流したい方


以上,よろしくお願いいたします.

サマリー

このエピソードでは、英語史に関連する名前学について、小川俊さんと青木ヒカルさんが対談を行っています。中英語や後英語における名前の変遷、ファミリーネームの発展、名前と社会との関連について詳しく掘り下げています。名前の多様性と、それが英語史に与える影響についても考察が行われており、特に「ジャパニーズ」という形の誕生と消失について分析しています。また、言語の進化に影響を与える内的および外的な要因にも触れています。名前や職業の変遷が英語史における固有名詞化のプロセスとどう関連しているかが論じられ、病気名や地名の固有名詞化がアイデンティフィケーションと結びついている現象も取り上げられています。参加者は、名前に関する英語史の重要性や学問的なディスカッションの面白さについて議論し、対談を通じて得た洞察を語っています。

英語史ライブの導入
おはようございます。英語の歴史の研究者、ヘログ英語史ブログの管理者、英語のなぜに答える初めての英語史の著者、そして、6月18日に研究者から刊行された英語語源ハンドブックの著者の、ほったりゅういちです。
加えて来たる10月15日に、夏目社より新刊書が出ます。 同僚の井上一平さんとお届けしているYouTubeチャンネル、井上言語学チャンネルから生まれた本です。
井上一平、ほったりゅういち長、言語学ですっきり解決!英語のなぜ!
ハッシュタグすべてひらがなで、井上なぜ!として広報しております。 こちらもどうぞよろしくお願いいたします。
英語の語源が身につくラジオヘルディオ。 英語史をお茶の間にをモットーに英語の歴史の面白さを伝え、すそのを広げるべく、毎朝6時に配信しています。
本日は10月2日木曜日です。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。
本日は1ヶ月は経たないですけれども、それくらい前にお届けした英語史ライブ2025、9月13日にライブでお届けしました。
その時に生配信したものあるいは別会場で収録したものも含めまして、いろいろな主力の収録会揃っております。
こちらを今月10月はですね 少しずつ出していくというそんな月になるかと思います。
今日もですね 英語史ライブ2025より
主力の対談会の一つをお届けいたします。
名前かける英語史 with 小川俊さん&青木ヒカルさん
ということで私、太田隆一も含めまして3人での対談だったんですね。 これですね
当日、まあ何か撮りましょうというぐらいで始めた企画なんですね。
何か事前にしっかりと準備したり打ち合わせしたということはなかったんですけれども、
まあこの3人ですからね、話が面白くなるに決まっているんですね。 城内大学の小川俊先生、そしてケルフ会長の青木ヒカルさん。
私、太田隆一も含めまして、実は今ですね 本編の中でも触れられておりますが、名前学、名前に関する学問ですね。
この3人ですので英語史関連の名前ということなんですが、この論文集が今ですね 作られている最中なんですね。
それぞれがもちろん名前に関係しつつ、そして英語史に関係しつつも異なる話題で論文を書いております。
こちら、今途中経過ではあるんですが、どんなことをお互い書くのかということをですね、お話ししつつ、
そこから現れてくる論題みたいなものに引っ掛けて即席で対談しましょうという回なんですね。
こういう回が面白くないわけがないんですね。 実際に
このお話を通じてですね、3人ともインスピレーションを得てしまいましたという結果になったんですね。
これは本編をお聞きいただければどういう結末になるかというのはですね、 お聞きいただいてわかるかと思うんですよね。
これが本当に対談の魅力なんですね。 これはですね、このような英語史ライブ2025という形で即席に
皆さんに聞いていただくつもりでの対談ということなんで、もちろんある程度の緊張感はあります。
ちゃんとしなきゃいけない感というのはあります。 そしてそれぞれが持っている名前学に関する思いっていうのがあります。
これがいい感じで出るというのはまさにこういう瞬間なんですね。条件が揃いました。
ということで今日はきっとお聞きの皆さんにも楽しんでいただける回になっているんではないかというふうに思います。
当日はですね、生配信でお届けいたしまして、 当日聴いていただいた方、ライブで聴いていただいた方もいらっしゃるんではないかと思いますが、
論文のテーマと内容
今回はですねじっくりとアーカイブという形でお聞きいただければと思います。 何度でもお聞きいただけます。
非常に素晴らしい配信会となったなぁというふうに私もですね、
思っている次第です。 それでは行ってみましょう。1586回名前かける英語史with小川俊さん&青木ヒカルさん
英語史ライブ2025よりです。 どうぞお聞きください。
ただいま11時となりまして、英語史ライブ2025もですね、少しずつ我々も乗ってきましたかね。
口が滑らかになってきて、早朝からやってますけれども。 このセッションはですね、名前かける英語史with小川俊さん&青木ヒカルさんということで、
そして私3人でですね、英語語言ハンドブックのTシャツを着ながら、 伝わらないと思うんですけど、
これ写真撮っとかないとね。ということでですね、お二人よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
この3人の組み合わせは初めてですね。
初めてですね。
確かにそうかもしれないですね。
今ですね、もっかい進めているプロジェクトといいますか、論文書を作るというところで、
組んでいる仲間でもあるっていう、他にも矢野美裕さんとかいらっしゃるわけなんですが、
実は名前英学といいますかね、名前を歴史的に、基本的に英語の名前なんですけれども、
ただこれ英語の名前って何かっていう話もね、こういう名詞って何語とかあるの?みたいな話がありますけど、
そんなディープなところにも多分行くかなということなんですが、
そもそも我々3人、なんでこんなふうに集まっているの?ということは、その共通項があるっていうことなんですが、
流れとしては岩田さんにまとめていただきますかね。
そうですね。去年、2024年の5月ですよね。
5月の時に日本英文学会で岩田先生に声をかけていただいて、シンポジウムを行って、
その時が名前を軸にした内容だったんですけど、
そこを出発点として、その内容を軸にして、論文集をみんなで出すのではないかという話をいただいて、
そのプロジェクトが今、もう一回進行中ということなんですね。
そうですね。1年半ほど前ですかね、ゴールデンウィークですが、
あれで覚えてるの?学会といっても道のくゆよたり旅ということで、東北本線の。
幸せそうな顔が。
あれ素晴らしい写真で、今でも使ってますね。ありがとうございます。
どんこを下りで千本ノックを電車の中でやったっていう。
車窓にこのマイクを置いて。
そうなんですよね。あれから1年半経ちまして、これが論文集という形で、
そして新たなチームメンバーとして、研究メンバーとして、ケルフ会長青木さんにも入ってもらいました。
それについて、論文集の話題ですかね。これを皮切りにいろいろ話していきましょうというところですね。
まず、それぞれどんな話を書く論文として書くんですか?みたいなところを簡単にお話ししますかね。
じゃあ時代中って言うとどうなんだろう?
私近代なんで多分。
そうですね。岡田さんになりますね。
先ほど申し上げた通り、軸はシンポジウムで発表したときの内容になるんですけれども、
後英語期の特に10世紀後半から11世紀初頭にかけて、
これ世界史とかやった方はなじみがあると思うんですけど、
バイキングっていうふうに通称言われるスカンディナビアにもともといたげる満家の民族ですね。
彼らがイングランドに侵入して提示をしたりする、そういう活動をすごく活発になって激化した時代だったわけですけども、
その時代にあってイングランド側、非侵略者側であるイングランド人たちが、
どう侵略者たちのことを言及して、そこにどういう彼らの社会的な意図とか立場とかそういうものが現れてるんだろうかっていうのを論文にして書こうっていうのが大まかな内容ですね。
特に当時まとまった文章を残しているのが、アルフィッチという人物と、私がメインに研究しているウルフさんという人物なので、
主にその2人の著作を対象にして分析をしようというところですね。
大きなテーマが名前っていうことでね、今日のトークも名前なんですが、名前もなんかいろんなやっぱり側面があって、今の場合故障というかどう呼ぶかっていう。
そうですね、あとは名前も名前、民族名がおそらくメインになるので、エスノニームとかって言うんですかね、民族ですよね。
人とかっていうよりも、よりコレクティブというか集団を表す固有名詞を対象にすることになると。
そこでいくとね、これから話してもらう青木さんの研究とも関連してくるっていうところですよね。
なるほど、そういう意味での名前と。
私はですね、中英語あたりに注目しているんですけれども、特にですね、いわゆるファミリーネームとかラストネームって言われる、日本語だと性ですかね。
性が芽生えてくるのが中英語に入ってからなんですよね。
後英語だと人の名前ですけれども、単一名でつまりベオルフとかですね、アルフリッチとかで別にそれで終わりなんですよ。
だけれどもその後にですね、性が突き出すっていうのが中英語期の前半で、しかも最初はどういう突き方をするかというと、
ついてもつかなくてもいいっていうオプションから始まるんですよ。
だんだんとそれが義務的になっていくっていうことで、性という、我々日本語にもありますので、感覚としては今で比べれば性イコールラストネーム、ファミリーネームで完全にOKなんですけれども、
それがない、あるいはこれから育っていこうという時期、ファミリーネームですね。
ファミリーネームとも呼びにくいし、ラストネームとも呼びにくいし、バイネームみたいな特別な用語が過渡期的な、あってもなくてもいいみたいなバイネームですね。
いわばあだ名に近いんですよね。のっぽのジョンとかちびのジョンみたいなのっぽのにあたるものなんで、
わかるんであれば、アイデンティファできればのっぽのいらないわけですよ。そういうぐらいのオプションだったのが、それが名前の一部として定着していく過程が面白いっていうことで、中英語期あたり見てるんですね。
そうするといろんな名前の付け方があって、のっぽのとか、その人の物理的あるいは性格的なところからやさしいジョンとかね、そういう付け方もあれば、かなり多いのが出身地。
地名と一致しちゃうっていうのはよくありますよね。もう一つはやっぱり職業名ですよ。
スミスさんが典型なんですけれども、この職業名を見ていくと非常にバリエーションがあって、
例えば同じチーズ屋さんなんだけども、チーズ屋さんっていう言い方がチーズマンだったり、チーズリンガーだったり、チーズメーカーだったり、チーザーだったり、いろいろあってですね。
これもどれを採用するのかみたいな、かなりニッチなバリエーションの中からの選択みたいなところが面白くて、バリエーションを探しているっていうような、
で、列挙するっていうようなことを1年半前の学会の中ではやりまして、最終的にはそのバリエーションは消えていくんですよ。
一つの名前、チーズマンなの、チーズマン。チーズ、あんまりいないですかね、今、チーズ屋さん。
スミスもいろいろあったはずなんですよ、この鍛冶屋さんって。
だけども今、圧倒的に典型的なのはスミスで1個になってしまうっていうふうに、
1回広がってその後近代にかけてぐっと狭まっていくみたいな様が、これ社会の何を表してる、反映してるんだろうっていうところと、
あと表現のバリエーションっていう意味では携帯論の話みたいにもなってくるんで、
この辺りに注目していくっていう感じですね。
なので私の場合は人名という意味での名前っていうことになりますね。
そして近代ということで青木さん。
青木 そうですね、自分はまた小川さんの方に戻ってきて、エスノニムとかデモニムって呼ばれたりするような、
民族名についてやっていて、以前ボイシーでお話しする機会ありましたよね。
名前の多様性とその影響
ジャパニーズのイーズ、なんでイーズなのみたいな。
ジャパニアンとかね。
おだしょー 多く聞かれてると思いますよ。
青木 本当ですか、ありがたいんですけど。
ジャパニッシュとかジャパンナとかジャパニアンなんでダメなの、なんでジャパニーズなのっていうところを研究元々していて、
ただこれ少し歴史遡ってみて、近代英語記見てみると、一応そこの形容詞とか名詞の区別1回置いておいて、
全部あるんですよ。ジャパンナっていう方もあるし、ジャパニアンっていう方もあるし、
ジャパニッシュもジャパニーズも全部あるっていう状況になっていて、
じゃあそういう状況、揺れがある中で、なんでジャパニーズになってきたのかなっていう、
そういう近代英語、特に初期近代英語記のそういういくつかバリエーションがある中で、
それぞれどういう力が働いて消えていったのか、あるいは残ってきたのかっていうところをちょっと触れられたらいいかなと思って分析をしているという感じですかね。
三人面白い感じですね。バリエーションの収束では、私とアクセサリー一緒だし。
三沢 確かに、みんなこう扱ってるっていうのは、時代は違いますけど、かなり我々に似てるところもあります。
おだしょー これはいい論文集になるから。他にも論文書かれてる方いて、チーム、面白い論文になると思うんですけれども。
そうですね、どこから切り口。名前って本当に多様で、
青木さんの研究はどちらかというと設備時との関係ということも関係はしますからね。
青木 どの国に対してどの設備時がつくか、どの地域名に対して設備時がつくかというところです。
おだしょー ゆるい相関がある、関係があるって感じですね。規則はないけれども。
青木 そう、そこを今回の自分の議論の肝にはしようと思っていて、
例えばジャパンナっていう形がなんで消えていったかって考えたときに、
OEDとかベースでERがつく民族名抜き出していくとやっぱり傾向は見えてきて、
一つはランドってつく地名が多い。イングランダーとかポーランダーとかニュージーランダーとか、
いろいろランドがつく地名プラスERっていうものが多かったりとか、
またERをつけるっていうその語形性のプロセスがどっちかっていうとゲルマン語系、
だからオランダ語とかダッチとかジャーマンとかそっちに習ってる部分があるので、
そっちの地名につくっていうことが多いんですよね。
そう考えていくとジャパンっていう国名が入ってきて、
ジャパニーズなんて呼んでいいかわかんないからとりあえずジャパンナって呼ぶわけですけど、
今までの語形性のプロセスとちょっと噛み合わない部分があるっていう、
そこの部分でジャパンナって言い方が少し消えていったんじゃないかとか。
いろいろ実験して試していくんだけど、
なんかうまく合わない、しっくりこないっていう。
そういう言語内的な部分の問題と、
一方で他の国がジャパニーズって呼んでるっていうところで、
外的な圧力に合わせてニーズを呼んでいくっていう、
言語内と言語外の部分のせみぎ合いがあると思うんですけど、
自分の場合はそういうところですかね。
固有名詞の重要性
じゃあ割と歴史的なそういう呼び方の変化みたいなのも論文の中で、
見ていくことにはなるかな。
特に近代がやっぱり今までのあり方と新しくラテン語系とかが入ってくるところとかのせみぎ合いの時期だし、
知名とかもやっぱりドカッて増えるわけじゃないですか。
大航海時代にもなって、一気に世界が広がってっていうところで混乱が起きてる時代なので、
そこは見ようかなと思ってるんですけど。
どうして収束されていくか、ある一つのものに限られていくかっていう点では同じ問題意識で、
語形性とか他の関連する語ではどういう振る舞いをしてるかみたいなところとか、
あとさっきのチーズ屋さんでいうとフロマチャーみたいに完全にフランス語の使っちゃったりっていうのもあったりして、
いろんなやっぱり技があったりする中で、
おだしょー フロマチャー面白いですね。
大航海 フロマチャー。
おだしょー フロマチャー。
大航海 で、何て言うんだろう。
一回いろいろ広がるんだけど、それは混乱って言い方かもしれないし、
この正の場合、アイデンティファイ、他にも同じチーズ屋さんがいたら、
そこも変えたいっていう差別化意識が働くかもしれないとか、
いくつか考えなきゃいけないポイントはあるんですが、
いろいろ作りすぎちゃったんで、そろそろ統一しようやみたいな流れっていうのは、
言葉は拡散したら縮小、収束しようとするし、
1個になりすぎちゃうと自由的な面白くないっていうことで、
バリエーション欲しくなるっていう、
こういう収縮運動みたいのはあるかなっていう、
一般論としてあると思うんですけど、
それが割と国語とかデモニウムみたいなかなり重要なものにも応用されるっていうかね、
近代とかだと、いわゆる近代的な国家の意識の、
あるいは制度的な国家っていうものの、
だんだん生まれていく過程とリンクしてるものもあるのかもしれないですね、
その呼び方がだんだん確立されていくっていう、
そういう発達っていうのが、
いろいろ言語ない言語外、いろんな要因が重なっているので、
すごい面白そうな話です。
早朝の専門ノックでもバリエーションっていう話が出て、
一つの支持対象をいろんな言い方を持っているっていうのは、
それはそれでメリットもあると。
見方に言えば混乱なんだけれども、
っていう話もありますよね。
一方で、なんで同じ支持対象をわざわざ変えなきゃいけないのか、
分かんなくなっちゃうじゃないかと、同じことをね。
トランプのことをThe American Manとかね。
同じで、分かんないのでむしろ統一した方がいいんじゃないっていう、
いろんなレベルでこのバリエーションを豊かに表現したいっていうことと、
はっきりと支持対象を与えたい。
名前の場合って特にそれが強いわけじゃない。
名前って第一義的にその人物なり地名なりを特定するっていうか、
他と間違えないっていうことがかなり大きな理由ありますよね。
そこの先ほど先生がおっしゃった、いろんな名前があるけれども、
もともとはバイネームのような形で、
のっぽのだれだれっていうところが始まりで、
それがある種固有名詞化して、
苗字として確立されたっていう過程を聞くと、
さっき聞くと二人で話してたんですけど、
普通名詞が固有名詞化していく過程っていうのが、
いろんな要因が重なるでしょうし、
それを今の時代我々が観察しようとした時に、
どうやっていつこういう名詞化してるのかっていうのを、
一概にこうだっていう法則化するのもなかなか難しいように感じるし、
でも考えるとすごく面白いテーマな感じがするんですよね。
どこかで多分話しつながると思うんですが、
あだ名っていうのも2点3点いろんなダジャレであったり、
繋いで最終形態があだ名となってその人が呼ばれるっていうのは、
この途中経路が失われてしまうと、
もう後世の例えば語源学者が解明しようとしても絶対無理っていうようなことが
日常的に起こってるわけじゃないですか。
エポニムなんかもそうですよね。
固有名が一般名詞化する。
そっちの方がまだ分かりやすいのかも分かんないですね。
歴史的に出来事みたいな。
人がどういう人がいるのか分かってれば。
ということですね。
エポニムは逆か。
むしろ固有名が先にあって、
そこから普通名詞化していくみたいなことですけど、
逆もあるし、
このやっぱり固有名詞っていうのと、
大切さるのは一般名詞っていうことなんですけど、
普通名詞とかね。
この辺りの関係は記号論的にすごく、
どこが境目なのかっていう、
必ず微妙な時期を経てきてると思うし。
ちょうど私が研究を進める上でぶち当たった壁がそれで、
お母さんと話をしていたっていうところもあって。
今回の研究。
そうなんですよ。
地名にプラス設備字っていう形で全部集めていて、
例えばこう、
ジーランダーとかロンドナーとか、
地名プラスERっていう形を全部集めてるんですよ。
固有名詞プラスERっていう。
ただ集めていく段階の時に、
例えばスコットランドの地名なんですけど、
ハイランドとかローランドっていうのがあって、
ハイランダローランダっていうのは、
これは固有名詞プラスERと考えていいのかなっていう。
ハイランドってもちろん固有名詞としてみなすこともできると思うんですけど、
聞いて分かるとハイプラスランドなんで、
ある程度一般名詞的な部分も存在してて、
やっぱり地名として呼ぶときは大文字化されてるっていう時もあるっぽいんですけど、
そうじゃなくてOEDのエントリーとかを見ていくと、
小文字でハイランドって書いてあったりするし、
あれこれは固有名詞としてみなしていいんだろうかっていう。
スコットランドのハイランドこれは固有名詞ですか?
それとも一般名詞的なものなんですかっていう。
研究でデータ集めるときに、
入れていいのか入れちゃいけないのかとかすごく悩むんで、
結構それぶち当たってる感じなんですよ。
どこから固有名詞ですかっていう。
私これ固有名詞として入れていいですかっていう。
三人コーチの人みたいな。
元々そうじゃないですか、絶対。
元スコットランド住人としては、
住人というか留学してた。
ハイランドとローランドは別地域みたいな感じなので、
もちろん制度的には国とは違うんだけれども、
それに近い大きな固有名詞っぽい使い方にも、
もちろん由来としては高さっていうことなんだろうけども、
関東関西っていうのも意味としては、
ある籍があってその東か西かって意味は残ってるけれども、
じゃあこれ固有名詞じゃないかって言われると、
広域名、広いだけで、
やっぱり特定の地名であるという見え方になったりする。
明らかに特別に捉えないといけない。
固有名詞として捉えるっていう。
ただ微妙ではある。
でもそれは現代視点の我々だからそう言えちゃうだけで、
本当にそれを使い始めた人たちは、
ハイランドは本当にただ高い地域のやつらって言って、
ハイランドって言った可能性もあるし、
そう考えていくと、あれ、どっからが固有名詞って。
それ今話してて思ったのが、
中英語のマイネームから今風のファミリーネームに、
いつ、どの瞬間で切り替わったかっていう微妙なわけよ。
オプショナルなのが義務になったのかっていうのは、
オプションでもかなりよく使うオプションもあったりして、
名前の固有名詞化
そうすると義務に近いわけでしょ。
はっきりとファミリーネームになったと言える、
そう言い切れるような何か証拠があるとしたら、
架空の例なのかね。
こういう例があったら多分言えるだろうっていうのが、
のっぽの何とかっていうのがファミリーネームみたいな感じで
使われてたんだけど、
明らかにチビの息子が生まれて、
だけどそれはのっぽのって言い続けた場合には、
多分固有名詞化した。
もう形容詞ではない。
たしかに。
実体と無尽してる。
あと、スミスって名前なのに、
フィッシャーやってたりとか。
それはある程度確かめられる要素があるんですよ。
スミスフィッシャー職業の場合は、
のっぽとか難しいと思うんだけど。
それがあって、
そうするとスミスじゃないのに、
スミスと名乗ってるみたいな。
鍛冶屋じゃないのに名乗ってるみたいなのがあると、
決定的みたいな。
そういう判定の仕方みたいのはあるかもしれないですね。
歴史的には。
同時代の歴史資料で、
その人がどういう職業についていたかっていうのが、
はっきりすれば、
それはもう確実に言えるっていうことですね。
そういう資料があって、
名前の後に結局職業を書く場合がある。
なんとかスミスフィッシャーとかやったらもう。
分かりやすいわけ。
逆にごちゃごちゃしちゃうんだよね。
確かに。
そうそう。
だけど、ある代からフィッシャーになっただけで、
親父の仕事は今でも半分ついてるかもしれないですね。
スミスフィッシャーも別に嘘じゃないかもしれないっていう世代があったり、
でもおかしくないし。
金曜日だけ鍛冶屋やってるみたいな。
そうそう。
判定の仕方は難しいですけど。
この境目。
現代だったらどうなんだ、インフォーマントに。
ということは関東関西どう思うって聞かれて、
はい、家で答えられるけれども、
やっぱりやってるのは近代だからね、今のところね。
難しいですよね。
ある程度、現代の判断っていう、母語話者の判断基準っていうのもあるけど、
一方でダイアクロニックに見ていったときにどこからっていう問題も。
それもありますね。
そこがすごく難しいなっていうのは感じますよね。
この議論はやっぱり何回かやってる気がするね。
病気名の扱い
2023年から4年にかけて、
我々このVOICEでも名前が出るみたいな感じでいっぱい飛びますね。
1年やってるんだよ。
聞きましたよね、結構。
あのときにせっかくだからっていうんで、
大学院の授業でいろいろ私も論文読んだんで、
アロキさんもいろいろ一緒に読んでるときに、
やっぱりこの話出た気がするね。
例えば病気の名前っていうのは、
例えばコロナっていうと、
当事者意識はまだ非常に強いわけで、今でも。
そうすると特別な巨大な悪魔みたいな、
いわゆるメタファーに思えるので、
固有名詞っぽいわけですよ。
インフルエンザまでいっちゃうと、
もう一般の風邪のきついやつぐらいな感じで、
コロナも扱いが固有名詞っぽいところから、
どんどん弱毒化して、
当たり前のフード病になっていくと、
インフルエンザとかコールドに近いような形になるっていうことだと思うんですよ。
いつからかなってそれわからないじゃん。
固有名詞なのか。
病気は言語によって大文字書きする。
同じ病気でもね。
大文字書きする場合と小文字書きする場合とか、
座をつけるつけないっていうのが結構あって、
その辺の多分微妙なニュアンスを
表してるんじゃないかなって気がするんですよね。
いつCOVIDが小文字になるか。
確かに。
そうなんですよ。
そこを病気名はよく言われますね。
地域とアイデンティティ
だから境地的に見れば、
やっぱり母語話者がどういうふうに感じてるかっていうところで
変わってくる部分があって、
ダイアクロニックに見るとどうですかね。
意味がどんどん薄くなっていくというか、
ハイランドはもともと高い地域っていう
より具体的でちゃんと
一般名詞の時の意味を持っていたところから
地域名ちょっと薄くなっていくみたいな、
そういうプロセスを経るっていう感じなんですかね。
その違いで。
それも個人名なのか、
地域の地名なのか、
民族名なのかによっても
だいぶ状況が違うような感覚がするんですけどね。
これが一筋の味にいかないような感じがします。
やっぱ固有名って一個にしか存在しないっていう建前ですけど、
もう一つあれですね。
季節名とか月名っていうのは、
これ言語によって大文字書きするか小文字書きするかっていうことで、
特にジャニアリー、フェヴィアリーとか大文字書きするんだけども、
あれ固有として見ているからで、
ただ1年後には必ず巡ってくるって意味では、
ジャニアリーズがあるわけですよ。
何十回も経験するわけですよ、人生の中で。
だけどそれを固有のものと見なすかだよね。
見なすかどうかみたいなところなので、
認識も入ってくるっていう難しさがありますよね。
その見なす動機っていうのは何なんでしょうね。
やっぱり他でもないこれだっていう、
やっぱりアイデンティフィケーションっていうのが一番大きいんですかね。
それを固有のものと見なしたいって思うその話者の動機って。
そうですね。
何になってくるんですかね。
固有性を与えたいかどうかとかいうことなんでしょうかね。
記号論的話題だと思いますよね。
薄まって薄まって原理が忘れ去られたら、
こういう認識化していって良いっていうことなんだけど、
大体文法家と一緒で意味薄まったら形も崩れるので、
原型は分かんないってことなんだけど、
ハイランドはめちゃくちゃハイって普通に分かるもんね。
露骨なんだよ。
しかも対照的にローランドっていうのもあるんで、
そこを2つの対比で見ればもう明白じゃないですか。
そこすごく難しいんですよね。
さっき地元の例を2人で話してるときに出したんですけど、
大きな川があって、
小さい町だと川が1つの住人にとっての大きなアイデンティティを
自分で感じる大きな要素になるみたいで、
川の向こう側の人間なのか、川の南側の人間なのかによって、
わりと住人って意識違うらしい地域が宮崎にあるみたいなんですけど、
橋のこちら側っていう意味で方言もあるので、
ハシンコッチっていう言葉があるみたいで、
それがもちろん最初は橋のこちら側の人たちという意味だったわけなんですけども、
完全に固有名詞として彼ら使ってるんですよ。
その使ってるのを聞くと、
ハシンコッチっていう1つの地名みたいにすることになっていて、
すごく過程が、
多分数十年ぐらいで起こったのかなっていうのを考えると、
すごく固有名詞の面白さというか、そういうのを感じるんですよ。
それでいうと各地にあるよね。
川向こうとかいう言い方はいくらでもあるので、
あれがちょっと固有名詞性を帯びてるってことね、地元の。
それは面白いですよね。
明らかに最初は普通名詞で、
しかもかなりディスクリフトルというか、技術的な言い方なのに、
それ自体が固有名詞化してるような感覚がするんですよね。
川だとね、どっちの岸に住むかで、
つまり対岸で呼び方が違う同じ川なの。
これは国境の川だとそういうのは非常によくあるっていうことなんだけど、
国境じゃなくても普通に割とありふれたね、
湖東のようですよね。
同じ川を違う名前でっていう。
やっぱり結局どう見たいかっていう、
当社側の心理認知なんでしょうね。
固有名詞化するかいなかっていうのに、
かなりそういう要素って強く働いてる。
そうですね。
アイデンティファイするためっていうのは、
誰がどういう目的でアイデンティファイするかみたいな、
そこが結構重要になってくるのかなっていう。
それいい議論だと思います。
どういう立場の誰が。
名前は第一義的に、
名前の機能はアイデンティフィケーションだって言うけども、
誰が何の目的で、
どこまでいかないと現象が分からない。
確かに第一義が変わっちゃいますもんね、
そこまで考えないと。
単なるアイデンティフィケーションだけだと。
これ今度論文含めを。
論文下でハマりません?先生の方。
アイデンティフェーション、
それ自体が問題ではない。
誰がどの目的で、
決まったら落とし残り。
実はこれ狙ってましたよ。
これ話して、
フィードバックもらって論文に落とし込もうっていう。
みんなで同じ方向に行くとそんな論文でしょ。
結論がみんな同じでしょ。
あれみんな同じ言葉使ってると。
やっぱり話すもんですね。
話すと面白いからね。
リアルタイムでの議論っていうのは、
すごく身乗りがありますからね。
すごいいい。
誰が何の目的でか。
いつどこでも関係するしね、結局ね。
アイデンティファイ別にしたくないものだったら、
それこういう名刺化しないしでいいんだよね。
アイデンティファイしたとしても、
どういう目的が違うと、
違う名前になることもあるっていうことですもんね。
故障の話とかね。
そうですね。
認識か。
そうですね。
認識にいっちゃうのかね。
難しいですけどね、探るのはね。
逆に違いから複数の呼び方があるってところから
逆算してということはこういう認識だったんじゃないか、
みたいな逆の議論はあり得ると思いますけどね。
どう説得力を持たせるかっていうのは別ですけど。
いいですね。
この辺で逆に終わっといても綺麗なので。
面白かったですね。
出来上がりの論文をまた読み直して議論できたら、
もっと深まるんじゃないかなっていうところですね。
これ生でお聞きの方も30人すごいですね。
ありがたいですね。
アーカイブでも後日流すと思いますが、
その時には我々1年半前にやった議論とか、
ジャパニーズの話も非常に人気回なんで、
いろいろとリンクを貼っておきたいと思いますので、
改めて皆様の名前っていう問題。
言語学においてちょっと特殊なんですよね。
普通の振る舞いをしないことが多いっていうところで
なかなか謎めいた話題なんですが、
対談の概要
今日は即席でこのお題でやろうって言ったんですけど、
大成功じゃなかったですかね。
つかくとも我々に。
コメントでもぜひフィードバックをいただければ。
アーカイブの時にでも変わりませんので。
ということで、今回このセッションは
名前×英語詞with小川俊さん&青木ひかるさん
ということでお届けしました。
ありがとうございました。
エンディングです。
今日も最後まで放送を聞いていただきまして
ありがとうございました。
いかがでしたでしょうか。
じっくりと3人でお話しいたしました。
それぞれが考えを持っている、
そんな3人が集まったからこそ、
打ち合わせもなくですね、
その場で名前についてとにかく喋りましょう
ということでここまで発展したんですね。
逆に打ち合わせをしていたり、
最初からですね、ゴールを決めていたら
こんなに面白くならなかったかと思うんですよね。
こういうのが本当に学問というのは面白い、
そして対談というのは面白いと感じる瞬間なんですよね。
準備しすぎでも良くない。
しなさすぎっていうのも良くないわけなんですが、
皆さんそれぞれですね、論文を今書いている最中ということで
もうすでに自身のテーマについて試作しているんですよね。
そこまで出来上がっているからこそ、
今回のような対談が面白く成り立ったんじゃないかな
というふうに思います。
これタイミングが悪かったり、
それぞれのバランスが異なっているとですね、
こうもいかないんではないかと思いますね。
なのでこれ本当に微妙なバランス、
非常にサトルティーなんですよね。
色々なキビがありまして、
それによって同じ3人でも面白みが変わってくるっていうことは
往々にしてあるんではないかというふうに思っております。
今回はですね、どんぴしゃりはまって、
私も本当に勉強になりましたし、
そもそもですね、お年どころをですね、
お二人に教えていただいたということで、
本当に感謝しております。
こんな感じでまた対談したいなというふうに思います。
名前学に関しましては、このヘルディオでも
2023年、2024年に色々とお届けしてきたんですね。
2024年がピークで学会発表などもありましたのでね。
その後、少し下火になったんですが、
その時の成果がですね、
これから論文集になるということで、
学問はですね、こういうふうに1年、2年、
遅れてですね、成果物が出るっていうこと。
これが通常、当たり前の話なんですね。
そういう意味で言えば、
2、3年一つの話題で引っ張れるということにもなりますので、
スピード感こそありませんが、持続力はある。
これがですね、アカデミックの特徴なのかもしれません。
長く広く名前について考えてきたなということを思い起こすとですね、
このヘルディオの歴史にも刻まれていると思うんですよね。
こちら、論文集が出た暁にはまた皆さんに広報したいと思っておりますが、
そんな感じで今進んでいるということなんですね。
ぜひご注目、引き続きいただければと思います。
リスナーへの呼びかけ
このチャンネル、英語の語源が身につくラジオヘルディオでは、
あなたからのご意見、ご感想をお待ちしています。
Voicyのコメント機能を通じてお寄せいただけますと幸いです。
SNSでのシェアもよろしくお願いいたします。
それでは今日も皆さんにとって良い1日になりますように、
英語史研究者のほったりうちがお届けしました。
また明日!
40:12

コメント

スクロール